2024年4月17日水曜日

人生最後の・・・

 

某日、日本橋外れのウナギの老舗「高嶋家」で晩酌がてらウナギを堪能してきた。気ままな一人時間だったせいか大好きなウナギを前にひょんなことが頭をよぎった。

 





肝焼き、白焼きを肴に燗酒を楽しむ。程よいタイミングで出てきた鰻重を眺める。「はたして人生最後の一食だとしても私は鰻重を選ぶのだろうか」。そんな哲学的?なことを考え始めてしまった。

 

せっかく鰻重を味わっているのに頭の中は他の食べ物ばかり浮かんでくる。深く思い悩んだせいできっと物凄く難しい顔をしながら過ごしていたように思う。

 

10年以上前にこのブログで「最後の一食を選ぶ」という話を書いたことがある。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/09/blog-post_4.html

 

ウダウダと書いていたが結局はTKG、すなわち卵かけご飯を選ぶという結論だった。10年たった今も果たして同じ気持ちなのか冷静に考えてみた。

 

TKGはやはり別格だろう。究極の日本食と表現しても大袈裟ではない。だいたい卵を生で食べる文化は日本ぐらいしか無いので世界一のグルメメニューと言える。

 

とはいえ、「人生最後の一食」である。もうちょっと色気?のある食べ物を選んでも良さそうだ。問題はその一食を味わう時の自分の状況だろう。

 

重病で息も絶え絶えなのか、健康のまま突然死んじゃうのかでまったく様子は異なる。明日、隕石が衝突して地球が全滅する場合ならごく普通の健康状態で最後の一食を選択することになる。

 

病床でヘロヘロだったらもはや食べる意欲はないかもしれない。仮に食欲があったとしてもステーキやカルボナラーラを食べようとは思わないはずだ。やはり、その場合にはTKGが最有力だ。ダークホースとして蕎麦かソーメンぐらいだろう。

 

問題は隕石衝突前日の最後の一食だ。そんな状態で飲食店など開いているはずはないし、もうすぐ死んじゃう時に食べることなど考えてないだろうが、まあ仮定の話だからそこは通常の世相のままという前提だ。

 

最後の一食である。悩みに悩む。頭に浮かぶものをすべて食べたいが、物理的には3品ぐらいが限界だろう。好きなものをそれぞれ通常の半分ぐらいの量で5,6品食べるのがいいかもしれない。


 

最有力候補はトンカツだ。極上のヒレを2,3切れ、続いて鰻重だ。これも半量で済ませて、グラタン、ドリアなどのベシャメル系を半分、麺も欲しいからアルデンテのボロネーゼパスタあたりを半分、さすがにもう満腹でダメそうである。

 

それだけ食べれば納得するかと考えたが、まだまだ大好物が残っている。チキンライスやオムライス、ソース焼きそばが漏れている。これは問題である。これらはその時の気分で上位メンバーと簡単に入れ替わる。

 

麺をメインにするかご飯物をメインにするかでラインナップは変化しそうだ。うーん実に悩ましい。それにしてもこんなことを真剣に考えている私はどこかおかしいのだろうか。いや、心が平穏な証拠だから良しとしよう。

 



と、ここまで書いてきて選外になっていた大事な仲間がいることを思い出した。イクラである。これも物心ついたときから私の人生を楽しませてくれる存在だ。ランク外にしてはダメだ。

 

寿司のイクラもいいが、どんぶりメシにどっさりイクラを乗せて頬張るのが最高だろう。寿司の場合には量的に欲求不満が残るが、イクラ丼の幸福感は圧倒的だ。

 



旅先などでイクラ丼を食べる時にはコレステロール問題が頭をよぎって罪悪感をちょっぴり感じる。でも明日は隕石が衝突するわけだからそんなアホみたいな健康神話は完全無視だ。どれだけイクラを投入しようとヘッチャラだ。なんなら極上の生ウニを箱ごと追加トッピングするのも良い。きっと超絶的に幸せを感じる。

 

ここまで書いてきて、やはり何が何でも外せないのはウマい白米だと気づいた。こればかりは最後の一食に欠かせない。私の場合、最優先すべきはコメなのかもしれない。

 

やはり日本人としてのDNAのせいか、ウマいコメがあってこそのご馳走だ。自分好みに硬めに炊いた粒立ったウマいコメがあれば、むしろそれが人生最後の一食にふさわしいと言えよう。

 

こんなことを考えた翌日は、朝からしっかりウマいコメを炊いてTKGとイクラご飯をセットで食べてしまった。やはり至高の味わいだった。

 



よくわからない結論ですいません。平和である。春である。

 

 

 

 

 

 

2024年4月15日月曜日

言霊(ことだま)

 

言葉そのものに霊力が宿るというのが、いわゆる言霊信仰だ。非科学的だ、バカみたいだと現代人は笑う。私もそうだ。そんなものを信じたってムダだと思って生きてきた。

 

とはいえ、還暦もそう遠くない今ぐらいの年齢になると言霊を意識する習慣は案外大事なことだと思えるようになった。やはり先人の教えは素直に受け入れたほうが良さそうだ。

 

実際の社会でも言霊を信じる感性は意外に定着している。単純だが「そんなこと言っちゃいけません」と叱られるのが最たる例だ。

 

結婚式では「切れる」や「別れる」などの言葉は禁句だ。受験生を前に「滑る」「落ちる」などが禁句なのも同様だ。言霊を信じてきた日本人の根源的な感覚だ。

 

先日来、結膜炎で苦闘していたが3週間経ってようやく治った。目が不自由な状態が3週間も続くと気弱な言葉ばかり口から出そうになったが、本能的にネガティブな言葉を使わないように意識した。これも言霊を無意識に恐れているからだろう。

 

ネガティブワードを口にすることはどんな世界でも否定される。「きっとダメだ」「オレには無理」「うまくいくはずない」といった言葉は嫌われる。そんなことばかり言う人間は実際に人からも見放されるし、勤め人だったら人事評定でマイナスを食らう。

 

偉人の名言集なり自己啓発本などで強調されるのは、いわゆるポジティブシンキングだ。まあ当然の流れだろう。でも面白いもので前向きな発想や考えを持つことは強く推奨されているが、そうした言葉を実際に口に出して唱えよといった指摘はあまり聞かない。

 

思ったり意識したりするだけでは言葉にはなっていない。すなわち言霊は生まれないわけだから「声に出しまくれ」という指導がもっと盛んでも良いと感じる。

 

日本人はもともと言葉数が少ないからだろうか。ブツクサ独り言を発していると変な人だと思われるから人との会話以外では言葉を発しないことが普通だ。

 

だとするとポジティブな考えがあってもなかなか言霊にまでは発展しないという理屈になる。「きっとうまくいく」「絶対成功する」「奇跡を起こす」などと大声で叫んでいる人を見かけることはない。ということは逆に国民みんながそんなことをはっきり口に出したらバブル景気みたいな空前の活況になるのかもしれない。

 

かく言う私も積極的な言葉をひとり呟くことなどない。恥ずかしいからそんな習慣はない。結膜炎の時も「すぐに良くなる」と叫び続けていたら3週間が2週間で済んだのだろうか。だとしたら叫ぶべきだったかも。

 

いまさら羞恥心を維持しても仕方ないからこれからはポジティブな言葉を実際に口に出して言おうかと画策中だ。「大富豪になる」「病気にはならない」「あのコを落とせる」等々、なんでもいいから積極的に口にすることで言霊に頑張ってもらったら明るい未来が待っているかもしれない。

 

バカみたいな話をつらつら書いてしまったが、つくづく日々の暮らしの中で考え方を前向きにすることの大切さを感じるようになった。チンケな精神論かもしれないがそれが結局は毎日の暮らしを良い方向に彩ることは確かだろう。

 

何かで読んだ話だが、不慮の事故で片足を失って失意の底にいる人に駆けつけた家族がこう言ったという。「片足が残ってよかったじゃない、死なないで良かったじゃない」。捉え方ひとつで意識は大きく違うわかりやすい例えだと痛感した。

 

私自身、わりと重症だった結膜炎に悪戦苦闘している間も必死に「治らない難病じゃなくて良かったじゃないか」と自分に言い聞かせてみた。こういう積み重ねがきっと何かの役に立つと考えようと思った。

 

今日は何だかウザったい精神訓話みたいな話になってしまったからこのまま終わるのもシャクだ。お詫びに最近お気にいりのオモシロ画像を載せておく。じわじわ笑える。こういうのは大好きだ。

 



というわけで「好きなものを飲んで食って愉快で健康で幸福な未来が待っている」と言葉にして暮らしていこうと思う。

 

2024年4月12日金曜日

コンビニさまさま


20代の頃の一人暮らしの際、冷凍食品やコンビニメシに随分お世話になった。でも、ウマいものを食べるという感覚はなかった気がする。非常食というか仕方なく空腹を満たすだけだった。実際たいしてウマいものも無かった。

 

その後、家庭人生活を経て中年になってから再びシングルライフに返り咲いたのだが、この間にコンビニメシも冷凍食品も格段の進歩を遂げていた。びっくりするぐらいウマいものに出会って衝撃を受けることすらある。

 

便利な時代になったものだ。健康面を考えなければコンビニが近所にありさえすれば24時間365日食事の心配をしないで済んでしまう。

 

さすがにこの歳になるとコンビニメシをせっせと買うのは自尊心、いや自意識過剰が邪魔をしてちょっと気が引けるのだが、スイーツに関しては食事を買うよりも気軽に買える。実際にしょっちゅう買ってしまう。

 

前の住まいの隣にセブンイレブンがあった。その前の住まいは目の前にセブンがあった。というわけで私は自然にセブン派になった。今の住まいから一番近いコンビニもセブンだ。

 

今の住まいから最寄りのセブンまでは徒歩2分もかかる。それ以前の便利さからすると異常に遠い。だから寄った時はついつい多めにスイーツなどを買い占めてしまう。

 

セブンのスイーツの中でも冷温コーナーに置いてある商品はしょっちゅう新商品に入れ替わる。何年か前に私が死ぬほど好きだった「バニラ香るチーズテリーヌ」もアッという間に入れ替わってその後は見かけなくなってしまった。

 



セブンと覇権を争うローソンでは「どらもっち」や「もちぷよ」など人気商品が定番化されて常備されている。気のせいかセブンの方が入れ替えが頻繁すぎるように思う。ぜひウマい商品を定番化して常備するパターンを推進して「バニラ香るチーズテリーヌ」を復活して欲しい。

 

そんなセブンイレブンだが、冷温コーナーではない場所に目立たずに並んでいるスイーツに見落とせない絶品商品がある。羊羹とか地味目の菓子が並んでいる常温の棚に置かれている「みるく餡まん」である。

 



だいぶ前からの定番商品らしいが、私はいつもシュークリームやエクレアがある冷温コーナーばかりに気を取られてこの絶品商品を見逃していた。最近になって食べてみてビックリ。バカウマとしか言えない。ドストライクだった。賞味期限も長いので今では我が家の常備アイテムになった。未体験の人はぜひ食べていただきたい。本気でウマいと思う。

 

セブンといえば、ちょっとこだわったラインナップの「金の~~」シリーズが人気だ。お惣菜やハンバーグやシチューといった食べ物系の他にスナック菓子なども用意されている。通常商品より値段も高く昔のコンビニイメージを覆すような商品も多い。

 

最近の私のお気に入りが「金のアイスあずき最中」だ。実に真っ当な味がする。きちんとした美味しさとでも表現したら的確だろうか。衣もアイスもあんこも真面目に丁寧に作られたような味がする。お茶と一緒に味わうとホッコリする。

 



「コンビニで売ってるものなんてロクなもんじゃない」的な空気が230年前の世の中には確実に存在した。世代的に私もそんな認識に縛られている面はある。きっと今の若者には無い感覚だろう。味が進化するに連れ「コンビニ弁当は高い」という声まで普通に聞こえるようになった。

 

確かにコンビニのおにぎり陳列コーナーにはよく見ると妙に高価な商品もある。洒落たパスタなど案外強気な値段設定の商品も珍しくない。昔からの習慣でコンビニ商品の値段など気にせずにアレコレ買ってしまう私だが、レジで合計金額を見てちょっとたじろぐことも増えてきた。

 

これからの世の中は貧富の差の拡大と固定化は一層進む。当然、コンビニの行末も今のままというわけにはいかないだろう。高級コンビニと大衆コンビニといった「クラス分け」も進む。

 

そんな状況になったら高級コンビニだけに通う爺さんになりたい。そしてより高級に進化した「バニラ香るチーズテリーヌ」を味わいながら暮らしたいと思う。




2024年4月10日水曜日

お子様ランチの延長に



ワイングラスを手にカッコつけている私だ。こうやって顔抜きで見るといっぱしの紳士みたいである。普段ワインには興味がないのだが、洋食屋さんでベシャメルソースにウットリする時には飲みたくなる。

 

この画像も日本橋のたいめいけんでコキールを皿まで舐めそうな勢いで食べた時の一コマだ。フレンチやイタリアンにはすっかり行かなくなったが「ニッポンの洋食」への熱は一向に冷めない。

 

歳とともに味覚が子供返りしているのか、小難しい名前の小難しい料理?を積極的に食べる機会が激減した。子供の頃に慣れ親しんだ好物ばかり食べている気がする。

 

時々、コンビニでパスタを買ってしまうのだが、イマドキっぽい洒落た商品よりもベタな「たらこスパゲッティ」を選ぶし、菓子パンにしてもオーソドックスなアンパンが妙に美味しく感じるようになった。

 

洋食屋さんのメニューは基本的に昭和の頃の子どもたちにとってご馳走ばかりである。グラタン、シチュー、クリームコロッケ、オムライス等々。焼魚や肉じゃがあたりの普段の食事よりちょっとハイカラだった。すべて名前がカタカナだったのも特別な感覚につながっていたのかもしれない。

 

先日、浅草を散策した。とくに目的もなくただぶらぶら散歩していたのだが、歩きながら考えるのは何を食べようかという一点だけである。やはりこの街に来ると昔からのDNAのせいで食い意地がいつも以上に高まる。

 

黒っぽい天ぷら、蕎麦に釜飯、はたまたトンカツか。老舗人気店が多いだけにそんなラインナップが頭の中でぐるぐると回る。どれも決め手にかけて結局たどり着いたのは洋食の「ヨシカミ」だった。浅草に来るたびここにばかり来ている気もする。

 

東京中の洋食屋さんを訪ね歩いているからこの店よりも自分好みの洋食屋さんはいくつもある。でも浅草の地に足を踏み入れるとナゼかこの店のレトロな雰囲気の中に身を置きたくなる。

 





 

メンチカツ、牡蠣グラタン、ラムステーキ、チキンライスである。デミソースの味、ケチャップの味、ベシャメルの味すべてが味わえて文句なしである。目ん玉が飛び出るような美味しさというわけではなく、ホッコリじんわりと幸せが追いかけてくる美味しさである。

 

若い頃は何かと目先の変わった聞き覚えのない名前の食べ物を目指していろんな店を巡り歩いた。でも自分の中で定番として残っているものはほとんど無い。結局は子供の頃の大好物に影響されて生き続けているみたいだ。

 

今思えば幼い頃は母親が作ってくれたグラタンが大好物だった。ベシャメルソースというより単なるホワイトソースみたいな感じだったが、大げさに言えば故郷の味と言えるかもしれない。出来立てをガシガシ食べたいのに猫舌だったから冷凍庫に5分ぐらい入れて冷まして食べていた。

 

ケチャップ炒めメシも好きだった。色のせいで特別なご馳走に思えた。味はよく覚えていないが食べ終わっちゃうのがとにかく残念で皿まで舐めていた思い出がある。

 

私が子供の頃は今のように外食産業が盛んではなかった。ファミレスも存在していなかったし、子供が連れて行ってもらえるのはデパートのレストランぐらいだった。そこで出てきたのが「お子様ランチ」である。詳細な記憶はないが、小さい旗が立っていたこととオモチャが付いてくるせいで気分は爆上がりだった。

 

考えてみれば洋食屋さんに行ってあれこれと注文するのはお子様ランチの延長みたいな気分なのかもしれない。合盛りにこそしないものの単品注文のそれぞれを一箇所に集めて眺めてみればお子様ランチのスーパー派生バージョンみたいなものである。

 



先日、日本橋三越の中の洋食レストランで実に麗しいイキなメニューを見つけた。その名も「大人さま洋食」である。三越では以前に期間限定でお子様ランチに対抗した「大人さまランチ」を展開していたが、その名残りでこういうメニューが有るのだろう。

 

ナポリタンにグラタン、ステーキにエビフライである。これにコーンポタージュとプリンが付いてくる。5千円近い値付けだが、「大人さま」とうやうやしく呼ばれてしまっては平気な顔で注文しないとなるまい。

 

今日の冒頭でも書いたが、歳とともに味覚が子供返りしていくのなら、高齢化社会の本格化によってこういう大人さまランチみたいなメニューは日本中で定番化していくかもしれない。

 

いずれにせよ、何だか気持ちが穏やかになる一品だった。

 

 

 

 

 

 

 

2024年4月8日月曜日

肉質は大事だけど

 

その昔、私の身体は焼肉屋のカルビで形成されていた。13食カルビと白飯だけで生きていたいと本気で思っていた。20代半ばまでは激しい焼肉愛に満ちていた。

 

おそらく一生分の焼き肉を食べたのだろう。30代ぐらいから焼肉活動は徐々に減退し、いまや苦手な食べ物に近づきつつある。実に残念かつシャバダバなことである。

 

時々は今も焼肉屋に行くのだが、自ら進んでというパターンは無くなってしまった。行けば行ったで赤身肉をそれなりに食べて満足するのだが、やはり牛肉はちょっと重い。長生きする人は晩年まで牛ステーキを平気で食べるそうだから見習わないといけない。

 


 

昔と違ってイマドキの焼肉屋さんでは「そのままの生肉」がデンと供されることが多い。鮮度の良さをアピールする意味もあるのだろう。私がせっせと焼肉屋に通っていた頃とはちょっと様子が違う。

 

昔は生肉そのままではなく専用のタレにビシャビシャと浸った状態の生肉が出てくるのが一般的だった。肉を柔らかくする効果の他に日持ちさせる狙いもあったのだろう。焼肉といえば、よほどの高級店以外は漬けダレに浸った肉を焼いてそれをタレに付けて味わうのが普通だった。

 


 

個人的にはこの画像のように漬け込まれていて欲しい。これだって軽めだ。昔はもっと大量のタレの中でちょっと色が怪しい肉が漬け込まれていた印象が強い。あまり怪しい漬け込み肉はさすがにイヤだが、真っ当な範囲で漬け込まれていてほしいと常に思う。

 

今も大衆的な店ならそういうパターンの肉が出てくるが、ちょっと高級路線の店になると途端に「そのままの生肉」が自慢げに出てくる。おまけにワサビでどうぞ、みたいな謎の食べ方を勧められる。

 

「違うんだよな~」といつも心の中でつぶやく。ステーキ屋や鉄板焼き屋とは違って焼肉屋である。昔の習慣のせいで焼肉を食べたい気分の時はビショビショにタレに浸かった肉を食べたい。ワサビなどは論外だと感じてしまう。

 

そりゃあ肉そのものの美味しさを味わってもらいたいという店側の思いは尊重しないといけない。でも私の中の固定観念は「ちぇ、またそっち系かよ」とゲンナリする。

 

いつだったか、銀座の洒落た焼肉屋で衝撃を受けたことがある。肉はすべて「そのままの生肉」でビショビショ系は皆無。おまけに焼肉のタレすら用意されていなかった。すべてワサビか大根おろしか塩で食えという。思わず絶句した。

 

“焼肉脳”になっている時に焼肉のタレが出てこなかったら暴れたくなる。寿司屋で醤油が出てこないのと同じである。「漬け込まれた肉を焼いてタレに付ける」のが焼肉だと信じて生きてきた私には理解不能だった。

 





ちょっと前にディープタウン・亀戸の人気店「ホルモン青木」に行く機会があった。汚さがウリ?といった風情の渋い店だ。あれこれ注文して楽しく過ごした。でもこういう路線の店でも高価格帯の肉は漬け込まれていないそのまま状態で出てくる。

 

肉の味に関してごまかしが効かないわけだからビシャビシャ漬け込んだ肉ではないほうが正しい姿ではある。それでも昭和のシュールな焼肉屋に日参していた私にはどこか腑に落ちない感覚もある。

 

最近何度か訪ねた人形町の焼肉屋さん「okideli」もかなりウマい肉をあれこれ提供してくれるのだが、基本は「そのまま肉」だ。メニューによってはちょこっとタレが塗ってある程度だ。肉質に自信があるこそこのパターンなのだろう。

 





ねぎ塩であらかじめ揉み込んであるタンがとてもウマかったが、美味しく感じた理由のひとつが「そのまま肉」ではなかったというこだわりかもしれない。やはり個人的にはその店なりの味付けで漬け込んだ肉を出して欲しいと思う。


単なる生肉ならかなりの高級品だってデパ地下にでも行けば簡単に手に入る。「焼肉屋のアノ味」を食べたい私にとっては、肉質が落ちようとも漬け込まれた肉が魅力的に思えるわけだ。

 

焼肉のタレの味も昔とはずいぶん変わったように感じる。すっきり系であることは結構なのだが、スッキリし過ぎている傾向にある。

 

昭和を賛美するわけではないが、昔の焼肉屋さんで出てきたタレはもう少し旨味と甘みが強くてコクを感じた。私の思い出補正のせいでそう感じるのかもしれないが、時々、昔ながらのタレに遭遇するとその思いは間違っていないと実感する。

 

新富町の外れに「KAZU」という焼肉屋さんがある。開いているのか閉めているのかわからないようなシュールな?店構えの店だ。良くも悪くも昭和にタイムスリップしたような雰囲気だが、ここのタレは昔ながらの懐かしい味がする。どこがどう違うのか上手く説明できないのだが、行くたびに「これだよこれ!」とつぶやいてしまう。

 

焼肉が大好物だった時代からもう30年ぐらい経った。きっとその時代で思考停止しているせいで私にはそんなちっぽけな思い込みがあるみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

2024年4月5日金曜日

難儀中

 いつまでも結膜炎が回復せずに難儀している。すでに2週間経ったがまだ復活できない。下の画像は眼が赤くなり始めてから2週間経った時点の状況だ。まだしっかり赤い。この2週間、3度も4度も眼科に通い指示通りに点眼薬を使っているのにこのザマだ。




たかだか眼の炎症でこんなに長期戦になることなど本当にあるのかと改めてネットであれこれ調べてみた。確かに2~3日で治る結膜炎もあるようだが、ウイルス性はかなり長引くのが普通らしい。でもそんな状態になった人など見たことも聞いたこともない。


スポーツ選手とか俳優とか人前に出る商売の人がこんな状態になったら長期離脱になってしまう。でもそんな話は聞いたことがない。その点もついでにネットで調べてみたのだが、あのバスケットのスター・八村塁選手が2年前に結膜炎で2週間離脱していたことを知った。ウイルス性だったらしい。


特効薬が無く自分の免疫力で直していくしかないと医者からは言われた。メドは2週間だとか。でも、どっからどう見ても免疫力が高そうな八村選手でも2週間だったのなら私はもう少し耐えねばならないのだろう。


とにかくモノを読んだり書いたりすることに難儀している。不便極まりない。これからはとにかく目の周りは触らないクセをつけようと思う。


ということで、今日も更新ができないので過去ネタを2つ載せます。



哀愁の豚肉

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/02/blog-post_25.html


ジャンクへの愛

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/06/blog-post_27.html











2024年4月3日水曜日

蕎麦と欲求不満


うどんも美味しいが、やはり蕎麦が好きだ。東京人だから無理してそう言っているわけではない。うどんは何となく大袈裟な感じがする。蕎麦のほうがさりげない。

 

よく分からない表現だが、うどんのほうがドーンと存在感がある。ムダに圧を感じる。爽やかさの点では断然蕎麦のほうが上だ。うどん派の皆さんスイマセン。

 

最近は以前にも増して蕎麦を食べる機会が増えた。いわゆる蕎麦前を気取って酒を楽しむパターンが多いが、酒を抜きたい日にも蕎麦プラス丼物で満足する。

 



蕎麦飲みの相棒として代表格なのが天ぷらだ。蕎麦が来る前に天ぷらだけで一献やるのも悪くない。蕎麦と一緒に食べるのももちろん王道的な楽しみ方だが、個人的にはセットで出されるとどっちつかずになって落ち着かない。

 

「そばがき」も酒のアテの代表格だ。蕎麦の原料の団子みたいなものだが「蕎麦屋で一献傾けているんだぜ」という気分を演出してくれる。本格派の蕎麦屋にわざわざ出かけた時だけの楽しみとも言える。

 

蕎麦と酒の組み合わせは江戸時代からの定番だが、ナゼか私は蕎麦と日本酒を合わせると気持ち悪くなる傾向がある。ちょっと悔しい。そのせいで蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを頼むのだが、この時の蕎麦湯はやはりドロっとしているのが有難い。

 



ドロっとした蕎麦湯は邪道という声もあるが、単純にこれで割った蕎麦焼酎は段違いにウマく感じる。これこそ蕎麦屋で飲む時だけに許された特権みたいなものだから濃い目で結構だと思う。

 

鴨焼きも定番だ。鶏肉だって構わないのだが、やはり鴨肉の風味は蕎麦との相性バツグンである。鴨せいろのように食べるのもアリだが、蕎麦前として鴨だけ味わうのもオツだ。

 

先日、日本橋の外れにある老舗「藪伊豆」に出かけた。冒頭の画像はこの店の蕎麦だ。蕎麦は普通に美味しかったのに鴨がシャバダバだったのが残念だった。

 



下の画像は築地「さらしなの里」で出てきた鴨である。見比べるだけで上画像の鴨の切ない感じが分かる。値付けを高くしても構わないから本格的な蕎麦屋では上等な鴨肉を出して欲しい。

 

この「藪伊豆」で人気メニューの一つが「ごま蕎麦」だ。本格派というか老舗蕎麦屋では基本的に冷たい蕎麦しか食べないのだが、寒い雨の日だったので注文してみた。

 



挽肉も入っていて純和風の坦々蕎麦と呼びたくなる雰囲気だ。辛さは無く純粋に胡麻の風味とコクがグイグイ押し寄せてくる。蕎麦には珍しく細切りのタマネギもたくさん入っていて、これが妙に汁と蕎麦に合う。独特な一品だった。寒い冬にはきっとまた食べたくなると思う。

 

さて、まだ気持ちだけは若い私だ。蕎麦味噌、板わさといった古典的ツマミだけでは欲求不満になるので「カツ煮」を注文することも多い。カツ丼の上だけである。

 


この画像は日本橋のコレド室町内にある「蕎麦割烹・稲田」で出てきたカツ煮。熱々グツグツ状態で出てきたし味も良かった。一歩間違えば老人食?になってしまう蕎麦屋での時間が一気にエネルギッシュになる。

 

蕎麦屋のカツ丼といえばトンカツ屋のカツ丼とはまた違った趣を感じる。昭和の子供は全員が大好きだったし、刑事ドラマで犯人が取調室で泣きながら食べるのも蕎麦屋のカツ丼だった。

 

本当はカツ煮ではなくカツ丼が食べたいのだが、「蕎麦飲み」というイキを気取った時間の中ではそれは邪道な行いである。こういう気取った思い込みで私はずいぶんムダな我慢を重ねているような気がする。

 

その証拠に酒を抜きたい日には、きまって蕎麦とカツ丼を両方注文して感涙にむせんでいる。結局、この組み合わせが無敵だと心底感じるのに“イキがったオジサンブレーキ”が邪魔をするわけだ。

 




日本橋の老舗「利休庵」で食べたせいろと上カツ丼である。「上」を頼むあたりが富豪である。厚みのある肉の揚げたてが私をムホムホさせる。東京の老舗だから味は濃い目だ。それがまた嬉しい。

 

蕎麦の話をイキがって書くつもりが、結局はトンカツ大好き男のカツ丼讃歌みたいな話になってしまった。思えば、トンカツ屋さんに行って極上ヒレカツを堪能している時も本当はカツ丼を食べたいと心の中でつぶやくことがある。

 

私がこの世で一番好きな食べ物はカツ丼なのかもしれない。