2011年9月21日水曜日

迂回路


書き始めたならば、 「了」を打つまで喰らい付け。


自分の作品に責任を持ちなさい、というのも、師匠から教わったことのひとつだ。

しかし、先に進めないときにはどう足掻いても無駄で、

しばらく放置してみる、という技も覚えた。

真面目に書く。誠実さは大事。

でも、睨みあってばかりでは作品そのものが気詰まりになるので、距離を置くことにしている。

エッセイを書いてみたり、だらだらとネットで遊んでみたりする。

それでも公募賞の締め切りには間に合わせたいので、

話もしたくない喧嘩相手の顔を伺いに、ヨッコラショとファイルを開くことになる。

その前に、

好きな映画やドラマ、本の一場面を思い出すことにしている。

もちろん、手がけている作品とは全然違う内容がいい。



主人公はあのとき、どうやって危機を脱出したんだっけ。


カメラワークはどうだった?

端役の処理はどうだった?


あるいは、


どんなトリックがあったっけ?


ラストシーンはどうだった?


あのときあの台詞がでたのは、どういう流れだった?


思い出すにつれて、付け足すべき場面、省くべき箇所が浮かび上がってくる。

そのあとでファイルを開くと、ちゃんと書けるようになっている。

削って足して、また削り。

小さな躓きを繰り返しながら、いつしか物語は「了」の字に向かっている。

2011年5月20日金曜日

携帯電話と木簡と


携帯電話、i-pod、パソコン、インターネット etc... を駆使して現代ものを書いたあとは、

後味が悪くてしかたない。 


「頭使わずに書きましたー」的なね、

読んでいただく方に、実に申し訳ない気分になる。


しかたないので、時代物を書き始めたのだが、

私の書く時代には、偽書と呼ばれる史料が多い。

あれも嘘、これも疑わしい・・・となれば、頭が痛い。

何を信じればいいのやら、

誰を信じればいいのやら。


あれもこれもが疑わしいのならば、自分を信じるしかない。

私はがっつりの正史を書きたいわけではないので、

「こんなお話はどないでっしゃろ?」みたいな気分で書く。

自分で偽書を書けばいいのだと居直っている。


だけどそこはA型の哀しさなのか、

表計算ソフトで年譜をこさえて、

世間一般に正史とされている歴史的事実を書き出し、その中に人物を当てはめていく。

そうするうちに「歴史の窪み」を見つけることがあって、また新しい物語が生まれてくる。


ある方がおっしゃっていた。

「時代物を書くときには『なぜその時代なのか』も考えて書いてほしい。

その時代を通して、何を伝えたいのかを書いてほしい」

まったくでございます。


時代の空気や人のにおいまで書きたいと思いながら、

史料と取っ組み合いの日々です。

2011年5月5日木曜日

そこで踏むか、ふつー

あれまー・・・前の記事からさらに一月くらい経ってしまった。

ナニをやっていたか。

6月末締め切りの現代物を書き終えて、5月末締め切りを書き始めてました。

ちょっと待て。普通、5月末締め切りから書くだろう?

そうなんですよ、高橋さん(誰?)

でもさー。80ページで書くつもりでスタートして、80ページをあれよという間に越えてしまい、

出来上がったら120ページって・・・どこをどう削ればいいんですかね?高橋さん(だから、誰?)

ということで、半月もありゃあ100ページくらい書くだろうと自分を過大評価してですね、

連休突入前から書いているわけなんです。

いざ書き始めたのは良かったが、

ケイトさんの結婚式には齧りついていたし(感動的な美しさでした)

翌日ローマ教皇は序列されるわ、

ビンラディン氏は殺害されるわ、

知ってる場所で女性が銃殺されたり、

知人宅近辺でご老人夫婦が殺害されたりと、

世の中の動きを眺めていたら、ついつい現実逃避したくなって、魔がさしまして、

いまや中世イタリアを舞台に書いてしまっておりますのよ。

大航海時代とかルネッサンスとか、

風呂に入らなかった時代が好きって、変態っすかね?高橋さん(しつこい)。


地雷を踏んだのはオバマさんだけではなく、

どうやら私もそうだったようです。

2011年4月9日土曜日

心貯金

あれまー・・・一月経過してしまった。

未曾有の災害があって、言葉にできない気持ちだけが毎日毎日積もり積もってきた。


贈賞式のあと、慌しくいくつか応募して、手帳にこれから先の文学賞の締切日を記入したりしながら、

暢気に小説なんか書いてていいのか?って真剣に悩んだりもした。

手当たり次第に本や漫画を読んで、宛てもなくドライブして、時間を潰した。


いわき市に住むイラストレーターの友人が、被災状況を写真で送ってきた。

彼の、ファインダーを覗く目は、それでも、どうしても、アーティストのそれで、

不謹慎かもしれないけれど、すごく嬉しかった。

きっと立ち直って、絶対にまたいい作品を世に出してくれるだろう。

「頑張れ」って言葉は嫌いなので、 「いつだってそばに居るよ」って、言いたい。

書けるまでゆっくり・・・もは出来ないのだけど、

言葉が溢れ出す瞬間の喜びは必ず来るのだから、

もう少し、のんびりしようかな。

2011年3月7日月曜日

Next one

最終選考会も終わって、

当然のように何も変わらない日々です。

来年に向けて、早速スタートをするために、今日は取材に行ってきました。

ある施設で「小説を書いております」と言うと、学芸委員さんがわざわざお出ましになって、

丁寧に質問に答えてくださいました。

私が興味を持っているものは、

常識で考えると、小説にならない、ただの歴史的遺物なんですが、

それを小説にしちゃうんですのよ。にひひ(^^)

いいものを書いて、いつか読んでいただければいいなと思っています。

2011年2月26日土曜日

一期一会は永遠に

文学大賞の最終選考会まであと一週間を切り、

次の土曜日まで、眠れない日が続くのではないかと・・・がっつり寝てるけど(‐ー;)

今日はある場所で、昨年の文学賞受賞者の方と、師匠から「お上手なのよ」と噂だけはお聞きしてた方にお会いできた。

最終選考作を読みました、って仰って、

「読み終わって、もう一度読みたいと思ったのは、さかがみさんの作品でした」

と言っていただいた。

昨年の受賞者の方からも、

「私、今年出してたら、絶対駄目だった」

って。

「私の運を分けてあげる」

と握手してくださった。すごく柔らかい優しい手だった。


リサイクルショップに行けば、手垢も付かない新品同様の「話題作だったはず」の本が並べられていて、

物書きのはしくれとしてはすごく切なくなる。

私の目指すものは大ベストセラーなんかじゃなくて、

これは手放せない・捨てられない本、そう言っていただける作品。 

ただその人に出会うために生まれる物語を書きたい。

2011年2月21日月曜日

eat ate eaten



つい昨日まで、石組基壇だの折上組入天井だのをやっていたのに。

本日から現代になりました。

やってきたのは、鹿児島県庁食堂






本日のC定食は、チキン南蛮。

ちなみにA定食は、他人丼。

これで500円。

ご飯は半分にしてもらいました。

                             



こちらは、娘が食べた味噌ラーメン。
 
スープがおいしゅうございました。

小鉢は別売り。お握りは一個70円。



ご馳走様でした。



「食べる」って、すごく大事なことだと思ってる。

それは生きることに直結してる。

命に対する感謝とか、作り手に対する感謝とか。

あるいは、食べてもらう相手にたいする思いやりとか。

そういう深遠なテーマには(きっと)取り組まないけど(汗)

食べ物を通して人がつながる。そういう話を書きたいと思っております。