書かなさすぎ...
前回からだと
46か月ぶり
前々回からだと
96が月ぶり
っていうか、もう終了しているような感じじゃんね。
でも、記録が残っているのはありがたい。
とっても、ありがたい。
過去のことは日記にしていない限り覚えきっていないし
覚えてるのは難しい。
備忘録としても残っているんだね。
・.
●・足跡
・.
●・足跡
あけましておめでとうございます
何年ぶり?
まぁ、そんなで
書いてみようかなぁと…
とりあえず
ʢ•·̫•ʡ
チュ~
・.
●・足跡
読んでいて思ったことは 計算の「やり方」に重点を置いて 手段としての計算なのか文章表現としての計算なのか それとも、そんなことは無視しているのか ぜんぜんわかりませんでした。 例えば、「3×5」とだけあれば答えの「15」だけあればいいのでしょうけど 掛け算は足し算の発展したものと考えれば 3×5=3+3+3+3+3 なのか 3×5=5+5+5 なのか答えを導き出す過程が異なってきます。 導き出し方が異なっても答えを出す意味が同じならば 違う考え方ということでOKでしょう。 もし、「3本足の椅子が5脚あります。全部で足の数はいくつでしょう?」という問題であるならば 3+3+3+3+3 と普通は考えるでしょう。3本足の椅子で1セットなのですから そして、「5本足の椅子が3脚あります。全部で足の数はいくつでしょう?」という問題であるならば 5+5+5 と考えるでしょう。 それぞれの考え方を理解して 3×5または5×3と書くのであれば問題は少ないはずです。 文章を理解して計算式を導き出し、導いた式を解くのであって 導いた式から問題を解くのではないのです つまり、問題が出たときに 3本足の椅子5脚ならば (3+3+3+3+3)=(3×5)=(5×3)=15 という図式があれば掛け算は答えを出す導くための式なのですからどちらでもOKではないでしょうか でも、同じ問題で (5+5+5)=(3×5)=(5×3)=15 という風に答えを導き出したら…… さらにこの問題の後に 「5脚のうち2脚に足を1本ずつ足して4本足の椅子を作りました。全部で足の数はいくつでしょう?」 となった場合の計算式はどのように考えるのでしょうかね? (3+1)+(3+1)+3+3+3=(4×2)+(3×3)=17ですか それとも? 必要なのは「なぜこの式が導き出されたか?」であって 「どうやって式から問題を導き出すか?」ではないでしょう。 これらを理解して自分が計算しやすいように計算するかはあくまでも理解した後の話。 「日本語の文章問題から○を△すると□になるから ○×△=□ と書かなくてはならない。」 という理論は文章理解とそれを「説明する」ための表現方法と本質を説くことであり 数学を解くための形式を固定して覚えるなんてのはあまり意味を持たない気がする。 問題を解くアプローチを勉強するのであって答えそのものが勉強ではない。 ならば、省略せずに全てを教えて理解してもらって、そこから自分が計算しやすいように考え方を固定すればいい。 省略した結果をなぜ省略したかも説明せずに「こうだから」と固定した考え方を教えるのは そりゃ、柔らかい頭を持つ人間が少なくなるのは当たり前でしょう。 |