ひとり夏休みを延長して家にいます。手足口病にかかったため。
新入社員で有給が発生していないので無給です。本人にとっては無じゃない、れっきとしたマイナスである。一日一万円何もできないのに引かれていく。人によっては「外に出るな」なんて忠言は無視して遊びに行くんだろうな。わたしはバカ真面目なので家にいる。気持ちが腐る。
夏休みの前は、あと少しでもお休みがあったらあれもこれも出来るのに、もっと奇麗でいられるのに等と考えていたが、そんなことはない。忙しくても健康がいちばん。


箱根のケーブルカーに乗った際、頭痛と動悸があまりにひどいので「さすが標高が高いだけある」と思っていた。ふもとに降りても、帰ってきても頭痛は続きそのまま発症。今思えばあのとき感冒を得たのだなと。

なんだかここを吐き出す場にしちゃってだめだなあ。
気楽に気楽に。毎日停電と断水がしんどかったら、不機嫌な両親を受け止めるのに疲れたら、たまには都内に遊びに行けばいいかも。寒いときは床暖房つけていいんだよ。ガスなんだから。温水だってガスなんだから冷たい水で食器洗わなくていいんだよ。
なんだかどれだけ我慢しても我慢しても足りない気がして、これ以上停電時間増えるのやだようとか、停電ないとこがずるくてやだようとか、言いたくてもみんな苛々してるから自分は言わないよになんて考えたりして、頭がぎゅうぎゅうになってるときShe&Him聴くとたちまち涙がでろでろ出て楽になる。ズーイーすごい。
明日は袴着て写真撮る。土日は水道橋で温泉入ってジャニス行く。だいじょぶだいじょぶ、なるよになるだけ。今を楽しむだけ。

そうか、はてなは書いていいんだと気付いて書く。mixitwitterも今はとにかく邪魔にならないように、発言しないし拡散もしないでぢっと見ている。と、やっぱりだめです。眠れない。
家にずっといると気持ちが悪い方へいくので、今日は町田へ出てタワレコを見たりしました。女王蜂のCDを買ったら歌詞カードに真っ赤な毛束が挟まっている仕様で、ぎゃという声と共にガストの床が散らかった。
宮城には親戚が何人も住んでいて、なのに一人も連絡が取れない。私は仙台駅前のジュンク堂が日本の本屋の中でも三本の指に入るほど好きです。東京に暮らしていても仙台は都会だと思ったし、いつでも居心地が良かった。萩の月のあの過度な紙箱包装も、開けたときの卵の香りも好きです。
金曜日、人ごみの渋谷で恋人と合流し、帰宅を諦めてみしみし揺れるホテルでテレビを観ながら、ずっと好きです好きですとそればかり言ってた。

ひとさまの日記を読むのがすごく好きです。三度の飯と同じくらい好き。小説ぜんぜん買わなくなって、ここ三年くらい日記ばかり買って読んでる。mixiとかはてなとかツイッタもすきすき。出来ればもっと読みたい。
で、読んでるとだんだん後ろめたい気持ちになってくる。読んでるばっかりでいいのかな。これ覗きかなって思う。なので無理矢理日記書く。私も書くから読ませてねっていう理屈。

同じ理屈で、アマゾンのレビュー、食べログのレビュー、いつも大いに活用してます。見てるとやっぱり後ろめたい。私も書かなきゃずるいかなって思う。でもそれはまだ勇気が出ない。

たぶん私は考え過ぎで、世の中には私が思ってるよりずっと、読むより書く方が好きなひとたちがいっぱいいるんでしょう。きっと。たぶん。

政治家が自分たちの保身第一で動いてるのなんて今更なことだし、これから先も正論が正論でなくなる機会がいくらでもあるんだろうと思います。石原さんは偏見云々の前にお金遣い過ぎるから嫌い。お金は命だよ。
中学生の頃に読んだ山本直樹町田ひらく町野変丸丸尾末広。わたしは性犯罪者にも売春婦にもならないで医療従事者目指してる。なんとなく、規制されても、表現は死なない気がする。そんな弱いものじゃないと思うのは楽観でしょうか。

Beirut、Sufjan Stevens、Arcade Fire、最近好き。人数おおくて管弦だとたちまちテンション上がる。

暑くて暑くて、写真を撮る余裕がなーい。一眼なんて持って歩きたくないし、デジカメですらカバンから出す余裕があったら汗拭きたい。なので最近の写真、でんでん無し。
連れの人がお誕生日だったので湯河原へ一泊旅行。湯河原は森があって海があって川もあって温泉もあるらしい。が、私たちは海に少し行ったくらいでペンションに直行。あづすぎる。
ボンファムというこぢんまりなペンションは、宿泊客がオールカップル。お風呂も貸し切りでしか使えない。少ない人数ながらも細かいところまで気を配ってお仕事してらっしゃるのがよくわかって、居心地のとても良いところでした。連れの人には用意したいろいろを喜んでもらえて、ほっとする。一晩が一瞬で過ぎ去った。
湯河原から帰って、荷物置いてよみうりランドクラムボンへ。あなたは特別なんだ、とか、この音たちは特別なんだ、とか、言ってしまったら変わってしまいそうで口に出せない。いつもより言葉少なになってしまう。手に入らないから、特別なのかなとか考える。あの三時間がすごくすごく良かったって、忘れられないって、そんなこと何度言ったか。陳腐なことば。
クラムボンから渋谷での飲み会に直行。気の置けない仲間たちとぎゃーぎゃー騒ぐ。自分の大事な人が幸せだったら自分も幸せで、でもそれって当たり前のことじゃないらしい。自分が相手を大切にしたって、相手に大切にされるとは限らない。それは何度も感じてきた。でもわたしは目の前の子たち、みんなぎゅって抱きしめてちゅうしちゃいたいくらい大好きだ。ずっと大好きなままでいる。
大学の模試に向けて少し勉強してちろっと受けたら100人中8位だった。よしよし。自他ともに認める要領よし子ちゃんな私は気軽に自慢もできない。申し訳ない。だからここでえばらせてください。8位!ひゃほう!

フジロックにもサマソニにも初めて行ったのに、日記を書かずに記憶が過ぎてしまった。帰ってきたら連れの人が風邪をひいて、わたしは蕁麻疹、ウイルス性の咽頭炎と高熱にかかる。どれもこうやって活字にするほど大したことじゃなくて、むしろ漫然とした生活のスパイスのようなもの。
k-x、やっと昨日持ち出した。すごくおもしろい。すごくすごくおもしろい。「今日はお祭りやってないのかな」って検索してふらりと向かった門前仲町、こぢんまりとした出店と八幡さまと町並みがとても良かった。あづいあづい言いながらビール片手に隅田川を歩く。
わたしも誰かと一緒になりたいのにな。なんだかうまくいかない。でもしあわせである。
最近読んでおもしろかったものは、いましろたかしの「引き潮」(むむ、高い、と思ったけれど買わずにいられない。やっぱりすごく良かった。盆堀さんも出てくる。)、いしいしんじごはん日記3(ちびちび読んでいるのでまだ途中。最初からずっと高ぶりながら泣きながら読んでいる。)などです。
今は就職と国家試験に向けて勉強のときなので、働いてもいないし、いろいろ節約。娯楽にあまりお金かけない。遊ばない。そのつもりで春休みにあれだけ遊び狂ったのだし。お金を遣わない、物が増えない、人と会わない、日常が慌ただしくない、のは、すごく安心することだ。

結局k-xを買っちゃった。ネイビー×ホワイト。

届くまでの二週間が待ち遠しいような、買っておいてなんですが本当に使いこなせるのか不安なような、マーブル模様の気持ち。わたしはいっつも荷物が多いので、これを機に軽量化を図ろう。お財布とかポーチとか、もっとコンパクトにして、身軽にお散歩しよう。
この間のお休みはおうちにお邪魔して、とことん自堕落な生活を送った。朝ごはんがパンとビール。二日間、朝も昼も夜もお酒。二人とも酒好きでとってもだめだ。だめだけど、最高だった。
むかし私が死にたかったとき、心以外は至って健康で、それがとっても疎ましかった。今こうして元気になってみると、今度は死ぬのがとても簡単なことに感じて、結局わたしはいつだって怯えてる。