買って良かったもの

今週のお題「買ってよかった2021」
ここ3年ほど料理教室に通っています。正確には料理教室というより、料理同好会と言う方が正しいかも知れません。

料理教室だと月謝が必要です。私が通うのは月謝なし。支払いは材料代だけですから。月謝なしの教室、そんなのはありませんよね。これはどうでもいいです。本題に戻りましょう。

買って良かったのはデジタル秤です。料理を習うには、調味料を測る場面が多い。もちろん、大さじ、小さじは多用しますが、それは測る量が小さい場合のこと。100g、150gを測るにはどうしても無理があります。

そこでデジタル秤の出番です。秤のスイッチを入れて、容器をのせもう一度スイッチを押すと表示がゼロになるので、たとえば砂糖100gを容器に入れて目盛りを読むだけで内容物の重さを知ることができます。

それ以外にも便利な使用法があります。ぜひお試しください。

ひと節ひと莢(ひとふしひとさや)

この春の気温上昇は著しく早い。桜が終わったかと思えば葉桜が色を増し、自然界は緑一色となりました。人の目につかないところでは、越冬してきた蛾や蝶が産卵を始め、卵で越冬したアブラムシなどが孵化して活動が始まり、やがて新緑を食する昆虫の種類と数が増え、その昆虫たちを捕食する大小の野鳥も増えます。野鳥は栄養をつけて卵を産み子育てを始めるといった具合に、一年のなかでもっとも活発な活動が見られます。春。それは言われているように、「万物が晴れやかに開けるとき」であり、寒い冬があけ、生き物たちが自らの命を次につなぐ活動を行うのにふさわしい季節なのかも知れません。
さて、更新が滞っている家庭菜園ブログですが、40坪の狭い畑は決して休止しているわけではありません。秋に植えて越冬した野菜が成長をはじめ、スナップエンドウに至っては初物を味わい、ソラマメも莢が成長するなど賑わいを増しています。管理人により細かく区画された地面には、いろんな野菜が植え付けられ、種がまかれたりで、いよいよわが家の家庭菜園もすっかり緑が増えてきました。
気温上昇のテンポが早く、この週末は全国的に夏日を記録する始末。例年なら夏野菜はゴールデンウイークに植えてきたのに、今年はそれより1週間早く作業が進みました。植えたばかりの苗が小さいため、いま見た目には余裕があるように見えるのに、やがて成長し花を咲かせ始めれば、まさに畑を埋め尽くしたようになると思います。
写真でその様子を追ってみます。まず、秋に植えられ、いま成長著しい野菜の代表には、タマネギやニンニク、スナップエンドウ、ソラマメがありますが、スナップエンドウの近況です。

こちらがニンニク。家庭菜園歴18年のなかでは最高の出来です。

3月に植えたジャガイモも、少し成長の遅れた株はあるが、順調に成長しています。

さて、タイトルの「ひと節ひと莢」とはどういうことなのか。結論から先に書くと、ソラマメのひと節にひと莢を実らせることによっと、3粒以上の実が入った莢の比率を高めようという考えを端的に表現した言葉です。これは鹿児島県職員として、指宿のソラマメ産地に貢献した実績を持つ、旧友のアドバイスによるものです。

これがソラマメの莢。写真のようにふつうのソラマメは、ひと節に3〜4個の莢がつくのでそのまま成長させると莢数が増えて、ひとつひとつの莢の生育が遅れます。そこでこれをひと節にひと莢に減らすことで、残った莢に栄養を集中させ、ひと莢に入る実の数を3粒以上に増やし、しかも実を太らせようという作戦です。家庭菜園でそこまでする必要があるのか、それは自称“Scientific farmer”のChallengeであり、自己満足の部分ということです。

ひと節にひと莢というのは、この状態です。

今シーズンのソラマメは、幸運に恵まれました。天敵のアブラムシがほとんど見られないのです。アブラムシさえいなければ、ソラマメの無農薬栽培はじつに簡単です。もちろん、今年も被害を避けるため、しばらくは防虫ネットで覆いましたし、アブラムシが繁殖しやすいひこばえを摘み取るなど、きめ細かな対応をしましたが、そもそもアブラムシが少ないため、それほど神経質になる必要はありませんでした。畝を南北方向につくることで、花を東側に咲かせ、手際よく、ひと節についた余分な莢を摘み取る。こんなソラマメ農家の知恵も旧友から教わりましたが、手間を楽しむ家庭菜園でのソラマメ栽培では、そこまでの対応は必要ありません。
この週末に植えた夏野菜を記録しておきます。順不同ですが、ナス4種5本、ピーマン3本、鷹の爪2本、トマト3種8本、キュウリ4本、シシトウ2本、ズッキーニ2本、フェンネル1株、ハヤトウリ2株、エダマメ30本でした。

いま芽だし中のショウガや、これから植えるものにはカボチャ、モロヘア、シソ、ニガウリ、シカクマメ、インゲン、ローゼルなどがありますが、家庭菜園を始めて18年、野菜の種類は年々増えているような気がします。もちろん、私は記録係であり、実際に植え付け計画を練り、植え幅、本数などを決めて作業しているのは、わが家の奥様です。
野菜のほかに果樹がありますが、ユズ、スイートスプリングなどは豊作を迎えそうです。こちらはユズで、今週末にはたくさんの花が咲くでしょう。

またフユウガキ、渋柿の二本がありますが、どちらもたくさんの花芽をつけており、このまま進行すれば豊作を迎えることができるかも知れません。

果樹の中で、問題を抱えているのは、2本のプラムのうちのソルダム。「スモモのふくろみ病」という、糸状菌による病気です。糸状菌は、カビと呼ばれる生物で、アオカビやキノコの仲間で、伝染性が強いので、写真のように膨らんだ実をみつけたら、摘果し焼却するのが一番の対策のようです。隣にあるサンタローザには発生しない点はじつに興味深い病気と言えます。

以上が家庭菜園の概況です。これからは、もう少し記録の回数を増やして行きたいと思います。
次にわが団地で営巣中の野鳥の話題です。なんと4週間ほど前にツミという、鳩より少し小さい猛禽類のメスが桜の木にとまっているのを見つけました。これがメスのツミ。

4月16日あたりに産卵しその後、抱卵が始まったのではないかと想像しています。

こちらが巣を見守るオス。ツミは一夫一婦で、卵を抱くのはメスの役割でありオスはカラスなどの外敵から巣を守る。

猛禽類のツミは、雀などの野鳥を餌にします。2週間ほど前は、餌(野鳥)をついばむメスの姿が見られました。オスがメスにわたす様子が見られました。

巣づくりには、地上に落ちている枝は使いません。生枝を嘴で切り取り、それを巣づくりに使います。メスが長い枝を上手に運んでいます。

うまく事が運べば、来月中旬には、ヒナが誕生します。3年前の5月〜6月は、オナガのヒナが育つ様子を動画にとりましたが、この団地には、野鳥が棲息する環境があるようです。一住民としてこの環境を大切に守るため必要な取り組みをしてゆきたいと思います。

“Scientific farmer”、厳寒の地に丹頂鶴と海ワシを訪ねる

南国で生まれ育った、寒さに弱い人間が厳寒の釧路を訪ねる。これはちょっと、無謀(笑)かもに知れませんが、ワケあって北海道に行ってまいりました。きょうはその報告です。
訪問の時期は今月9日〜11日。まず訪ねたワケから。「怪我や病気で弱った動物の保護の仕事をしたい」。そんな大志をもって昨年3月、私が非常勤講師をつとめる専門学校卒業生が、釧路にある猛禽類医学研究所に勤務することになりました。彼女は、福岡で生まれ育った20歳。学校で動物のことを勉強したにしても、いきなり釧路で働くというのですから、消極的な選択が多く見られる?最近の若者としては相当の決断です。動物保護への強い使命感といってもどこに彼女を惹き付けるものがあるのか。可愛い娘を九州からはるか北海道に送り出す親御さんとしては相当、びっくりされたかもしれません。
さて、大手企業役員を定年退職して専門学校に入学し彼女と同級生だったKさんは、彼女の進路選択にいささかの関わりがあったため、その後彼女が元気で働いているか訪ねてみたいという気持ちがありました。私はそのKさんに誘われて同行したのです。もちろん最近、野鳥の写真撮影の真似事をするようになったので、この機会に北海道道東地方の鷹や鷲、釧路湿原に飛来する丹頂鶴を見たいという軽〜いノリもありました。
しかし動物保護ってどんな動物をどのように保護するのか。現地を訪ねるまでは、さっぱりわかりませんでした。訪ねてみると、研究所は、猛禽類の保護や医療の業務をしており、オオワシオジロワシという、国内最大でタカ科オジロワシ属に属する猛禽類が対象でした。これらは海洋生態系の頂点に位置することから海ワシとも呼ばれ、冬鳥として知床地方の海岸や河口、湖沼などに渡来するのです。研究所は、そうした猛禽類の保護や医療、棲息調査など広範な取り組みをしていました。世界の海ワシの棲息数は正確な統計は不明のようですが、ヨーロッパには5000〜6000の番(つがい)がいるとの報告もあります。国内の推定生息数は約700羽程度と言われており、双方とも絶滅危惧種で、国の天然記念物に指定されているのですが、この動物が怪我や病気をするため保護活動が求められているというのです。昨年4月からのわずか1年足らずで、こうした基礎的知識から具体的な餌やり、ケアの仕方、生息調査などの実践的なことまで、すっかりマスターして生き生きと働く姿を見て、とても嬉しくなりました。
ところで自然の動物がどうして、怪我や病気になるのか。生き物ですから、厳しい自然の中で生きてゆくうえで、いろんなリスクがあり、逃れられない突発的な事故があることはわかります。しかしそこには人為が絡む、海ワシならではの厳しい世界がありました。海ワシは、列車事故や狩猟で撃たれ、傷ついたシカなどを食べる際、自らも列車にはねられたり、シカの体内に残る鉛の銃弾を食べてしまい鉛中毒になり、それがもとで衰弱し病気になることが多いそうです。研究所は現地からの連絡・報告を受けて、回収・治療などにあたっており、所長のS先生(獣医)を中心に副所長ほか数名のスタッフが構成されていて、忙しく働いていました。短時間ですがその日、保護されたワシの診断の様子や、研究所の建物に隣接する保護用ケージを見学させていただき、また研究所内のビデオやパンフレットなどでこの問題の概要を知ることができました。ベッドに横たわるワシの実物を見るのは初めて。脳に障害を受けたため運動能力を損なっているということでしたが、大きな目玉をグルグルと動かしてまわりに視線を配るワシの姿はかわいそう。また保護用ケージは大中小3つがあり、一番手前の小さなケージには、20頭ほどのワシがいて、怪我や病気が治っても足や羽に致命的な傷を負っているため、再び空を飛び回ったり餌をとったりという野生生活には復帰できない、哀れな鳥ばかりでした。奥行20m、幅50mほどの、ここでは一番大きなケージでは傷が回復し、ケージ内を飛び回るワシの姿が見られました。
写真は、ケージの中のオオワシです。怪我が治ったとしても、後遺症のため野外で暮らすことはできないワシたち。憐れです。

最近は、再生エネルギーの利活用のため、北海道・東北地方でも風力発電施設の整備が進められていますが、発電用の羽根車にぶつかって怪我したり死んでしまう事例が増えているようです。また、この研究所は主に環境省の予算で運営されていますが、ワシ類の保護・治療という仕事は、きわめて特殊な世界であり、専門の獣医師や看護師、リハビリテーターなどの人材育成・確保、資金の確保などには相当の苦労があるようです。これまでの経済社会の発展過程で見落とされてきた自然環境そのものの価値。これらの保護の問題。グローバル化が進行する一方で、人間中心の経済活動や社会発展に直接の関わりが薄く感じるものであっても、存在そのものが貴重でありこれらを次の世代にどう継承するか。鉛の銃弾を鉄に変える。関係者の提唱により進められているようですが、オオワシたちの中毒の原因になる鉛の銃弾使用を避ける取り組みなどを本格化することが大切で、そうしたことを広く周知する必要があります。
と、前置きが長くなりましたが、今回撮ってきた写真を紹介したいと思います。まず、9日に訪れた阿寒丹頂の里の様子から。丹頂が青空を背に飛び交う優雅な姿を目にしてその美しさをどう表現すれば良いのか。なかなか適当な言葉が見つかりません。遠くにそびえる雪に覆われた山は雌阿寒岳です。




こちらは10日の丹頂の里。丹頂の雌雄の舞が見られることで有名なところです。

この時期は1月上旬ということで、丹頂は数が少なくてその様子は撮れませんでした。たまたま本日の日経朝刊に写真がでたのでアップします。プロの仕事はさすがというべきです。

次は、オオワシオジロワシオジロワシは羽を広げると180cmというから、ほぼ畳の長さはある大きなワシで、これが空を飛ぶ姿は勇壮そのもの。なかなか近くにきてくれません。

オオワシは、オジロワシよりもさらに大きい。おもに魚を食べるが、この季節は河川などが氷に覆われるので漁港などの近くの木にとまり、捨てられたりこぼれたりする魚を見張るのだそうです。このため数羽いっしょに見られます。


トビですが、関東周辺でみかけるものよりも獰猛で、体も大きいように感じました。

にわか仕込みの勉強のため不十分な報告ですが、今回特に感じたことは、私たちが日ごろ見あげる空は北海道の空とつながっていて、埼玉の小さい畑だからどうでもよいということはなく、地道ですが土を大切に、そして小さな生き物たちとの関わりを大切にしながら、野菜づくりを楽しみたいと考えます。ちょっと論理が飛躍しすぎかもしれませんが。

明けましておめでとうございます!


昨年一年間、皆様にはこのブログにご訪問いただき、ありがとうございました。昨年の更新は7回で皆さんのブログへの訪問も激減しましたが、これはこのブログが始まって以来のこと。きょうは、私の70歳の誕生日です。古希といわれても実感がありませんが、人生の大きな節目を迎えたことは確かですし、また同年代の方をテレビなどで拝見すると、そんな歳になったんだなとある種の感慨を覚えます。そんなこともあってきょうは久しぶりに「ざれ言」を書いてみます。皆さんのブログも訪問させて頂きます。よろしくお願いします。

まず初詣の報告です。今年も夫婦で江戸川堤防12キロを歩いて帝釈天へ初詣しました。江戸川堤防を歩いて、帝釈天へ初詣するのは今年で10年目。よく続いてきたもんだと感じます。昨年は酉年でした。そこで帝釈天からの帰りは、野鳥の多い水元公園へ。野鳥観察や写真撮影のあと、自宅まで3キロという地点まで歩きました。おそらく往復20キロ余りを歩いたはずです。

それが今年は片道だけ。ここ1週間ほど室内バイクをほぼ毎日、6〜8キロほど漕いで足慣らしをしたせいか、出足はとても快調でしたが、帝釈天に到着したら足の腿に軽い痛みを感じました。そこで用心して、歩くのは片道だけにしました。どうも室内バイクで使う筋肉と、実際の歩行で使う筋肉は違うということかもしれません。

今回のスタートは8時10分。この日も空はよく晴れて穏やかな天候に恵まれ、右手に遠く富士山を、そして左手に江戸川の流れや河川敷を眺めながらの歩きは、最高の気分でした。


おまけに、江戸川の岸辺で野鳥の姿が見えたので望遠レンズを覗くと、猛禽類オオタカでした。シャッターを切ったのですが、問題は距離が遠すぎたこと。拡大写真を掲載しましたが、小さくて良くわからない。写真をクリックしてオリジナルサイズで見ていただくと、中央付近の赤い丸印のなかにオオタカの姿が見えます。

初夢で縁起が良いもの。それは「一富士、二鷹、三茄ですが、茄は季節のモノ。それなしでも何かよいことがあるかもしれないな、と冗談を言いながら、再び歩き始めました。そのうち対岸の松戸市が近づいてきて。

次は金町浄水場の取水口の丸屋根が見え始めるといった具合で、3時間足らずで目的地周辺に到着しました。

帝釈天境内は思ったより人が多くない。時間が早かったせいかもしれません。お参りをすませ、いつもの店で玄関の飾りに使う干支の「戌」の置物を購入(冒頭の写真)しました。

初詣の話題から、少し離れますが、先月はオオタカ以外に、空を飛ぶノスリをとりました。

こちらはオオタカです。

そうした体験を通して最近感じることです。野鳥撮影というとつい遠くに出かけがちですが、江戸川も大きな自然の一角を占めており、そこにはいろんな野鳥が生息している。もっと足元の自然を大事にしなければならない。私の小さな畑も野菜を育てなければ、ミヤマセンダングサやススキ、花粉症につながる花粉を飛ばすセイダカアワダチソウが繁茂する荒れ地になってしまう。エッセイストの玉村豊男さんが、何かに書いておられたが、600坪のブドウ畑からブドウ栽培をはじめいまでは2万坪の規模になったという。こうした遊休地の活用、資源化がこれから大事になりそうです。

以上が今年の初詣ですが、せっかくなので、昨年の出来事やそれに関係することを書いておきたいと思います。初めに2017年7月8日に105歳で亡くなられた、日野原先生の思い出です。
じつは11年ほど前、仕事の用事で当時94歳の先生を世田谷区田園調布にあるご自宅に、一人でお訪ねしたことがあります。もちろん先生の信頼の厚い植木屋さんを通して連絡してもらったのですが。その日は、応接間に通され先生に初対面のご挨拶をし、用件を簡単にお話しすると「趣旨はわかった。協力するよ」と快諾され「あとは日程だけど、君の希望はいつですか」と聞かれたので、予定している行事の日程をお伝えしました。すると先生は、手元の大学ノートをパラパラとめくり、「その日は空いているから大丈夫だ。じゃぁ、ここにメモしておくよ」と仰せになり、「僕は、1日1頁の予定表を100歳になるまでつくってあるんだ。だから100歳まで働くんだ」とお話しになりました。私みたいなものに対して、とてもザックバランに接して頂き、こちらはすっかり恐縮して「先生へのご挨拶のため、私の法人の会長を案内したいのですが、時間をいただけますでしょうか」と伺うと、「君、そんな形式的なことはいらないよ。私に連絡があれば、この秘書あてにFAXを入れたまえ!」と名刺を頂きました。

三か月ほどして、先生に出席をお願いした行事の当日になりました。会場の東大の弥生講堂でお待ちしていると、突然私の携帯が鳴りました。電話に出るとそれは日野原先生でした。「いま言問通りを会場に向けて走っているが、渋滞で遅れそうだ。もし時間になっても僕が到着しないときは、次の方に登壇してお話していただくように。時間に遅れても私は必ず行きますからね」と言われるのです。しかしながら幸いなことに、先生が乗られた乗用車は時間に遅れることなく到着しました。車内を見ると、助手席も後部座席の半分も書類や本が山積みで、運転席と先生の座席だけが空いていました。驚いている私に対して先生は、「僕は10分あれば、ひとつ仕事をすますんだ」と言われました。

弥生講堂の来賓・講師控室に先生をご案内し、先に到着していた私の会長や講師の先生方に日野原先生をご紹介し、開会まで10分ほど談笑されましたが、私が先生の著作「生き方上手」をもっているのにお気づきになり「君、署名してやるよ」と言われたので署名を頂きました。ところが一冊しか用意してなかったので「会長の本を用意せずに申し訳ありません」と、恐縮すると先生は、「心配しなくとも大丈夫だよ。次の新刊を出版したばかりだから、それにサインして会長さんに送るよ」とすかさずお話しになりました。そして、何事もなかったかのように、日ごろの健康法や病院の話題をまじえたお話しされたのです。

94歳といえば、物忘れが進み耳が遠くなったりで、人との会話が不便になる年頃です。日野原先生の受け答えを聴いていると、「これが本当に94歳なのか」と驚いてしまいました。時間になり、先生はまったくの自然体で自分の講演を終えられ、何事もなかったかのように、「じゃぁね」と私たちに声をかけられ、車に乗り込みました。
私にはそんな思い出がありますが、それから11年1ケ月。お亡くなりになられるギリギリの時まで、「命の大切さ」を伝える活動を続けられたと伺います。私みたいなものが70歳で古希とかお話しすると先生は何といわれるか。多分「君、70歳が古来希なんて、それは大昔のことだよ。君のできる、世のためになることをひとつでもやりなさい」とお叱りになられるかもしれません。まずは心からご冥福をお祈りして、この話題を終わります。

と、ずいぶんと長くなりましたが、次はキムチづくりの話題です。今年はキムチづくりを始めて10シーズン目。その意味で、今年は節目の多い年です。珍しいことに昨年、キムチづくりを体験したいという、強い申し出を受けて、暮れの12月29日(金)にわが家に4名の希望者を迎えてキムチ教室を開きました。
問題は白菜。盆明けにはベランダで苗つくりを始め順調に成長し、ひと月後の9月中旬には移植できる大きさに育ちました。ところが台風18号が九州に接近したので、被害を大きくしないため、台風通過後(19日)に移植することにしました。ところが運悪く、移植の日からカンカン照りが三日も続いて、白菜は直射日光の直撃を受けてひん死の状態に陥りました。さらに10月に入ると、今度は降水量425.3ミリと大雨で、日射量102.3時間と日射不足になりました。日照時間1時間未満の日がじつに17日も続いたのです。このような天候異変の直撃を受けて白菜の生育は立ち遅れてしまいました。とてもキムチづくりにふさわしい大きさには育っていません。そこで、やむを得ず八百屋さんで購入しキムチ教室を開催したのです。
それでも上野で唐辛子やオキアミの塩辛を購入し、さらに購入した白菜の塩漬けを準備し当日朝から塩漬けした白菜の水洗いを終え、4名が到着したらすぐにヤンニョンづくりにとりかかれるよう準備しました。ヤンニョンづくりから、白菜の漬け込みまで1時間ほどで作業は終わりましたが、あとは忘年会。ホントはこれが狙いだったのかも知れません。つまみやおかずは、枝豆やそら豆、キュウリのキュウちゃんなど、無農薬野菜の野菜の冷凍保存品ばかり。一年前につくったキムチ古漬けや、出来立てのキムチも試食しましたが、参加者には喜んでもらいました。できたてのキムチはこちらですが、皆さんは、出来立てを持ち帰って貰いました。白菜は小さかったけど、キムチづくり10年のベテランの指導で、10年目を飾る、賑やかなキムチづくりを楽しむことができました。

あとは何でしょう。あ、そうだ。暮れに「大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち (ヤマケイ新書)」という本を見つけたのです。この本は2015年11月に出版されていたんですね。「土と生き物たち」で検索していたら見つかったのですが、「台地の五億年 せめぎあう」という枕詞をかぶっているとはいえ、「土と生き物たち」という言葉を使用していることで嬉しくなりました。筆者は、森林総合研究所の藤井 一至さん。どんな思いでこうしたネーミングをされたのか、そしてどんな内容なのか、この正月休みに読んでみたいと思います。キンドル版なら778円と値段も手ごろ。

それから天候異変の影響を受けたパッションフルーツの話題です。今年のパッションフルーツは開花がひと月遅れで、結局10個の実がなりました。

最後の収穫は12月15日。写真のように、最後の粒も外見は小さいけどしっかりと中身が詰まっており、南国果樹の味を味わうことができました。秋以降に開花結実した実は熟すことがないので、食べられないものだと思い込んでいましたが、決してそうではなかったということです。

それからパソコンのトラブルの続編です。前回愚痴を書きましたが、その後とんでもなく嬉しい出来事がありました。機種によって、また故障の状況によって結果が違うので、これは私のlenovo230Xという機種の事例としてご紹介します。この機種は裏側のネジを1本外すだけで、ハードディスクを取り出すことができます。取り出した後、長男のアドバイスを受けたのですが、AMAZONでハードディスクを取り付けるUSB付きのケース(800円足らず)を注文し届いたケースに、ハードディスクを入れて新しいパソコンにつないだところ、なんと壊れたパソコンのデータが丸見えになるではありませんか。夏に旅行した三内丸山遺跡青森市)や、樹齢400年とされる神田の大糸ザクラの写真。それらがすべて復活したのです。こんな嬉しいことはありません。それにしても、大糸ザクラ(小渕沢)の姿は痛々しいばかりです。

わが家で栽培2年目のハヤトウリは、日本に渡来したのが1917年。ということは昨年は渡来100年目。鹿児島から全国に広がったため、ハヤトウリという名がつけられたのですが、渡来の経過はさておき、ウリ科の野菜としては「花が一風変わっている」「扁平で大きめの種子が1個しかない」「彼岸が過ぎてから開花し結実する」と、じつに変わった形態や習性を備えています。

二つに割ると、扁平なタネが一個入っている。

しかしトン汁にダイコンの代わりに入れたり、豚肉などと炒めたりしても、また浅漬けや甘酢漬けにしても独特の歯ざわりがして美味しい点では、他のウリ科野菜とはかなり違います。昨年の傍若無人な生育ぶりを参考に、昨年は暴れないように、ひと株を棚の上で栽培しました。

しかし台風18号で棚が落下。

それでも収穫は100個と昨年の3分の1程度ありました。これでも多すぎるくらいです。ハヤトウリと聞くと、「あぁ、漬物ね」と考える方が多いようですが、私の周囲では、いろいろのレシピにふさわしい野菜という評価が定着し始めています。そのうち、わが家のハヤトウリレシピ集でも書こうと思います。
最後は椿の取り木の失敗談です。椿の取り木に挑戦して二年目ですが、今年も失敗しました。失敗の原因がはっきりしてきました。高さ15cm程の幼苗をもらった「玉之浦」は活着してから3年後には花を咲かせはじめ丈も2m以上に成長しました。赤い花びらの縁に白い線が出る「覆輪」という品種ですが、安達瞳子(瞳の辺は、「日」が正しい)の「椿100選」にも搭載されている名花です。挿し木の技術を使い苗をつくるやり方に数年挑戦したがダメなので、昨年から取り木を試しています。昨年は、環状剥皮したにも関わらずカルスができてしまい発根しませんでした。今年は、同様のやり方を6枝に行いましたが、蟻の被害にあいダメになりました。(写真はあとで追加)失敗の原因は、蟻の被害もありますが、それよりも環状剥皮の幅が5ミリ程度と狭いため、昨年同様カルスが発生してどれも失敗という結果に終わりました。来年はこの2年間の失敗を踏まえて、環状剥皮の幅を1cm以上にすることで成功に結びつけたいと思います。1cm以上と書きましたが、植物の再生力はとても強くて、2〜3cmにしないとダメなのかもしれません。

と、久しぶりにしようもなく長い記録になりました。昨年は野鳥の写真撮影や山梨県でのクレソン摘み体験、初めての「ヤマビル体験」、「OLIMPUS TG5」のことなど、まだまだ記しておきたいことがありますが、またの機会にします。こうした結果になった一番の原因は冒頭書いたように、昨年7回しか更新しなかったことが原因です。簡潔かつ中味のあるものにするためには、できるだけ臨場感が覚めないうちに、感動が残るうちに記録することが一番の秘訣です。そう反省をしていることに免じてご容赦ください。今年もよろしくお願いします。

ハクサイが育ってきました

一度身についたさぼり癖…。最近感じるんですが、これはこれで慣れてしまうと、なかなかいいもんです。律儀で窮屈な性分。自分でそう言うのもなんですが、わかっていてもなかなか手を抜くことができない。律儀だからさぼることができないのか、さぼることができないから律儀なのか。ホントかいなと感じますが、来年1月初めの古希を前に、ようやくさぼりとか、手抜きの楽しさに気がついた…、という次第です。
おかげで、このブログの更新はこの春頃からすっかり、のびのびになっています。家庭菜園が続く限り、これを記録するブログは続くなんて書いていたのが懐かしくなるほど。でもご心配なく、実際に家庭菜園の管理を担当する管理人のサポート役、つまり、畑で発生する昆虫の観察・写真撮影係は相変わらず続けております。
家庭菜園の管理人、つまりわが家の奥様でも17年も家庭菜園をやっていると、昆虫の知識が増えてくるんですね。いまでは野菜の食われ方、つまり食痕とそこに残された糞を見れば、それがどんな害虫なのか、ちゃんとわかるようです。もちろん、害虫といっても、この季節なら、モンシロチョウの幼虫の、いわゆるアオムシやヨトウムシ、キクキンウワバ、オンブバッタ、コガネムシ類の幼虫くらいしかいませんので、それほど難しいことはありませんが。
先日も「早く来て!カメラをもって!」という声がするので、何事かと近づいてみると、ネギの葉が2本ほど倒れており、その根元に幼虫の姿が(右下赤丸内、ちょっとピンボケしていますが)ありました。通称「ネキリムシ」とも呼ばれる、ヨトウムシ(はじめにコガネムシ類と書きましたが勘違いです)の仲間でした。とまぁ、こんな具合で、かなり昆虫対策の腕をあげています。

それと最近発生したパソコンのトラブルについて愚痴を書きます。じつは困ったことが起こりました。愛用のlenovo x230が起動しなくなったのです。電源スィッチを押しても、ボタンの周りの緑のランプがつくだけで、あとはうんともすんとも言わない。NETで見つけた処方箋を試しても改善しない。このままでは、これまで撮りだめしてきた写真がどうなるか、心配です。幸い、今年の5月までは外付けのHDに写真データをバックアップしていたのでそれは良かったのですが、それ以降のデータが取り出せない可能性が高いのです。そこで、パソコンを買ったヨドカメに行き問合せしたところ、これはBTOという、メーカー扱いの商品なので、lenovoサポートに直接相談するように言われたので、仕方なくそのサポートに電話すると、「保証期間は1年だけであり、4年半過ぎた商品だから見積もりすると数万円かかりますよ、どうしますか。データの復旧だけなら、専門の業者に依頼する方が無難です。こちらは成功報酬で、最大80000円はかかるでしょう」という対応。あぁ…、それなら写真データの回復は諦めて、もっと使いやすくて丈夫な新しいパソコンを買おうと考え、いま機種を検討中です。
運よく最近、使用している2台のカメラのSDカードに画像データが残っていたので、それをこの予備のPC(ホントは、PCというより、タブレットにキーボードのついた、簡易なもの)に取り込んだおかげで、最近の画像データは確保できました。上の画像も一昨日撮ったもの。
といった具合で、本題のハクサイの近況の紹介が遅れましたが、結論から言うと、9月台風通過後に植えたハクサイは植栽直後に台風一過の日照りの洗礼を受け、そして10月の雨と日射続きでダメージを受けたものの、ここにきてようやく順調に育ちはじめました。台風22号接近で油断はできませんが。

思い起こせば、昨年の10月は極端な雨不足で、そのあげく11月としては史上初の季節外れの積雪。とうとう期待どおりの大きさのハクサイができず、毎シーズン3回のキムチづくりも、昨シーズンは2回で終わりになりました。今年はキムチづくりを始めて10回目の記念すべき年。完全無農薬のハクサイを使い9シーズン、ハクサイキムチをつくってきましたが、今年は何とか、並みのハクサイで美味しいキムチをつくりたいものです。つい最近まで防虫ネットをかけていましたが、ハクサイの頭が網に使え始めたので、思い切って外しました。たちまちモンシロチョウがよってきて卵を産み付けていましたが、たいした被害にはならないので心配ありません。

さて、ハクサイ以外の野菜はどんな状況か。久しぶりにその他の野菜の様子を紹介します。一番は、このハヤトウリです。カキノキなどに絡みつかれて、大暴れされた昨年の失敗を反省して、今年は行儀よく育てています。

一株だけですが、昨日までに20個ほどは収穫したでしょうか。近隣の皆さまにお配りして喜んでいただいております。

ニンニクも順調に育ち始めました。ひょっとしたら、最近では一番の出来かも。

あと畑の果樹ですが、渋柿3個がみのりました。先に色づいた2個を干し柿に。毎日雨が降るので果たして完成するか心配しましたが、写真は干して1週間くらいで、このあと美味しくいただきました。とにかく甘い…。

3個目の干し柿のほぼ完成に近い写真です。表面に白い粉の吹いたものがつくりたいが、今年の10月の天候では室内干しのため無理でした。来年こそは!

もうひとつ果樹の話題ですが、こちらはベランダのパッションフルーツです。例年に比べひと月遅れの花を咲かせ、結局10個の実がなりましたが、ようやく食べごろになりました。左側がとりいれて1週間ほど過ぎたもの。右側が取り入れたばかり。

パッションフルーツは熟すと、ぽトンと実が落ちます。なり口に切断面が用意されていてカミソリで切断したように、綺麗に横一線で切れる仕組みになっています。こんな果物は初めてです。

最近では、家庭菜園のほかにも楽しむ機会が増えました。今月初めには丹沢に学生たちと出かけて、シカやムササビの生態を勉強したほか、地球元気村(風間深志村長)のクレソン摘みに参加したり、麻績村での昆虫観察会にでかけたりと、若者や動物、昆虫に元気を頂いております。時間を見つけて、それらについても紹介したいと考えますが、写真は丹沢で撮ったシカのつがいです。そう丹沢は四月に続いて二回目でした。

こちらはムササビの痕跡のようです。こうした動物との共生を意識した森づくりもこれからは大事になるのかも知れません。

と、今回はここまでにします。さぼり癖が本物になってきましたので、次回はいつになるかわかりませんが。

ハクサイの苗が育ってきました

5月28日の更新から約3か月半が経過しました。何となく書きそびれているうちに、きょうになったというわけです。そろそろ秋野菜の季節を迎えハクサイの苗が育ってきたので、久しぶりに更新します。
この期間の最大の出来事は、お天道様のご機嫌が悪かったことではないでしょうか。野菜は太陽エネルギーを使って、根から吸収した水と葉にある気孔から取り入れた二酸化炭素から炭水化物をつくり成長します。野菜にとって、日射と降水、気温、つまりお天道様のご機嫌はもっとも大切な要素ってわけですが、5月から7月までは記録的な少雨が続き、8月に入ると今度は記録的な日射不足になりました。まず過去10年間の降水量のグラフをご覧ください。今年5、6、7月の雨がいかに少なかったかがわかると思います。7月は、4日と5日で合計71ミリの雨が降りあわせて133.5ミリになりましたが、それを除けば徹底した少雨でした。こうした天候異変のなかで、わが家の家庭菜園はどうだったかを書いてみたいと思います。

野菜の葉にある気孔は、光合成に必要な二酸化炭素のとりいれ口であると同時に水を蒸散させる働きもしています。光合成に必要な二酸化炭素を取り入れるために気孔を開くと、気孔から体内の水が蒸散してしまうのです。水不足の場合、蒸散を抑制するため、野菜は気孔を閉じてしまいます。すると結果的に二酸化炭素を取り入れることができないので栄養生産ができません。こうした少雨の影響の第1は、タマネギ、ジャガイモ、ラッキョウなどの根菜類が大きく育たず小粒だということです。もちろん少雨は、決して悪いことばかりではありません。雨の少ない天気で育った小粒のジャガイモは、とりたてを塩ゆでするとこれが旨いんです。ポテトサラダにしても水っぽくないため美味しい。と、家庭菜園のいつもながらの気楽な話ですが、農家の方は大変だったと思います。

少雨のため根菜類が小粒な一方で、豆類のエダマメとインゲンは、まあまあの出来でした。とれすぎとまでは行きませんが、そのエダマメやインゲンをどうするか、もちろん冷凍庫で保存します。おかげで、いまでも楽しんでおります。それとトマトが甘かった。トマトは、苗の上に屋根をかけて雨をさけるほどの野菜ですから、収穫期の水不足は願ってもないこと。さらにパクチーの種子、コリアンダーが、少雨のおかげで200gほど収穫できました。こちらは泡盛を使ってコリアンダー酒にしたりして楽しんでいます。

あと果物のサンタローザは、実のなる枝が少なかった。それでもジャムが出来ましたし結構、生食も楽しみました。それと3本植えたカボチャの株にに合計20個の実がなりました。ということで雨不足の功罪はこんなところでしょうか。

次に8月の日照不足は、都心では40年振りの記録だったとか。稲作には影響があったのではないかと感じますがこの季節、わが家の畑は野菜がないので、それほどの心配はありませんでした。今月2日の日経記事をアップします。これまでの日照時間の最短は1977年の85.8時間で、今回はそれを下回る83.7時間というわけです。とにかく地球温暖化の影響か、世界で異常気象が続いています。どこかの大統領が温暖化対策の枠組みから離脱するとか言い出していますが、とんでもないことです。

畑以外の出来事としては、今年5月5日の姪の結婚式。良い旦那さんがみつかって良かったのですが、この機会に吹上浜に泊りがけで出かけて90歳を迎える母(義母)のお祝いとお祝いが続きました。気温が高くて雨の多い鹿児島には、どこも照葉樹林常緑広葉樹林)だらけですが、その若葉の美しさ、関東以北の落葉広葉樹林の若葉とは、一味違う美しさが印象に残りました。子供の頃は飽きるほど眺めていたはずなのに…、と思うと可笑しいのですが、こんなものに心が動かされるというのは、やはり歳のせい?かも知れません。(写真をクリックしてオリジナルサイズでご覧ください。)

照葉樹林というと「照葉樹林文化」とか「縄文」を連想します。この7月には日本最大の縄文遺跡といわれる「三内丸山遺跡」(青森県)を訪ねました。3月に専門学校を卒業生した卒業生を訪ねる旅で、同じ卒業生仲間のKさんとの二人旅でした。今回はふたつびっくりしたことがあります。ひとつは新幹線の混雑。あまりにもお客さんが多くて行きも帰りも超満員。新幹線が函館まで開通したせいだとか。ふたつめは天候です。この季節の青森は快適だろうというのは大間違いで、関東よりも暑い天気にぶつかりました。青森市内では、じりじりと照る日射しを浴びながらの遺跡巡りになりました。それでもクリ材を使って建てられた建築物は見事でした。

1992年に発掘が開始され、2年後の1994年に約4千5百年前のものと推定される直径 1.8mの柱穴6個、そして直径80cmのクリ材を発見したのだとか。写真の建築物は、そうした発掘の成果をもとに復元したものです。発掘したクリ材のDNAを調べたところほぼ同一の品種、つまり食料として大きな実をつけるクリが栽培されていたのではないかという学説もあります。クリ材は国内の木材のなかで最も腐りにくく、かつては鉄道の軌道に使われた木材です。改めて縄文人の文化の高さに驚きました。

現地には、土や樹木の皮、藁葺きと、いろんなタイプの住居が展示されていました。

久しぶりに書いていると、旅行日記みたいになってきましたが翌日は、弘前にある岩木山に登山。歌謡曲にもうたわれている、この山にいつか登りたいと考えていたので、それがようやくかないました。弘前城から眺める岩木山は、西の空にそびえる独立峰。少し専門的なことを書くと、この地方の山岳は麓に落葉広葉樹林があり、高度を増すに従いアオモリトドマツやトウヒなどの常緑針葉樹林に移り、さらに高度を増すと森林限界に移行するのですが、ここは常緑針葉樹林がないという特徴があります。つまり広葉樹林から、いきなり森林限界に移行するわけで、写真右上が山頂付近の岩石地です。

岩木山を下山してから、岩手県の雫石に移動しました。ここには、地域おこし協力隊員として活躍する方を訪ね、夜は繋温泉に宿泊。翌日は「尾入野湿原」を案内してもらいました。小さな湿原ですが、生物種が豊かで、初めてみるモノサシトンボノートントンボなど、珍しいイトトンボ類やトウキョウダルマガエルなどを観察できて満足でした。これがモノサシトンボです。

と、まぁ、久しぶりの更新ですが、なかなかタイトルのハクサイの苗までたどり着きません。それは無理もないことです。3か月分を一日で書くには無理があります。ということでここで、ベランダの苗の最新の写真を紹介して、これ以下は次回にします。

ソラマメ栽培は「あと一歩」まで来ました

太陽、二酸化炭素、水、そして土、小動物…。これらに依存しながら野菜や植物は成長します。もちろん、いいことばかりではありません。害も受けますが、大切な点は、野菜や植物が光合成を通じて、有機物を生産してくれるおかげで、人間を含む動物は、それらを食べながら、成長し家族や仲間を増やし自分たちの世界を築くことができるということです。肉だって、魚肉だって、もとをただせば植物がつくりだす有機物が食物連鎖を通じてそうした動物たちの餌になっているわけです。
さて、畑の近況はどうかというと、連休前に植えたキュウリやナス、シシトウがちょぼちょぼと採れ始めました。

キュウリの成長を喜んでいるのは人間だけではありません。害虫、とくにウリハムシは喜んでいます。昆虫の被害から身を守るため、キュウリは毒成分を分泌しますが、それを避けるためウリハムシは丸く輪を描くようにかじるんだという説があります。植物も昆虫も身を守るため、技(わざ)のかけあいをしているようなものです。

今年はソラマメが大豊作でした。ソラマメの無農薬栽培を成功させるには、ウイルス性の病気を媒介するアブラムシ対策が肝心です。それが田舎の友人の助言でほとんど被害を受けなかったのです。どういう助言か。アブラムシはソラマメの頂芽やヒコバエなどの軟らかい組織上で繁殖します。繁殖源を早めに掻きとるだけ。もちろん繁殖を抑制するため、ソラマメが小さいうちは、アブラムシが寄り付けないように防虫ネットをかけました。しかしソラマメの頭がネットに当たるようになるとネットをはずさざるを得ません。この頃から、頂芽とヒコバエの摘み取り作戦に切り替えます。
これが摘み取った頂芽。

頂芽以上に大切なのはヒコバエです。アブラムシはここで増殖していますが、アブラムシの繁殖力がいくら高くても、集中的にこれをつみとるとアブラムシもたまったものではありません。昨年までは頂芽は摘み取りながらも、ソラマメの根元付近にある繁殖源対策が手薄でした。アブラムシ対策は、10年近く試行錯誤を重ねましたが、これで一気に解決できたような気がします。これがヒコバエ。

20株から5キロ弱のソラマメ(莢なしで)を収穫。そんなにたくさんのソラマメをどうするんだ、と言われそうですが、冷凍庫で保存しますので大丈夫。

とれたて、ゆでたてのソラマメの旨さは格別です。

しかし、来年に課題が残りました。それはこの写真です。

要するに、一株に4本から5本の枝が立ち上がり、一節に2,3本の莢がなっているのです。結果として、3粒の莢が3割ほどで、2粒が5割ほど、1粒が2割ほどといった具合でした。5月に帰省した際、友人から2本立ちにして、一節に一莢にすると3粒の莢が倍ほどに増えるだろう、という助言を貰いました。
これが、2本立ちという意味がわかりやすいように、残りの枝を切り取った写真ですが、手前が東側になるように畝を南北方向につくり植えていけば良いというのです。

こちらが友人のソラマメ。3粒の莢の比率が高く、しかも粒が大きい。鹿児島でソラマメの産地づくりに大きな成果をあげた専門家だけに実践のなかから生まれた助言はわかりやすいです。

そんなことで、採れたてのソラマメを味わいながら、来年こそ立派なものをつくるぞと決意したところです。南北に2本仕立てで育てることのメリットは、もっとたくさんありますが、それは来シーズンの栽培記録のなかで明らかにしたいと思います。ただ、天候その他、冒頭に書いたような環境要因が、結果として悪さをしますので、そこらの注意が大切です。11月に植えて収穫が5月末。畑の作物で一番時間と手間がかかります。甘いかも知れないが、今年のソラマメ栽培は「あと一歩」というところまできました。
チャドクガが発生。
蝶や蛾が好きで、たいていのものを大切にする自称“Scientific farmer”ですが、これだけはいただけません。うっかり触るものなら、肌がかぶれて酷い目にあいます。ということで枝ごと切り取り、土中に埋めました。

ーオリーブが開花
植栽して5年目のオリーブ2本が2m程度の背丈になったので、そろそろと期待していたら花芽をつけ開花しました。ハナバチが吸蜜にきていますので結実を期待したいものです。


ー絶不調の柚子とアゲハの幼虫
昨シーズンは500個あまりの実をつけた柚子が今年は絶不調。懸命に数えても、せいぜい10数個の花しか咲いていません。いわゆる凶作です。「今年は休みです」と言わんばかりに、軟らかい新枝が風にそよそよと揺れていますが、よく見るとナミアゲハの幼虫がおいしそうに葉を食べています。そうした姿を見ると、今年はそれで仕方がないかなという気分です。


ー見事に期待を裏切られたニンニク
絶不調といえば、このニンニクです。前月の終わり頃は順調に成長していて収穫を期待していたのですが、3週間ほど前から黄ばんできて、最近はすっかり枯れ状態になりました。いわゆるサビ病のようですが、ここまで来れば打つ手なしで、きょうはとうとう掘り取ってしまいました。

種は、青森産のホワイトニンニクで大玉のものが採れるはずでしたが、生育途中で株が枯れてしまったので、成長がストップしてしまいました。残念!

今週は、このほかに大豊作だったスナップエンドウが終わったので片付けして、赤玉ねぎを収穫。エダマメやオクラ、インゲンマメの苗を移植したりして5月も終わり。いよいよ6月を迎えます。エダマメの第1陣は花が咲き始めたので防虫ネットが必要になりました。

おそらく、カメムシやハイイロマダラメイガがどこかで、エダマメを狙っているかもしれません。生き物の世界は油断大敵です。