不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

四月二九日、仕事でした

 家ラーメンを食べて出掛けて、都内某所で仕事を一件済ませ、今度は会社へ行って作業。夕方にはひと段落つけて帰って、休日はこれからだと言いたかったがもう疲れていたので何もできず、ただただだらっとして今日が終わった。暦通りなので当然明日も会社。可能性は考えてはいたものの、やっぱり休みなしの仕事はしんどい、何とか乗り切りたい、こんな事ばかりを言っている、何とかせねば。

四月二八日、回復に勤しむ

 力尽きて書けなかった、昨夜のTHE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2024 “SHINE“の感想、なんだか想像以上にえらく長くなってしまったが書きました。

 そのライブで声を出しすぎて、また全身ではしゃぎすぎて(周りの迷惑にはなっていなかった、たぶん)、朝から絶不調である、咳も出る。とはいえ、こうなるとは予想していたので今日はとにかくぐうたらして回復に勤しむ。まずは飯だと駅前に出ると目当ての焼肉屋が満員だったのでイタリアンへ、こちらもうまいので問題なし。古本屋、本屋をまわり、今シーズン初のめちゃうまアイスを舐めながら公園のベンチでのんびりする、緑が気持ちいい。あとは家に帰ってひたすらのんびりし、『光る君へ』の後には久しぶりに夜の散歩にも出る。

THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2024 “SHINE ON”/俺たちと君たちの歌

 いきなり別のミュージシャンの話を書き始めるが、チバユウスケという人は物語を背負わなかった人だった。むろん歴史(history)はあるけれど物語(story)を自らの言葉にする事は半ば拒否していたのではないかとずっと思っていたが、『音楽と人』追悼インタビュー号を読んでみたら改めてそうだとわかる、歌詞の解釈含めて語らなかった。一方で吉井和哉という人は自覚しているのか無自覚なのか、幸か不幸か、歴史も物語(his-story)も全てを背負おうとするし、また背負わざるを得ない運命にいるように思う。名曲“JAM”の発売エピソード、結成記念日12月28日をいつまでも大切にしている事、活動休止・解散そして再集結、アニバーサリードームツアーの最後のドームが潰れ、そのリベンジがおそらくあの状況での世界で初めての大規模ライブであった事*1、ソロ活動からバンド再始動に被さった自らの病気……枚挙にいとまがなく、そしてそのほとんどをファンに曝け出してきた。
 
 無駄にチバの名前をあげたわけではなく、thee michelle gun elephantThe Yellow Monkeyには人を介した因縁があり、それは調べていただければすぐにわかると思うが、チバが亡くなる前に吉井和哉はソロの時にカバーした“世界の終わり”を配信している、何というタイミングだろう、そしてこの日のライブと同日、ARABAKI ROCK FEST.24にて吉井と仲が良い奥田民生がミッシェルのメンバーと共に“世界の終わり”をカバーしたという。これらもまた物語を背負ってしまう運命にいるからなのかと運命論が好きではない私ですらそんな事を考えてしまう。

 その一つの果てとしてたどり着いた今回のドームライブは、言うまでもなく何かしらを背負ってのものだったのは間違いない。冒頭に「大ヒットはないけど、代表曲を揃えた」と宣言したセットリストはたしかにシングル曲オンパレードで、総花ベストアルバム的セットリストは大味になるもので今回もその感は否めなかったものの、ザ・イエローモンキーというバンドの歴史をまさに物語るものであったし、新曲三曲の披露はもちろん、間に挟まれた“ROCK STAR”“ 人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)”“SUCK OF LIFE”もこれぞという真髄の選曲であった。

 全体的に音が小さかったのはメンバーが歓声を聞きたかったからだろう(吉井は何度もイヤモニを外していた)、私を含めた五万人の声と歓声は美しいものであった。だが、中盤から吉井の声はかなりしんどそうになってきて、“SUCK”の時にはこれで本編を終えてセットリストを短縮する事もやむを得ないのではないかとすら(勝手に)思っていたのに、そのまま“LOVE LOVE SHOW”に繋げたのは驚いた。コール&レスポンスを巧みに使っていたのはさすが百戦錬磨の手腕。それだけ辛かったにもかかわらず、後で聞いたところによるとダブルアンコールの“Welcome to my doghouse”はその場でやる事を決めたというのだから、《The Yellow Monkeyというバンドは、ステージ上では完璧なファンタジーとして君臨していたけれど、その裏で彼らがそのために肉体と魂を削っている》*2のだと強く感じた。

 ライブ単体として見れば、率直に言ってバンドの演奏はアンサンブルとしてはふわふわして安定感がなくやや精彩を欠いていたと思う。だが、万全ではない吉井を最大限バックアップしようとする気遣いが各メンバーからはっきりと見てとれた。ギターソロパフォーマンスはこれまでにもあったものの、ドラムソロ、ベースソロのパフォーマンスまで入れ込んだのは吉井の喉の負担を減らすためだったはずで、「吉井を支えきれなかった」と解散時に言った後悔を繰り返すまいとする覚悟と気迫がビシバシと伝わってきたし、個々のパフォーマンスはよかったと思う。

 2020年の呪いを解く“バラ色の日々”、万感を込めたであろう“人生の終わり”(事前のドキュメントフィルムはあそこまで闘病の裏側を明らかにするとは思わずたじろくほどであったが、そういう曝け出す姿こそが彼らで、それが好きなんだよなぁ)、そしてやはり2020年に捧げた祈りに応える再びこの世界を真っ赤に染めた“JAM”が白眉。個人的にはまさかのオープニング“バラ色の日々”とMVでの初披露曲”復活の日“がいまの自分に突き刺さるもので(後者に至っては、吉井と年齢が近く、同じバンドボーカルで、決して近くはないが遠くもない縁があったチバとBUCK-TICK櫻井敦司の事も頭に浮かんだ)、その歌詞と音の響きにそのまま倒れてしまいたくなった。あの曲を音源で聴くのが本当に楽しみだ。

 それなりに長い年月、吉井和哉の姿を見続けてきたが、これほどうれしいたのしいだいすきしあわせと全身から発している姿は初めて見たと思う。2001年、同じ東京ドームで行われた活動休止(実質の解散)ライブの最後のMCで虚しく響いた「我がイエローモンキーは永久に不滅です!」が、四半世紀近く経った同じ場所で同じように言って、これほど深く幸せな響きになると誰が思っただろう。本調子までの道のりは遠く険しく、今回も大変だったろうけど、この日この場所この時間にあなたたちと過ごし、一緒に歌えて、こちらもうれしいたのしいだいすきしあわせでした。この時間がなるべく長く続きますよう。待っています、愛してるよ。

ファンの存在を初めて認識した

 カミさんが「友人に誘われて横浜スタジアムの野球を見に行ってくる」と言うので、その友人がベイスターズか相手チームのファンなのだなと思っていたら、「いや、DEENのファン」と言うから、もう少し詳しく話を聞いてみた。

「メンバーが始球式に出るの?」
「ううん。ライブするんだって」
DEENハマスタで」
「そういう連日イベントみたい。一個前がリンドバーグで、その前が米米クラブ
「何だろう、一貫性があるようでないようである気がするラインナップ」
「でもその二つはライブ中止になったらしい」
「なんで」
「試合が長引いて、時間なくなったって」
「ライブの方が時間調整できるんだから先にやればいいのに」
「そうしたらファンが帰っちゃうんじゃない?」
「あ、そっか。ジャニーズとバレーでそんなトラブルあったよな」
「こうなってくると、私はファンではないのにDEENが見たくなってきている」
「まぁ間違った感情ではないな」

 結果、DEENのライブはあったそうな。まだ帰ってきていないので感想は後ほど聞いてみる。日記を書いたらまたもや仕事の愚痴になったので(月曜も仕事になった)、今日もある会話をお送りしました。カテゴリータグを作っておこうかな。

追記:カミさん「DEENではなく、FIELD OF VIEWでした。お詫びして訂正いたします。試合はおもしろかったし、ライブもよかったです」

今日の会話

「自販機でほうじ茶のペットボトルを押したら、白葡萄ソーダが出てきた」
「それは当たりか外れか」
「価格はこっちの方が高いから当たりかな」
「入れ間違えかね。じゃあ白葡萄ソーダを押したらほうじ茶が出てくるのかな」
「その自販機に白葡萄ソーダなかったんだよね」
「え。じゃあなんでや」
「たぶん、外のガワを変えるのを忘れたんじゃないかな」
「冷静だな。味はどうだった」
「おいしかったよ」

 誰かが報告して直すものなのか、次の補填までそのままなのか。

鴨南蛮なのかも

 鴨汁つけ麺なるものを食べたら、一口目に思ったのが「うまい、鴨南蛮そばみたいだ」だったのはいいのか悪いのか。料理を別の料理でたとえるのはおかしいよなと思いながら、カミさんに一口あげたら「鴨南蛮みたいだね」と言っていたのでやっぱりそうだよねと頷いてしまった。だが、それを店主に聞かせるのは悪いのではないか、鴨汁つけ麺であって鴨南蛮そばではないのだから、と思ったがちょうどその場から離れていたのでセーフ。いや、考えてみれば薬味としてゆずとわざびをつけていた、そんな組み合わせならば最初から鴨南蛮そば風を狙っていたのかもしれない、だったら七味唐辛子の方が欲しかった、次は七味をください。

ミミゲー

 右耳の出入り口付近に一本だけ耳毛がひょっこりと生えている、らしい。自分の目で確認した事はなく、カミさんに言われて知り、目立つようになったらカミさんに抜いてもらっている。今朝抜いたのを見せてもらったら結構な長さになっていた、その付近を指で触っても存在に気づかない。毛が生える場所は基本的には意味があるはずだが、こういう場違いなひょっこり一本毛は一体どういうメカニズムで生えるようになるのだろう。カミさんと住んでいなかったら(あるいは出会っていなかったら)一生この毛の存在を知らなかったかもしれない、いやいまカミさんがいなくなったら耳毛があるかどうかもわからなくなる。シュレーディンガーの猫ならぬシュレーディンガーの耳毛、この言い換えは合っているのでしょうか。