ハンプリ

3月19日に京都のUrBANGUILDで行うFOuR DANCERSで、私は4人のミュージシャンと共に「ハンプリ」という楽曲を上演する。


この状況なので、来れる人も来れない人もいるため、作曲家朴実(パク・シル)氏への聞き取りと私の楽曲理解を元にしたライナーノーツを、ここに記します。

       

「ハンプリ」のハンは漢字で「恨」だが、日本語の恨み/怨みとは異なる朝鮮半島独特の思考や感情を言い表す言葉。
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プリは固有名詞で孤独や悩みを解放するという意味をもつ。

 

作曲家 朴実が母親の半生を描いたものだ。

楽曲は、韓国伝統打楽器チャンゴとチン、ピアノ、フルート、ソプラノで編成された三楽章からなる。


第1楽章


アンダンテ。母親の生まれ故郷 全羅北道の農村風景へと、チン、ピアノ、フルート、ソプラノの静やかな響きで導かれる。

チャンゴによる「農夫歌」の朗らかで陽気なリズムがはじまると、農村の生活や風俗を思わせる民謡風のメロディーが奏でられる。


第2楽章


タスリムのチャンダン(リズム)。


日本の植民地支配による略奪を想起させるような、激しいチャンゴのソロ。
ソプラノと他楽器からなる不協和が、帝国支配の不穏な影と様変わりしてしまった村の風景を思わせる。


韓国民謡「ハンオベニョン(恨五百年)」独唱。(許嫁に先立たれ途方に暮れているけれど、恨は所詮五百年。五百年したら消えるでしょう。チョー・ヨンピルの歌唱が特に有名。)


夫を追って日本の東九条の地にやってきた母。戦後夫は亡くなり、女手一つで子どもを育て上げる。言葉、男女差別、想像に難くない多くの苦労と困難に「アイゴー/なんの無念か」と慟哭する母の姿。
そこには元従軍慰安婦のおばあさんたちの体験と差別、いつまでたっても解決しない現状への怒りといった声なき声、様々な人のどうすることもできない運命が綯い交ぜとなる。


一つの主題が何度も繰り返され、それはクライマクスへと上り詰める。
最後に、ソプラノとフルートの息の合った「アイゴー」の嘆息が、暗闇に残った蝋燭の火のように浮き上がる。


第3楽章


チャンダンに主題のメロディーが重ねられ、繰り返しのなかに無情を孕みながらも生のエネルギーが充ちてゆく。


途中、ピアノとフルートの各ソロが挟み込まれる。それは悲しみぬいた心を解きほぐすような、春の風であったり、鳥のさえずりのようでもある。


最終節、再び主題メロディーが繰り返され、転調され、上昇してゆく。叩き付けられるピアノ。運命の混沌。


昔語りのように、ピアノとフルートが穏やかに音色を奏で、終曲となる。


(文責:古川友紀)

       

私は楽譜から共に「演奏家」として存在できる居方を探りたいと思っている。


上演にあたって、自分のルーツと作品の当事者性との不一致を考える。


他者を想像することで近づきうることと、それでもなお至らなさがあることを。


 

一方で、「作品」として成就されたということは、誰もがこの曲を演奏するチャンスがあるとも言える。


「作品」として作者の手を離れたことで生まれる広がりがある。


芸術は社会の芯でもありえるし、人々の器でもありえるのではないかと思う。

 

(もうひとつ)

ルーツという点ではもう一つ、自分の音楽のルーツを。ピアノの原野尚起とは幼馴染みで、共に朴実さんにピアノを習った同窓だ。実は今回の上演の発端は、原野くんとのピアノとダンスのセッションだった。話が盛り上がり「ハンプリ」上演に動いていたのだった。


朴実さんは「京都子どもの音楽教室」の事務局長を長年つとめられていた。京都市立芸術大学付属の子どものための音楽教育機関で、私も通っていた。芸大付属 とはいえ土曜日だけ開催される教室だったため、決まった場所がなく、様々なテナントや施設を渡り歩いて運営されてきた。大手音楽教室のビルを週末だけ間借 りしたり、廃校になった小学校を転々としたり。その時は知らなかったが、寒い教室の暖をとるため、開校前に灯油を用意してくれたりしていたのが、朴先生のご子息でチャンゴ奏者の哲(チョル)さんだった。


(あともひとつ)


共演者のYangjah + 李東熙の二人によって、韓国のシャーマニズムの儀式、煞プリ(サルプリ)がなされる。


東熙と私は、前回のFOuR DANCERSで「しっぽ結び」ということを行い、韓国の民俗芸能フェスティバルで上演をした。

 

私から一歩離れた時間と空間において、自ずと縁が紡がれていくのが面白い。

しっぽ結びーまたの名を、島と尻尾  꼬리맺기ー부제 섬과 꼬리

しっぽ結びーまたの名を、島と尻尾 꼬리맺기ー부제 섬과 꼬리

 

大昔 わたしたちは しっぽをもっていた 옛날 우리는 꼬리가 있었다
しっぽで泳ぎ 歩き 把み 書いていた 꼬리로 헤엄치고 걷고 잡고 쓰고 있었다

心が 動きだして 마음이 움직이기 시작되어
体の彩が 赤に青にと 変わるとき 몸의 무늬가 빨강으로 파랑으로 바뀔 때
しっぽは もう 動いていた 꼬리는 벌써 움직이고 있었다
起立して 毛羽だって 旗めいて 波打って 일어서고 보풀이 일고 펄럭이고 물결치고

 
今 わたしたちは しっぽをもたない 이제 우리는 꼬리를 갖지 않는다
なくしてしまったのか 잃어버렸는지
見えないだけなのか 안 보일 뿐인지 
知らないだけなのか 모를 뿐인지
 
目を閉じる 눈을 감는다
そうろりと しっぽを動かす 살짝 꼬리를 흔든다
 
川猫はそのしっぽをそうろりと水面に垂らす 냇가 고양이는 꼬리를 살짝 수면에 늘어뜨린다
流れるしっぽはやがて海猿のしっぽと結ばれた 흐른 꼬리는 바다원숭이의 꼬리와 맺어진다
海猿のそのしっぽがふわりと宙に浮く 바다원숭이의 꼬리가 하늘에 둥실 뜬다
漂うしっぽはさまよって遠くに離れてゆく 떠다니는 꼬리는 헤매어 멀리 떨어져간다
しっぽのさきっぽに  靄 꼬리 끝의 안개
 
その湿り気の中で 그 습기 안에서 
 
(念佛 염불
尻尾先端細胞分裂 꼬리 끝에서 세포가 분열
百合大輪開花受粉 대륜의 백합이 피고 수분
把握手観音結薬指 관음과 악수, 약지를 잡다
触手不可視結尻尾 눈에 안 보이는 꼬리를 만지고 하나가 된다

 
目を開ける 눈을 뜬다
身震いする 몸을 떤다
 
 
Yuki FURUKAWA + Donghee LEE

みえないしっぽ

きっかけは韓国人ベーシストのLee Dongheeから送られてきたメッセージだった。9/28に京都の耳塚でセレモニーがあるんだけど、一緒に何かやらないかと。ちょうどmimacul『さよなら明るい尾骶骨』の稽古前だった。稽古場は三条、耳塚は七条。行けるではないか!

耳塚に来たのは初めてだった。中学の歴史の教科書のコラムに載っていたのは覚えている。秀吉の朝鮮出兵の際に殺めた朝鮮人の耳や鼻が弔われたものだ。行ってみると、耳塚の石塔の下に人が集い、ハングルが飛び交っていた。開会の言葉が韓国語で語られ、日本人僧侶によるお経、韓国から来た巫女や舞楽団による儀式や演奏が行われた。正真正銘の慰霊祭だった。耳塚という100平米にも満たない空間の中で、韓国の舞踊が次々と展開され、また一方ではおにぎりとキムチが振舞われたいた。私は場に圧倒されながらも、400年以上も前の死者を我が事として弔うこと、その行為に通ずることー植民地、両国の人の行き来き(連行や移住)、戦下で行われた惨事、昨今の経済と政治の施作とナショナリズムが絡み合って報じられる対立ーに思いを巡らせた。その一方で、慰霊のもとに行われる壮観なパフォーマンスとそれを受容する人たち、目の前で起こる出来事にただただ目を見張っていた。日本人の私と、韓国から日本にやって来たDongheeと、私たちはここでどんなことを何をするのだろか、と。

私たちの出番は、本プログラムの後のお昼休憩の手前にねじ込ませてもらった。韓国から来た舞楽団の人たちの真剣な眼差し、中心にそびえる耳塚の石塔とそこに眠る死者、お昼のキムチとおにぎりをほうばりつつこちらをうかがう人々(場の流れ上ほとんどお昼タイムだったので無理もない)の中で。Dongheeは石塔の前の石畳の上にいた、私は主催者や楽団のいる側、石塔に向けて、最後に和やかにキムチを食べる輪へと移動してゆく。集った人への挨拶の気持ちや、自分なりの耳塚の死者への対面、今ここにいることのみをやった。

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パフォーマンスの後、チャング奏者のYang Hyang Jinさんに出会った。その場では束の間の挨拶しかできなかったが、その後のメッセージのやり取りで、私たちは韓国のお祭りで再びパフォーマンスをすることが決まった。

 

この慰霊祭で、私は韓国の珍島というところに朝鮮出兵文禄・慶長の役)にまつわるもう一つの墓があることを知った。この戦で討ち死にし岸辺に流れ着いた日本兵士の死体を、現地の村人が埋葬した場所で、そのことにちなんだ倭徳山(ウェドゥクサン)という地名が今も残っている。

 

実際にここを訪れた。なだらかな丘の斜面に土饅頭の名残りであるコブのような丸みが幾つもみられた。植物の繁殖や風雨に晒され自然による風化の一途を辿っていた。石碑もなく、地名と口伝に残るのみだが、死者と生者の細く長いつながりが感じられた。傍らに白いタンポポの花が咲いていた。

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目の前の田園地帯は昔は海だった

 

無題

海か山なら 山がいい

湖か沼なら 沼がいい

抱擁という狭く窮屈なトンネルのなか

やがて息ができずに藻掻きはじめる

数十年 そのトンネルの円環からようようすり抜け

気づくとわたしの爪の隙間には土が食い込んでいた

 

本か歌なら 歌がいい

目か口ならば 鼻がいい

わたしはあなたではないはずなのに

いつの間にかその境界がわからなくなる

正直であるなんて不可能なのだから

せめて喉仏に佇むその語りのゆえんに出会いたい

 

裂け目はいつもわたしたちの内にある

渕に立ちつくす体が あちらにも こちらにも

 

8月18日

 

 

 

 

gift

こうして落ち着いて自分のダンス観について考えると、立ち戻るところはやはり、レジーヌ・ショピノの「PACIFIKMELTINGPOT」になる。この作品の中で、私は歌っている身体に動きをのせて踊るというシーンをわたされた。このシーンは、作品が終わってからも、その後の私の身体に何かをもたらせてくれるという強い根っこになったように感じた。帰国して「たいないながれうた」というソロ作品を作った。それ以降も、踊る初動をひらくものとして、自分にとって発声はとても大事なものになっている。PMPではこのように演者それぞれへ向けた個別的なシーンがあり、かつ、全体的ないわゆる群舞のシーンでは、普遍的でベーシックでシンプルな要素ーそれは、時間、空間、音、光、人、周囲のすべてへと繋がるものーで成り立っている。なので、どんなことへも応用できるしなやかさがある。レジーヌ・ショピノからのgift、贈り物だと思っている。私は、私たちは、受け取り、受け入れたものをどのように手渡していくことができるだろうか。

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"PACIFIKMELTINGPOT”,MC93(Paris, Bobigny) ©João Garcia

 

蛙の余波

この冬は、影・川・街・蛙と異なる作品やプロジェクトへの出演や制作がつづいた。ようやくひと段落して、春近しと木々が芽吹きはじめた三月半ば、久しぶりのソロダンスへ向けた準備にとりかかった。FOuR DANCERSという企画で、私はここで踊るとき、作品やテーマ性も大事だけど、いかに生き生きとした自分のダンスが踊れるかを意識してのぞむことにしている。そういう状態になるための構成を作り、また表象としてのイメージを膨らませることが、自分にとっての振付、なのかなと最近思っている。しかし、私はその準備期間の一週間、さてどうしようかと途方もない気持ちになっていて、仕方がないので木ノ芽時の植物の様子を見て、気持ちをゾワッとさせることしかモチベーションをあげる手だてがなかった。よいしょよいしょしながらの苦しい創作となった。

影・川・街・蛙を経た身体と精神が、元の居場所が分からずにさまよっている感じだった。

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とくに直近の「だんだんたんぼに夜明かしカエル」(蛙)は、全体が有機的に変化するなかで、徐々に個人の身体の境界が曖昧になり、その場が渾然一体、一つの生命体となるような舞台だった。出演者個人の身体を際立たせたり、違いをつくるというよりも、ある摂理のもとに身体を置き、そのなかにいるから身体が動く(蠢く)。群舞でもなく同時多発的というのともちがう、とにかく中心のない生命体という感じだった。巨大なのに微細で、すべてを見通せる人はいない。(東京公演では、アクティングエリアの真ん中に会場の巨大柱があるので物理的に見えなかったりする。)この蛙の世界から戻ってくるのはなかなか大変だった。

コンテンポラリー・ダンスという、規範となる身体技法のないダンス、ダンスの概念を常に問いつづけるダンスから踊りをはじめた自分にとって、ダンスとは、借り物でない自分の踊りを探しつづけることではないかと思っている。もろいバックグラウンドであることを承知しつつ、ここ数年、自分のダンスのスタンスを積み上げようとしていたが、そのような小さな虚栄は歯が立たず、みるみるうちに蛙の粘膜によって溶かされた。蛙の世界はまさに危険ゾーンだった。FOuR DANCERSの稽古で、踊るモチベーション、これだという踊る身体の状態が本番直前まで見つからなかったのはそのせいだったのかもしれない。本番は、私の前に踊ったダンサーや照明、音楽、お客さんなどの色んなエネルギーに触発され、またそんな些末な私事にとらわれて踊れないなどという当の自分への可笑しさもこみ上げてきて、ようやく、あなたの人生の30分を頂きますよという腹をくくることができた。「FOR」DANCERSのお陰で、蛙の余波に揺れた身体からまた新しい変化が訪れた。

 

つづく

フランシスフランシス

なんと一日のうちに、ベーコンとアリスの両フランシス展へ行くことができました。
 
 ベーコンの作品の、実物を見れて本当によかった。
 
よく言及される顔面の歪みやズレ、肉体の変形の描写というのは、実物は結構視えにくい(分かりにくい)ということに、帰りに図録を見て、改めて気付きました。
図版の方が変形の描写が視えやすいので、そのイメージが頭に入っていたのかな。
 
実作品に、ガラス板一枚挟んで、対面したら、想像上の生体の解剖図みたいで、画家が覚めた感覚で対象と向き合っている状況を追体験しているような気分でした。
削ぎ落としたり切り裂いたりしたときの生体の部位の有様は、究極的には肉塊とか管とか至極シンプルなものになる。そのシンプルさが奇形というか。
 
触覚的な感覚が伝わるこのようなイメージから、自ずと土方の「疱瘡譚」に展示が連なっていくのもよかったし、(教皇が如く)終止口をあんぐり開けてしまって、終わった頃にははぁーっと嘆息。私も初めて見たけど、子どもから大人まで、多くの人と「疱瘡譚」を見ているっていう状況もなんかよかった。
 
 
 
アリスの方は、出会うというか「その瞬間」に出くわす、という感じがした。
作り事(フィクション)かもしれないしそうでないかもしれないんだけども「その瞬間」というのがある。
 
彼はそれを、いつも待ちながら歩いている。ひょろっと長い手足は「その瞬間」を捕まえるのに最適なのだろう。
 
結構体当たりでひどい目にはっているけれども、その実ダメージが少なそうなのは、いつも肩の力が抜けているからかな。
 
竜巻とアリスの映像には、マットと枕が用意されていた。ごろんと寝転んで見る。力が抜ける。ああ、こんな感じでみても/みなくても良いんだなあ。それにしても、アリス、不死身。
 
欲を言えば、ほとんどの映像作品は作家のサイトで見れるようになっているので、絵画とかトレーシングを使った素描とかを会場でじっくり見たかったなあ。