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大船の、現在鎌倉女子大学がある場所は、かつて松竹の大船撮影所でした。撮影所が閉鎖されて女子大になるまでの間、松竹は「鎌倉シネマワールド」というテーマパークとして跡地を利用していました。しかし、あまり客が来なくて、1995 年にオープンしたのに 1998 年に閉園しました。そのシネマワールドに、僕は一度だけ行ったことがあります。例によって単なる思い付きで一緒に行く人を誘っていたら、歌人・枡野浩一も参加することになりました。 シネマワールドに着くと、その日のスケジュールが掲示されていて、午後からはお笑いのライブがあるようでした。出演者は、当時まだコンビだったバカリズム。それを見て、枡野さんが言いました。 そこで僕らは、ライブまでの間、テーマパークを見て回ったんですが、まあこれが、3 年で潰れるのも仕方ないと言うか、正直、何があったか殆ど記憶にない…。遠足気分でブラブラするには、丁度いい感じだった気がしますが。そうしているうち、コンビのバカリズムのライブが始まりました。そりゃ 20 年近く前だから、キャリアがなかったということもあるんでしょうが、どんなライブだったか記憶が全くありません。少なくとも、面白かったという記憶はない。当時の僕の個人的な感想ですが。 バカリズムのライブを見終わった歌人・枡野は言いました。 その後まもなくシネマワールドは閉鎖され(そもそも潰れると聞いて見に行ったんだけど)、バカリズム升野は面白くなって有名になり、歌人枡野はあの頃と本質的に何も変わっていないような気がします。結局、僕が鎌倉シネマワールドについて憶えているのは、歌人枡野のあの一言と、おみやげに手裏剣を買ったことです。 #
by de_kick_o_nice
| 2015-09-28 08:14
お台場のヴィーナスフォートと言えば、オープン当初はお高そうな、オタクに縁のないショッピング・モール、今は中国人の観光客だらけで、行ったことがないという人が多いかもしれません。しかし、併設されているトヨタのヒストリー・ガレージは、トヨタに限らない展示車のセンスが良く、しかも無料だし、他にアンティーク・ショップ「ストレンジラブ」にはフリーメーソン関連商品が充実しています。それに、意外にアイドル・イベントが多い場所として、現場系のアイドル・ファンにはよく知られています。2 階の最奥にある教会広場でイベントがある時には、あえて隣接するカフェでステージが見える席を取って、食事をしながらイベントを見るのもツウの楽しみ方の一つです。 そんな教会広場で、数年前に吉川友のイベントがあったので、行ってみました。調べてみると2011年10月4日。勝手知ったるヴィーナスフォートなので、良きタイミングで行ったら最前が取れました。イベントには、告知されていなかったスペシャル・ゲストが登場しました。それが、なぜか俳優の山下真司氏。確かに、初期の吉川友ファンにはエッグ期からの古参が多かった、イコール、平均年齢が低いと言えなかったので、『スクール☆ウォーズ』世代が少なくありませんでしたが。しかし何はともあれ、共演者のことは、たとえアイドルでなくても全力で盛り上げるのが、現場慣れしているアイドル・ファンの鉄則です。例えばラジオの公開録音では、客が目当てのアイドル以外の出演者に対しても盛り上がってくれるかどうかを、スタッフが気にします。アイドル・ファンの中には、自分の応援しているアイドル以外の共演者の出番で盛り上がらない方が、アイドルの人気をアピール出来ると思い込んでいる人がいて、それではスタッフが困るので、そういうことのないように公録前にスタッフが客にお願いすることがあります。逆に、目当てでない出演者の出番でも自主的に盛り上げてくれる客は、共演者にもスタッフにも喜ばれるので、同じ番組にまた呼んでもらいやすくなります。それに、黙って見てるより、盛り上がった方が楽しいしね。そういう訳で、僕はその日、山下真司が登場した時にも楽しく盛り上がっていたところ、客をいじりだした山下真司が僕のことを「おい、イソップ!」と呼ぶムチャ振りに出ました。『スクール☆ウォーズ』を見たことのない僕でも、自分がイソップ感ゼロであることくらい知っていましたが、そこで僕が逃げるのは鉄則に反するので受けて立ちました。僕が「山下真司公認イソップ」になったくだりは、ネット動画で公開されました(吉川友のイベントなのに)。 山下真司は、その後ステージで「くやしいです!」とかやってたんですが、それ、山下真司のセリフじゃないし。ザブングルの物真似の物真似だし。以前書いた、「ポニョの歌を歌う(大橋のぞみでなく)ポニョ役の声優の子」を見た時以上のモヤモヤを感じました。「ゆび祭り」のアンコールで指原莉乃が一人で「Yeah! めっちゃホリディ」を歌いだし、「え、指原、あやや好きなんだっけ?」と思って見てたら、間奏で迫り出しから誰かが上がって来ました。「まさかの、あやや本人登場? なるほど、本人光臨ありきのあややカバーか!」と納得しかかったところ、出てきたのは、はるな愛。しかも、口パクでなくあの声で指原と一緒に歌いだしたので、武道館の客が全員スッコケたんですが、それらを合わせて「僕が見た三大モヤモヤしたイベント」とさせて頂きます。 #
by de_kick_o_nice
| 2015-09-25 08:33
(つづき) 21 世紀になって初めて AKI と遭遇した場所は、新横浜駅の切符売場でした。ハロコン(ハロー!プロジェクトの合同コンサート)当日に。その日を境に、僕はハロプロ現場で頻繁に AKI と遭遇しました。 AKI がハロプロに興味を持ったきっかけは、プッチモニの「ちょこっと LOVE」のジャケットを見た時だったそうです。なんて可愛い子がいるんだろうと衝撃を受けたのが、ジャケットの向かって左の後藤真希、でなくて、右の保田圭。しばらく在宅ヲタだったそうですが、モーニング娘。5 期に新垣里沙が加入してハマり、ガキさんを見るためにハロプロのコンサートに通うようになったそうです。その後、僕も参加していたハロプロ系の DJ イベントに、AKI に「ガキさんに捧げる DJ」として出て貰ったりしましたが、まあ基本は会場で見かけたら挨拶する関係でした。 2003 年 7 月、今は無きよみうりランドオープンシアター EAST で行われた、カントリー娘。に紺野と藤本、通称カン紺藤の「浮気なハニーパイ」のリリース・イベントが行われた時のこと。当時モーニング娘。のメンバーであった藤本美貴と紺野あさみの握手会がレアだったこともあって、芝生席が埋まるほど客が集まったんですが(掟さんが酔っぱらって芝生に新聞を敷いて寝っ転がっていたのが印象的)、開演前に物販コーナーをブラブラしてたら、やっぱり遭遇した AKI がニヤニヤしながら僕を呼び寄せました。物販コーナーに貼ってあった、マジックで文字が書かれた白い紙を AKI がめくると、それは前年に EAST で行われたサン・ラ・アーケストラの来日ライブのポスターでした。ちょっといい話です。 ガキさんが卒業した後、AKI の推しはどうなったんだっけ。聞いた気もするけど、次に遭遇したら聞いてみよう。 #
by de_kick_o_nice
| 2015-09-23 09:23
AKI との思い出と言えば、クラブで朝まで踊って打ち上げの後そのまま 10 人位でレンタカーを借りて奥多摩へドライブして湖畔のラーメン屋でラーメン食べてるうちに夜になって八王子辺りの盆踊りを見てから都心に戻って解散した、のがサマージャム '90 か '91 辺りかな。また、AKI が渋谷インクスティック DJ バーでクラブ・イベントを主催すると聞いて見に行ったら、AKI 自身のライブの他に、「幻の名盤解放同盟」の、つまり根本敬氏と湯浅学氏の初クラブ DJ や、川西杏氏のライブや、結成直後でまだギタリストがいた電気グルーヴのライブ、といった今思うと貴重なパフォーマンスを見せて頂きました。あの頃 AKI は 20 歳かそこらでしたが、さすが「社長」と呼ばなきゃ振り向かなかっただけのことはあります。AKI は、一般的には「スチャダラパーのテーマ PT. 2」の PV にクイズ王として出て来るデブとして知られている、のかどうか知りませんが、日比谷野音にピチカート・ファイヴのライブを見に行ったら、野宮真貴の替わりに野宮真貴と同じ衣装を着た AKI が出て来て、客が呆気に取られる中、(今で言うところの)デス声で「万事快調」をラップしたのは、個人的に印象深かった出来事の一つです。 しかし、それらの事件より、AKI と言えば、「街中で異常に頻繁に遭遇する人」として記憶している人が多いかもしれません。「AKI との遭遇」について論じる時、除外しなければならない場所があります。コンサート会場やクラブ、六本木や渋谷クアトロの WAVE、青山ブックセンター。そういった場所で AKI に会うのは当たり前なので、ノーカウントです。「AKI との遭遇」と言えるのは、地下鉄の構内や人通りの少ない路上で、向こうからどう見ても AKI にしか見えない人が歩いて来るので、すれ違いざまに「久しぶり~」とか挨拶だけして去る、という類のもの。そんなことが年に数回ある、という人が、僕以外にも大勢いました。きっと AKI にとっては、意外な場所で会う人が大勢いて、僕はそのワン・オブ・ゼムだったのでしょう。それでも僕は 1990 年代後半に数年間 AKI と遭遇しなかった時期があって、むしろそれまで頻繁に遭遇していたのが普通じゃなかったんだろうと思っていたら、21 世紀になって意表を突かれる場所で AKI(エーケーアイ)と遭遇しました。 (つづく) #
by de_kick_o_nice
| 2015-09-21 08:19
マグロを真っ二つに切った断面を実際に、あるいはテレビで見たことがある人は、日本に大勢いるでしょうが、それを見ると僕はいつも思うことがあります。背骨の断面やら肉やら脂肪やらを見て思うのは、我々がいる世界は、もしかしたらこういう断面みたいなもんじゃないか、ということです。その場合、マグロの前後方向が時間軸です。マグロの断面がああいう風になっているのは、断面がそうであること自体に意味や目的があるわけでなく、マグロがマグロとして生きていけるように器官や組織や細胞が配置された結果です。仮に、マグロの断面という二次元世界が世界の全てであるという知的存在がいたとします。その存在が、その断面がどういう構造になっているかをほぼ正確に知り得たとしても、「何故」そのマグロの断面世界がそういう構造になっているかは解らないでしょう。そんなの、マグロ本体を知っている我々にとっては、「それがマグロの断面だから」と一言で済む話です。マグロの断面しか知り得ない存在は、マグロが全体として一つの生命であることなど知りようがありません。 人間は、この世界が何故存在するのかとか、こうなっている原因は何かとか、そういった理由や原因を求め続けて来ましたが、もしかしたらそんなもの、この宇宙の時間軸を含めた時空全体に理由や目的があって、時空全体を俯瞰出来る観察者が見たら「そんなの OO だから」の一言で済む話かもしれません。人間は、あらゆる手段を使って必死に考えて、マグロの真ん中ら辺の断面にいながら、「頭の方はこうなってるんじゃないか」とか「尾の方はこうなってるんじゃないか」と探り続け、遂には「マグロ全体は大体こんな形じゃないか」というところまでは想像出来るようになるかもしれないし、それは驚くべきことですが、それがマグロとして生きるための構造だというところまで理解出来るのでしょうか。ただし、もし「それはマグロが生きるため」と気付いたとしても、その外には、「では何故そのマグロが存在するのか」という疑問が現れて、キリがありませんが。 #
by de_kick_o_nice
| 2015-09-18 11:33
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