2024年3月21日の朝、このニュースを知って、驚きました。
えっ、水原一平さんって、ずっと大谷翔平選手の通訳、練習パートナー、そして、良き友人で、アメリカで活躍している大谷選手にとっては、かけがえのない「相棒」だったのに……
韓国で行われるドジャースの開幕戦の前には、新婚の大谷夫妻と一緒に、水原夫妻も写真におさまっていたのです。
水原さんの年収は7500万円から1億円以上という報道もあって、世界でいちばん稼いでいた通訳かもしれません。
「世界的なスポーツ選手」である大谷選手を支えている存在として、水原通訳は、とくに日本ではよく知られている存在でした。いつも野球中心でストイックな大谷選手が、水原さんに対しては、けっこうくだけた、リラックスした表情をみせるのも、おなじみの光景になっていたのです。
この「スポーツ賭博でドジャースを解雇」というニュースに対して、SNSをみていると「大谷選手がエンゼルスからドジャースに移籍して、開幕戦を迎え、さあこれから、というときに、なんてことしてくれるんだ」という批判や「生涯収支マイナス7億円君」という揶揄(僕もちょっと笑ってしまいました)もあふれていました。まあ、そう思うよね。それと同時に、これだけの収入とスーパーヒーローの盟友、という人も羨む立場にいながら、なんでそんなことを、とも感じていたのです。
これは、ギャンブル依存者として生きてきた僕にとっては、他人事じゃない話、でもあるのです。
僕自身も「ギャンブル大好き、でも大勝負する勇気はない」という人生を送り続けています。
もちろん、生涯で賭けている金額は2桁くらい違うし、僕は違法ギャンブルはやりませんが、「ギャンブル依存症」というのは、そんなに珍しいものではないのです。
水原さんが、違法だと知っていて、あるいはグレーゾーンくらいの認識でやっていたのかはわかりませんけど。
前述したエントリのなかに(書いたのはもう15年くらい前なんですね)、こんな言葉がありました。
「もっと人間どうしのコミュニケーションを!」と君たちは言うけれど、いまの時代の人間には「人間どうしでは癒せない痛み」みたいなのがあるんじゃないかな、とも思う。
擁護する、というわけでもないのだけれど、大谷翔平という「正しすぎる、みんなに期待されつづけているスーパーヒーロー」の傍にいることは、栄誉である一方で、すごいプレッシャーもあったのではなかろうか。自分が何かやったら、大谷選手に迷惑がかかる。
僕はこのニュースを聞いて、ふたりの「依存症のひと」を思い出したのです。
一人目は、大王製紙の元会長・井川意高さん。
この本が出た時点で、井川さんのカジノでの負け額は、106億円!
生涯収支マイナス100億円君!(たぶんその後も負け額は増えているのではなかろうか)
ギャンブル依存症というと、借金漬けになってずっと金策に追いまくられる、ギャンブルしか楽しみがない廃人、みたいなイメージを持ってしまうのですが、井川さんは東大に現役合格し、20代で赤字子会社を立て直し、42歳で大王製紙の社長に就任され、経営者としては素晴らしい実績を残していたのです。
井川さんは、上記の著書のなかで、こう仰っています。
頭はおかしくなっていたと思う。いや、あのころだって、どこかでおかしいと思っていた。それでも、自分で自分をコントロールできなかったのだから、やはり病気なのだろう。
仕事が忙しく時間がないため、土曜日の夜から日曜日の夜まで短期決戦に挑むこともあった。短期決戦だったおかげで勝ち逃げできたときもあるし、月曜日の早朝に帰国する段取りで勝負を延ばした結果、勝ち逃げできたこともあれば最終的に負けてしまったこともある。
資金の上限を定め、これ以上は勝負してはいけないというリミッターを設けておく限り、さほど大負けすることはない。資金と時間のリミッターをはずして狂乱の勝負に打って出るから、ギャンブラーは負けが込んでしまう。「連敗が続いたときにはしばらくルックしよう(待とう)」といったルールをきちっと遵守すればいいのに、負けが込んだときほど次々とカネを投入してしまう。熱くなってはまずいとわかっていながら、自分でつくったはずのルールを無視して暴走してしまう。
「バクチをやる人間は、結局のところ皆バクチに向いていない」のだろう。皮肉なことに、「バクチをやらない人間ほどバクチに向いている」のである。
私には、パチンコやパチスロにハマって破滅する主婦の気持ちがよくわかる。可処分所得をはるかに上回るカネをパチンコやパチスロにつぎこみ、サラ金やクレジットカードから上限までカネを引っ張り、最後は法外な金利を取る闇金からもカネを借りてしまう。本人の支払い限度額をはるかに超えたとしても、「なんとか勝負に勝ちたい」という強迫観念にとらわれて、どこまでもギャンブルを続けてしまう。
総額100億円を超える金額をつぎこんだ私の場合、パチンコやパチスロとは比較にならないと笑う読者もいるだろう。しかし金額の多寡はともあれ、ギャンブル依存症に陥る人間の心理はまったく同じだ。たまたま億単位のカネを動かせる立場だったがために、私のギャンブル依存症は数百万円どころかケタをいくつも飛び越えてしまっただけだ。
水原さんは、あんなに「恵まれた立場」なのに、ギャンブルなんてやらなくても、十分すぎる収入があったはずなのに、と思うのだけれど、逆に考えれば、高い収入があり、大きなお金を動かせる立場になってしまったからこそ、こんなにギャンブルに依存し、負けてしまったのかもしれません。
高収入だとドキドキするレートが上がっていき(ビル・ゲイツが1円パチンコで勝ちまくってもお金のことより「こんなの時間の無駄」としか思わないのではなかろうか。いや、4円でもそうだよね、きっと)、「破滅するかもしれない」金額にならないと「楽しい」と感じられなくなってしまうのです。
水原さんが、大谷選手と出会わずに、それなりの収入でやっていく「普通の通訳」だったら、「週末にパチンコ屋や競馬場で負けてやけ酒を飲んで荒れる、どこにでもいる迷惑系ギャンブラー」だったかもしれないし、某有名卓球選手のように、株取引で一喜一憂するデイトレーダーになっていた可能性もあります。
僕は年齢とともに、ギャンブルは勝てない、でもやりたい、ということで、競馬はほとんどG1レースにしか賭けないし(G1には必ず賭けている、というのも事実なんですが)、パチンコ屋に行くときも1円のレートで遊んでいます。長年、ギャンブルと付き合ってきたので、勝ったときの喜びと負けたときの苛立ち、怒りを比較すると、後者のほうがずっと大きいから、高いレートで勝負するのは自分の感情と懐にとって割に合わない、ということを、懸命に自分に仕込み続けてきたのです。今は株(投資)がありますし。
パチンコとか競馬をやっていると、株というのは、下がるにしてもいきなりゼロになることはないから気楽だな、とか、つい考えてしまいます。自分の「ギャンブルで熱くなって、負けが込むと自暴自棄になって突っ込む性格」も認識しているので、株も信用取引は絶対にやらないし、ここまでは必ず現金(預金)で持っておく、という線引きもしています。
まあでも、いつ「転ぶ」か、わからないんですけどね。
株も「今はいい」けど、バブルのときだって、みんな「この波に乗らなきゃ」と思っていて、それを正当化する理由をいろいろつけていたのだから。株関連の掲示板をみると、同じ株でも、上がっているときには「いまこの株を買わないなんてバカだ」とポジティブなことばかり書かれていたのが、下がりはじめると、とたんに「調子に乗ってこんな株を買っていたやつはバカだ」という書き込みだらけになります。
他人の評価なんて、だいたいそういうもので、僕は大谷選手はどう思っているのだろうか、と勝手に想像してしまうのです。
いまの大谷選手の立場、収入であれば「7億円とかギャンブル依存は勘弁してほしいけど、水原さんは通訳として、友人として自分をサポートしてきてくれた人だし、手放したくない」という気持ちもあるのではなかろうか。その一方で「もう信頼できない」のも事実だろうけど。
結局のところ、こうして、スターは孤独になっていく、のか。
日本では「ギャンブル依存者」は少なくないのです。
2015年に出た本なので、データ的には少し古いかもしれませんが、
「病的ギャンブラー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
世界保健機構(WHO)が”病気”と位置づけている「病的賭博(ギャンブル依存症)」にかかっていると考えられる人たちのことです。そういう人が日本では成人全体の4.8%、つまり約20人に1人いると推定されるといいます。
「病的」が20人に1人ですから、「ギャンブルをする(好き)」という予備軍レベルの人は、もっと大勢いるのでしょう。
この本には、日本特有のギャンブル事情として、こう書かれていました。
日本ほど、日常のなかにギャンブルが溶け込んでいる国はないといえます。
街なかにカジノがある国でも、サンダル履きで行けるような施設はほとんどありません。しかし日本では、買い物帰りの主婦がレジ袋を持ったままパチンコ店に入っていっても違和感がないのです。
パチンコ、パチスロに競馬、競輪、ボートなど、日本はもともと「日常とギャンブルの距離が近い国」だったのですが、インターネット時代になって、さらに「よりカジュアルにギャンブルができる環境」が整ってきてもいるのです。
世界中で違法なオンラインカジノの宣伝がネット上にあふれています(しかも、違法か合法かグレーにみえるような形で)。
このニュースを聞いて、思い出した二人目は、鴨志田譲さんでした。
漫画家・西原理恵子さんと結婚後・離婚。
最期は、アルコール依存症をなんとか抑えて、家族に看取られつつ癌で亡くなっています。
ギャンブルに追い詰められた父親を見ていたはずの西原さんが、どうしてギャンブルにのめり込んだのか。その理由は、自分でもよくわからないという。ただ、ずっと考え続けていたのかもしれない疑問がある。
「人を人でなくしてしまうものは、いったい何なのか? それを見てみたい」
ある医者は、「依存症というのは病気の一種だ」と前置きして、こんな説明を聞かせてくれた。
たとえばパチンコ依存の人は、フィーバーでドキドキしているときが日常の状況になってしまう。酒の依存だと、酒を飲むと頭がシーンとして落ちついて、他人とコミュニケーションがとりやすくなる。どちらも、その状況が一番居心地がいいから、常にそうならなければいけないという心理になってしまう。そんな人が、すごく多いのだと。
同じ医者に、またこうも言われた。
どうしても同じ失敗を繰り返す、依存の女性たちがいる。パートナー選びにしても、ダメな男性と付き合ってさんざん苦労させられ、一度は懲りたはずなのに、次もまた同じようにダメな男性に魅かれてしまう。
それは、ドキドキさせられたりハラハラさせられたりする日常を、心の中で「面白い」とか「すてきなことだ」と置き換えてしまう女性たちなのだ。
「そう聞いて私、『はい』って。『それは間違いない、私です』って。やっぱりそのドキドキ、ハラハラが面白かったり、そういう思いをさせてくれる人を好きになるんですよ。お父さんにドキドキ、ハラハラさせられた。それを面白いことだと心のどこかで思い込んでいるので、仕事も、好きになる男の人も、ドキドキ、ハラハラさせられることが私には面白いんです」
西原さんは、まちがいなく、鴨志田さんとの出会いで、「救われた」時期があったのです。
鴨志田さんとの出会いがあったからこそ、西原さんは、いまの「作風」をつくりあげてきた。
そのままずっと、ふたりが「足りないものを補って、生きていく」ことができれば、よかったのだろうけど……
鴨志田さんもまた「弱さ」を抱えて生きてきた人でした。
二人の子どものために、一度は酒をやめようとした。しかし気がつけば、自分の父親と同じ酒浸りの日々を送るようになっていた。
もう一つ、酒に溺れてしまう皮肉な理由があった。
それは、人気作家になっていく妻と裏腹に、自分はカメラマンとして挫折した、という苛立ちだ。
結婚を決めて、9年暮らしたタイから帰国することになり、さて何をしようかと思いあぐねていた鴨志田さんに、文章を書いてみるよう勧めたのは西原さんだった。
「あんた、何か書いてみたら」
そのままどこかへ電話をかけ、
「明日、浅草で人に会うことにしたから」
翌日出向いた先はゲイバーで、落ち合ったのはゲイ雑誌『さぶ』の編集者。鴨志田さんがアジアでの放浪体験をエッセイに書き、西原さんが漫画を添える初の連載は、二年間続いた。『さぶ』は売れ行きが悪く廃刊となったが、その後、西原さんとの共著が売れた。
そうして「鴨ちゃん」のキャラが世に知られていくにつれ、妬みややっかみが聞こえ始める。
「アイツは、有名な奥さんをもらったおかげで名前が売れた」「カメラマンとしてはダメだったのに、うまいことやったな」
どうでもいいといえば、どうでもよいのだけれど、何か気になってすっきりしなくて……。
と前置きして、複雑な胸のうちを明かした文章が『ばらっちからカモメール』にある。
ある日、西原さんの担当編集者から『現代用語の基礎知識2002』という本が送られてきた。別冊付録の「いまが読める人物ファイル」をパラパラ見ていて、鴨志田さんは自分の名前を見つける。
その紹介文は、最後にこう書いていた。
「漫画家・西原理恵子の夫」
鴨志田さんは思う。普通にこういう場合は、
夫人は漫画家の西原理恵子……としないだろうか。
世間はどうやら、僕がサイバラに手を引っ張ってもらって歩いている、
そう思っているらしい。
あっ、そうか。当たっているからしょうがないのか……。
でも……やっぱり気になる、なあ。
野球選手としての大谷翔平に「嫉妬」していた、というのは、あまりにも飛躍しすぎている、とは僕も思います。
水原さんは大谷選手のキャッチボールの相手をつとめたることもありましたし、学生時代にはスポーツの経験もあり、「学生時代は高校までサッカー部とバスケットボール部に所属」していたそうでが、少なくともWikipediaや少し検索した範囲では、プロスポーツ選手としてのキャリアには縁がなかったようです。
でも、大谷翔平という、あまりにも巨大な恒星、才能の傍にずっといて、「大谷翔平の通訳、友人」としてみんなに認識されている、というのは、誇りになるのと同時に、根っからのサポート役気質でなければ、「自分は『付属品』みたいなものなのか」と感じることもあるのではなかろうか。
今回の件だって、本人にとっては、7億負け、仕事はクビになり、ネットでは大炎上と、人生詰みレベルの惨状なのに、聞こえてくるのは「大谷選手に迷惑かけやがって!」という声ばかり。悪党としても「主役」にしてもらえない。
外部からみれば、いつもスーパースターの傍にいられて、そのおかげで高収入で、自らも有名人になれた、というのはうらやましいかぎりです。
ただ、本人には「まず他人のことを尋ねられる人生」への鬱屈も、あったのかもしれません。それを自覚していたかはさておき。
だからギャンブルに依存していい、違法行為や横領をしてもいい、というわけではありません。それは絶対に。
おそらく、本人だって、「こんなことをしていてはダメだ」とずっと思っていたはずです。依存って、そういうものだから。
僕は水原さんを擁護するつもりもなければ、擁護できる資格もありません。
人生って、いろんな落とし穴だらけだよな、こんなに恵まれなければ、こうして墜ちることもなかったのに、と、嘆息しつつ、こんな文章を書くだけです。
人って、弱いよね、どうしようもないよね。
……それじゃ済まないから、苦しいんだよな。