つくし野の家


結設計のホームページを更新しました。
設計事例に「つくし野の家」を追加しました。
道路面から2〜3m高い擁壁のある敷地に建つ住宅です。起伏のある周辺環境に加え南側には擁壁上の敷地よりも低いレベルに公園があり、見晴らしの良い景色が広がります。その恵まれた景観をできるだけ家の中に取り込むように計画しました。鉄筋コンクリート造の地階玄関と車庫の上にほぼ総二階建の木造を重ねたシンプルな構成に、軒の出1.5mの屋根が「かみひこうき」のように広がります。
是非ご覧下さい。

旧朝倉邸


代官山で公開されている大正時代の邸宅です。以前から何やら改修工事しているなと思っていたのですが、前を通ったらちょうど公開され始めたばかりだったようで覗いてきました。若者のファッションスポットとなっている代官山のヒルサイドテラスの裏という立地に、今までこの広い敷地と木造の豪邸が保存されて残っていたのに驚かされます。どうやら国の会議所として公的に使用されていたものが、利用度の低い施設の整理で一般の競売に掛けられる前に保存活動により渋谷区の重要文化財となったようです。中に入ると最近頻繁にある集中豪雨が降ってきてちょうど良い雨宿りになりました。座って庭をのんびり眺められるので、近くに買い物に来た時には良い休憩場所になりそうです。ちなみに入場料100円です。(萩原)

木を柱にしたいと思う気持ち

日本で木が構造材の柱として選ばれたのは、古代日本に身近にそして豊富に木があったからなのは言うまでもないのですが、それとは別に欲求に似た部分で、「こういう衝動で木を柱にしたくなってしまったのだろうな」という古代日本人の気持ちというのを、先日行った東北の旅行中に想像してしまいました。


見上げるほど垂直に上昇する木々、力強い雰囲気を放つ掘っ立て柱、林立する太い柱、それらを旅行中交互に目にしているうちに古代日本人の気持ちと木の扱い方に共感してしまいました。(大庭)

 メール受信における不具合の報告

8月22日の夜から25日の午前中まで、結設計宛に頂いた一部のメールが受信できないという状態となり、大変ご迷惑をお掛けしました。現在は通常通り受信できます。大変お手数ですが、期間中にメールを送って頂いた方は、再送して頂けるようお願い致します。

旗・旗・旗

北京オリンピックも無事終了。極限まで戦う選手の姿に久々に心が熱くなりました。一方、開会式の選手入場で参加203ヶ国の国旗のデザインをしみじみ眺めてみると、その色使いや形まで多種様々でなかなか興味深いものでした。「旗」といえば、昨年の夏に旅したトルコ・イスタンブールで街中を旗が彩っていたのを思い出します。
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スタンブールの空港からホテルまでの間、道路には運動会のような黄色や赤の旗が連なっていました。それも信号機や標識にまで!(日本では考えられませんね〜)。現地のガイドさんに尋ねると選挙の応援なのだそう。イスタンブールに到着した日はトルコ総選挙の1週間前。ガイドさん曰くトルコ国民は選挙にとても熱くてこの時期は国や地元を離れている人も応援や投票の為にわざわざ帰郷するそう。歴史に名高いボスポラス海峡にも旗で装飾された応援の船が出たり、花火を上げたり。ほぼ時を同じくした日本の議員選挙に対する国民の「エネルギー」の差に驚き、考えさせられました。
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その一方、トルコは他のイスラム国家に比べ然程信仰に厳格ではないそうでミナレット(モスク併設の尖塔)からコーラン(礼拝時刻を告知する呼び声)が町中に響いても拝礼をする姿は殆ど見られず、ガラタ橋からイワシを釣る人々も釣りを続行。歩道も整備され、近代的なトラムが街を走る。この街も「欧米か!?」なんて思いつつ、コーランの独特な「こぶし」が町中のモスクから聞こえてくるとここはイスラムの国なのだと改めて気付かされます。
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アジアとイスラムのジャンクな雰囲気を実感できるグランドバザールは様々な色使いの商品が床から天井まで並びモスクのモザイク模様のごとく色とりどり。幻想の世界を彷徨うように通路を奥へと進んでいくと次第に路幅が狭くなり店の雰囲気も何だか怪し気な感じに・・・。部外者を拒絶するような視線を感じてはっと我に返り、引き返すことにしました。その途中、チャイ(お茶)を啜りながら語らう人々の横で、モスクで見られたように専用の流しで手足や顔を洗い跪いてイスラムの祈りを掲げる人々を見かけました。集落・都市や建築を見る以外にも政治・宗教・経済の一端に触れられる事は他国の街を歩く醍醐味の一つです。さて、次はどの街を歩こうかな。。。(中嶋)

西の松島


昨年に続き盆休みに自転車旅行をしました。
写真は、その途中の松尾芭蕉奥の細道でわざわざ山形の酒田から北上して立ち寄ったという象潟。
松尾芭蕉が訪れた時には、この田圃が海で西の松島といわれていたように、小さい島がいくつも海に浮かんでいたそうですが、その後土地が隆起して陸地になってしまったということです。
海では無くなってしまっているのですが、ちょうど稲が海のようで、見とれてしまいました。(加藤)