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石岡良治の個人ブログ:経歴などはカテゴリ「プロフィール」をご覧下さい


by yishioka
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事後報告になりましたが、
PLANETS SPECIAL 2010 「ゼロ年代のすべて」の、
ゼロ年代カルチャー総括座談会 アニメ編に参加しました。
メンバーは、石岡良治×黒瀬陽平×中川大地×宇野常寛+有田シュン(司会)です。

もしかしたら、いくつかの「惜しい」作品に対する批判を含めて、抽出された議論を読む限り、還元的に映るところがあるかもしれません。(また、あの作品が挙がっていない、といった批判もありそうです)
しかしながら、実際の座談会では、かなり多くの作品が細部も含めて検討されました。座談会の参加者は、誰一人けっして「細部」を軽視しておらず、かといって「細部」に拘泥しすぎることもなかったと私は考えています。
限られた誌面のなか「ゼロ年代カルチャー総括」という点から、できるだけ焦点のブレないような発言を目指しました。
# by yishioka | 2009-12-31 23:10 | おしらせ
雑誌Review Houseの3号(タコシェの紹介ページ)の特集「批評」としてのゲーム実況動画に参加しました。
「「批評」としてのゲーム実況動画」
近年のゲームおよびゲーム批評の動向を、ニコニコ動画に大量アップされている実況中継動画を視野に入れながら考える特集。『アーキテクチャの生態系』の濱野智史、表象文化論の石岡良治、ゲーム評論の井上明人、編集人の一人・黒瀬陽平による70000字座談会を収録。

とあるように、文字数の多さだけでなく、「ルドロジーLudology」(ゲーム研究)の動向もふまえつつ、資料的にも充実を図った記事になっていると思います。
参加者の中で私一人が「団塊ジュニア」世代なこともあり、必然的にレトロ担当になった面があります。ですが、ゲームの「懐古」ではなく、「回顧と展望」をセットで考察すべくつとめました。

他の特集記事も充実しており、梅ラボさんによる表紙も含め、2010年代を見据えた誌面になっていると思います。

バックナンバーも含め、Amazonでも購入可能になっています。
01号
02号
03号

なお、Review House 02号には「ロバート・モリス:自己のスキャニング」を寄稿しています。(当ブログ「プロフィール」の論文参照)こちらもよろしくお願いします。
# by yishioka | 2009-12-31 22:37 | おしらせ
久々の更新になりますが、おしらせです。
『ユリイカ』2009年11月号に寄稿しました。
タイトルは「動物と植物に触れる━━伊藤若冲の動植綵絵」。

東京国立博物館の「皇室の名宝」展第一期(2009年10月6日(火)~11月3日(火・祝))で、動植綵絵全三十幅を含む若冲作品が展示されています。
正確に言うなら、釈迦三尊像を欠いていますが、同展のなかでも異質の存在感をみせています。
# by yishioka | 2009-10-24 02:51 | おしらせ
作業中の音楽では、同じ曲を延々と繰り返しがちですが、
ここしばらくは、地図がテーマの"Map Ref. 41°N 93°W "(日本語タイトルは「北緯41度西経93度」)をかけっぱなしにしています(Wire版の紹介記事)。
Wireのサードアルバム"154"に入っています。
特に気に入ってるのが以下のサビのフレーズ。
Interrupting my train of thought
Lines of longitude and latitude
Define and refine my altitude

とはいえ主に流しているのはWireのトリビュート盤"Whore"に所収のmy bloody valentine版です。原曲のコンセプトとはすっかり別物になっていますが、もともとマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのファンで、こちらから原曲に遡りました。

ここ十数年(!)、「MBVのニューアルバム」というネタが、音楽ジャーナリズムにおける時候の挨拶となっています。私も何度か引っかかりそうになりましたが……。近年は普通に再結成したものの、もっぱらほぼ同じ曲構成でライブを行っている様子。2008年には来日しましたが、実質的には1996年に発表の"Map Ref. 41°N 93°W "以来、新曲を出していないようです。
その意味では、このバンドは停滞した時間に閉じこめられたままとも言えるのですが、個人的にはあまりそういう印象がありません。それはいわゆる"timeless"な(金字塔となっているアルバム"loveless"に倣うところの)時間を獲得したからではなく(ときにそう考えたくなりますが、そんなことは不可能でしょう)、毎回ライブで長々とノイズパートを演奏する"You Made Me Realise"のような曲の印象が強いからかもしれません。このe.p.の聴取は、"Slow"や"Cigarette in Your Bed"などの曲も含め、けっして停滞とはいえない時間経験をもたらすように思えます。むしろある種の空間性に定位しているとでもいいましょうか。"マイブラ"の真骨頂が、アルバムではなく12インチシングル(レコード時代の呼称ですが)にあることとも関係しているのではないかと考えています。

しかし当の作業の方は、暑さもあってか停滞ぎみ。新ガジェットポメラの投入によって、可動性を高め、効率を上げていくつもりです。
# by yishioka | 2009-07-23 04:03 | 音楽
本日(現地では7月7日)葬儀がありましたが、6月25日(現地時間)の訃報を聞いて以来、マイケル・ジャクソンのことを折々考えています。
そこで『スペースチャンネル5 パート2』を購入。
しばらくプレイする時間がとれないため、まだスペースマイケル局長に会うには至っていませんが、今世紀に入ってからの貴重な音楽活動の一つと考えると感慨深いです。

フレッド・アステアと同じく、重力から解き放たれる瞬間が素晴らしいマイケル。

常々、ゲームに現れる「body」を、いわゆる狭義の身体論とは別の仕方で、しかもヴァーチュアル云々という議論と切り離して考えてみたいと思っているのですが、彼のダンスはちょうどよい機会になりそうです。「器官なき身体」と呼んでしまえばある意味簡単なのですが、むしろ天体heavenly bodyのような概念と関連させてみたい。というのも、やや話題は逸れますが、「メディウムの肌理に逆らう━━ロザリンド・クラウスにおけるポストメディウムの条件」の注30(164ページ)で、「メディウムとしてのスター」を考えるという課題を自らに課しているからです。スペースマイケル局長の存在は、「スター」の天体のような身体性を体現(ほとんど冗語のようですが)しているのではないでしょうか。マイケル・ジャクソンは「スター」のさらに上を行く「スーパースター」としかいいようのない存在で、ゆえに私は彼の全盛期には、ほとんど空気のような存在(すなわち媒質?)として遇していたような気がします。「スーパースター」はまた、アンディ・ウォーホルがエルヴィスやマリリン、エリザベス・テイラー(マイケルとの友情はよく知られています)などのために用意したカテゴリーでもあります。

数学における体Körperが、フランス語ではcorpsである一方、英語ではfieldになること(Wikipediaの体 (数学)より)もまた、示唆的なような気がします。数学には明るくないため考察に限界がありそうですが……。
# by yishioka | 2009-07-08 00:20 | ゲーム