2024年4月19日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その424


ジャンヌダルいさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 某猫型ロボットのポケットに新たな道具の開発チームに配属され3つアイデアを出せと上司から命令があったらどんな道具のアイデアにしますか?


無限の夢があって悩む甲斐のあるすてきな質問です。

しかし一方で、今の僕には昔なら考えもしなかったひんやりした現実を突きつけられているような気がしないでもありません。というのも、いい年をしたおっさんはすでに「あんなこといいな、できたらいいな」とはあまり考えなくなっているからです。子どもたちと共有できるほどやわらかな夢を見るにはあまりにも多くの、それができりゃ苦労はしねえんだよ的な苦渋を味わいすぎている。

開発チームに配属されたものの一向にアイデアが出ず、年齢もあって早々にチームのお荷物として腫れ物扱いになり、誰も彼もがひそひそと自分の噂をしているように感じられ、終電を逃した駅のベンチで「こんなことならいっそ…」と思い詰める未来しか見えません。

そんな身も心も重たいリストラ間近の僕が提案したいのは、「絶賛マイク」です。

このマイクを通した発言は、どんなにしょうもないことであっても破壊的な説得力をもち、半径5メートル以内の人を強制的に同意させてしまいます。これさえあればひみつ道具開発チームのお荷物になることなく、すべてのプレゼンが圧倒的大多数の賛意を集め、リストラを回避できること請け合いです。ただあくまで同意させるだけなので、開発チームの生産性が著しく低下したあげく解体されるリスクもなくはないですが、そのへんはまあ、出世コースを邁進する優秀な同僚がどうにかしてくれるでしょう。人生の瀬戸際にある僕が考えることではない。

それからふと思いついてちょっとほしいのは「100年ボックス」です。電子レンジみたいなイメージで、中に入れたものの時間を前後100年まで操作できます。操作後の時間を新たな起点にリセットできるので、根気よく繰り返せばトータル1億年も可能です。たとえば今のスマホが100年後にどんなデバイスになっているのか、あるいはスマホに対応していると言えそうな道具を何年前まで遡れるのか、といったことが確認できます。スマホはちょっと多機能すぎて「機能をひとつに限定してください」みたいなエラーが出そうですけど。

明らかに対応するものが存在しない年代まで到達すると、中に入れたものは消えます。つまり、中に入れたものが歴史に登場する年代をある程度まで特定できるわけですね。特にいま当たり前にある料理なんかは、どこまで遡れるのか見てみたい。国民食であるカレーライスにしても昭和初期と今では作り方も味もぜんぜん違うっぽいし、今でこそおしゃれスイーツみたいなことになってるマカロンも最初は単なるクッキーみたいな菓子だったらしいですよ。

3つ目は「足の小指エアバッグ」です。タンスの角にぶつけても大丈夫、指先タイプと靴下タイプの2種類があります。

唯一の懸念はタンスという家具がこの先いつまで存在するのかという点ですが、仮にタンスが歴史から消え去ったとしても、足の小指はどうあれぶつけるものと相場が決まっているので、タンスに代わる新たな障壁が立ちはだかることになるでしょう。オーバーテクノロジーの粋を集めて、脆弱な足の小指を守ろう。

どれもこれも既出だったらすみません。こうなるとむしろ既出でないものがひとつでもあれば勝ちって感じもするな…。


A. 「絶賛マイク」「100年ボックス」「足の小指エアバッグ」の3点です。




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その425につづく!

2024年4月12日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その423


アタフタヌーンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 好きな食べ物は先に食べる派ですか?後に食べる派ですか?


これはですね、どシンプルに思えるし実際どうでもいいことこの上ない話ではあるんだけど、考え始めるとなかなか奥行きがあります。

先であれ後であれ理由は基本的にどちらも同じです。そのほうが喜びが大きい。ですよね?好きなものを食べることの意味と価値もそっくり同じはずだし、にもかかわらずなぜ人によって着地が真逆になるのかという話にはあんまりなりません。互いにわかり合うことなく「へぇ〜」で終わります。不思議というほかない。

今の僕はどちらかというと先に食べる派です。でも昔は迷わず最後に食べる派でした。どの時点で変わったのか、ぜんぜん記憶にありません。気づいたらそうなっていた。

それを踏まえてつらつら思い返してみると、後で食べるのは食べたらなくなってしまうという気持ちが大きく作用していたような気がします。昔は深く考えなかったし、最後のひと口が好物ってうれしいじゃんくらいにしか思ってなかったけど、突き詰めるとどうも失うことの悲しみを無意識に避けようとしていた節がある。ごはんはまだあるのにいちばん好きなものはもうない、みたいなね。でも最後のひと口なら食事も終わりなので、そんな気持ちになることもない。

とくに子どものころなんかは食事に対する主体性がかなり薄いし、次にいつ食べられるかわからないこともあってなおさら別れを惜しむようなところがあったかもしれません。

翻って今の僕は単純に食事ができることの喜びを、大げさでなく毎日ひしひしと感じています。この心境における好物にはもはやありがたみすら感じるくらいです。もちろん昔ほどたくさん食べなくなったとか、いちばん美味しいタイミングで食べたいとか他のいろんな要素が絡んでくるとはおもうけど、いずれにしても得られることの喜びが大きい。食べたらなくなることよりも、むしろ食べられることのほうに比重が置かれています。

以上のことから考えるに、好きな食べものを先に食べるか後に食べるかを決めるのはおそらく、「失うことの悲しみ」と「得られることの喜び」の天秤です。喜びに傾く場合は先に食べる、悲しみに傾く場合は後に食べる、ということですね。傾きが大きい場合もあれば小さい場合もあるから、白黒というより相対的かつ流動的で、これなら僕が立場を変えたのも頷けます。

そもそもそんなこと聞かれてないので回答としては一言で済むんですけど。


A. 今はわりと先に食べます。




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その424につづく!

2024年4月5日金曜日

あるひとりの女性についての気が遠くなるような長い話


今を去ること12年前、ひとりの女性があるミュージシャンの演奏に釘付けになりました。生で観たのか映像で観たのか失念してしまったけれど、とにかく一目で心奪われて、この人のことをもっと知りたいと思ったそうです。ほぼ恋ですね。

ところがそのミュージシャンはフロントマンではなく、バンドメンバーのひとりだったので、名前を知ることができません。クレジットもなかったと言います。たぶんソロアーティストのサポートで演奏していたんだとおもう。正確には違うかもだけど、そこはあまり重要ではない。

バックバンドとして常に固定されたメンバーならまだ追いようがあります。また、仮にその日たまたまサポートで演奏していた場合でも、ライブ中にメンバーを紹介したりもするでしょう。でも彼女はじぶんの心を奪ったミュージシャンが誰なのかを知ることはできなかった。

というのも、彼女が中国在住の中国人で、惹かれたミュージシャンが日本在住の日本人だったからです。

ググったりSNSでどうにかなりそうじゃんと思うかもしれませんが、ここにも2つの問題があります。12年前というと2010年代初頭であり、SNSも今ほど当たり前ではありません。僕がTwitterを始めたのだってたしか2010年です。すくなくとも「助けてフォロワー!」と叫んでみんなが応えてくれるような世界ではまだ全然なかった。

それ以上に、そもそも中国という国そのものが問題の解決を阻みます。ものすごく控えめに言って、かの地はインターネットにおける情報へのアクセスが日本や欧米諸国ほどオープンではありません。発信はもちろん、受信にも制限があって、ググればいいことにはまったくならないのです。

とはいえ今はその特異な環境について考えたいわけではないので、ここではひとまず知りたいことを自由に好きなだけネットで探れる環境ではないという点だけわかってもらえればよろしい。何しろ「解像度が低くて判別しづらい画像を手がかりに」とか探偵みたいなことを言っていたくらいだから、その苦難は推して知るべしです。

ともあれ彼女はそれから気が遠くなるほど長い年月をかけ、がんじがらめに制限された環境でもどうにか可能なありとあらゆる手を尽くしまくって、最終的に敬愛するミュージシャンへと辿り着きます。それがわりと最近の話です。

最初の一目惚れからゆうに10年以上が経過しています。完全な別人と勘違いしていた時期もあったそうだし、この人で間違いない!!!!と辿り着いたときの超新星爆発みたいな感動を想像するだけで、目頭が熱くなるじゃないですか?

満を持して彼女は文字どおり飛ぶように来日し、その期間中、件のミュージシャンが参加するすべてのライブに毎日、片っ端から通ったそうです。あとで聞いたら日本人である僕がググっても要領を得ないライブまで網羅していたので、その熱意たるや筆舌に尽くしがたいものがあります。よかった…。本当によかった…。

さて

ここまでは国境を越えたある種のラブストーリーみたいなものです。僕とは何の関係もありません。僕がこの話を知っているのは、例のミュージシャンと僕がたまたま長年の友人だったからです。僕はただ、友人から話を聞いて目を潤ませ、チーンと鼻をかんでいた観客のひとりにすぎません。このときはまだ、友人の大ファンである女性が僕の日々に登場する人物だとは想像もしていなかった。

今となってはそりゃまあそうかという気がしないでもないけれど、何しろ10年以上の歳月をかけて名も知らぬ異国のミュージシャンを探し当てた女性です。そこからごくごく細い線で繋がっていると言えなくもない僕にまでうっかり辿り着いてしまうのは、それほど不思議ではないかもしれない。ただ僕と友人のミュージシャンではやっていることがあまりに違いすぎます。たぶん同じステージに立ったのも、それこそ10年以上前に一度くらいしかありません。だいたい同じ日本人でさえ難儀する言葉過多なスタイル(僕のことです)に、日本語を解さない彼女が興味を示すとも思えない。

にもかかわらず彼女は僕に辿り着き、作品を耳にし、それでなくとも厄介な詞の数々を翻訳し(ここがいちばんびっくりした)、大意をつかんだ上でつい先日、巡り巡ってうちの人が営む古書店アルスクモノイで僕が店番をしているときに、訪ねてくれました。なんで???と今でもおもうけど、どうあれ出会ってしまったのだから仕方ありません。

僕がKiva(キワ)という彼女の通名を知ったのはこのときです。キワちゃんの髪がピンクで、背中に天使みたいな翼を背負っていて、全身カラフルで目もあやなファッションに身を包んだ、遠目からでもすぐわかる超キュートな女性であることも、ここで初めて知りました。

僕が今、ここでこうして彼女のことを書き連ねているのは、僕をフォローしてくれたからではありません。どうにかこうにか英語で交わす本当に些細な話の流れで、キワちゃんがピアノを弾く歌い手でもあることを知り、またその作品がどれも彼女の見目からはちょっと想像しづらい、ささやかでやさしい世界観に包まれていて、しかも彼女はそれを自ら語らなかったからです。

キワちゃんはじぶんの歌を聴いてほしいとは一言も口にしてはいません。僕があとで名前を検索して見つけただけです。まさかアルバムまで配信しているとは思わなかったし、ましてやそれがCDになっているなんて考えもしなかった。アピールは本当に全然、微塵もされていない。後日、僕らが聴いたことを知ったキワちゃん自身がびっくりして照れまくっていたくらいです。でもその歌と声は薄いガラスみたいに繊細で儚くて、可愛かった。人に対してはめちゃめちゃ積極的なのに、じぶんのこととなると途端に慎ましい、そのスタンスにキュッと心を掴まれたのです。

僕は目の前に大きなものと小さなものがあったら、小さなものに手を伸ばすタイプです。たぶんキワちゃんもそうだとおもう。でも彼女の歌は、どんなにまっすぐ伸ばしても紆余曲折になってしまうKBDGなんかよりもよほどストレートではるかに多くの人に届いていいはずのものだと、僕は信じて疑いません。

僕の影響力なんてせいぜい数十人に届くくらいのものでしかないかもしれないけれど、それでももしここを訪れてくれる人がいるなら、キワちゃんの歌にも耳を傾けてみてほしい。彼女の視線はいつでも本当にささやかな、僕らと同じ日々の片隅に注がれています。言葉がわからなくても、それだけで心を寄せる甲斐はまちがいなくあるし、しなやかな歌声とメロディで伝わるはずです。彼女の本名である「高宇婧」で検索してみてください(「婧」は正しくは女偏に青です)。


2024年3月29日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その422


キングオブ混沌さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 通勤するのに往復で2時間、自動車を運転しています。当初は「歌っていればすぐ着くし」と気楽に考えていましたが、毎日2時間うたうには体力が足りませんでした。そんなこんなで運転中(とくに帰路)の眠気が酷くて辛いです。何かよい方法があれば教えてください。


生きることの不条理が凝縮したような質問です。異星人なら脳裏が大量のクエスチョンマークで埋め尽くされることになるでしょう。職場へ瞬時に移動できるとか、100%自動で運転してくれるとか、眠いときにちょっと時間を止めておくとかすればいいじゃないかと高度な文明の価値観からは一蹴されてしまいそうですが、実際のところまだテクノロジーがそこまで到達していない地球においては、それが人生というものです。なぜと言われてもそんなのこっちが聞きたい。

眠気の克服に最も効果的なのは、言うまでもなく睡眠です。なのでまず第一に考えられる解決は、勤務時間中にめっちゃ寝ることです。仕事が進まず、クビになるリスクも著しく高まる上にそもそもなぜ車の運転をしているのかもちょっとわからなくなってきますが、少なくとも溌剌として元気いっぱいな帰宅の実現には有効であると言えましょう。

次に考えられるのは、勤務後にさんざん寝てから満を持して帰ることです。帰宅前に6時間も眠っておけば眠気の介入する余地はなくなります。そうなると帰宅とは何かという哲学的な問題が新たに生じないでもないですが、それはまた別の問題なので別の機会に考えたらよろしい。

ただ、これらの方法は言うまでもなく大きな犠牲を伴います。

長時間の運転における最大の問題は、いつ何が起きるかわからないので、運転中どれだけ平穏かつ退屈であっても常に最大限の注意を払い続けなくてはいけない点です。適度な刺激が必要なのに気を取られるわけにはいかないのだから、理不尽なことこの上ありません。

この理不尽に対抗できる策があるとすればそれはラジオをおいて他にないと、僕はおもいます。動画や映画と違って視線を奪われることもないし、会話と違ってリアクションを求められることもない。なんなら聞き流してもべつに困りません。

ひと昔前なら、ちょうどその時間に聞きたい番組がないことも当たり前にあって難渋したものですが、今はちがいます。radikoによって好きな番組を好きな時間に楽しめる時代です。毎日就寝後に流れている番組を、毎日帰宅時に聴くこともできます。それはつまり、すべての民放ラジオ局で最も聴きたい番組をいちばん聴きたいタイミングで気兼ねなく聴けるということであり、妥協どころか日々をより豊かにし得る可能性が高いということでもあるのです。

自分の嗜好にぴったりと合う、ラジオ番組を探しましょう。眠かった帰宅時の運転がめちゃ楽しみになってしまう可能性、あるとおもいます。


A. ラジオがあります。




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その423につづく!

2024年3月22日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その421


このブログには不適切な台詞や喫煙シーンが含まれていますが時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描いていたらよほどマシだったかもしれない本ブログの特性に鑑み2024年当時の表現をあえて使用して投稿していますさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 大吾さんは、眼鏡を外すとどのくらい見えないんですか?


そうですね、たとえばどこからどう見ても幽霊でなんなら全体的にちょっと透けている、白い着物を着た髪の長い女性が恨めしい面持ちでこちらをじっと見つめながら暗い夜道にひとり佇んでいたとしても、メガネを外した僕がこれを幽霊と認識することはできません。ん?とは思うし、何かいることくらいは察知するはずですが、よくわからないので素通りしてしまう可能性が高い。つまり、異形の存在がほとんど意味をなさないくらいの視力です。

これは昔から僕が不思議に思っていることのひとつなんだけど、幽霊にとっては視認されなければ人のかたちで現れる甲斐がありません。気配があって何かがいることはわかるのにぼんやりしていてよくわからない、というのはおそらく幽霊にとって、気配すら感じられないことよりもよほど屈辱的なはずです。僕が幽霊ならこの至近距離で目を細めながら首を傾げてんじゃないよと言いたい。

もちろん、どちらかといえば肉体よりも精神に作用する存在だろうし、視力はぜんぜん関係ない可能性もあります。ド級の近視であっても、幽霊だけはその表情から細部まではっきりくっきり見えるのかもしれない。しかしそうすると視界のすべてが0.01の視力で描き出されているのに、幽霊の輪郭内だけが1.5とか2.0で映されるという気持ちのわるいことになります。度数のちぐはぐな視界ほど気持ちのわるいものはありません。というかその場合は幽霊に対する視力が1.2なのか1.5なのか2.0なのかもはっきりしてほしいし、その度数は何によって決まるんだという新たな問題が生じます。

そうなるとたとえ物質的には存在しない幽霊であっても、近視では家とか道とか電柱と同じようにぼんやりしてよく見えないと考えるのが自然です。見えているかどうかわからないのにとりあえず化けて出てみるというのもいささか非効率すぎるし、僕が幽霊なら夢に出るとか別のアピールを考えます。

いずれにしても幽霊の存在意義を根本から疑ってしまうくらいの視力である、とは申せましょう。どちらかというと僕はオカルトをわりと好むほうなので、そういう意味でもやっぱりメガネは必要だなと思います。疑わなくてすむからね。


A. 幽霊が舌打ちをするくらい見えません。




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その422につづく!


2024年3月15日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その420


ファイナルファンタグレープさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. これから年末年始を楽しもうという時に財布を失くしてしまいました🥲立ち直るためのアドバイスをいただきたいです🙇


これが3ヶ月前の話であることはさておき、財布の紛失は人生における重大な事故のひとつです。財布には紙幣や硬貨だけでなく身分の証明になるものが含まれていたりするので、自分が何者であるかを客観的に示すことができなくなる恐れもあります。そうなるともはや紛失というよりむしろアイデンティティの喪失に近い。取り乱すのも無理はないし、金額どころの話ではないとも申せましょう。

おまけにタンスの角に足の小指をぶつけるのにも似た精神的苦痛が2週間くらい続きます。治療法といえば近しい人の慰めと時間(流れるだけで特に何かをしてくれるわけではない)くらいであり、残念ながら現代の医学ではどれだけ手を尽くしてもどうにもなりません。運が良ければまるで初めから何ごともなかったかのようにきれいさっぱり完治するし、運が悪ければ心の奥にまたひとつブラックホールができます。そういう病です。

人もまた広大な宇宙と同じく心にいくつかのブラックホールを抱えて生きているわけですが、そのひとつに財布が、ひいてはアイデンティティが秒速1万kmで飲み込まれると考えるのはなかなか趣があります。太陽すら豆つぶ扱いするブラックホールと秒速1万kmという鬼のようなスピードの前では僕らの自己同一性など原子ほどの意味もありません。況や財布についてをやというか、なんならちょっと夢があるような気もしてくるじゃないですか?そんな気はしないと言われたら僕もそうだよねと思いますけど。

しかし一方で、財布がアイデンティティに等しいとするなら、今ここでこうしてキーを叩いている僕はなんなのだという疑問も湧いてきます。たしかに僕らはこの肥溜めみたいな世界を生き抜くために財布の機嫌を伺う必要があるし、それは確かなことだけれども、僕らが僕らであることまで財布に委ねているかといったら断じてそうではありません。どちらかといえば主人は僕らであって、財布の立場は単なる管財人です。僕らが財布を失ったのではなく、財布が職務を放棄したと言うべきでしょう。職務放棄どころか、業務上横領まで含まれます。ふつうに考えたら、財布に対する告訴まで視野に入れるべきです。腕のいい弁護士を探しましょう。そして告訴の準備が整うころには、だいぶ気が紛れていると僕は思います。


A. 財布を告訴しましょう。




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その421につづく!