新しいバイクを買った話と古いバイクの記録

2023年12月31日(日) 12:40 | 日記

今年2月の誕生日以来こちらの日記をほったらかしていまして、次に何か書くときは自分の生活にとって重要な変化があったときだと思っていたのですが、年内にそのタイミングは訪れなかったので、それとは別のそこそこ重大なできごとを記録することで2023年の締めくくりにしようと思います。

ヤマハのYZF-R25を買いました

バイクを買いました。ヤマハのYZF-R25という、排気量250ccの中古バイクです。納車は11月18日でした。
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2016年製で、よく見るとところどころに傷があるのですが、車体の見た目はおおむね良好です。
ただこの車種にはヘルメットホルダーがなく、社外品を買って取り付けました(撮影時は取り付ける前です)。

マフラーも社外品です。前のオーナーがこちらのマフラーに交換したんですね。
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純正マフラーのエンジン音をYouTubeで聞いてみたのですが、純正だとやや高い音が出るのに対して、こちらのビームス社のマフラーはかなりの低音で、かなり音が違います。

そしてこちらが座席からの眺め。スマホホルダーはサービスでつけてもらいました。
右のミラーに筆者の顔がちょっと写ってしまっています。
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エンジンの回転数のみがアナログ表示で、速度などはすべてデジタルです。左のボタンを押すと画面が切り替わって、今は走行距離を示す数値(購入時点で1万9000キロ以上走っています)が表示されていますが、トリップメーターや燃費の概算なども表示できます。

クラクションの調子が悪いので、年明けに修理をしてもらう予定です。

6年乗ったカワサキのZZR400

2017年9月に埼玉県のバイク屋さんまで行って買ってきた、カワサキのZZR400です。先代のNSR(250cc)が同年5月に北関東の高速道路を走っているときにオーバーヒートでエンジンが壊れてしまい、修理に出したら20万円以上かかると言われて、あきらめて手放したあとはしばらくバイクなしで生活していたのですが、9月に遅めの夏休みを取ることになって「バイクで東北地方を旅行したい」と思い立ってあわてて選んだのがこちらです。

納車は旅行に間に合いませんでしたが(当時、福島第一原発の近くの国道6号はバイクでは進入禁止だったので、結果的には車で行ってよかった)、そこから6年、僕をいろいろなところへ連れていってくれたマシンです。

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上は自宅アパートで、下は渋谷の宮下公園の地下駐車場で撮影したものです。

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車体の左側には大きな傷があります。「ZZR」の最初の「Z」が消えてしまいました。
これは2021年に練馬区内の青梅街道で転んだときのもので、目の前で急に車線変更をしてきた車がいたので急ブレーキをかけたら、その日は雨だったこともあり、転んでしまったという事故です。警察に届け出たものの、車と接触があったわけではないので、人身事故として処理して相手を特定しても得るものは少なかったと思います。一方で自分を転ばせた相手に報復したい、制裁したいという気持ちは今もあって、徹底的にやるべきだったと後悔することもあります。

時速40キロくらいで派手に転んだためにカウルに大きな傷がついたので、傷を隠すためにヨドバシカメラでタミヤカラーのエナメル塗料を買ってきて、3色混ぜてカウルと同じ色にして塗りました。我ながらうまくできたと思います。

転んだ回数はかなり多くて、買って間もない頃に富士山の須走口まで走ったときに、五合目の駐車場で勾配の大きさに驚いて立ちごけしたこともありました。

最終的にはオイル漏れがいたるところで起きてしまったために車検に出せず、修理を断念して手放すことにしました。

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走行距離は6万1000キロでした。買ったときは4万9000キロ弱だったので、6年で1万2000キロ走ったことになります。
このバイクでは関東全県と山梨県、静岡県を訪れたことがあって、2年めからはETCを取り付けて高速道路を走ることも多かったので、年間2000キロしか走ってなかったのかと思うと意外でした。

さすがにパワーでは、YZF-R25はZZR400にかなり劣る

YZF-R25を選んだ理由は、過去にスズキ、ホンダ、カワサキのバイクに乗ってきたから、ヤマハを選べば国内四大メーカーがコンプリートできるということ。そして前回のZZR400が初めての400ccで、車検がめんどうなのと、車体が重くてたいへんだったということで、ひさびさに軽くて車検がいらない250ccを選びたかったということ。あとは見た目がかっこよかったから。

YZF-R25を実際に走らせてみて、ZZR400と大きな違いを感じたのはパワーです。加速性能や、高速運転時や上り坂での安定性は圧倒的にZZR400が上回ります。YZF-R25を納車してバイク屋さんからの帰り道で、なかなか加速しないから心の中で「ノーパワー!」と叫んでしまいました。
高速道路でも走らせましたが、時速100キロぐらいでいっぱいいっぱいな感じになります。スロットルを回せばもう少し出せると思いますが、そこにはZZR400のような快適さはありません。以前に乗っていたNSRは100キロ超えも楽勝だったのですが、これが2ストロークと4ストロークの違いなんですかね。

一方で、車体が軽いのは便利です。アパートの敷地内からバイクを押すときも、ZZR400は重くてたいへんでしたが、YZF-R25は軽々と動かせます。軽いぶん、強風のときは乗りづらそうではありますが。

燃費では圧倒的にYZF-R25の方がすぐれています。前のZZR400はガソリンも漏れる不具合があったので比較にならないのですが、ZZRはがんばっても15km/L、街乗りのみだと11km/Lぐらいでした。YZF-R25は街乗りのみでも余裕で20km/Lを超えるようです。車体が比較的新しいことと、そこまでパワーが出ない分、ガソリンの消費量は少なくてすみます。

YZF-R25はウィンカーが飛び出た構造なので、転んだらまずいことになります。過去に乗ってきたバイクは何度も転んで傷つけてしまいましたが、今回は一度も転ばないように、安全運転に努めたいと思います。

今年もひとりの誕生日

2023年2月20日(月) 22:06 | 日記

ケーキ

2月20日生まれの有名人のビッグ3といえば、生まれた順に長嶋茂雄、アントニオ猪木、志村けんですが、志村さんに続いて猪木さんも鬼籍に入って、健在なのは長嶋さんだけになりました。

今年も無事に誕生日を迎えることができました。ケーキ3個はなかなかのボリュームでした。
来年は、もっと幸せにあふれた誕生日を迎えられるようにがんばりたいと思います。

とある新宗教にまつわる個人的な思い出

2022年12月31日(土) 23:59 | 日記

早いもので2022年も終わりですね。今年は世界中でいろいろなことがありましたし、国内もたいへんな一年でした。
僕にとっての2022年は、新型コロナに感染したこと以外は、よくも悪くも特筆すべきことのない、たぶんあとで振り返っても空っぽの一年になりました。

さて、今年の話題といえば「宗教」です。これほど宗教に注目が集まったのはオウム事件以来でした。オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたのは1995年で、大学に入学した年のことだったので今でもよく覚えています。
ひさしぶりの日記では、そんな宗教にまつわる個人的な思い出を語ってみようと思います。

あれは僕が大学2年生になった、1996年4月のこと。オウム事件は前年の麻原彰晃の逮捕によって終わりを告げて、その前に一時期話題になっていた統一協会(一般的な表記である「統一教会」ではなく、あえて「統一協会」と表記します)のことを語る人は誰もいませんでした。

暇だったのでふらっと大学へ立ち寄って、合格したばかりの新入生のふりをして、わざと慣れない足取りできょろきょろしながら大学の構内を歩いていました。
案の定、男性の学生が声をかけてきました。
「人生の目的を考えるサークルをしているんですけど、話を聞いてみませんか」的なことを言われて、これはなんだか楽しそうだぞと思って、言われるままに地下の教室に入っていきました。

もう27年も前のことなので詳しいことは忘れてしまったのですが、その男性はクリアファイルにとじられた絵を紙芝居のようにめくりながら、僕にいろいろと説明をしてきました。人生の成功者は、目的を持って生きてきたから成功したのだ、だから目的を定めることが大事なのだ、的な話だったと記憶しています。説明の中では、プロ野球界で当時大ブレイクしていたイチロー選手の名前も出していたように思います。
周りにも2人くらい、同じように説明を受けている新入生がいたような気がします。

説明の終わりに、あなたもいっしょに人生の目的を探しませんか、というような勧誘を受けたときに、僕はこんなふうに答えました。

「でも人生の目的なんて生きていくうちに変わっていくものだから、目的を決めるなんておかしいのでは」

さてどんな反論が来るのかな、議論なら受けて立つぞ、とわくわくしていた僕の期待を、説明していた男性は軽く裏切ってきました。
「そうですか、ではこのサークルとは合わないみたいですね……」みたいなことを言われて、勧誘はあっさり終わってしまったのです。

あのサークルがいったい何の宗教なのか、あるいは自己啓発団体なのか、最近までずっと謎のままだったのですが、調べてみるとどうやら「親鸞会」という宗教団体のようでした。

1.勧誘準備~新2年生の育成|浄土真宗親鸞会被害 家族の会

上のリンクは「浄土真宗親鸞会被害家族の会」というサイトですが、実際にどんな被害が発生しているのかは、ネットで軽く調べても具体的な話があまり出てこないので、どういう宗教団体かは判断しかねるところです。少なくとも、今話題になっている統一協会がやっているような過酷な集金や、自民党と癒着して性教育やジェンダーのあり方に悪影響をおよぼすといった大きな実害はなさそうではあります。

僕自身は特定の宗教を信仰していることはなく、宗教などの超越的な何かに救いを求めたいと思うこともありません。
もちろん、世の中には自分ではどうしようもない事情でつらい思いをして、何かにすがらずにいられないほど追い込まれている人がいることも知っています。そんな人に心の平穏を与えるのが宗教の意義であって、だからこそ仏教やキリスト教やイスラムなどの伝統的な宗教は今も多くの人の生活に根付いているので、たとえそれが自分にとってただちに必要がないものでも、宗教の存在を否定することはありません。

でも中には、つらい立場に追い込まれた人につけこんで金もうけをしようとする、どうしようもない悪人もいます。
僕が学生のときにわざと宗教の勧誘についていったのは、「つらい立場に追い込まれた人につけこむ人たち」の心理を知りたいという好奇心もありました。でもどうやら僕が出会ったのはそういう組織ではなかったようです。
統一協会のダミーサークルが大学の中にいることも知っていました。本当はそっちと接触したいと思っていたのですが、卒業するまで統一協会とは無縁のまま終わりました。自分の中で統一協会はテレビの向こうの存在で、今でもリアルに知っている信者はいないのですが、もしかしたら当時僕が大学で接した人の中で、今では日本支部の幹部として、末端の信者から搾取しながら自民党の極右連中とつるんで社会を悪くする、社会にいらない残念な人間になってしまった人もいるかもしれません。

ちなみに創価学会については、中学校で同じクラスだった会員から詳しい話を聞いたことがありました。

創価学会の熱心な信者である同級生に、創価学会について詳しいことを聞いた

僕にとっての2023年は、あとで振り返るだけの価値がある一年にしたいと思っています。今後ともぜひよろしくお願いします。

新型コロナウイルスに感染した記録

2022年7月31日(日) 23:58 | 日記

僕が住む東京都では、判明しているだけで毎日の新規感染者が3万人を超えています。自分は家族もいないし人付き合いも希薄だから感染のリスクは薄いだろうと思っていたのですが、それでも感染してしまいました。
発症したのは2022年7月9日で、2日後の11日に発熱外来へ行って陽性が判明しました。そこから7月19日まで自宅療養となりました。

今は(たぶん)完全に回復したので、ここに自分が感染した記録を残しておこうと思います。

感染前までの普段の行動

会社は在宅勤務を推奨していましたが、僕は毎日出社していました。社内で人がいるときは自分はマスクを外すことはなかったものの、自分に近い席に座っていた人がマスクを外した状態で会話したことはありました。後にその人が僕よりわずかに早くコロナに感染して、それを知ったから自分も病院へ行って検査を受けたので、高い確率でそこが感染源ではないかと思っていますが、断定はできません。

会社の業務以外での他者との会話はほとんどなく、あったとしても小売店や飲食店の店員さんとの会話くらいです。最近はアイドルのライブのようなイベントへ行くことも一切なく、休日のレジャーは密にならないように散歩やサイクリングをする程度でした。感染のリスクは会社の中と、強いて挙げるとしても満員電車くらいのものでした。

発症から感染が判明するまで(7月8日~11日)

7月8日(金) 夕食時に感じた違和感

8日も普通に会社へ行って、夜の9時頃に会社を出ました。この日に起きた大きな事件が気になったこともあり、昼食を食べていなかったので極度の空腹状態で、帰りにとある飲食店に立ち寄ったのですが、この頃から妙なだるさがあり、食べ物の味やにおいをあまり感じられないような感覚がありました。

このとき食事中に舌の裏側に血豆ができてしまい、つぶしたあとの痛みに4日ほど悩まされることになります。空腹で食事して血豆ができることはたびたびあるのですが、できた場所が悪かったようです。これも今思えばコロナが多少影響したのかもしれません。

7月9日(土) 朝から高熱。一時は39.0度まで上昇

朝起きたら、昨夜から感じていただるさが増していました。体温を測ったら38.5度もありました。その後、昼頃には最高で39.0度を記録しました。39度に達するほどの高熱は、20年前に経験して以来でした。

39度

ただ、20年前に高熱を出したときは、頭の痛みなどもあって寝ていることしかできないほど苦しんだ記憶があるのですが、このときは軽い倦怠感があるくらいで、そこまで体調が悪いという感覚はありませんでした。食欲も普通にありました。
のどの痛みや咳など風邪っぽい症状もあり、「まさかコロナに感染したのでは?」との思いもよぎったのですが、前述のとおり感染リスクは低いと思っていたのと、症状自体は軽かったので、ただの風邪なのかなと思うことにしました。

7月10日(日) 参議院議員選挙の日。体調は回復に向かう

朝に体温を測ったら37度台後半で、前日よりは熱が下がりました。この日は参議院議員選挙だったので、午前中に自転車に乗って投票所へ向かい、万が一コロナに感染してしまった場合を考えて(実際には感染していたわけですが……)できるだけ息を潜めながら投票をすませました。帰りにドラッグストアで食料品や風邪薬を買って、さっそく風邪薬を飲みました。薬が効いたのか、夜には平熱の36度台後半に戻りました。

これでもう安心だろうということで、夕食時には選挙特番を見ながらビールを飲んでいました。この時点では味覚や嗅覚の違和感はなく、体調は戻ったと思っていたのですが……。

7月11日(月)午前 社員が感染したと聞かされ、自分も感染を疑う

朝に体温を測ったら37.5度と、また熱が出てしまいました。それでも体調はそこまで悪いわけではないので、いつもの月曜日のように出社しました。
そして会社に着くと、近い席に座っていた会社の人が、コロナに感染して会社を休むことを知りました。ここに至って、土曜日の朝の発熱がコロナによるものだという疑いが一気に強くなりました。家から持ってきた風邪薬を飲んだあと、すぐに帰宅して、在宅勤務に切り替えることにしました。

まさか自分がコロナに感染するなんて思っていなかったので、感染が疑われる場合にどうすればいいのかもわかっていませんでした。すぐにネットで検索して、保健所に聞くと病院を紹介してくれるとのことだったので、管轄の東京多摩府中保健所に電話をして、家から近い発熱外来がある医院を教えてもらいました。

昼前に、その医院に電話をかけたところ、まずはホームページで問診に回答してほしいということ、本日中の診断ができない可能性もあることを聞かされました。7月前半の時点でもオミクロン株の新規感染者は急激に増えつつあったので、すぐに診察できなくても仕方ないのかなと思いながら問診に回答しました。その後2時間ほどして医院から電話が来て、夕方のある時刻に来てほしいと言われました。本日中に検査ができるということで、ひとまずは安心しました。

今は感染者や濃厚接触者があまりにも多すぎて、東京に限らず全国で発熱外来が順番待ちの状態とのことなので、この時期に感染したのはある意味では運がよかった、と前向きに考えることにしています。

7月11日(月)午後 発熱外来で検査して、陽性が判明

医院まで自転車で5分ほど。「駐輪場に着いたら電話してほしい」と言われたので、指定の時刻の5分前に電話をかけました。発熱外来に入って待つように言われたので、医院の本棟と少し離れたところの建物のドアを開けて、中で待機します。発熱外来はエアコンと椅子と、少しの医療器具が置かれた6畳そこそこの部屋でした。

しばらく待つと、防護服を着た医師が来ました。まずは体温とパルスオキシメーターの計測をして、そのあとで鼻の穴の棒を2回突っ込まれての抗原検査・PCR検査。鼻の奥を突かれるのはつらいものでした。

抗原検査の結果は即座に出て、その場で陽性だと言われました。発症したのが7月9日だと伝えたら、7月19日までが自粛期間なので自宅で待機するか、ホテルで療養するなどしてほしいと言われました。
コロナの検査自体は無料ですが、診察料などはこちらで負担する必要があります。医師はサンプルを厳重に消毒して、僕が支払った千円札3枚も注意しながら持っていきました。このあとのことは電話で連絡するので、しばらく部屋で待っていてほしいとのことでした。

5分ほどして、医院のスタッフから電話があり、発熱外来の外のドアノブにかけられていた薬や書類や診察料のお釣りを受け取ったあと、あらためて今後の療養についての説明を受けました。療養期間中は、医師から定期的に電話で体調の確認をするとのことでした。書類には、体調が悪化したときの医療相談の窓口や、宿泊療養を申し込む際の連絡先、療養中に食品などの支援を依頼する相談窓口などについて書かれていました。

もらった薬は熱やせきに効く風邪薬でしたが、結果としてここから症状が悪化することはなかったので、ひとつも飲むことなくすべて残っています。

薬

家に帰ってからはこれといって体調に変化はなく、体温は37度程度に戻りました。ただ気になったのが、顔色が日焼けしたか酔っ払ったかのように赤みを帯びていたことでした。
夜11時すぎに、携帯電話のSMSに東京多摩府中保健所から連絡が来て、My HER-SYSの案内と登録をしてほしいとのことなので、とりあえず登録をすませました。

自宅での療養生活(7月12日~19日)

7月12日(火) 食品などの支援物資を受け取る。嗅覚に異常が発生

自宅での療養生活が本格的に始まりました。ひとり暮らしなので、さすがに宿泊療養を選ぶ理由はありません。この日を含めて8日間、自宅に引きこもることになります。仕事はもちろん在宅勤務です。

朝の体温は36.9度と、ほぼ平熱でした。多摩府中保健所から、My HER-SYSに記入するようにSMSに連絡が来たので、体温と現在の体調、基礎情報として身長や体重などを記入しました。体調の項目は「表情・顔色」「咳・鼻水」「息苦しさ」「全身倦怠感」「嘔気・嘔吐」「下痢」「意識障害」「食事困難」「排尿がない」。この中で、「息苦しさ」のみ若干の自覚症状があったので「はい」と回答しました。

12時過ぎに、多摩府中保健所からSMSが来ました。あらためて7月19日まで外出を控えることと、今後の流れや困ったときの連絡先などに関する案内が書かれていました。
その中に「パルスオキシメーター貸与、保存食配送の申し込み」ができる東京都自宅療養サポートセンターのリンクがあったので、16時頃に申し込みました。ホームページによると、「段ボール3箱分」の食料品が届くとのことです。パルスオキシメーターも、体調が急変してしまう可能性に備えて、念のために送ってもらうことにしました。

SMS

また、前日に医院で受け取った書類によると、東京都だけでなく武蔵野市でも3日分相当の食料品や日用品を支援するサービスをしていましたが、ひとまずは東京都の支援物資だけでよさそうだったので、電話はしませんでした。

17時過ぎに、診断してもらった医師から電話があり、PCRでも陽性だったと告げられたあと、朝の体温や今の体調について聞かれました。この日の朝から夕方にかけて嗅覚が明らかに鈍ったので、そのことを伝えました。喉の渇きも平時以上の感覚。夜に体温を測ったが平熱の36.7度。

この日の体調は、嗅覚の異常および鼻づまりに加えて、のどがいつもより乾きました。ただし、オミクロン株の典型的な症状であるのどの激しい痛みは一切ありませんでした。ほかには多少の倦怠感があったのと、平衡感覚がやや鈍った感覚がありました。
顔はまだ少し赤い感じだったのと、あとは皮膚が弱っているようで、鼻の下に皮膚炎ができました。
下痢の症状もあったのですが、これは平時でもたまに起きていたことなので、コロナのせいかどうかはわかりません。

この日の夜の体温は、平熱の36.7度でした。この後も毎朝体温を測りましたが、発熱することはありませんでした。

7月13日(水) COCOAの登録を促すSMSが届いたのですが……

嗅覚は前日と同じく鈍いままで、通常の2割くらいの感覚です。その他の倦怠感などの症状は薄れていきました。
多摩府中保健所からのMy HER-SYSに関するSMSへの連絡は、19日まで毎朝続きました。指示に沿って、My HER-SYSの画面に体温などを毎日記入しました。

この日は、「COCOAに登録するリンクをすでに送っているので、登録してほしい」というSMSも保健所から届きました。でも過去のSMSを見直してもそんなリンクはなかったので、たぶんミスなんでしょうね。感染者が急増していた時期なので仕方ないことかと思います。
医師からの電話は3時頃で、ここからは2日ごとの連絡となりました。

前日に申し込んだ食料などはまだ届きません。申し込んだのが12日の遅めの時間だったから、13日に発送して、14日に届くスケジュールでしょうか。
顔の赤みは引いてきました。この日も下痢気味でした。

7月14日(木) 東京都と武蔵野市から食料品などの支援品が到着

鼻づまりの症状はほぼなくなったものの、嗅覚は戻りません。後遺症として嗅覚が鈍ったままだったらどうしようと、だんだん不安になってきます。

多摩府中保健所からSMSが来て、今回はCOCOAのリンクが送られてきました。とりあえずアプリをインストールして登録をすませました。

この日の午前に、武蔵野市の自宅療養者支援センターから電話がありました。現状のヒアリングに加えて、食料品と日用品を支援してくれるという案内があったので、送っていただくよう伝えました。なんと、今日の夕方までに届けてくれるということ。早いですね。

昼前に、東京都自宅療養サポートセンターからの物資が届きました。届く直前に電話で連絡があって、そのあとで家の前に段ボールを置いていくという流れです。届けられたのは大きい段ボール2個と、2リットルの水のペットボトルが6本入った段ボール1個、そしてパルスオキシメーターです。
さっそくパルスオキシメーターで酸素飽和度を計測したら、数値は96でした。95以上が正常とされるので、正常値ですね。この後も毎日計測したのですが、94以下になることはありませんでした。

パルスオキシメーターと書類

パルスオキシメーター自体の写真を撮り忘れてしまったので、通販サイトから画像を拝借しました。指にはめて、脈拍と酸素飽和度を測ります。

パルスオキシメーター

そして気になる支援品の中身ですが、大きな段ボール2個に、保存がきく食べ物がたくさん入っていました。レンジで温めるごはんやレトルトのカレーや中華丼、カップ麺、缶詰などのほか、のどを痛めた人への配慮なのか、ゼリータイプの食べ物やおかゆ、野菜ジュースなどもありました。

東京都の支援品1
東京都の支援品2

こちらの箱には2リットルのミネラルウォーターが6つ入っていました。ひとりではすぐには消費できませんが、災害に備えて保管しておくとよさそうです。

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夕方6時半ごろに、武蔵野市からの荷物も届きました。こちらは段ボール1個分の荷物で、食品のほかにティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの日用品もありました。ありがたいですね。

武蔵野市からの荷物

7月15日(金)~19日(火) 特に何もなく療養期間は終了。嗅覚は何日かして回復

15日以降も同様に自宅で過ごすことになりました。外出できないのはたいへんでしたが、大量の食料品を送ってもらえたので、食料について不安はありませんでした。
発症日を含めて12日が過ぎた7月19日。陰性を確かめるための診療などはなく、医師からの最後の電話連絡をもって療養期間は終わりました。

19日の時点でも嗅覚は100%戻っていなくて、平衡感覚も少し怪しい感じがありました。それも数日程度で治りました。パルスオキシメーターは、送られたときに同封されたゆうパックの袋に入れて、22日にポストに入れて返却しました。

コロナの症状がほぼ発熱と嗅覚の異常だけだったのは幸運で、ほかの人はのどの痛みに苦しんだ例も聞きますし、僕自身も後遺症の可能性がゼロではないので、できることなら感染したくないですね。

お花見の風景2022

2022年5月31日(火) 22:28 | 日記

2か月近く経ってしまいましたが、4月2日の小金井公園の景色です。

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3月は暖かい日が続いて桜の開花も早く、この前週が桜の見頃なのかなと思ったら、なんとか4月まで持ちました。

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さすがにこの頃は新型コロナウイルスのオミクロン株がたいへんなことになっていたので、今年もコロナ前のような宴会の風景はありませんでしたが、それでも去年に比べれば人の数は多かったように思います。お酒を飲んで騒ぐ人の姿はないものの、まったりと過ごす家族連れの人たちの姿をたくさん見かけました。

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いつもなら「桜まつり」の会場になっている場所も、当然ながら何もありません。

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去年は閉まっていた売店は営業していました。

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売店の横には、少ないながらもキッチンカーの姿もありました。でも酒類は売っていなかったと思われます。

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例年であれば屋台が並んでいる公園内の道路も、静かなものでした。来年はさすがに賑わいが戻ってくるんですかね。

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公園の中にある江戸東京たてもの園。去年は確か閉まっていましたが、今年は営業していました。この先に入るには入場料を払う必要があるのですが、個人的には過去に一度だけ入ったことがあります。

茶会(2010年10月11日の日記)

新型コロナウイルスワクチン3回めの記録

2022年4月30日(土) 23:59 | 日記

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1か月以上前になってしまいますが、3月終わりのある日に3回めのワクチンを接種してきました。
前の2回と同じく、武蔵野市の武蔵境駅の近くにある武蔵野市民会館です。

新型コロナウイルスワクチンの集団接種の記録
続・新型コロナウイルスワクチンの集団接種の記録

予約は前回と同じように、予約の受付が始まったその日の朝にすぐ取ったのですが、去年夏の1回めのときのようにすぐに埋まる状況ではなかったようです。
当時流行していたデルタ株とは違って、オミクロン株は症状が比較的軽いと言われていたことや、3回めの接種は前2回より副反応が強く出るらしいという話が影響していたものと思われます。

しかも、今回の武蔵野市の集団接種は一部を除きモデルナ製のワクチンで、前回の集団接種はファイザーの人がほとんどだったため、最も副反応が出る可能性が高いといわれる「ファイザー→ファイザー→モデルナ」を選ぶことになります。報道によると、7割近い人が発熱するとのこと。2回めのファイザーでも強い副反応が出た人が、モデルナを避ける判断をするのも仕方ないのかもしれません。
先日書いたとおり、僕は前2回とも副反応はゼロだったので、モデルナでも行けるだろうという根拠のない自信とともに、3回めの接種にのぞみました。

朝、予約した時刻の5分ほど前に会場に着いたのですが、そこからの手続きは実にスムーズでした。待ち時間ゼロで受付をすませて、休む間もなく接種の部屋へ通されます。前2回と同じく、注射そのものはほとんど痛みもなく、接種はあっさり終わりました。
接種後、別室で20分待ってから、体調の変化も特になかったので帰宅しました。

この日は在宅勤務にして、11時頃から夜7時過ぎまで仕事をしていました。こまめに体温を測っていましたが、接種当日は特に発熱もなく、ほぼいつもと変わらない体調でした。接種した左肩が動かしづらくなる、いわゆる「モデルナアーム」の症状がありました。

ワクチンの副反応は接種した次の日が最も重くなるといわれます。
接種の翌日は休日でした。前2回と違って、だるさを感じます。副反応がやってきました。
体温は最高で37.6度を記録しました。倦怠感と肩の痛みが朝から夜まで続きました。とはいえ、そこまでひどい症状でもなく、仮にこの日が仕事だったとしても、会社へ行って席に座ってパソコンのキーボードを打つことくらいはできそうな体調でした。

ワクチンの2日後には、体調は完全に元に戻りました。
副反応ゼロの記録は途絶えてしまいましたが、わりと軽い症状ですんだので助かりました。

オミクロン株の中でも感染力が強めの変異株が流行しているようですが、東京都の新規感染者は少しずつ減っています。ワクチンの効果も大きいと思われます。
徐々にコロナ前の日常が戻りつつあります。それでも、密室のライブ会場で「イエッタイガー!」を叫べる日は当分先なんでしょうね。

タイムズカーからの連絡

2022年3月31日(木) 23:59 | 日記

以前に書いた件の後日談です。

タイムズカーの車内にゴミが放置されていた

タイムズカーの車にゴミが放置されていたのを発見して、タイムズカーの問い合わせフォームに連絡したのが2月23日。その4日後の2月27日に、「タイムズカーコンタクトセンター」から返信がありました。

メールの要点は、

・ゴミを放置した利用者のマナー違反に関するお詫び
・前の利用者に対して注意を促す連絡をした報告
・次回、ゴミが放置されていた場合は電話で連絡してくれれば、別の車への振り替えや、ゴミをタイムズ側で清掃するなどの提案をする
・本件の担当部署への報告

といった内容でした。

やはりメールではなく、電話をかけるのがよかったんですかね。
何にせよ、今回の件が伝わって安心しました。ゴミを放置した利用者が、二度と同じ愚行を繰り返さないことを願います。