大丈夫日記


  フィリピン映画のガイドブック第2弾『まだまだ熱中!フィリピン映画』が完成しました。
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   懐かしの香港映画をネタに妄想を炸裂させた『懐旧的香港電影妄想譚 新・君の夢で逢おう』が完成しました。
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2024年4月17日(水)

▼今日も膝にサポーターを装着して朝の散歩
 散歩しながら膝のことをいろいろ考えてしまう。再生医療を受けても、効果の出る割合が6割ということは、無駄に終わる可能性も高い。でも、そうなったらどうするか。このままだとテニスに戻れないどころか、膝の痛みをかかえたまま日々を過ごすことになってしまう。それだったら、いずれ再発してさらに膝関節の変形が進む可能性があるとしても、内視鏡手術をお願いするしかないのではないだろうか。自分はいま66歳で、膝に問題がないとしても競技テニスを続けられる期限はそれなりに限られている。それだったら、いずれ再発することを懸念して手術をしないよりも、とりあえず手術をしてテニス復帰をめざす方が納得のいく人生になるのではないだろうか。
 歩きながら、そんなことをつらつら考えてしまう。
 最後に少しだけ走ってみようかと思ったが、そう思ったタイミングで左膝の裏側に痛みが出てきて、走ることは断念。

▼枕元に置いている蛍光スタンドがつかなくなってしまう。電源コードをいじるとつくこともあるので、電源コードが断線しているのだろう。それならACアダプターを買い替えるだけで済むなと思ったのだけれど、調べてみるとACアダプターを買う金額にちょっとプラスするだけで蛍光スタンドが新しく買えてしまうらしいことが判明。なんか納得いかないなあ。

▼うちの父親は新型コロナウイルスのワクチンを打った直後に体調を崩して、結局はそれが原因で亡くなっている。
 このとき、病院から教えられて新型コロナワクチン健康被害救済制度の申し込みをした。ワクチン被害が認められれば病院の入院費用が出るというものだ。ただし、申請数が多いわりに審査が進まず、おそらく結果が出るまで1年ぐらいかかるだろうと言われた。
で、申し込んだのが2022年10月ですでに1年半が過ぎたのだけれど、いまだになんの連絡もない。
 厚労省のホームページをみると、現時点で8,438件の審査が終了しているらしい。(認定:6,914件、否認:1,488件、保留:36件)
 2022年9月の時点では審査の終了した件数はたったの989件だったので、それに比べればだいぶ審査は進んでいるのだけれど、いったい我が家の審査の結果が出るのはいつになるのだろう?

今野敏『任侠学園』中公文庫を読了。


 潰れそうな出版社を立て直した阿岐本組の組長阿岐本雄造がこんど手を出したのは、荒れ果てた高校だった。窓硝子は割られ、正門にはスプレーで落書きがされ、校庭の手入れさえされていない学校の経営を組長が引き受けてしまったために、またしても代貸の日村は胃が痛くなるような日々を送るはめになってしまう。校長も教頭もやる気なし、生徒は理解不能、生徒の親はクレーマー。しかも、問題のある生徒の背後には別の暴力団の姿までがちらつく。ヤクザですらあきれる荒廃した学園を、はたしてたて直すことは可能なのだろうか?
 前作の『任侠書房』も抜群の面白さだったけれど、第2弾の本作も負けずに面白い。かつて仲間由紀恵主演で、ヤクザの娘が学校の教師となる「ごくせん」というテレビドラマがあったけれど、基本路線はあれと同じだ。ただし、こっちはよりヤクザの生き方が徹底している。教師ではなく経営者としてヤクザが乗り込んでくるという話なのだから。とはいえ、ここで描かれているヤクザは、かつての任侠映画にあったような現実にはありえない一種のファンタジーと呼んでもいい組織だったりもするのだけれど。
 やがて、彼らを慕う生徒が現れ、教師もやる気を見せるようになるというお約束の展開ではあるのだけれど、お約束が悪いなんてことはぜんぜんない。お約束の展開ならではこそ、最後にはホロリとさせられてしまうのだから。
 これをテレビドラマにしたら面白いだろうなあと思ったら、映画になっているのか。それは観てみないと。原作同様に面白いといいなあ。
 しかし、今野敏、なんであれだけ量産していて、こんなに面白いんだ。

▼夕方に散歩に出たら、その途中で左膝がめちゃくちゃ痛くなって、ほとんど歩けなくなってしまう。しばらく、なんとか歩こうと頑張ったのだけれど、どう考えても家まで辿り着くのは無理で、家に電話をかけて嫁さんに杖を持ってきてもらう。杖にすがりついて家まで歩く途中でスーッと痛みがひいていったのだけれど、それでも杖なしで歩けるわけじゃなく、だいぶやばいな。
 それでもその直前まではスタスタ歩けていたので、どのタイミングでこの痛みがくるのか、実にこわい。
 次に病院に行くのは5月13日なのだけれど、それまでどんな状況が続くのだろう?

▼シャー・ルク・カーン主演のインド映画『マイネーム・イズ・ハーン』を観る。


 アスペルガー症候群を患うイスラム教徒のハーン。母の死後、弟が暮らすアメリカへと移住し、そこで出会ったヒンドゥ教徒のシングルマザー、マンディラと出会い恋に落ちる。病気のために、うまく自己表現のできないハーンだが、彼の一途な性格を見抜いたマンディラは彼と結婚し、幸せな家庭を築く。だが、9.11事件が発生し、アメリカにおけるイスラム教徒の立場は非常に苦しいものとなってしまう。そして、ついにはとりかえしのつかない悲劇が発生してしまう。結婚して「ハーン」という名前に変わらなければ、このような悲劇は起きなかったのに! 激情にかられたマンディラはハーンに別れを告げ、もし戻りたかったら「アメリカ大統領に向かって、私の名前はハーン。だけど、テロリストじゃないって言ってきてよ!」と叫んでしまう。
 家を出たハーンは、アメリカ大統領に会うために、愛する者を取り戻すために、アメリカを横断する旅に出るのだった。
 主演のハーンを演じるのはシャー・ルク・カーン、相手役のマンディラを演じるのはカージョル。『シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦』『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』といった名作でも共演している黄金のコンビだ。しかも、監督は『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』のカラン・ジョーハル。これで期待しなければ嘘というもの。
 そして、期待は十分以上に満たされた。とても素晴らしい作品だったのだ。
 シャー・ルク・カーンはアスペルガー症候群という非常に難しい設定なので、最初のうちは感情移入がとても難しい。正直、身の回りにいたらイライラさせられるだろうなと思ってしまう。カージョルにしても、よくあんな相手と結婚したなと最初は思ってしまう。だけれど、奇矯な行動の底にある彼の真実の姿をしっかり認めて結婚したのだなと、最後には納得させられてしまう。最初のうちはぜんぜんかっこいいと思わなかったシャー・ルクなのに、次第にかっこいいと思えてくる。
 脚本もお見事。母親は幼い彼に生きていく上でとても大切なことを辛抱強く教えていく。これが、後半で生きてくるのだ。インド映画は、こういった伏線の張り方がとても上手で、感心させられてしまう。アメリカを旅していく途中のさまざまなエピソードも、あとでしっかり活きてくる。
 そして、実に意外なことに、シャー・ルク・カーン&カージョル主演でありながら、豪華絢爛に歌い踊るシーンはなし。アスペルガー症候群の主人公という設定でどうやって歌い踊るのだろうか、このキャラクターで歌い踊ったりしたらキャラクター設定が台無しになってしまうぞと不安になったりしたのだが、ジョーハル監督、豪華絢爛なダンスシーンはしっかり封印しているのである。ふたりが結婚するシーンでインド映画らしい楽しい歌と踊りのシーンはあるものの、そこはしっかりと主人公の設定に寄り添ったダンスとなっている。そして、黒人の集う教会でのゴスペルが響き渡るシーンがあるのだけれど、これが実に感動的に使われていて、きらびやかなダンスシーンばかりがインド映画ではないという底力の素晴らしさを見せつけてくれている。ここぞというところで、がっつりと観る者の魂を揺さぶり、泣かせてくれるのだ。
 このところ、『RRR』のようなやたらと派手なインド映画ばかりを観ているような気がするのだけれど、こういう脚本のしっかりした人間ドラマももっともっと観ていきたいと思ってしまった。162分という長尺をまったく感じさせない作品でした。

▼テレビドラマ「不適切にもほどがある」を最終話まで観てしまう。
 昭和と令和をタイムマシンで行き来して、結局は昭和も令和もあれこれと生きづらい時代でがあったけれど、それなりに素晴らしいじゃん。そして、生きづらい原因は実のところはとってもくだらないことなのだから、みんな「寛大になろうよ」って結論に落とし込んでいく。やはり宮藤官九郎脚本のドラマは面白いなあ。そして、しみじみと仲里依紗がいいよねえって、思ってしまった。
 久しぶりにテレビドラマを通しで観てしまったよ。

2024年4月16日(火)

▼今日も朝の散歩。このところ膝の具合がよくないので、サポーターをつけて散歩に出る。

ダフネ・デュ・モーリア『レイチェル』創元推理文庫を読了。


 亡き父に代わりわたしを育ててくれた、兄とも父とも慕っていた従兄のアンブローズが、旅先のイタリアでわたしの遠縁にあたるレイチェルという女性と結婚したと連絡が入る。すぐにアンブローズが帰国するものと思っていたのだが、イタリアでの滞在は長引き、やがて体調が優れないという手紙が届いたかと思うと、「すぐ来てくれ。ついに彼女にやられた。私をさいなむあの女、レイチェルに。」という手紙が届く。わたしはすぐにイタリアに旅立ったが、ときすでに遅く、アンブローズは亡くなっていた。
 わたしはレイチェルという見ず知らずの女性に対する憎しみの念を募らせるのだが、やがてわたしの目の前に現れたレイチェルに心を奪われていくのだった。
 このレイチェルという女性が非常に魅力的に描かれている。主人公のフィリップが相続したコーンウォールの広大な領地に現れたレイチェルは、あっという間にフィリップを魅了し、領地で働く領民たちをも味方につけてしまう。その過程がじっくりと描かれていき、読みながら「いや、この女はいろいろとたくらんでいる悪女なのだ」と思う一方で「いやいや、本当は見かけ通りの魅力的な女性なのではないか」と、心は揺れ続ける。
 フィリップは広大な領地、莫大な財産を相続しているが、遺言書の定めにより25歳になるまで財産を自由にはできないことになっている。もうすぐその誕生日がくるフィリップは、正式に財産を相続したらレイチェルと結婚して、その財産をすべてレイチェルに贈与しようと計画しはじめるのだが……。
 フィリップのことを慕うルイーズという女性から「アシュリー夫人(レイチェル)ほどの女性ともなれば、あなたのような若造くらい難なく手玉に取れるんだってことよ」と言うセリフが飛び出し、まさにこれが真相であると思えてくる。あるいは、フィリップの財産を管理し、フィリップの相談役ともなっている名付け親のケンダルから「世の中にはな、フィリップ、本人にはなんの咎もないのに、災厄をもたらす女というのもいるんだよ。そういう女たちは、触れたものをことごとく不幸にしてしまうんだ」と忠告される。あるいは、こちらが真相なのか。だが、恋で盲目となった若者に、そういう言葉が届くはずもない。
 中盤を過ぎ、レイチェルを告発するアンブローズの手紙が出てきたあたりから、はたしてどうなってしまうのか、本当にレイチェルは悪女なのか、真相が知りたくてページをめくる手がとまらなくなってしまう。派手な展開があるわけでもないのに、ぐいぐいと読まされてしまうのだ。すごいな、デュ・モーリア。
 実は、デュ・モーリアの代表作である『レベッカ』をいまだ読んでいない。これは、読まないわけにはいくまい。

2024年4月15日(月)

▼膝を診てもらうのに、新しい病院に行く。ここは膝関節治療においては定評のある病院で、しかも再生医療にも取り組んでいる病院なので、前の病院で不信感しか感じられなかった身としては、ここに期待するしかないのである。
 整形外科の主任部長がとにかく多忙ということで、最初の診察のみ別の先生となり、いままでの経過を伝え、レントゲン撮影にまわされる。それから延々とまたされて、ようやく担当の先生の診察を受けられた。
 レントゲンを見るかぎりでは、やはり膝関節の内側がやや狭くなっていて、半月板が損傷している可能性があるとのこと。が、そのあとの治療方針だけれど、内視鏡手術には反対とのこと。関節内ですり切れた半月板や軟骨のささくれなどを取り除く手術は、一時的には痛みがおさまるのだけれど、将来的に膝関節がより変形することにつながるので、もっと重症でなければおこなわないのだと言う。前の病院の先生は、そんな説明はいっさいないまま、速効で内視鏡手術をしようとしていたけどなあ。
 再生医療についても消極的で、再生医療は保険がきかないので高価なわりに効果の出る割合は6割程度で、しかも治るのではなくある程度痛みがおさまる程度でしかないのだという。
 そのため、ヒアルロン酸の注射をしながら様子を見たいと言われてしまうのだけれど、ヒアルロン酸の注射はさんざん打ってまったく効果が感じられなかったこと、とにかくテニスができるようになりたいことを伝える。このままだと、どうやってもテニスができるようにはなりそうにない。
 なんだか、嫌々ながらという感じだけれど、なんとか再生医療専門の先生の診察を受けさせてもらえることになる。効果が出る人は6割程度というのはかなりショッキングな数字で、場合によってはかなり高額な費用をどぶに捨てることにもなりかねないのだけれど、こっちは藁をもすがるしかないのだから。
 次回の予約がとれたのは5月の中旬。再生医療のためのMRI撮影をおこなった上で、専門の先生の診察を受け、その上で受けるかどうか判断してくれと言われる。まだ、しばらく先になってしまうなあ。

▼このところ、Netflixで「不適切にもほどがある!」という宮藤官九郎脚本のテレビドラマを観ているのだけれど、これがなかなか面白い。
 1986年(昭和61年)の学校教師小川市郎(阿部サダヲ)が、どういうわけかタイムトラベルして令和の世界にやってきてしまうのだが、令和の世界はやたらとコンプライアンスだのセクハラだのパワハラだの、納得のいかないことばかり。そこで出会ったテレビ局で働く犬島渚(仲里依紗)と親しくなり、いつの間にかテレビ局でカウンセラーとして働くことになってしまう。昭和的な発想が、令和の疲れ果てた人間のメンタルを元気づけてしまうのだ。
 一方、昭和の世界では小川の娘純子のところに令和の人間である社会学者のサカエ(吉田羊)とその息子のキヨシが現れ、キヨシは純子に惚れてチョメチョメしようとするし、サカエはジェンダー的にありえない社会に驚愕し続けることに。
 というわけで、昭和と令和のギャップを笑いのめしてしまう宮藤官九郎の脚本が絶好調のドラマなのだ。しかも、タイムトラベルを繰り返すうちに、驚愕すぎる人間関係に笑いがヒートアップ。まったくもって、とまらなくなってしまうカッパエビセンのような面白ドラマなのだ。

2024年4月14日(日)

▼今日も郵便局行ったついでに、ぐるりといつものコースをお散歩。やたらと暖かくてTシャツ1枚で充分。
 捕虫網を持った子どもを連れたお父さんの姿がたくさんいる。まだ虫取りにはちょっと季節的に早いのだけれど。
 小学校に入るか入らないかぐらいの子どもに「なにか捕まった?」と声をかけると、テントウムシが何匹も入ったケースを見せてくれた。お父さんの持っている虫かごにはイトトンボも入っていた。
 汗をたっぷりかいて帰宅。

▼午後は玄関脇のグレープフルーツの樹をばっさり刈り込む。やたらと元気に枝を伸ばしてくるので、定期的に枝を切らないとならないのだ。
 しかし、このグレープフルーツの樹、葉っぱ一枚一枚の根元から鋭いトゲが伸びてきているので、油断すると手に刺さるし、そのままゴミ袋に突っ込むと袋をズタズタに引き裂いてしまうので、いちいちトゲをカットしなければならず、とっても手間がかかるのだ。
 ちなみに、暖かくなると、このグレープフルーツの樹にはアゲハチョウが続々と卵を産みにきて、アオムシがたくさん誕生することとなる。なので、枝をカットするのはアゲハチョウが飛び回る前にしないといけないのだ。

▼中国映画『流転の地球』を観る。


 太陽の寿命が尽きようとしており、300年以内に赤色巨星となるものと予想された。そのため、地球そのものをロケットとして、2500年かけて4.2光年彼方の別の太陽系に移動するという計画が立てられる。だが、その途中で地球は木星の重力圏につかまってしまい、徐々に木星に引き寄せられていくのだった。
 なかなかスケールの大きなSF映画である。地球そのものをロケットにして移動させるという基本的な発想は『妖星ゴラス』と一緒ではあるのだけれど、なにしろこちらは地球ごと別の太陽系まで移動しようというのだ。
 舞台はウー・ジンのいる宇宙ステーションと、地球ロケットを再起動して地球を救おうとするウー・ジンの息子たちの奮闘を描く地上とにわかれる。両方とも、次から次へとスケールの大きな危機が襲いかかり、ひたすらクライマックスが続くような展開となる。ただ正直、地上の方はなにをやろうとしているのかが、いまいちよく分からない。主人公たちが必死になってやっている行動がうまくいかなければ、地球は救えないのだなということだけは伝わってくるのだけれど、なんかせっかく盛り上がっていても、いまいちやっていることの意味が伝わらないのではもったいない。
 ウー・ジン&アンディ・ラウ主演の『流転の地球 -太陽系脱出計画-』は、本作の前日譚とのこと。こちらもなかなかスケールの大きな作品とのことで劇場で観たかったのだけれど、上映館が少なすぎて配信待ちとなってしまったのは残念。

孫2号の入学式の動画が息子から送られてきたのだけれど、後ろ姿しか写っていない場面が延々とあって頭を抱えてしまう。これは、編集してどうなるものでもないなあ。というか、編集したらほとんどの場面がカットされて、なにも残らなくなってしまうぞ。

2024年4月13日(土)

▼郵便局に行ったついでに、ぐるりと散歩してくる。今日はやたらと暖かくて、途中でTシャツ一枚になってしまう。
 途中で、ザリガニやらカメやらを見かけて、もうすっかり春なのを痛感する。

ホレス・マッコイ『屍衣にポケットはない』新潮文庫を読了。


 ホレス・マッコイを読むのは、角川文庫の『彼らは廃馬を撃つ』、ハヤカワ文庫の『明日に別れの接吻を』に次ぐ3冊目。3冊すべてが異なる出版社から出たわけだけれど、まさか新潮文庫から出ようとは思わなかった。
 地方紙「タイムズ・ガゼット」の新聞記者ドーランは、社会悪を摘発する記事を、ことごとく上層部によって握りつぶされたことに嫌気をさし、独立して真実を報道するための週刊誌を発行する。権力者の腐敗を報道する彼の週刊誌は、市民の支持を得て順調にいくかに見えたが、彼のターゲットとなった権力者たちが、彼の活動を妨害すべく立ちふさがるのであった……。
 きわめてシンプルな構図の小説で、非常に読みやすい。込み入った要素は微塵もない。だが、それだけの小説と断じることのできないなにかがこの小説にはあるように思えてしまう。ホレス・マッコイの小説、表面的なストーリーを楽しむだけではない、なにかが潜んでいて、それが妙に魅力的なのだけれど、それがなんなのかがいまいちはっきりしないので、単純に「面白かった」と言えないのがなんともはがゆい。
 また、本書にかぎって言えば、主人公と女性たちとのやりとりがあれこれと出てくるのだけれど、そのあたりの登場人物たちの心理の動きがいまいちわかりにくい。主人公がなにを考えているのか、相手の女性のことをどう思っているのか、そのあたりがどうもストレートに伝わって来ないのだ。
 あるいは、重大な事態に陥りつつあるのに、主人公がそれに無頓着なのも、いまいちピンとこない。主人公が自信過剰ということなのだろうか。
 つまりは、主人公の性格がどうもつかみにくいのだ。あるときは社会悪を許すことができずに怒りを燃やす熱血漢という一面を見せるのだけれど、別の場面では結婚相手の父親から金をむしり取ったり、あるいは非常に計画的な一面があるように見えながら、けっこう刹那的な行動をとってみたりと、どうにもすっきりしないキャラクターなのだ。
 そういうわけで、面白く読んだわりには、なにかしっくりこない違和感が残ってしまって、なにやらモヤモヤしてしまっているのである。

古本屋さんに本を売りに行く。ヤフオクにもメルカリにも出していない本なので、正直、あまりいい本は入っていない。古本屋さんに申し訳ないような本ばかりだ。
 最初に「買取をお願いします」と声をかけると、「いま、買取制限をしているので、買い取れない本も出てくるかもしれません」と言われ、「うわっ、だったらほとんど買い取ってもらえないんじゃないの」と怯えてしまう。
 でも、結果として43冊持って行って、買い取ってもらえなかったのは5冊だけ。だけど、その5冊の基準がわからない。状態のいい普通に売れる本だと思うのだけれどなあ。均一台に100円で並べていい本だと思うのだけどなあ。
 買取金額は38冊で1763円。充分満足のいく買取金額です。というか、38冊も引き取ってくれてありがとう。
 で、さっそくそのお金で1冊買ってしまう。
 『扉のない家』ピーター・ストラウブ/扶桑社/880円
 ピーター・ストラウブはあと超難関の『ジュリアの館』でコンプリートだ。

▼午後遅めの時間に花見がてら嫁さんとお散歩に出る。家のすぐ横の桜並木をずっと抜けて、鶴ヶ丸八幡神社の桜を観に行く。
 けっこうたっぷりと歩いて、本日の歩数は13,026歩。

2024年4月12日(金)

▼ちょっと膝が痛くて、今日はテニスは無理。

▼韓国映画『パイレーツ』を観る。


 明の皇帝から授かった「国璽」を国に運ぶ途中、使節船は巨大なクジラに襲われて大破し、国璽はクジラに飲み込まれてしまう(映像では飲み込まれたようには見えないのだけれど、あちこちにあるストーリー紹介では「飲み込まれた」とあるので、とりあえずそれに従っておきます)。かくして、国璽を取り戻すため、あるいは一攫千金を狙って、国王の使節、海賊、山賊が入り乱れての大騒動が勃発し、壮絶な死闘が繰り広げられることとなるのだった。
 予告編を観て「これは面白そう」と思ったのだけれど、実際になかなか面白かった。海賊はというと、もともとの頭目が部下をないがしろにする非道な人物で、それに反乱をおこしたヨウォル(ソン・イェジン)が部下たちを率いている。美貌の海賊というだけでなかなかそそる設定なのだけれど、アクションも頑張っていてかっこいいのだ。
 山賊はというと、もともと官軍に所属していたチャン・サジョン(キム・ナムギル)が率いているのだけれど、なにをやっても不運に襲われて、部下たちも「そろそろ俺たちも解散だよな」とか思っている。ところが、海にいるクジラとかいう魚を捕まえれば一生食べていける一発逆転が狙えるということで、クジラがどんなに巨大かも知らずに小舟で海に乗り出していく。この山賊たちがコミカルなパートを担当していて、官軍と海賊の争いに割って入るところがなかなか楽しい。
 海賊を率いるヨウォルを演じているのは、『私の頭の中の消しゴム』『愛の不時着』などのソン・イェジン。それほどアクションの得意そうな女優には見えないのだけれど、なかなか頑張っていた。コミカルな山賊の頭目を演じているのは、『非常宣言』『ザ・ガーディアン/守護者』などのキム・ナムギル。
 先日観たベトナムのアクション映画『ソード・ウォリアーズ 皇帝の剣闘士』も予告編につられて観たのだけれど、こうして予告編がきっかけとなって面白い映画に出会えたりもするので、予告編を信じるのって大事だな。もっとも、裏切られることも多いのだけれど。

2024年4月11日(木)

▼昼過ぎにテニスクラブに行き、軽くゲームをやったのだけれど、今日はいつもに増して左膝が痛くて、まったく左膝に負荷をかけられない。おかげでボールを追うのも歩く程度だし、サービスも左足に踏み込むような打ち方ができない。それでもなんとか2セットこなして2連敗で引きあげる。2日連続では無理なのか。

▼夕食後、母親の韓国ドラマのDVDを借りに、離れたビデオ屋までのんびり歩いていく。やはり左膝が痛くて、スタスタ歩くことができない。いやはや。

▼チョウ・ユンファ主演の香港映画『ゴッド・ギャンブラー レジェンド』を観る。


 負けたことのない伝説のギャンブラー、ケン(チョウ・ユンファ)のもとに、大がかりなマネーロンダリングを行なっている国際的企業を摘発するための協力が依頼される。負けず嫌いなその企業の社長コー(ガオ・フー)を、ギャンブルで叩きのめして欲しいというのだ。そこで、マカオのカジノを舞台に、大勝負が繰り広げられることに。
 一方、その企業に潜入していた捜査官が手に入れた証拠の品は、ひょんなことからケンの娘レインボー(キミー・トン)のもとに転がり込んでくる。それを奪うべく、ケンの邸宅に襲いかかる一団。留守を頼まれていたケンの旧友の息子クール(ニコラス・ツェー)の奮闘にもかかわらず、レインボーが大怪我を負ってしまうのだが……。
 2014年の作品なのでもう10年前の作品になってしまうのだけれど、相変わらずバリー・ウォンはバリー・ウォンなのだなと嬉しくなってしまう。実にもってバカバカしくも楽しい映画なのだ。
 そもそも、最初の『ゴッド・ギャンブラー(賭神)』はというと1989年の作品である。チョウ・ユンファ主演、バリー・ウォン監督によって世に送り出されて、香港で大ヒットした。すると、今度はチャウ・シンチー主演で『賭聖』が作られ、アンディ・ラウ主演で『賭侠』が作られ、あれやこれやが作られて、どれもこれもみんなくっだらないのだけれど、とっても楽しい映画たちだった。そして、1作目から25年がたって、そのテイストそのままに本作が作られているのである。いやあ、バリー・ウォン、相変わらずすぎて嬉しくなってしまうぞ。
 主演はチョウ・ユンファだけれど、年齢的にアクションがきつくなっているので、アクション担当としてニコラス・ツェーが出て、さらにお笑い担当でチャップマン・トウが出ている。香港警察の刑事役でマイケル・ウォンが出ているのも嬉しい。
 女優はキミー・トン、ミシェル・フー、ジン・ティエンと美人を揃えているのだけれど、いまいち個性が感じられなくて、次に観てもたぶんわからない。実際、ジン・ティエンは『スペシャルID 特殊身分』『ポリス・ストーリー/レジェンド』『キングコング:髑髏島の巨神』といった映画で観ているはずなんだけど、ぜんぜんわからなかったもんなあ。

2024年4月10日(水)

▼郵便局に投函しにいったついでに、軽くお散歩。今日はちょっと膝がしんどい。
 久しぶりに、前のテニススクールの社長がワンチャンの散歩をしているところに遭遇。親が骨折して、こんど施設に入れることになっているなどの話を延々と聞かされる。ほぼ同世代なので、どうしても親の介護の話になってしまう。

▼昼食を食べたところで、テニスクラブに行き、のんびり2セット。
 やはり、足をかばってフットワークがうまく使えないので、そこで思うようなボールが打てていない。それでも、なんとか1勝1敗でひとつは勝つことができた。
 市民大会のドロー表が出てきて、それが話題になっているのだけれど、今回は参加していないのでちょっと寂しい。

2024年4月9日(火)

▼朝から激しい雨と風で、散歩もできず。おとなしく家で仕事をする。

▼フィリピン映画『セリーナズ・ゴールド(Selina's Gold)』を観る。


 DVDリリースなどはなく、アマゾンプライムビデオのみで観ることのできるフィリピン映画だ。このところ、ビバフィルム製作のエロティックな映画のビデオリリースや配信が続いているが、これもそうした作品の1本。中にはブリランテ・メンドーサ監督の『ヴァージンフォレスト 愛欲の奴隷(Virgin Forest)』、ローレンス・ファハルド監督の『濡れた人魚妻(Nerisa)』、ボビー・ボニファシオ・ジュニア監督の『売られた女 セックスの代償(TAHAN)』のようなちょっと面白い作品もあるのだけれど、本作はいまいち。最後に衝撃のどんでん返しはあるものの、全体を通してみるといささかうんざりさせられる作品ではあった。
 詳細なレビューはコチラ

▼ベトナム発のアクション映画『ソード・ウォリアーズ 皇帝の剣闘士』を観る。英題は「Once Upon a Time in Vietnam」。なんとも不思議な映画だ。


 舞台となるのは、最終戦争後の荒廃した世界。かつて戦争で国が滅びかけたとき、戦士として国を守った僧侶たちがいた。彼らは戦争終結後も聖職には戻らず、皇帝の戦士として存続し続けた。彼らは鉄の掟によって縛られ、組織を裏切ったり、脱走した者には死が宣告された。
 ダオは、その皇帝軍にあって、脱走した者を探しだし、処刑する役目をになっていた。だが、今回彼が見つけ出したのは、かつての恋人のアンだった。9年前に組織を抜け出したアンは、いまでは小さな村でパン屋を営む夫とひとり息子とともに暮らしていた。ダオはアンを連れ戻そうとするが、この9年間が自分の人生でいちばん幸せな時間だったと言うアンに対して強く出られない。だがそこに、アンを処刑すべく皇帝軍の殺し屋が送り込まれてくるのだった。
 世界設定はちょっと『マッドマックス』っぽい。だが、それでいて中世風でもある。なにやら異世界ファンタジーのような雰囲気も漂っている。激しいアクション描写は香港映画っぽいが、『マトリックス』ぽくもある。敵対するふたりが道で距離をおいて対峙する場面などはまるで西部劇である。ラストシーンなどは、もろに『シェーン』だ。
 アクションは意外と見ごたえがあった。不思議な形をした剣でのバトルが中心となるが、ワイヤーワークもたっぷりとあり、しかもCGも多用している。なにより、俳優の身のこなしがきれいで、観ていて惚れ惚れとしてしまう。
 登場人物の内心を過剰に語らず、最小限の描写にとどめるどころか、必要な説明すら削りかねない演出も魅力的だ。なんども主人公にからむ村娘がいるのだけれど、彼女が何を考えているのか、まったく説明がない。なかなか魅力的な表情を見せる女優が演じていたのだけれど、彼女はいったいなんだったのだろう。
 監督・脚本・主演はハリウッドでも活躍しているベトナム系アメリカ人のダスティン・グエン。
 アンを演じているのは、『CLASH クラッシュ』『ハイ・フォン: ママは元ギャング』『ザ・クリエイター/創造者』などのゴー・タイン・ヴァン。きりっとした気の強そうな美人で、しかもアクションがめちゃくちゃかっこいい。
 皇帝軍のロン将軍を演じているロジャー・ユアンは、『シャンハイ・ヌーン』『バレットモンク』『チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ』といった作品に出ている。
 というわけで、ベトナム映画といいながら、なかなか国際的に活躍しているメンバーがからんでいる作品で、国籍不明のなかなかに面白いアクション映画となっていた。

2024年4月8日(月)

▼朝いちで膝を診てもらうために病院へ。
 実は昨日のテニスのせいで、膝のあたりが固まった感じになっていて、そこそこ痛いのだけれど、それは口には出さず「以前のようなちょっとした拍子に激痛が走ることはなくなったし、軽い運動ならできるようになりました」とだけ伝える。
 2週間前にたっぷり膝に溜まった水を抜いているのだけれど、診てもらうとまた少し溜まってきてはいるとのこと。
「またしばらく様子をみましょう」と言うので、「今後の治療はどういうことになります?」と確認する。
「あなた次第だけれど、手術をすることもできるし、こうして様子を診ていくこともできる」と言うので、「膝に溜まった水を抜くのは、前に通っていた近所の病院でもできますよね」といちおう確認をとった上で、いったんこちらの病院での治療は終了ということにして、膝に水が溜まったら近所の病院で抜いてもらい、痛みがひどくなったら再び手術を検討しましょうということにする。
 この医者に対する信頼感を失って、手術を担当してもらいたくないという気持ちになっていたので、ホッとする。

 帰宅して、別の病院の整形外科の予約を入れるために電話を入れる。膝関節症の治療には定評のある病院で、できればここでおこなっている再生医療を受けたいと思っていたのだ。しかし、前回電話を入れたときには再生医療の方は非常に混み合っていて3~4ヶ月待ちと言われて諦めたのだけれど、すぐにでもコートに戻りたくて焦っていた前回とは違い、いまは軽いテニスならなんとかなってなっているので、のんびり待てる気分になってきていた。
 予約電話で再生医療を受けたいと伝えると、向こうの担当者が「うーん」と唸ってしまって、「再生医療は混み合っていていまだと8月……か、9月になってしまうのだけれど……、とりあえず再生医療を選択肢に入れて●●先生の診断を受けてみましょうか」と提案してくれて、来週月曜日に診察を受けることになった。場合によっては、その方が早く再生医療を受けることができるかもしれないとのこと。前に問い合わせた時には、診察を受けるだけでも2~3ヶ月待ちみたいな話だったのでそのつもりでいたのだけれど、まさかこんなに早く診察が受けられるとは思ってもみなかった。

▼ジュン・ロブレス・ラナ監督、ユージン・ドミンゴ&ポクワン主演のフィリピン映画『Becky & Badette』を観る。昨年のメトロマニラ・フィルム・フェスティバルにエントリーした作品で、なかなか快調なコメディ映画だった。
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2024年4月7日(日)

▼午前中にテニスクラブに行き、最初に壁打ちに行って様子をみたのだけれど、壁打ちが下手すぎて話にならない。壁打ちよりも実際にコートに入ってゲームをした方が簡単じゃんと思い、相変わらず膝にじゃっかんの不安を抱えながらも、コートに入れさせてもらう。
 会う人ごとに「ずいぶん見なかったじゃない」「久しぶりじゃない」と声をかけられ、実は膝を痛めていてと説明をすると、年配のメンバーが多いので四方八方から共感を得てしまう(笑)
 1試合目はとっても上手な人とペアを組ませてもらい、なんなく1勝。無理に走ることはいっさいしないので、膝の方も大丈夫。
 しばらく休んで、ちょっとレベルの落ちるメンバーに入れてもらうと、あれよあれよという間にゲームを奪われて0-6のストレート負け。
 この時に組んだ人が「雪辱戦をしたい」と言うので、コートが空くまで待ってもう1試合。こんどは接戦となり、5-5の40-40まで競り合ってかろうじて6-5で勝ち。
 これで今年の戦績は3勝1敗。とはいえ、ムキになって勝つことを目的にやっている人たちではないので、楽しめればOKなんだけどね。

 クラブハウスに寄って、4~6月分の会費を払い込む。1~3月は1度もできないまま会費だけ払ったことになるのだけれど、こればっかりは仕方がない。

▼午後は浦和に出てメガネの作り直し。新しいメガネ、夜間に運転をしていると信号のライトなどが二重にぶれて見えるので、すごく運転がしにくいのだ。1月に一度同じ症状で店に行っているのだけれど、対応した女性は「原因がわからない。もう少し慣れるまで使ってみて」と言っていたのだけれど、慣れたところでものが二重に見えるのは治らない。今回は、同じ女性店員につかまらないように、さっさと男性店員をつかまえて相談する。
 かなりガッツリ検眼をしてレンズを作り直してもらうことになったのだけれど、その新しいレンズで夜間運転をしてみないことには解決しているかどうかわからないので、いまいち不安だなあ。

▼夕方に母親の韓国ドラマのビデオの返却と貸し出しのために、離れたビデオ屋まで歩いてみる。午前中にテニスをした影響で、けっこう膝が痛い。まだまだ無理はできない。

2024年4月6日(土)

▼今日は菩提寺のお誘いで、増上寺で行われている浄土宗開宗850年を祝う令和6年度の御忌大会(ぎょきたいえ)の団体参拝に参加させていただく。正直、なんのことだか分かっていなかったのだけれど、増上寺の見学ができるというので、嫁さんとふたりで申し込んだのだ。信仰心はほとんどないのだけれど、好奇心だけはたっぷり持ち合わせているもので、なにやら面白そうと思ってしまったのだ。
 昼食を終えて12時半に増上寺三門に来るようにと言われていたので、少し早めに浜松町に出て、適当に歩き回って「東京海老酒場 案のジョー」という奇妙な名前のお店で昼食をとる。嫁さんは海鮮丼、自分はつけ麺。つけ麺は量が選べるというので並を選んだのだけれど、並でもけっこうな量があってお腹がいっぱいになってしまう。
 まだ時間があったのでブラブラしていたら、鳴門鯛焼本舗なる店があって、嫁さんが少し甘いものも食べたいというので、ひとつ買ってふたりでわけて食べる。いや、自分はもうお腹がいっぱいだったのだけれど。

 増上寺につくと、三門のところで菩提寺の名前の入ったカードを掲げている若い僧侶がいたのだけれど、まだちょっと早かったので先に境内を少し散歩してみようとすると、そこでばったり菩提寺のご住職に遭遇してしまう。さっそく挨拶をしたのだけれど、よくまああの人混みの中でバッタリ会ったりするもんだな。
 境内に入ると、今度は副住職に遭遇。なんで、この人混みの中でこうもあっさり出会ってしまうんだ。
 境内をウロウロしていると、出店の中に「浄土宗」の文字の入った最中を見つけてしまう。百貨店などにもお店を出している有名な銘柄だったので、ついついお土産に買ってしまう。嫁さんはさらにアフリカの子どもたちの支援になるというハンカチを2枚購入。子どもたちの支援というフレーズに弱い嫁さんなのであります。
 境内は外国からの観光客もたくさん来ていて、自分は中国人の家族から写真撮影を頼まれてしまう。本殿を背景に東京タワーも入れて欲しいというリクエストなのだけれど、しゃがんで低い姿勢から写真を撮ろうとすると膝が痛いんですけど(涙)
 そうこうするうちに手ごろな時間になったので、三門に戻り、お寺さんの名前の入ったカードを掲げた青年僧に声をかける。今日はこのイベントのお手伝いで、あちこちのお寺からこうして若い僧侶もかけつけてきているようだった。自分のお寺からの団体参拝の参加者は12名で、ほとんどの方は過去にも参加したことがあるとのこと。
 まずは増上寺会館に案内されてお茶をいただき、それから若い僧の解説付きで中の施設を案内していただく。増上寺のホームページを拝見すると、通常はこうした団体参拝の解説付きの案内は1000円だそうだけれど、本日僕たちはすべて無料だ。まずは経蔵の説明を聞いて、中に入る。たまたま通りかかった年配の僧侶が涅槃図の入った箱にぶつかってひっくり返りそうになったのを助けたら、お騒がせしたのでお礼にとさらに詳しい説明を聞かせていただく。箱に入った涅槃図の大きさは9メートルもあるのだそうだ。
 さらに三門安国殿徳川将軍家墓所などを案内していただく。徳川将軍家墓所は本来なら入場料が必要なのだけれど、そこもフリーパスだ。本当はさらに宝物展示室の案内もしていただくはずだったのだけれど、そこでタイムアップとなって大殿の二階にある本堂へあがる。本堂では真ん中に広い舞台があり、その手前にパイプ椅子が並べられている。そこは指定席とのことだったのだけれど、自分たちの席はなんと前から2列目。最前列は関係者の席なので、自分たちの席はまさに特等席。ちょうど法話の最中だったので、椅子に座ったら身動きができなくなってしまったのだけれど、その法話が終わって住職が退場されたところで外に出て、本堂の前からお練りがやってくるのを見学する。車を止めて、大門からずっと練り歩いてくるとのこと。この練行列については、ホームページに説明があるので、そのまま書き写してしまいましょう。
「御忌大会期間中、5~7日の唱導師による日中法要(14:00)に先立ち、法要開始30分前、江戸三大名鐘の一つに数えられる大梵鐘が鳴り響きます。
 これを合図に、荘厳服に身を包んだ唱導師を中心として、木遣・寺侍・吉水講・講中・稚児・式衆・法類随喜寺院・総代などの僧俗200〜300名が練行列を行い、古式ゆかしく大門から三門、大殿へと進みます。このお練行列には、可愛いお稚児さんが参列します。お稚児さんは、諸天善神が姿を変えて唱導師をお護りするさまを現わしています。このお役を勤めたお子さんは、丈夫に育つとされています。
 唱導師が三門をくぐり境内に足を踏み入れる瞬間、二番鐘の音と共に三門楼上から無数の散華が舞い降り、参集の人々は、まさに極楽浄土と思える光景を目の当たりにします。そして大殿入堂に先立ち、庭儀台に登り、偈文を呪して十方諸仏世尊の降臨を請い、法要の無事円成を祈念する庭儀式を行います。」
 まずは先頭に立つ木遣の皆さんがかっこいい。まるでむかしの映画を観ているかのような光景だ。そして、黄金色の法衣に身を包んだ200~300人もの僧侶がゆっくりゆっくりと歩いてくるのである。その後ろの方からは、可愛らしい衣裳を身につけたお稚児さんたちが親御さんと手を繋いで歩いてくる。2階からではなく、もっと近くから観たかったけれど、いちど本堂に入ってしまうと下に降りることはできないのが残念。


 お練りを終えた僧侶の方々が本殿に入られたところで、自分たちもさきほどの席へと戻る。そして、200~300人の僧侶がズラリと並んだ中で荘厳に法要が執り行われるのだけれど、さすがにこれだけの人数の僧侶が唱える読経は迫力がある。自分たちも「南無阿弥陀仏」を一緒に唱え、まわり焼香にてお焼香をさせていただく。何も考えずに参加して、見学程度のつもりでいたので、「南無阿弥陀仏」を唱えたり、お焼香をしたりするとは思ってもいなかった。
 およそ1時間で法要は終了。いやあ、貴重な体験をさせていただきました。


※たいそう荘厳な雰囲気なので、おおっぴらに写真を撮る雰囲気ではなかったので、本堂内の写真はこの2枚だけ。


※法要が終わったあとは、住職が揃っての写真撮影。うちの住職はどこ? 気分はすっかりウォーリーを探せの世界。

▼ご住職が「お茶とケーキを御馳走します」とおっしゃるので、皆さんで隣の東京プリンスホテルのティーサロンへ移動する。まとまって座ることができなかったので、自分たち夫婦は男性1名、女性1名と4人でテーブルを囲む。
 残念ながらケーキはすべて売り切れとのことで、自分はアップルパイとコーヒーのセットをいただく。けっこうなお値段で、これをご住職に払っていただくのも気が引けるのだけれど、他に頼めるものがないんだものなあ。ケーキが売り切れと知ったご住職は、ずいぶんとガッカリした表情をしていたけれど、甘党なのだろうか?
 一緒のテーブルになった男性の方は、むかしからいろいろとお寺のお手伝いをされているとのことで、いろいろな話を聞かせていただく。また、女性の方はご主人が檀家総代をされていたとのことだが、そのご主人が2年前に亡くなられ、いまは1人暮らしをしているとのこと。お二人ともこうしたお寺のイベントにはよく参加されているようだ。うちの嫁さんは、年寄りから話を聞き出す達人なので、どんどん話を聞き出してしまう。おふたりは今年開催される五重相伝(浄土宗における5日間にわたる法要)に参加されるとのことで、ご住職から「まだいまからでも申し込みは間に合います」とお誘いいただくが、「まだ仕事を続けているものですから」と言い訳をして逃げる。ごめんなさい。そこまで信心深い人間ではないんです。今日も、単なる好奇心で参加しただけなんです。さすがに、正直にそう言うわけにもいかないけれどね。

 というような1日で、なかなかこういう機会でもないことには体験のできない面白い1日だったのでした。

2024年4月5日(金)

▼午後遅い時間になってテニスクラブに行き、壁打ちをする。すると、多少フットワークを使ってもぜんぜん膝が痛くないので、これってもしかして、無理をしなければゲームもできるんじゃないのと思い、コートに入れてもらう。
 結果、ゲームができました。
 そりゃ、ボールを思いっきり追いかけるなんてのは論外なんだけど、それでもなんとかゲームにはなるじゃん。3ヶ月半ぶりのテニスだあ! しかも、ペアのおかげできっちり勝ったので、今年の勝率は現時点で100%!
 時間があったので「もう1ゲームやりますか?」と誘われたけれど、ここは自重して1セットだけでやめておきました。
 月曜日に整形外科に行くのだけれど、なんて言えばいいかな。

▼さて、こうなると当然の流れで今夜はエディ・マーフィ主演の『ビバリーヒルズ・コップ3』を観たわけだが、シリーズ3作目となって、だいぶ迷走している感は否めない。


 デトロイト警察の刑事アクセル・フォーリーは、自動車盗難組織を摘発するはずが、なぜかそこには武装した一団が先に来ていて、上司が撃たれて殉職してしまう。かすかな手がかりからまたしてもビバリーヒズルに乗り込むアクセルは、またしてもローズウッドを引っ張り出して犯人を追う。なんとこの犯人一味は、ワンダーワールドというディズニーランドのような巨大テーマパークの地下で、偽札を刷っていたのだった。おいおい、カリオストロ公国かよ! 上司の仇を追っていたら、大変なものを見つけてしまった。どーしよー。
 なんで偽札を刷るのに、遊園地の地下を使わなければいけないのかがまったく分からない。しかも、遊園地の警備を担当している人間は全員、犯人の一味なのだけれど、けっこう衆人環視の中で平然とアクセルを追いかけて発砲したりして、まったく自分たちの正体を隠そうとしていない。いいのか、それで。
 ラストに意外でもなんでもない犯人が、どうだ意外だろう!と言わんばかりに登場するのだけれど、こいつが怪しいのはとっくにバレてるしなあ。
 なんだろう。とにかく脚本が稚拙。遊園地を舞台に、お子様ランチのようにあれこれとアクションを展開すれば面白いだろうと言わんばかりの脚本で、観客を舐めているとしか思えない。
 なにを考えたのか、監督に起用されたのはジョン・ランディス! いやいや、それは違うだろう。このシリーズはコメディを売りにしてはいるけれど、基本は切れ味の鋭いアクション映画のはず。基本の刑事ドラマをないがしろにして、コメディ専門のジョン・ランディスを監督に起用してどうするのさ。結果、いかにもジョン・ランディスらしいお祭り騒ぎの展開されるコメディ映画ができあがってはいるのだけれど、このシリーズに求めているのはこういうテイストの映画じゃないからね。
 こうしてみると、1作目は本当に傑作だったんだよなあ。もし、監督を変えなかったら、1作目のテイストで続けることができたのだろうか? 考えても仕方のないことではあるのだけれど、なんとももったいないシリーズだ。

2024年4月4日(木)

▼回収した記入済み調査票がPDFファイルで納品されたので、今日は出社してそれを片端からプリントアウトする。データ入力して集計するには、やはりプリントアウトした紙がないと効率が非常に悪いのだ。かくして、ぜんぜんペーパーレスにはならないのである。

▼このところ、が痛むことはほとんどないのだけれど、今日のように出社して駅の階段の登り降りを繰り返すと、やはり多少は痛くなってくる。まあ、一時期は手すりにつかまらなければ階段の登り降りなんてできなかったので、それに比べればだいぶ良くなっているのだけれど。

▼エディ・マーフィ主演の『ビバリーヒルズ・コップ2』を観る。


 前作で世話になったビバリーヒルズ警察のボゴミル警部が何者かに撃たれて重傷と知ったデトロイト警察の刑事、アクセル・フォーリーは、再び事件を解決するためにビバリーヒルズに乗り込んでいく。そこで彼を待ち受けていたのは、アルファベット強盗と呼ばれる謎の一団だった。またしても、ローズウッドとタガートを巻き込んで、強引な捜査に乗り出すフォーリーだったが……。
 さすがに前作に比べると脚本が雑になっている。そもそも、身長2メートルと言われるほどの長身の金髪美女(ブリジット・ニールセン)が毎回強盗の現場に出張ってきたら、簡単に正体がばれるだろうに(本当は185センチだけれど)。フォーリーの捜査が順調すぎるのもいまいち。改造された銃弾から射撃クラブに取材に行くと、そこが犯人の本拠地とか、さすがに安易すぎる。
 そこをカバーしているのが、主人公たち3人組のキャラで、エディ・マーフィが相変わらず絶好調。また、前作では優柔不断な真面目人間ぶりが笑いをとっていたローズウッド(ジャッジ・ラインホルド)が、ダーティ・ハリーやランボーにかぶれたキャラに変貌して笑いをとっている。とはいえ、この3人組のおかしさも、前作の方が上だった。なかなか、シリーズ物の第2作は1作目を超えられないのだね。
 監督は前作でめちゃくちゃいい仕事をしていたマーティン・ブレストから、トニー・スコットに交代している。トニー・スコットは本作の前年に『トップガン』で大ヒットを飛ばしていて、明らかにマーティン・ブレストより格が上なのだけれど、この2作を比べた限りではマーティン・ブレストの方がエディ・マーフィの魅力をうまく引き出している。
 ちなみに、この時点ではブリジット・ニールセンはシルヴェスター・スタローンと結婚していたのだけれど、トニー・スコットを相手に浮気をしていたとのこと。なんともゴージャスな夫と浮気相手だけれど、それだけ魅力のある女性だったのだろう。でも、本作ではその魅力もそれほど発揮できていなかったのではないかな。

今野敏『任侠書房』中公文庫を読了。


 昔気質の任侠団体・阿岐本組が、なぜかつぶれかけている出版社の経営に乗り出してくる。なぜかといえば、組長・阿岐本雄蔵には思いつきで行動を起こすというクセがあったからだ。かくして、代貸の日村は、組長の気まぐれに巻き込まれて相次ぐトラブルに立ち向かわざるをえなくなるのだった。
 今野敏は、実在の武術家に題材をとった一連のシリーズがあって、それを大喜びで読んでいるのだけれど、それが出てくるのは数年に一度。あとは、ひたすら警察小説を書いているという印象なのだけれど、そちらはほんの数冊しか読んだことがない。とにかく、どうすればこんなにたくさん書けるのだと呆れるほど、あとからあとから新作が出てくるので、さすがに作品の質が落ちてくるんじゃないのと思っていたのだけれど、本書を読むと、それがとんでもない勘違いであったと言わざるを得ない。面白いのだ。めっちゃ面白いのだ。しかも、中身が濃密なのだ。出版社のおかれた状況、雑誌編集者、単行本編集者の苦悩など、人気作家として身近に見ているせいもあるのだろうけれど、それらがしっかりと描かれている。
 さらには、自分の縄張り以外の場所にある出版社の経営に手を出すと、フロント企業と見なされてマル暴の刑事に目をつけられるは、そこを縄張りとする組織との軋轢も生じかねないは、本来の出版には関係のないトラブルまでがゾクゾクと押し寄せてくる。
 いやあ、面白かった。シリーズはこのあと『任侠学園』『任侠病院』『任侠浴場』『任侠シネマ』『任侠楽団』と続いていて、いやいや、ずっと1作目のテンションが続くわけないでしょと思ってしまうのだけれど、もしかすると今野敏なら続いているのかもしれない。

2024年4月3日(水)

▼今日も朝の散歩。かなり早足で歩いて、最後は700メートルほどを走ってみる。おおっ、けっこう走れるじゃん。
 しかし、こうして走れるとなると、手術ってことにはならなくなるのかも。このまま、テニスができるところまで回復するのだったら、もちろん手術は必要ないんだけれど。
 42分39秒で4.43キロ。キロあたりの平均ペースは9分37秒。昨日よりもペースがあがっている。

▼今日も壁打ちに行きたかったのだけれど、雨が降り出してきたので諦める。

リチャード・マシスン『激突!』ハヤカワNV文庫を読了。


 おそらく本書を読むのは、今回で3回目ぐらいだろう。なにげなく表題作を読み出したら、またしても止まらなくなってしまった。やはり、この表題作は面白い。スピルバーグの映画も傑作だと思うけれど、それもこれもこの原作があればこそだろう。
 表題作の他に「狂った部屋」「屠殺者の家」「蒸発」「不吉な結婚式」を収録。「屠殺者の家」は『地獄の家』の原型ともいうべき面白さがあるし、「狂った部屋」「蒸発」「不吉な結婚式」のこれでもかこれでもかというちょっと偏執狂的な描写もなかなかの迫力だ。しかし、自分にとってのマシスンのベストは『地獄の家』なので、あれをまた読みたくなってしまった。

▼エディ・マーフィ主演の『ビバリーヒルズ・コップ』を観る。


 刑事として優秀ではあっても、上司の命令なんのそののデトロイト警察の問題児、アクセル・フォーリー。幼なじみが殺された事件を追ってビバリーヒルズに乗り込み、上品なビバリーヒルズの刑事たちを巻き込んで大騒動を繰り広げる。
 いやあ、いま観てもこれはめちゃくちゃ楽しい。エディ・マーフィが実にイキイキと動き回っているのもあるけれど、映画としてのテンポがすごくよくて、まるっきりだれる場面がない。また、彼に巻き込まれるビバリーヒルズの刑事たちが個性ゆたかで、とりわけちょいと天然の入ったローズウッドがひたすらおかしい。彼らの個性を引き出す脚本もよくできている。
 あらためて見直してみて、音楽の使い方のうまさに心底感心してしまった。しょっぱなにグレン・フライの「ヒート・イズ・オン」でいっきに引きずり込まれ、そのあとは要所要所でかかるテーマ曲で気分は高揚したままとなる。ポインター・シスターズの「ニュートロン・ダンス」もノリノリで、実に楽しい。
 1984年の作品なので、なんとまあ、もう40年も前の作品なのだ。それでいて、まるっきり古びていないってのは実に素晴らしい。劇場公開時に観ていて、面白かったという記憶だけはしっかりとあったのだけれど、ここまでできのいい映画だとは思っていなかった。見直してみるものだなあ。

 この『ビバリーヒルズ・コップ』、今年新作が公開されるので予告編を観たら、なんとジャッジ・ラインホルドやジョン・アシュトンが出てるではありませんか。40年たって、このメンバーがまた顔を揃えるなんて! それだけで楽しみになってきたぞ。

2024年4月2日(火)

▼天気もいいので気持ち良く朝の散歩。歩き出しは多少左膝の内側が痛いが、歩いているうちにおさまってくる。
 早足で歩いて、最後に500メートルほどをゆっくり走ってみる。なんとかこの程度なら走れる。
 44分16秒で、4.44キロ。キロあたりの平均ペースは9分57秒で、最近の中ではかなり速いペースで歩いたことになる。

ゾラン・ジヴコヴィチ『本を読む女』盛林堂ミステリアス文庫を読了。


 ゾラン・ジヴコヴィチ・ファンタスチカと銘打たれたシリーズの第2弾で、今回は本を読むことを生きがいにしているタマラさんという女性が遭遇する、本をめぐる8編の奇妙な物語が収録されている。
 本をめぐる奇妙な物語というだけで、本好きとしてはたいそう嬉しい作品集なのだけれど、その奇妙な体験というのが本当に奇妙で、しかもその奇妙さ加減がなんとも絶妙なのだ。
 さらには、どの物語も果物が絡む物語となっており、それぞれのタイトルも「リンゴ」「レモン」「ブラックベリー」などとなっている。どれだけ凝った設定なんだ。そして、最終話のタイトルが「フルーツサラダ」となっていて、それまでに出てきた果物が全部出てくるという凝りようなのである。
 どの作品も心地よく読めるテイストの作品ばかりで、肩の力を抜いて気軽に楽しめる1冊となっている。

▼足の具合もいいし、いささかストレスも溜まってきているので、壁打ちをするためにテニスクラブに行ってみる。壁打ちだったら、足が痛くなって途中でやめても誰にも迷惑をかけないし。
 今年になって初めてラケットを手にしたわけだが、さすがにボールの打ち方がわからない。体に叩き込んだ動きができない。それでも、しばらく打っているうちに、体が動き方を思い出し始める。
 膝は大丈夫だ。それよりも、ラケットを握る手のひらの方がしんどくなってしまう。握力がすっかりなくなってしまっている。
 しばらく壁打ちをしただけで、けっこう汗をかいてしまった。

2024年4月1日(月)

▼今日からNHKの朝ドラが新しくなった。前回は朝からやたらとにぎやかなのがしんどくてパスしたのだけれど、今度は関東の製作だし、伊藤沙莉主演でもあるので観ることにする。いやあ、伊藤沙莉がいいなあ。これは楽しみだ。

▼今日は久しぶりに朝の散歩。朝ドラを見終えたら、すぐに着替えて外に出る。
 48分17秒で4.46キロ。キロあたりの平均ペースは10分49秒。ま、こんなものかな。

▼秘かに計画の進行していた宮崎駿と庵野秀明がタッグマッチを組んだアニメ映画『シン・ルパン三世 カリオストロの逆襲』だが、ふたりの意見があわずに製作が中止となったらしい。個性の強いふたりなだけに、共同作業は難しいとは思っていたのだけれど。
 庵野秀明は、自分だけでも計画を進めると息巻いているらしいが、実写映画にすると言い出したりして、まだまだ紆余曲折がありそう。

 エイプリルフールなので、こういうネタを考えてSNSにアップしてみた。まあ、どう考えても宮崎駿と庵野秀明が手を組むということはないだろうし、宮崎駿が『カリオストロの城』がらみの企画に手を出すはずもないのだけれど。

▼昨年末のメトロマニラフィルムフェスティバルに出品されたディンドン・ダンテス&マリアン・リヴェラ主演の『Rwind』を観る。


 ちょっとレトロな雰囲気のポスターと、ビデオテープの巻き戻しを意味するタイトルから、そういう時代にタイムトリップする話かと勝手に思い込んでいたのだけれど、ぜんぜん違っていた。
 かんしゃくを抑えきれずに、家族や職場で傲慢にふるまっていた男が、事故で妻を失ってはじめてそれまでの自分を後悔するのだが、そこに過去に戻ってやりもどせるチャンスが与えられるというファンタジーロマンス。ディンドン・ダンテスの力演ゆえに、観ているこちらの感情も思いっきりゆさぶられる。これはなかなかの佳作。
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2024年3月31日(日)

▼朝いちで嫁さんを駅まで送って、あとは自宅でひたすらお仕事。ちょっとスケジュールの厳しい作業が入ってしまい、今日のうちにある程度はメドをつけておきたかったのだ。そのまま16時まで仕事を続けて、なんとかメドがついてひと息つく。
 ちょうどそのタイミングで嫁さんから「迎えに来て」と連絡が入り、駅まで迎えに行く。

▼今日はまったく歩いていなかったので、これはいかんと散歩に出る。いつもの公園を2まわりして帰宅すると1時間03分で5.92キロ。歩き出しは少し膝が痛かったけれど、歩いているうちに痛みはおさまってしまう。走らないで歩いている分には1時間歩いても大丈夫なんだよなあ。
 しかし、この1時間、もっと有意義に使えないかな。スマホで聴く語学講座みたいなものはないだろうか。理想としてはタガログ語だけれど、英語でもいいから歩きながら勉強できないかな。

▼今月は西村寿行選集をごっそり買い込んだので、買った本の冊数が69冊となってしまった。
 一方、処分した本は39冊。ううっ、30冊も本を増やしてしまったぞ。1月からの累計だとまだマイナスになってはいるけれど、今月も頑張って減らしていかなければ。

2024年3月30日(土)

▼嫁さんと浦和に出て、『デューン 砂の惑星 PART2』を観る。


 本当はIMAXで観たかったのだけれど、すでにIMAXは他の映画がメインとなっていて、『デューン 砂の惑星 PART2』は夜の回のみとなっていたので、通常のスクリーンでの観劇となった。
 結果、映画そのものは凄かったのだけれど、なにしろ長くて疲れ果ててしまった。もう少し話をはしょって、もう少し短くしてほしかった。自分的には、やや中だるみがして、意識が飛びそうになってしまった。こうまで長くなくてもいい。
 それにしても、超未来が舞台なのに、戦闘シーンは大軍勢での肉弾バトルで、まるで『バーフバリ』みたいだと思ってしまった。
 原作を読んだのは大昔なのでよく覚えていないのだけれど、これで原作のどのあたりまで映画化したことになるのだろうか。そして、Part3が完成するのは何年後なのだろうか?

テニススクールでコーチ同士での試合というイベントが開催されていたので、郵便局に行きがてらちょいと覗いてみる。観に行った時には男ダブ対女ダブの試合をやっていたのだけれど、これが意外なことにけっこうな接戦になっていた。
 観ていると、自分もテニスをやりたくてうずうずしてきてしまう。

▼郵便局でヤフオクで売れた本を投函して、そのまま母親の韓国ビデオを返しに少し離れたゲオまで歩いて行く。そこそこいい運動になる。借りていた韓国ドラマのDVD12枚を返して、続きの10枚を借りてきたのだけれど、これでまたこのドラマは完結となってしまう。いったい、次は何を借りればいいんだ?

▼Netflixにてフィリピン映画『ハイソな令嬢になるルール(The Entitled)』を観る。


 アレックス・ゴンザガ主演のコメディなのだけれど、ヒロインがとことん下品なキャラクターで、まったく共感できず。美人女優にとことん下品なことをさせれば面白いだろと言わんばかりのなんとも志の低いコメディで、うんざりしてしまう。
 それでも、しっかりとレビューを書きました。ココ

2024年3月29日(金)

赤塚不二夫『ぼくの自叙伝 笑わずに生きるなんて』海竜社を読了。


 昭和53年1月1日発行。Wikipediaによると昭和50年に週刊誌5本、月刊誌7本の同時連載をこなすという超多忙な状況から、昭和53年に何本もの連載を一気に終え、マンガ家としての活動を縮小していくので、ちょうどその直前に書かれたエッセイと言えよう。マンガ家としての絶頂期に書かれているので、ある意味、安心して読んでいられる。
 手塚治虫の『ロスト・ワールド』に出会ってマンガ家を志し、上京してトキワ荘に過ごすものの、まわりがどんどん売れていく中で自分だけが低迷しているあたりの心情がなかなか切ない。その後、「おそまつ君」でようやく売れっ子になるのだけれど、その頃のマンガ家仲間との交流が読んでいて実に楽しい。そうした自叙伝的な内容から、好きな映画の話、創作スタイル、タモリとの出会い、海外旅行の思い出などなど、思いつくままにあれこれ書いてみましたという感じになっている。

▼昨夜途中まで観た『DUNE/デューン 砂の惑星』を最後まで観る。


 やはり、この映像はすごい。このPart1では設定の説明についやす部分が多かった分、Part2では派手なバトルが展開されるらしいのだけれど、はたしてどのような映画に仕上がっているのだろうか。期待はいやがおうにも高まる。

2024年3月28日(木)

▼アマゾンプライムビデオでなにか面白そうな映画はないもんかと探していたらインド映画の『Street Dancer 3D』という映画を発見。えっ? 『ストリートダンサー』っていま劇場公開しているんじゃないの? よく分からないまま見はじめたら、あれ? 日本語字幕が出ないよ。字幕を調べたら、なんと日本語字幕がついてないじゃありませんか。いったい、どういうこと?


▼ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』を観る。


 世界各地に12個の巨大な未確認飛行物体が現れる。だが、彼らは何をするでもなく、ただそこにあり続ける。言語学者のルイーズは、彼らとコミュニケーションをとる方法を探るために召集され、定期的に入口が開かれる未確認飛行物体に乗り込んでいく。そして、そこに現れた2体の異星人と意思を疎通するための方法を探り、彼らが独自の表意文字を使用していることを探り出す。それを突破口にして、ようやく彼らの来訪の目的を尋ねると、「武器を提供するため」と答えるのだった。
 映像はすごい。さすがは『ブレードランナー2049』『DUNE/デューン 砂の惑星』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督である。
 しかし、その内容はなかなかに分かりにくい。原作となっているテッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読んだのは、もう14年も前で、内容なんてかけらたりとも覚えていないので、なんの助けにもなりはしない。
 しかし、時間に関する設定が『スローターハウス5』と同じだと考えれば、多少は理解しやすくなる。この異星人にとって、時は過去から未来へと流れるのではなく、すべて同時に存在しているのだ。そして、この異星人の言語を学ぶことによって、ルイーズも過去から未来にいたる時間を同時に俯瞰する能力をいつしか身につけていく。
 いずれにしても、この同時に存在する時間を眺める能力について考えようとすると、どうしても頭がこんぐらがってくる。なんとなくわかった気がするという程度でとどめておくのがよさそうだ。
 それにしても、中国が異星人とコミュニケーションをとるのにマージャンを使うというのには意表を突かれたが、いったいどうやってマージャンで意思の疎通をはかったのか、そっちの物語も観てみたいものだ。そして、異星人が提供する「武器」の正体にも驚かされた。
 なかなかに奥の深い映画である。

▼嫁さんが夜遅くにドゥニ・ヴィルムーヴ監督の『DUNE/デューン 砂の惑星』を見はじめたので、ついつい一緒になってみはじめてしまう。この週末に一緒に観に行こうと嫁さんを誘っているので、未見だった嫁さんが予習のためにパート1を見はじめたのだ。やっぱり、この映像はすごいなあ。そして、初見のときにはほとんど気にならなかったのだけれど、2回目となると、思っていたよりも設定の説明に時間をとられていることに気がついてしまう。
 嫁さんは主人公の造形がけっこうお耽美なのに喜んでいるし、未来世界なのに闘いとなると刀をふりまわしての肉弾戦なのかと笑っている。たしかに(^^ゞ
 もう少しで見終えるところまできたのだけれど、夜中の1時半をすぎていたのでそこで中断。

2024年3月27日(水)

▼朝いちで耳鼻咽喉科クリニックに行き、薬を出してもらってくる。
 相変わらず花粉症のせいで喉が敏感になっていて、ちょっと喋るときの空気の出入りだけで喉が刺激されて咳が止まらなくなるという状態が続いているのと、喉に痰がからむのとが、とにかくしんどい。さいわい、鼻水が止まらなくなったり、目が痒くなったりという症状はほとんど出ないで済んでいる。

▼インド映画『危険なUターン』を観る。


 新聞記者見習のラチャナは、高架道路の中央分離帯として設置されたブロックを動かして違法なUターンをする人間の取材を始めていた。だが、取材対象としていた人物が謎の死を遂げたことで、容疑者として逮捕されてしまう。しかし、その結果わかったのは、彼女が取材しようとしていた人物は、ことごとく自殺を遂げていたのだった。なぜか、特定の場所で違法なUターンをしていた人間は、皆、その日のうちに自殺していたのだ。そのことを知った刑事のナーヤクとともに謎を解こうとするラチャナだったが、謎は深まるばかり。ラチャナは、真相を探るために、とうとう自分でブロックを動かしてUターンするのだが……。
 いやいや、これはなかなかの拾いものだった。Uターンすると自殺してしまうという謎の設定が魅力的で、どうしても解けないその謎を解くためにヒロイン自らがUターンをするという場面のゾクゾク感! そして、そのあとの真相の切なさ。が、そこからさらに驚愕の展開があり、それがさらにひっくり返るという脚本のみごとさ。
 本作はカンナダ語で作られているのだけれど、カンナダ語映画としては大きな成功を収め、インドではヒンディ語、マラヤーラム語、テルグ語、タミル語、ベンガル語、外国ではスリランカ、フィリピンでリメイク版が作られているとのこと。自分はそのうちのフィリピン版を先に観ているのだけれど、フィリピン版よりもはるかにデキがいい。フィリピン版とカンナダ語版では、亡霊の扱いがまったく違っていて、カンナダ語版の方がはるかに切ない。フィリピン版の亡霊はいささか即物的で、あまり怖くないのだ。それに、家族を題材にして観客を泣かせるというのはフィリピン映画の十八番のはずなのに、その点でもカンナダ語版に軍配があがってしまう。
 ちなみに、インド映画は歌って踊ると思っている人も多いかもしれないけれど、本作は歌わないし踊らない。けっこう普通のサスペンス映画として作られているのだ。それにしても、あのさりげないシーンには、ゾクッとさせられたなあ。いや、あれは怖い。
 ちなみに、冒頭に実話をベースにしているとクレジットが入っているのだけれど、実際にあった事故がアイデアベースとなっているのだろう。

2024年3月26日(火)

T・J・ニューマン『フォーリング-墜落-』早川書房を読了。


 144名の乗客を乗せたコースタル航空の旅客機を操縦しているパイロットのビルに、妻からEメールが届く。だが、そのメールで送られてきたのは、自爆テロ用のベストを身につけた妻の写真、そして「飛行機を墜落させろ。さもないとあんたの家族を殺す。」という脅迫だった。家族の命か、乗客の命か、究極の選択を迫られたビルがとった選択とは……。
 というわけで、航空パニック小説であるが、犯人は地上にいるので高空と地上の両方とが舞台となる。高空では、犯人とやりとりをするビルのいるコックピットだけではなく、テロリストの攻撃に対処するためのキャビンアテンダントの活躍も活写されるために客室空間も主要な舞台となる。地上では、犯人とビルの妻キャリーとのやりとりがあり、さらに犯人を追うFBI捜査官セオの活躍も描かれる。非常に多面的に描かれていくのだ。
 著者は元キャビンアテンダントとのことで、航空機内の描写が具体的でリアリティがあり、それが迫力を生み出している。登場人物のキャラもたっていて、たいそう読みやすい。エンターテインメントとして、なかなかの高得点を稼ぎ出した作品と言えよう。
 ただし、話を感動的にしようというわざとらしい作為の見られる箇所が何ヶ所かあり、そこまで話を作らなくてもいいだろうになあとは感じた。メジャーリーグのワールドシリーズ決勝戦の試合とか、爆破された自宅の前からの大統領に向けての放送とか、さすがにやりすぎではないだろうか。

トーマス・M・ディッシュ『いさましいちびのトースター』ハヤカワ文庫SFを読了。


 夏の別荘に置き去りにされたトースター、電気毛布、卓上スタンド、ラジオ、掃除機が、都会に住むご主人のもとにむかうという童話。
 うーん、ごめん。どうしてこれがローカス賞とか星雲賞を受賞したのか、まるっきり理解できません。帯には「涙と笑いの大冒険」とあるけれど、涙も笑いもなかったし、特にハラハラドキドキもしなかったし。特にSFとして優れているとも思いませんでした。

2024年3月25日(月)

▼朝いちで膝を診てもらうために病院へ。
 こちらの心づもりでは、前回延期してもらった手術をちゃっちゃと受けて、リハビリをやって最短スケジュールで復帰と考えていたのだけれど、「だいぶ水が溜まってますね。まずはこれを抜きましょう」と、膝に注射針をグリグリと突き刺して膝の水を抜かれる。これが、予想をはるかに上回る痛さで、あまりの痛さに何度も声をあげてしまう。こんなに溜まっていたのかとびっくりする量の液体が膝から抜き取られたのだけれど、とにかくその処置のあまりの痛さに他のことなんてどうでもよくなってしまう。
 「しばらく膝の水を抜いて様子を見ましょう」というので、「手術は?」と聞いてみたのだけれど、「水を抜いて様子を見て、それから判断しましょう」ということになってしまう。ううっ、ちゃっちゃと手術を受けて復帰というスケジュールが、どんどん先延ばしになっていく。
 自分はこの手の痛みに関しては随分と強い方だと思っていたのだけれど「あなたは痛みに弱いようだけれど、手術のあとも痛いですよ」と医者に言われてしまい、なんかすごい屈辱感にまみれてしまう。しかも「手術を受けたところで、歳が歳なんですから、元には戻れませんからね」と念を押されて、さらに屈辱感アップ。
 頼むから、もう少し患者に寄り添った発言をしてくれよな(号泣)
 なんだかこの医者に関しては不信感ばかりがつのってきて、それがえらいストレスになっている。

▼こないだちょっと話題になった謎のチョウ・ユンファ主演映画『金傍英雄』を観てみた。『金傍英雄』というのは台湾でのタイトルで、香港では『江湖檔案』というタイトルで公開されている。また、資料によっては『係咁先』というタイトルになっている。なぜこれが謎のチョウ・ユンファ主演作なのかというと、日本でのチョウ・ユンファ主演作のフィルモグラフィではいっさい言及されていない作品なのである。


 自分が持っているのは、韓国の中古ビデオ屋で買ってきたVHSソフトなのだけれど、日本語字幕はもちろん、英語字幕も中国語字幕もついていない。ついているのはハングル字幕である。パッケージに『金傍英雄』というタイトルがついていることから予想された通り、台湾経由でリリースされたものらしく、言語は広東語ではなく北京語が使われていた。
 なぜこの作品が日本でのフィルモグラフィに入っていないのかという理由については、ほんのちょい役なのではないかとか、他の映画の登場場面をつないだパチモン映画なのではないのかとか、そういう理由ぐらいしか思いつかなかったのだけれど、実際に観てみたところ、間違いなく若い頃のチョウ・ユンファ主演の映画だった。ユンファが新人警察官を演じている作品で、なんともぬるいアクションというかコメディで、あまりのぬるさに、途中ですっかり熟睡してしまった。そのため、ストーリーはまったく把握できなかったのだけれど、ユンファがしっかりと主役を演じていたことだけは間違いない。
 以下のサイトによると1980年に香港で上映されているのは間違いないようだ。
https://collections.culture.tw/Object.aspx?SYSUID=11&RNO=MjAwNC4wMjEuMTEyOA==
 
 ちなみにIMDbには、「Xi gan xian」として掲載されているし、香港影庫(HKMDB)にも「江湖檔案」として掲載されている。それなのに、なぜ日本のフィルモグラフィでは完全に無視されているのだろうか? 謎だ。

2024年3月24日(日)

▼今日は、息子一家と一緒に嫁さんの実家に遊びに行く。
 義母は「孫がひ孫を連れて来てくれて、本当に幸せなんですよ」と、会う人ごとに伝えているらしい。幼い孫を連れて公園に遊びに行っていたというのが、人生でいちばんしあわせな時間だとずっと言っている人なので、その孫がこんどはひ孫を連れて来ているということが嬉しくて嬉しくて仕方がないのだろう。

▼それにしても、昨日今日で食べた量が半端ない。まったく運動をしていないのに、こんなに食べまくったら、また体重が増えてしまうぞ。

2024年3月23日(土)

▼21日が孫2号の6歳の誕生日だったので、本日、我が家にて誕生日のお祝いをすることになる。息子の家でやってもいいのだけれど、お嫁さんのご両親が高崎の人なので、息子の家よりも我が家の方が少しは出てくるのに楽なのだ。
 それにしても、月日の流れるのは早いなあ。6年前の雪の降る日に産まれた子が、もう幼稚園を卒園したのだものなあ。
 両家で持ち寄った食事を食べて、プレゼントを渡して、ケーキにロウソクを立てて、誕生日のお祝いをする。こうしたイベントが、少しでもこの子の記憶に残るといいなあ。みんなから愛されてお祝いされたのだということが記憶に残るといいなあ。

※髪の毛がすっかりコナンくんとなっている孫1号

▼夜、「映画を観るよ」ともなにも言わずに、黙って『RRR』のビデオを日本語吹き替え版で流す。すると、すごい集中力で孫2匹が画面に食いつく。長い映画なので、途中で飽きるかと思いきや、とんでもない。ずっと集中力を切らさないまま、夢中になって映画を観てくれた。「ナートゥダンス」のシーンでは、身体を動かしながら画面に集中していた。いやあ、『RRR』、偉大なり!
 映画が終わったところで、YouTubeで「ナートゥダンス」を探して再生したら、やっぱり身体を動かしながら足をパタパタさせていて、思わず笑ってしまった。


 子どもが寝る時間になって、パパが寝かしつけようとしても、隣の部屋から「ナートゥ、ナトゥナトゥナトゥナトゥナートゥ♪」というふたりのご機嫌な歌声が聴こえてきていたのでした。

▼ブックオフオンラインで発注した本が近所のお店に届いたという連絡がはいったので、さっそく受け取ってくる。
 『幻獣の森』『碇の男』の2冊。いずれも西村寿行選集だ。
 ちなみに、この『碇の男』、西村寿行選集の最後の1冊なのだけれど、本来は通番の入っている叢書なのにこの1冊にだけは通番が入っていないのである。それゆえに「これは入手しなければ!」と思っていたのだけれど、けっこうあっさりと手に入ってしまったのだった。



2024年3月22日(金)

▼上手い具合に仕事が途切れたので、午前半休をとって神保町へと出かけていく。神保町では20日から「春の古本まつり」が開催されているのである。目的は盛林堂のブースだ。
 古本まつりは11時からなので、その前に古書会館で10時スタートの「和洋会古書展」を覗きに行く。残念ながら「おおっ!」と思うような買い物はできなかったが、赤塚不二夫の『ぼくの自叙伝 笑わずに生きるなんて』が330円であったので購入。

 それからちょっと早いのだけれど盛林堂のブースを覗きに行くと、店主から「よしださんが来るんだったら、もっと濃い本を出しておけばよかったなあ」などと言われるが、自分は基本的には安物買いの人間なので、濃い本を用意されても手が出ませんから。まだ時間があったので、ブラブラと他のブースの様子を覗きに行き、スタート10分前に盛林堂のブースに戻ると、もう人が集まりだしている。
 11時にスタートとなって、目の前の本の値段を確認して、2冊ほど手にして他の棚を見ようとちょっと油断したら、もう棚の前に近づけなくなってしまう。どうせ手が出ない値段だろうなと思いつつ値段を確認しようと手を伸ばして引っ張り出した本に値段がついていない。すると「200円でいいですよ」と言われて驚愕する。その10倍の値段はするだろうと思っていたのに。じゃあ、これはどうだと高値に決まっている本を取り出すと、やはりまったく手の出ない値段がついている。だけど「これのサイン入りを持ってますけど」と伝えると「売ってください!」と食いつかれる。そうか、それなりに値段のつく本なのだな。
 結局買ったのは、『ザ・ベスト・オブ・サキII』サンリオSF文庫、『時代小説集1』鱒書房軽文学新書、『講道館の鬼』梶野徳三、『本を読む女』ゾラン・ジヴコヴィチの4冊。今日来た目的は最後の1冊。積極的に自費出版もおこなっている古本屋、盛林堂が出した新刊で、これを買うついでに古本も買おうというつもりだったのだ。

 他のブースもブラブラと覗いてまわって、そうそうに帰宅する。

西村寿行選集23冊がドーンと届く。メルカリにまとまって出品されていたもので、送料込みで1冊170円程度だったのだ。もちろんダブリの本もあるし、写真を見た段階でヤケによる色あせのひどい本があるということも分かっていたのだけれど、それでもこの値段なら文句はなし。


 実は、ホームページに西村寿行選集のコーナーを作っていて、そこに書影を並べたいというのが、西村寿行選集を買いあさっている理由だったりする。こういうコーナーを作ると、やたらと揃えていきたくなってしまうんだよなあ。いやあ、危険だ。

 ちなみに、ドーンと届いた荷物を、嫁さんにばれずに家の中に持ち込むことができたのは僥倖以外のなにものでもない。さすがに、ごっそり本を買うのがばれると、いい顔はしないもんなあ。

2024年3月21日(木)

▼朝いちでけっこう大きな地震が来た。地震が本が崩れたことはいちどもないのだけれど、今日は棚の上に積み上げていた「ルパン三世」2冊がすごい勢いですっ飛んできた。びっくりだ。
 LINEで一族の安全を確認してひと安心。

▼最近、メルカリで本を売ったりしている。そこで出品する際のフォーマット文を作成するためのプログラムを作ってみる。Excelで本のタイトル、説明文を作ったら、そこに定型文をプラスしてテキストファイル化するという、ごくごくシンプルなものなのだけれど、これはこれでけっこう便利だったりする。

カラサキ・アユミ『古本乙女、母になる』皓星社を読了。


 古本マニアの日常あるあるを4コママンガにした『古本乙女の日々是口実』の著者によるエッセイ集。母親になって自由に古本漁りができなくなりながらも、古本が買いたくて買いたくてしかたのない日々のあれこれを書いたエッセイで、古本が大好きな当方としてはどこもかしこも共感しかない。読みながら、いたるところで「うんうん、そうなんだよね」とうなずきまくってしまう。特に自分は、子どもが小さい時に車に乗せて古本屋まわりをしていた過去があるので、なおさら共感しまくってしまう。まあ、自分はここまで大胆に遠出をしたりはしなかったけれどね。でも、自分の時にはまだいわゆる街中の古本屋さんが健在だった時代なので、いまとは環境がまったく違うのだ。自分は、かろうじていい時代に古本マニアとしての日常を楽しんでいたと言えるのかもしれない。
 ちなみに、幼い子どもふたりと嫁さんの両親を車に乗せた家族旅行の途中で、古本屋に寄って超絶レアな本を含む30冊近い本を買い込んだこともあるのだけれど、さすがにあれは嫁さんの両親に対して申し訳なかったよなあ。

2024年3月20日(水)

お彼岸の法要に参加するため、午前中に嫁さんと白山にあるお寺に行く。ちなみに、今日から白山の3駅先の神保町では「春の古本まつり」が始まっている。いや、もちろんお彼岸の法要の方が大切なので、それをパスして神保町に行きたいなどとは絶対に言わない。
 法要を終えて卒塔婆を持ってお墓に行って、手を合わせて、そこから巣鴨に出る。嫁さんのリクエストで、巣鴨の「ときわ食堂」で昼食を食べることになっていたのだ。残念ながら、神保町へは5駅とちょっとだけ離れた。「ときわ食堂」の前にはけっこうな列ができていたけれど、回転が速いのは分かっていたので列の最後尾に並ぶ。前の方には外国からの観光客が多い。こういうスタイルの定食屋が珍しいのだろうか。
 少し待っただけで店内に入れてカウンター席に案内されたのだけれど、カウンター席、足元が狭くてかなり窮屈だ。欧米からの大柄なお客さんには無理だぞ。
 自分はロースカツ定食にアジフライをプラスしてもらって、嫁さんはブリの刺身定食にカキフライをプラスする。ちょっと量が多くて苦しかったかな。もう少し、自分の年齢を考えて注文しないといけないな。


 Twitter(現X)を眺めていると、友人たちが神保町で楽しそうに本を漁っている報告があがってきている。ううっ、行きたいと身もだえていたら、嫁さんから「行ってもいい」と許可が出る。3時に弟夫婦が遊びに来ることになっているので、あまり遅くなるわけにはいかないのだけれど。
 が、食事を終えて店を出るとけっこうなが降り出していた。「春の古本まつり」、目的は舗道に並んだ屋台の古本なので、雨が降り出すと中止になってしまうのだ。泣く泣く諦めて帰途につく。
 で、家に着くころには雨もあがっていて、神保町でも古本まつりが再開されていたとのことなのだけれど、時間的に雨があがるまで待つ余裕はなかったので、どちらにしても行けなかったのだけれど。

▼遊びに来た弟夫婦と、相撲やら大谷対ダルビッシュの試合やらを観ながら、あれこれ雑談しつつ食事。昼にたっぷり食べたあとなので、本気でお腹が苦しくなってしまう。

2024年3月19日(火)

▼最近、徳間ノベルスの西村寿行選集を集め始めている。以前から気になっていた叢書ではあったのだけれど、特に積極的に集めようという気はなかったのだけれど、リストを整理して、ホームページに書影を載せるコーナーを作ったら、とたんに収集欲が湧いてきてしまった。
 でも、基本的に値段の上限は300円と思っている。それ以上出してまで揃えたいとは思っていないのだ。
 で、ブックオフオンラインとかメルカリをチェックしてみたら、メルカリにけっこうお買い得なセットが出ていたので、ドンと買ってしまう。しばらく前からメルカリでも本を売っていて、その売り上げが貯まっていたので、実質的な出費はゼロだったりするので、けっこう気が楽だ。ついでに、他にもお買い物をしてしまう。
 メルカリで本を売って、その売り上げで本を買って……、なんだ単なるブツブツ交換じゃん(笑)

2024年3月18日(月)

▼中国のモンスターパニック映画『ディープ・シー・ミュータント』を観る。


 絶海の孤島で巨大企業カルシン・グループが新薬の開発のための生物実験をおこなっていた。その結果生み出された超巨大な蛇が施設を壊滅に追い込み、無数の蛇が施設の外へと抜け出した。
 それから1年。その島の近くを通った豪華客船に無数の蛇が海から襲いかかり、船の中は大パニックに陥る。さらには超巨大な蛇が豪華客船に襲いかかる。その船に乗り込んでいた元救助隊員のチン・ウーは、生き残った人々を率いて救難ボートに乗って海へと逃げ出す。九死に一生を得た一行は近くの島に上陸するのだが、その島には危険な生物が棲息していて、彼らに襲いかかるのだった。
 というわけで、秘かに島で行われていた生物実験が化け物を生み出して主人公たちを危地に追いやるという、いままで何度観ただろうかというほどよくある設定のモンスターパニック映画である。まあ、よくある設定でも、演出がよければいくらでも楽しめるのだけれど、本作に限っていえば、ぜんぜんダメ。唐突に豪華客船に海からやってきた無数の蛇が襲いかかるのだけれど、なんで蛇が豪華客船に襲いかかるのかという説明がまったくないし、船の中のどこに逃げ込んでも必ず蛇が入り込んでくるという展開も謎すぎる。唯一蛇が入ってこないのが主人公たちが逃げ込んだ冷凍室なのだけれど、寒くて震えている主人公たちの様子が、とても零下25度には見えない。蛇がうにょうにょひしめきあう狭い廊下なのに、そこを走り抜ける主人公たちにだけは蛇が襲いかからないのも納得がいかないし、そもそも主人公たちにいまいち危機感が感じられない。役者たちの演技が、CGを相手にするのに慣れていないのか、実にわざとらしかったり、素人っぽかったりして、臨場感がまったくないのだ。
 しかも、作り手の独りよがりの演出や、むりやりすぎる展開があちこちに観られ、最後までつきあうのがなかなかしんどかった。
 中国のこの手のモンスター映画はいままでに何本も観ているのだけれど、その中でいちばん退屈だったのが本作だったと言い切ってしまおう。なんのかんの言いながら、この手のC級モンスター映画は、たいていはそこそこ楽しませてくれるものなんだけどなあ。
 ちなみに、ただひとり、よく知っている俳優が出ていた。なんと、『男たちの挽歌』のレイ・チーホンがカルシン・グループの社長の役で出ていたのである。ううっ、なにもこんな映画に出なくてもいいだろうに。

2024年3月17日(日)

▼母親に頼まれて、韓国ドラマ『秘密の家』の続きを借りに行く。ちょっと距離があるのだけれど、散歩がてら歩いて行くことにする。心配なのは花粉なんだけど。今日のようにいい天気だと、いかにも花粉が多く飛びかっていそうだ。
 途中、郵便局に寄ってメルカリで売れた本を投函して、ふだん通ったことのない裏道を突き抜けていくと、いつも車で行っているゲオに辿り着く。距離にして約1.9キロ。
 母親が借りていたDVD10枚、自分が借りていたDVD5枚を、返却ボックスにドサドサっと返却する。さすがにいちどきに15枚のDVDを返却するというのは初めてだ。
 そして、店内で続きを10枚借りようと思ったら、23巻から最終巻までが貸し出し中となっているので、11~22巻の12枚を借りることにしてしまう。1~10巻はいま返却ボックスに返したばかりなので、これで全42巻すべてが貸し出し中という凄い状況となった。おそらく、23巻以降を借りている人も、同じように23~32巻あたりを今日返却して、33~42巻を今日借りていったのだろう。

 帰りにテニススクールに寄って、休会届けの延長をお願いしてくる。4月に手術をするとして、そのリハビリもあるので5月も復帰はないだろうから、とりあえず6月復帰予定ということにしてくる。
 最近、多少は走れるようになってきているので、お遊び程度のテニスだったらもしかしたらできるかもしれないけれど、スクールレッスンを受けられるレベルになるには、やはり手術は必要だろう。

 帰宅して歩行距離は3.91キロ。暖かくて、途中で上着を脱いでTシャツだけになってしまう。まだ3月なんだけどねえ。

『48時間 PART2 帰って来たふたり』を観る。


 サンフランシスコ市警のジャック・ケイツ刑事(ニック・ノルティ)は、暗黒街の正体不明の支配者“アイスマン”を追い続けていたのだが、いま一歩のところで“アイスマン”の正体につながる人物に逃げられてしまう。だが、何故か逃亡した“アイスマン”の手下はレジー(エディ・マーフィ)の写真を持っていた。“アイスマン”の正体を知るレジーを殺害するために、殺し屋が雇われていたのだ。
 前作ではたしかあと半年で出所となるはずだったレジーだったが、なぜかさらに5年間も臭い飯を食わされることになっていた。そのようやくの出所を迎えにジャックがやってくる。“アイスマン”をつかまえるためにレジーに協力させるためだが、「お前に協力するのは二度とごめんだ」と、すげなく断るレジー。しかし、出所したばかりだというのに狂暴な二人組のバイカーに襲われ、なんとか九死に一生を得るのだけれど、今度は現金を隠して置いた愛車が爆破され、結局はまたしてもジャックに協力することになるのだった。
 前作が作られたのが1982年で、本作が1990年。なんと、8年ぶりでの続篇である。監督は、前作に引き続いてウォルター・ヒルが担当している。よって、アクションシーンの演出がなんとも男臭い。スマートなアクションではなく、骨太のアクションなのだ。
 驚いたのは、クレジットの順番がニック・ノルティよりもエディ・マーフィが先になっているということ。前作のDVDを引っ張り出して確認すると、前作ではニック・ノルティの名前の方が先に出ていた。つまり、1作目が作られてから本作が作られるまでに、役者としての格が逆転してしまっていたのだ。8年の間に『ビバリーヒルズ・コップ』があり、エディ・マーフィはバリバリの超売れっ子となっていた頃の作品なのである。
 しかし、こうなると今度は『ビバリーヒルズ・コップ』が観たくなるなあ。今年はNetflixでシリーズ第4作が観られることになるらしいので、いまのうちにシリーズを見直しておくのもいいかもしれない。

▼夕方にもう一度散歩に出る。少しだけ走ってもみる。いままでは、走るにしても早歩き程度のスピードだったのだけれど、今回はもう少しスピードをあげて遅めのジョギングといった感じで走ってみる。なんとか走れるが、やはり危なっかしい。もうちょっとで膝がひどく痛くなってきそうな、なんとも微妙な感覚がある。そして、膝が痛くなるよりも前に、しんどくなって走れなくなってしまう。これだけ歩き回っていても、走る体力とはまったく別物であるらしい。
 45分05秒で4.38キロ。キロ当たりの平均ペースは10分17秒。

▼Netflixオリジナルの韓国映画『バッドランド・ハンターズ』を観る。


 大地震によって壊滅的な被害を受け、無法地帯と化したソウル。かろうじて生き延びた人々は、小さなコロニーを作り、僅かな水と食料にすがって細々と暮らしていた。
 18才になるスナ(ノ・ジョンウィ)は、バスという村に祖母とともに暮らしていたが、その村に豊富な水に恵まれた暮らしをしているという伝説のマンションからの使者が現れる。マンションでは国の未来のために、若者を家族とともに迎え入れているのだという。祖母とともにマンションに向かうことを決意するスナだったが、実はそのマンションでは人間を超人に進化させるための人体実験がおこなわれており、その研究のために若者が必要とされていたのだった。
 バスの村でスナの保護者的な役割をしていたナンサン(マ・ドンソク)と、彼の弟分のジワン(イ・ジュニョン)は、マンションから逃亡してきた元特殊部隊の隊員だったイ・ウンホ(アン・ジヘ)から事実を知らされ、スナを取り戻すためにマンションに向かう。だが、その前に立ちふさがったのは、不死身と化した軍人たちだった。
 大地震によって壊滅したソウルの街というのは、ほとんど『北斗の拳』もしくは『マッド・マックス』の世界である。力のみが支配する非情の世界だ。その非情の世界において、人情に生きる男、それがマ・ドンソクである。相変わらず、ひょうひょうとしながらめっちゃ強い主人公を演じている。
 肉弾戦から銃撃戦までアクションがてんこ盛りで、そのアクションシーンが実にいい。監督は『犯罪都市』などで武術監督を担当していたホ・ニョンヘンとのことで、なるほどアクションシーンに力が入っているわけだ。
 マ・ドンソクのみならず、アン・ジヘのアクションも見ごたえたっぷりで、これが実に素晴らしい。きれいなお姉さんのキレのいいアクションというのは、僕の大好物なのだ。めちゃくちゃかっこいいので、他に何に出ていたのか調べてみたら、東京国際映画祭で上映された『スレイト』の主演女優さんなのだという。なるほど、見惚れてしまうほどの素晴らしいアクションを次々とこなしてくれるのも納得だ。
 そして、ヒロインのスナを演じているノ・ジョンウィがこれまた可愛いんだ。透明感のある美少女でありながら、芯の強さを感じさせる女優さんで、彼女の存在感もなかなかのものだった。
 なんの前情報もないまま、ふらっと観てしまったのだけれど、これはなかなかの拾いものでありました。

2024年3月16日(土)

▼神保町の古書会館で開催される『古本乙女、母になる。』出版記念「古本愛は止まらない!」というトークショーに何気なく応募したら当選してしまったので、花粉舞い散る好天の中、神保町へと出かけていく。
 少し早めに行って、神保町の古本屋をさらっとまわってから、古書会館の地下で開催中の「趣味の古書展」を覗きに行く。ひとまわりして、デュ・モーリア『レベッカ』三笠書房を300円で購入。他にも、持っているくせに買いたくなる本が何冊かあったのだけれど、ぐっとこらえる。
 そこから古書会館7階にあがる。本日のトークショーは、古本屋ツアー・イン・ジャパンの小山さんと、『古本乙女、母になる。』の著者のカラサキ・アユミさんによるもの。徹頭徹尾古本に関する話なのだけれど、九州にある古本屋の話で盛り上がれる小山さんに呆れかえる。そして、母親になって子どもと古本との間で揺れているカラサキさんの話も、あれこれ共感できて面白かった。なにしろ、子どもを連れて古本屋をまわったってことに関しては、こっちは大先輩だからね。なにしろ、週末ごとに幼い娘を車に乗せて古本屋をまわったせいで、うちの娘が生まれて初めて覚えた文字が「古本」だったのである。店の看板にある文字を見て覚えてしまったのだ。
 でも、このトークショー、ただ聞いているだけじゃなくて、一緒に話をして盛り上がりたくなってしまう。どちらかというと、一緒に居酒屋にでも行って、古本話で盛り上がりたいという感じの話題ばかりだった。そこに猟奇の鉄人kashibaさんでもいようものなら、めちゃくちゃ盛り上がること間違いなし。

 トークショーのあと、サインをもらうために並んでいると「よしだまさしさんですか?」と声をかけられる。なんと、Twitter(現X)で何度もやりとりをさせてもらっているナカネくんなのでありました。いつもネットでやりとりしてはいても、お会いするのは初めて。古本者というと、どうしても色白インドア派というイメージになってしまうのだけれど、ナカネくんはちょっとワイルドな感じの好青年で、とてもとてもあんな本こんな本をコツコツ集めている人とは思えない。(あとで判明したのだけれど、以前お会いしたことがあったらしい。ぜんぜん覚えてなくて、実に申し訳ない。)

▼古書会館を出たところで、そういえば「アットワンダーJG」を覗いたことがなかったなと思って、寄り道してみる。
 本店の方は専門書をそれなりの値段で揃えているのだけれど、こちらはもう少し雑多な本を手ごろな値段で並べているという感じ。白背の角川文庫がけっこう並んでいて、おそらく持っていないだろうというあたりの本を3冊ほどピックアップする。
『盗作者』ユーシュル・モリナーロ
『わたしの心に眠れ』アンドリュー・ジョリー
『愛の化石』L・ウォイウッディ

 ただ揃えたいだけで読むつもりはまったくないので、速攻で書庫にしまいこんでしまう。

西村寿行『地獄(下巻)』徳間ノベルス西村寿行選集を読了。
 地獄は釈迦が民衆を騙すために作り上げた謀略で、死んで冥界に来た亡者は奴隷にされ、ある者は肥料に、ある者は食料に、そしてとりわけ美しい女性は性の奴隷にされている。隣接するキリスト冥界のたくらみによって冥界に送り込まれた西村寿行と担当編集者たちのヘナチョコ軍団は、そのことを知り、釈迦打倒のために立ち上がる。
 だが、その前に立ちふさがったのは、かつて釈迦と闘って破れ、いまは釈迦の腹心となっている閻魔大王なのであった!
 というわけで、西村寿行のとんでも小説の下巻である。これがSF専門誌である『SFアドベンチャー』に連載されたのであるから、徳間書店の懐の深さには恐れ入るしかない。『SFマガジン』だったら、絶対にこの小説が掲載されることはなかっただろう。まあ、『SFマガジン』に連載されたなら、賛否激突する論争が繰り広げられただろうから、それはそれで有意義なのかもしれないが。
 しかし、冥界を舞台に釈迦や閻魔大王に闘いを挑んでいくというとんでもない物語でありながら、その価値観の最上位には常にセックスがあるというのが、さすがは西村寿行だ。釈迦だろうが、閻魔大王だろうが、常に美貌の亡者を何人もはべらせて、四六時中セックスを楽しんでいるのである。西村寿行一行もスキさえあれば美人の亡者に手を出そうとするし、釈迦を倒したあかつきには性の楽園を作るぞと宣言したりして、その価値観のシンプルさにはある意味感心してしまう。
 巻末には、西村寿行と小説内に登場させられた実際の編集者たちによる座談会が収録されているのだけれど、誰も「オレをあんなキャラクターとして描いてひどすぎる!」と文句をつけたりせずに、大まじめに仏教論、宗教論をかわしている。いやいや、もっと素直に「このクソ寿行、おれをあんな風に描きやがって!」と糾弾した方が面白いのに。

2024年3月15日(金)

▼3年分の医療費控除の申請書類を作っている。なぜ溜め込んでしまったかというと、嫁さんが源泉徴収票をどこかにしまいこんでいて、頼んでもなかなか出してきてくれなかったから。かかった医療費はすべてExcelに入力して管理しているので、いつでも申告できる状態だったのに。しかし、このままだとラチがあかないので、嫁さんにしつこくお願いしてようやく探し出してもらってきたのだ。
 ところが、申請書類を作り終えるぐらいのタイミングで「まだ領収書があった」と医療費の領収書を出してくる。だから、そのつどこっちにまわしてって頼んでいるのに。ううっ、また作り直しだよ。そして、できあがるタイミングでまた領収書が出てくる。また作り直し。
 それがようやくできたら、今度は「国境なき医師団」の領収書が1枚出てくる。まあ、寄付金控除なんてたいした還付金にならないだろうと思いながらもまた作り直すと、いやいや、けっこうな金額が戻ってくるではありませんか。あわてて嫁さんに他の年の「国境なき医師団」の領収書を探すようにお願いする。おかげでまた作業は中断してしまう。なんとか3年分のうちの2年分の領収書が出てきたので、またしても作り直し。
 なんとか完成してみると、3年分でなんと6万円ほどの還付金が戻ってくることが判明! これは大きい。3年分の申請書を封筒に入れて発送準備を整えると、嫁さんが「まだ探せば領収書が出てくるかも」とか言い出すので、「あとはもう諦めてくれ」と泣きついてお願いする。

▼昨日のホワイトディ、好きな女の子にクッキーをプレゼントするとはりきっていた孫1号がどうしたのか問い合わせてみた。すると、近くの公園で渡すために「今日、公園で遊ぼう」と誘ったのだけれど、「今日はダメ」と断られてしまったのだとか。いまの小学生、いろいろと習い事があったりして忙しいからなあ。ドンマイ。諦めずに頑張れ。

2024年3月14日(木)

▼韓国映画『犯罪都市 THE ROUNDUP』を観る。マ・ドンソク主演の『犯罪都市』のシリーズ第2作だ。


 ソウル衿川警察署の刑事マ・ソクトは、犯罪者引き渡しのために上司とともにベトナムに派遣される。だが、韓国人を誘拐するカン・ヘサンという凶悪犯罪者がベトナムにいることを知り、捜査権がないにもかかわらず強引に捜査に乗り出す。一方、息子を誘拐されて身代金をとられたあげくに息子を殺害された韓国の富豪が、カン殺害のために殺し屋を送り込んでくる。殺し屋を返り討ちにしたものの、身代金を奪い返されたカンは、金を取り戻すために韓国に乗り込んでくるのだった。
 というわけで、前半はベトナムが舞台で、捜査権がないにもかかわらず相変わらずの強引さでカンを追い求めるソクトの活躍が描かれ、後半では韓国を舞台にカンとソクト率いる警察チームとの壮絶なバトルが描かれていく。
 前作同様、ストーリーは非常にわかりやすく、シンプルに楽しむことができる。とりわけ第2作目となる本作では、上司のチョン・イルマン班長(チェ・グィファ)とのやりとりが前作以上に楽しめる。班長、口先だけの男かと思いきや、けっこうやる時にはやるじゃん。
 クライマックスは、バスの中での肉弾戦で、狭い空間をフルに使ったバトルが展開される。マ・ドンソクのパワフルなアクションは、なかなかな見応えがあっていい。
 そして、やっぱり血の量が半端ない韓国映画なのだった。とりわけ今回の悪党はマチェーテを主な武器としているので、それでぶった切るようなシーンが半端なく、見るからに痛い。また、ナイフを持たせればザックザクと執拗に突き立てるし、首筋をスパッと切り裂くし、相変わらず容赦がないのだった。
 注目すべきは、カンからの身代金請求の電話を受ける社長夫人。パク・チヨン演じるこの社長夫人、なんとも存在感がありすぎて、これだけ存在感があるからには絶対に単なる社長夫人じゃなくて、なにかしら裏があるよな、犯人と繋がっているんじゃないの、とか思ってしまったのだけれど、それは勘ぐりすぎというものなのでありました。
 唯一納得がいかなかったのは、身代金を持ち逃げしようとするチャン・イス(前作のイス組の組長が、本作では落ちぶれて不法入国者の偽装結婚斡旋所をやっている)の車に、カンの車が突っ込んでくるシーン。あれ、どうしカンはイスの車がいる場所を知ったのか、どうしても分からなかったのだけれど。

▼ニック・ノルティ&エディ・マーフィ主演のアクション映画『48時間』を観る。


 脱走した凶悪犯のギャンズによって同僚の刑事を殺されたサンフランシスコ市警の刑事、ジャック(ニック・ノルティ)は、犯人のかつての仲間で服役中のレジー(エディ・マーフィ)を48時間という期限付きで仮釈放させ、捜査に協力させる。ギャンズの狙いは、かつて賭博場から盗んでレジーが隠した50万ドルだった。それを守るためにもジャックに協力するレジーだったが、この二人はなにかとぶつかり合ってしまう。だが、ギャンズを追ううちに、次第に互いを認め合うようになるのだった。
 実に久しぶりに観たのだけれど、細かい部分はきれいさっぱり忘れていたし、場面によっては記憶していたのとぜんぜん違っていたのにはビックリ。自分の記憶力の曖昧さに呆れかえる。ヘタすると、『ビバリーヒルズ・コップ』と記憶がごっちゃになっていたりして、本当に情けない。
 それはそれとして、やっぱりウォルター・ヒル監督の映画はいい。ニック・ノルティもエディ・マーフィも実にかっこいいのだ。ニック・ノルティが両手でがっちり銃を握りしめ、エディ・マーフィが片手で軽々と銃を構えるあたりの対比もお見事。さりげないところで、ふたりのキャラクターが表現されている。
 ちなみに、アメリカのポスターだとニック・ノルティとエディ・マーフィが同等に扱われているのだけれど、日本のポスターではニック・ノルティだけが大きく描かれている。この時点で、日本ではほとんどエディ・マーフィが知られていなかったせいなのだろうか。
 さて、こうなると次はやっぱり『48時間 PART2 帰って来たふたり』を観ないといけないな。こちらは、さらに内容を覚えていないのだけれど。

2024年3月13日(水)

西村寿行『地獄(上巻)』徳間ノベルス西村寿行選集を読了。


 なんともまあ、とんでもない小説である。西村寿行が各社の担当編集者らを招いて伊豆大島で釣りをするが、その夜、寿行がさばいたトラ河豚の毒にあたって全員死んでしまう。そして、気がつけば地獄の三途の河原にいた。そこから、地獄の鬼や冥府軍の繰り出す異形の者たちから逃げ惑う日々が始まるのだ。そういう話と思って読んでいると、なんと、いつの間にやら冥界を舞台に、なんとも壮大な物語が展開されてしまっているのだ。冥府を支配する組織に対して、西村寿行たちが徒手空拳が闘いを挑むという物語になってしまうのである。しかも、仏教の冥府軍は隣接するキリスト教の冥府軍と対立しているとか、とんでもない設定なのだ。むやみやたらと壮大な物語なのだ。が、にもかかわらず、まったく壮大さが伝わって来ない。なにしろ、徹頭徹尾、低俗きわまりない西村寿行たちの視点から描かれる物語なのである。高空から見下ろすような視点には絶対にならないのだ。三途の川を渡ってくる亡者の中にいる美女を尻の方から犯したいとか、そういうレベルの話題から離れようとしないのだ。これがまあ、西村寿行なんだよなあ。『百億の昼と千億の夜』を西村寿行が書いたら、こんな小説になっちゃいました、てへ、みたいな小説なのだ。
 それにしても、なにがとんでもないといって、登場する担当編集者らが、すべて実在の人物が実名で登場してきているのである。しかも、描写が容赦ない。どの人物も、遠慮容赦なく徹底的にこきおろされるのである。ここまで書いて許されるのかと呆れかえるほど、ボロクソに書かれているのである。小説に実名で出されて、しかもありえないほど露骨に悪口雑言が書かれるって、耐えられないぞ。
 が、しかし、西村寿行本人についても、けっこうありえないほど露悪的にボロクソに書かれているのである。女性秘書を愛人にしているとか、人妻をものにしているとか、どこからどこまでが本当なのかは分からないけれど、どうしようもない低俗な人物として描かれているのである。
 冥府軍による西村寿行の評価など、次のようなものなのであったりする。
「西村寿行と申すは、大いなるうつけ者にございます。人倫を知らず、仏心を知らず、げに、むくつけき無学文盲の徒にてある由。アルコールと女の尻をとれば西村の小説はおよそ文章の態をなさぬとか。」
 冥府をさまよいながら西村寿行の脳裡にあるのは、次のような想念でしかないのだ。
「いつの間にか、女のことに思いを切り替えていた。女の肌、乳、尻、性器、太もも、足--抱いたときの感触。ああ、やりたいと、西村は胸中に重い吐息を落とした。」
 どんなに壮大な物語になろうとも、西村文学はかくも低俗なのである。
 とにかく、下巻に突入だ。

▼韓国映画『犯罪都市』を観る。


 シリーズ三作目が日本で公開されるに及んで、ようやく「これってもしかしたら面白いんじゃないの?」と気がついた次第。遅いっての。
 2004年ソウル。チャイナタウンを擁する衿川区では、韓国系ヤクザの「イス組」と朝鮮族マフィアの「毒蛇(ドクサ)組」との対立が続いていた。そこに、中国から新興勢力の「黒竜(ふんりょん)組」の狂暴な3人組が乗り込んできて、情け容赦のない手法で「イス組」と「毒蛇組」の縄張りを乗っ取ろうと動き始め、血なまぐさい事件が連続することとなる。日頃から荒っぽい捜査で「イス組」「毒蛇組」からも一目おかれている警察署強力班のマ・ソクト刑事(マ・ドンソク)は、「黒竜組」逮捕に乗り出すのだが……。
 なるほど、これは面白い。なにより、複数の組織が入り乱れながらも、物語がきわめてシンプルで分かりやすいというのがいい。日頃からヤクザとなあなあで馴れ合いつつも、いざとなれば悪を許さない豪腕刑事のマ・ドンソクのキャラもいい。中国から来た3人組の凄まじいばかりの容赦ない狂犬ぶりもさすがは韓国映画だ。もっとも、この3人組、ただただ狂暴なだけなので、もっと早く警察に見つかって捕まってもよさそうなものだが。でもまあ、これだけ存在感たっぷりの悪党を演じてくれたのだから、文句はない。
 とにかく、妙に頭をひねることなく、ストレートに楽しめる痛快な刑事ドラマとして充分に楽しませてくれた。
 それにしても、なにゆえ韓国映画はかくも血なまぐさいのだろう。相変わらず血の量が半端ない。もうちょっと抑制してくれてもいいだろうにと思ってしまうのだけれど、いっつも許してくれないんだよなあ。

2024年3月12日(火)

『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 決戦』を観る。


 クライマックスに至る骨格はすべて前編で組み立てられているので、あとはひたすらクライマックスに向けて疾走するのみという後編だ。さすがに盛り上がる。悲劇的な運命からマイキーを敵とみなす芭流覇羅の一虎。東京卍會を去り、芭流覇羅に加わる場地。だが、未来からタイムリープしてきた武道は、マイキーが一虎と場地を殺害し、それをきっかけにダークサイドに落ちてしまうということを知っていた。それが、めぐりめぐって日向が事故死することにつながるのだ。必死になってそれをくい止めようとする武道だったが、とうとう東京卍會と芭流覇羅の決戦のときがやってきてしまう。
 いやあ、こいつらみんな不死身じゃん。なんで、金属バットで思いっきり頭を殴られて平気でケンカを続けられるんだよ。なんで、カナヅチで頭を殴られて死なないんだよ。まあ、チョウ・ユンファだって、何発もの銃弾を食らっても大丈夫だったけどね。
 それにしても、クライマックスの廃車置き場での乱闘シーンの撮影はさぞかし大変だっただろうな。とりわけ、廃車が積み上げられた場所で殴り合って、そこから勢いよく転がり落ちるスタントマンのアクションの凄さには呆れかえる。それこそ、怪我をしないように準備万端整えて、何度もリハーサルを繰り返した上でやっているのだろうけれど、それでも凄すぎる。
 というわけで、前編がいまいち盛り上がらなかった分、後編のクライマックスで映画2本分ぐらいのアクションを堪能させられ、もうお腹いっぱいという感じ。ゲップがでるくらい、ヤンキーたちの過激なバトルを満喫させてもらいました。
 しかし、ラストはあれでいいのか? どう考えてもやばいだろう。ネタバレになるので書けないのだけれど、さすがにあのラストはないだろうと、どうしてもモヤモヤしてしまう。さらに続篇を作って、そのモヤモヤを吹き飛ばしてくれると期待していていいのだろう?

2024年3月11日(月)

あの地震から13年がたった。13年前の今日、自分は勤務先のある新宿から自宅のある南浦和までひたすら歩いていた。友だちと和光市のカラオケ屋に行っているという娘が心配で、必死になって歩いて帰った。かなりの早足で4時間15分歩き続け、途中でふくらはぎが攣り、それでもなんとか自宅に辿り着いた。家に着くと、娘は友だちのお母さんが車で送ってきてくれて無事に帰宅していた。なにしろ、電話がまったく繋がらず、家の様子も分からず、心配で仕方がなかったのだ。
 翌日には右足の甲が疲労骨折を起こしてまともに歩けなくなった。いまGoogleマップで調べてみると、およそ21キロの距離だったらしい。ゆっくり歩けばなんとかなる距離だろうが、とにかく気がせいて、ゆっくり歩いてなんていられなかったのだ。
 あんな体験はもう二度とごめんだ。

『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 運命』を観る。


 前作で過去を変えて恋人の日向を死の運命から救った武道だったが、またしても何者かの仕組んだ事故で日向が死んでしまう。過去を変えても、運命は変えられないのか。だが、過去を変え、日向を救うために、またしても武道は過去へと飛ぶ。
 そこでは、マイキーたちの率いる東京卍會が対立する芭流覇羅(バルハラ)との決戦を控え、敵対する組織にいたキサキを仲間に引き入れていた。だが、そのキサキがそもそもの原因だと知っている武道は、なんとかしてキサキを組織に入れないようにとマイキーに訴えるが、そのために東京卍會を離れた芭流覇羅に移った場地を連れ戻すという条件をつけられるのだった。
 相変わらずタイムリープに関する整合性はとれておらず、未来の武道が入り込んだことで過去の武道の記憶はどういうことになってしまうのだろうかとか、いろいろとムズムズしてしまうのだけれど、やはりそこに触れてはいけないのだろう。
 で、そこをスルーした上で本作がどうだったかというと、なにぶんにも「血のハロウィン編」の前編に過ぎないので、なんともいえない。本来なら、この前編にもそれなりに盛り上がるシーンを入れるべきなのだけれど、後編のための設定を組み立てるだけで終わってしまっているのはちと残念。いずれにしても、後編まで観て1本の映画ということなのだろう。

2024年3月10日(日)

岩井圭也『完全なる白銀』小学館を読了。


 かつてマッキンリーと呼ばれていた北米最高峰の山、デナリ。アラスカのサウニケという地球温暖化によって海に沈みつつある島で生まれ育ったリタは、女性による初の冬期単独登頂に挑戦するが、下山の途中で消息不明となってしまう。だが、登頂を証明するものがないため、その成功を疑問視する声もあがっていた。
 リタの幼なじみのシーラと、彼女らと親交のあったカメラマンの藤谷緑里(みどり)は、彼女の成功を証明するため、いや、証明できずとも自分たちに納得させるために、冬期のデナリに挑戦するのだった。
 帯の背には「山岳小説の新たな傑作!」とあり、それで手に取ったところさらに「山岳小説の新しい傑作がここに出現した。読者よ、岩井圭也に瞠目せよ!-夢枕獏」「すごいな岩井圭也。読み始めたらやめられず、緊張感とともに一気読みする傑作とくるから脱帽だ-北上次郎」とあったので、そりゃあ読まないという選択肢はない。
 リタの登山シーンはない。シーラと緑里の挑戦が始まってからも、頻繁に回想シーンがはさまれ、なかなか壮絶なる雪山との闘いの場面とはならない。が、どうしてリタがデナリへの冬期単独登頂に挑むことになったのか、シーラと緑里がリタの成功にこだわるのか、あるいはどうして緑里がカメラマンとして成長してきたのかといった背景がしっかりと描かれているからこそ、二人の登山シーンが生きてくる。
 自分はカメラマンという職業についてはほとんど知識を持っていなかったのだけれど、いわゆる商業カメラマンと作家としてのカメラマンとの違いがこうまで違うとは思っていなかった。仕事としての写真を撮り続けていながら、作家としての撮影を続けるということは実に大変なものらしい。主人公の緑里は、フリーの商業カメラマンとしては食べていけるものの、作家となることを諦めようとしていた。だが、デナリに挑戦するリタによって、生き方を変えられてしまうのである。山岳小説とは別に、そのあたりの描写も実に興味深く、ぐいぐいと読まされる。
 欲を言えば、冬山の描写はもっともっと凄絶なものであってほしかった。緑里とシーラに立ちふさがる困難はもっともっと壮絶なものであってほしかった。そうは思うものの、あまりそこにウェイトを置きすぎてしまうと、小説のテーマそのものを見失ってしまうのかもしれない。このあたりが、ちょうどいいバランスなのだろうか。
 本書で初めて名前を知った著者なのだけれど、いずれ機会があれば別の作品も読んでみよう。著者のホームページを見ると、剣道を題材とした『夏の陰』という作品が僕の好みかも知れない。

▼ウォルター・ヒル監督の『48時間』を久しぶりに観たくなったのだけれど、アマゾンプライムでは400円とられることが判明。それだったらTSUTAYA DISCASで借りるって手もあるのだけれど、たしか近所のゲオの3枚1,000円の中古販売の棚にあったはずと思いだし、ブラブラと歩いて行ってみる。近所といっても、いちばん近くのゲオは閉店してしまったので、1.7キロ離れているお店なんだけどね。
 さっそく中古販売の棚をチェックすると、ありましたありました。パート2の『帰って来たふたり』と並んでいました。そうなると、あともう1枚なにか買わないとならないのだけれど、特に買いたいものはないなあ……などと思ながら日本映画のコーナーまでチェックして大林宣彦の『金田一耕助の冒険』を買うことにする。別に好きな映画というわけではないのだけれど、ま、いいかな。
 どうせならと、そこからブラブラと行き先を定めない散歩に出てみる。いままで歩いたことのない方面へ入り込み、ずんずんと歩いて行くと、あれ? なんだか見覚えのある場所に出たぞ。なんと、嫁さんの声楽の先生のお宅がある通りではありませんか。なんと、こんなところに繋がるのか。
 そこをさらにズンズンと歩いて行くと、車の通れない細い道に入り込む。さらに進んでいくと、またしても見覚えのある場所に出た。なんとなんと、テニスクラブのすぐ裏の道ではありませんか。
 そこで、ちょいとコートを覗きにいくと、クラブハウスの中に知人の顔が見えたのでちょいと挨拶に寄ることにする。そしたら、オーナーが奥から僕の名前の書かれたバレンタインのチョコレートを持ってきてくれるではありませんか。僕が顔を出すまでとっておいてくれたんですね。しばらく雑談などして「じきに復帰しますから、そしたらよろしく」と声をかけて、また散歩の続き。
 そこからは自宅方向に向かったのだけれど、知っている道を通るのは面白くないので、またしても裏道をグルグルと歩き回る。
 帰宅すると、歩行距離は6.88キロでした。よく歩いたな。暖かかったので、けっこう汗をかいてしまいました。

▼母親のために借りてきていた韓国ドラマを見終えてしまったという。10枚まとめて借りてきても、けっこうあっという間に見終えてしまうので、借りに行くのも大変だ。今日見終えてしまったのは「復讐の花束をあなたに」という43巻あるドラマなのだけれど、1日2~4枚ペースで観てしまうので、すぐに最終話に辿り着いてしまうのだ。
 次にリクエストされたのは「秘密の家~愛と復讐の迷宮~」という作品で、これはさっき行ったゲオにはないので、別のゲオまで車を走らせる。こちらは全124話だそうだ。全105話の「復讐の花束をあなたに」よりほんのちょっと長いけれど、これもふと気がつけば見終えてしまうんだろうな。

▼本日の歩数は8,929歩。うーん、あれだけ歩き回って1万歩にならないのか。

2024年3月9日(土)

▼休日の時間をもてあましてしまうので、今日は所沢の古本まつりに出かけることにする。
 我が家からだと、東浦和から武蔵野線で新秋津に出て、少しあるいて秋津駅から西武池袋線に乗ればひと駅で所沢である。意外と近いのだ。
 会場に到着したのが10時40分なのだけれど、なんと会場がまだ開いていない。開場時間をまったく調べないできてしまったのだけれど、なんと開場時間は11時なのでした。


 11時になってメイン会場の8階にあがると、いやはや、広い。広い会場に古本がズラリと並んでいる。これだけ並んでいたら、絶対になにかしら欲しい本があるでしょう。
 入ってすぐ左側の壁に沿って、文庫の並ぶ棚を見ていく。ハヤカワSF文庫、創元推理文庫といって好みの翻訳文庫がけっこうたくさん並んでいるのだけれど、本気で欲しい本はだいたい持っているので、なかなか買う本に出会わない。このまま手ぶらというのも哀しいので、とりあえず『いさましいちびのトースター』『いさましいちびのトースター火星へ行く』の2冊を手に持つ。いつでも買える本なんだけど。というか、単行本で持っている本なんだけど。
 さらに、これまたどうでもいいと思ながら角川文庫の『小公女』を手にする。背中の白い角川文庫の翻訳小説というのは、いちおう自分の蒐集ジャンルなのである。もっとも、『小公女』とかまで手を出さなくてもいいんだけど。ちなみに、角川文庫の『小公女』は川端康成が翻訳を手がけているらしい。
 そんな感じで見ていって、とうとう本気で探していた本に遭遇。リチャード・マシスンの『地球最後の男』。えっ、そんな本を探していたの?と思わないでいただきたい。もちろん、ハヤカワファンタジーの『吸血鬼』、ハヤカワノヴェルズの『地球最後の男/人類SOS』、ハヤカワ文庫NVの『地球最後の男』は持っている。しかし、ハヤカワ文庫NVがモダンホラーセレクションの1冊として装幀を変えて出した版は持っていなくて、ずっと探していたのだ。それをとうとう発見してしまったのである。よしっ!
 さらに、西村寿行選集の『地獄(上下)』を発見。西村寿行の『地獄』はいずれ読みたいと思っていた作品なのだけれど、西村寿行選集を集めようと思っていたので無理して文庫で手に入れようとはしていなかたのだ。これまた、よしっ!
 集英社ワールドSFのジョー・ホールドマン『さらば ふるさとの惑星』も手ごろな価格だったので購入することにする。集英社ワールドSFも何を持っているのかよく分からなくなっていたのだけれど、つい最近リストをチェックしておいたのが役に立った。
 悩んだのが富田常雄の『風来物語(上下)』中央公論社。読んでいるので持っているはずなのだけれど、それが中央公論社版であるのかどうか自信が持てなかったのだ。上下で1000円だから決して高くはない。さんざん悩んで買ってしまったのだけれど、帰宅してチェックするとやっぱり持っていた。他に読売新聞社版の『風来物語』を持っていたので、そのせいで混乱してしまったのだろう。
 かくして9冊の本を精算して1階に降りると、そこでも古本市が開催されているのである。8階がメイン会場で、こちらはサブ会場なのだ。
 ここをチェックしていって、秋元文庫の『ジュリーは十六才』ベティ・カヴァナ、『はつ恋』アン・エマリイ、『よく遊びよく遊べ』幻余次郎、『初恋実験中』赤松光夫の4冊を各100円で購入する。秋元文庫は翻訳小説があるとついつい買いたくなってしまうのだ。

▼この時点で随分と疲れてしまい、腰も足もしんどくなっていたのだけれど、どうせ所沢まで来たのだからと、駅の反対側にあるブックオフを覗きに行ってみる。ここでは、1冊だけ購入。
 早川書房『フォーリング -墜落-』T・J・ニューマン
 いずれ安く見つけたら買おうと思っていた本が660円であったので、ついつい荷物を増やしてしまう。

▼さて、あとは帰るだけと所沢駅に入りホームに入ってきた電車に乗り込むと、人身事故のためにしばらく停車するとアナウンスが入る。なんと、運転再開まで1時間以上かかる予想なのだという。ううっ、隣の秋津駅まで行きたいだけなのに。
 駅員に聞くと隣の秋津駅までのバス路線はなく、歩くと40分ぐらいなのだという。ううっと思ったが、ここで1時間以上待つのだったら、歩いてしまうことにする。Googleマップで調べると距離にして2.7キロであるという。それだったら、ふだんの散歩よりも短いので、ぜんぜん問題はないはず。
 しかし、歩き出してすぐに歩くことにしたことを後悔することに。古本市で本を見て回るだけで、めちゃくちゃ足が疲れていたのだ。しかも、背中のバッグの本が重くて、肩がめちゃくちゃ辛くなってくる。自分はむかしから肩こりがひどく、肩に負担がかかるとすぐにしんどくなってくる体質なのだ。なにしろ、小学生の時のランドセルで肩こりに苦しんだというほどの筋金入りの肩こりなのだ。
 それでも、仕方がないのでせっせと歩く。途中、何もない道がずっと続くので、歩いていてもぜんぜん面白くもなんともない。
 ようやく秋津駅に到着するという、そのちょっと手前に「古本らんだむ」という古本屋さんを発見して、疲れているというのに覗きに入ってしまう。だけど、なにも買いたくなるような本はなし。そりゃ、所沢古本市を見たあとで、そうそう買いたい本のある古本屋なんてあるわけがないよね。


 さて、本来なら「古本らんだむ」のすぐ先にある新秋津駅から武蔵野線に乗ればいいだけなのに、何を勘違いしたのか秋津駅まで歩いてしまう。秋津駅は西武池袋線だっちゅうのに。まだ運転を再開していない秋津駅まで到着したところで間違いに気がつき、また新秋津駅まで戻ってようやく武蔵野線に乗り込む。いやはや、疲れた。
 そして、東浦和駅から我が家までまたしても2キロ弱の道のりを歩いて帰宅したのだった。
 本日の歩数は13,750歩。先週の土曜日も古本市のために高円寺だの西荻窪だのをさんざん歩いたのだけれど、その時の13,227歩を上回る歩数を記録。いやはや、古本市はいい運動になるなあ。

2024年3月8日(金)

▼今朝には雨に変わっていたものの、昨夜から降り出した雪がじゃっかん積もっていて、散歩は中止。うっかり散歩に出ると、ついつい走って膝を痛める恐れもあるので、少しはこうしてお休みの日があった方がいいかも。


▼珍しく日本映画『東京リベンジャーズ』を観る。


 本作を観たことにとりたてて理由はないのだけれど、昨日は日本語字幕のついていないフィリピン映画を観て疲れたので、今日は字幕を必要としない映画を観たかったのかもしれない。
 落ちこぼれのフリーター花垣武道は、学生時代につきあっていた橘日向とその弟の直人が、半グレ集団“東京卍會”の抗争に巻き込まれて亡くなったことを知った翌日、地下鉄のホームから何者かに突き落とされる。だが、電車にはねられる直前に武道は10年前の自分にタイムスリップする。中途半端な不良だった10年前の自分となった武道は、なんとか10年後の悲劇を防ごうと、直人に10年後に起きることを伝える。だが、その直後に再び現代にタイムスリップしてしまう。現代に戻った武道は、自分が過去の世界でおこなったことで未来を変化させたことを知るが、日向を救うことはできなかった。刑事になっていた直人から「10年前に戻り、東京卍會を潰せば日向を助けられる」と説得された武道は、またしても日向を救うために過去へと飛ぶのだが……。
 タイムスリップといっても、肉体が過去に飛ぶのではなく、精神だけが過去に飛んで10年前の自分の中に入るという設定なのだけれど、やはりいろいろと無理がある。無理があるけれど、ドラマの眼目はタイムスリップにあるのではなく、やり直すチャンスを与えられた主人公がダメダメだった情けない過去の自分を乗り越えるというところにあるので、さほど気にはならない。そして、情けなかった主人公が、好きだった女性を救うために、そしてその過程で得られた仲間を救うために、必死になってあがく姿がなかなかの胸アツで、けっこうのめりこんで観てしまった。
 観る前は、ヤンキーたちがケンカをする映画というシンプルなイメージしか持っていなかったのだけれど、それは『男たちの挽歌』がヤクザが銃撃戦をするだけの映画というようなものなので、いまは貧弱なイメージしか持っていなくてゴメンナサイという気分だ。
 主人公武道を演じているのは北村匠海。日本の俳優に関しては、まったく無知なのだけれど、さすがに名前だけは知っていた。だらしなかった男が根性を見せるあたりの演技はなかなかの迫真もので、実にドラマを盛り上げてくれる。そして、恋人の日向を演じているのは今をときめく今田美桜だ。朝ドラを観ていたので知っていたけれど、自分の知っている今田美桜とは、ちょっとイメージが違っていたかな。他の、高校生を演じるにはちょっと歳がいってるぞというメンバーも、なかなかいい顔ぶれが揃っている。まあ、ひとりで数十人とバトルを繰り広げるドラケン(山田裕貴)はちょっと不死身すぎるかもしれないけれど。
 監督は『映像研には手を出すな!』の英勉とのこと。おおっ、『映像研には手を出すな!』はテレビドラマも映画も両方とも観ている好きな作品だぞ。
 こうなったら、続篇の『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編』も観なければ。

2024年3月7日(木)

▼嫁さんを近所の眼科クリニックまで車で送っていく用事があったので、朝の散歩はなし。そのかわり、我が家のすぐ横にある往復約1.6キロの遊歩道を軽く走ってみる。相変わらず早足で歩く程度のスピードだけれど、なんとか片道800メートル程度を走る。微妙に膝に痛みが出てきて、そのくらいでやめておくのがよさそう。
 戻りはのんびり歩いて15分49秒で1.58キロ。キロあたりの平均ペースは9分58秒。おおっ、かろうじて10分をきっているぞ。

▼でも、やっぱり後になって膝が痛くなってくるなあ。

▼フィリピン映画『Mahjong Nights』を観る。ローレンス・ファハルド監督の作品なのだけど、監督の作品にしてはいまいち盛り上がりに欠けたなあ。詳細なレビューはコチラ



2024年3月6日(水)

昨夜は雪が降っていたが、今朝になってもまだ小雨が降っているので散歩はなし。昨日走った左膝に違和感はあるものの、痛みはなし。この違和感は、12月に完全に膝を壊す前にずっとあったものと同じ。しゃがむのには支障はあっても、日常生活にはまったく問題はなし。

▼本をぐしょぐしょに突っ込んでいるスペースを少しずつ整理して、多少は奥の方まで手が届くようになったので、そこから手放す本を引っ張り出してきてはヤフオクに出品しているのだけれど、けっこうレアな本だと思ってもなかなか売れないなあ。

▼夕方になって仕事が一段落したので、ちょいと散歩に出てみる。
 まず最初に500メートルぐらいを軽く走ってみる。走るといっても、早足で歩くのと同じぐらいか、あるいはそれよりも遅いぐらいのペース。それでも、走っていることに間違いはない。前は、走るときに膝にかかる衝撃が激痛につながっていたのだけれど、いまは大丈夫だ。微妙な痛みがないわけではないのだけれど、とりあえずは大丈夫。
 そのまま早足での散歩に切り替えて、いつもの公園をひとまわりしてきて、帰りにまた走ってみる。こんどは750メートルぐらい。軽い痛みは出てくるけれど、それほどひどくはない。この調子で少しずつ走って、はたしてテニスができるところまで回復するものかどうか。正直、自分の足ながらまったくわからない。
 45分14秒で4.36キロ。ペースとしては昨日とほとんど変わらないので、本当に早足と同じぐらいのスピードで走っているんだな。

▼香港映画『幽霊刑事(7号差館)』を観る。


 エリート捜査官のフォン(アンディ・ホイ)は、銃撃戦で頭を撃ち抜かれて昏睡状態に陥る。それから2年の月日が流れ、フォンは奇跡的に意識を取り戻し、復帰のためのリハビリを開始する。そして、献身的に彼の面倒をみてくれる看護師のオスカー(ロレッタ・リー)といつしかつきあいはじめるようになるのだが、実はフォンは意識を取り戻したときから死者の霊を見るようになっていたのだった。
 一方、フォンが昏睡状態にある間に、女性看護士だけを狙う連続殺人事件が発生していた。捜査に復帰したフォンはその事件を担当することになるのだが、オスカーがあやうく被害者になりかけるという事件が発生する。病院で出会った元精神科医キッド(チョン・ダッミン)の霊から、オスカーの生命オーラが弱くなっていると告げられたフォンは、彼女がまだ犯人から狙われていると確信し、犯人に対して罠をしかけるのだが……。
 監督はハーマン・ヤウ。最近では『バーニング・ダウン 爆発都市』『ホワイト・ストーム』といったアクション映画にも力量を振るっている監督だが、なんといっても『八仙飯店之人肉饅頭』『エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス』の監督である。そのハーマン・ヤウの撮ったホラー映画なのだから、そりゃもう恐ろしい展開になるのかと思いきや、意外とそんなことはなかった。
 幽霊が見えるのだけれど、それが幽霊なのかそうでないのか見分けがつかないという描写や、容疑者をつかまえたところで被害者の亡霊に面通しをさせるという描写などでは、ハーマン・ヤウらしいゾクゾクする雰囲気は出ている。でも、全体としてみると、グロ描写はほとんどなく、ホラー描写もけっこうおとなしめなのだ。なんだ、こんなものか。しかし、そう思わせて油断をさせておいて……、うがあっ、やっぱりハーマン・ヤウなのだった。いやはや、これはなかなか後味が悪いぞ……、で終わればいいものを、そのあとに余計な描写があって、後味が悪いんだかいいんだか、なんとも微妙な終わり方になってしまっている。うーむ……。困ったな。
 ところで、行方不明になった女性看護士の遺体が山の中から3人だけ見つかっているのだが、それらはいずれも被害者の亡霊が警察署に現れて、当直の刑事に埋められた場所を伝えたものであった。そして霊から場所を告げられた刑事2人は亡くなり、3人目の刑事はフォンの部下であった……というエピソードがきれいさっぱり忘れられているような気がするのだけれど。3人目の刑事も呪われたと怯えていたのに、それっきりなにもないぞ。そもそも、特殊な能力を身につけてしまったフォンでなくても幽霊から埋められた場所を教えられたりしたら、この映画のキモとなる設定が無意味になってしまうではないか。
 というわけで、部分的には面白いし、なかなかショッキングな場面もあったのだけれど、トータルとしてはいまいちかな。
 そして、主人公を演じているアンディ・ホイが、どうしてもフィギュアスケーターの織田信成に見えて仕方がなかったのだけれど、それって僕だけなんだろうか?

2024年3月5日(火)

▼今日も朝の散歩に出て、最初に軽く走ってみる。距離にしてたぶん30メートル程度。ほぼ2ヶ月半走っていないので、これだけでしんどくなって歩きに戻したけれど、膝に痛みが出るということはなかった。最後にも50メートルほど走ってみたが、しんどいだけで痛みはない。
 もしかすると、手術をしないでもテニスに戻れる可能性もあるのだろうか。
 少しずつ走る距離を伸ばしていって様子をみてみよう。
 46分49秒で4.38キロ。

▼中国映画『南拳宗師 ライズ・オブ・フィスト』を観る。


 武術の師匠を訪ねて広州の猪油街にやって来たリウ・ユエンバーは、そこでアヘンをめぐる騒動に巻き込まれ、師匠が外国人と結びついてアヘンの密売に関わっていることを知らされる。しかも、その師匠に父を殺されたというイエン・シュアンという女性が率いる一派から敵視されることとなってしまう。
 師匠を信じるリウは、真相を探り出すべく動き出すのだが……。
 確か、予告編を観て「これは面白そうだ!」と思って借りてきたビデオだったはずだが、どこにそんな魅力を感じたのか、本編を見てもまったく思い出せない。「これは面白そうだ!」と興奮するようなシーンは、どこにもなかったのだけれど。いったい何を観て「これは観なければ!」と思ってしまったのか。
 アクションシーンに関していえば、まあ、そこそこといったところだろう。クンフー映画でアクションシーンがそこそこというのは困ったものだと思うのだけれど、アクションシーンの演出がどうにも凡庸なのだ。主人公のリウ・ユエンバーという人物は、実在の武術家ということなのだけれど、それだったらもっと激しいアクションを期待するのに、いまいち盛り上がらない。他のメンバーも武術の達人揃いという設定なのだけれど、それらしいシーンはほとんどない。うーむ。
 脚本も、まあ、そこそこといったところか。そんなに悪くはないのだけれど、これといって突出した部分もない。
 つまりは、さほど退屈はしなかったけれど、快哉を叫ぶような映画でもなかったぞといったところだ。
 主役を演じていたベニー・チャン(陳浩民)という俳優について調べようとすると、香港の映画監督・ベニー・チャン(陳木勝)ばかりが出てくるのだけれど、『王朝の陰謀 恐怖の人体実験と黒死病』『西遊記 孫悟空vsスパイダー・ウーマン』『孫悟空伝-MONKEY KING-』といった作品に出ているようだ。いまいち緊張感のない顔つきなので、この手のクンフー映画には向いていないように思うのだけれど。どちらかというと、コミカルな映画の方が似合いそうだ。ちなみに、テニス仲間にとてもよく似た友人がいて、彼がこの役を演じているような気がして、どうにも映画に集中できなかったのにはまいった。
 一方、ヒロインを演じているワンジョン・ワンという女優さんはなかなかきれいで、そこはちょっと嬉しかった。『開封府~北宋を包む青い天~』というテレビドラマに出ているらしい。脇役の女優さんも、名前はわからないけれど、なかなか可愛らしかった。まさか、予告編で観た女優さんがきれいだったから「これは観なければ!」と思ったわけではないと思うのだけれど。

2024年3月4日(月)

▼郵便局に行きがてら、いつもの公園をひとまわり。
 試しに、今日も少し走ってみる。左脚に余計な負荷かかからないように気をつけながら、本当にゆっくりと走ってみて、大丈夫そうだったので今日は200歩走る。これで後になって痛みがでなければ、だいぶよくなっているということになる。そうしたら、少しずつ走る距離を伸ばしていけるのかもしれない。
 52分43秒で4.86キロ。

富田常雄『天にひらく窓』東方社を読了。


 久しぶりに富田常雄の小説を読んでみた。
 隠居生活をしている元陸軍少将の父(62歳)、商事会社勤務の長男雄一郎(32歳)、アルバイトとして子どもに日本舞踊を教えている長女の奈美子(24歳)、新聞社に勤めだしたばかりの次女の春江(20歳)。
 誠実で真面目ひとすじの雄一郎には心に秘めた女性がいるのだが、長男としての立場から家族を養わねばならず、妹たちを嫁に出してからでなければ結婚はできないものと決めていた。そのため、どうしても相手の女性に積極的になれず、相手の女性もにえきらない雄一郎に対して物足りなさを覚えるようになっていた。
 古風でおとなしい奈美子は、ひょんなことで知り合った若者と心を通わせるようになる。だが、雄一郎の上司から求婚されていて、兄の出世のために犠牲になるべきかで煩悶していた。
 女学生気分がいまだ抜けず、いささか危なげのあった春江は、夜ごとの遊びを繰り返したあげくにチンピラのような男と過って関係を持ってしまい、その関係を絶つことができずに苦しんでいた。
 昭和28年に新聞連載された作品で、当時の富田常雄が繰り返し書いていた恋愛小説のパターンそのものの作品である。メインとなるキャラクターは和装の似合う古風な「美人という言葉よりは優しいという方が適切な」奈美子で、愛する相手がいながら、家族のために自分が犠牲になるべきかで苦しむ。24歳という年齢は、当時としてはそろそろオールドミスと呼ばれ出すような年齢である。まわりもそろそろ結婚させなければと考え、叔母が繰り返し見合いの話を持ってきていたのだ。その相手が兄の上司であり、結婚を承諾すれば兄は課長になれるだろうし、出世して給料が増えれば兄も結婚できるだろうという状況に追いこまれる。
 その奈美子と正反対の、快活で現代的な妹という設定は、本当に繰り返し繰り返し富田常雄の作品に出てくるパターンで、こうなると確実に妹は男性と過ちを犯して「わたしはもう結婚する権利を失ったわ」と考えるようになる。ところが、そのあとで彼女のことを心から愛する男性が現れて、またしても「わたしにはしあわせになる資格がないの」と苦しむことになる。ここまでがセットで、見事なまでのパターンなのだ。
 さらには、家族へのしがらみから相手の女性に積極的になれない長男にも艱難辛苦が襲いかかり、あげくのはてに相手の女性が胸の病に倒れるという展開も完全にいつものパターンだ。ただし、『姿三四郎』の頃は胸の病に倒れるとその女性はたいてい回復せずに亡くなってしまうのだけれど、だんだん医療が発達してきて回復するパターンに変貌してきているのがちょっと面白い。
 そしてもちろん、登場する男性の何人かは必ず柔道経験者なのである。ふだんは朴訥でおとなしかったりするのだけれど、いざとなれば強いのだ。
 このように見事なまでに毎度毎度のパターンなのだけれど、それでいてこの頃の富田常雄は売れに売れていた。小説家長者番付では吉川英治に次ぐ2位に位置していて、次から次へと新聞連載、雑誌連載を書きまくっていたのである。
 いま読むと、家制度とか女性の純潔などに対する考え方の違いに、さすがに時代を感じさせる。しかし、それでも最後には愛が勝つというところが人気を呼んだのだろうか。

2024年3月3日(日)

▼午前中は家で読書などをしながらのんびりと過ごす。
 嫁さんと母親は車で娘をピックアップして、そのままお買い物。ふだんは居間の椅子に腰掛けたまままったく動かない母親も、自分の孫にあれこれ買うのがいちばんの楽しみとなっていて、このときばかりはしっかりと歩いているらしい。

▼本棚を整理していて、昨日買った『時の葦舟』が出てきて愕然とする。これは持ってないと思っていたのになあ。

2024年3月2日(土)

▼テニスができなくなってから、休日の過ごし方がなんとも味気ないものになってしまって困っている。家から一歩も出ずに、本を読んでビデオを観て、それで1日が終わってしまう。
 そこで今日は、頑張って都内の古本市まで出かけてみることにする。高円寺の西部古書会館で開催される古本市に、西荻窪の盛林堂さんとか、仙台のあらえみしさんとかがごっそり出品していて、自分の好みの本がずらりと並んでいるはずなのである。ただし、朝いちで行くと人混みがすごくて本棚に近寄れない事態になるのは目に見えているので、のんびり昼近くに覗きに行ってみる。
 すると、500円均一の本を大量に出品していた盛林堂さんの棚はすでにスッカスカになっていて、自分が欲しいような本はすでに皆無。もっと安ければ買ってもいいなという本はあれこれあったのだけれど、自分的に500円出して買いたい本はなし。
 まわりにはものすごい量の本を抱え込んでいる人がたくさんいたので、もっと早い時間に来ていたら、理性がぶっとんでガツガツ買っていたのかも知れない。ゆっくり行ったのは、やはり正解なのだろう。
 あらえみしさんの棚はSFがズラリズラリと並んでいたのだけれど、どうしても欲しいという本は特になく、たまにあっても自分が出してもいいと思う値段よりも上だったので、やはり買う本はなし。SFに関しては、高く出してでも欲しいという本はほとんどなくなったのかな。
 それにしても、膝を痛めていると、最下段の本をチェックするのにしゃがむのがとても辛い。しかも、立ち上がる時には左足の膝に負荷をかけないように右足だけで立ち上がらなければならず、繰り返し片足でスクワットをしているような状況となってしまい、めちゃくちゃしんどかった。途中から、最下段の本はほとんどチェックしなくなってしまった。
 これでは何も買う本がないままおしまいかなと思っていたら、会館の外に並んでいた本がやたらと安くて、そこでこんな本を購入。
『アジア読本 フィリピン』宮本勝・寺田勇文編(河出書房新社/初版帯)300円
『時の葦舟』荒巻義雄(文化出版局)200円
『SFの冒険』大宮信光(新時代社)200円
『別れのクリスマス』ローランド・スターク(二見書房サラプランタン/再版)200円
『征服者ロビュール』ジュール・ヴェルヌ(集英社ヴェルヌ全集/初版)200円
 『アジア読本 フィリピン』はもしかしたらダブリなのかもしれないのだけれど、ま、300円ならいいかな。
 そして、『征服者ロビュール』は間違いなくダブリなんだけれど、自分が持っているのよりも状態がいいので、差し替えのために購入。しかし、これが200円て安すぎでしょう。
 『別れのクリスマス』というのは、二見書房サラプランタンという、映画のノベライゼーションの叢書で、なんとなくこの叢書を集めてみたくなって購入。ウィリアム・ゴールドマンの『華麗なるヒコーキ野郎』『明日に向かって撃て』、ジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィテイ』など、ちょっと気になる本が紛れ込んでいる叢書なのだ。で、この『別れのクリスマス』の巻末リストを見ていて、『少年は虹を渡る』の作者が『ファール・プレイ』『大陸横断超特急』などのコリン・ヒギンズであるということを知ってしまい、『少年は虹を渡る』を手に入れなければという気になってしまったのだった。
 他にも、ちょっと前の自分だったら片端から買っただろうなという本が山ほど並んでいたのだけれど、さすがにもう片端から買うようなことはしない。せっかくコツコツと蔵書を減らしている最中なのだから。
 このあと、古書サンカクヤマなどを覗いてから、西荻窪に移動する。

▼西荻窪では、まずは盛林堂を覗く。期待は、海外文学のコーナーだ。SFやミステリーで高値を出してもいいという本はあまりないのだけれど、海外文学のコーナーにちょっと出してもいいかなという本がよく並んでいるのだ。でも、今日はそういう本は見つからなかった。
 そのかわり、店頭の均一棚でこんなところを購入する。
『デューン 砂漠の神皇帝(1)』フランク・ハーバート(ハヤカワ文庫SF)100円
『デューン 砂漠の神皇帝(2)』フランク・ハーバート(ハヤカワ文庫SF)100円
『デューン 砂漠の神皇帝(3)』フランク・ハーバート(ハヤカワ文庫SF)100円
『デューン 砂漠の異端者(1)』フランク・ハーバート(ハヤカワ文庫SF)100円
『デューン 砂漠の異端者(2)』フランク・ハーバート(ハヤカワ文庫SF)100円
『デューン 砂漠の異端者(3)』フランク・ハーバート(ハヤカワ文庫SF)100円

 おそらく、このシリーズは『砂漠の神皇帝(1)』で挫折したと思うので、その後ろを買えば揃うのだろうと思っていた。ところが、帰宅してチェックして見たら、このうちの4冊はダブリだった。どうやら、前にも同じようにこのあたりを買うとコンプリートなんじゃないのと思って買っていたものらしい。しかも、このあとの『砂漠の大聖堂』も揃っているので、「デューン」はもう揃っているから買わなくてもいいんだよということを忘れないようにしないと。
 ちなみに過去の日記をチェックしたら、2000年11月に新宿にあった「昭友社」という古本屋の均一棚で「デューン」をごっそり買っていた。そして、その時の日記に「『デューン』は「砂漠の神皇帝」の1巻で挫折したから」と、今回とまったく同じことを書いているので笑ってしまった。24年たって、まるっきり同じことをやっているんだね。
 そのあと、中野書店、モンガ堂などを覗いてから帰路につく。

▼南浦和でバス停に行くと、ちょうどバスが出たばかりで次のバスまで20分待たないといけない。それだったら歩いて帰ろうかなと思ってしまう。今日はすでにけっこう歩いていて足が疲れているのだけれど、膝のためにも足を鍛えておきたい。およそ3キロの距離なので、たいしたこともない。
 途中、ホームセンターに寄り道してちょいと買い物をして帰ったのだけれど、背中の重さがけっこう肩と腰にのしかかってきていて、それなりにしんどかったかな。

 スマホによると、本日の歩数は13,227歩とのこと。よく歩きました。

2024年3月1日(金)

▼ゆっくり寝ていて朝の散歩ができなかったので、昼どきに郵便局に行きがてらグルッといつもの公園をひとまわりしてくる。今日はやたらと膝の調子がよくて、けっこうなペースでズンズン歩くことができる。これはもしかしていけるんじゃないのと思って、最後の最後に軽くちょっとだけ走ってみる。無理せず40歩だけ走ったのだけれど、膝に痛みはなし。いままではほんの数歩で痛みが出ていたのに。
 はたしてこれは一時的なものなのか、あるいは回復に向かっているのか。
 50分50秒で4.76キロ。平均ペースは1キロ10分40秒。11分をきるペースで歩けたのは久しぶりだ。

今村昌弘『屍人荘の殺人』創元推理文庫を読了。


 まず最初に白状しておくが、自分はいわゆる謎解きをメインとする本格ミステリが苦手だ。読んでいる途中でなにがなんだかよく分からなくなって、どうでもよくなってしまうことが頻繁にあるからだ。だから、本書を読もうとして、しょっぱなに「紫湛荘見取り図」なるものが出てきて「ああっ、これは自分には向いていない!」と思ってしまった。こういう見取り図が出てくるからには、ごちゃごちゃしたパズルを解くようなタイプのミステリに違いあるまい。絶対に途中でわけがわからなくなって、犯人なんてどうでもいい!と思ってしまうに違いあるまい。
 大学のミステリ愛好会の会長である明智恭介と、たったひとりの会員である葉村譲のふたりは、同じ大学に通う剣崎比留子に誘われて、映画研究会の夏合宿に参加することになる。会長の明智恭介は自称名探偵なのだけれど、剣崎比留子の方は実際に警察の捜査に協力した経験が何度もある名探偵であった。
 この導入部で、ライトノベルっぽい、若い読者に好まれそうな文体とキャラクターだな、なんて思ってしまう。とにかく読みやすい。スラスラと読めてしまう。
 そして、合宿に向かう過程で一気に登場人物が増える。いつもならここで誰が誰だか区別がつかなくなってしまうのだけれど、本作はわざとらしいまでにそれぞれのキャラクターにふさわしい名前がつけられているので、とっても分かりやすい。
 しかし、軽いノリの作品で読みやすいじゃん、などと思っていた自分は、この作品を明らかにみくびっていたということが判明してしまう。この先、登場人物たちはとんでもない事態にまきこまれていくのだけれど、そのとんでもない事態というのが、予想のはるか上をいっていたのだ。なんともとんでもない設定のミステリだったのだ。すでに刊行から7年がたっていて、映画化もされているので、そのとんでもない設定に触れてもいいのかもしれないけれど、未読の人もいるだろうから、あえてそこには触れない。とにかく、あるとんでもない状況によって、主人公たちは紫湛荘というペンションに閉じこめられ、そこで連続殺人が発生するのである。
 第1の殺人の真相には、ドギモを抜かれた。きわめてシンプルな真相で、パズルを解くようで分かりにくいとか、そんな要素は皆無。それでいてビックリさせられる真相なのだ。
 第2、第3の殺人の真相の方はさすがにそこまでシンプルではない。本格ミステリの読者としての適性を致命的なまでに欠いている自分には、「えーっ、そんなこみいったことをする?」とか「とっさにそんなことを思いつく?」とか、なんともヤボな感想を持ってしまったのだけれど、本格ミステリファンにしてみれば、お見事!と快哉を叫びたくなる展開ではなかっただろうか。
 いずれにしても、犯人が誰かとか、トリックがどうだったとか、自分はそういうことにあまり興味が持てないのだけれど、それでも十分以上に楽しめる、実にとんでもない作品でありました。

▼中国の武術映画『ソード・アイデンティティー』を観る。


 1604年、明の時代の中国。その街では、武術の名門4家が道場を持ち、新たに道場を開こうというものはその4つの道場に挑み、全てに勝たなければならなかった。ある時、その街に異様な長刀を携えた2人の武術家が現れる。その長刀は、倭寇の日本刀を改良したもので、かつて倭寇を退けた武器でもあった。2人は、その長刀を広めるべく、その街にやってきたのだった。
 だが、その刀を邪道な武具であると見なした道場主たちは、彼らを倭寇であると決めつけ、押さえつけにかかる。そのために1人は負傷してとらわれの身となるが、もう1人は4大道場を打ち破るための行動を始めるのだった。
 一方、優れた武術家でありながら、名家の娘を嫁にもらったことがきっかけとなって、世を捨て山奥で隠遁生活をしていた4大道場の長老であるチウは、彼らの出現を知って山を降りてくるのだが……。
 というようなストーリーなのだけれど、このストーリーからは予想もつかない、理解不能の展開が続く。なぜなら、監督が昨日観た『ソード・アーチャー 瞬殺の射法』のシュ・ハオフォン監督なので、いわゆるエンターテインメントの文法にのっとった描き方をいっさいしていないからなのだ。ストーリーを丁寧に説明しようなどという気配はいっさいなし。とにかく、徹頭徹尾、よくわからない展開が続く。
 4大道場への挑戦に失敗した主人公は、西域から来ているとおぼしき踊り子に棒術の必殺技を伝授し、はしけに繋がれた船の入口にかかった布の後ろにかまえさせる。その船を包囲した4大道場の武術家たちは、道場主の命令でひとりふたりとその入口に近づいていくのだけれど、布からつきだされた棒によって片端から倒されていく。
 踊り子に道場主たちの相手をさせている間に、主人公は捉えられている仲間を救いに行き、今度は長老チウの若い妻に必殺技を伝授して、道場の中に入ろうとする武術家を入口の影から叩きのめさせる。
 つまり、練達の武術家たちは、そうとは気づかず、かたはしから武術の素養のない踊り子とか若妻に倒されてしまうのである。しかも、なんでその踊り子なり若妻なりが主人公の言うがままに武術家を倒していくのか、まるで説明なし。なに、この展開!
 しかも、闘い疲れた船の前で、西域から来た踊り子たちが踊っていたりして、なんとも理解不能。
 インデペンデント映画などで、イメージを優先したあまりストーリーを物語ることを放棄したような映画に遭遇することがあるのだけれど、あのスタイルで武術映画を撮ったならこういう映画になるだろうというような、まさにそんな感じの映画なのだ。そのくせ、ときどき思い出したかのようにストーリーを物語りだし、クライマックスでは主人公と長老チウとの一騎打ちが展開されたりもする。だけど、その一騎打ちにしても、本当の達人同士が闘ったならばこうなのかもしれないというとても地味なもので、闘いのシーンで映画を盛り上げようなどという意図はまったく感じられない。
 シュ・ハオフォン監督の作品は、第3作の『ファイナル・マスター』を最初に観て、次に第2作の『ソード・アーチャー 瞬殺の射法』を観て、そして次に第1作の本作を観るというように、製作順を遡るようにして観たのだけれど、第1作がいちばんわけがわからなくて、だんだん分かりやすくなってきているということは言えそうだ。
 『ソード・アーチャー 瞬殺の射法』は、いまいちよく分からないながらも凄みを感じる場面が続いていたが、本作はそれもなく、非常に単調で正直疲れた。きっと、この監督の本質がいちばんストレートに出たのが本作で、そこから少しずつ商業映画に近寄りつつあるといったところなのだろう。
 『グランド・マスター』の脚本と武術顧問を務めたシュ・ハオフォンだが、こうした演出スタイルをみると、なるほど、いかにもウォン・カーウァイと相性がよさそうではないかと思えてくる。