マスコミは「有名芸能人の孤独死」と騒いでいるんですが、どうも違和感があります。「この人らしい大往生だったな」というのが私の感想でした。
私はクレージーキャッツ全盛期には間に合わなかったけれども、物心ついた頃から「シャボン玉ホリデー」を見ていた世代です。大学生の頃に改めてクレージーキャッツにはまり、クレージー映画5本立てに友人を誘ったりして“布教”に努めていました(笑)。 私にとってのスーパースターは植木等でしたが、一番親近感を覚えるのは桜井センリだったんですね。 クレージーキャッツの歴史について書かれた書物は意外に少なくて、その中で桜井センリの生い立ちに触れられたものとなると更に少ないんですが、そこで描かれた人間像は印象的でした。東京下町のいわゆる“江戸っ子”とは違った、昔の山手育ちの東京っ子らしさを感じるんですね。 人間嫌いというほどじゃないけど、シャイで人見知り。人を押しのけようとは思わず、争い事になりそうになると自分は黙って一歩退いてしまうタイプ。押しつけがましいことは、するのもされるのも嫌い…。 あまり得をする生き方とは言えないでしょうが、それだけにあくせくせずに悠々と生きたように見える桜井センリに私は共感と憧れを抱いたのでした。 * 桜井センリさんは1926(大正15)年、日本郵船勤務だった父親の赴任先であるロンドンで生まれました。3歳で帰国してからは東京暮らしで、小学生の頃から東京芸術大学が開いていた音楽教室に通い、ここでピアノを習ったというから本格的です。中学は私立暁星中学(旧制)に進学。小学生の頃は学年総代になるぐらい優秀だったそうです。 〈「感性の強い子って、小さいうちはできるんです。勉強しなくてもできるから、しないくせがついちゃう。気がつくとできなくなっているという典型例ですね、ボクは」〉 (山下勝利『ハナ肇とクレージーキャッツ物語』朝日新聞社1985 p127) 〈人間もあまり好きではない。人間というより、人間同士のつきあいが得意でない。 「それは子どものころからずっとでしたね。一人でいることが多かったせいか、一人が好きでした」 母親が病弱だったため、朝起きることができない。朝食は前の晩に用意されていたものを一人で食べて学校に行った。兄がいたが、一緒に食べた記憶はない。自分のほうで避けていたのかも知れない。一人だと落ちつける。〉 (同書p123) 兄と食事をした記憶が無いとはかなり極端ですが、人一倍感性が鋭くて内向的。そんな様子が浮かび上がってきますね。 また、お坊っちゃん育ちのようでも、幼少時に自宅が差し押さえを食ったこともあるといいますから、やや虚無的な性格も加わったかも知れません。同書でも過去のことはあまり覚えてないと言って著者を戸惑わせていますが、覚えてないというより過去にこだわらない性格なのでしょう。 大学は早稲田大学政治経済学部。ロンドン生まれ、暁星育ち、早稲田の政経とくれば、商社や金融関係に進みそうなルートで、後に有名コメディアンになるような要素は見当たりません。 ただ、同じ学部の後輩として言うと、桜井さんにとってこの学部はあまり居心地が良くなかったのではないかと思います。天下国家を論じるという気風があって何かと理屈っぽいのです。そして、マンモス学校なので常に自己主張をしていないと自分の居場所を確保出来ない。シャイで感性が鋭い桜井さんとは正反対の“野暮”な校風なんですね。 こういう環境が逆に背中を後押ししたのか、大学を2年で中退してジャズピアニストとして活動をはじめます。 〈「ピアノ弾きが少なかったからです。使われたのは。それにしても三月に一度ぐらいで引き抜かれていましたから、ギャラがぽんぽんあがって、二年ほどしたらかなりいいバンドにいましたね。」〉 (同書p128) 昭和29年にフランキー堺のシティ・スリッカーズに加入して、そこで植木等と谷啓に出会うものの、翌年には脱退して三木鷄郎の冗談工房に加入し、テレビ番組の音楽を作曲する一方で、コントにも出演。昭和35年にクレージーキャッツのピアニストだった石橋エータローが病気で倒れた時、代役として桜井センリに白羽の矢が立ったのは「音楽」と「コント」という方向性が一致したからでしょう。 クレージーキャッツ全盛期については省略しますが、グループとしての活動が一段落してから、桜井さんは映画やテレビドラマのバイプレイヤーとして活躍。「男はつらいよ」にも最終作まで計10本に出演しています。 しかし、テレビのいわゆるバラエティ番組には殆んど出演していないんですね。Wikipediaのプロフィールにも記載が少ないし、私も見た印象がありません。クレージーキャッツはバラエティ番組の先駆者とも言える存在ですが、リーダーのハナ肇以外のメンバーはバラエティ番組に出なくなりました。中でも桜井さんは俳優としての出演が多いのに対して、バラエティが極端に少ない。 「クレージーキャッツ」という“祭”が終わった後は、元の繊細な芸術家肌に戻っていったと見るのは穿ち過ぎでしょうか。 作詞や脚本でクレージーキャッツを支えた青島幸男は桜井センリを「器用で小回りがきく。だけどあの人はクレージーでなにかやるより、ほかに行ったら大変な人だ。ピアノの先生で音楽的素養は十分で、作曲もすればオペラの専門家でもあるんだから」と評しています。(同書p200) 先程から引用している『ハナ肇とクレージーキャッツ物語』ではそんな桜井さんの性格についてこう記します。 〈「いまでも家に帰るとホッとします。だから、たばこも外ですうだけ。家では一本もすわない。落ちついているからすう必要がない」 保守的というより内向的といったほうがいい。食事を例にとってもそれはいえる。普通の人なら大勢の人と一緒にしたほうが楽しいというが、桜井センリは他人と一緒だと半分しか食べられない。一人ならば食べたいだけ食べることができるが、人前だとどうにもおちつかない。 酒はかなり強い。クレージーでは安田伸がいちばん強いが、これは体で飲むタイプ。体の割に強いのが石橋エータロー。これは酒豪といっていいだろう。その二人に負けないぐらい桜井センリも飲む。 ただし、この酒も家ではあまり飲まない。一人でいるときはなにもしないでも心安らかでいられるからだ。飲みたいときは赤ちょうちんに行く。そこで落ちついていられれば腰をすえて飲む。隣席の客が仕事の話なんかを仕掛けてくると、いやになってすぐ帰る。相手がこちらに気を使っていることはわかるが、どうにも我慢ができない。 「もう少しラフになって、あの女優はこうだなんて話を合わせればおもしろいんでしょうが」〉 (同書p123-124) 家にいるのが好き。一人でいるのが好き。 “人に会うのが商売”の週刊誌記者である著者は、芸能人らしからぬ桜井さんを何やら珍しがっているようです。 ただ、これを読む限り結婚生活にはあまり向かない人じゃないかなあとは感じますね。同書に桜井さんの結婚についての記述はありませんが、家族というものにやや関心が薄そう。 ちなみに私が見たニュースでは「葬儀は親族のみで〜」と報じており、“家族”という言葉は使われていませんでした。 * さて、このように多趣味で、過去にこだわりが無くて、一人でいるのが好きで、家族に関心が薄いという人が、いわゆる「孤独死」を必要以上に怖れたとは私にはどうしても思えないのですよ。マスコミは孤独死の悲惨さを喧伝しますが、人によりけりじゃないでしょうかね。一律に「気の毒な孤独死」扱いするのは如何なものか。 ひと月前まで車を運転していたというから86歳まで健康。新聞が溜まっているのを見た近所の人が通報したというから、恐らく最短で発見。何よりも一番愛した自宅で亡くなった訳です。羨むべき人生で、以て暝すべきではないでしょうか。 * ■桜井センリさん死去…クレージーキャッツ (読売新聞 - 11月12日 12:04) http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2219759&media_id=20&from=diary コミックバンド、クレージーキャッツのメンバーだった俳優の桜井(さくらい)センリ(本名・桜井(さくらい)千里(せんり))さんが11日、東京都内の自宅で死去しているのを通報を受けた警視庁牛込署員が発見した。 桜井さんは一人暮らしで外傷はなく病死とみられる。 86歳だった。告別式の日程は未定。 早稲田大学在学中からジャズピアニストとして活動し、1954年、フランキー堺さんが率いるシティ・スリッカーズに参加した。60年にクレージーキャッツに加入し、石橋エータローさんと共にピアノを担当した。フジテレビ「おとなの漫画」や日本テレビ「シャボン玉ホリデー」のほか、植木等さんが主演した映画「無責任」シリーズでも、グループの一員として活躍した。 さらに俳優として、松竹の「運が良けりゃ」「男はつらいよ」シリーズなどの喜劇映画や、TBS「遥かなるわが町」、日本テレビ「前略おふくろ様」、NHK「新事件」などのテレビドラマに出演し、味のある脇役として存在感を示した。クレージーキャッツの存命者は、犬塚弘さんだけとなった。 (mixi日記から転載) #
by funatoku
| 2012-11-14 06:28
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氷菓 (独立系U局) http://www.kotenbu.com/ ☆☆☆☆☆ 原作は米澤穂信のミステリー小説〈古典部シリーズ〉。著者は昨年日本推理作家協会賞を受賞するなど気鋭のミステリー作家として活躍中ですが、01年にデビュー作『氷菓』を刊行した時はあまり評判にならず、〈古典部シリーズ〉も2作で中断。今回は原作刊行から11年目のアニメ化ということで、サイクルが速い近年では珍しい。 何故11年前にあまり売れなかったというと、〈角川スニーカー文庫〉というライトノベルのブランドから出たことが要因でしょうね。〈古典部シリーズ〉はライトノベルのテンプレというか“お約束ごと”をわざと外していて、“萌え”やラブコメを期待している若い読者には物足らなかったろうと思われます。〈古典部シリーズ〉の“幼馴染み”はテンプレ通りに主人公を朝起こしに来たりしませんから(笑)。 しかし、ライトノベルに不馴れな一般読者にとってはむしろ読みやすいとも言え、その後角川文庫に移ってシリーズは継続中。北村薫ファンあたりからは受け入れられる作品じゃないでしょうか。このアニメも、普段はアニメを見ないミステリーファンにこそ見て頂きたいですね。 ミステリーと言っても人が死んだりはしなくて、「毎週金曜昼に別人が図書室から貸り出して、午後に返却している本の謎」「撮影が中断してしまった文化祭映画の結末」「合宿先に現れた幽霊の正体」といった日常的なミクロな事件です。「氷菓」というのは古典部の部誌の題名で、この由来の謎を探るのが前半の山場になっています。 「氷菓」では行方不明になった人は行方不明のままだし、一度壊れてしまった人間関係は元通りには戻りません。劇的な変化は起こらず、ほろ苦い現実をほろ苦いまま受け入れるあたりは、“大人のための青春ストーリー”と言えます。 「京都アニメーション制作」はもはやブランドになっていますが、本作は学園日常生活のリアリティという京アニが最も得意とする部分がよく現れています。シナリオは原作に忠実ですが、トリックの説明など文字だけだとちょっと物足りないかなという部分は、映像でしっかり補っていて、毎度ながら原作の的確な読み込みに感服します。 細かいことですが、例えば登場人物たちが揃って下校する光景は学園ものの定番ですが、現実に於いてはよほど街から離れた高校でもない限り校門を出たらすぐ四方八方に散ってゆきますよね。このアニメでは違う中学から進学してきた子は、先に別れてゆく。そういう細部のリアリティに拘った作品なんです。 主人公グループが最初からやけに結束が堅かったりするのも嘘臭いんですが、古典部員4人は色々な出来事を経験して少しずつ距離を縮めてゆきます。高校1年が終了しましたが、今のところ主人公とヒロインは付き合い始めていない(笑)。アニメ版のラストは将来を予感させる表現になっていましたが…。 現在原作は5巻まで刊行されていて、アニメでは4巻まで消化して高校1年生編が終了しました。「私、気になります」というヒロインの口癖はネット界隈ではそれなりに流行りましたし、アニメ第2期が何年先になるのか私も気になりますね。 TARITARI (独立系U局) http://taritari.jp/ ☆☆☆☆ 高校合唱部アニメ。春期の「つり球」に続いて江の島が舞台というのは偶然かな。 合唱部員は寄せ集めで、本格的な“声楽部”から落ちこぼれた子、音楽家だった母親が死んでから音楽をやめていた子、他との兼部が2人、勧誘された転入生が1人の計5人。バックボーンもバラバラの5人が、合唱という一点で力を合わせてゆきます。 感心したのは、5人それぞれの1人の時間をきちんと描いている点。個人練習したり、家族との会話があったり、将来について悩んだり、といった部分を地道に積み重ねたことで、5人のキャラクターが鮮明になりました。 1クール3ヶ月アニメの場合、主役グループは5〜6人が適当じゃないかと私は思っています。それより多いと存在感希薄な奴が出てしまうし、3ヶ月かけても5人のキャラクターを描けないようでは出来が宜しくない(笑)。その点でこのアニメは5人の群像劇としてバランス良く描けていました。男子2人、女子3人。凡庸な制作者だと、恋愛要素を入れたくなるところでしょうが、この作品の場合は入れなくて正解。恋愛入れると焦点がボケたと思いますね。 また、文化祭に向けて練習していた終盤で、突然文化祭中止が発表されるという場面。主人公たちがショックを受けた場面を敢えて描かずに、次の場面は何日か経ったであろう放課後の廊下で、テンション低めの主人公たちが“再会”するんですね。これは上手いなあと思いました。小津安二郎は「人は悲しい時には笑うもんだ」と言って、いかにも“悲しんでいる”という演技をさせませんでした。この場面も主人公たちが泣き喚いたりしていたらゲンナリするところです。 物足りないのは合唱場面が少ないことですが、合唱というのは人数が少なければ少ないほど各人に高度な技量が要求されるので、やむを得ない面もあります。中には高垣彩陽のように音大出の声優さんもいましたが。 最終回に向けての展開には無理がありましたねえ。廃校が決まり文化祭も中止されてしまったものの、合唱部は閉鎖された校内でコンサートを強行。そこに吹奏楽部や音楽教師がやって来て協力してくれるんですが、取って付けたように70年代青春ドラマみたいなラストにする必要は無かったと思いますよ。それまで細かいところを丁寧に描いていたのが台無し。5人の行動は行き当たりばったりだし、悪玉理事長を止めてくれた校長先生は最後どこに行っちゃったの?ラストの展開だけはガッカリ。 超訳百人一首 うた恋い。 (テレビ東京) http://www.anime-utakoi.jp/ ☆☆☆☆ 百人一首の恋愛歌をテーマに、作者たちの恋愛や人間模様を史実をベースにしながらも大胆にアレンジ。例えば金髪や茶髪はいるし、言葉づかいは殆んど現代語なんですが、平安朝文化を身近に感じさせるためにはなるほどこれも一つの方法かな。原作コミックスは受験生に“参考書”として売れてるんだとか。 一首ごとの短編作品で特定の主人公はいませんが、選者である藤原定家が全体の進行役になっています。少し不満が残るのは、和歌そのものの解釈は意外に通り一遍である点。それを始めると本当に受験参考書みたいになりかねないんですがね…。 SOUL'd OUTというグループによるエンディング曲は私が苦手なヒップホップなんですが、番組を古臭い雰囲気にせずに引き締める絶妙の効果があったと思います。 貧乏神が! (テレビ東京) http://www.binbogamiga.net/ ☆☆☆☆ 桜市子は金持ちで美人で成績優秀という強運な女子高生。ただ、無意識に周囲の幸運まで奪い取ってしまう特異体質のため家族や友達とは縁が薄い。そこへ市子の“幸福エナジー”を吸い取るべく下っ端“貧乏神”の紅葉が派遣されてきた…。幸福エナジーを吸い取ろうとする紅葉と取られまいとする市子のドタバタコメディ。 最初は敵対していた2人の間に徐々に信頼感が生まれてきて“喧嘩友達”のようになってゆくのは、少年漫画の王道展開と知りつつもホロリとさせられたりしました。これは市子のキャラクター設定が上手かったということに尽きます。嫌な奴っぽい言動をしている割に、根はいい奴なんですね。 ストーリーも後味良く終わりました。原作コミックスはこの後も続いているんですが、アニメはこのまま終わった方がいいかも知れません。 もやしもん リターンズ (フジテレビ) http://kamosuzo2.tv/ ☆☆☆☆ 舞台は農業大学。発酵や醸造をテーマに、濃いキャラクターたちが活躍するコメディ。原作コミックスは手塚治虫文化賞や講談社漫画賞を受賞。 07年に第1期が放映されており、5年ぶりの2期ということになります。実は途中の2010年に同じ“ノイタミナ枠”で実写ドラマになっているんですが、これは余計でしたなあ。主人公は細菌が肉眼で見えてしまうという漫画ならではの設定があるんですが、実写にすると空々しいばかり。近年「もやしもん」「うさぎドロップ」「荒川アンダーザブリッジ」のように当たった深夜アニメを実写化するケースがありますが、私見ではアニメを超えられませんね。アニメはアニメ、ドラマはドラマ。棲み分けた方が良いのかなと。 人類は衰退しました (独立系U局) http://www.maql.co.jp/special/jintai/ ☆☆☆★ 人類が激減した数世紀先、突然現れた“妖精”という“新人類”と共生している世界。人類滅亡というのは極めてSF的なテーマなんですが、何故衰退したのか、どうやって生き延びるのかというSF的な見せ場は殆んど活かされていません。主人公の「私」も人類最後の学校の卒業生にもかかわらず、先の心配をする様子もなく優雅にお菓子作りを楽しんでいたり…。 近未来SFとして見るよりも、妖精と共生しているまったりとした中世風ファンタジーとして見た方が正解なのかも知れません。そうしたファンタジー世界に伊藤真澄さんのエンディング曲は合っていたと思います。私は「あずまんが大王」以来この人のファンで毎回エンディングが楽しみでした。 じょしらく (TBS) http://www.starchild.co.jp/special/joshiraku/ ☆☆☆★ 女性落語家たちが楽屋でとりとめもなくガールズトークを繰り広げるギャグ漫画が原作。ストーリー担当は久米田康治ということで、メタ発言や時事ネタ羅列ネタ自虐ネタなど「さよなら絶望先生」の作風を受け継いでいます。 登場人物が女性落語家というのは久米田先生の当時の担当編集者の企画だそうで、作者自身が落語に詳しい訳ではないようです。落語家という設定を十分に活かし切れなかったのはちょっと残念なところです。 「絶望先生」では新谷良子演じる奈美がどんどん“ウザキャラ”になっていきましたが、「じょしらく」最終回で新谷さん演じるウザい新キャラが登場したのには笑いました。こういう“楽屋落ち”も久米田先生の得意技。 ゆるゆり♪♪ (テレビ東京) http://yuruyuri.com/ ☆☆☆★ “百合風味”の日常系コメディ。昨年に続く第2期。太田雅彦監督は「みなみけ」「みつどもえ」そして「ゆるゆり」など、単調になりがちな日常系ギャグアニメを、メリハリをつけながら見せてゆく技術が高いと思います。 この中に1人、妹がいる! (TBS) http://www.tbs.co.jp/anime/nakaimo/ ☆☆☆ 主人公が周囲の女子たちから何故かモテモテ。こういうラブコメはなるべく能天気にやって欲しくて、変にリアリティを入れようとすると無理が生じます。本作はその点で割と良い線を行ってたかな。 言い寄ってくるヒロインたちの中に正体不明の実妹が混ざっているので、妹だけは避けねばならないという縛りも活かせていました。ヒロインたちは様々な思惑から、妹と自称したりするのですが。 アニメは妹が判明したところで終了しましたが、原作は「しかし、それは間違いで実は…」と続いているらしい。アニメはきれいにまとまったのでこのままでも良いと思いますがね。 ココロコネクト (独立系U局) http://www.kokoro-connect.com/ ☆☆★ 男女5人の高校生が超常現象を共有したことで、絆を深めてゆくストーリー。 5人のキャラクターは鮮明に描けていたし、展開自体には無理がなかったけど、性格が全員あまり宜しくないんですよ。主人公は自分を犠牲にしてでも他人を救いたいという少年なんだけど、仲間にもそれを強要して、出来ないと詰ったりする(笑)。押しつけがましかったり、自分勝手だったりして、それぞれ言動が鬱陶しい上に、5人の間で恋愛が絡み合ってゆくので益々脂っこい。 序盤の出来の良さで見続けたら、キャラクターが胃にもたれてしまった感じでした。 (100点満点。☆は20点、★は10点) #
by funatoku
| 2012-09-29 16:16
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「黒談春ってどういう意味?」と頭に?マークを点滅させつつ紀伊国屋ホールへ。「黒談春」「白談春」という独演会をシリーズでやっているのは知っていたのですが、来るのは初めてだったのです。
立川談春「宿屋の仇討ち」 平日昼の独演会というちょっと珍しい時間帯のせいか、客席を見渡して「狙った通りの大人の客層で」などらしくないことを言う。競艇の旅打ちで釧路に行ったら、所持金が600円になってしまい、そのまま飛行機で帰ろうと思ったら天候不順で飛行機が止まってしまった話。夫婦で1泊3万円の温泉旅館に泊まった話。露天風呂に入っていたら、黒人の子供が海水パンツを穿いたまま入ってきたので叱った。あとから続いて二人は入ってくるので、どういう親かと思ったら本物のロバート・デニーロだった。デニーロに「ヘイ!ミスター」と呼びかけて露天風呂は100%源泉であることを英語で伝えようとしたが、「百が日本語だということが分からなくなっているんですね」。部屋に帰って奥さんに話したら「営業だったのね」。誰に話してもどうせそっくりさんだろうと信じてくれないが、廊下で戸田奈津子さんとすれ違ったから本物に間違いない…。 談春師というと、つい上手さを強調してしまいがちで、なかなか文章では伝えにくいのですが、マクラの面白さはピカ一です。理知的な部分と馬鹿馬鹿しい部分のバランスが良くて、かつタイミングが絶品。 「宿屋の仇討ち」は東海道神奈川宿が舞台。前夜は小田原の宿でうるさくて眠れなかったので、静かな部屋に泊めてくれという侍が来る。ところが、この隣室に江戸っ子三人組が泊まって芸者をあげてドンチャン騒ぎ、相撲をとり始めたり、夜話でのろけ話を始める始末。困り果てた侍は江戸っ子たちののろけ話を逆手に取って一計を案じる…という噺。 江戸っ子たちの浮かれっぷりと、隣の侍が怒っていると聞かされた時の間の良さ。「二本差しが恐ろしいのかい」「恐ろしくはないが怖いじゃねえか」。侍が「伊八!」と宿の者を呼ぶタイミングも素晴らしい。縛り付けられた三人を伊八が「仇討ちしなくてももうすぐ死にそうですよ」。談春師はこういうドタバタ喜劇も実に間が良くて1時間笑い通しでした。 立川談春「札所の霊験」 この「黒談春」は他では出来ないネタ下ろしをやるのだそうで、故三遊亭円生師匠は自分の独演会のお客様には我が儘をさせて頂くという考えから珍しい演目をかけたといいますが、「黒談春」は円生流の実験をする会らしいです。だからというわけではないでしょうが、この「札所の霊験」は円生師の「円生百席」という音源はあるものの三遊亭円朝作のかなり珍しい噺。 越後榊原藩の水司又市という下級武士が湯島の岡場所の小増という花魁に惚れて通いつめるが、無粋な田舎侍で相手にされず、挙句の果てに暴れ始める。仲裁に入った水司の上役の息子の中根善之進が小増と深い仲と知って逆恨みし、待ち伏せして切り殺して逐電する。やがて年季が明けた小増は七兵衛という商人の後添いになるが、二度の火災に遭って没落してしまい、知人を頼って越中国高岡に流れ着く。ここで夫婦に金を貸してくれた永禅という和尚は実は水司又市で小増と段々深い仲になる。そのことを知った七兵衛は永禅をゆすりにかかるが、逆に斬り殺されてしまう…。 登場人物の誰にも感情移入出来ないこと甚だしいです。田舎侍は思い込みの激しいストーカーだし、花魁は図に乗って悪態ついたりする性悪。中根は格好つけるが実が無く、没落した七兵衛も根性がさもしくなっています。この噺は因果応報がメインテーマのようで、この後で床下に隠した七兵衛の死体が発見されて、永禅の悪事が露見することになります。 途中で笑える部分は殆んどありませんし、元はとても長い噺なので続き物というスタイルで出来ない現代では演じられなくなったのも無理はありませんね。確かに迫力はあるので演者に問題があったわけではなくて、談春師の力量をもってしても1回だけで現代にフィットさせることは難しい噺ということだと思います。談春ファンの私も正直なところ70分が長く感じられました。終演後に幕を上げて、「お互い大人なんですから、黙って帰ってください」とは洒落でしょうけど(笑)。 「青空文庫」に原作がありました。今回は1~4、15~18を繋げた形での上演でした。このチョイスだとストーリーは進むものの、テーマが見えにくくなってしまったきらいがあります。人情噺と分類されているようですが、原作とざっと見比べると人情噺としても怪談噺としてもやや輪郭がぼけたように感じられるのですね。 #
by funatoku
| 2008-02-20 01:13
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柳家ごん坊「動物園」
失業した男が動物園のバイトに雇われて、ライオンの着ぐるみで檻の中でライオンのふりをしていたら、トラと戦わされそうになって慌てる。しかし、トラが近寄ってきて耳元で「心配するな、俺も雇われた」。寄席の浅い出番でたまに聞くものの、東京のホール落語で前座がやるのはちょっと珍しいかも。明治末期に大阪で出来た新作だそうで、そういえば10年くらい前に大阪の小さな落語会でも聞いた記憶があります。 林家たい平「愛宕山」 「今日、2月8日は楽太郎師匠の誕生日」とまずは笑点ネタ。この日は場内の平均年齢が結構高めで、「笑点」ファンが多いのかも。この 「天下たい平」は普通は日曜昼にやっているのだけれど、今回は金曜夜に開催し、過去にここでネタ下ろしをした分から二席。 自宅で豆撒きをしようとしたら奥さんに止められて、仕方なくレジ袋の中に向かって豆を投げ入れた(笑)。ギャラは出ないが蟹を食べさせると言われて山代温泉に行ったら、他の人が蟹を食べている間に落語をやらされた。などとマクラを振ってから本題へ。 たい平師演じる幇間の一八の印象を一言で言えば「ダメ人間」(笑)。何しろ酒席で客より酔っ払っているし、小狡さや計算高さは余り感じさせないお調子者。旦那に連れて行かれての山登りの場面の、息の演じ方が実に絶妙。歌を歌って勢いをつけようとするも、「歌と足が合わないね」というあたりは爆笑しました。 旦那のキャラクター設定は微妙に意地悪。鷹揚に見えるものの、幇間への酷薄さがチラチラと出ていて、この辺の対比がストーリー全体に心地よい緊張感をもたらしている感じです。崖上でためらう一八の背中を小僧に押させておいて、「俺はお前に指示しただけだよ」と「まるで時津風親方」などというブラックな時事ネタも(笑)。 旦那がばら撒いた小判を求めて崖から飛び降りたりする一八の必死さを、たい平師は表情豊かに演じていました。この一席は表情の比重が大きい印象でしたね。 太田家元九郎(三味線漫談) 見るのは久しぶりかも。お変わりなくて何より。 林家たい平「幾代餅」 TBSが取材に来た。落語家とは縁の深い局なのに何故自分にと思ったら、長老たちには訊き難い件だった。王監督の娘・王理恵が婚約者の蕎麦を食べる音が気になるといって破談になりそうな件で、落語での蕎麦を食べる音の仕草を実演させられた。うどんと蕎麦の違いなどをやってみせると、「ではカレーうどんでは?」「木久蔵ラーメンでは?」(笑)。そして問題の「オクラトロロ納豆蕎麦」をズルっと食べてみせて、「それじゃ排水口です」。 「幾代餅」は「紺屋高尾」の同工異曲。浮世絵を見ただけで、恋の病で寝込んでしまうということ自体が現代では現実離れしていて、二次元に萌えるアニメおたくだって寝込んだりはしませんからね。ですから、私はこの噺をあまりまともにハッピーエンドまで演られるのはちょっと苦手で、立川談春師匠のように思い切った人物造型と緻密な心理描写という現代的リアリズムでゆくか、或いは思い切ってファンタジーとして楽しく演じて欲しいところです。 たい平師はどうやら後者を選んだようで、寝込む清蔵に「餃子でも食べたのかい」と時事ネタで笑いを交えつつ進めます。そして、吉原に着いてからの描写は更にテンポアップしてとても簡潔で、帰ってから幾代を迎えるエンディングまでも実に快調に進みました。この噺にしっとりとした廓噺の風情を求める人にはちょっと物足らない演出かも知れませんが、上述の通り私はたい平師匠の演出を支持したいと思います。 #
by funatoku
| 2008-02-16 20:37
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