お久しぶりです。

早いもので、もう年末ですね。


ここで日記を書かなくなって半年以上経ちました。
文章を書かないと、
自分の頭が陳腐になっていくように思いました。


たまに、こちらのブログにもどってきて、
色々と吐き出した事があれば、
書いていくかもしれません。


ここでできた、
細い糸でも確実につながっている友人がいる事に気がつきました。


社会の隙間、
見えるようで見えないような、
なかなか分からなくて。。。
でも、確実にそこにある、
そんな場所、
そんな場所を維持できる関係も、
きっと今は大切なんだと思います。


何か辛い事あって、嫌になって、
死にたくなって。。。


それでも、いいよ、別に。
みんな、そういう所あるよ。


ため息ついて生きていくんだよ。


嫌な事あったら、
頑張らないで逃げても良いんだよ。
死ぬくらいなら、
遊んじゃった方がいいよ。サボってもいいよ。


それでも、
見捨てない人もいるよ。


その見捨てない人を裏切らないように生きたら、
それでいいんじゃないかな。


ボチボチ、マイペースで。

最後の更新

次回を最後の更新にするつもりでいます。


このブログを書いている間は色々ありました。


鬱病で辛くて、
死んだほうがマシだった日々からブログをスタートしました。
確かに、
この頃の僕はとても辛かったですが、
体調がわりかし良くなった今でも、
辛いことに何も変わりはありません。


むしろ、
病気の頃の経験を懐かしむ想いすらあります。


体調が良くなったけど、
別に今が充実している訳ではありません。


病気だから最悪、
というのも正解です。
が、
当然ながら、病気の後も楽しいことばかりではありません。


こうなってくると、
どの辺で満足とするかの落とし所の問題です。


無尽蔵に満足感を得られる訳はないので、
だいたい腹八分で満足感を感じなければいけません。


僕は、
病気後には後ろ向きになった気がします。


不満を感じる訳ではないですが、
満足感を感じられません。
というか、
不安な気持ちになるのが先決します。


遊びに行った。。。
その間は自営業なので仕事ができずにいるから給料ナシ。。。
遊びに行ったことへの罪悪感。。。
遊ばなければよかった。。。


などと遊びをプラスに考えることが出来ません。


これは良くないです。
長い人生、
働きっぱなしでいれるわけないんだから、
遊びも必要ですし、
それもわかってるつもりなのですが。。。


ここで、
皆、仕事してるのに自分は遊んでやるゾー!
と、気持ち良くなるくらいじゃなきゃダメなこともわかってます。


なんともおトクとは云えない性格なのですが、
それでも楽観的に生きようと思うようにはしているつもりです。


今でも、
1日に1回くらいは死にたいと思います。
今日も何回も思いました。

でも、
ぼちぼちマイペースで。


腹八分で満足感を感じて、
楽しいことは楽しいと思うようにして、
ある程度できたらそれでオッケーとして、
これでいいやと楽観的な落とし所をつくって、
適当にヘラヘラとして、
そんな風にしていきたい。

全人格労働 −オカシイと気が付いているのに、なぜ−

全人格労働という概念があるようだ


http://dot.asahi.com/aera/2016021500139.html

http://news.yahoo.co.jp/feature/154


特に、沖縄ではひどいと思う。



ざっくり云うと、
全人格労働とは労働に人生を奪われている状態のことを指す。


ワークライフバランスが完全に狂っている状態で、
仕事=生活
になっていて、
仕事に殉教して当たり前だ、
という風潮のこと。


電車が事故で止まり、
遅延しそうになっている状態の時に、
大事な会議に遅れないように、窓から線路に出て最寄りの駅まで歩いた男性がいて、
その事が原因でもっと大きな遅延が発生してしまう。


この男性は、
一人の大人の冷静な判断ができなくなるほどに、
仕事に追い込まれていることになる。


本来なら、
そこまでしてまで参加する会議などないはずだ。


しかし、
電車が事故で遅延しても、
それが会議に遅れたことと認められない社風の会社があるということだ。


確かに、
自分が沖縄で働いた工房がそうだった。


時給は213円。
仕事に尽くして当たり前で、
少しのミスで人格否定され、
他人の失敗も自分の責任にされ、
萎縮している自分を笑いものにして、
給料はしっかり払わず、
工房の経費も自分が払い、
嘘を他人に流布して僕を追い込み、
給料を払えなくなったから、言いたい放題悪口をいって一方的に辞めさせられた。


一般的に云えば、
雇用する側の意見もあるかと思うけど、
そうじゃなくて、
一方的雇用する側が悪い例も世の中多いはずだ。


しかし不思議なもので、
そういった理不尽なことを工房側から受けても、
何度も何度も一方的に自分が責められていると、
本当に自分が悪いのだと錯覚してくる。


これが洗脳なのだと思った。


特に沖縄は全人格労働の割合は高そうだ。


まず、
雇用者側の考え方に、
「雇ってやっている、給料を払ってやっている」
という考え方が根底にあって、
「払ってやっているんだから休みなく仕事に尽くすのが当たり前の責務だ」
という一方的な考えを持っている。


週7日勤務は当たり前、日にちが変わるまで働かされ、
たまの休みは市役所などに用事を済ませに言ったらおしまい。


これで、
「お前が必要だ」
とか云われても、
虫のいい言葉だし、自己中心的な考え方だ。


また、
沖縄の場合は給料が安いので、
このような労働条件でも月に15万円ほどもらえればいい方で、
経営者側は高級車に乗ってたり、
県内新聞の経営者インタビューでは虫のよい理想論を語っている。


おそらく、
国内では似たような会社は沢山あると思う。


もう一度、
ワークライフバランスを意識した生活づくりを考えてみる必要があるが、
生活難などから、
このような劣悪雇用から逃げ出せない人も居るかと思う。


こういう時に、
行政や政府がサポートして、
こういう悪循環から抜け出せるようなシステムを構築していく必要がある。




夏に近づきつつありますね、
季節の変わり目は体調を崩しがちです。


ぼちぼちマイペースでいきましょう。

強い者が勝つのではなく、勝つ者が強い

大リーガーの上原浩治選手の言葉で、
強い者が勝ち残るのではなく、
最後に勝ったものが強い、
という言葉があります。


上原浩治選手は、
高校時代はたいした成績は残せなかったようです。
黒田博樹選手もそうだったようです。


しかし、
2人とも現在でもプロの厳しい世界で現役を続けています。


強い者が勝ち残るのではなく、
勝ち残った者が強い…。


少し厳しい言葉のように聞こえます。


ですが、
僕は、
勝てなくてもいいけど、負けちゃだめ、
という風に理解してます。


実際に勝てるかは別として、
勝つための努力をして、
諦めそうで、負けそうな自分がいても、
最後まで努力するのとができて、
弱い自分に負けなければいいのだと思っています。


うつ病も同じかもしれません。
病気に打ち勝つのは大変だけど、
大事なところで負けなければいい。


勝てなくても、
最後まで負けないで病気と向き合うこと。


それができたらいいのだと思う。


ぼちぼちマイペースで。

前向きになれる時

前向きになれる時と、
なれない時がある。


日々の生活の中で、
あれをしなくちゃいけない、
これをしなくちゃいけない、
と、目の前の仕事をやっつけていく生活をしていると、
そのことに心がとらわれて、
仕事の効率が落ちたりする。


そうすると、
自分を肯定的にとらえられなくなって、
前向きに物事を考えられなくなる。


こういう時は、
自分自身で考え方を変えていくことは難しくて、
外からの刺激があると、
前向きになれたりする。


今日、NHKホンダジェットの開発秘話がやっていた。


同じモノづくりの人たちだけど、
規模も、
社会的な意味合いも、
僕のものとは比べ物にならない。


悩みぬいて、
困難に立ち向かっていく姿に、
とても感動した。


なんだか前向きになれた・・・。


前向きになれるきっかけは、
なかなか自分の中には見つけられない。


前向きになれないときは、
自分で悩んでいても解決しないで、
そういう時は人を頼っていいのだということ。


一人になると、
誰かに支えられて生きているということを忘れてしまう。


誰かに支えられてるとか、
支えてるとか、
気が付きづらいことに気が付けること・・・


町の中で梅の花が咲いた、とか、
今日は生暖かい風だ、とか、
今日の月の形はこんなだ、とか、
そういう変化に気が付けたり、
そういう変化に耳を澄ますことができる生活こそ幸せ。


前向きにさえなっていれば、
こういう変化に耳を澄ます余裕もあるのだと思う。


そうやって歳を重ねたい。


ぼちぼちマイペースで。

体調を気遣う

苦手な人がいて、
なるべくなら付き合いたくない。
とか、
自己中心的な人なので、
嫌いだ。


周囲にこういった人が居ることもあるかと思う。


こういう人には、
どんなに優しい言葉も響かない場合もある。


打っても響かない鐘のようで、
なんとも残念な人だ。


しかし、
こんな人でも、
年末年始の挨拶(年賀状など)をしなくてはならないときがある。


大人として、
嫌でもかかわらなくてはならない時もある。


こんな時は、
相手の体調を気遣うと当たり障りが無い。


健康の問題は、
生きていれば当たり前に直面することで、
気遣いをすることは、
万人に喜ばしいことと思う。
(それでも打っても響かない人もいるけど)


「寒い日がつづきますが、○○さんも、くれぐれもお体ご自愛くださいませ」


この一言をいれるだけで、
この人は自分の事を心配しているのだと分かる。


あたりさわりのない挨拶をする中で、
健康を気遣うことは、
お互いの距離を縮めるものかもしれない。


ぼちぼちマイペースで。

人から何を言われようが

さきほどNHKの番組で、
五郎丸選手が、
「人から何を言われようが信念を通すこと」
と言っていた。

気が付いてみたら、
僕は30代になっていて、
五郎丸選手は、先輩のようだが、
年齢的には年下になる。
(20代も後半になると一人の大人として先輩も後輩もないけど)


確かに、
嫌な奴はいるけど、
そいつらに何を言われようが、
自分の信じたことの大切さは、自分が一番知っているはずだ。


その大切なことに、
嘘をつかないで真剣に向き合うかどうかが、
その人の人生の満足度につながると思う。


真剣に取り組んで、
時には魂を削ってまで努力をしている人がいる。


そういう人を嫉むように、
あざ笑うように、あるいは冷笑的に、
人の努力を馬鹿にしたり、
笑ったりする人間がいる。


しかし、
強い信念をもってすれば、
そんな戯言は取るに足らず、
同じ志をもった友と前に進むことができるはずだ。


そんな中での冴えない一日、冴えない日常。
毎日が高いモチベーションではない。
そんなこと当たり前・・・


だけど、
それでもなお、心のどこかに信念の炎を消さないようにして、
再び心が晴れる時を待って、
前に進めればいい。


石にかじりついてでも、
信念を貫き、
曲がらない意思を持ち。
志を絶やさない。


挑む勇気をもって、
自分に謙虚に向き合う。


たった一つだけでいい。


五郎丸選手ならラグビー
白鵬関なら相撲、
自分なら染色。
(みんな同世代)


世の中から注目されても、
そうでなくても、
皆、それぞれに闘いがある。


25歳から35歳の10年間は、
自分がどのような人生にするのか、
深く考える時期なんだと思う。


僕の場合は、23歳から26歳くらいまでは寝たきり状態だった。
27歳で少しづつ復調を始めたと思う。
でも、
その時は今ほど良くなるとは思わなかった。


あと5年間、今後の自分がどうしたいのかという問いに対して、
態度で示していかなくてはならない。


一歩踏み出す勇気を持って。


焦らず、
その時を待って、進んでいく。


ぼちぼちマイペースで。