よくある話

 

 昨日の日曜は、プチパインにてREN IMOTO氏とDATE solo氏のライブ。

 満席。甘いマスクの2人ゆえか8割が女性客。

 前半はそれぞれソロのステージ。

 ご両者とも、クールな拡がりとホットな深みが、波みたいにうねる。押し寄せる。引いてはまた寄せだす。

 そこでチョッと眼をつむり、波打ちぎわの砂の上の海藻になった気になって、身を委ねる。

 砂浜に打ち上がった海藻を、波は海に引き戻そうとする。砂は海藻を留め置こうとする。

 そのせめぎ合いでユラユラ揺れる私は海藻……。そういう詩的イメージが喚起されるままに歓喜となる。

 で、後半ステージは2つのギターがからみあう。

 すると波は、もう引かない。退かない。

 寄せるままに、2つのギターは4つとも6つとも聞こえる厚い音の波となり、静かに静かに内陸へと進行し、丘を越え、海藻たる我が輩はどんどんと未知なる内陸へと運ばれてワクワク昂揚がとまらない。

 津波の凶猛さではなく、波はユルリと、しかし確実に浸透し、ミネラルたっぷり含んだ海水で乾いた内陸が潤っていく……。

 いやぁ、よかったなぁ。

 よかったですよ~。

 と、独り言つぶやいてビールを吞み干す。

 もちろん、おかわり注いでもらい、2人に乾杯だ。刻々に変化するプチパインの広い窓辺の豪奢なアンビエント的夕景とあいまって、

「ブラボ~!」

 ひそかに喝采し続けた。

 

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 うちで飲むコーヒーは、来客時ではユルユルと湯を注いで煎れるものの、ここ数年、日常はバリスタでお気軽というスタイルだったけど、コーヒーの種類が2つしかなくって、時にいま1つだなぁ~と思わないでもなかった。

 そんなおり、下絵の広告を見て、色々な種類のコーヒーを味わえるのかぁ、バリスタのインスタント・テーストとは違うのかぁ。それもイイなぁ……、浮気心が発芽して、注文した。

 すると途端、バリスタが不調になった。

 水が漏れ、次いで翌日には、熱湯がこぼれ出るというアンバイ。

 使えない

 機械がご機嫌そこねたワケだな。

 ま~、よくある話に思える。

 けどま~ホントに、そのタイミングでこう来るかぁと……、アゼンとはさせられた。

 ちなみにスターバックスに行ったりはしない。

 高速道路のサービスエリアで時に利用する程度で、町中の店に入ったコトもない。

 なのでいまだ、注文方法がよく判っていなかったりもする。

 直近だと去年末頃、福山SAの店での一杯かな。そのさいとても、

「今のと同じのを……」

 自分の前にオーダーしたKちゃんが下敷きだわいね。

 

 うちにやって来た新しいのを使って、さっそくスターバックスのを飲んでみたけど、店の味とこれの味の違いとか、一致とかも判っちゃいない。

 なるほど、バリスタとはまったく違うのだけども、ま~、いいのだ。そんなこた~、どうでもイイんだ。

 実のところは、バリスタと新しいのと、2つを併用で使う気でいたのだ。

 だのに、バリスタが拗ねて、反旗ひるがえし、当方にソッポを向けたのが、哀しいというかガッカリというか、

「おい、早まったコトしちゃったなぁ」

 ロミオとジュリエットの行き違いじゃ〜ないけれど、悲憤し、かつ湧いてくる腹立たしさをグッと押さえ、壊れたバリスタの赤いボディを撫で撫でして、切なくねぎらうんだった。

 

 バリスタは、保証期間が過ぎると、ネスレに修理に出すよりは買い換えた方が安いという。

 うむむ、そうなのか。メチャだなぁ。機器の使い捨ては断固イカンなぁ。シェークスピアは、

みじめな心の薬は希望のみ

 なる良い格言を残しているけど、上記がホントなら、その希望もないじゃないかァ。

 かといって、買い換える程のゼッタイ必需でもないし……、ぁあ、あぁ、嗚呼ッ。

 残念至極。修理して使うコトへの視野も拡げて欲しいなぁ。

 こたびは、何かを得た場合は何かを失う、という自然法則めいたバランスをいきなり味わわされて、溜息まじりで、苦笑せざるをえなかった。

 

Orion Completed

 昨日9日の朝になって、この日の晩に禁酒会館岡山市北区にて、あがた森魚ライブ有りとの情報を知る。

 3日ほど前に急遽に確定したらしきイベントゆえ、告知が遅れるのは仕方ないのだけど、既に予定があった当方としては当然に参加できず、桶狭間で信長に奇襲された今川義元じゃないけど、驚きと口惜しい気分が黒雲のようにわいちまった。

 1日が過ぎ、きっと良いライブとなったであろうと思いつつ、急遽のイベント—— (おそらくはあがた氏のフイの発案だろうけども)——、それを、あがたの友人として受け入れ、会場手配や告知も含めてを構成し運営し、かつギターで参加したらしきKurose氏の怒濤の勢いにビッグに感嘆する。

 感嘆通り超した感動ものの身動き鋭敏に、さすがだなぁ、アタマがさがるというか、臨機応変の柔軟さにこたびは息をのまされた。

 

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 発注していたアクリルケースが届く。

 コロナ騒動でのツイタテ仕切り板の大需要で、クリア・アクリルの価格は高騰……、そのまま値上がったままなので、幅1mの大きなサイズの特注ともなると、グッタリしちゃうハイ・プライス。

 呻きつつも、けど、しゃ~ない。

 模型の細部を少々つっついて、「ま~、こんなもんかいね」と一応の完成として全作業を終える。

 模型製作のフィニッシュって、ある日ある時、ふいにやって来るようなトコロがなくはない。

 どの時点で切り上げるかで、それは伸びたり縮んだりするんだけど、感覚としては、唐突にENDがやってくる。

 

 模型はアートじゃない。

 相当に近しい存在じゃあるけど、純然たるアートには成りきらない。成りきれない位置で腰をおろし座っている。

 あくまでも模したカタチゆえの悲哀。けどもま~、そこがチャーミングで愛おしい。

 アートのようでアートでなく、おアトがよろしいようでと云う引き際が最初っから含有されているのが、いさぎよいとも云えなくもない不思議な存在。

 逆にいえば、アートは模型にはなれないワケで、そこもオモシロイ。

 極く薄いけども強靱な皮膜が両者を隔てていて、棲み分けを強いつつも一方で融和をめざしているようなトコロも無きにしもあらずで、この頃は、限りなく模型でしかないアートや、トコトンにアートに肉薄の模型やらが島宇宙のように距離を置きつつ点在しているようで、混沌として、それもま〜、いささかの不快まじりで……、おもしろい。

 

 余談さておき、本体内には13本のLEDを組み込む。

 運転席(コクピットと云えよ)や客室、ギャレー(機内厨房)の照明、着陸灯、フラッシュ点滅する5ヶ所の航空灯や翼端灯、噴射口の炎のゆらぎ、なども回路を組み入れる。

 窓がいずれも小さいから、造り込んだ内装はほぼ見えないんだけど、照明でその存在らしきが何となく判るという、その「何となく」の演出がキモ。

        

       

 こたびは製作途中から『2001年宇宙の旅』というキーを少々ゆるめ、あえて「パンアメリカン航空スペースシャトルというトコロをポイントにした。

 パンナムのどこかの支社だか旅行会社の営業窓口に飾られた宣伝広告素材としての模型、というコンセプトで、だから透明なアクリルケースも必需、ケース内展示によって、やってきたお客さんに、「宇宙ステーションへの旅行」をいざなう宣伝媒体……、というカタチでまとめようとしたワケだ。

 船内がどうなっているのかを示す図解的模型も造り添えて、単体の宇宙船を多層な視点で眺める、置き物という位置づけだ。

 時代背景としては、映画が公開された1969年頃。

 そんな仕様ゆえ併せてPOPらしきなモノも幾つか、造ってみた。

   

 パンナムが提供する毎月2回のISS国際宇宙ステーションへの宇宙旅行。料金高額なれど特別の体験を!

 とかいった意味のキャッチコピーを添えて60年代末の同社の実際の広告イラストを転用させていただいた。

 

 ……けど今ひとつだな。アクリルケースという閉じた空間を活かしきれない。構成力が足りてない。

 そんなんで……、レイアウトは今後の課題。

 コクピットや客室は複製を造って、それを中心に図解模型を製作。

 1粒で2度おいしい素材はプラスチック、スチレンボード、ペーパー、などによる複合。

 タイトルをつけるなら、「SPACE TRAVEL WITH PAN AM」。

 パンナム宇宙旅行—— という次第。

 諸々資料を探ってみるに、6070年代のパンナムの搭乗員待遇はバツグンの厚遇。

 他の航空会社からも羨望された「ハナガタ中の花形パンナム」の旅客機らしく見せるために、そのスタッフ・ルーム(パンナムではClue Loungeと呼んでた)も空想再現し、かつ現在の旅客機と同じく、レールが敷き詰められた荷物室なども造ってみた。

            手前の四角て丸いのは搬入出用の昇降機のつもり……

  

   日本航空の貨物室を参考にし、その上部に乗務員ラウンジを造った

       無重力環境なのでベッドは平置きでなく縦方向でもいいのだろうけど……

 

 映画の中の宇宙ステーションにはTV電話室が出ていたので、このオリオン号にも同じモノがあると想定し、映画を参考にベル社運営の電話室なんぞも、「楽しみつつ」設けた。

 顧みるまでもなく『2001年宇宙の旅』の電話シーンは、カード決済だ。封切り当時の1969年の日本は現金オンリー。カードなんて存在しない。10円玉をぎっしり握って長距離電話していたワケで、当時感覚としては目映いような未来光景だったろう。

             左:無重力環境トイレ 中央:ベル社の電話室

 同様に、映画を参考にギャレー(機内厨房)も造る。

 宇宙ステーション(ISS)までのツアーは高額なものだろうし、そこから月に向けての旅ともなれば、どえらい金額となろうから、メインはあくまでも宇宙ステーションに向かい、数日滞在してから地球に帰還……、というのを想定(妄想)して工作。

 自己満足の極致といえなくもないが、いいのだ。工作の愉悦をむさぼれた。

 旅客機は、スペースシャトルを含めてすべて、なぜか搭乗口は左側面にあるんだけど、このオリオンⅢのみは、右側面にある。

 どうでもイイことながら、模型を造ってそのコトに気がついた。

 キューブリック的ジョークか既存への反撥か判らないけど、妙なトコロに違いを設けてるんだな……。



花まつり

 数日前、城下のダイニング・バー、プチパインの瀟洒なトイレにて……。

 この散りゆく桜の演出が実にまったく良かったので、ついパチリと写真。

 そうなんだよ。桜はこの「ほろ散る」こそが絵となるんだわいねぇ。情感を疼かせるんだよねぇ。

 現象としてはただ散ってるだけのコトなんだけど、そこに「ほろげる」という淡い言葉をあたえて「ほろ散る」とした日本語の巧みとそれを体得しているらしき我々って、

かなり素敵な感性を持ってると思えて、いささかハナ高く思ったり。

 

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 小庭のあちゃらこちゃらでもアレコレの花が咲き、まこと春っぽい。

 色彩にぎやか。

 冬枯れて諸々のカタチもどこか角っぽい印象だったのが、花の丸みで柔和でおだやかな気配。

 輪が和みをなすワケか……。

             カリンもパカ〜っと開いてる

    水牛のツノみたいな白っぽいイチヂクの木の足元も明るく染まる

     こぼれ種で、おもわぬ所に花一輪という光景も微笑ましい

 

 4月8日は釈迦の誕生日ということで、全国的に「花まつり」の名で行事もあるらしいけど、接したコトはない。

 釈迦の像に甘酒かけて祝うというのを聞きはしても、見たことはない。

 お釈迦さん誕生を祝うのを灌仏会(かんぶつえ)といい、その灌の字が甘酒と結ばれているようで、注ぐという意味だ。

 しかし、かけられた像はベタベタしちゃって後が困るんじゃないの? 

  虫がいっぱいやって来るんじゃないの?

 などとつまらないコトを思う程度。

 ま~、そんなことはどうでもよろしい。

      

 

 あちゃらこちゃらで花が開いて、地表が明るい感触になっているのがイイですな。

 昔々の「花咲か爺」も、冬が去って暖かくなって、冬枯れた光景から一転する気分良さが反映しているのだろう。

 ケッタイな爺さんを描きたかったワケでなく、萌芽した春の悦びが主題だったろう。

      

 「花咲か爺」の話は室町時代に創られたそうだけど、当時の平均寿命を思うと、これら本の表紙の爺さんは、40台後半か50歳くらいだったろう……。

 40代後半で周辺から爺さん婆さん扱いされ、かつ自身も老体と認識していたであろうと思うと、ガチョ〜ンだね。

 思えば昭和33年に刊行された松本清張の「点と線」の主人公・鳥飼刑事は、定年退職という制度はまだ未確定な時代ながらも、50歳を超えて、同僚の警官から老人扱いのいたわりを受ける、あるいは、疎まれるというアンバイだった。要は自主退職をヨギなくされているワケだ。

 今の眼でみると、滑稽というか、50過ぎで退職で後は余生かよ〜、と唖然とする。

 昭和33年(1958)でそうなんだから、はるかに遡った室町時代ともなれば、なるほど確かに木の上で花咲かせてるのは、80歳の好好爺じゃなく、実態は50歳前後の「老人」だったと納得もするんだけど……、おかしなもんだねえ、平均寿命と老人のハザカイは。

        

 

 過日、走行感がやや硬いミシュランからチョメっと柔らかめらしきダンロップへと新しいタイヤに履き替えた直後、近場のスーパーで同一車種が偶然に並んだ。

 30年近くMINIに乗ってた時でさえ、1度しかなかった光景。なので、なんか嬉しくなって写真パチリ。

 その数日後、原尾島の大型スーパーで買い物済ませたら、今度は赤いFIATが真後ろでオスワリしてるじゃないの。

 この意識的おそばにいるよ〜んの連打にニンマリし、またもパチリしちゃったけど、これも春ゆえの解放気分かしら?

 花同様にタイヤもまた輪とも思えば、和み気分がピッコピコ。

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    雨があがった4日、東区竹原の三徳園を散策。良い感じの空気だった

1955年の映画 - 新・平家物語 -

 

 かんばしくない天気が続き、模型作製が停滞ぎみ。

 LED組み込んでモナカ状態の左右を合体させるトコロまで進んだものの……。

 ポカポカ陽射し浴びながら縁側に座り、隙間埋めのパテの削り出しや塗装を行いたいワケだけど、晴天日少なく進行遅延。

 

 な次第もあって、べつだん平家の盛衰に興味があったワケでもないけども、映画全盛期の作品ゆえに今では撮影不可能なシーンも多々あろうと、工作中断させ、DVD買って眺めるんだった。   

         

 予想的中。晩年作とはいえ大道具小道具にリアルを求める溝口健二アチャコチャのシーンでうならされた。

                  巨大セットに大勢のヒト

 ま~、イノイチバンにうなったのは雷蔵の太くて濃い眉毛で、平清盛という人物を強調するためのメークなのだろうが、慣れるまでしばし時間がかかった。

 まだ武士とか武家という呼称が定まりきっていない頃の平安末期だ。
 朝廷に請われて地方のいざこざを武力鎮圧して褒賞を得る、地下(じげ)と侮罵される身分低き連中……。その中で、清盛を中心に平という一族が台頭し、やがて1つの「家」として、貴族運営の朝廷というカタチの中へ入り込んでいく過程の一部が、この映画では描かれる。

 

 興味をひいたのは清盛の妻となる時子だな……。

 綺麗な大スター久我美子がいっそう綺麗に撮られ、雷蔵とのシーンでは、キヨモリ雷蔵の片方の眉毛だけでトキコ美子の鼻が隠れてしまうじゃんかぁ~、などとヘンテコな所に眼を奪われたりもしたけども、この時子が後に壇ノ浦の戦いで、幼い安徳天皇三種の神器を持って入水自決するんだなぁ……、とその壮烈な最期を思わないではいられなかった。

 誰もが知る平家滅亡のクライマックスながら、あの入水は、奇妙な感がなくはない。

 同じ船に安徳天皇の実母たる徳子も乗船していながら、なぜに時子(清盛没後に頭を丸め、二位尼という名になってる)が、実母を差し置き、孫の安徳を抱いて海に身を投げたか?

 事件を記した記録は、琵琶法師の語りで伝承され後に書物になった『平家物語』、『吾妻鏡』、『源平盛衰記』などに限られ、現場の記述もくい違っていたりもして、証拠写真があるワケもなく、それら記述の中に浮く事実らしきを拾うっきゃ~ないけど……。

吾妻鏡』によれば、彼女は帯に草薙剣(くさなぎのつるぎ)を差しこみ、八咫鏡(やたのかがみ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を握りしめ、その上で安徳を抱いて身を投げたとある。

 これが腑に落ちない。

 三種の神器天皇天皇である超絶に大事な証し、王位継承に必需なモノとして奉(たてまつ)られる神体、バケツいっぱいのダイヤモンドでも買えないモノじゃ~あるけど、それゆえに恐れ多くもと崇められたその宝剣を、自らの帯に無造作に差すという乱雑なことを本当にしたのか……。

 そも、実母の徳子建礼門院でなく、なぜに祖母である時子二位尼天皇と神器3品を抱えて飛び込んだのか……、ヘンテコ感が拭えない。

 

 徳子も我が子がおばあさん時子と共に水没すると、後を追って入水したけど、彼女は義経軍の船に救出される。京都に戻されてアタマをまるめ、我が子安徳の菩提を弔い続ける次第ながら(オリジナルの『平家物語』は彼女が後白河法皇に自分の一生を語るところで終わるねぇ)、判らないのが、神器だ。

 帯に挟まれた草薙の剣は水中深くに没したのに、八咫鏡八尺瓊勾玉は何故に、どうやって引き揚げられたのか? 

 勾玉にいたっては小さいモノだろうし、基本としては石だろうから、水に浮くワケもなく、常識的には人体よりも早く失せて当たり前のよう思えるし、回収しようと海に飛び込んだ源氏の兵とて、即座は即座な行動であったにせよ、そ~うまいコト、2品を掬い上げらるのか? 偶然にうまく2つは救えたのか? どうもクエスチョンが拭えない。

 合理的に考えれば、超絶な宝物ゆえいずれもが極上の桐だか漆塗りされた豪奢な箱に収められ、さらに天竺伝来だかの立派な唐物布地にくるまれて唐打紐で封印され、それゆえ、箱が浮いたと考えてよいかとも思うけど……、真相わからず。

 ま~、どうでもヨロシイことですが、なんとはなく、

本当は3つとも無くしたんじゃないのか?

 などと、陰謀論者みたいな考えがアタマをよぎったりもするのだった。

 安徳遭難と草薙の剣紛失の報告を受けた頼朝は、義経の失態に激昂激怒したと『平家物語』でも『吾妻鏡』にも記述があり、兄弟間の溝が大きく亀裂する次第ながら、ひょっとして義経は全部無くしたけど、2つの品は適当なのを見繕って調達し、いわば擬装したんじゃないかしら? いや、あるいは擬装したのは頼朝か? などと想像たくましくしたりも出来るワケなんだ。

 ま~ま~、ともあれこの映画は、晩年の時子でなく、清盛のハートを射貫いた若くフレッシュな美女として描かれ、そこが映画の絢爛になっていた。

 壮大なシーンは多々あり、わけても、比叡山延暦寺の僧兵達が松明掲げて下山の場面では、ウネウネした山道のアッチャからコッチャまで同一装束が蠢いて、カメラはゆっくり移動しているのだけど、それでも入り切らない僧の数。いや~、そこだけで一種の満腹感をおぼえるんだった。

 

 派手なチャンバラはないが、およそ映らない所にまで大勢の役者達で埋まった画面構成が、とにかくいい。今の眼で眺めて余計に鮮烈。1955年の潤沢。69年前の御馳走。

大映京都撮影所(1986年に封鎖され現在は住宅地)内に造られた祇園社のセット! ここまでやるかの規模……。

               こちら実際の祇園社西楼門(八坂神社)

 

 平家台頭の時代はとにかくもヤヤコシイ。

 公家や寺社が租税免除の特権でもって大規模荘園を運営し、さらに寺は武装して勝手をするから、朝廷(国家-天皇の収入は伸びず、一般ピープルはますます痩せ衰え、天皇の無策を危惧した前天皇の白河が上皇として「院」を擁立して政治に介入する。

 なので、「朝政」と「院政」という2つの“政府”が同時進行にあって、官僚たちはどっちにつけば得するかと右往左往。1つの事案が両者間でたらい回しで結局何も決まらない間にも京の町中では僧兵たちの傍若無人、とても観光に行けない場所。

 そんなグッチャラケの中で治安維持の新たな武装勢力としての平家がジワジワ~っと昇っていくワケだが、このDVDには特典映像として、撮影現場に来た吉川英治の姿も入り、彼の思う平清盛像を語っている。その丁寧な口調にも驚かされ、これは貴重な良いデザートでした、な。

                    清盛と母の泰子

 吉川の原作では、清盛存命の頃より風聞としてあった「平清盛の母親は白川上皇の寵愛を受けた白拍子(歌詠みしつつ舞うダンサー)遊女で、妊娠した彼女は地下(じげ)平忠盛に下賜された」を元に組み立てられている。

 溝口はそこを映画の中心に置き、その事実を知った清盛の苦悩、母親との確執を描いている。

 なので、久我美子演じる時子は、映画ではやや添え物扱い。当時の映画評も、そのあたりが不満の理由か、かんばしくなかったようだけど……、いやいや、今の眼で眺めると、綺麗キレ~な時子-美子でなく、ほぼ悪役ながらも、清盛の母泰子(木暮美千代)の母の顔女の顔に着目したらしき溝口と、そこを堂々演じきっている木暮に喝采をおくりたい。

 溝口は、清盛が葛藤しつつ親離れして自我を得ていくと同時に、母親もまた葛藤し、子離れし、出自を逆に誇りとして我が道を進もうとする、いわば自立した女を描こうとしたように思え、事実、最終シーン近くでは、「家」を出て、白拍子の館を運営する主として彼女が再出発している逞しさも描いている。

 女性が参政権を得てまだ9年めの日本。家長制度が基本で、男尊女卑的傾向と職業差別的感覚がまだまだ横行した昭和30年の公開当時では、家を出て白拍子に戻った彼女を自堕落ときめつけ、理解賛同者は少なかったかもとも思えば……、再評価すべきな「今時の感性」ある映画だったと、いささか驚きつつ思うのだった。

 

 

工作再開

 

 過日、柔道家と合流。よ~よ~やっと「ゴジラ-1.0」を観る。

 アカデミー賞の凱旋効果というか、ほぼ満席状態で慶賀なり。

 鑑賞後に柔道家がめずらしく、売店でパンフレットを買い求め、

「いやぁ、良かったわぁ」

 メンタマ細めるのを見て、よしよしラーメンおごっちゃるとコチラもいい気分。

 旧2号線沿いのとん亭でアゴだしラーメンすする。柔道家は大盛り。

 こういうのを映画の経済効果というんだろうか。

 しか~しそのさい、クレジットカード1枚が見当たらないのに気づき、あわてる。

 近頃はネット上で操作するから実のカードはほぼ用なしな存在ではあるけど、いざ紛失となると、やはり落ち着かない。

 再発行手続きをして事なきを得たけど、近頃よくよく健忘ぎみ……。何かのおり、ちょっと置いてそのまま……、という次第だったんだろうが、記憶なし。

 イカなぁ。注意散漫というか、注意力が減退してるんじゃなかろうか、髪の毛同様にぃ〜。

 

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 2月末頃に内装などの小さなパーツを創ったものの、以後放置というか、手つかずだったスペースクリッパー「オリオンⅢ」の模型にまた向かう。

 部屋の一角にそのまま広げ置いたままなので、それこそパーツ紛失につながる怖れ有り。

 そんな次第ゆえ、模型に向かう電圧を上げてやろうと、映画『2001年宇宙の旅』公開頃の時代背景を再勉強。体内というか脳内の短針長針をば、1960年代末にまで巻き戻し、時系列を追想した……。

 

1967年 

3月  ジャッキー吉川ブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」ヒット

5月     ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」販売

                 

6月      岡本太郎 大阪万国博覧会テーマ館展示プロデューサーに就任

           太陽の塔建造プランを練り始める

        映画『007は二度死ぬ』公開

       同月25日。人類史はじめての世界同時衛星中継でビートルズ生出演。レコーディングを兼ねて、『All You Need is Love』初披露。バックコーラスにミック・ジャガーやドノバンなど

10月 米国の『モンキーズ・ショー』日本でも放送開始

11月 ジェファーソン・エアプレインの『ホワイト・ラビット』と『Somebodey to Love』米国外でもヒット

    反商業主義的かつ平和希求の先鋒表現だったフォーク・ソングからロックへの流れが加速。ロックンロールではなく広義な意味合いでのロックや、サイケデリックといった単語が定着しはじめる

12月 フォーク・クルセダース『帰って来たヨッパライ』空前の大ヒット。アングラ・フォークの自主レコード製作が野火のように拡がる

        

1968年 ベトナム戦争泥沼化

    テンプターズ「神様お願い」、ビージーズマサチューセッツ」、ビートルズ「ヘイ・ジュード」、ドアーズ「Hello,I Love You」、パープル・シャドウズ「小さなスナック」などヒット 

    大学紛争が全国的にひろがり、全共闘と機動隊という組織名が跋扈しだす

4月 キング牧師暗殺 黒人運動とベトナム戦争反対の闘争激化

    映画『ザ・タイガース世界はボクらを待っている』公開。劇中歌の「銀河のロマンス(シルヴィー・マイ・ラブ)」と「花の首飾り」ヒット

    映画『2001年宇宙の旅』公開

6月 ピンクフロイド「神秘」発売

    1曲め「Let there be more light」の歌詞に「サージェント……」の「ルッシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」の一節を含み入れる

    映画『卒業』日本公開 「サウンド・オブ・サイレンス」大ヒット

9月  岡本太郎 第五福竜丸被爆事件をモチーフにし巨大壁画「明日の親和」の製作をメキシコで開始

10月 アポロ7号 アポロ計画でのサターンロケットの有人打ち上げに成功。

11月  沖縄米軍嘉手納基地からベトナムに向けて離陸しようとした爆撃機B-52が滑走路で墜落。4km四方を巻き込んだ大災害(搭載した枯葉剤爆弾による汚染?)らしきだが日本政府への精緻な報告なし

12月 アポロ8号 初となる有人での月周回。地球を離れ、他天体軌道を周りつつ人類史初となる球体・地球の撮影に成功。暗い1年の最後に持たらされた宝石のような写真としてタイムの表紙を飾る

 

1969年 由紀さおり「夜明けのスキャット」ヒット。ローリング・ストーンズ「ホンキー・トンク・ウィメン」ヒット

1月  ビートルズゲットバック・セッション」を開始

3月  連続TVドラマ『プリズナーNo.6NHKで放映開始

              (英国では1967年~68年。最終話でビートルズの楽曲が飛び出しお祭騒動)

4月  ビートルズ『アビー・ロード』の製作開始

5月  アポロ10号 月着陸への予行演習。高度16kmまで月に接近

7月     アポロ11号初の月面着陸

     映画『イージー・ライダー』公開

     映画『橋のない川』公開

8月    ウッドストック・ロック・フェスティバル開催

11月    アポロ12号 打ち上げ時に雷の直撃を受けるも2度目の月着陸に成功

      三島由紀夫 東大教養学部全共闘との討論会

 

1970年 皆川おさむ「黒猫のタンゴ」、「ドリフのズンドコ節」、「圭子の夢は夜ひらく」、「レット・イット・ビー」、ショッキングブルーの「ヴィーナス」などヒット

2月  映画『明日に向かって撃て』公開

     東映、日活などヤクザ映画量産

3月  エキスポ70 大阪万国博覧会オープン

           8ケ月前に地球に持ち帰られた月の石をアメリカ館が展示

4月  アポロ13号。地球から32万kmの彼方で酸素タンク爆発の事故。

           ミッションは中止となるも無事帰還。

9月  ユージン・スミスが水俣を訪ね、以後3年、写真を撮り続ける。同地でのチッソ側からの暴行で後遺症が残る大ケガを負うものの1973年の写真展、翌年のニューヨーク・タイムズからの写真集出版で水俣の凄惨を世界レベルで知らしめる

11月  三島由紀夫陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決

 

 などなどなど……、今まで意識していなかった時代の流れをチョビっと掌握し、

「そっか~、ビートルスはアポロの月着陸の前だったかぁ」

 ゆるく感慨にふける。

 あわせて、60年代末頃のパンナムの写真などをあらためて見直し、当時のそのカタチが上手に「オリオンⅢ」にも適用されているのが判って、ニッコリほほえむ。

 客室乗務員の客への手厚い配慮とサービスも踏襲され、宇宙船の客室部分の足元にチラリと赤系の色が見えるのも、当時のパンナムのファーストクラスのそれなのだった。 

             60年代末頃のパンナムのファーストクラス席 

 快適で豪奢な旅の提供というパンナムのカタチをキューブリックは映画の中にチャンと塗布していたワケなのだ。

 

              60年代末頃のパンナムのラウンジルーム

 

 顧みるまでもなく、「オリオンⅢ」の先端部は現在の新幹線に近似たカタチ、60年代と2024年現在が絶妙につながっているのも判って、嬉しいような、でも一方でヤヤつまらないような、微妙な感触も受ける。

 映画公開時、2001年は33年先の未来だったけど、キューブリックは隔絶に段違いの未来像でなく60年代延長上の33年先を描くコトでリアリティを増加させ、その上で、あの遠方への飛翔と人類進化を示唆したクライマックスでもってSF映画そのものを大進化させたワケだ。

 ま~ま~、そんな下ごしらえ的モードを踏まえて、いざや模型工作復活。

 LED電飾を考慮し、台座を製作。組み上げると全長が80cm程の模型ゆえ、アイリスオーヤマの頑丈な天板家具を買って、穴あけ加工し、20mm径のアクリルパイプで機体を支えることに。

 電飾工作のための「図解」を描いて、こっそり、楽しむ。私、こういう図解がめっぽう好き……。

 図解を元にLEDやら内装パーツを仮組み。

 台座のスペースを眺めてる内に思い立ち……、同じパーツを2つ創る。ま〜、これらをどうするかは、また次の機会にでも。

 

 

どうでもイイようで、どうでもヨクない話

 ジョニー・ディップが製作し出演した『MINAMATA-ミナマタ-』を観ると、彼演じる写真家ユージン・スミスは、撮影以上に、プリント時に注力しているのがよく判る。

 暗室の中、印画紙に像を結ばせた彼はその像の中に絶妙な陰影をつけるべく、時に現像液だか定着液に指をいれ、部分をこすったり、ゆすらせたり、ライターで部分にのみ光をあてたり……、して撮った写真1枚の仕上げに奮闘する。

 写真家が描き出そうとしているものに向けての姿勢が、それらのシーンでより鮮明になる。

 均一に刷ってオシマイの印刷物とちがい、写真家の銀塩写真プリントというのは、1枚1枚が違うワケだ。撮るよりも、その後のクリエーションがポイントだったコトをこの映画はうまく示し見せる。

 そんな行為あってはじめて、水俣の惨状を白黒写真というカタチの中に浮き上がらせ、当然にその1枚の中にユージン・スミスの怒りや告発が含み入れられて「作品」となっているワケだ。

 彼の意識が暗室作業で注入されるんだな。 

 今はデジタル主流で、当方とて写真といえばiPhoneでの撮影のみだけど、Adobe photoshopに代表される画像編集として「簡単に不要なモノを削除しちゃえ」みたいな機能強化を売りとして前面に出しているのは……、どうも好かんなぁ。

 恩恵も多々あろうけど、ユージン・スミスが1枚の写真完成のために格闘したコトを思うと、

「気軽にやっちゃ~イカンでしょう」

 安易な編集術の横行を気がかりに思う。

   

 androidスマートフォンで柔道家が撮り、ジョークとして、指先1本でチャチャっと即座に画像をつついて当方に送信されたもの。その機種ではハナっからこんな機能がついてるらしい。

   

                こちらオリジナル

 

  つい最近、キャサリン妃と子供たちの写真が英王室から公開されたけど、加工されているとして、AP通信やロイター通信など主要メディアは同写真の配信を取り消すという騒動になったようだ。

 BBCが報じた詳細をみるに、加工は被写体の指先やセーターの袖といった、極く極く微細な部分なのじゃ~あるけれど、しかし、

「本写真は写真にあらず」

 と報道機関がきびしく判断したこたびの騒ぎは、なかなか象徴的というか、デジタル時代の利便と脆さが浮き彫りになって、興味深かった。

 要は、写真とは何だ?

 という問いなのだ。

     

 ユージン・スミスの印画紙への操作と、キャサリン妃ご自身が見栄え良くしようとしたらしき写真加工とでは、何が違うのか、あるいは違わないのか、即行で答えられそうでそうでもない、むず痒い提起に思える。

 加えて今はAIによる写真創造という新たな領域も拡大中。

写真の定義

 は大事ながら、それが逆に、包括的な意味で拡がりを狭めることになりはしないか、定義が写真価値を維持すべき基礎なれば、写真のさらなる創造とその変化を阻害しないか、などと考えると、ギアをアップすべきかバックギアにいれるか……、混乱してグッチャラケ。どうでもイイようで、どうでもヨクはないハナシ……、と思える。

 

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 17日の日曜は、馴染んだ店での大塚まさじのライブだった。

 裏方として早い時間に入って会場作り。

 同氏の歌声を聴くのは2022年6月のギャラリー・グロスでのライブ以来だから2年ぶり。

 日常はフォーク系音楽に接しないから、微かな新鮮もおぼえつつ、沢田としきの大きな絵を貼ったり、椅子を並べたりの作業をし、氏のリハーサルを眺める。

 同日同時間帯では、すぐそばの城下公会堂で「太田徹哉トリオ」のライブもあって、メンバー揃ってこちらもセッティング中。

 あっちこっちでライブ……、なんとなく春っぽくてイイのだが、この日はあいにくの雨天。

 こたびは近場のホテルの一室を取ってくれていたので、作業後はしばし、雨に濡れるオリエント美術館をば見下ろしつつ休憩。

 本番は盛況。搾り出しつつ噛みしめるような氏独特の歌唱法での2時間はアッというまに過ぎる。なが〜いキャリアの積み重ねで磨かれた柔らかながらツボを押さえた語り(MCとはいわず)も良いアンバイだった。

 いぶし銀というようなベタな形容詞じゃいけないけど、多年の積層が凄みとして沈殿し、それで裏打ちされた上での、ゆるやかなユーモア含みのおしゃべりが最高。

 1ヶ月前の秋本節ライブと同じく、こたびもWakameちゃんの差し入れあって、感謝カンゲキのポテトサラダを口に運び、デッカイ悦び味わえた。

 

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 FIATのオイル交換やらで、丸2日、代車の軽四に乗ったけど、キーがヘンテコリンで苦笑し続けた。

 キーをポケットに入れて車から離れると、操作せずとも自動で施錠する。

 近寄れば勝手に解錠もする。

 ま~、それはいいのだけど、ポケットに入れたままで車のそばを行ったり来たりするたび、

 ガチャ

 ガチョ

 ガチャ

 ロックしたり解除したり……、せわしないったらアリャしない。

 気が利いた機能と云いたいトコロだけど、小さな親切大きな迷惑。イライラさせられるだけの大チョンボ

 ダイハツは翌年の新型車からこの機能を取っ払ったようだけど、そりゃま~、当然だったろう。

 至れり尽くせりな機能として搭載させたものの、至ってないね~、尽くせてないね~と苦笑するっきゃ~なかった、ぞ。

 逆にこれを面白がって、用もないのに車に近寄ったり離れたりしては、

 ガチャ

 ガチョ

 ガチャ

 車が音をたてて動作するのを、た・の・し・ん・だ。

 

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 坊さんがいつもの白い車でやって来て、仏壇前に座す。

 当方、強い仏教心は持ってはいないけど、句読点の1つとして、

「ぁあ、今年も春が来たんだなぁ」

 とは思う。

 坊さんの背後に座って坊さんの後頭部を見つつ経を聞きながし、アタマの中では、

「ボチボチ、庭池の水換えしなきゃ~イカンな」

 などと関係ないコトをば考える 春のお彼岸

 お宗派によっては読経が30分近くもなが~く続くのがあり、そういった宗派はたいがいアレコレのしきたりもうるさく、お寺さんによっては戒律重視で朝夕に仏壇に仏飯などの供え物欠かすべからずといったアンバイらしいが、当方宅は浄土真宗本願寺派で、経読みも4分ほどで終わるので、ラク

 坊さんは経を終えるや、

「近頃はこれが元で火事になる例がありますんで」

 灯したロウソク2本は直ぐに消す。

 そういう小さな配慮にチラリ感じる……、お寺さんのあ・り・が・た・み。

 

点描

 

 1月半ばにたつの市イトメン本社直売所で買った「チャンポンめん 海鮮風とんこつ」を、ようやく食べる。

 豚骨味を前面に出したものと想像していたけど、同社チャンポンめんの滋味をより切れある味わいにした感じで、やや意表を突かれたけど、美味しくいただけた。

 馴染んだ滋味の強力装甲バージョンみたいな感触を受けつつ、お汁までぜ~んぶ平らげご馳走さんでした。プラスで稲荷も1つ。

 次回にたつの市に出向いたら、これをまた買わねばと欲をうごめかせた。

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 近年、大部の著作「日本のブリキ玩具図鑑」(創元社刊)を上梓した大阪ブリキ玩具資料室の熊谷信夫氏より、冊子がおくられて来た。

 大正時代の初期、四国高松で郷土玩具と人形のことをコツコツと調べたりコレクションの展示会を催した女性(安井齢子さん)がいて、彼女は「趣味のおもちゃ」なる、500ページを越える手描きの記録を残している。

 熊谷は、複数年に渡って高松で開催のその展示会での写真や手描きの記録を入手したようで、後世に残さねばと……、まずは冊子によって、その存在を知らしめ玩具文化というカタチを継承しようとしているのだろう。

 実に良いことに思え、15ページほどのこの冊子の写真をば、しげしげ眺めた。

 地方での玩具資料というのは、アンガイとない。皆無といっていい。オモチャというカタチは文化的財産とは見なされず、記録されることはなかった。

 それが500ページ越えの記録として記されているのだから希有にして貴重、熊谷が身を乗りだした気持ちはよく判る。

 大正時代の崩し字と旧仮名遣いは、今となっては立ちはだかる険しい山のようなもので、それを現在の言葉に交換する作業は容易でないだろうけど、文化史への大きな貢献となるだろう。

 元来なら、地域の図書館やら行政の文化部門が関与すべき事案に思えるけど、それを一個人が進めようとしている熱情にアタマがさがる。

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 最近やたらにヒンニョウぎみで、3時間を越える映画となると……、映画館に出向くのが躊躇される。

 29日公開予定の『オッペンハイマー』は早く観たいとも思うものの、中座してトイレに駆け込むようでは落ち着かない。不憫だなぁ~。

 この3時間越えの映画に関しては、試写会で接した方々より、広島・長崎が描かれていないという批判があるようだけど、はたしてどうか?

 その視点とオッペンハイマーへの視点は、同一線上にあるものだろうけど、1本の映画の中に幕の内弁当みたいなボリュームを望んでも詮無きことのようにも思える。

  おそらくは、監督のノーランもそこは悩んだはずなのだ……。

 ま~、観ずしては何も語れないんだけど、原爆の父という名で呼ばれてしまったヒトの葛藤を描いた作品が大きな賞を得たことが感慨深い。

 必見だねぇ。

ゴジラ-1.0』」と宮崎作品の受賞も喜ばしい。

 かつて『ALWAYS 続 三丁目の夕日』での山崎貴監督と白組による巻頭のゴジラ・シ〜ンに脱帽し、そこを観たいがゆえに2回映画館に出向いたコトもあって、なので余計に喜ばしい。

 

 クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』の次回作は、かの『プリズナーNO.6』 らしいというハナシがある。

 ただのリメークなら興醒めだが、このハナシが現実化するなら、パトリック・マクグーハンの編んだ、あの驚くべきイメージをさらに大きく越える作品として登場して欲しいと願う。

     

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 過日に画廊で会った丸山徹也氏より頂戴したテレビ録画のブルーレイ。

 NHKの番組で、黒澤明と能についての番組だったのだけど、安田登がインタビューにこたえているのには驚いた。

 この映像を観るチョイっと前に、氏の本を読んでいたので、このタイミングでこう来るかぁ~、と偶然に輪がかかり、当然に驚きの輪がでっかくなって、

「わっ、わっ!

 2度ほど、吠たえてしまったがや。

 安田の文章は明晰で確固としていて、能をこれほどに言葉として紡げるヒトは希有だなぁと思っていたけど、インタビューでの彼は想像した通りの明快さで、明解に黒澤の中の能を語っていて、とても勉強になった。

                番組中の下掛宝生流能楽師・安田登

 

 映画『乱』は公開当時に映画館で観たものの、なんだか顔作りやアレコレ大仰だなぁと思い込んでいた。けども、こたび丸山から頂戴した番組録画でその景観は一変。

 再見しなくちゃいかんなぁ、能表現を映画という表現に合致させようと挑戦した黒澤明の果敢に、今になって拍手をおくりたいような次第なのだった。

 

 同日にはYUKOちゃんより、岡本太郎関連の古いTV録画をDVDに焼き直したレア映像も頂戴しているけど、美味しそうなモノは後で味わう方なので、まだ観ていない。

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 経済評論家の森永卓郎氏はミニチュア・カーのコレクターでもあって、その一部が倉吉の「円形劇場くらよしフィギュアミュージアム」で展示された昨年だかに見学に出向いたことがあったけど……、その森永氏は末期のガンで闘病中。

 本人も遺作となると心決めているらしき本が出たので買って、読む。

 森永は、元日本航空アテンダントで退職後に東大にはいって今は教授職に就いてらっしゃる青山透子(とうこ)氏の本『日航123便 墜落の真実』に触発されて以後は、この墜落事件の真相を追って、青山女史同様に陰謀論だの馬鹿げているといった誹謗にめげず記述を続けてる。

 なるほど読めば読む程に、御巣鷹山に墜落した日航機事件は不可解が極まり、愕然とさせられると同時に恐怖をおぼえさせられる。

 日本政府が米国追従一辺倒となっていく経緯も、本事件が基点となっているらしきを森永は本で伝えようとしていて、オモシロイと云ってしまうとペケだけど、「?」と「!」が湧いては弾け、弾けては湧いてきて、多数の犠牲者が出た惨劇だというのに、ほぼ徹底された真相究明の遮断というのが今も続いているらしきコトに驚愕させられる……。

 一歩足を踏み外せばトンデモ本と烙印されておかしくない状況ながら、真相に迫れる数多の目撃談が封殺され無視されたまま圧力隔壁の破損というコトに話が導かれ、いまだボイスレコーダーの記録すら公開拒否(昨年6月での東京高裁判決)という流れと、その流れのさなかで隠蔽され続ける真実との、まさに“圧力隔壁”的な分断の厚みに唖然とさせられ、読了後にグッタリさせられた。

 闘病中の森永氏にはエールをおくりたいが、ギャグを好む方だから、こういうのもいいだろう。