昨日今日

  • だいぶ長いことブログから離れていて、何を書いて何を書いていないのか忘れてしまった。現状報告的に大学を受験しようとしていることは書いた気がする。いま過去ログを流し読みしたら書いていなかったので記憶も適当だなと思った。というか直近のエントリーが元旦であまりの筆不精ぶりに笑えてくる。もっとも元旦以前の更新ペースも似たようなものだったかもしれない。記憶の有用性が疑われる。「元旦」が思い出せなくて1月1日でググった。脳みそとろけてるかもしれない。ひきこもりは脳によくない。
  • スペースダンディのサントラを買った。たぶん一番近いTSUTAYAとゲオにもレンタルで入るんだろうと思いつつも意地になって買ってしまった。こういうすぐムキになるところから身を滅ぼした気がする。一番聞きたかったハウスっぽい曲が入ってなかった。
  • 封を開けてないCDが6枚ある。以前なら遅くとも買った次の日にはリッピングしていた。良くも悪くも自分の中から執着のようなものが薄れつつある気がする。
  • 上で書いてるハウスっぽい曲を聞いたらこれを思い出した。
  • 昨日読んだ石川博品の「平家さんって幽霊じゃね?」がぶっ飛んででよかった。2Pacがきっかけで意気投合する高校生こわそう。
  • おわり。

 

ホラーアンソロジー2 “黒

ホラーアンソロジー2 “黒" (ファミ通文庫)

 

 

2014年1月1日の日記

部屋に餅がある。くびれて二段になった餅の上にプラスチックのみかんがひとつ乗っかっている。元旦である。

やけに思わせぶりな書き出しからはじめてしまったが、特に正月らしいことをしているわけでもないのでこれといって書くこともない。初詣も行かなかった。代わりにゾンビ映画を見ていた。"銃がなけりゃ松明で殴って焼けばいい 簡単さ*1"。

まだ昨年の大晦日から一日もたっていないのに、去年という但し書きが着くだけでずいぶんと時間的に隔絶した印象を受ける。こうやって節目ごとに連続性を断ち切っていって2030年あたりにはすっかり別人になっていたい。トランスフォームしたい。

大晦日の前後、「2013年も最後だしなにかしらエントリーをあげておこう」とふと思い立ち、2013年のまとめ、もとい反省文を軽くしたためていたものの、書き上げる前に書いていること自体を忘れ、結局はいつのまにか年が明けていたのだった。当時の自分がちょっとだけかわいそうなのでなんとなく公開する。

気づけば年の瀬、思えば2013年も何もしていない。

しかしさっぱり何もしていないということはない。ないものの、密度は低い一年だった。   

ここ数日の生活の乱れ、というか睡眠のリズムがおかしなことになっていて肉体的にキツイ。そういえば無職やニートにありがちなのが予定から行動を逆算できないことらしい。さもありなん。

2013年やり残したこともとくになく、今日父親を駅まで迎えに行くくらいしか残った用事もない。真冬の雪道に車を転がすのにもだいぶ慣れた。駅まで向かう途中にそれ町の新刊を買えさえすれば思い残すことなく2014年を迎えられるかもしれない。 無事新年を迎えられたらバッティングセンターに行きたい。

というわけで、2014年最初の目標はバッティングセンターに行くことです。2014年も何卒よろしくお願いします。

あと、それ町の新刊はちゃんと2013年中に買えました。ハッピー。

 

 

2013年6月26日の日記

ブログには書いていなかったが、4月のはじめに運転免許をとった。何ヶ月も前に自動車学校を卒業して以来、なかなか重い腰を上げられずにいて、ようやく片付いたときには、ずいぶんとほっとした。免許をとる前後から体の調子が徐々に上向いていたのもあって、それを機に車で出かけることが多くなり、必然的に外で過ごす時間も多くなった。夜はたいてい、外で食べている。住んでいる場所も立ち寄る店もなにひとつ変わっていないけれど、車のフロントガラスを通してみる街並みはこれまでとは違った感覚を与えてくれる。それは見知った街が他人の手で一度そっくりバラバラにされて、もう一度組み直されたような感じに近いかもしれない。それは一見これまでと変りなく存在しているようでいて、細部にハッキリとした齟齬を抱えている。自分にとって、周囲の変化なしに達成された認識の変化は、まるで黒一色のオセロが瞬きする間に一面真っ白に置き換わってしまったような衝撃を与えてくれた。もちろん車の運転がすべてではなく(むしろ割合としては些細なものかもしれない)、いまに至るさまざまな出来事が重なりあって、この感覚の土台が形成されたのだと思う。これが意識的に行えるようになれば、楽しく生きていけるのかもしれない。小さな子供がばた足から泳ぎを学ぶように、一から泳ぎ方を考えていこう。その知識を感覚のフィールドにまで押し上げることができたらいい。風景を鮮やかに切り替える色眼鏡を手にとって、しぶきをあげる流れに飛び乗ってしまいたい。そのときにはきっと、しぶきのひとつひとつが黄金の輝きを放っているだろう。