久しぶりに

中学の同級生から久しぶりにLineで連絡がきた。
―合唱発表会のピアノって誰だっけ?
誰だったかその場では思い出せず、
「Sじゃなかった?」とピアノが弾けそうな
当時の同級生の女の子の名前を送信する。
―そうだったっけ? というか久しぶり
という返信が返ってきて、「それがさきだろ!」とかえすと
―ごめん
という。
そういわれるとなんだか自分の言葉が重たく響いたように感じて、
いやあ、そんなつもりで言ったんじゃあ…
という気になり、文字での会話の難しさを感じる。
今何してるの、聞くと「群馬に帰るとこ」だそう。
やつは群馬の公立大学に現役で受かったのだが、二年留年しているという。
私は一浪して大学に入っており、今年卒業予定である。
やつは本来ならもう就職しているはずだと思っていたら。
思えば、私の周りにはロクなのがいない(私も含め)。
同級生の中で、いまの状況が知れるのは、
高校時代に仲が良かった仲間だけだが、
ことごとく浪人しており、「友達」といえる人で、
就職している同級生は二人ぐらい。

かくいう私は「進学希望」である。
本当にロクなやつがいない。

昨夜

昨夜は隣の部屋が深夜までうるさかった。
男女4・5人の声。6畳のアパートでよくやるよな、と思う。
何かゲームをやって盛り上がっているらしい。
笑い声や話し声だけならまだしも、手拍子なんか打っている。
いい加減にしてくれと思いながら、テレビで映画を見る。
金曜日は各局で映画をやっているので三時ごろまで見ていた。

隣の声はおさまらない。
できる限りの抵抗として壁をたたく。少し静まった。
しかし、時間が少し経つとまた盛り上がり始める。
今度は壁をたたいてもなかなか静まらない。
こちらもむきになってたたく。
拳でやると痛いのでティッシュ箱でたたく。
効果は一時的なものでしかなくすぐにまたうるさくなる。
ふと、なんだか馬鹿らしくなって布団にもぐる。
三十分ほど寝付けなかったが気づいたら眠っていた。

朝10時頃に起きる。
壁を見るとティッシュ箱の紫が移っている。
昨日の夕食の残りを温めながらテレビをぼんやり見る。
朝食を食べ終えると呼び鈴が鳴り、郵便が届く。
送り主は母親で、就活の冊子とチョコが入っていた。

図書館にでも行こうと外に出ると、大家の婆さんと住民の男がいる。
昨日の騒音について話している様子である。
大家は苦情の紙を貼ろうと言っている。
二人の横を会釈をして通り抜け、図書館の方へあるく。今日は暖かい。
人の少ない図書館につくと、パソコンを開き、この日記を書いた。

TBS

ラジオでバカ女みたいなしゃべり方で
Session22の番組CMやってた。
誰かなあと思ったら作家の三浦しおんだった
早稲田大学卒でもあんな話し方するんだな。
小西康陽も「三浦さんはこんな話し方なんですね」と言っていた。
CM的には成功してるけど。気になっちゃったから。

実家から帰ってみると家事が実に億劫である。
正月気分も抜けきらない。
連休があるせいで当分抜けきらない日が続くだろう。

こちらに戻ってさっそく本を買った。
つぎは原付を直そう。
正月明けはやることが多い。

スウェーデン妃

スウェーデン王子の妃が「セクシー女優」出身らしい。
そういうケースって他にあるのだろうか。
日本だとだいたい妃は学歴もしっかりした良いとこの出身だろう。
王家と政治が切り離されてからのヨーロッパは
そういうところに寛容なのかな。
単に王子がアレなのかもしれないけども。

ウェブ日記開設と年始雑感

いつも日記を書き始めても続かない性分なのだけれども
新年を迎えたついでに新しいことでもしてみようと思って
ウェブ日記を書き始めた。

もともと小谷野敦や秋草先生のはてなダイアリーを読んでいたし
利用者も少なそうだということではてなダイアリーに書くことにした。

さて、2016年を地元で迎え、今のところだらだら過ごしている。
真面目な生活に戻すのは4日からにして、今はくつろいでいる。
というかだらけている。昨日(今日?)は朝の6時に寝て11時に起きた。
まあ、ひどいときには12時間ほど寝っぱなしの日があることを考えると、
そこまでだらしないというわけでもないけども、夜寝て朝起きるようにしたい。

今日はブックオフに古本でも買いに行こうと思う。
もう1日と2日で本は2千円分ほど買った。

特にパウル・ハイゼ『忘れられぬ言葉』(淵田一雄訳、岩波文庫、1995)を
250円で、ジイド『ソヴィエト旅行記』(小松清訳、岩波文庫、2008)を
108円で買えたのが良かった。特にハイゼは神保町などでもあまり見ない。
『片意地娘』も岩波文庫に入っているが状態の悪いわりに高い。
ドイツのアカデミー賞作家でも、トーマス・マンやヘッセはいいとして、
ハイゼやハウプトマンは古本が希少で高値がついている。
「ドイツ文学者は、ゲーテをやっている人ばかりだ」と誰かも言っていたが、
ドイツ文学者は怠慢であると思う。ホフマンでさえ岩波文庫版が高い。
だから、池内紀だけがせっせと翻訳をしていて誤訳が多くても、
他の人が何も言えないのだろう。