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おそらく誰もやってこない、隠れブログ。その昔書き散らしたものを、さりげなく・・
Posted by - 2024.05.20,Mon
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Posted by proteus - 2011.12.22,Thu
休眠状態だったけれど、決してやめたわけではありません。
生涯にわたって続く見込みになっています。
気長に気長に続く予定です。

今回は75年に書いたものをいくつか投稿しました。
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Posted by proteus - 2011.12.22,Thu
まるで畳の目のように整然と並んで息づく群衆があり
それぞれの生活はちょうど君たちのそれであり
戦後のバラックであり、明治の洋館であり、夏の縁台であり
世説新語であり、通俗小説であり
プロレタリア文学であり、アパートに一人暮らしの君たちのそれであり
網の目状の電車の線路であり
バスの路線図であり
みんなの生活は違うようで、よく似ており
よく似ているようで、全く同一なこともあり
ああ、違おうと努力しているのが
わずかな色の違いでわかる
小さな目の中の色の違い。それも必要なことなのかな
それらを記述し始めると
書きとめることさえもバカバカしい、とりとめのない事ばかり
小さな目の色の違い
それも必要なことなのかな
群体になれば
巨大な意志となれる筈なのに

'75, 5/ 6
Posted by proteus - 2011.12.22,Thu
電気が消えると
一軒一軒の家は
今まで人の姿をして息づいていたのに
静かにミニチュアになる
立ち上がると
私らよりも背の高い、
触れると柔らかい家々は
昔、田んぼだった所に建っていて
アスファルトで固められた道路や
ぴんと張られた電線がまわりにある

訪れた私
一軒一軒の家は
人の姿をして息づき
立ちあがって威圧する

家の主と話することを終え
辞儀をして背を向けると
バタンとドアの閉まる音に
あ、私は家と話をしていた、とふと思い
夜はひとしお深くなり
電気も消えて
静かに家はミニチュアになる

家、目を閉じると
呼吸しているような、反復運動をくりかえしている、家々の並びが見える
拓かれたばかりの谷合に
駅の周りに
メガロポリスに
電気が消えると
一軒一軒の家は
人の姿をして息づいていたのに
しずかにミニチュアになる

'75, 4/ 7
Posted by proteus - 2011.12.22,Thu
子猫が夜闇で鳴いている
不確かな足取りで
背丈以上の草を押し分けて
足もしっぽも濡れて

どうして生まれてすぐに
虚空にある家々の窓を見上げねばならない
どうしてその声が聞こえてくるのか
彼の目は見えているのか
母親の匂いを覚えているのか
声はだんだんと小さくなっていく
彼がただの物ならば
生まれてすぐに一声あげて
死んで風化されていってもいいだろう
彼は小さな声で鳴いた
生まれてすぐに
不確かな足取りで
背丈以上の草を押し分けて
静かに、夜闇の露の中で

 '75, 4/ 6
Posted by proteus - 2011.12.22,Thu
人があらゆるすき間にも磯辺にも居て
友と語り合い、帰ったあとにも
まだ居るような空間が
そのあたりありそうな気がする

ここにも君の友達がいたのか
あそこには荷を頭に載せた人が歩いている
やがて年老い、老獪な顔つきとなった友と
まじめくさって話してた数年前の一瞬とが
交互に映り、だぶり、一枚の映像になっていく
一枚の生命の帯は
しなって垂れる芦原の茎の
風に揺れる様と同じ

騒げ風!
人があらゆるすき間にも野辺にも居て
すれ違った人々の、来た道の先での息づきと
行ったあとの息づかいとが
定かならぬままでも聞こえてくる
人はそこで人に諭してみたらいい、人生とやらを

そこにも君は居たのか
君よりも未来をよく知っている人がいる
一列に並んでぞろぞろと進み、脇へ退く群れ
老婆の託宣
一条のせんこうのけむり
君たちひとりひとりが立つ丸い石

 '75, 4/ 2
Posted by proteus - 2011.12.22,Thu
死にたくない
と言った写真の人達が子供だった頃
親達は食事の仕度に奔走し
きのうもあすも知らない
彼らはあやとりごっこをする

死にたくない
と言った写真の人達が
おとなになって命令し、命令され
威張った顔と捨てられた衣類とが
同じトランクに詰められていて
彼らの行動を
もっと知りたくなる

ぼくらも一緒
恋人も一緒
昔話の
おじいさんもおばあさんも一緒
町へ出ていった息子達も
ベッドに横たわって、虚空に立ちのぼる白い息を互いに見つめながら

さっきつかまえかけた心の変化を
理解出来ない神秘事にして、黙るのも悲しい
理詰めで納得するのも同じ
死にたくない
と言った写真の人達の
写真の上で表情しているその顔色が
帰るべき体をなくして
水たまりの水面でゆらゆらと揺らぐに似ている
日がもっと照れば
かげろうになって立ち昇る
雨が降れば沫立つ
くもれば
ぼくらの顔が写る

'75/2/25
Posted by proteus - 2011.12.22,Thu
どうしても不完全な私は
白い吐息のように虚空に向かって完全に消えたい
人は笑顔をしていたか
父母は空しい期待をしていたのか
私は楽しくすごしていたのか

さよならと言いたい
さよならと言って
また言いたいと言っているのだから
ほんとに言い切ってしまいたい
あ、数多くの仲間達が居て
かれらは小さくなっていく
今消えようとしている
ひとりふたり
かれらはみんな同じ顔をしていて
言いたいこと言えず
うずくまるのなら
別れの挨拶もせず
しおのひくようにさよならしたい

'75/2/21
Posted by proteus - 2008.06.29,Sun
ちょっとだけ若い目の頃のものです。
Posted by proteus - 2008.06.29,Sun
瀬を行く
淵を行く
流れの中で
一回転して
思わぬ後ろの光景を見る
私たちの目に映じた後ろの光景以上のものは
どんなに分厚い歴史の書物の中にさえもなかった
眩しく語られる伝説も五十音の内でしかない。不定かな神話も同様

大きく曲がると鉄道が見えてくる
線路も急カーブしていて
ライトは素早く一面を照らし出し
そしてトンネルの中を照らし出す
線路がその奥へ、ずっと続いているのが見えても
あまりに真っ暗で、奥は行き止まりのように感じられる
ぼくらのすることもこの中で終わり、
トンネルは必ず向こうへ抜けていると、信じられない時がある
時の流れと同じ早さで流れているから
ずっと以前に経験した筈の峡谷の風景を、再び見て
全く新しい平野の風景の中にも入り込んでいくだろう

きのうも下っていた
きのうも遡る列車も見た
川を下る列車も見た
行方は知らない
私の行方も知らない
地図でみると分水嶺はここだ
河口はここだ
線路と川はここまで一緒だ
時の流れと同じ早さで流れ
ずっと以前のよく似た光景に出会い
全く新しい景色の中に入る
それらはいつも前にあり
決して振り返ることは出来ないのだが
思わぬ後ろの光景を見たということは
急に流れが緩やかになって起こった
ごく稀にある自然現象なのさ

'74, 4/14
Posted by proteus - 2008.06.29,Sun
走ってきたのだ
あなたたちが
石を拾い上げて
首を傾げたところから

私にはあなたが見えるけれど
あなたたちは更に書物をひろげて
私を調べようとするばかり
たずねてほしいけれど
私は、道にただよっている匂いだ
なんだてことを人は知らない

ほこりで薄黒く汚れた
窓がすぐ道に面している古い通りに
車が一台通ると
人は軒下に身をすり寄せ
私ははじきとばされる
やがて油の中の水のように
玉になって落ちてきて
身を震わせながら大きな玉になる

私は走ってやってきたのだ
あなたたちが
土を掘り起こして
首を傾げたところから

たずねてほしいけれど
私は、車窓から外を眺めて過ぎる旅行者の目には見えない
あなたたちは
石を並べ、土くれを並べて考えるだけ。
私にはあなたが見えるけれど
あなたたちは更に書物をひろげて考えるばかり
たずねてほしいけれど
私は道にただよっている匂いだから
目をこちらに向けて

 '74, 3/19
Posted by proteus - 2008.04.26,Sat
カビが生えそうなっていたので、ひさしぶりに投稿をしました。そのうち溜まっているものをドカッと行くかも知れません。
とりあえず昔のお気に入りのものをちょこちょこと投稿です。
Posted by proteus - 2008.04.26,Sat
のれんをくぐると
わあーわあー言っている声と共に
未来の見える椅子に座ってしまう
ビールがコップに注がれる毎に
とんでもない未来が見え始めて
最初はゼリーみたいに軟らかく透明だったのに
口角に泡をとばしてしゃべっているうちに
固まりはじめて、とっくりみたいにことんとテーブルの上に、音を立てて倒れる
その頃はだいぶまわっていて、とっくりだかしゃっくりだか何だかよく区別が付けられなくなるが
確かに、そこには確かな未来があり
すぐにでも叶いそうだったのに
時計の針が閉店時間を指すと
シンデレラみたいに慌ててのれんの外へ出ていく
電車が酔っぱらいながら駅に入ってくる
ぼくらはしらふのしぐさで乗り込む

ビールが注がれる毎に
期待している未来が現れて
ゆらゆらと揺れながらぼくらを誘い
すぐにでも行けそうなのに
朝、目が覚めると夢のような気もする
服に居酒屋のにおいが残っていて

'78, 2/21
Posted by proteus - 2007.09.11,Tue
雨のふる日は南風がやんわりと吹いていて
ホームに降り立つと一面に潮の匂いがする
ときどき、嗅ぐこのある匂いだが
海なんてものは、敢えて行かなければ見えないものだと思っていたのに
この先にある幾何学的な形の海ではなくて
遠くでしか見ることのできない本物の潮のしるしをみるようだ
海の上に行ってしまうと、潮の匂いなどというものは殆ど分からなくなり
海に対する気持ちまでも醒めてしまう
エンジンの音とキャビンのざわめきばかりで
上陸して、目的地へ向かうことばかり思う

今日のような日
海での印象がさまざま呼びおこされて
それらはだんだんと遠く小さくうすれていくものだが
このような日にふいに形が現れてくる
当時の口調や、つねづね想っていたことまでが再現してくる
かすれた部分は補修されて

79.6.17(8/19)
Posted by proteus - 2007.09.11,Tue
海から少し離れているのに
電車から降りると、大阪駅のホームの上には潮の匂いが漂っていた
海の方角はあちら、と指し示す方には
大きなビルが建ち並んでいて、いつも殺風景で
あまり落ち着いて過ごしたことのないホームの上に
今日、少し湿り気味の風に乗って潮の匂いがやってくる
どこかの海岸べりの駅に立っているみたいだ
旅先でも何でもない、いつもの道筋にも
思いもよらない自然な情景をみさせてくれて
歩いている人々まで、違った感じで見ることが出来るようになる

また、潮の匂いがする女性がいる
本人も気付かないかすかな匂い
ごく普通にそぶりするだけで
この匂いの中にときめかせるものを含ませている
しかし足早な雑踏にまぎれて
目前の出札口あたりで消えてしまう
ああ残念
さまざまな人のすれちがいから吐き出される、さまざまな匂いに巻き込まれて
明るい店先で、潮の夢は消えてなくなる

'79.7.25
Posted by proteus - 2007.09.11,Tue
去年を思い出しているのではなくて
はるかな昔が想い返されるんだ
求めていたものが得られなかった半年はなく
求めていなかったことまで降りかかってきて
大変疲れてしまう歴史物語が、絵巻になって現れてくる
どこに自分がある? どこに冴えている自分がいる
いくらか自分が変わって
求めにいく行動の出来るようにと
ふらりと行った瀬戸内だが
ずっと昔に、脇見する余裕もなく去った兵士の姿が浮かんでは消え
ふわふわと漂う自分があるだけ
本当は翻弄されて、そこで一所懸命に呑まれまいとしたかったのに
揺れる波間の、一人や二人くらいなら居ることの出来る波の静かな所にいて安穏な生活をしている
本当は翻弄されるのはいやだけど
ドラマチックな思い出のないというのも何とも貴重な体験

君はそんなサンプルか
ぼくは  本当は、 本当はーーー、
たぷたぷと揺れる波に、こっくりこっくりと頷いてしまう

'79.5.21-22
Posted by proteus - 2007.08.13,Mon
いずれは、系統立てて行きたいと思っていたけれど、それには草稿のままのものを整理しないといけない。
まえまえからブログにアップを機会に整理したいと思っていたのですが、まあぼちぼちと整理することにするか。と言っても年単位のスパンだけど。
Posted by proteus - 2007.08.13,Mon
今まで
数えきれないくらい
あっただろう
アルゴー船の乗組員が
帆綱に手をかけた時にも
ユーフラテスやガンジスの河原でも
比丘の一団が石に腰かけた時でも
はるか北では隊商が、毎日のように見ただろう
まぶしそうにうつむきながら

至る所で
その手を休ませるように
夕暮れが訪れてくる
見向きもせぬ人と深呼吸する人
じっと体を晒すと
シルエットは皆
同じ

きのうホームに降りた時
電車と駅舎の間の
せまい四角い空にも見た
言うべき言葉は分からなくても
見慣れた仕草で見遣った夕景色は
次の壁に掛けるべき新しい絵
                               '72,10/23
Posted by proteus - 2007.08.12,Sun
そもそも詩を書くきっかけとなったのは、会社の同僚に文学好きがいて、彼にすすめられて社内報に投稿して幾ばくかの報酬を貰ってしまったことに始まります。
そののち、誉められたことに調子に乗って書き続け、その友人に誘われて当時は大阪の法円坂にあった小野十三郎さんの大阪文学学校に入学して、ちょっとだけ(2年ほど)詩作の勉強をしました。
さらに当時あった「詩と思想」に投稿して掲載されたこともありました。この月刊誌、休刊になっていた筈なのに検索してみると現在も刊行されていたのかとびっくり。「その昔」からみると30年、私も詩作から離れていたこともあって知らなかったけれど、なんだかいろいろあったようです。
Posted by proteus - 2007.08.11,Sat
231.Ⅰ「出発の前の晩のさまざまなおもい」

そこにうずくまるべき場所があり
何千年もの長い間、私の殻は居続けることが出来ると信じる
しばらくの間、私は自分の殻を眺め
声には出さぬけれど、雄叫びをあげる気持ちで
ついさっきまで、どうしても出来なかった事柄を、
全部してくるために出かけることにする

ひとつのことをするたびに
肉付けされて大きくなり
持ちきれるいっぱいの能力はやがて飽和する
そこにうずくまるべき場所があり
昔、地上を歩き回っていた私がある
愛すべきあいつに
この力こぶを与えてやりたいと
ゆびさし、みつめる
棺に入ってから物語が始まっては何にもならないから
そこからゆびさして、更に力を送ってみる
'78, 8/ 7


232.Ⅱ「道すがらおもうこと」

私の住む町と変わりのない雲が浮かび
同じ暑さの空気があり、ざわめきがある
腕を抉って、死ぬまで消えない程の傷を
体当たりしてでも、そこで得ようと決心するが
傷つくすれすれで止めてしまう
言い訳は”ちょっと一服”だけど
あとは必ず気が変わって逃げることになっている
よく似た景色の、微妙に違うところへ切り込んでいけば
必ず自分を含めた絵になって、いつまでも残り、それが目的になるが
素通りには何もぶちあたるものはなく
入っていく空隙なんてものも見えないので
疲れた顔して次のページに入って行くばかり
そこにまだ私は登場しない。端役にさえまだなっていない
途中下車してみようか。乗り換えてみようか
鼻をひくひくさせて匂いを追ってみるが、今は鼻がちょっと利かないので一服
'78, 8/13


233.Ⅲ「海を渡っていくものら」

凪いでいる海がある
小さなスクリュー音と
耳をこする風の音がある
思い立って渡ろうとする、遙か大昔から
目には見えない程の小さなものらが、その海を渡っている
快いリズムを口ずさみながら
まさしく大行進である。
快速艇が波を蹴立てて去っても
動ずることもなく波に乗りながら、黙々と進み
岸に着くとそのままどこかへ消える
だから島は彼らの体でふくらんでいて、海の色とよく似ることがある。

彼らは、海が日を照り返す時
その加減で一瞬見えることがあり
私達の住んでいる都会の中や、平野の中では気がつく機会さえないが
見えたからと言って、何があると言うこともなく
彼らが海を渡っていく後ろ姿を見る時
彼らこそ生き物が住むところ、全部を覆っている香りであることが信じられる
吸い込むとそれぞれの場で最もしっくりしている
見ろ。彼らのリズムが聞こえる
勇壮で、少し悲しそうで、ほんの少し愛嬌のある
見上げても、見上げきれない空のその下
視野いっぱいの、島の前の海面一面に
目を凝らしてみると、ほんとに居るのかと思う程の彼らだが
リズムを切って進んでいくのが見える
もし見えなければ
きっと、その日はちょっと、天気が悪かったに違いない
'78, 8/14


234.Ⅳ「海峡と島とみなと」
変わらない海峡に
時代ごと、時間ごとの船が進んでいく
ある日、ある時、船に乗って通り抜ける
向こうに取り立てて目新しいものはないが
通り抜けたことは一つの儀式だった
一つの船を選んでやってきたこと
凪いでいれば、霞んでいれば、風が少しあれば
それぞれの第一印象があり
正面の島は良くも悪くも逃げていったところ
三千年の樹齢だいう大きな楠木が
新しい逃亡者を迎える
島の住人達が迎えに来る
けれど、人に会うためにやってきたのではなかった
昔から、ここにやってきた人々には
逃げた結果が、ここに来たというだけのことなのに
またこの社会に馴染まなければならなくなる
昔から、さして変わっていないだろうこの海峡を
それぞれの時代の想い巡らせで、やってきて
興奮し、あるいは無感動にやり過ごし
ひらける新しい海は、やはり潮の味がし
みなとではきのうも嗅いだ、誰かのふかしているタバコの匂いがする
'78, 8/17


235.Ⅴ「見えたもの見えなかったもの」

帰ってくると
誰でも手にすることの出来るみやげと
置き忘れてきたものとで
天秤は微妙にゆれる
ここにさえある情景のエッセンスを
敢えて求めて出かけた
やむにやまれぬ訳と結果を
いま、ポケットから探す

何もないという事は決してなかった筈
絶対にあるのだから気付かれぬように自分の匂いを消し
見えるもの全てを賞でることの出来るように と
確か、そのような覚え書きを入れていたように思うが
ポケットはなぜか軽く
帰ってきて日がたつにつれて、形のはっきりしてくる旅の印象のために
うっかり洗濯してしまった紙切れみたいに
ぼろぼろになって出てきて、もう読めない

きっと見ることも出来たろうに
まだ目が見えないのか
よく馴染んでいないのか
気配があってすら、避けていたような気がする。
もう少しの間、目をしばたたかせて
ぱっちりした目で新しい一歩で
新しい形の自分と見えなかったものを、見つける
'78, 8/22


一つの旅行によって書かれた、それぞれ独立した詩五編を一つにまとめ、大バッハのひそみに倣ってカプリチョと名付けてみた。作詩の際のイメージは、VivaldiのstringsConcertoRV141etc.(イムジチ)から 。場所は愛媛大三島。
Posted by proteus - 2007.08.05,Sun
バッハの顰みならって、一連のものをまとめた作品「カプリチォ」を最初に掲載します。
ブログのタイトルも同じく「カプリチォ」としました。
今改めて読んでみると、20才代のそれらは気負いすぎていてかなり恥ずかしいものです。

「なにげに」という今風の言葉で、これらを世間の前に出しておくことにします。
昔なら地下街の隅っこで自作の詩集を売っていたあれの現代版です。
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