やっぱり

なんてことを書いた一ヶ月後に発症、
四月から五月にかけて、また痛風生活を送ったのでした。
あまり大きな口を叩くもんじゃないな。
でも幸いというか、腫れはひどくなかったし、
去年に比べるとおとなしい感じでした。
いまはリハビリの最終段階。ほぼ普通に歩けるのだが、
階段を下りるとき、ややヒョコタン状態になる。
でも、冬から春にかけては、いろいろあった。
よく乗り切ってきたと思う。(しょっち)

小松菜スムージー

1年ぶり。
去年は初夏にひどい痛風の発作に見舞われて、
そのあとガラリと何かが変わったような気がする。
医者にも薬にも頼らず体質改善で痛風を克服する、
と密かに決意したのだ。
体質改善に成功したかどうかは、
今年の五月、六月を、いやそれ以降の日々を、
痛風のない状態で送れるか否か。
それで簡単に試されてしまう。
ある日左足の親指の付け根がヘンに痛がゆくなり…、
なんて初心者のような始まり方ではなく、
膝に来たり足首に来たり、もう意表をついてくるに違いない。
学生時代の友人イッペイくんは、痛風の先、すでに人工透析へと、
足を踏み入れてしまった。もはやりっぱな、障害者手帳所持者だ。
あとに続けとは言わないが、おいでおいでをしているような感じ。
痛風の行き着く先は腎不全とかいわれるが、
そこらへんに行き着いてしまったみたいなのだ。
週になんどか、練馬の方から透析を受けに都心へ出てきているらしい。
久しぶりに電話で近況を聞いたら、そういう話だった。
落語好きなイッペイくんらしく、新しい体験というか自分の境遇を
面白おかしく、なんだか楽しそうにしゃべる。
そっち方向にはついて行きませんよ。
でもおいらの体質改善が成功するかどうか。
やってることというのは、小松菜スムージーを毎日自分で作って飲む、
ほぼそれだけだ、といってよい。酒もタバコもやめてないし。
小松菜だけではない。バナナ、ニンジン、リンゴ、ブロッコリー、グレープフルーツ
など5、6種類の野菜+果物を適当な大きさにしてミキサーに入れ、
それにサジーの液を少々かけ、水も少し加えて、ガガガと回すのだ。
低速から高速に回転数をあげ、さらに超高速のスイッチを入れる。
リンゴの種も粉々にしてしまう、恐るべき破壊力。
なんでも、細胞レベルで破壊してしまうので、細胞液がジュースになるのだそうだ。
それをコップに二、三杯飲む。妻とふたりで飲む。
ほぼ毎日だから、小松菜やバナナの消費量は結構すごい。
小松菜、前はひと束百円前後だったが、秋以降3倍くらいに値上がりした。
最近ようやく下がってきているが。
ニンジンとバナナは優秀で、3〜5本入った袋が百円ちょっとで安定している。
リンゴが一個百円、グレープフルーツも一時あがったが最近一個百三十円くらい。
ブロッコリーも一個二百五十円、サジーはひと瓶結構高いが、一回分は五十円くらいだろう。
リンゴは半分、グレープフルーツも半分、ブロッコリーは一個で4回分、ニンジンは毎回一本、
などと計算すると、一日分で原価三百円くらいか。
これでコップに5、6杯とれるのだから、安い飲み物だ。
さて、これで体質がどう変わるのか。どう改善し、痛風の克服になるのか。
正直、目下実験中なので偉そうなことは言えない。
どなたか、医師の痛風持ちの方がネットで「体質を弱アルカリに保つと良い」
と発言していらしたのを読んで、なるほどと思ったのでした。
弱アルカリの血液だと、関節にこびりついた痛風物質(尿酸)を血中に溶かしやすい、
のだそうだ。その医師はどこぞのナチュラル・ミネラル・ウォーターが、
アルカリ水なので取り寄せて毎日飲んでいると書いていた。
その水を飲むようになってから痛風の発作が起きないという。
まねしてその水を探して注文すればいいようなものだが、
要するに体質を弱アルカリに改善し、保つ、というのが眼目だろう。
それだったら小松菜はカルシウムも豊富で歯医者さんから勧められていたし、
小松菜を中心にしたスムージーでやってみようと思ったわけだ。
グレープフルーツには血圧を下げる効果もあるし。
で、ほぼ半年ほど続けているが、体調はすこぶる快調。
最近とんでもない仕事を引き受けて徹夜徹夜が十日も二週間も続いたのだが、
不思議と仮眠仮眠でも体がもち、なんとか乗り切ったのでした。
じつは、まだ続いてるけど。
いままでなら体が酸化し切って、きっと今ごろか少しあとには痛風の発作が起きている、
そんなむちゃくちゃな日々だったのです。
なんとか多少落ち着いたので、大急ぎでスムージーをたっぷり取り込んで、
酸化しかけた身体を弱アルカリの方へ戻さなきゃ。(しょっち)

現実と虚構

おとといの夕刊だったか、宇野常寛という若い評論家が、
21世紀は現実と虚構のパワーバランスが大きく現実の側に傾くであろう、
と書いていた(朝日・サブカル時評)。
他人の物語に感動するより自分の物語に感動したい。
知ることより体験することのほうがずっと楽しい。……
たしかに、もうすでに、そういう時代に入りつつあるような気がする。
才能は尊重されるが、才能の産物はすぐさま共有される。
才能でメシを食おうとすること自体、間違っている、みたいな感覚。
宗教という虚構(数千年続いた)、才能という虚構(数百年続いた)、
そして、ようやくここにきて、虚構の時代の終わりが見えてきた、ということか。
つぎは、国家とか貨幣とか、虚構と現実の狭間にあるものの運命はいかに、
というところだろうか。
いや、国家とか貨幣とかもいっしょなのだろうな。
それらの虚構的な側面はどんどんパワーを失い、リアルな側面のみ肥大する。
虚構と現実のパワーバランスが現実の側に傾く、か。なるほど。(しょっち)

ビワとドクダミ

隣家の自転車置き場の上にせりだして、
日差しを遮るだけでなく葉や実を落としたりして、
迷惑かけてるなあと思いつつ、
なかなか腰を上げずにいたビワの木刈り、
きのう、とうとう敢行した。
折りたたみ式のハシゴを自転車置き場に設置し(隣は留守、断り済み)、
そこにまたがって、最初は剪定鋏でちょこちょこと、
手の届く範囲を切り落としたが、
葉はもっと上にも茂っており、空を覆う感じは拭えない。
やはり太めの枝を落とすしかない。
ノコギリの出番だ。
ギーコギーコとノコギリで枝(というより幹と言ったほうがいいくらい)の
両側から攻めてゆく。
樹質はけっこう柔らかく、ノコギリで引きやすかった。
もうすぐ引き終わる、と思われたとき、なぜか身の危険を感じ、
ハシゴから降りて様子を見る。
すると、少しの風で太枝が揺れたと見るうち、
メキメキどさりとハシゴの上に落ちてきた。
あぶないところだった。
とても持てない重さだ。
こんなのをハシゴにまたがったまま頭にかぶったら、どうなっていたことだろう。
想像するだけで笑ってしまう。
動かせるくらいにノコギリで切って、
家の前の路上に運ぶ。
なんと、やや色付いたビワの実が、たくさんついている!
すでに一部には鳥がついばんだあとがある。
駐輪場に戻ると、おお、空がきれいに抜けている。
これでしばらくはだいじょうぶだろう。ハシゴをどけて、掃除。
つぎはビワの実を枝からもぎ取る作業。
同時に、葉を少しとっておき、あとは生ゴミにするしかないので袋詰め。
結果、かなりの量のビワの実が穫れた。
二人ではとても食べきれそうにない。
きょうは路地にドクダミが咲き誇っていたので、10数本引き抜いて、
根の土を落としてひもでしばり、風呂に浸けた。ドクダミ湯だ。
これはいままでもときどきやってきたが、なんとも気持ちがいい。
湯から上がったら、あっというまに眠ってしまった。(しょっち)

土手を歩きながら

中川の土手を散歩。
犬の散歩とすれ違う。
川べりには釣り客が竿を何本も立てている。
それをあざわらうかのように魚が跳ねる。
見てると数メートル移動しては飛び上がっているようだ。
あれはじっさいのところ、どういうことなのだろう。
酸欠なのか。まさか。空中に飛び上がったからといって、
肺なきものに呼吸ができるわけもない。
では、元気をもてあましているのか。
ヒトだって90歳をすぎても鉄棒にぶら下がれば大車輪をやってみたくなる。
あれと同じ心境か。よくわからない。
だから、釣り人への挑発行為と思ってもいいくらいだ。
でも、だれもいないときでもやつらは飛び跳ねている。
水中を泳ぐことと空中に飛び上がることは、
一連の行為なのか。
一瞬、ウロコをきらめかせて水面から飛び出し、
その魚眼に土手や土手を歩くぼくや中川大橋や青空、
あるいはスカイツリーの先っぽくらいを取り込み、
すぐまた水中に潜って、今見た世界とのあまりの落差に愕然とし、
もう一度飛び上がって再び目を見開く。なんだこの世界は。
でもおもしろいじゃないか。水面の外にこんな世界が広がっているなんて。
ああ、そんなこんなしてると釣り針にひっかかってしまうぞ、さかなクン。(しょっち)

ところてん

夢のような2年間。
そろそろ終わりに近づいている。
次の2年はどんなかな。
ところてんみたいに、後ろから押されてる感じ。
つうことは、筒から押し出されてばあっと出てからが、
自由ってことか。ところてんがところてんになる。
いまはまだ、四角い筒に閉じ込められた、寒天状のかたまり。
まてよ、人生の数十年がその筒の中だとしたら、
ところてんとして生まれるのは死後ということか。
この世とあの世の比喩として、これはいかがなものか。
案外正確な比喩だったりして。(しょっち)

父死す

2016年4月16日(土)午後10時45分。父が96年の生涯をとじた。
医師の死亡診断書には「慢性心不全」と記されていた。
17日の日曜日午前11時、老人保健施設老健)のベッド脇に家族が集合。
遺体と対面した。ぼくの弟ふたりと娘の家族4人、息子の家族4人、
ぼくら夫婦と合わせて12人。
翌々日の19日午前10時、荒川区町屋の斎場で火葬。
その前のほんの20分ほど、柩の蓋を外してもらい、故人のスーツ上下をかけたり、
顔や身体の周りを花でうずめたり、ひ孫が書いたお別れの手紙を持たせたり、
と、お別れの儀式をした。
待合室も個室ではなくオープンスペースと、すべてが簡素きわまりない。
骨を拾い、骨壷と遺影を抱いてクルマで移動、みんなで木曽路のランチを食べて解散。
遺影と骨壷を仏壇の前に安置。父はほぼ1年4ヶ月ぶりに「我が家」に戻ったことになる。
これで名実ともにワタクシが最長老となったわけだが、えーと、あいさつはまた今度。(しょっち)