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ヨムヨムエブリデイ

自分のために料理を作る

四月も半分が過ぎたが、なかなか落ち着かない毎日。

山口祐加 星野概念『自分のために料理を作る』(晶文社)を読んだ。他人のために料理を作ることはできるのに、自分一人のために料理を作れない人が、自分のために料理を作れるようになるヒントが色々書かれているのだが、あまりピンとこなかった。というのは私は、まったくその逆で、自分のための料理はじゃんじゃん楽しくできるのに、他人のために料理を作るとなるととたんにいやになるからだ。

前に、作りたくないのに作らされる女と食べたい男という組み合わせで生活していたときはほんとにしんどかった。毎日ヘロヘロに疲れて帰って料理しているのに、なーんもしない(する気がない)でごろごろくつろいで、ただごはんができるのを待っている人がそばにいると、え、なんでわしばかりがこんな目にというネガティブ思考にはまり込んでしまう。そしてできあがった料理が、気に入らない、口に合わないなどで、ひと口食べて、あるいは全然口をつけずに脇へ押しやられ、ふりかけや佃煮なんかでいいわーとなったときの絶望感。そういうのが続くと自分がどんどん削られていくような気がした。

それが自分のためだけに、となると俄然やる気がでる。自分が食べたいときに、食べたいものを、食べたいだけ作ればいいし、体がしんどいときは、外食やテイクアウトのものでいい。失敗しても、次はこうしようとチャレンジできる。ストレスフリーですこぶる快適な生活。なんとなく孤食ってネガティブに語られがちだけれど、それをこれだけ享受している者もいるのだ。野村麻里『ひとりで食べたい わたしの自由のための小さな冒険』(平凡社)もその楽しさについて書かれていて面白かった。
誰も無理せずに、作りたい人と食べたい人の需要と供給がバッチリうまくいっている家は素晴らしいと思いますよ。

雑な一週間

今日は小学校の入学式があったようで、捕獲された宇宙人のフォーメーションで意気揚揚と歩く親子連れをたくさん見かけた。昨日は、満開の桜の下で開催される桜花賞は8年ぶりですと言ってたし、開花が遅れたおかげで、例年とちょっとちがう景色を見られる。

新年度最初の週は、仕事は見切り発車だわ、人は入れ替わるわでバタバタしているうちに終わってしまった。駆け足のナレーションですべてを終わらせる雑なドラマのような一週間だった。今週から少し落ち着いてくれるといいのだけれど。
最近では珍しく、今期の朝ドラ『虎に翼』にハマッている(いまのところ)。お転婆の少女を木に登らせたりする子役時代がなかったからスムーズに入っていけたのかもしれない。読んでいるのは『台湾漫遊鉄道のふたり』。奥付を見るとほぼ一年前に刊行されていて、すぐ読みます、いま読みます、ただちに読みますと思っている間に一年が過ぎたことになる。早い。

隙間時間のポケット本

3月終わり。富士急ハイランドのFUJIYAMAみたいなカーブで上下する気温に振り回された1ヶ月だった。ようやく桜が開花したと思ったら、今日なんか暑いほどで、さすがにもう冬のコートを着ることはないだろう。コートを脱いだら通勤時に文庫本を入れるポケットがなくなりさみしい。ああ冬が終わったんだと思う。
電車の待ち時間や、何かに並ばなければいけないときに、ポケットからササッと取り出してちょこちょこ読める文庫本がいい。今冬、コートのポケットに入れられ、あちこち運ばれ楽しませてくれた文庫本は、ちくま文庫が多かった。青山南『本は眺めたり触ったりが楽しい』(昔好きだった本が20年以上たってよくぞ文庫化、懐かしくてうれしかった)、植本 一子 滝口 悠生『さびしさについて』、『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』、石垣りん『詩の中の風景』(これは中公文庫)などどれも通勤のよい友だった。

面倒くさい小説

4月からの新体制の準備で毎日忙しく、日曜日にもミーティングがありなかなか休めなかった。今日は久しぶりの休日。電池切れでずっと寝ときたい。アラームをかけずに起きると午前10時。その後も食事以外は寝床でだらだらする。朝のうちは陽が射していたが、午後から風雨強まり嵐のようになる。寝ころんで佐藤正午『冬に子供が生まれる』(小学館)を読む。

以前、WEBきららの佐藤正午の連載「ロングインタビュー 小説のつくり方」(後の『書くインタビュー』)を毎月楽しみに読んでいたところ、ちょうど『月の満ち欠け』の映画が公開される頃に突然「ロングインタビュー 小説のつくり方」を休止して小説の連載を始めますと発表され、その小説が『冬に子供が生まれる』なのだった。
最初は佐藤正午の小説を久しぶりに読める!とわくわくして読んでいたのだが、あまりに入り組んだ設定と、それをWEB画面で追うもどかしさとで連載2回目で早くもギブアップ、これは紙の書籍にまとまってからじっくり読まねばと思っていた。
それでいま紙の本を読んでいるわけだけど、やはりまわりくどくて、ややこしくて、思わせぶり、匂わせにイライラ&混乱して、えっどゆこと?左利き、右利き?マルユウ?って幾度も前のページに戻って確認しなければならず、なんともじれったい読書なのだ。でも、この面倒くささを含めて、佐藤正午の小説を読む楽しさだと思う。翻弄され楽しんで、窓の外で風が唸る午後に読み終えた。ふうーっ。
おやつに、コーヒーをいれて、昨日買っていたイチゴのショートケーキを食べる。ケーキはイチゴのショート一択。

次は、と手に取ったのが伊藤比呂美『森林通信 鷗外とベルリンに行く』(春陽堂書店)。横書き。いつもの比呂美節。愉快愉快。

シリーズものに嵌まる

なにかに「ハマる」。がっつりハマるぞーと前のめりに張り切ってもハマれるものでもないし、油断していたらいつの間にかズブズブとハマッていたりする。いかにも自分が好きそうな要素がてんこもりなのにハマれなかったり、まったく好みではないのに気づけばハマッていたりもして、「ハマる」のは自分自身なのに、予測不能というか、自分でコントロールできない。そこが面白い。

アーナルデュル・インドリダソン『悪い男』を読んでいるのだけれども、これ、いま一番ハマッている翻訳ミステリ。アイスランドが舞台のエーレンデュル捜査官シリーズの七作目。日本で最初に翻訳された『湿地』を読んで気に入り、それから刊行されるたび順番に読み継いできた。新刊がでると嬉しい。派手な展開があるわけでもなく、じっとり湿度高めで地味、なのにものすごく惹かれる。今回はエーレンデュルは登場しない。
自分は北欧ミステリが好きなようで、これまで、ヨハン・テオリンのエーランド島四部作や、ニクラス・ナット・オ・ダーグの三部作や、ヨルン・リーエル・ホルストの警部ヴィスティング未解決シリーズ、アルネ・ダールなどにハマッた。絶対ハマるでしょうと思われるヘニング・マンケルのヴァランダーシリーズには全然ハマらなかったのが不思議。相性の良し悪しがあるのだろう。