2011年3月3日木曜日

英語学習歴?!その2

高校生以降の学習歴についてつぶやきます。

とその前に、中学の時「音」に「意味」がある原体験を海外でしました。
ときは中二の夏。場所はアラスカ州です。
北の果てのイメージの強い?アラスカですが・・・
さらに北の果ての果てバロー岬というところに旅行したんです。

なんで?
伯父と伯母に「お前も来るか?」と誘われて「行く!」と答えたからです。

空港、ホテル、レストランといった本来は日常の状況からお盆なのに・・・流氷!白夜!シロクマの天日干し!といった非日常の状況に至るまであらゆるものが新鮮で興奮の連続でした。

そう、そのとき「英語」が教室の狭い世界から飛び出したんです。
英語使用体験にまつわる鮮明な記憶は、”scrambled eggs”事件?!

ホテルそばの食堂で朝食を注文する場面。
Big Mamaって感じのおばちゃんが卵の焼き方を、ものすごぉーくゆーったりと尋ねます。
“Up? Down? Or Scrambled?”(約10秒)

○○,please!と答えりゃいいものを、英検4級受験の知識を総動員して
どぎまぎしながら中二の私は答えます。
“I..I like to have scrambled eggS!”
ところが!件のおばちゃん、ぽかぁんと口をあけてます。明らかに通じていません。
「そうだ!たぶんeggsのsいらないんだ!」言い直します。
“I like to have a scrambled egg!”おばちゃん、今度はしかめっ面です。
そばにいる伯父や伯母は苦闘する甥っ子の様子を黙って見過ごしてます。楽しんでたみたい。

この場を切り抜ける手段は妥協と諦め・・・から”Up,please.”と言いました。
おばちゃんは満足げにニッコリ笑いました。

無事に運ばれた目玉焼きを食べながら悲しいやら悔しいやら情けないやら
その後3日連続で、同じレストランに通いました。
けどとうとう、scrambled eggsにはありつけませんでした。なにかが違ったのです。
食べ物に絡んだ失敗談だったので、あの時の悔しさたるやいまだに忘れませぇん。
アンカレッジ Inlet Innそばの食堂のおばちゃーん!再チャレンジさせてくれぇー。

えーと、
高校生になった私は、片道一時間半もかけて通っていました。
親にはホントにあらゆる点で迷惑をかけました。
その通学時間に英語の勉強してましたね。
単語覚えたり例文覚えたりブツブツブツブツ唱えてました。
怪訝なまなざしを受けつつも、この時間がとっても好きでした。
授業はじめの小テストも、とってもいい外発的動機づけになっていました。
ああ、今某大外国語学部で講師やっている同級生がいるんですが、こいつとも真剣な!遊び感覚?で競り合ってました(笑)
模試も「英語」だけは時間目いっぱい使ってやりましたね。模試業者から表彰されたりもしたっけ。「英語」だけですけどね。

あと一番の思い出は『百万人の英語』っていうラジオ番組に出たこと。
知る人ぞ知る?!「ハイディ矢野のアメリカンイングリッシュ道場」っていう発音矯正コーナーに出たんです。world直されました。未だにS先生からも「あ!その/r/!」といって直されてます。scramble eggsも/r/に原因がありそうです。だとするとまだ通じないのか(汗)
さらに、この番組O先生も出演したそうで・・・「テープもらった!ジャンパーもらった!ステッカーもらった!」と二人して大はしゃぎしちゃいました。

大学に入ってからは音韻論っていうのをやりました。
担当の先生の研究室はいろんな特殊な機械が整然と並んでいて、さながら秘密基地のようでした。てなわけで?!私の卒論のテーマは”A study of epenthetic vowels in Japanese”なるものでして「どぉしてstrikeは日本語だとsutoraikuになるんだ?」という素朴な疑問と真剣に向き合いました。中学生やら大学生相手にロシア語の単語を聴いてもらって、口蓋化子音後にどんな母音を添加するかを調べました。結果、デフォルト母音/u/がものすごく多く出現しました。統計検定はかけなかったんですが、結構な時間をつかって実験準備やら分析しましたね。凝り性なんですかね。で、「書院」っていうワープロ使ってはじめて英語による論文を書き上げました。

とりとめない内容なのでこのへんでお開きとします。
それにしても昨晩からの寒さは身にしみますね。
風邪など、ひかないよう気をつけましょうね。

2011年3月1日火曜日

のんびり、はじめます。英語学習歴?!

同級生がきっかけをあたえてくれたので、はじめてみます。まぁ、のんびりと気が向いたら更新していきます。第一弾は「英語学習歴」について。英語教育ブログみんなで書けば怖くない!企画(http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/2011/0301/p1)に便乗させていただきます。内容は研修仲間とのメールのやりとりから適当に抜粋してみまぁす。ちょっと横道にそれますが、それもまぁ御愛嬌ということで勘弁してくださいな。


とりあえず中学卒業あたりまでの記憶をたどります。


うんと幼いころ(45歳ごろのおぼろげな記憶)
父親が面白半分にアルファベットを教えてくれました。
Beautiful Sundayって歌が大好きで、滅茶苦茶な英語で物まねしてました。お風呂でよく歌ってました。そういえばピンクレディーの「ウーーウォンティッド♪」っていうのも英語か?!よく踊ってました(笑)

小学校時代は勉強が大っきらいでした。調子に乗っては先生から愛のムチを受けてました。だけど小学校は楽しかった。毎日遊んで暮らしてました。ビシッとしつけてくださった先生こそが実は遊び上手でしたね。3年間担任してもらったのでかなり影響を受けました。勉強もしっかり教えてくださったはずなんですが、鮮明な記憶は遊んだ記憶です。
授業中なのに裏の林を散策したり、じゃがバター作ったり、奥多摩でキャンプしたり、スキー連れてってくれたり・・・楽しかったなぁ。あの当時、親は家では「勉強!勉強!」と口やかましく言うのですが先生には一切文句を言いませんでした。むしろ、キャンプだ!バーベキューだ!いも煮会だ!といってはクラス中の親が積極的に手伝ってくれていました。こんな小学校時代ですから、勉強とは無縁だったんです。

が!転機は突然訪れます。
卒業を控えた小6の冬、近所の英語塾に通い始めた友だちが、教室で英語の本読んでたんです。そのときは得意げに読む彼の発音を聞いて「かっこいいなぁ」くらいにしか思わなかったんです。けど、もともとが引っ込み思案な性格です。「○○ちゃんみたいにはできないなぁ。」とはなから決めてかかってました。ところが、その友だちが「いっしょにやろう」と誘ってくれたのです。「おれにもできるんだから○○ちゃんだってすぐうまくなるぜ!」すっかりのせられました。のせられやすい小学生でした。

次の日、さっそく体験入塾?しました。そこで彼が懸命に誘い入れた理由が判明。女子4人に対して男子は彼1人。相当肩身の狭い思いをしていたのです。結局その日から中3春までその塾に通うことになります。で、そのこじんまりとした英語塾で何をやったか?中学に入るまでの数カ月はカルタとかやって遊んでました。

中学に入るとひたすら教科書の音読。
先生のあとに繰り返して読むだけです。けどこの先生、抜群に発音がよかった。
みんなで一生懸命真似した。うまくできるとすっごく褒めてもらえた。
そうやすやすと先生はOKを出してくれない。厳しい人ではなかったけど、こだわりは強かった。だからうまくできたときは6人みんなでやったね!と喜びあえる。これが、もう、最高に幸せだったんです。まんまと動機づけられちゃったんです。

たかが音読なんです。されど音読です。三年間教わった中学時代の英語の先生の授業は私の音読熱にさらに拍車をかけました。始めは音声をまねることが楽しかった。うまく読めれば褒めてもらえるから。英語の勉強って音真似だと真剣に思ってました。『基礎英語』を聞くのも大好きでした。この番組の勉強方法もほとんど音真似だったから。で、フラッシュカードによる単語練習をする中で、あたり前のことに気づいたんです。この不思議な「音」に「意味」があるということを。

それ以来、英語を読むときでも書くときでも、なんかぶつぶつ言いながらじゃなきゃできなくなってしまいました。文字は「筆記体」に執着して練習しました。中学の時はスペリングコンテストなんてのもあったのでトロフィーがほしくて熱心に練習しました。これも外発的な動機づけですね。

今は公的?には教えなくなったんですけど、「筆記体使ってかっこいいクリスマスカードつくろうぜ!」なーんて言って授業でこっそり教えてます。中学二年生あたりでも一所懸命練習する。今回大学で学びなおす前は「筆記体=速く書く手段」って思い込んでいたんです。だから「速く書けると便利だぞぉ」なんていって生徒をだましてました。実際に筆記体による書くスピードを計測した研究がありまして、それによると他の書体と対して変わらないんですって・・・。

このころの癖が抜けずに単語は基本今でも書いてというよりも読んで覚えようとしてますね。生徒に向けた英語通信にその辺のことを書いたこともありました。(やりかたがわかったら、のちほど参考までに公開します。)高校生以降の学習歴?についてはまた別の機会に!!