三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、古箒など、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風の生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れの残照が消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の水面 [みなも] の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方に蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折り重なった花弁をまとって仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。ゆるやかな下りの道に差しかかるころ、あたりは岩場めいてきて、踏まれる砂粒は荒涼とした響きを吐き、横から下から照り返す熱がこめかみや唇をくすぐった。湖は巨大だった。のみならず、太陽をすっぽり丸ごと呑めそうなほど、ひろく深く澄んでいた。すれ違うひとびとはみな、「こんにちは」と挨拶を交わした。帽子を被っていれば、指先でつばをちょっとつまんだり、手のひらであたまを押さえたり、そのまま片手に取ってからだの横に据えたりしながら、会釈やお辞儀を送り合った。見知った顔に出くわしたなら、ふたりは丁寧に、かつ快活に挨拶をして、休憩がてらそこらの石に腰掛けてかるく話をすることがあった。作物の出来や牛の体調、ここ数日の天気についてや星のめぐり、村で起こった由無し事など、他愛のない話だった。知人のひとりに、三、四層の楕円模様がぎょろりと睥睨するかのような、真っ赤に染め上げられた鳥類の羽根を帽子の片側に貼りつけている者がいた。どことも言うことのできない、村まであとどのくらい、村からもうどのくらいと、足と素肌に刻みこまれた歩みの声だけが告げ知らせる二、三の地点が山中にあった。

 おとといの帰路。九時過ぎ。勤務を終えて駅へ。電車に乗る。忘れられた傘をいくつか見かけた。車内では終始瞑目。Hで乗ってきたひとが向かいに座ったのでプレッシャーをちょっと感じた。Tに着いて降り、階段をのぼり、改札に向かうあいだもひとが多くてからだが緊張し、かすかに胃液があがってくるような反応をおぼえる。ちかくにもののないフロアのまんなからへんを歩くと平衡感覚が乱れてぐらつきかねないので、壁のある端を行く。改札を抜けて左に折れてからも同様。駅を出ると階段を下り、道を渡り、建物の角を回りこんでもうひとつ通りを渡り、セブンイレブンの角から向かいに渡って南下するあたりで道が暗くひとが少なくなるので、ようやく落ち着いた。T通りに出て東進。じきにファミリーマートがある。ここも角。コンビニの脇をすすんでいる時点で、横道のほうからなにやらにぎやかな声が聞こえている。角に出ると左からちいさな子どもが小走りで来て、そのあとに続くおとながストップ、ストップ、と笑いながら声をかけた。それに応じるようにこちらも立ち止まり、会釈をする。それから横断歩道の前にちょっとずれて寸時待つ。一団は幼子ふたりに両親らしき男女、さらに男性女性がひとりずつ。通りを渡ると歩道の端、商店のきわに寄って、追い抜かしてもらうようにした。子どもは男女ひとりずつで、女の子のほうが年下、うえは四、五歳、下は二、三歳という印象。快活に駆けていく。親らしい男女のどちらかはチャリに乗っていた。そのあとから続く女性は携帯をかまえていたので、動画を撮っていたのだとおもう。もうひとり、やはりチャリの男性がちょっと遅れて行く。子どもらとすれ違って前から来た若い男女が、めちゃ元気だね、とつぶやいていた。つぎの信号地点で一団は対岸のほうに渡っていった。男児のジャンパーのつよい水色が目に残る。直進。対岸にファミリーマートがあるところまで来ると空がすこしひらいて、見ればそれなりに大きな月が薄雲に巻かれて暈をひろげながらけっこう速やかにながれており、雲の隙間の半端にひらいた夜空の一片に差しかかると、開口部の具合でデフォルメされた横顔のように映る。TA通りと交わるおおきめの交差点を渡り、Rを過ぎ、病院の敷地にかかったところで道端に生えている下草の青さが街灯を降りかけられて鮮やかだった。草のなかにはタンポポの綿毛がいくつか見える。日曜日の往路もここでタンポポをいくつも見かけ、きれいに丸い球をふわっとなしているのをたましいみたいなとおもっていた。このとき見たのはそれよりもおおきく、綿毛の長さも微妙に不揃いとなって縁がやや乱れていて、一部剝がれているものもあり、ただしく成長することができなかった畸形のウニみたいな様相だった。月がいつの間にか雲を逃れている。真球ではない。ジャガイモみたいな、ちょっとごつごつした感じ。からだはけっこう疲れている。二時半ごろにものを食って以来不食だったので空っぽの感でよるべない。肩も痛くなってくる。病院敷地の角を折れて裏へ。東進し、踏切りを渡り、道なりに行ってH通りを渡り、左折してスーパーのほうへ。買い物の帰りによく通る裏道に入る。しずか。じぶんの鈍い足音が際立つ。周りの家で給湯器かなにかが稼働している響きもかすかに寄ってくる。その他マンホールが近づけばそのなかから次第にざわめき。月はまたもや雲に入っている。さきほど見たときよりもおぼろさが減って比較的はっきりしており、雲の内に固められたような質感。

 むかし、Tが、ブルガリアのやたら複雑な民族合唱みたいな音源を聞かせてくれたことがあって、きのうおとといあたりでそのことをおもいだし、昨晩LINEで、あれの元アルバムがわかるようだったら教えてくれと聞いておいた。ブルガリアではなくてジョージアだった。ニコニコ動画(https://www.nicovideo.jp/watch/sm3001116?ref=search_key_video&playlist=eyJ0eXBlIjoic2VhcmNoIiwiY29udGV4dCI6eyJrZXl3b3JkIjoiXHUzMGIwXHUzMGViXHUzMGI4XHUzMGEyXHUzMGYzXHUzMGZiXHUzMGRkXHUzMGVhXHUzMGQ1XHUzMGE5XHUzMGNiXHUzMGZjIiwic29ydEtleSI6ImhvdCIsInNvcnRPcmRlciI6Im5vbmUiLCJwYWdlIjoxLCJwYWdlU2l6ZSI6MzJ9fQ&ss_pos=1&ss_id=38671fa6-28e8-442a-ab27-e9caecde0d18)にあがっていたもので、Tも気になって調べたけれど元アルバムはわからなかったという。
 民族音楽方面だとむかし、地元の図書館で、チベットの仏教僧が集団で読経している音源を借りたことがあって、けっこうよかったおぼえがある。なんか民族音楽シリーズみたいなアルバムの一枚だったなとおもい、きのうだか検索したところ、これはたぶんキングレコードのTHE WORLD ROOTS MUSIC LIBRARYというシリーズだ。『チベット仏教の声明~ナムギェル学堂僧侶』というやつが当該の音源だとおもう。Amazon Musicにもあるのを確認したので、そのうちまた聞いてみる。

 日曜日、夜九時ごろギターを二回連続で弾いて録った。それが56番と57番。一度目をやっているあいだに父親が帰ってきていたようで、祭り関連の会合でYで飲んできたので酔っ払っており、いくらか荒いような声が上階に聞こえた。母親はたびたび、きょうもまた、きょうもまた、と頻回の飲み会に文句を漏らしており、「ベロベロになって」帰ってくるのがいやだと言っている。二回目を弾いているとちゅうで父親が下階に下りてきて寝室に行った。いつもそうなのだが、なにかしら文句めいたトーンでぶつぶつと独り言を言いながら、階段を下りたり部屋に入ったりし、部屋に入ったあとは寝床に横になっているはずだがそこでもよく独り言を漏らしている。携帯でラジオだかポッドキャストだかなにかの音声を流していることが多い。それで、あんまり大きな音を出しても悪いかとおもって、二回目のとちゅうからはしずかな演奏にした。
 それで一〇時。ギターをとなりの兄の部屋にかたづけて、自室のベッドで休んだ。窓を細めに開けた。雨が降っていた。ひどく落ち着いた。目を閉じてじっとしていると気持ちが良かった。いったいなんだろうなこの時間、この時空は、とおもった。なんだろうなというか、どこなんだろう、というか。時刻としては午後一〇時くらいなのだが、そんな数的区分がほんとうになんの意味もなさないような感じで、場所としても、自室のベッドにいることはわかっており、目を閉じているとはいえあたりのようすも思い浮かべようと思えば浮かべられるし、父親の声や、上階で母親のうごく気配が立ったりなくなったりするのも伝わってくるものの、それらは単に知的な理解としてそうとわかっているというだけのことで、この時空そのものの質感とはなんのかかわりも持っていないかのようにおもわれた。じぶんがたしかにいまここにいるには違いないのだけれど、そのいまここがどこなのかわからないというような、じぶんが存在していることが不思議になるような感じだった。そして例によって死をおもう。むかしよくあったのと同様、いつか死ぬなあ、とおもうだけで、それ以上はなにもない。感情も生まれないし、死ぬからどう生きようということもないし、じぶんはいつか死ぬという事実を漠然とおもうだけ。そうして雨音にひどく落ち着いており、リラックスしていて気持ちがいい。
 その後、アイロンかけをしようと上階へ。母親がテレビを見ており、『ミス・ターゲット』というドラマがながれていた。男がなにかの建物のまえで立って待っているところに、すこし可愛い子ぶったような声で「むねはるさん」と呼ぶのが聞こえて、待ち合わせ相手の女性があらわれる。男性はストライプの入った真っ青なスーツを着ており、ネクタイも翡翠の色味を弱くしてつやを落としたような薄緑色で、ずいぶん洒落た格好してんな、きれいな色だなとおもって口に出した。アイロン掛けをしながら見るともなしに最後まで見たが、とくにおもしろくはなかった。
 実家ではまた新聞も読んで、一面と二面をいくらか読み、国際面から書評欄まではアパートに持ってきたのだがまだ読んでいない。一面は自民党の政治資金規正法の改正案についてがトップというかいちばん右でおおきな扱いになっており、悪質な不記載があった場合は同額を国庫納付とするとか、いまの規制法では会計責任者への議員の責任に関して、「選任」と「監督」の両方で責任が認められなければ罰則に問えないらしく、公明党がどちらか一方でも議員の責任が認められれば違反とできる案を出しているのに自民も同じる方針とかあった。真ん中は團伊玖磨という作曲家の新資料が見つかったという報。左はリチャード・ハースというひとが二面にまたがって寄稿していて、今年の米大統領選にまつわって三つの危機の局面があると述べていた。ひとつは一一月の投票日まで。ひとつはそこから一月の就任まで。さいごのひとつは忘れたが、とうぜん大統領就任後ということになるはず。いま米国では下院の共和党の反対でウクライナ支援法案が可決できず、停滞しているらしい。また、バイデンが打ち出した南部国境の治安対策を強化する法案も共和党が反対して頓挫したというのだが、記事によれば、これはドナルド・トランプが、移民が多く流入したほうがバイデンへの支持が下がる、と信じているかららしく、共和党の議員たちはその意向を反映して反対行動に出たようだと観測が述べられていた。これはおかしな話だとおもった。「移民が多く流入したほうがバイデンへの支持が下がる」ということは、バイデンの治安強化案は、具体的な内容はわからないが、とうぜん、移民の流入数をいくらか減らすような効果を生むものだということだろう。だったらそれはまさしくトランプが望んでいた方向であるはずだ。まあ現状、とにかくもう一度大統領になりたいだろうから、(「移民が多く流入したほうがバイデンへの支持が下がる」という考えの信憑性はともかく)敵失を狙うというのは戦略としてはとうぜんではある。また、トランプとしてはもっと大規模に移民を排斥したいだろうから、バイデンのやりかたは甘っちょろいと見えるかもしれないし、大統領になってじぶんの手柄としてそれを敢行したいとおもうようなメンタリティの持ち主でもあるだろう、おそらく。しかしそれにしても、結局トランプにとっては、アメリカがどういう国かとか、どういう国であるべきかとか、移民がどうとか、本質的にはたぶんどうでもいいんだろうなという印象をおぼえた。ハースいわく、大統領選が接戦だった場合、結果への異議申し立てが起こる可能性が高いと。トランプが負けた場合はなおさらそう、というか、確実に起こるだろう。そうなると米国はその分断でゴタゴタするわけで、一般に国内のこうした問題でごたついている国が国際的に適切な影響力を及ぼすことは難しくなる、ということで、その機を狙って米国に敵対的な勢力がなんらかの動きを起こすかもしれない、と言われていた。もちろん、中国を念頭に置いているだろう。
 二面にはイスラエルがシリアのイラン大使館を攻撃したことに対するイランからの報復を受けてさらに行った再報復について報じられていた。イラン中部にイスファハンという町があり、その近郊にナタンツというところがあって、そこにある軍事施設だかを守るための防空レーダーがミサイル三発で攻撃されたという。ただこの情報を伝えているのは主にアメリカの消息筋とメディアで、イスラエルもイランも公式にはイスラエルからの攻撃があったと認めていないらしい。ただ、無人機による騒動があったということはイラン側は口にしているらしく、外相が、「無人機というより、子どものおもちゃのようなものだった」と発言したと記事にあったのだけれど、え、これはイスラエルを煽ってるんじゃないのか? とおもった。ぜんぜん大したことのない出来事で、何の心配も問題もない、という文脈だったとも考えられるけれど、ふつうに挑発的な発言のように聞こえる。
 日曜版の「旅を旅して」の連載はいつもなかなかおもしろい。今回は奈良県橿原市の今井町というところについてで、伊藤ていじという建築学者で工学院大学の学長も務めたというひとの八二年だったかの文章を一節引いていた。五〇年代に東大の助手だったときに調査でこの町をおとずれて、今西家住宅という特異な民家に出会い、伊藤のはたらきもあって五九年だったかにこれは国の重要文化財に指定されたと。ふつう民家というのは外観は質素にしながら内装に凝るものらしいのだが、この今西家は民家にしては「突っ張りすぎている」というようなつくりだったらしく、自由な精神のあふれている時代につくられたものだと感じた、みたいな伊藤のコメントが引かれていた。今井町というところはもとは寺内町で、江戸以前の中世期の街並みと江戸期の建築様式が残っているみたいな評価で貴重らしく、もともと自治都市だったのを織田信長に服属したものの、堺と並び称されたという。よそから来たひとはよく「ひとに教えたくない町」と言いながら帰っていくらしく、地元出身者や記者の感慨としても、ほかの地域や町と空気がぜんぜん違うと。写真を見るかぎりたしかによさそうで、ちょっと行ってみたい気はした。

 さきほど、八時半ごろ買い物へ。部屋を出ると通路の端に行って空中に手を差し出す。降るものはないので、扉のまえに引き返してそのまま鍵をかけ、階段を下りる。通路天井の蛍光灯があいかわらず自滅的に痙攣しており、視界がじらじらして目とあたまにいくらか悪そうだ。階段を下りているあいだもその明滅が映画とかMVで見られるようなある種の効果としてはたらき、空間が小刻みにふるえる。出ると右へ。路地を抜けて渡る。雨後だが大気はよどんでおらず澄みやかでなにか気持ちがよく、マスクを外していけば吸う空気は雑味が混じっておらず無臭で、対岸の自動販売機にならんだ飲み物の背景をなしている青色もきれいに見える。水たまりができるほどの降りではなかったらしい。道路のなかほど、T字の交差点がもう近いあたりにいくらか薄いたまりがあるくらいで、真っ黒に貼られた氷となっているその上を信号の色がななめに渡っており、こちらの歩に応じてそのまま横に滑っていく。路面はつややかに濡れており、信号灯の赤や黄色は輪郭のさだまらないすじとなってながく差し伸びている。T字の横断歩道を渡ると右折し、角を入ってH通り。両手をズボンのポケットに突っこんで気楽な感じでぶらぶら行く。上は無印良品の茶色いシャツだけだが肌寒さはなく、ちょうどいい空気の温度で、むしろ背がなんだかあたたかい。一軒の庭先にピンク色のツツジが咲いたり蕾のまま絞られたように固まったりしている。ツツジのあのしなやかでみずみずしい、場合によってはゼリーみたいな質感はけっこう官能的だ。ありていに言えばそこそこエロい。行くあいだに向かいの家で白かったり赤かったり紫だったりが小規模に群れているあれもツツジだろう。HA通りに至る。まだけっこうひとの通りがある印象だ。対岸には若者の一団とか、ヘッドフォンをつけた女性とかが見える。道路の左右の歩道に立ち並ぶイチョウの木は濃緑の葉を多く茂らせて、遠目に見ればそれ自体が細長いかたちをした一枚のおおきな葉として映じる。通りながら目をやれば幹には山椒の粉みたいな色の苔がたくさん生えている。横断歩道でちょっとだけ待ち、渡って入店。食い物を集める。BGMはさいしょ、けっこういい感じのヴィブラフォンのソロがながれており、"We've Only Just Begun"じゃないよな? と聞いていたが違う。ソロが終わるとちょっとフュージョンっぽいというかスムースジャズっぽいような、ポップな色合いが出てきていた。その後、"Dancing Queen"が流れていた。S氏をあいてに会計。整理台にひとはすくない。いちばん端まであるいていってものを整理。退店。渡る。いちどそこの口に入りかけたが、ここはきのうの帰りに通ったからべつのルートで行こうとおもい、右に折れて歩道をすすむ。インドカレーもしくはネパールカレーの店は入り口が開いていて音楽が聞こえていたが店内にはだれもおらず、奥の厨房のほうで母国語でなんやかや話している声が二、三あった。とちゅうの口から裏路地に。前方から近間のT大学の女子らが来る。五人。まえのふたりはチャリをともなっており、携帯で音楽をながして甘ったるい声でちょっと口ずさんでいた。うしろの三人のうちふたりは部活の後輩だか同輩だかわからないがだれかについてはなしていて、ひとりが、ああ言えばこう言うから、とちいさな声でつぶやくと、そ、ああいえばこういうよね、とひとりが受けて、過ぎたあと背後から、バスに乗れませんでした……いや考えろよ……と、その同輩だかに対する批判の文句がつづけて聞こえた。お好み焼き屋があるのでじきにいいにおいが漂ってくる。出て進み、コンビニの駐車場の縁を通って曲がり、てくてく行って細い道路、というのは行きに渡ったT字の交差点から地続きでいくらか南下したところなのだが、そこを渡って家々のあいだを行くとアパートのある路地に入る。公園。桜の木がもう全部葉になっており、しかもその葉の茂りがかなり豊かで一枚一枚もけっこう大きく見えて、間近で見上げると暗い分、量感がつよい。地元の山もそうだったがこの時期の緑の成長のはやさは驚きだ。数日見ていないと、あれ、もうこんなに? とおもわされる。空は一面灰色。仏壇の香炉にいっぱい溜まった線香の燃え滓よりは色濃い。

 きのうの出勤路。午後五時。雨はすでに止んでいたので、傘を持たなかった。裏を通り抜けていって街道を行く。中学生の下校時間。右側、対岸で、女子のひとりが奇声をあげていた。きょうはいつも裏にはいる老人ホームの角を過ぎてしばらく行く。白く小粒な丸っこい花がやたら群れなして垣根をなしている一軒がある。スズランだとおもっていたのだが、スズランなんて垣根にできる植物なのだろうかと疑問をおぼえていま検索してみたところ、これはスズランではなくてドウダンツツジというやつかもしれない。桜を過ぎてツツジの時季だ。日曜日、母親の車で実家に向かうあいだにも、ときおりツツジのよく咲いているのを窓のそとに見かけていた。T高校から出てきて渡った位置から裏道へ。丘の緑はまだらだが、新緑の色がだいぶ増えて軽やかなあかるさをしばしば挟んでいる。やはり日曜日の車のなかでも丘を見てあかるくなったなとおもったし、居間の南窓からとおくに見える山の印象も同様で、一週間前はまだこんなにみどりしていなかったとおもう。いまさっぱりとした緑色を塗られている部分は、一か月前にはまだほとんど枝のままで、エアブラシを吹きかけたようなおぼろな質感が何色ともつかず煙っているのみだったはず。常緑の連中はまだまだ暗く重いがそれでも色味を増してきている。裏通りのところどころには駐車スペースがある。そのうちのひとつに真っ赤な車が一台だけぽつんと停まっており、道路近くの手前は老残に白っぽく枯れたやれ茎がわだかまっていて、車の向こうで線路を上に乗せた短い土手の斜面はやはり明緑の草におおわれている。Oを越えてまもなく、左手、家の並びの向こうに、明暗の緑が同居したなかに熟しすぎたシソのような臙脂の葉の木が交わった一帯がある。H産業のひとが住んでいるとおもわれる家の脇から入っていくと小さな踏切りがあってその先なのだが、入っていったことはない。その家は駐車場と倉庫置き場を兼ねたようなスペースに接しており、そこにひとつ見上げる大きさの、梢が上下にも横にもたいそう広い広葉の大樹があって、むかしからさまざまな比喩やさわやかな葉鳴りをこちらに提供してきてくれた。やはり緑のみずみずしくなってきている葉叢は泡立つような感触で、内側のほうには茶色く変色した葉もけっこうあり、それが地に落ちてそのへんに転がっている。このとき、風はない。揺れや音はない。過ぎていきながら線路の向こうの樹木を見たり、やや遠くに視線を伸ばして山のほうの木々を見てみても、緑がすすんだなというおなじ印象をくりかえすばかり。頭上ではツバメがたくさん飛び回っている。羽根と尾をしっかり伸ばした、式神の札のようなシルエットで滑空し、電線に止まって鳴き声を落とすのがしばしば見られる。花屋の隣の一宅からやたらと声が立っていたのは、軒に巣があってそこの雛が鳴いていたのだろう。空は雲がそのまま地となった一面の白。

 「三人の子ども」のつぎの部分に、「あたりは岩めいてきて」みたいな言い方をつかおうとおもっていたのだけれど、この「〜〜めく」はこちらの独自言語じゃないかという疑いもあった。つまり、この「岩めく」は、こちらのなかでは、岩が多くなってくる、みたいなニュアンスなのだ。ちょっとだけ検索してみた感じだと、一般的にはたぶんこういう使われ方はしない。辞書的な定義からも逸脱しており、そこからけっこう拡張された意味合いだとおもう。じぶんが「〜〜めく」にこういうニュアンスまで含めるようになったのは、たぶん天気を書くときに、雲が多い空について「雲めく」という言い方をしたところからじゃないかという気がする。曇りっぽい、みたいな感覚で使っていたはず。「〜〜っぽくなる」というのは、通常の「〜〜めく」の意味の範疇に収まっていると言っていい。「春めく」はまさしく、春っぽくなってくる、ということだ。この「〜〜っぽくなる」が、じぶんのなかでは、「〜〜が多くなる」に拡張されたらしい。だから「あたりが岩めく」も、あたりが岩っぽくなってくる→岩が多くなってくる、というイメージだったのだ。こういう用法をしている例がないわけではないんじゃないかという気はするし、なんかの本で例を見たのでは? という気もするのだけれど、あんまり一般的ではなさそうなので、「三人の子ども」に使うかどうかわからない。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているそのうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風が生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れの残照が消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにもてあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折り重なった花弁をまとって仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。

 八時ごろ、買い物へ。部屋を出ると通路の天井、ちょうど階段を上がったところの頭上にある蛍光灯が、映写機のまわる音のようなこまかな響きをじりじり立てながら高速で明滅しており、おお、とおもった。視界にわるい。階段を下りてポストを確認するとそとへ。道路に降りるというよりは入り口からそのまま左にからだを回すような感じで脇のゴミ出しスペースに入る。あしたが古布の回収日なので、いらなくなったタオルなんかを詰めて縛ったビニール袋を階段の下にあたるちょっとした空間に置いておく。そうして道へ。部屋のなかでは肌着のシャツですこし暑いくらいだったが、外気に触れてみれば、そのうえにシャツをまとった格好だと涼しさがつよかった。しかし歩けばあたたまる。路地を出て向かいに渡り、左折してT字のほうへ。空は全面曇っており、細い電線は埋まってほとんど見えないくらいだ。まもなく顔にふれる粒があって、足もとをみれば点々と黒い染みもできており、降り出したのかとおもっているうちに感触はどんどんたしかになっていく。横断歩道を渡って右折し、H通りに入る角の敷地が、まえは駐車場だったはずだが、といって車が停まっているのをみたおぼえがないので空き地だったのかもしれないが、いや、以前ここにあった焼き鳥屋がつぶれたのでたぶんそれで空き地となったのだろう、ともかくそこにあたらしいものが建つようで、掘られた穴のなかに無数の四角で区分された金属のケージみたいなものが収められていくつか場所を区分けしており、横をあるけば上下で層をなしているその四角がぴったりかさなったりまたずれたりする。通りに曲がる。公園の木のこずえの色がもうなかなか濃い。ここをまっすぐ行くあいだに雨は順調に降り増して、アパートのダストボックスやらなにやらに当たる音が耳にはっきり届くようになり、対向者に傘を差しているひともいて、車が通ればライトのなかに雨線が詰まってみえる。HA通りに出て左折するとにわかに盛りだし、歩道に乗るころにはマスクの裏側に例のにおい、あたたまったアスファルトが雨に濡れてのぼらせるあの独特のにおいが入りこんできた。まいったなという感じだが、一過性の不安定な降りの気配もあり、帰るころには止んでいるのではと期待をいだいた。イチョウの木々はやはり夜でも青々と明晰な葉をつけだしている。あたまが濡れたので髪を前からうしろに向かってかきあげながら道路を渡った。スーパーにはいって回って買い物。米とか、その他もろもろの食い物。この時間は基本いつもそうだろうがレジはひとつしか稼働しておらず、こちらがならんだとき、ふたり前で大量のものたちを買ったひとの品を読みこんでいる最中で、ひとり前はカートをつかって籠にコーラのおおきなペットボトルとかをこれもたくさん入れた眼鏡の男性で、待っているうちに背後にもふたりばかし続くひとが来た。それでもふたり前がまだ終わらない。呼び出しベル押してほかの店員呼べばいいのにとおもいながら、壁の時計をみやったり、周辺に視線をてきとうにさまよわせたりしていると、ひとり前のひとが突然カートをともなって場をはなれ、通路をたどっていっていなくなった。後続が多いのをおもんぱかっていったん会計をやめたのかもしれない。買いたい品をおもいだしたのかもしれない。いずれにせよひとり分進み、台に籠を置いて会計へ。終えて荷物を整理すると退店。はいってきた女性のふたりをみるに傘を持っていたけれど、出れば雨はもうほとんど降っていなかった。散るばかり。好都合。横断歩道を渡って裏へ。濡れた路面に街灯の白さが反映してすじとも帯ともつかず曖昧に抜けてくる道のうえのひかりの道となり、その左右にか黒く塗りつぶされたいくつもの差しこみはちょうど虎縞の不均一だ。すすめば足もとの発光はうつりゆき、なくなる。空の色は変わっていない。のろい足が抜かされる。みれば禿頭の仕事帰りの年かさで、ショルダーバッグをななめにかけて右尻のあたりに本体を置き、真っ青な折りたたみ傘を左手で支えて、右手は歩くたび、ほとんど横に振れているのではないかというくらい、ななめに規則的にひらいては閉じていた。まるでその腕のうごきで推進しているかのようだ。道端にオレンジ色の地上灯がふたつあり、その色がこちらに向かってななめに伸びて、真っ黒な水のうすいたまりも街灯の白さのうえも横切る第三のすじとなっていた。ほどよく湿ってやわらかい風ににおいはない。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。だがそれは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風が生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れの雲によく似た青さのまんなかに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さに繁り、木もれ陽のつくる影の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周りに頻々とふるえた。

 Kさんからはいままで二、三回、金稼ぎの手段として、メルマガやったらどうですかといわれている。きょうの朝目覚めたあと、布団のなかでそのことをちょっとかんがえていたのだけれど、短篇小説とかの精読を連載みたいな感じでやるのはいいかもしれないとおもった。それこそムージルの「三人の女」とか。あるいは『族長の秋』を一ページ区切りでひたすら読んでいくとか。そういうことをやるとしたら、ですます調で書こうとおもった。いままでですます調でコンスタントに文章を書いたことはないので、そういう文体というか口調でやったときにどういう語り口になるのかという実験になる。くわえて、じぶんが精読したい作品をじっくり読んで理解を深める機会にもできる。今後の体調次第だが、週一だときつい気がするので、隔週配信で、値段は月三〇〇円だな。そのうちそういうことをはじめるかもしれない。

 きょうはKさんと通話だった。ともに『灯台へ』を三ページ読んだあと、雑談しているさいちゅうに、じぶんで書いた文章を金にするよりは、読み書きをしたいひとの手助けというかサポートをするほうが性に向いている、そっちのほうがやりたい、というと、じぶんはけっこう助かっていると返ってきた。「生煮え」のかんがえをここではなして聞いてもらえるので、ここではなしておくことでそれがあとでかたちになって日記に書けたりするので、と。ああ、それでいいんだよなあとおもった。それでいい、以上に、それがいいとすら言える。こちらがなにかを教えるとか伝えるとかよりも、受け手やはなし相手となることで、そのひとのなかからおのずとなにかあたらしいものが引き出されてくるような、そのひとのもとになにかがおとずれてくるような、すくなくともそういう余地をひらく媒介物になる、みたいなことをやりたい。塾の生徒にたいしてもそういうふうでありたい。英文法などを教えるのもまあおもしろいはおもしろいのでべつにいいのだけれど、パッケージ化された知識をたんに伝達するだけではやっぱりつまらんなあとおもう。塾は学習塾であり、学校の勉強や受験勉強をがんばるためのところなので、もとめられるのはとうぜんテストの点や成績をあげることであり、最終的には志望校に合格させることなので、なかなかうえみたいなことを積極的にはやりづらいのだけれど、契機はいろいろあるだろうし、勉強という枠組みを通しながらも、そのひと自身のなかにあったなにかがおのずから発展したり、変容したりしていく媒介物として機能できたらそれがいいなと。そうしてそのうち媒介物だったこちらのことは忘れてしまってください、という感じ。

 きのう、八時台に起きていって居間で食事を取ったとき、南窓のカーテンは開いており、ガラスの向こうの眺望があらわれていた。近間の屋根とか電線とかを越えた先、川のながれ自体はみえないがその向こう岸の林がはさまり、川向こうの地区の家屋根もいくらかのぞいていちばん果てに、山が窓のなかを横にひろく占めている。緑色はうすいところ濃いところあるがいずれくすみがつよくて初夏の青々とした充溢はまだまだで、なかに山桜のほのかな色が差し入っていたり、藤がもう咲くものなのか知らないけれど、対岸のいちばん手前にある寺のあたりにそれらしき色の縦すじもみえたりした。山といってもとくにうつくしくもなく、高くもない。風景としては平々凡々なもので、名勝や明媚の感はちっともない。実家のいいところはこうして居間にいながら視線を窓のそとのひろい空間に伸ばせることだなとおもった。視線が伸びれば気分もあきらかにすこし伸びやかになるし、応じて体感もちょっとほぐれる。
 二時ごろ母親の車で地元を発ち、Fまで来たあたりで、あそこに整骨院があるでしょ、といわれた。目がよくないので表示がよくみえなかったのだが、あそこがむかしは喫茶店で、お父さんのまえに付き合ってた彼氏とよく会ってた、という。そもそも父親のまえに恋人いたのかというはなしだったが、母親は直後に、その彼氏のことではなくてさらにそれよりまえ、たぶんNにつとめだしてまもないころに、先輩が紹介してくれるということで会った男のことを語りだした。Y沿いのピザ屋に行ったら、「きみって顔が丸いんだね」といわれて、「なんだこいつ」とおもったという。母親はたしかに若いころは顔が丸くて、こちらが生まれたころなんかもまだ丸く、いまはかなりほっそりとした人相になっているじぶんもおさないころはその丸顔を受け継いで可愛らしい幼児だった。うら若き母親はその丸顔を気にしていた。紹介されてはじめて会った男がいきなりその気にしている容貌を指摘してきたので、「なんだこいつ」とおもって先輩にはことわりを入れたという。馬鹿な男だなあとこちらは笑いつつ、あれじゃないか、ピザが丸いからそれをみてそうおもったんじゃないか、と言うと母親も笑った。それでそのつぎの、こちらは正式に付き合った彼氏について聞いてみると、なんだったか、バドミントンクラブ? だったかわすれたけれど、当時はたらくかたわらそういうサークルに出入りしていたらしく、そこで知り合ったらしい。三年くらいつづいたと言っていたか? まじめなひとだったという。なんで別れたのかと聞けば、なんか次第に、自然消滅、ということだった。兄が生まれたのが母親が二五歳だか四歳だかのときなので、二四歳ごろには父親と付き合っていたとかんがえていいだろう。それ以前なので二〇代前半だ。母親は高校を卒業すると車の免許を取ってはたらきだした。とにかく車に乗りたかった、という。それで車でHのほうまで通っていたこともあったといったか。Nでどういう仕事をしていたのかはそういえばいままで聞いたことがない。事務だったのか、売り子だったのか? 父親はさいしょは整備士として入ったはずだが、どういう出会いだったのかも聞いたことがない。
 おまえはだれかいないの? と聞いてきたので、ぜんぜんいない、とこたえ、めぐり合わせにまかせるといういつものことばをかえしておいた。

 Wからメール。めずらしい。Sが八月に帰国するらしいということで、集まりがあるかもとのこと。追って詳細と。相変わらず体調が悪いが今年に入ってからゆっくり回復しており、今後いっそう回復する予定なのでできたら参加したいと返しておいた。あちらも激務で、期待とストレスがかかりまくっているという。