隣人を愛するとはどういうことか?
Q.隣人を愛するとはどういうことか?
- 善きサマリア人の譬え(ルカ福音書第10章30節~37節)
- 講解(Pfendsack, 1975)(松原, 1983)
- 「律法は守ることが第一」という考えの否定
- 律法:『心をつくし,精神をつくし,力をつくし,思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ』『自分を愛するように,あなたの隣人を愛せよ』⇒イエス:「そのとおり行いなさい。そうすればいのちが得られる」問題は律法の知識ではなく,その知っていることをなしているか
- 「では,わたしの隣人とは誰ですか」という問いの意図
- 誰でもが無条件で「わたしの隣人」であるわけではない,全世界の人を愛することは現実には困難(ユダヤ人祭司,レビ人も人目のないところ故通り過ぎた)
- 瀕死の旅人についての情報は与えられていない⇒隣人とはあらゆる時代,あらゆる民族の人間を指す
- サマリア人の視点で旅人を見つめる:サマリア人=イエス・キリスト
- 瀕死の旅人の視点でサマリア人を見つめる:旅人=わたしたち
- 隣人愛の根拠としての神への愛を自覚する
- 「わたしの隣人とは誰ですか」という問いに「キリストはすべての人の隣人である」であることを指し示し,わたしたちが互いによりよい隣人となるように導く
- 「律法は守ることが第一」という考えの否定
- 社会福祉実践とキリスト教:ディアコニア(教会の使命としての奉仕)(高山 et al., 1998)
- ディアコニア憲章(マタイ福音書第25章35~40節)
「お前たちは,私が餓えていたときに食べさせ,のどが渇いていたときに飲ませ,旅をしていたときに宿を貸し,裸のときに着せ,病気のときに見舞い,牢にいたときに訪ねてくれたからだ(中略)はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは,わたしにしてくれたことなのである」 - キリスト教ソーシャルワークにおける方法論(日本基督教社会福祉学会 et al., 1998)
- 平等な援助機会:国籍,人種,民族,社会・経済的地位,これまでの評価や地縁的なつながりに関係なく「今,ここに」存在し処遇を必要としていること
- 専門的かつ倫理的な援助アプローチ:医学・心理学など科学的なアプローチでは十分でなく,愛(アガペ)の直観によって与えられる人間に関する知識がクリスチャン・ソーシャルワーカーの独自性となる
- キリストによる和解:サマリア人は旅人の治療費を前払いにより肩代わりしている=人々の神に対する罪はキリストによって買い取られ,許されている(キリストによる贖罪の真理)障害や疾病によって生じるあらゆる苦悩からの解放は約束されており,キリスト者がそれを前提として働くことで社会全体が癒やされる
- ディアコニア憲章(マタイ福音書第25章35~40節)
A.隣人を愛するとは,全ての人の隣人たるイエス・キリストの愛と許しを媒介にして,全ての人が互いに隣人となり,「今,ここに」助けを必要とする状況に分け隔てのない助けを与えることである。
【参考文献】
Pfendsack, W., 浅井力(訳). (1975). イエスのたとえ話講解 ルカ あなたがたは兄弟である. Retrieved from http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN14775785.bib
日本基督教社会福祉学会, 保田井進, 高森敬久, 高田真治, 阿部志郎, 平本善一, … 吉井由佳. (1998). 社会福祉実践とキリスト教. Retrieved from http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA36229197.bib
松原栄, (1983). 根源的愛の探究への試み--再び「よきサマリヤ人の譬」を中心として. 桃山学院大学キリスト教論集, (19), p25-57. Retrieved from http://ci.nii.ac.jp/naid/110000215409/ja/
高山直樹, 高山由美子, 横山穰, 坂本道子, 木原活信, 原島博, & 小田兼三. (1998). 聖書と福祉 : 共生の社会をめざして. Retrieved from http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA37657334.bib