どこに畏れを見るか

会堂守の、建物にいなければならないもののとにかく暇で、神学書その他を読みあさった日々は、まだほんの2週間ほど前のことだったのだけれども、なんだかそれは遠い昔のようだ。
前任地(会堂守は飛ばして、主任牧師としての)では、飛ばし過ぎた。「おれが」教会をよくしてやる、みたいな潜在意識が、というよりも顕在的なそれがあった。当たり前だが、そんなことを教会員が歓迎するはずもなかった。わたしは、変わるか/変わらないか、に、目を注ぎ過ぎていた。
もちろん、日本基督教団においては教会は役員会制で、いろんなことを話しあって決めるのだから、変えるべきことはどんどん変えて、その時宜に適った改善をしてゆくべきだとは思う。ただ、わたしは信徒が改善/改悪の地平のシステム以上の何かを求めていることを忘れかけていた。
主に赦されてもう一度この地で牧師として、そして幼稚園の園長、理事長として、再出発することが許されたのであるから、むしろ今回は徹底して祈りの人として、これに当たりたい。祈りは聴くことから始まる。それは第一義的に神の声を聴くことであるが、殆ど同時に神が出会わせて下さった人の声を聴くことでもあるのだ。
わたしが遣わされたのは、地方の小さな教会だ。システムといったって、いろんな脆さもある。金銭的な限界もある。そういうことを「問題」という地平で捉えるのか。それとも、そこで出会う人に、イエス・キリストを見るのか。今日も礼拝後、涙する人に、わたしはありありとその背中をさするイエスを見た。畏れ。

そういうのもまた人間

3月31日
さあ、いよいよ新任地でのイースター礼拝だな。先週棕櫚の主日説教を東京の教会でやったはずなのだが、東京の日々が、もう遠い昔のように思われる。一緒に働いた先生から今朝励ましのメールを頂いて、あらためて「あれ?先週?」と思ってみたり。
4月1日(出張中)
自分を顧みて。信仰の証しも、内容があまりにも激動すぎる人生と、感動すぎるキリストとの出会いだと、場合によっては、聴き手が距離を感じてしまう(ちょっとひいてしまう)こともあり得るんだなあと。
疲れたんで、夕食に寄ったレストランで、珈琲をあまっあまに甘ったるくして飲んでる。うまい。
電車乗ろうとしたら、風で帽子が飛んだ。帽子のやつ、わたしのかたいあたまから解放されてうれしそうにころげ回り、水溜りで念入りに水あびしてくれたよ…
4月4日
出張疲れか、執拗な悪夢を見た。なぜか教会の人たちや家族までもが、わたしが教会のお金を横領していると確信し、いくら弁明しても「先生を信じていたのに、がっかりです」とか、「はやく皆さんに謝れ」とか返ってくる夢。夢のなかで怒り狂うわたし。きっと不安なんだろうな。
眩暈かな?と思っていたら、玄関へ向かって家がかなり傾いているようだ。
4月6日
このところへんな夢を見るな。部屋で友人たち(架空?)と談笑していたら、狼が突然乱入。噛みつかれ痛みと恐怖のなか、素手で格闘。「誰か手伝え!」と絶叫するも、彼らは恐がって見ているだけ。狼を殺したのだが、今度はわたしが化物扱いとなり、なぜか母から「お前は教会には受け入れられない」と。
友人たちが全く見に覚えのない面々だったから、これもやっぱり誰かに腹を立てているというのじゃなくて、疲れと不安の表出なんだろうな。今度の任地は自分には勿体ないほどの場所なので、失いたくない、みたいな。
なんせ3年近く無任所だったので、自分では意識していないけれど、「今度は失いたくない」「ここでなじんでゆきたい」みたいな執着はそうとうあるんだろうと思う。無理にそれを克服しようとしたり振り払おうとしたりしないで、そういう感覚もあるな、と、今は受け流しておきたい。

必死で週報フォーマット作ったり、書類の確認や幼稚園の会議に追われたりで、今頃になって今日が受難日だと気づくというorz
やっぱり学校法人の幼稚園は半端じゃない。前任地で園長やってた、って言っても宗教法人の小さな園。事務的な複雑さがまったく違う。ど素人の初心者、一から勉強しなおしだわこりゃ。とはいえ、やっぱりこれはこれで面白そう。仕事中も子どもらが次々に話しかけてくれる嬉しさよ。
あと、車を買った。中古車だけど。もう悩んでいる暇も選んでいる余裕もないので(車なしでは一切仕事にならないので)、店員の勧めるままに即決。

地デジ、映るの4チャンネルか。テレビの故障かと、真剣に何度も確かめてもたわ・・・
キリスト教保育連盟の関係集会への出席が初仕事。子どもへの保育者の接し方の、理論から実践に至るまでの講演を聴いたが、これってまんま他者論であり、牧会論じゃないかと、「またしても」納得。というのも、前任地でも保育理論や実践の話を聞くたびに、はたと膝を打ったから。
幼児という極端への収斂によって、人間論は先鋭化され、配慮は究極の選択を迫られ、福音の人間存在との関わりへの簡潔な理解が求められ。他者への鋭い切り込みであり、あらゆる無駄をそぎ落としつつ、しかもあらゆる迂回をも躊躇わぬ。保育者ってすごい。
わたしが教会で高齢者と接するのが好きなのは(あまり負担にならないのは)、前任地でも幼稚園での修練を与えていただいたからだと思う。ある世代への集中という意味において。ある世代への集中的思索が、逆に広い意味での人間一般への考察を開く契機となることもあるのだ。

別れ、出会い

上司夫妻と教会員2名と、手を帽子を千切れんばかりに振りあいつつ、桜が舞うなか、お世話になった教会および町を去る。ソメイヨシノ発祥の地で、去年だけでなくもう一度桜を見て、しかも桜に見送られ旅立つことができるなんて。神さまの、粋なおはからい。
任地に夕方到着、礼拝堂のゲストルームに仮住まい。明日は引っ越し荷物が到着予定。雨漏りや腐食など、老朽した牧師館だけれど、以前の牧師さんが自分で修理を重ねながら大切に使ってきたようだ。広いから嬉しい。近隣には民家もないから、大音量でレコードも聴けるだろう。
前任地で最初に住ませて貰った長屋の一室は、汲み取りトイレ、網戸は穴だらけ、畳は波打ち、雨が降ればダンゴムシたちが床下から「避難」してきたものだった。台所でカマキリの子等を蜘蛛が捕食するのを見ながら料理した。あれを基準にすれば、だいたいどんな住居でも大丈夫。

小雨ぱらつくなか、スタッフの一人が折畳み傘をさしかけていた。ベテランの「何やってんだお前!」。頑張れ、新米引っ越し屋さん。
右も左も分からず、毎日叱られながら仕事を覚えた郵便配達。ひたすら生活のために。生き延びるために。無任所教師の体験、忘れまい。
明日の出発を控えた晩に、この教会を長く支えた牧師から電話。昨日のわたしの働きへのねぎらいと、遣わされゆくにあたり激励と。感謝と畏れの至り。わたしも電話口で先生の健勝を覚え祈る。先生はGOD bless you.とだけ静かに返し、じゃあ元気でねと電話を切った。

分からない表情を

ぬいぐるみはおもしろい。craftholicの大きなぬいぐるみ二体を箱詰めするにあたり、連れ合いが「さみしそう」と言う。なるほど、箱に詰められるのを嫌がって仕方がないように見えてくる。
いよいよ明日は荷物運びだし。頭は次の任地のことでいっぱい。
今日は残念ながら、連れ合いは身心不調で礼拝出席できなかった。しかしわたしは彼女が居ると思って説教した。不在だからこそ、その存在が際立つこともある。また、わたしが礼拝に出て欲しいと願望しても現実に彼女が出られないからこそ、彼女の「他者」たることを実感もする。
最近つくづく思う。これは一般化できない、あくまでこのわたしの場合のことだが。礼拝に出られないことをはじめ、彼女がわたしの願望どおりに動かない/動けないことが、わたしが暴走することに対するブレーキとなる。わたしにとってのすべての他者体験の出発点である。
もちろん、夫婦元気ですばらしい牧師さんだってたくさんおられる。あくまで、わたしの場合。また、わたしが「ブレーキ」と思っていることが、彼女にとって、ひいては神から見て、祝福でもあるかもしれぬ。あくまでこのわたしについて言うなら、「なにもかも上手くいって」はいけないのだという気が、最近する。