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邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2024年版)

さて、私的ゴールデンウィーク恒例企画である「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」の季節である(過去回は「洋書紹介特集」カテゴリから辿れます)。

以前から書いているが、このブログは一度の更新で5つのエントリを公開するのを通例としており、そうするとそのうちひとつくらいは洋書を紹介するエントリを紛れ込ませることができる。そのおかげで、この一年ブログで紹介してきた洋書をまとめるだけで、今回も全38冊(ワオ!)の洋書を紹介できるわけだ。

ご存じの通りの円安の進行のせいで、これから翻訳書の刊行にブレーキがかかるのかもしれない。それは大きな損失だと思う。また先日ある場所で、日本のネットユーザがますます海外の情報に目を向けなくなったという話が出たのだが、翻訳書が減少したら、その傾向にも拍車がかかるかもしれない。面白そうな洋書を知ったら取り上げることで、その傾向に抗いたいのである。

まぁ、これは毎年書いていることの繰り返しだが、洋書を紹介してもアフィリエイト収入にはほぼつながらないのだけど、それでも、誰かの何かしらの参考になればと思う。

既に邦訳が出ていたり、またこれから出るという情報をご存知の方はコメントなりで教えていただけるとありがたいです。

ケヴィン・ケリー『Excellent Advice for Living: Wisdom I Wish I'd Known Earlier』

ケヴィン・ケリーの本はだいたい邦訳が出ているが、『消えゆくアジア』に続いてこちらも難しいかなぁ。自己啓発書として割り切って出せばよいと思うのだがどうだろう。

そうそう、彼は今月も73歳の誕生日に73個の有益なアドバイスを公開している。

セルヒー・プロヒー(Serhii Plokhy)のウクライナ

いやぁ、↑のエントリを書いたのが昨年5月で、次の「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」エントリ(つまりこれ)を書く頃には、彼の本は少なくとも一冊は邦訳が出ているに決まっていると思い込んでいたが、出てないですな。これはまったくの予想外。なにか問題でもあるのだろうか?

セルヒー・プロヒー教授は昨年に2カ月ほど北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターに特任教授として滞在しており、そのときのインタビュー記事が「ウクライナ戦争と北方領土 ハーバード大・プロヒー教授の視点」全3回にまとめられている。

Scott J. Shapiro『Fancy Bear Goes Phishing: The Dark History of the Information Age, in Five Extraordinary Hacks』

法哲学者が語るサイバーセキュリティというアングルがユニークなので、これは邦訳が出てほしい本である。『情報セキュリティの敗北史』と同じく小林啓倫さんあたりに話がいってないものか。

Cynthia Carr『Candy Darling: Dreamer, Icon, Superstar』

キャンディ・ダーリングの評伝と聞けばかなり興味あるのだが、それこそ↑のエントリでも触れた、彼女の人生が映画化でもされないと邦訳は難しかろうね。そうか、今年は彼女の没後50年なんだね。

New York Times に掲載された書評を読むとやはりシビアな内容を思わせるが、晩年のテネシー・ウィリアムズが、彼の舞台に出たキャンディ・ダーリングに失礼なことを言う粗野な客を「レディになんてことを聞くんだ!」と一喝した話が泣かせる。

ロマ・アグラワル(Roma Agrawal)『Nuts and Bolts: Seven Small Inventions That Changed the World in a Big Way』

これは『世界を変えた建築構造の物語』(asin:4794226047)に続いて邦訳が出るに決まっているが、そういえば WIRED の「THE WORLD IN 2024」特集に彼女は「修理する文化が復活、電子機器の分解・修復が権利となる」という文章を寄稿している。

ジェフ・ジャービスJeff Jarvis)『The Gutenberg Parenthesis: The Age of Print and Its Lessons for the Age of the Internet』

ジェフ・ジャーヴィスの本はだいたい邦訳が出ているが、これはどうさねぇ。彼も今年70歳になる。これあたりが最後の著作になるかもしれんわけだからね。

Ben Smith『Traffic: Genius, Rivalry, and Delusion in the Billion-Dollar Race to Go Viral』

昨年は BuzzFeed News 元編集長として日経に敗軍の将は兵を語っているが、ベン・スミスは2011年から2020年までおよそ10年間 BuzzFeed News の編集長を務めた人で、その後も New York Times に移ったと思ったら、Semafor を起業したりと、つまりはこの20年ばかり米オンラインジャーナリズムの中心にいた人である。これは面白いに決まっている。

イアン・ブレマーやウォルター・アイザックソンといった著名人が推薦の言葉を寄せている。

彼が起業した Semafor は資金調達の面でも人材の面でもかなり恵まれたスタートをきったが、それでもこのご時勢、ジャーナリズムをビジネスにするのはなかなか大変そうだ

ワグナー・ジェームズ・アウ『Making a Metaverse That Matters: From Snow Crash & Second Life to A Virtual World Worth Fighting For』

またしても彼は悪いタイミングでメタバース本を出してしまったとみる向きもあるだろうが、何度も書くようにワタシはメタバースはまだまだ伸びしろがあると思っているので、彼の本は今年後半以降に邦訳が出るくらいでちょうどよいと思うのだがどうだろうか。

今回は Second Life に特化していない、メタバースの歴史を網羅している本みたいなので。

Will HermesLou Reed: The King of New York』

正直、またルー・リードの伝記が出る意味あるの? と懐疑的だったが、この本のかなり評価が高くて驚いている。まぁ、ワタシは例によって牛歩の歩みでアンソニー・デカーティス『ルー・リード伝』を読むしかないわけですが。

ジョナサン・タプリン(Jonathan Taplin)『The End of Reality: How Four Billionaires are Selling a Fantasy Future of the Metaverse, Mars, and Crypto』

WirelssWire News 連載復活後にもっとも評判をとった文章の原動力となった本なので、これは邦訳が出てほしいところ。

実は、この本の前に書いた、彼がボブ・ディランが後のザ・バンドを連れたツアーのロードマネージャーだった頃から、マーティン・スコセッシの『ラスト・ワルツ』や『ミーン・ストリート』、そしてヴィム・ヴェンダースの『夢の涯てまでも』などの(エグゼクティブ・)プロデューサーを務めた時代の回顧録の邦訳『マジック・イヤーズ:魔法があった』asin:B0CT3B99F7)が今年出ていてのけぞってしまった。

グレッグ・ルキアノフ(Greg Lukianoff)、Rikki Schlott『The Canceling of the American Mind: Cancel Culture Undermines Trust and Threatens Us All—But There Is a Solution』

これは前作に続いて邦訳が出ると思うのだが、下で紹介するジョナサン・ハイトの新刊の邦訳とセットになりそうな気がする。

ブライアン・マーチャント(Brian Merchant)『Blood in the Machine: The Origins of the Rebellion Against Big Tech』

この本について、WIRED が2回も取り上げていること自体驚くべきことである。言うまでもなく「ラッダイト」とは現在は「軽蔑的な悪口」なのだが、果たしてこれの邦訳が出て、その認識がいくらか変わることもあるでしょうか。

ジェフ・トゥイーディー(Jeff Tweedy)『World Within a Song: Music That Changed My Life and Life That Changed My Music』

Wilco でもコンスタントにアルバムを制作しながら、3冊も本を出すのだから、もはや執筆も余芸ではない。Rolling Stone のインタビューを読むと、ボン・ジョヴィの悪口書いているのか(笑)。あと彼の本と構成が似ているボブ・ディラン『ソングの哲学』を読んで少し失望したとな。

Sarah Lamdan『Data Cartels: The Companies That Control and Monopolize Our Information』

著者の名前で検索してもほとんど日本語記事で言及されているものがないので、邦訳は難しかろうね。それでも The Anti-Ownership Ebook Economy と同じく訳されるべき内容だと思うんですよ。

サーストン・ムーアSonic Life: a Memoir

やはり前妻キム・ゴードンと同じく邦訳出るかというのが興味あるところだが、そういえば彼はちょうど新曲を出したばかりだった。

割といいじゃん。

ベン・メズリックBen Mezrich)『Breaking Twitter: Elon Musk and the Most Controversial Corporate Takeover in History

映画『ダム・マネー ウォール街を狙え!』が公開された後となっては今更という感じなので、一足飛びでイーロン・マスクによる Twitter 本の邦訳を期待したいが、また下に書くが似た題材の本がいくつも控えているので、どれが出るでしょうかね。

Jeff Horwitz『Broken Code: Inside Facebook and the Fight to Expose Its Harmful Secrets』

特に日本では、もはや「Facebookファイル」も今や昔の話になりつつあるので難しいだろうが、これは邦訳が出るべき題材だと思うわけですよ。詐欺広告が放置され続ける国である日本では特に。

ティーブン・ジョンソン(Steven Johnson)『The Infernal Machine: A True Story of Dynamite, Terror, and the Rise of the Modern Detective』

原書が来月発売なのでまだどの程度の出来というのも分からないのだが、彼の本ならやはり来年以降に邦訳出るんですかね。個人的には、彼が Google でどういう仕事をしているのかというところだったりする。

Lol Tolhurst『Goth: A History

この本は、「元キュアーのロル・トルハーストによる」のほうよりも、純粋な「ゴスの歴史本」のほうで需要があると思うので邦訳を期待したいところ。

それはそうと、現在のトルハーストとは関係ないが、15年以上出ていないキュアーの新譜はまだ出ないのかな。

ジェフ・コセフ(Jeff Kosseff)『Liar in a Crowded Theater: Freedom of Speech in a World of Misinformation』

ジェフ・コセフは、米国海軍士官学校サイバーセキュリティ法部門准教授で、法律+テクノロジー(サイバーセキュリティ)に専門がまたがるという意味で、↑で紹介しているスコット・シャピロにも通じるところがある。これからそういう人材が求められるんだろうなぁ。

それはそうと、自分のエントリで紹介した他の本も含め、偽情報、誤情報にどう対応していくかを説く本は重要と思うのよね。

Anne Currie, Sarah Hsu, Sara Bergman『Building Green Software』

ワタシは知らなかったのだが、Green computing という項目は昔からウィキペディア英語版にあったのね。しかし、Green Software という言葉は目新しいものであり、それって昔の組み込みプログラミングな感じ? よりも認識を前に進めるためにこの本の邦訳は必要かと思うのだ。

そうそう、この本の共著者3人がこの本について語り倒す全5回のシリーズ動画があるのを知ったので、そのパート1をはっておく。

ケリー・ウィーナースミス(Kelly Weinersmith)、ザック・ウィーナースミス(Zach Weinersmith)『A City on Mars: Can We Settle Space, Should We Settle Space, and Have We Really Thought This Through?

近年、イーロン・マスクジェフ・ベゾスといったテック大富豪による宇宙進出、宇宙移住についてのニュースを見ることが多く、あたかもそれが我々の生きてる間に他の惑星への移住が見られるくらいに思ってしまいそうなるが、そうした意味でこの本は大事な話を扱っていると思うわけですよ。

おそらく来年には邦訳が出ると思うが、それを手がけるのは著者らの前著と同じく化学同人か、それとも早川書房か。それまで本についての情報は、公式サイトをあたってくだされ。

Kyle Chayka『Filterworld: How Algorithms Flattened Culture』

著者のことは WIRED でたまさか名前を見かけるライターという認識だったが、ちょうど「WEIRDでいこう! もしくは、我々は生成的で開かれたウェブを取り戻せるか」を書いたばかりだったので、その符合に驚いた次第。邦訳が出るまで、この本についての情報は著者のサイトの公式ページをあたってくだされ。

ローレンス・レッシグ、Matthew Seligman『How to Steal a Presidential Election』

ローレンス・レッシグの米国の選挙制度に対する危機意識は伝わるし、本当に今度の大統領選挙ではこの本で危惧する問題が災いする可能性が十分にあるのは頭の痛い話だが、米国の選挙事情に依るこの本の邦訳は例によって難しいでしょうな。

クリス・アンダーソン『Infectious Generosity: The Ultimate Idea Worth Spreading』

NHK「スーパープレゼンテーション」やってたのも2018年3月末までだったし、今では TED のことをあまり知らない人も多いのかな。TED のプレゼンテーションスタイルも揶揄の対象になったりし、その神通力はもはやないけど、だからといって TED 自体が無意味とかワタシは思わないのよね。

ジョナサン・ハイトThe Anxious Generation: How the Great Rewiring of Childhood Is Causing an Epidemic of Mental Illness

ジョナサン・ハイトの新刊は早くも批判がビシバシ寄せられており、それに著者が反論しているが、このあたりの Z 世代の問題については、昨年ノア・スミスも書いていたが、「スマホ悪玉論」で先んじたジーン・トゥウェンジは、かつてハイトの共同研究者だったことが WIRED の記事で触れられている。

邦訳は間違いなく出るとして、その際には本書に寄せられた批判を踏まえた解説をつけてほしいところ。

Tom Taulli『AI-Assisted Programming』

これの紙の本、Amazon で1万円超えてるで……。

それはそうと、今回調べてみて、一年以上前にこの本の誕生を予見していた人がいるのを知ってのけぞった。これに続く本もこれから本格化するのだろうな。

ネイト・シルバー『On the Edge: The Art of Risking Everything』

8月に出る本なので、その出来は分からない。これがポーカーの話に終始した本ならノーサンキューだが、テック系のリスクテイカーについての記述もかなり多そうなので、彼の巻き返しに期待したいところである。

アーヴィンド・ナラヤナン(Arvind Narayanan)、Sayash Kapoor『AI Snake Oil: What Artificial Intelligence Can Do, What It Can't, and How to Tell the Difference』

この本だけ、まだ電子書籍のページができていないので、紙の本をリンクしている。とにかくアーヴィンド・ナラヤナンという人は、現代コンピューティングにおける重要な話題をビシバシ押さえている人なので、この人の動向から目が離せないのである。

既にゴールデンウィークは始まっているが、皆さん、楽しい休暇をお過ごしください。

澁川祐子『味なニッポン戦後史』をご恵贈いただいた

澁川祐子さんから新刊『味なニッポン戦後史』集英社インターナショナル)をご恵贈いただいた。

澁川さんからは前著(後に『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(asin:4101206813)として文庫化)もご恵贈いただき、「集合知との競争、もしくはもっとも真摯な愛のために」という文章を書いている。そしてその後、澁川さんにお願いして、渋谷のちゃんぽんの美味しいお店に連れて行ってもらったりした(てへっ☆)。

さて、本書はサイゾー連載に大幅な加筆・修正を行い、新章を書き下ろしたものだが、塩味、甘味、酸味、苦味、そしてうま味という五つの味覚に加え、何度もブームが寄せては引く辛味、そして第六の味覚として有力視されている脂肪味を通し、味覚と社会の接点をつなぐことで戦後日本の食のありようと社会の姿を浮き彫りにすることを目指す「ニッポン戦後史」である。

ワタシは脂肪味が新たな味覚として有力視されていることも知らなかったくらいだが(やはり、コク味ではないんですね)、やはり著者と同年代なので、同じ時代を共有して生きてきたことによる分かる感じが多い本だった。そして、それがない若い世代の人が読んでも、そうした共感とは別の新しい発見がある本だと思う。

本書はなんといってもインパクトのある帯が印象的だが、これは単なるギミックではなく、「うま味」についての第一章で書かれる味の素の受容と忌避の歴史が、戦後日本における味覚と社会の接点の典型的なサンプルだからだ。

味の素に関するくだりを読んでいて、村上龍の『長崎オランダ村』で、長崎の餃子店で鍋の底に大量の味の素があるのをみて、語り手が子供の頃、それこそごはんにも味の素をかけて食べていたことを思い出す場面が浮かんだが、彼の世代が子供の頃は中華料理だけでなくいろんな料理の味の調整役として重用されていた味の素は、「化学」の先進的で良いイメージにより化学調味料と呼ばれ、その後一転してその呼称が安全性をめぐる不信をまきおこしてしまう。

この「化学(人工)」と「自然」の対立は、塩味についての第二章でも、「専売塩」「化学塩」と「自然塩」の二項対立として書かれており、同じような構図が本書を通じてでいくつか見られる。

自然食、自然栽培といった言葉があるように、言うまでもなく食と「自然」との相性はいい。私も含め多くの人は、自分の口に入るものが工場内で水と光を管理されて生産されるより、大自然の景色のなかで育まれている景色を好むのではないか。たとえそこに実態はなくとも、言葉から喚起されるイメージ、その背後にある物語に人は弱い生き物なのだ。(pp.208-209)

この化学不信と自然信仰には、冷静に見ればそれぞれツッコミどころがあるのは明らかである。が、やはり口にするものは時代の気分ではっきり売り上げに変わりが出るし、今生きる自分にしても、そうした「気分」と無縁と言い切れるわけはない。

脂肪味についての第7章における「バターvsマーガリンから始まった善悪二元論」にもあるように、我々は科学の進歩にも振り回されてきたわけで、後から俯瞰してみればただ滑稽かもしれないが、それもその時代に生きた証とも言える。

そして、一貫して食を通じて欲望に忠実な人間の姿も見てとれる。

 カロリーを直接想起させる砂糖や炭水化物は排除されがちな反面、体にいいとされる果物や野菜には甘さを追求してやまない。それは、もはや強迫観念に近い健康志向の現代にあって、罪悪感なしに「甘い=うまい」を享受したいという、身勝手な欲望の発露なのかもしれない。(pp.95-96)

本書にも著者の安易な「良い逸話」に飛びつかないストイックさが出ているが、各章がそれぞれの味覚を題材としたストーリーテリングのうまさが出ているようにも感じた。

今の自分の食生活に慣れすぎて、ともすればそれがずっと前からあったように思い込んでしまうところもあるが、前述のバターvsマーガリンではないが、食の常識はいつの間にか変わっていたりする。かつてスパイスに似た存在だった油を日常的に使ってもらうために「一日一回フライパン運動」が1960年代に呼びかけられたことなど、知らなかった逸話も本書にはいくつもあり、そうした意味でもためになった。

「シリコンバレー随一のヴィランにしてカリスマ」ピーター・ティールの伝記本の邦訳が出ていた

yamdas.hatenablog.com

2年以上前のエントリになるが、そこで紹介したマックス・チャフキンによるピーター・ティールの伝記『The Contrarian』の邦訳『無能より邪悪であれ ピーター・ティール シリコンバレーをつくった男』が今月出ていたのを知る。

原書は「逆張り屋」という意味だが、邦訳は「シリコンヴァレー随一のヴィラン(悪役)でカリスマ」なピーター・ティールに相応しい(笑)邦題がついたものですなぁ(版元のサイトに個別ページがまだできていないのはなんで?)。

しかしさぁ、「シリコンバレーをつくった男」っていくらなんでも盛りすぎだろ。マーガレット・オメーラ『The CODE シリコンバレー全史 20世紀のフロンティアとアメリカの再興』を読めば(いや読まなくても)、ティールが生まれた時点でシリコンバレーは既にテックセクターの集積所だったことが分かるっての。

それはともかく、なにしろ「逆張り屋」なんて原書タイトルの本ですから、ピーター・ティールという今やシリコンバレーを代表する「テック・オリガルヒ」の、一筋縄にいかない、時に明らかに矛盾しているように見える彼を批判的に論じる本書が出てよかったと思います。

原書は2021年に出ているので、その後3年ばかり経っているが、彼の場合、あまり人目を引くタイプではないので、その点、イーロン・マスクと異なり、落差は少ないだろう。

禁錮25年をくらった仮想通貨業界の元寵児サム・バンクマン=フリードを描くマイケル・ルイスの新刊の邦訳が出る

yamdas.hatenablog.com

昨年秋に紹介したマイケル・ルイスの新刊だが、一年足らずで邦訳が出る。さすがベストセラー作家!

暗号資産取引所 FTX の創業者であるサム・バンクマン=フリードが新作の主人公だが、先月彼に禁固25年の判決を下された

マイケル・ルイスも本書でサム・バンクマン=フリードについて好意的に書いている部分が批判されていたと思うが、彼もまさか自分の取材対象が7つの罪で有罪くらうとは思わなかっただろうし、『Bad Blood』のような本とは成立過程が違うわけで。

クリス・ディクソンは、クリプト界隈を「暗号資産カジノ」とそうでない人達に線引きして「ブロックチェーンにいま一度チャンスを」と訴えるわけですが、米国政府が「史上最大の金融詐欺のひとつ」と表現した犯罪の裁判がばんばん報道されるなど、一般に目立つのほうは「カジノ」のほうの方々ばかりなのだから、まぁ、なかなか難しいと思います。

「暗号資産カジノ」のせいで、サム・バンクマン=フリードが推していた効果的利他主義とやらも一緒に評判だださがりな感があるが、そのあたりの評価はこれから妥当なところに落ち着くのでしょう。

パスト ライブス/再会

いやぁ、画の美しさが印象的だった。子供時代の主人公二人がデートで遊ぶ二人が顔を出すオブジェ、それとあの恐竜みたいなヤツとか、そして女の子家族が北米に移住してからもカットの美しさをところどころに感じた。

そうそう、坂の町と呼ばれる長崎で生まれ育ったワタシにしてみると、子供時代の二人が学校からの帰途のぼっていく坂道、そして、坂道の途中、女性の家の前で別れるところのカットもなんとも良かったな……と思いきや、あの家の前のカットが最後に一瞬だけ出てきたときは、映画館で一人あっと声をあげてしまった。

本作について話の大筋は知っていたが、ここまでほとんど韓国語の映画だとは思ってなかった。ようやくアメリカ人も1インチの字幕の壁を受け入れたのだなと勝手に感慨深いものがあった。

本作のストーリーについて、ワタシが書くことは特にない。本作で主人公の二人を分かつのは、いうまでもなく米国と韓国の距離であり、お互いそれぞれの人生を歩んだ時間なわけだが、なまじ Skype なんかでつながれてしまう残酷さが出ていた。

バーで主人公の男性と女性の夫が二人だけになる場面で、ジョン・ケイル"You Know More Than I Know" が流れる。前にこの曲が映画で使われていたのは『パーム・スプリングス』だったか。アイランド時代のジョン・ケイルの曲が使われる映画に悪いものはないのだけど、本作でのこの曲は、夫側の心象を表現したものと受け取った。

そして、クライマックス、女性が住む家から韓国に帰る男性を見送り、そして戻っていく横移動のカット! あれだけ緊迫感のある横移動を観たのは『ROMA/ローマ』以来だった。

異人たち

本作の主演のアンドリュー・スコットは、『SHERLOCK』でのモリアーティ役で認知した人だが、映画では『パレードへようこそ』が印象的だったな。実は彼が主演する Netflix の『リプリー』を観始めたところだったりする(こちらも実にピッタリな役をやっている)。一方でポール・メスカルは、昨年観た『aftersun/アフターサン』が鮮烈だった。

ワタシは本作を、今もっとも活躍する男優二人が共演する映画ということで観に行く気になったのだが、やはり日本では原作が山田太一の『異人たちとの夏』であることが一番の注目点だろう。

実はワタシは、『ふぞろいの林檎たち』や『男たちの旅路』といった山田太一の代表作をリアルタイムには観ておらず(関係ないが、彼はワタシの父親と同年の生まれである)、『異人たちの夏』も観てなかったりする。なので、本作についてそれや原作との比較はできない。

1987年(だよね?)に、主人公が12歳になるかならないかで死んだ両親とかつての生家で再会する本作は、ある意味『不適切にもほどがある!』と偶然にも同じくらいの時間差を行き来する作品ということになる。本作はあれみたいに価値観の落差にはしゃぐことはなく、同性愛者である主人公が子供時代から現在まで抱え続けた孤独感に自然とフォーカスする。しかし、正直、ここまでゲイセックスが本格的に撮られているとは思わなかった(だから良いとか悪いとかでないので、念のため)。

二人でケタミンを摂取してクラブに繰り出してからの、現実と幻覚を行き来するホラーっぽい演出が特に印象的だった。クラブでかかっていた "Promised Land" は、ワタシはスタイル・カウンシルのバージョンしか知らなかったが、あそこで流れていたのはオリジナルかな?

本作ではフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドが重要なアイコンとして登場し、それがラストシーンにつながるが、まさかあのバンドが本作のような静寂感のある映画で使われるなんて、リアルタイムに知るワタシには夢にも思わなかった。しかし、思えば、ワタシの洋楽体験初期にあたる1980年代当時、彼らだけでなく、ペット・ショップ・ボーイズカルチャー・クラブなど英国のクィアのアクトを当たり前のように受容していたんだな。どこまで彼らのメッセージを理解していたかとなると怪しいものだが。

本作で流れるペット・ショップ・ボーイズの "Always on My Mind" は、それを家族で歌いながらも、実は共有できていないところがあるのを暗に示す選曲なのだろう。

前述の通り、本作について両親との再会以外の事前知識がなかったので、本作の終わり方には驚いた。

WirelessWire News連載更新(BlueskyやThreadsに受け継がれたネット原住民の叡智)

WirelessWire Newsで「BlueskyやThreadsに受け継がれたネット原住民の叡智」を公開。

毎度毎度同じことを書いて恐縮だが、今回もまた3回分の内容を1回にぶちこんでしまった……冗談抜きで健康に支障をきたしているので、次回こそは短くします。

書き終わる頃には意識がもうろうとなってしまうのだが、今回は基本的に書いていて気分がよかった。

なにより、今回は AI がタイトルに出てこないし、直接の題材でもない。AI ネタならいくらでも文章の材料はあるのだが、そればかりではうんざりしてしまう。

なによりマイク・マズニックの論文が公開されて5年近く経つのに、これをちゃんと取り上げた日本語の媒体がほとんどなかったというのは恥ずべき話である。そして、マイク・マズニックの一徹なライティングスタイルは自分にも共通するものがあり、彼に共感するところも多い。

そうそう、Mike Masnick を「マイク・マスニック」と「マイク・マズニック」のいずれで表記すべきか結構悩んだ。検索してみると両方あって、正直前者にしようかと傾きかけたのだが、YouTube で彼の苗字を呼ぶ音声をいくつか聞き、後者のほうが近いかなぁ、と感じたのでそちらにさせてもらった。

本文に入れたら怒られると思って止めた話を書いておくと、Twitter を分散型 SNS にするための Project Blue Sky を立ち上げ、(イーロン・マスクが買収する前に)このまま社内にこのプロジェクトがあったらまずいと気づいて Twitter から切り離し、そして現在はあんま興味ないようで余計な口出しや関与は特にしていないというジャック・ドーシーの Bluesky に関するムーブ、すべてが Bluesky にとって正しくて、彼が Twitter 関係で行った最大の善行ではないだろうか?

AI栄えてQAエンジニアが儲かる? 話はそんな単純ではない

www.oreilly.com

FastCompany の「AIによってコーダーは王様でなくなる。皆の者、QA エンジニアを称えよ」という記事にマイク・ルキダスがコメントしている。

彼は FastCompany の記事は読む価値あるし、(タイトルは釣りっぽいが)その議論は概ね正しい、と認める。生成 AI がどんどんコーディングに利用されるようになり、でも AI はミスを犯すので、QA(品質保証)チームの重要性が増すというわけだ。もちろん生成 AI の信頼性はこれから上がるに違いないが、バグ取りの問題はなくならないので、テストとデバッグの重要性が増すのは間違いない。

さて、そこで問題となるのは、AI はテストにどの程度使えるのかということ。AI がテストスイートを作るとしても、それにバグが含まれるならそのテストは意味あるのか。「テストが難しいのは、優れたテストは特定の動作を検証するだけではないからだ」とルキダスは書く。それにテストが複雑になるほど、問題は大きくなる。

それにバグというのは、些細なポカミスだけではない。仕様を誤解するのもバグだし、顧客のニーズを満たさない仕様を正しく実装してもそれはダメだ。仕様を AI に読み込ませることもできるが、顧客が本当に望んでいることまで AI に分かるのか?

セキュリティも問題だ。AI はファジングテストに向いてそうだし、ゲームをプレイする AI が「チート」を発見することもある。それでも、テストが複雑になるほど、ソフトウェアをデバッグしているのか、テストをデバッグしてるのか分からなくなる。デバッグがコードを書くことの倍は難しいからだ。

それにプログラミングを巡る文化の問題もある。ルキダスがかつて働いていた会社では、QA に配属されるのはどちらかというと降格を意味し、優秀だけどチームとうまく働けないプログラマーが回される傾向にあった。その文化は変わっただろうか? それを AI に任せるとして、文化はどう変わるか。

そもそも、いくら QA を優先しても、解決すべき問題を十分に理解しないプログラマーは問題を解決できないという普遍的な問題は変わらない。それにプログラマーがコーディングに費やす時間は、全体の20%に過ぎない。その20%の時間を AI が半分にしたとしても、それは重要ではあるが革新的とまでは言えない。生成 AI が(解決すべき問題を理解して)テストの質を落とすことなくテストを書く助けとなれば、それは大きな前進となろう。

ルキダスは以下のように文章を締めくくっている。

ソフトウェア開発者は、テストと QA にもっと多くの時間を割く必要がある。それは当然の話だ。しかし、AI から得られるのが、我々が既にできることをやる能力だけならば、我々は勝ち目のない勝負をやってることになる。勝利する唯一の方法は、解決すべき問題をより良く理解することに落ち着く。

うーん、常識的な意見に着地した感があるが、AI を使ったからといってそれから簡単に逃れることはできないということでしょうね。

SFが未来を方向づけるのか? 当代の人気SF作家が答える

nautil.us

これは面白いインタビュー記事だ!

冒頭で、今どきのテック大富豪はたいていティーンエージャーの頃に SF を読んで影響を受けているとして、ビル・ゲイツセルゲイ・ブリンジェフ・ベゾス、そしてイーロン・マスクの名前を挙げているのだが、このあたりについては『天才読書 世界一の富を築いたマスク、ベゾス、ゲイツが選ぶ100冊』asin:429610957X)などを読んでも分かりますね。

そして、けどあいつら本当に SF 読めてるのかね、とイーロン・マスクの投稿をちょっと皮肉っているのだが、この記事では以下の6人の人気 SF 作家にズバリ「SFが未来を方向づけるのか?」という疑問をぶつけている。

結局のところ、SF が我々が築く未来の青写真になるんですかね? という最初の問いに、N・K・ジェミシンが、そんなわけない。他の文学ジャンルと変わらん。ちょっとしたことを一つ正しく言い当てて、他はすべてハズレなのが「先見の明がある」ヴィジョンと言えるか? と答えていて受けた。

コリイ・ドクトロウは、実際にものを作る人の多くが SF にインスピレーションを受けているのは否定できないと認めながらも、物語の寓意をそのまま受け取りすぎるのは、「プラトンの洞窟」を本当に探すようなものと語っている。

チャールズ・ストロスは、彼が「魔法の杖テクノロジー」と呼ぶ、物理法則を無視するものを取り除いてしまったらほとんど残らんし、むしろ SF は目指すべき目的地でなく警告の役割を果たすことが多く、『スノウ・クラッシュ』(asin:4150123543asin:4150123551)や『侍女の物語』(asin:4151200118)みたいな未来は実現できるけど、あれはディストピアであって絶対目指すべきものじゃないからね、という答えもそうですねぇ。

SF が実際に未来のトレンドの触媒の役割を果たすことはあるんですかね? という次の問いに対して、デイヴィッド・ブリンは、確かに SF はコンピュータや携帯電話や医学などで前向きな技術トレンドに影響を与えてきたが、本当に世界を変えたとすれば、それは人間の間違いを回避できたときだと語り、偶発的な戦争を防ぐのに役立った作品として『博士の異常な愛情』(asin:B01K47CI0S)、『未知への飛行』(asin:B003NVV7ZA)、『渚にて』(asin:B0000CGAJO)、『ウォー・ゲーム』(asin:B00AQACHLO)を挙げている。

一方でアンディ・ウィアーは、フィクションが現実世界を導くツールと考えるべきでないと思ってて、自分はただ楽しむためだけに書いているんだ、と彼らしいコメント。

そして、SF が文字通り受け取られすぎと感じることあります? という問いに対して、チャールズ・ストロスが、今の AI バブルがまさにそれ、AI というアイデア全体が世俗的な終末論の宗教と化してしまったと吐き捨てていて、これには笑ってしまった。そうそう、彼はまさにテック富裕層の SF 的妄想をクソミソに批判してたんだよね。

アンディ・ウィアーは、SF が『ブラック・ミラー』式の「人間が悪だからテクノロジーも悪」な、暗く陰惨なテクノフォビアに乗っ取られている気がする。それは正しくなくて、利益よりも害の多いテクノロジーを挙げるのは難しいよ。人間性って、人が思うよりも良いもんだよ、とこれまた実に彼らしいコメント。

……と紹介していたらきりがないので、詳しくは原文にあたってくだされ。チャールズ・ストロスがロシア宇宙主義(asin:4309231411)に触れていて、おっとなったり、コリイ・ドクトロウジェフ・ベゾス『ワンダとダイヤと優しい奴ら』asin:B004X3Z3I4)のケヴィン・クラインにたとえていて笑ったり(つまり、お前読んだ本のこと何も分かってないだろ、という嫌味)。

ネタ元は Pluralistic

アーヴィンド・ナラヤナンらの「インチキAI」本が遂に出る

www.aisnakeoil.com

ワタシも「インチキAIに騙されないために」で取り上げた、アーヴィンド・ナラヤナンとサヤッシュ・カプールによるニュースレター AI Snake Oil書籍版の刊行が告知されている。

遂にですな。ワタシも「先鋭化する大富豪の白人男性たち、警告する女性たち」で触れているが、この著者二人は TIME が選出したAI分野でもっとも影響力のある100人に入っている。その彼らによる、AI ができること/できないこと、その違いの見分け方を教えましょう、という教育の書である。

だいたいの内容については「インチキAIに騙されないために」を参考にしてくださいと言いたいところだが、飽くまでそれは昨年はじめ時点での話で、その後もニュースレターは活発に出ていたので、当然最近の話までしっかり網羅されているはずである。

刊行は9月とまだ時間があるが、それまでに邦訳の話も決まってほしいところ。

そういえば、ケイト・クロフォードが推薦の言葉を寄せているが、彼女の『Atlas of AI』は未だ邦訳出てませんなぁ。

伝説のロック評論家レスター・バングスの伝記本が出るのに驚いた

tower.jp

主に1970年代に活躍した音楽評論家レスター・バングスの伝記本『レスター・バングス 伝説のロック評論家、その言葉と生涯』が出るとのことだが、いやぁ、驚いたねぇ。英米の音楽評論家が出した本の邦訳が出ることは確かにある。しかし、音楽評論家の評伝の邦訳なんて他に聞いたことがない。版元の蛮勇に感謝したい。

レスター・バングスといっても知らない人がほとんどなのは仕方ないが、キャメロン・クロウの映画『あの頃ペニーレインと』でフィリップ・シーモア・ホフマンが演じた人といえば思い出す人もいるかな。

yamdas.hatenablog.com

今回邦訳されたのは、このエントリの後半で紹介したジム・デロガティスの本が原書になる。

つまり、この本にはロバート・クワインの貴重な証言が含まれるし、(バングスのことを蛇蝎の如く嫌った)ルー・リードやニューヨーク・パンク周りについても重要な話が読めるはずだ。

ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』が文庫化されようとしている今、残された「最後の大物」は何か?

prtimes.jp

情報は昨年既に公になっていたが、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が、彼の死去から10年になる今年、遂に新潮文庫より文庫化される。

いつからか「文庫化したら世界が滅びる?」などと一部で言われていたらしいが、6月26日にそれが本当か確かめられる。

やはり新潮社の純文学書下ろし特別作品はなかなか文庫化されなかったことで知られ、安部公房砂の女』、大江健三郎『個人的な体験』、遠藤周作『沈黙』といった昭和文学を代表する作品は、文庫化まで15年以上かかっている……が、それは随分前の話である。

生前の文庫化を拒否していた埴谷雄高小島信夫『別れる理由』のような一種の事故物件(失礼)といったレアケースはあるが、『百年の孤独』のように、1972年の刊行から50年以上を経ての文庫化というのは、海外文学であることを加味してもやはり格別である。

個人的には4年前のサルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』の岩波文庫入りも驚きだったが、これは単にワタシが存命著者の著書は岩波文庫に入らないと勘違いしていたせいである。

文庫化といえば、浅田彰『構造と力』の40年を経ての文庫化も昨年末に話題となった。ワタシなど、そうか、文庫化って小説だけじゃないんだ、と当たり前のことを再認識したが、そうした意味で、文庫化が残されている「最後の大物」はなんになるだろうか?

奇しくも今年、ウンベルト・エーコ薔薇の名前』の「完全版」が出ることが告知され、またジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク』も復刊されるなどいろいろ動きがある。『フィネガンズ・ウェイク』は20年前に一度文庫化されているが、一方で『薔薇の名前』の文庫化はまだないことになる(「完全版」が文庫版でなければ)。

文庫化が待たれる「最後の大物」、これについては読書家であれば一家言あるだろうが、ワタシはリチャード・ドーキンス利己的な遺伝子』を推したい。1980年の邦訳刊行以降、増補新装版40周年記念版と新装版が何度か出ていることも『百年の孤独』と共通するし、そういう新版が出るということは、『利己的な遺伝子』が現役の影響力をもち、それなりに売れ続けた本だからだろう。

紀伊國屋書店様、原著刊行50周年の2026年あたり、いかがでしょうか?

さて、最後に『百年の孤独』の個人的な思い出話を書いておく。ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説は、『エレンディア』、『族長の秋』『予告された殺人の記録』といった(要は文庫化された)作品を読んでおり、『百年の孤独』もさんざん躊躇した挙句、新装版が出たときに満を持して購入した。

しかし……今にいたるまで、まったく手をつけておらず、読んでいない。ダメダメじゃん。

というわけで、文庫版を買い直すことになると思うが、果たして生きている間に読破する時間をとれるだろうか?

AI界隈で「オープンソース」が最新のバズワードになっている……って何をいまさら

www.technologyreview.com

日本語版にはまだ翻訳があがってないので取り上げておく。

[追記]:日本語版に「誰もがオープンと言い出した ——AI業界で攻防、オープンソースの定義を巡り」が公開されている。

「テック業界はオープンソース AI のなんたるかで合意できない。それは問題だ――その答えが、このテクノロジーの未来を誰が形作るかを決めるかもしれない」という文章である。記事の冒頭を訳してみよう。

突如として、AI 界隈で「オープンソース」が最新のバズワードになっている。Meta はオープンソースの汎用人工知能を作ると宣言した。またイーロン・マスクは、AI モデルをオープンソースにしていないと OpenAI を訴えている。

時を同じくして、オープンソースの覇者として名乗りを上げるテックリーダーや企業も増えている。

しかし、根本的な問題がある――「オープンソース AI」が何を意味するのか、誰も同意できないのだ。

おいおい、これはまさにワタシが昨年前に既に書いた話ではないか……くらいは言っていいよね?

wirelesswire.jp

そして、この記事はこの問題への OSI の取り組み、そしてステファノ・マフリのコメントをとっているのだが、まぁ、そうでしょうね。

Meta の取り組みとその狙いについても、ワタシが二月前に書いた通りですな。

そして、Google は「オープン」とは言うが「オープンソース」とは言わない微妙な違いがあること、いずれにしてもユースケースに基づく制約を課すこれらの企業のモデルをオープンソースとは言えないことにちゃんと触れている。

そして、マフリが訓練データがオープンになってない点について触れているが、これがビッグテックの競争力の源泉である以上、これが簡単にオープンになるとは思えない。

記事では「ホワイトウォッシュ」ならぬ「オープンウォッシュ(open washing)」なんて言葉も出てくるが、オープンソースが企業の競争力の欠かさざるピースになっている現実に触れながら、こと「オープンソース AI」の定義についてはやはり合意が難しいようで、どこかで「現実路線」を見極める必要があるのではというコメントで記事は締められている。

ネタ元は O’Reilly Radar

データサイエンティストブームの立役者ネイト・シルバーの10年以上ぶりの新刊『On The Edge』が出る

www.natesilver.net

柏野雄太さんの投稿で知ったのだが、ネイト・シルバーの『シグナル&ノイズ』以来、実に10年以上ぶりになる新刊 On the Edge が8月に刊行される。

ネイト・シルバーといえば統計学者として知られ、FiveThirtyEight を立ち上げて選挙の予想を行い、2008年のアメリカ大統領選挙でほぼすべての州の勝者を予測したことで一躍名をあげ、翌年には TIME の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。そして、上記の『シグナル&ノイズ』を刊行したあたりでその名声は頂点を迎えた。

彼は、ゼロ年代後半以降にデータ・サイエンティストがもてはやされるようになった最大の立役者といえるだろう。

しかし、2016年の大統領選挙でドナルド・トランプの勝利を予測できず、威光に陰りを見せた。彼が立ち上げた FiveThirtyEight が New York Times ブランドに入ったあたりまでは追っていたが、2013年には ESPN に買収されてたのね。そして、2018年には ESPN から ABC のニュース部門に移ったが、2023年に行われたレイオフで、創始者の彼も追い出されてしまった。

その後はポーカーのセミプロとしてプレーしながら(ポーカー自体は昔からかなりやっていたとな)Substack を舞台に執筆をつづけているが、今回「すべてを賭ける技術」という副題の本を出すことになった。カジノからベンチャーキャピタリストまで、プロのリスクテイカーに取材した本であり、執筆に3年かけたそうな。

本の第一部はポーカーやギャンブル周りの話、第二部ではイーロン・マスクやピーター・ティール、そしてさきごろ7つの罪で禁錮25年の判決を受けたサム・バンクマン=フリードなどの話、そして第三部では OpenAI のサム・アルトマンの話が出てくるようで、ポーカーには興味ない人でもテック関係でいろいろ読みどころがありそうだ。

今週の来日公演の前にエルヴィス・コステロの全アルバムを辿る

nme-jp.com

今週、エルヴィス・コステロの来日公演が行われる。残念ながら、田舎暮らしのワタシは行けないのだが、先月より、彼についての日本語情報と言えばここというべき COSTELLOG において、来日カウントダウン企画として1日1枚ずつ行われる彼のアルバム紹介で彼のキャリアを辿らせてもらった。

  1. My Aim Is True (1977)
  2. This Year's Model (1978)
  3. Armed Forces (1979)
  4. Get Happy!! (1980)
  5. Trust (1981)
  6. Almost Blue (1981)
  7. Imperial Bedroom (1982)
  8. Punch The Clock (1983)
  9. Goodbye Cruel World (1984)
  10. King Of America (1986)
  11. Blood & Chocolate (1986)
  12. Spike (1989)
  13. Mighty Like A Rose (1991)
  14. The Juliet Letters (1993)
  15. Brutal Youth (1994)
  16. Kojak Variety (1995)
  17. All This Useless Beauty (1996)
  18. Painted From Memory (1998)
  19. For The Stars (2001)
  20. When I Was Cruel (2002)
  21. North (2003)
  22. The Delivery Man (2004)
  23. Il Sogno (2004)
  24. The River In Reverse (2006)
  25. Momofuku (2008)
  26. Secret, Profane & Sugarcane (1991)
  27. National Ransom (2010)
  28. Wise Up Ghost (2013)
  29. Look Now (2018)
  30. Hey Clockface (2020)
  31. The Boy Named If (2022)

実に30枚超! こういうリストを見ると、90年代以降は共演、共作アルバムが増えるとはいえ、コステロが本当に多作なのが分かる。健康問題があった時期をのぞき、アルバムリリースに3年以上空いたことがほとんどないというのは驚異的である。

ワタシ自身、コステロのことはずっと好きなのだけど、微妙に縁がなくて、CD を所有しているのは『My Aim Is True』とベスト盤だけだったりする。

彼のアルバムでベストとなると、一般的には『This Year's Model』が挙げられることが多いようだが、ワタシが一番好きなアルバムは……うーん、『Get Happy!!』かな。しかし、彼の場合、バックバンドのアトラクションズ(の主にブルース・トーマス)との労働争議、唐突にカントリーのカバーアルバムを作るなど振れ幅の大きさ、そして(特に80年代の)一部の旧作に対する厳しさなどあって、ずっと過渡期のイメージというか、どのアルバムもワタシの中で決定的と言えないところが正直ある。

しかし、現時点での最新作『The Boy Named If』が何の留保も言い訳もなく素晴らしくて、もはや大ベテランの域に達した彼の優れた新作を享受できる幸福をリリース時に感じたものだ。上記の紹介文を読み、自分がちゃんと聴いていないアルバムがいくつもあるのを再確認したし(しかし、彼ほどの人でもストリーミング配信されてないアルバムがあるのな)、あんまりピンとこなかったアルバムについても紹介文を読むことで再聴するよい機会を得られた。ありがたいことである。

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