mixiでメッセージくださっているかた、いつも返信が超遅れて申し訳ありません。
あのIDはかなり前に開いたもので、昨年、チベットの宣伝用に再開したアカウントなのです。そのため、最初に登録した時のメールアドレスを無くしてしまいました。しばらく使わないと削除されてしまうタイプのフリーメールだったので。そういうわけで、いつも使うメールアドレスであればメッセージいただいた時に通知が来るのでわかるのですが、あのIDではそれがわからない状態になっているのです。申し訳ありません。 また、アプリへのお誘いもいくつかいただいていますが、こちらも全然開いておらず、すみません。しばらく前から「アプリ」が猛烈に広まっているのはなんとなくわかっているのですが、赤い文字を開くときっと面白くてたちまち時間が過ぎてしまうだろうと思うと、こわくて触ることができません。お許しください。 さて、今日は来年1月10日の講演会のお知らせです。 上野の聖地チベット展に合わせて企画された講演シリーズ、最終回では、大物二名の対談が実現しました。 ******************************** 『守りたい天空の至宝 --- 聖地チベットを考える』 第五回 東京・上野の森美術館で開催される「聖地チベット展」に合わせて、チベットの芸術文化とチベット問題にフォーカスした上映会・講演会を開催しているチベット芸術フォーラム。 最終回の第5回は、西洋医学を学んだ在日チベット人医師と、インドでチベット伝統医学を学んだ日本人医師という、異色の顔合わせのお二人をお迎えします。 ■ 西蔵ツワン 氏 (武蔵台病院 院長) 「私の祈り ― 在日チベット人医師の生涯」 ■ 小川康 氏 (チベット医学医・薬剤師) 「チベット医学タンカ 『樹木比喩図』を絵解きする」 ●開催日時: 2010年1月10日(日) 14:00 - 16:00 (開場13:45) ●会場 : 東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36) 一階講堂(正面入り口入り右手) ●参加費: 無料 ●事前申し込み: ホームページ http://tibet-artforum.com/ よりお申し込みください。 ●お問合せ先: info@tibet-artforum.com 主催: チベット芸術フォーラム 協力: Students for a Free Tibet Japan, 在日チベット人コミュニティー 後援: ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 ***************************************** しばらく前から個人的に熱を入れている企画です。 昔からのチベット支援者のかたがたにはなじみ深いお二人でしょうけれど、今回はできれば、チベット情勢をあまり知らない一般のかたがたに聞いていただきたい講演会になりそうです。 お二人それぞれの講演の後には、対談セッションも予定しています。 ★ 現代医学と東洋医学 ★ 代替医療、統合医療 ★ 精神科、心理療法の新しいアプローチ ★ ハーブ、アロマ、薬草 ★ ロハスなライフスタイルに基づく医療 ・・・こういったキーワードにビビビとくる、そこのあなた! 要チェックなイベントですよ。 もちろん、医学タンカをご説明いただくので、チベット美術に興味ある人にもご満足いただける内容になるでしょう。しかもしかも、超プロフェッショナルなお二人にお越しいただくのに今回も驚きの良心価格! 「無料」です! 年明けの週末日曜は、お友達をお誘いのうえ、ぜひぜひ上野の東京都美術館までお運びください♪ お申し込みは、こちらから。 皆さまのご参加、お待ちしております。 #
by epea
| 2009-12-13 02:37
| チベット・中国関連
なかなかブログを更新する心の余裕がありませんが、元気でやっています。
今、自分の中では仕事以外で大切なことが3本、走っていて、そのうちの一つが10日後に終わります。 もう一つ、やや調整の難しかったものは、関係者が協力的に動いてくださっているおかげで山を超えることができそうで、ほっとしています。 詳しくは、また数日後に。。 いろいろありますが、結果的にはいい具合に運んでいきそうな、ありがたい状態です。 見えないところで尽力されている人々に、心から感謝します。 #
by epea
| 2009-11-14 23:32
| 日常雑記
本日7日(土)、上野で上映会があります。
お時間あるかたは、ぜひどうぞ。 特に『悲しみの湖をわたって』は、先日ご紹介したラモ・ツォさんのドキュメンタリーです。短い作品ですが、心に沁みます。この機会に間に合わせるように、ルンタ・プロジェクトの皆様と有志の皆さんががんばって日本語字幕版を作成してくださったとのことです。ご期待ください。 ****************************** 守りたい天空の至宝 ~聖地チベットを考える~ チベット芸術フォーラム 第3回 いまのチベットを知るための3つの映像 『ヒマラヤを越える子供たち』『恐怖を乗り越えて』 『悲しみの湖をわたって』 日 時: 2009年11月7日(土) 14:00〜16:00 会 場: 東京都美術館 東京都台東区上野公園8-36 入場料: 無料 ****************************** 先日、平日の午後に諸々の用事の隙間をぬって、上野の森美術館に行ってきました。来年早々ある企画を手伝うことになり、そのために展示内容を自分の目で見ておく必要ができたためです。 会場では思いがけなく、著名な青年実業家の姿を見かけました。青年実業家といっても、ヒルズ族のイメージに代表されるような足元のあやういタイプの起業家ではなく、健全な動機にもとづいて着実に業務を拡大している(と思われる)人です。2か月ほど前には日本のビジネス界を代表して、オーストラリアのラッド首相と対談しておられました。 展示コーナーの片隅で紹介されていた10分弱の映像を最後まで見届けてから、会場を出ていかれました。お顔を見た瞬間に「あっ」と思ったものの、しばらくの間どなたか思い出すことができませんでした。ふだん公の場に出てくる時の、白ワイシャツに濃紺のスーツ、ネクタイをきっちり締めて、多くを抱えてボコボコになっている姿(太っているという意味ではありません)とはまったく異なる雰囲気だったし、まさか、その実業家をチベット展の会場で見かけるとは……イメージが違いすぎる(私の偏見だったのでしょうが)。 明るい色のセーターにジーンズと、リラックスした格好で、すっきりと冴えた顔だち。瞑想系の修行者のどなたかだったか?にしても、誰だったか……? などと勘違いしたまま記憶を探っていて、思い当たるまでに時間がかかりました。 安堵しました。社会に実質的なインパクトを与える仕事に取り組んでいる青年が、多忙をきわめる日常の合間を縫ってチベット展に足を運んでいるという事実には、希望が持てます。アンテナを張っている人々には、ちゃんと伝わっている。こういう若い人々が担っていってくれたら、日本の未来も明るい方に向かっていきそうです。 #
by epea
| 2009-11-07 03:50
| 日常雑記
週末を過ぎて、すでに記憶があやふやになっています。初心者の低いレベルではこのように聞こえる/この程度にしかついていけない場合もある、という程度のメモですので、何とぞご了承ください。
*****(続き・配布テキストの解説)********** ■ツォンカパについて 14~15世紀の人。アティーシャのカダム派を受け継ぎ、ゲルク派を築きあげた。 顕教、密教ともに重用。マルパのカギュ派、サキャ派の教えも継いでおり、宗派を超えて法灯を受け継いだ。 → すべての派の伝統を受け継ぐことを重視するのはナーランダ僧院の方針でもあり、法王もこれを支持している (以下 『ダライ・ラマ 〈心〉の修業』マリア・リンチェン訳、春秋社、2002年 を参照) 『修業道の三要素(ラムツォナムスム)』 ■第1―2節: ツォンカパによる約束と決意 ・どの仏教の教えを聞くにも、偏見や拘りなく耳を傾けよ。 アーリアデーヴァ 『四百論』: 「いずれの教えも知性を用いて分析せよ。そのためには、ひらかれた偏見のない心で聞く必要がある」 → リアリズムの重要性。現実に即した方法で分析し、判断せよ 釈尊いわく、「金の純度を調べる時には切断したり燃やしたりとあらゆる手を尽くすのと同様に、私の教えについても徹底的に吟味せよ」 → 正しい分析とは、懐疑的な態度で対象に取り組み、あらゆる疑問に対処すること。すべての疑問を自分の知性で分析し尽くして疑いを晴らした後に、修業に入ることが大切 ■第3―5節: 出離の心 ・三種の苦しみ(第8節で言及) (1) 苦痛にもとづく苦しみ (2) 変化にもとづく苦しみ (3) 偏在的な苦しみ=釈尊のいう「出離」の対象となる苦しみ 我々の苦しみは、煩悩に汚された心と体によって次々と生じている。 五蘊をもって生まれた以上、煩悩から逃れられないと自覚せよ。 → 断滅を目指す意思を堅持し、解脱の境地へ ■第6―8節: 菩提心 ・菩提心の備えるべき二要素 (1) 一切衆生への利他心を起こすこと そのための方法論として、 ①自分と他人を入れ替えて考える。 ②因と果について考察する。〔→輪廻の考察〕 (2) 衆生救済のために、自分自身が一切智(悟り)の境地に入ること そのための方法論として、 ①自分自身の苦しみの状況を認識する。 ②他者もまた苦しみに喘いでいることを認識する。 → 一切の有情への慈しみにもとづき、衆生救済を目的として自己の悟りを求めよ ■第9節以降: 正しい見解 (=空を理解する智慧) ・正しい見解を阻む二要素 (1) 煩悩 (2) 所知障: 煩悩が心の中に残す習気(じっけ)、残り香のようなもの。 煩悩が退治された後に心の中に残される囚われ、妄想など。 → 「煩悩+習気」をともに滅する力を持つことが、無知を滅し、縁起の理解へとつながる ・煩悩の源の三毒: 無知、怒り、執着。特に「無知」は、煩悩の最大の源。 ・ナーガルジュナ 『中論』: 「縁起により生じたものはすべて空である。……」 ・空とは、単に名義上の存在。そのように「名指されている」だけのことであり、他者に依存している。 ★般若心経の一節 「色即是空 空即是色」は、次のように言い換えることができる。 ①色即是空 =形を離れて、空は存在しない。また、 ②空即是色 =空の性質あるがゆえに、形あるものとして(全てが)存在する。 または、 ①色即是空 =形を離れて存在できない空 と、 ②空即是色 =空を離れて存在できない形 ■第11節 「あらわれとは誤りなく縁起するものであり = 縁起 の理解 空とは〔自性を〕受け入れないことである = 空 の理解 この二つの理解が別々にあらわれている限りは まだ成就者〔仏陀〕の真意を正しく理解していない」 1~2行目: あらゆるものは他者に依存しながら存在し、いずれもそれ自身で実体をもって〔自性を備えて〕存在しているわけではない ⇒ 実在論の排除 ・「あらわれ」のレベル(世俗諦): 縁起、因果に依っている ・「空」のレベル(勝義諦): 対象には実体がない、と理解する 釈尊の真意を正しく理解するには、この両方のレベルの理解が必要。 ■第12節 空の理解によって、縁起の理解も深めることができる。(and vice versa.) 空と縁起を「同時に」理解している状態が、智慧の完成した状態。 ■第13節 「あらわれによって実在論を取り除き 空によって虚無論を取り除き 空が因や果としてあらわれるさまを知ったなら もはや極端論にとらわれることはなくなるだろう」 1行目: 実在論の排除 (第11節) 2行目: 虚無論の排除 「空とは、形ある全ての対象がもつ特質の一つである」ということ。 したがって、「空=虚無」ではない。 モノ(形)がない、という意味ではない。モノの属性の一つとして、空を捉えること。 4行目: 二つの極端論(実在論と虚無論)の排除 ……と、いうことです。 以上、(修業道の)三要素について、よく考えて、精進しましょう(第14節)。 (以上) ****************************** 幼稚なメモで、申し訳ありません。自習用のメモを公開する意味があるのかと迷いつつ、さらしています。当日聴講されたかたがた、仏教者のかたがたに、加筆修正すべき点などをご指摘いただけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。 個人的には最後の部分(「色即是空、空即是色」は等号記号の左右を入れ替えただけではないこと、二つの極端論の排除)の解説で、かなりしびれました。近ごろ仏教の話をなるべく聞きにいくようにしていますが、薄いレースの生地を重ねていくように、先生によって少しずつ説明の仕方が違う。子供の頃から機械的に唱えてきた般若心経の、簡潔な漢詩の裏にこれだけの意味があると知って、ちょっと興奮します。 #
by epea
| 2009-11-02 23:51
| 仏教関連
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