うたかたにつぐうたかたの日々のうたかた
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もうすこししたら再開したくなるのか。判らない。
取り敢えず昨晩swansを20年ぶりくらいに観た。耳が壊れました。
ケース・オブ・テレグラフ2011
CASE OF TELEGRAPH 2011@高円寺HIGH
1バンド目はコンクリーツ。新宿ロフトにてzeldaとの対バンで初めて見たのが30年前。voのシム・コン・カン氏は確かエスケンのマネージャーだったんですよね。風貌も音の印象も全く昔と変わらず。ドラムスのネズミ氏も健在。
続いてはヴェクセルバルク所属の各人のユニット。サディ・サッズの”アンゴラ”が今聴けるなんて。サラスヴァティは初めて聴きましたが多分当時であれば好きだったと思う。だって関西、時の葬列とかあまり関係無かったからね。オフマスク00とか聴いてたからね。のいづんずりとかhip-see-kidとか。もんもんクラブとかタマス&ポチスとか聴いてたから。えらい違うな...。でもCBGBでのチルドレンクーデターの細井氏ベースで田畑、竹谷両氏が居る4人時代のボアダムズとか本当に狂っててpsychoで御座いましたよ。
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NON BANDが3番目。ノンさんよりもドラムスの玉垣氏が10インチ盤のモノクロの写真と変わらぬ感じでそっちが興味深い。slitsの"earthbeat"とかraincoatsの3枚目とかと呼応する世界観はムーヴメントが同時代的に起こった証と言える。今もって素晴らしい音像。
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EP-4は佐藤薫+川島バナナ氏のunit3名義にて。
相当練られたサウンドシステムは音響兵器の如し。リンガフランカの"ロボットフッドプロセス"を解体して漂白したような旋律が聴こえた時、あの時代の京都会館第一ホールに飛ばされた気がした。アルトーと言えばa certain ratioのUS12インチの"Du the Du"のスリーヴは彼のポートレイトで飾られていたと思う。ミリタリー趣味(ナチズム?)の悪意満載の装いで身を固めた初期のACRはノーザン・ソウルとしての"shack up"をゾンビの如く演奏する。ACRの2ndの"Sextet"に聴ける女性コーラスは過剰に理解すればグリム・スキップの金切り声の悲鳴となるのだろうか。ACRのそのような意匠をEP-4に見るのは強ち見当外れでは無いと思うのです。今野雄二みたいな事言ってますが。黒人音楽の純度の高いやつを火に炙ればそういう白い煙が上がるのだろう。嗜みが過ぎると戻れない。ダメ、ゼッタイ。
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で、戻って来た山崎春美。
TACO名義にてGREEN FLAMESをバックにガセネタのヒットソングなど演奏。カッチリとした演奏。こんなにカッチリでいいのかな。いいんだろう。判らない。ただし戻って来てはみたものの娑婆の人間は誠に冷ややかであったという。これもTACOという事だろう。その昔、同志社のホールで観たTACOは絢爛豪華な顔ぶれで客皆が過剰な期待をする中、なんだかワケの判らないものを披露する。今ならスカムとか軽やかな喩えもあろうが、その時はこの自分でさえ「こりゃ駄目だ」と思った記憶がある。ただ憶えているのは町田町蔵が無い前歯を見せながらロックンロールと一言、空虚に向けて放った、それだけだ。パンク好きな友人の顔は満足げであった。そういう一方的な敗北感を押し付けられるというのがTACOの醍醐味なのだから昨晩もそういう意味では紛れも無くのTACOであった。
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おもうに
蛇口を捻って、物思う。食事をするとき考える。風のふくときふと憂う。
とにもかくにも我々は死ぬまで生きるのだ。
左程書いてるでもないのですがtwitterに張り付いてしまうようにここんところ、なった。お気楽な馬鹿ツイートと震える程の怒りの告発がTLに交互に現れる。錯乱のなかに居る。友人達と食事の際にも必ず話はそちらへシフトするのだが皆、結局、最後は黙りこくる。
足繁くライブにも通っています。BBL東京でのハイ・ラマズとエドウィン・コリンズは良かった。先週観たSAKANAも。一昨日観た埋火は最高だった。来週はEP-4とタコを観る。オーディオもちょっと変化した。EARのフォノイコはびっくりするくらいの銘機であった。EARはブリティッシュロックを鳴らす為のメーカーであったと確信した。窓を開けると金木犀のほのかな匂いも香る好きな季節がやってきた。仕事も程々に楽しい。
しかしながら腹の中には黒い大きな繭のようなものが留まっていて息苦しいのだ。煙草呑みでもないのに胸のあたりが痛む。肺に睡蓮が咲く奇病か。日々がうたかただからか。
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私的名演見学忘備録 :ACID MOTHERS TEMPLE & THE COSMIC INFERNO
ACID MOTHERS TEMPLE & THE COSMIC INFERNO@秋葉原グッドマン。
ぴかちゅうAMT卒業ライブと銘打って、4年在籍したAMTをこの日脱退。
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ラストの曲でドラムキット破壊し、フロアタムを客席に投げ込んで演奏。
ドラマーとしてのぴかちゅうの突進力にはいつも感動すら覚える。
私的名演見学忘備録 :NICK LOWE
ニック・ロウ@ビルボード東京。
東京4回セットの最終。定刻9時半廻って痩身白髪のニックが独りでステージに現る。1曲目「people change」が我々を優しく諭すように唄われる。
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バンド編成でニック・ロウがやってくると聞いてそれは大変だとチケットを取った御同輩は多かったろう。リトル・ヴィレッジはやっぱり自分には半分の愉しみだから。
ブリンズレー・シュワルツが何故にあのように愛おしいのかは英国から米国への憧憬の類いに日本人が憶う部分と重なっているからなのか。
カナダから米国へと向かったあの偉大な連中に憧れてブリンズレーは勇んでNYへとプロモーションをかけたがぱっとせずに酷評されて終わる。150人英国プレスを引き連れて、ヴァン・モリスンの前座としてという大舞台なのに。このエピソードも今となっては(ホロ苦く)微笑ましい。昨晩観て思ったことはニックのやっていることは一貫してブリンズレーから何も変わらない、それでいて性急なリズムはもう必要なくて、可愛くも老獪ともいえる(それは昔からだけど)立ち振る舞いが、皆の胸をノックするのだと。歳をとった今は若くして老成していたと言えるあの彼の嗜好がそれに追いつき、追い越した。小声で全てが伝わる域に位置するSSWであるという再確認であった。
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バンドがとにかく素敵なのだ。ゲラント・ワトキンスは本当に素晴らしい鍵盤奏者であった。会場の一番てっぺんの安い席で観たおかげで、ブギウギのピアノの運指をたっぷりと堪能した。ギターのジョナサン・スコット はデュアン・エディ風のトゥワンギーなソロを連発し、ジョニー・キャッシュによく似たドラムのロバート・トレハーンは唄うようにブラシを擦り、ウッドベースのマシュー・ラドフォードの出で立ちはロカビリーのそれであった。マシュー抜きの3人はまんまヴァン・モリスンのバックだったそうだ。
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まだ今晩が大阪公演なのでちょっと憚られるけど、いくつか。昨晩は2回のアンコールに応え、最後の曲はジョニー・キャッシュの「beast in me」で、ニック・ロウは歌手としても相当に素晴らしいのだと改めて思いしらされる。
それと個人的には「恋するふたり」もそりゃ嬉しかったけど、昨夜一番良かったのは来月出る新譜からの「house for sale」という曲だった。youtubeにありました。
Nick Lowe "House for Sale"
英国でTVを点けると家を買う番組が必ずどこかのチャンネルで在る。このランディ・ニューマン的ともいえる?曲に”peace, love, understanding”という一節を潜り込ませている。
今一度ニック・ロウは ”平和と、愛と、わかりあう事について語ることのどこがダサいんだ” と小さな声で、諭すように我らに向けて唄った。唄いたいのだと判った。
ある意味秀逸
毎日来るスパムメール。これは或る意味秀逸。
もう内容全てが意味不明。むしろちょっと興味あるわ...。
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真面目に答えるとするとこの開業医の近藤さんにはレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」を一読するのをお勧めするなあ。アルトマンの映画「ショート・カッツ」元ネタでジュリアン・ムーア演ずる奥さんが息子を事故で...云々。
以上、春樹の好きなどなたか、このセレブクラブとかいうスパムの送り先に返信して近藤さんに教えてあげて下さらないか。