日本語が、大好きです。(Sorry, Japanese Only.)
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<< 2024 March >>

no fun nolife
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
rss
 はてなアンテナに追加
 はてなRSSに登録
 Bloglinesで閲読登録
 Subscribe with livedoor Reader
 Add to Google
 My Yahoo!に追加
LINK
ARCHIVES
music
LOGIN
現在のモード: ゲストモード
USER ID:
PASS:
logout
クリスマスが近い。僕が物心着いた頃からずっとそこにあるクリスマス。なんか後世、多くの人に敬われる子供が馬小屋で生まれた日。あまりにスゲエ子供だから東方から三人のおじいさんが遠路はるばるお祝いに来たとか。馬小屋に。お母さん本気で怖かったろう。いきなり知らない爺さん来るんだもん。しかも生まれて間もない子供に貢ぎ物持って。青田買いにも限度はあるよ。地下アイドル推すのとちゃうぞ。

そんなクリスマスになると、グラビアアイドルがサンタビキニを着て雑誌の表紙を飾ります。三賢者も想像しなかったであろうこの流れ。ある意味平和だからできる表現。ビキニについてるフワフワがギリギリのサンタ感を出しています。なんなんだそのフワフワ、なんか意味あんのか?寒さがミリは和らぐか?いやね、わかる。わかるのよ。コレ無いとぶっちゃけただの赤いビキニ。サンタ感無い。ひいてはクリスマス感も無い。

ってところまで考えて思ったんですが、よくよく考えたら、サンタクロースだってあのフワフワを取ったらただの赤い服着た爺さんですよね?そんなじいさんが暖炉からのそりと出てきたら普通にふんじばって通報するでしょ。『もしもしポリスメン?なんか暖炉からジジイでてきた。たぶん還暦迎えてはしゃいじゃった奴』。

ここから解ることは一つ。どうやら我々はあのフワフワでクリスマスを認識している。クリスマスの正体はあの赤いビキニについてるフワフワなのだ。クリスマスになったらあのフワフワに手を合わせようと思う。

(通報され、連行される絵)




常々書いているので見飽きてるかもしれないけど、誰かに伝えることが目的ではないので我慢してほしい。

いわゆるオタクカルチャーって、昔は「コミュニティから外れてしまった人の心の拠り所」としての機能があったと考えていて、僕は少なからずそれに助けられたと思っている。

時代が変わって「アニメ・マンガ」が市民権を得て、何となく普通の人が「オタク」を名乗るようになった。だけど、個人的には僕の世代に居た「コミュニティから外れてしまった人」は何処へ逃げればよいのだろう。とは思っている。

アイアムリザルトさんから教えて貰った、2006年に岡田斗司夫さんが「オタク・イズ・デッド」と銘打ってやった公演の編集版動画を見た(この動画そのものの評価は別でやりたい)。ここで言ってる「オタク第三世代」が問題の世代でになるんだろうな。

https://www.youtube.com/watch?v=4-nVfV7BI0c&t=1s

動画内で「オタク第三世代」は「SF崩壊のストーリー上におけるスターウォーズからSFに入ってきた人達」に相当すると言われている。僕がこの話で気にかけている「コミュニティから外れている人」はこの動画には登場しないんだけど、なんとなく「きっと今も自分の好きなものを見つけて人知れず戦っているのだろうなあ」という思いを持った。それはきっと、一般的な趣味に成り上がったアニメやゲーム、アイドルではない何かだろう。その「自分だけが良さを理解出来る」趣味を持ち、同時に「オタク第一世代」と「オタク第二世代」が持っていた生きづらさを抱えて、それでも矜持を捨てずにいるに違いない。

僕らは、たまたま「オタク」っていう看板を手に入れて、90年代後半にあった「オタクの総体化」によってその看板の元、生きやすさを得ただけだった。という事じゃないのか。
だとするならば。僕がなんとなく気にかけている「コミュニティからあぶれてしまった人」に願うことは、「誰に言われてでも好きなものを見つけられる」事、そして「その趣味がなんとなく世の中に認められ、そこはかとなく『生きやすく』なる」といいなあ。と思う。



品川駅のサイネージ広告に「今日の仕事は、楽しみですか」ってサイネージディストピア広告を出した企業が叩かれてた話。まあつまり「仕事が楽しい訳ないのになんでそんなやりがい搾取みてえな広告出せるんだ」みたいな話なんだと思うんだど、これがネットで大荒れ。「仕事がクソ忙しいところにこんなのを見たら俺自殺するわ」なんて言う人もいて。まあ気持ちはわかるんだけど、個人的には「出した人が悪い」っていう流れはちょっと違う気がしたなあ。という話。

「世間とズレてる」っていう指摘は正しい。正しいのだけれど、実は「労働は楽しくないのが当たり前」みたいな空気になってる事の方が問題とするべきだったのでは。という話。僕の好きな友達の言葉で「いっぱい働いていっぱい使う」っていうのがあるんだけど、本当は労働ってこういう状態であるべきだと思うんですよ。ちょっと前に話題になった「いっぱい働いて、笑おう」みたいな。もちろん、結果的にその人の人生が楽しければ、仕事が楽しくなくても問題はないんだけど、「仕事に楽しみが見いだせる訳がない」みたいな状態がちょっと腑に落ちていない。

現状がそうなっていないのはなんでなんだろう。って考えると、思いつく原因が「平等な社会を目指したら、失敗も才能も個人の責任になり、結果、労働に対する不寛容を招き、労働がストレス以外の何物でも無くなった」になってしまう。

つまり「世の中公平なんだから、不幸な身の上に居るやつはそいつの努力が足りない」からの「金が得られる職に居ない奴は金を得る努力を怠っている」からの「金持っている、払ってるやつが偉い」っていう、クソ気味な価値観が常態化してしまっている。そうすると自分が労働側に立って、金を払っている奴に人としての尊厳を踏みにじられてても、怒りを覚えるどころか「それが正しい」まで考えてしまっているんじゃないのか。っていうのを、最近読んだ「実力も運のうち ~能力主義は正義か?~」から連想したんですよ。そりゃ「働いたら負け」っていうのも解るわー。っていう。

どうにかもうちょっと「働いている人への敬意を取り戻そう」って形にならないかなあ。とかなんとか。

相変わらず落ちない。



今日何年ぶりかに「舟盛り」という単語を耳にした。舟盛りって言えばあの「お船の形をした器の上に刺身的なものが乗っかったもの」である。あれ、お刺身的な物じゃなきゃダメなのか。何処までだったら舟盛りして許されるのか。考えてみた。

まず刺身はOK。ここは当然だろう。舟盛りと聞いて最初に浮かぶのはお刺身で、逆にお刺身がなかったらもうツマと海藻しか残らない。そう、そういえば海藻も舟盛りイメージがある。なるほど、魚介類ならOKという感じがしてきたぞ。

それでは焼き魚だとどうだろうか。舟の形をした器に鯛の塩焼きが乗っていたらそれは舟盛りだろうか(長考)。。。。セーフ、セーフ!!!。個人の感想かも知れないが、これはセーフ味がある。セーフっぽさが磯の香りと共にふんわり香ってくる。これは立派な舟盛りである。大漁船っぽさが湧き上がる!!(漁船に乗って大漁旗を掲げる絵挿入)

よしよし、焼き魚は大丈夫そうだと思い、代わりに秋刀魚を乗せてみたら漁船が沈没した。なんだろうか。「舟盛り」という単語には何も反していないのに舟盛り感がみるみる失われていくのだ。これは渡し船か投網船か。。



やはり値段か、値段が全てを物語るのか。舟盛りはブルジョワジーの成せる技なのか。金持ちの食べ物なのに度量が狭い。舟盛りの器は案外小さいのだ。

結局、舟盛りの定義ってなんなんだろうと思ってwikipediaを調べてみたら「現在では、蕎麦や天ぷら等の盛り付けにも使われるほか、居酒屋等では唐揚げなどを盛り付ける場合もある。」とのこと。つまりあれか「器が舟の形をしていれば、お子様ランチも舟盛りと言えなくも無い」という事になる。なんと言うことだ。舟盛りの器は大きかった。小さかったのは僕の器だったのだ!!!

舟盛りの船に乗ってアレコレと考えていたら、気がつけば僕の思考はずいぶん沖まで出てしまった。僕は今日、また一つ賢くなったのだ。つまり「船の形をした器に食べ物が乗っていたらだいたい舟盛り」なのである。舟盛りは器のでっけぇ料理だったのだ。

それってアレですよね、パニックサメ映画なんかによくある、船上の人間をバクーって食べちゃうやつ、あれも考えようによっては舟盛りだよねー。



(乗ってる船ごとサメに食べられる絵挿入)



目の前に今見えてる車内広告である。十中八九サンマークだと思ったけど、知らない出版社だった。きっとスゴい本なんだろう。なにせ『奇跡』なのだ。「石がパンに、水がワインに変わってしまった」とかそういう、もはや物理事象を越えて『おまえちょっと認知障害を疑った方がいいぞ』という部類のものなのだ。そんなミリオンセラー聞いたことない。そりゃそうだ、よく聞く話はもはや奇跡では無い。あるある探検隊だ。あいつら元気かなー。
さて「奇跡のミリオンセラー」である。どうやったらミリオンセラーが奇跡になるのか。きっと「どうやら100万冊は売れそうにもない感じ」から100万冊売ったのだろう。ものすごくニッチな本が100万冊売れたのだ。「野球部のマネージャーが秒速で竿竹屋を潰したら」とかそういうタイトルが100万冊売れたのだ。これは奇跡に違いない。

そう思いながら、広告を眺めていたら左下にデカデカと「16万部突破」と書いてあった。刷ってないのにミリオンセラーだったのだ。そりゃあ奇跡だわ。


    
処理時間 0.6815秒