日曜日, 5月 30, 2010

「宗教と和平の対話」in マケドニア(O)

先日ふとしたきっかけで、インターネット上でとある短い北朝鮮旅行記をいくつか読むことがありました。これまで北朝鮮に行ったこともなければ、一般的な日本のメディアによる情報(拉致問題や軍事問題など)ぐらいしか接点がなかったわたしには、旅行記に登場する平壌の地下鉄、しかも市民がふつうに毎日使用している、そんなふつうのことすら知らなかったと自覚したことが「平壌を走る地下鉄」の事実と同じぐらいにかなり衝撃的でした。

さて、話は変わりますが、5月初旬に欧州バルカン半島中央に位置するマケドニア共和国(Република Македонија)の、オフリドという大きな湖のそばの赤い瓦屋根の小さな町を訪ねて来ました。バルカンのエルサレムと呼ばれるその町のモスクの塔や古いイコンが壁にびっしりと描かれた正教会、修道院、真っ青な空とまばゆい太陽の光に、久しぶりにイスラエルを感じました。そして世界でももっとも古い湖のひとつだと言われているオフリド湖は深く静かで碧く輝いていました。今回、このオフリドを来訪したのにはちょっとした理由がありました。ユネスコ支援でマケドニア政府主催で3年毎に行われる「THE SECOND WORLD CONFERENCE ON INTER-RELIGIOUS AND INTER-CIVILIZATION DIALGOUE 」という、宗教と文明との対話、和平への宗教と文化的貢献、相互の尊重と共存を主題としたカンファレンスに出席するためでした。このカンファレンスでは世界各国から集まった様々な宗教家たち(キリスト教各宗派司教、ユダヤ教ラビ、イスラム教シェリク、他)や学者たちのスピーチを2日間に渡り聴講しましたが、わたしの関心はやはりイスラエルとパレスチナの問題についてでした。発表者の中には予想以上に多く(といっても両手の指の数よりも少ないですが)のユダヤ人がいたのですが、その中でも印象的だったのはエルサレムのオリーブ山在住のイスラエル国籍アラブ人(イスラム教スフィー派指導者)とユダヤ人の二人が供に手を取り合い和平を訴えたスピーチで、彼らはイスラエルでも同じようにして人々に共存と和平を訴えているということでした。

これまで2004年から(気がつけばもう6年です!)大黒さんとわたしはここで主にイスラエルとパレスチナについて語って来たわけですが、わたしが何百回同じことを(または似たようなことを手を替え品を替え)言うよりも、そこに住むまたはそれに関わる他の人たちの声が必要なのかもしれないと思っていたので、この機会を逃す手はないと、先述のエルサレム在住のスフィーのシェリク(指導者)で平和活動家、カイロのユダヤ教教授(エジプト人)、イスラエル在住のユダヤ人、米国在住ユダヤ人学者など異なるバックグラウンドの5名にイスラエルとパレスチナ問題の解決法について、その答えの核心だけを簡潔に話してもらいました。以下、5名の答えです。(*ハッサン・マナスラ氏とモハメド・ハワリ教授はムスリム、他3名はユダヤ)

(1)ハッサン・マナスラ(Ghassan Manasra) イスラム教スフィー派指導者(シェリク)/ イスラエル国ナザレ市 アンワル・イル・サラアム・ムスリム平和センター所長 (The director of Anwar il-Salaam (Lights of Peace), a Muslim peace center in Nazareth promoting tolerance and interfaith dialogue)

「解決法は二つの国家に分けることですが、諸外国からの援助金が個人資産として消え失せ、汚職まみれの政府、デモクラシーなどまったく存在しないパレスチナ側での生活を強いられるなどまっぴらごめん。居住するなら?と聞かれれば断然イスラエル側だと即答しますよ。自分たちだけでなくこれからの子供たちの将来的な希望や可能性という点で考えても、パレスチナに住むなど考えられないこと。それについては私だけではなく、私と同じ多くのイスラエル国籍のアラブ人と、そしてパレスチナ人すらも同じようにイスラエル国内で普通の生活をしたいと切に願っています。事実、壁が建設される前には多くの裕福なアラブ人たちは壁の向こうになることを避けてイスラエル側に購入した家に住まいを移しているのです。

私はアラブ人であり、またイスラエル人であり、イスラエルがわが祖国です。しかしこの土地の和平について私がユダヤ人と対話することが必ずしも自分と自分の家族にとって良いこととは言えない。ハマスはイスラムの主流でなはいスフィー派の指導者である私を敵対視し、ユダヤ人をここから排除したいパレスチナ人からは裏切り者として袋だたきにされたこともある。息子の命をも奪うと脅されることもある。しかしそれでも自分の信念を変えるつもりなどないのです。」

(2)マーク・ゴーピン教授(Marc Gopin)/ 米国ワシントンD.C. ジョージメイソン大学(George Mason University’s Institute for Conflict Analysis and Resolution (ICAR)

「イスラエルとパレスチナの独立した二国家が現実的な解決だが、一つに統合した国家という方法もまったくないわけではない。一国家にイスラエルとパレスチナ両方の警察(セキュリティーシステム)を儲ける、またはユダヤとパレスチナの連合(同盟)、連立政府を設けることも一国家案の実現に繋がる。いずれにしろ、現状問題としてはイスラエル国内に居住するアラブ人(イスラエル国籍)に対するイスラエル政府(左派)の扱いであり、その女性の多くは男性(アラブ人)と平等の権利、デモクラシー社会を求めているが、それを実現させるのは厳しい現状。またイスラエル国内のアラブ人の若者(〜50歳代)は抑圧により非常に過激化している。従ってアラブ人たちに適合した住みよい社会へとイスラエル政府は大変革を行う責任がある。」

(3)ロウレンス・ウェインバウム博士(Laurence Weinbaum)/ イスラエル国エルサレム市 ワールド・ジューイッシュ議会リサーチ研究所及びイスラエル協議会外交事務長(The World Jewish Congress and The Israel Council on Foreign Relations)、The Israel Journal of Foreign Affairs 編集長

「ゴーピン教授の一国家案は賛成できない。一国にまとめることで起こる人口数移動(ユダヤ人・アラブ人)などによって引き起こる社会的な大混乱は明白であり、その他様々な理由より現実的な解決法ではない。アラブ人の若者の過激化については、仮にイスラエルが彼らの望む状況に変わったとしても、覆水盆に帰らず、一度ある状況に陥ってしまった人々をそうなる前の状態に戻すことはほとんど不可能に近く、またアラブ人女性のデモクラシーについてはアラブ人社会(男性社会)がそれを認めないことにはどうにもならないため、イスラエル社会の変化により改善されるとするのは非現実的でナイーブな見解。

イスラエル・パレスチナ問題の解決法はイスラエルとパレスチナの二つの独立した国を作ることだが、将来的にそうなるかどうかはまったく別問題。そして、互いをtolerate(耐える)だけでは十分ではなく、respect(尊重)できるように向うべき。「耐える」ということは例えば、キッチンに出没するゴキブリにはどうしようもないが耐えている、そういうことで、「耐える」とは嫌いなものを嫌いな状態のままで受け入れているわけで、私は他人に「あなたの存在を耐えてあげましょう」とは言われたくない。それを越えたレベル、つまり「あなたを尊重します」と言われることを望む。パレスチナとイスラエルも互いにそうなる道を進むべきでしょう。」

(4)モハメド・ハワリ教授(Mohamed Hawary)/ エジプト国カイロ市 アイン・シャムス大学ヘブライ・ユダヤ教理学(Ain Shams University)

「イスラエルの歴代首相たちはこの問題を終結させようとは思っていないわけで、パレスチナ側がなにを提案しても満足しない。先のわからない将来に期待するよりも現時点で解決することが重要でしょう。」

(5)レイセル・ウェイマン博士(Racelle Weiman)米国フィラデルフィア市 テンプル大学・ダイアログ研究所グローバル・エデュケーション&プログラム開発副主任(Dialogue Institute Temple University)

「二つの国に分ける以外に方法はあり得ないでしょうね。イスラエルという国はユダヤ人が暮らせる唯一の国であり、そのためユダヤ人にとってなくてはならない国。イスラエルではこれまでもそこに居住するアラブ人たちとは混ざりあう部分とそうではない部分を保ちつつ共存して来たし、これからも共存して行けるはず。個人的な経験では、イスラエルで息子を出産した際、ユダヤ人である私、ドゥルーズ、そしてアラブ人の3人の女性が同じ病室にてベッドを並べ、その病院にはユダヤ人たちに混ざり多くのアラブ人医師も勤務していてたなど、それほど社会的な問題は感じられない。もちろん地域によって異なることもあるだろうが。

各国で問題として取り上げられている防御壁について。この壁の存在でこの5年間ただの一人も自爆テロの犠牲者が出ていないことがその結果といってよいが、決して壁が最終的な手段ではなく現状で必要性があってのことであり、将来的にその必要性がなくなれば取り壊せばよい。自治区の難民について。確かにそういうことになってしまったことには胸が痛むが、なぜ他のアラブ諸国が彼らの移住拒否するのか、そういったことなども考えてみるとこの問題がさらに見えて来るのでは。」

以上です。ここでわたしの意見を入れるべきかそのまま各自で考えてもらうか迷うところですが、少しだけ補足しておこうと思います。(1)のハッサンの意見は過去に「大衆の思いと混乱、そして光」のお終いで書いたこととほぼ同じです。(2)ゴーピン教授とイスラエル人作家ディヴィッド・グロスマンの考え方になんら違いは見いだせず、イスラエル批判が主の左派の典型的意見でしょう。そして(3)でもウェインバウム博士も話しているように、わたしにもゴービン教授の意見は現実的なものとは受け取れませんでした。(「それぞれの思惑」の最終段落参照)。(4)エジプト人のハワリ教授の言葉はごくごく一般的なアラブ諸国民の意見であって、まあそんなところしょうという以外にありません。(5)レイセル・ウェイマン博士のイスラエルでの経験について補足しておきますが、彼女の住んでいたのはイスラエル北部のハイファというキリスト教系アラブ人も多く住む街であり、ハイファの状況がイスラエル全土に渡り同じということでもない。例えばエルサレムでは、アラブ人とユダヤ人の二つの街(社会)が個々に存在しているように。

オフリドでの「宗教と和平の対話」という場でのスピーチにどんな意味があるのか、スピーチを聴けば聞くほど「だから?そこから先、現実的にはどうするのか?」との疑問が大きくなっていたところ、この学会役員でもありインタヴューにも答えてくれたレイセル(ウェイマン博士)が壇上から「この学会後に和平について何らかの行動を起こしたりいくらかの結果を得られなかった方は、次回、3年後のこの学会へは戻って来ないで。そういう人には参加しないでほしい」と訴えたことが心に残りました。オフリド滞在中、レイセルやロウレンス(ウェインバウム博士)たちと食事を供にし毎晩夜中すぎまで語り合い、別れ際にレイセルが「これからザグレブに戻ってまずなにをするのかしら?」とこちらのモチベーションを上げてくれたことに感謝しつつ、この先、どういった行動に移るべきなのかを考えています。(大桑)

月曜日, 8月 17, 2009

報道と民意(D)

この対話ブログを読まれた福嶋直次さんと大桑さんとの2回にわたるやりとりがポストされましたので、わたしの考えを今度は書いてみようと思います。

最初の福嶋さんのメールでは、報道のあり方と事実関係についての疑問が中心として書かれていました。

報道と事実関係の問題については、パレスチナ/イスラエル問題にかぎらず、長らく関心をもってきました。そしてこの問題を追究していって、最後に行き着くところが想像できるようになってくると、力が抜けるというか、かなり絶望的な領域に足を踏み入れそうで、今はかろうじてその境界線の手前で踏みとどまっている状態です。その一線を越えることはすべてをあきらめることかもしれず、現実として自分にできることはほとんどない、という結論に至ってしまうかもしれないからです。そうなれば、あとは仙人か世捨て人のように生きるしかありません。

今、その一線を越えないで、境界のところで踏みとどまっている理由は、自分以外にも、物事を「言われている」一面からだけ理解して満足しているのではない人々が、世界には少なからずいるからです。大桑さんもそうですし、疑問を感じ続けている福嶋さんもそうだと思います。さらに、学者や評論家、作家、活動家などの人々のなかに、地道に長い期間かけて、状況を調査、観察したり分析してその成果を本や映像などで伝える人々がいます。このような人々がいるかぎり、その数が全体として10%、5%、1%、、、それ以下だったとしても、この立ち場を放棄する理由はないと思っているのです。希望はある、と。

最近わたしが経験したことでこんなことがありました。それは「和歌山カレー事件」と言われている、1998年に起きた夏祭りでの殺人を含む毒物混入事件についてのことです。今年の5月にこの事件は、最高裁が被告からの上告を棄却したことによって、死刑が確定しました。わたしは夕刊の一面トップでそのことを知り、この事件を久々に思い出したのでした。その感想は、「ああ、死刑判決だったのだ」という以上のものではありませんでした。なぜなら、この事件についてわたしの持っている情報はごく一般的なもので、ソースはテレビのニュースと新聞報道に限られていました。ただしそれ以外の情報といっても、テレビのワイドショーや週刊誌のようなものをどれだけ熱心に見たり読んだりしても、新らたな視点が持てたとは思えませんが。事件に関するインターネットのサイトや事件にまつわる著作(があったとして)を読んだこともありませんでした。

その後、ごく最近のことですが、Days Japanというフォトジャーナリズム誌(2009年6月号)を読む機会があって、和歌山の毒物カレー事件に触れたコラムを読みました。書き手は斎藤美奈子氏(文芸評論家)、タイトルは「和歌山カレー事件から考えた冤罪を生み出す日本の風土」というものでした。何気なく読みはじめてわたしは驚きました。「物証なし、動機も不明。状況証拠だけで下された異例の死刑判決」とのことだったからです。「目撃証言書には不審、不可解な点があまりに多く」という斎藤さんの指摘や、犯人として可能性の考えられる他の関係者の調査、吟味も行なわれていない、という記述を読んで、遅ればせながらインターネットで裁判の経緯などを読んでみました。そして裁判や判決には大きな落ち度、非合理性があったのではないか、と感じました。それは容疑者、被告となった林真須美さんが真犯人かどうか、という問題以前に、こんな審議の進め方が日本では普通に行なわれているのだろうか、という驚きでした。またわたし自身が、この事件に関して一般報道しか知らなかったことにより(きちんと読めば物証なしの事実に気づいたかもしれないのに)、「林真須美さんが真の犯人であるということ」以外の視点をまったく持ち合わせていなかったことへのショックでした。

普段から報道の意図的偏向やプロパガンダまがいの表現方法に嫌悪感をもっているわたしも、刑事事件については、あるいは関心外の出来事に関しては、これほどあっさり報道の手のうちに取り込まれていたのです。では報道の手のうち、あるいはマスメディアの手のうちとは何でしょう。テレビ局や新聞社は、判決のはるか前から林さんを犯人と決めつけるような報道を流すことで、いったいどういうメリットがあったのでしょうか。そのような報道をするよう、何らかの団体の圧力とか、一般人には知り得ない裏の理由があったのかもしれませんが、そうではないのかもしれません。だとすれはそれは何? 視聴率? 報道に活気をもたらし、紙面や画面を賑わし、報道の存在をアピールするため? それともメディアの無思想性のなせるわざ? 警察発表など一部の情報源だけに頼って記事や番組をつくっている受け身の姿勢のせい? 独自の調査や取材をしないから? あるいはやったとしても警察発表を裏付けるものしか材料として扱うつもりがないから? 

仮にこれらの複合的な理由から、無責任で道義的にも許されない野放し報道がなされているとしたら、情報の受け手である視聴者や購読者はどういう立ち場に立たされるのでしょう。民主主義国であると自負する日本国にあっては、「民意」というものはもちろん、政治や社会問題などあらゆる場面で都合よく利用もされてきました。選挙はひとつの典型です。特に最近では民意を反映しない発言をしたり、民意に反論したり、叱咤したりすることは政治家にとって命取りな行為。当選確率の高いポピュリスト(政治家)にはなれないでしょう。「KY」であっては今の時代政治家にはなれない、そのため空気ばかり読んでいるように見える政治家もいるくらいです。

ということは、政治も、報道も、民意を反映することを一大使命としているならば、その民意の発信者であるわたしたちの思想がどこに一番現われているかと言えば、、、、それは他ならない政治の状況であったり、報道に現われている、ということになりそうです。この二つの川の流れの間には重大な断絶があって、現われていることは民意の反映ではない、と言えるのかどうか、わたしにはその自信がありません。カレー事件の林さんをあのような報道の表現の中に置くことを、そして部外者として無責任にそれを見て論評することを、「残忍な容疑者」を報道がこれでもかと繰り返したたく場面を、視聴者は潜在的に望んでいた、のかもしれません。

ことはパレスチナ/イスラエルのように、あるいは日本の「民意」にとってここ最近の最大の敵である「北朝鮮」のように、歴史や政治が絡んでいる場合は、様々な見方や解釈が成り立ち、意見を言うのにも気をつかいます。合理的な解釈、公平な視点に努めて語ろうとしても、「それはあなたが○○だから味方するのでしょう」とか「○○に住んでいるから一方的な情報しか知らないのでしょう」と言われてしまうかもしれません。そういう意味で、刑事事件というのは、政治や宗教や歴史とは離れたところから語れる素材です。それだけに、最初に書いた福嶋さんの疑問である「報道と事実関係」の問題が、様々な立ち場を外して、人間の問題として、法治国家の問題として語れるのではないかと思いました。そしてそこで何らかの解答が得られたなら、それはパレスチナ/イスラエルや北朝鮮の報道のあり方についても新たな視野をもたらすはずです。

自分の「民意」を表わす方法というのは、選挙に行って投票したり、裁判員として裁判に加わっていれば達成できるものではありません。では何をどうすればいいのでしょう。わたしにも結論はありません。考えつづけること、くらいしか思い浮かびません。それは子供もまじえた夕飯の席で、ニュースから流れるイスラエル報道、北朝鮮報道に対して、「あんな国があるからこの世はひどくなる」などと軽率に発言することを思いとどまらせ、友人同士のカフェの会話で「林真須美って極悪そうな人相だよね」などという意味も根拠もない中傷を口ごもらせるにはある程度役立つはず。さらに、「何でそう思うの?」「何でそんな根拠のないことを平気で言うの?」と相手に口に出して言うことができれば、その人の「民意」は自立できるかもしれない。ただし、友人の何人かを失うことになるかもしれないけれど。

どんな問題であれ、報道の受け手が自分の思い込みや偏見をまず点検し、信頼にたる根拠を探し、合理的な思考、判断をしようと努力すること。そういうことによってしか報道と事実関係の溝は埋まらないでしょう。報道の問題はある意味受け手の問題だと思います。わたしの観察からは、日本で「民意」として提出されているものには、「合理的な思考」がかなり欠けているように見えることが多いです。そこのところに、わたしは大いなる距離を感じている今日この頃です。

日曜日, 7月 12, 2009

読者からの手紙 ー DJのNaojiさんより② 

昨年10月の投稿から随分と時間がたってしまいましたが、その前回の「読者からの手紙ーDJのNaojiさんより」へ今年始めにいただいたNaojiさんから返事です。

Naojiさん:大桑千花さんへ

こんばんは。西暦において新年を迎えました。
大桑さんにとって良いお年になることを願っております。
ご迷惑でなければ今年も宜しくお願いいたします。
まず最初に大桑さんからのメールへの私からの返事が
およそ三か月もかかってしまったことをお詫び申し上げます。
ちなみに10月23日から少しずつですがお返事を書いていたのですが
やはり三か月経過するとその文章は時系列のずれが生じています。
以下 途中まで作っていたメールです。

「大桑千花さんへ

こんばんは。そちらは今夕方でしょうか?
お身体回復しつつあるとのことなによりですね。
そして私の質問を大桑さんたちのブログで利用してくださり有り難く思っています。グロスマンを読みながらの過去ログを読ませていただこうと思っているのですが夜に四時間ほどアルバイトを始めたこともあり他に時間を使ってしまいましてなかなか見させていただくことが出来ない状態です。

先日、私の地元の図書館でグロスマンさんの本を借りてきたのですが
それも読むことができぬまま返却期限が来てしまいました。
読める時間が作れないのに大桑さんに気軽にブログを読ませていただきますと書いてしまったことを申し訳なく思っています。どうしても自己収入に繋がるものを優先してしまいまして。。。すみません。私自身が私の遺志で大桑さんたちの”グロスマンを読みながら”を読むことを望んでいますので私は私が読める時間を作れる機会が訪れると思っています。」

と、ここまで少しずつ変更しながら書いていた次第です。
でもこれはもう効力を持っていませんです。
言い訳がましいのですがセカンドジョブを持ったことと
私自身が引越をしたのと大桑さんの”グロスマンを読みながら”にて
僕の疑問について取り上げていただいた記事にあった
大桑さんがピックアップされた三つの対話記事を読んで理解してから
私の思うことをまとめてメールにてお返事しようと考えていまして
数回その記事を読もうと試みていたのですが
世界史実に疎い僕にとってそれらを記憶するというか
自分の知識内に追加しようと試みることがちょっと難しかったようです。
ですから私は今日あきらめ半分で流し読みというか理解できなくてもいいや。。。などと思いながら読んでみました。

→大桑:Naojiさん、こんにちは。
こちらこそお返事に長い時間がかかってしまい、すみません。
この対話の場で進んでゆく時間の流れも非常にゆっくりなので
どうぞ気長におつきあいください。
図書館でグロスマンの本を借りられたこと、
読んでみようと行動に移されたこと、
それだけでもNaojiさんはもちろんのこと、
大黒さんそしてわたし、みんなが一歩前進したように思います。
少しでもこれまでとちがった新しい意識を持ち始める事が
この対話の目的の一つだと思っていますので、
時間がかかっても、ほんの小さな一歩でも、
仮にその時はそれで終ってしまっても、
時間と供に忘れてしまっても、
またいつかなにかの機会に「ああそういえば、」と、
この問題についてそれまでとはちがうなにかが見えてくれれば、と思います。


Naojiさん:大桑さんのレポートを見る限りイスラエルの地は
元々ユダヤの民が暮らしていたのかなぁと思ったりしたのですが
私が思うに現代においてはもう先住者がユダヤ人、
パレスチナ人であるかという事よりも
お互いが似通った一人間であると考えて争わないようにすることが
ベターだと感じます。
大桑さんのレポートでパレスチナーイスラエル問題が多くの国の関与で
現在の問題へと引き継がれていることを少しだけ理解しました。

→大桑:はい、そういった過程があっての現状だというご理解、
どうもありがとうございます。
今回Naojiさんがこれまでとちがった視点に気がつかれたということで、
これまでここで大黒さんと対話して来たことが
少しでも実りつつあるのかもと思えました。

日本(または日本語)で目にするイスラエルとパレスチナ問題に関する情報はまだまだ一方的で、
歴史的な事にしてもよくてここ100年ぐらい過去のこと、
それ以前、英国統治以前についてまではなかなか話しに登る機会も知る機会もない。
この問題を考える時に1920年の英国統治後からか、
それともそれ以前の何千年前に存在したイスラエル王国、
または神がイスラエルの民にこの土地を授けた視点からなのかによって、
まったく異る意見が出て来るわけです。
しかし誰の土地なのかということをメインとして
現在のイスラエルとパレスチナの問題を論議すると、
もうただただどこまでも平行線で、
建設的な解決への道へは繋がらず、
論点としてはもう外してしまったほうががいいとさえ思います。
だけど一つ言えるのは
英国統治以前を知らずに、
この土地が元々はパレスチナの土地なのだという情報のみを
基にして考えるのではなく、
ひょっとすればここはイスラエル、
ユダヤ人の土地でもあったのではないか、
そんな視点も交えて捉えていくと
現在、一般に語られているような善と悪の物語のような
単純なものではないことも気がつくでしょうし、
これまでとは異なった視界が開けていくと思えるのです。

そしてNaojiさんも仰るように、
今そしてこれからしていかなければならないのは、
そのどちらの土地なのかを宣言するための争いではなく、
互いの存在を認め、どこに境界線、つまり国境を引くのか、
そしてパレスチナを一国としてイスラエルから経済的、
精神的に独立させる、それしかないのではないでしょうか。
もう何度もこの場で言って来ているので、
またか、と思われるかもしれませんが、
パレスチナを一国として独立させる、それしかないと。
欧米社会はイスラエルのやり方がアパルトヘイトだとかナチ同様だとか、
そんな否建設的なことを言い合っている場合じゃない。
現実的にパレスチナ単独での独立が不可能なのであれば、
欧米諸国とアラブ諸国とが団結して独立させてあげればいい。
故アラファト氏が活動していた頃から
これまでもうとてつもない額と量の資金や物資が
投資されているわけですから。
(それがどこに消えてしまったのかという問題もありますが)
もちろんこのパレスチナの独立という案に賛成するアラブ諸国はないわけですけれど。

独立に関して、例えばですが、
イスラエルでは周知の事としてこんなことがあります。
パレスチナ自治区の人たちの多くは携帯電話を一つのみならず
二つぐらいは所持していますが、
それはどこから供給されているのか。もちろんイスラエルからです。
イスラエルが彼らにそういったものを無料提供し続ければ、
自治区の人たちは独立して自力でやっていこうなどと思わない。
自分たちの国を作り自立し、自分たちで何もかも始めるよりも
このまま施しにすがっている方がある意味楽なわけですから。
そういうと
「何言ってんだ!そんなことがあるか!みんな自立したいに決まってる!」
と思われるかもしれませんが実際にはそういうもの、
長年の環境からの影響もあり、
そういったメンタリティーが蔓延っていることは否めない。
だからこそ、本当にこのパレスチナとイスラエルの和平を願うのであれば、
世界各国はパレスチナを独立を実現させるように動くしかないのだと。

Naojiさん:大桑さんが言われるように
これは二国間で解決できる問題では無いと感じます。
なぜならこれまでの経緯においてイギリス、トルコ、シリア、
イラク、エジプト、など、いやそれだけでなく、
当時の世界情勢などが関与して現代につながっているようだからです。
僕には守りたくなるほどの人種意識があまりないかもしれません。
そのように考えると日本のアイヌ民族やアメリカのネイティブアメリカン
の所有地を奪われてからの生活方法にある意味のリスペクトを感じます。
ひとところにいないで移動して暮らす遊牧民にもリスペクトを感じますが
僕自身、自宅でひとところに落ち着いて作業をしたい人間ですので
パレスチナーイスラエルの人々の気持ちもなんとなくですが理解できます。
私を含めた多くの人々が自分の家を持ちたいでしょうね。
うーむ、やはり僕は意思が弱いようです。具体案が浮かびません。
ただ武器によって人を殺す行為は痛いと思います。
私のエゴにおいて殺害はやめてほしいです。
具体案もなくまとまりのないお返事となっていますがご了承ください。
それでは。福嶋直次ことNaojiより

→大桑:特に日本人には民族とナショナリティーについて
なかなか理解しにくいのが現実です。
日本に生まれれば日本人、だけどそれがナショナリティーなのか、
民族としてのことなのか、それすらもどこか曖昧ですよね。
またそこに宗教が関わって来るともうこんがらがってしまって、
どう処理していいのかわからない。
そういう基本的な認識がとても曖昧になっているため、
他国や他国民、他民族の問題を理解するのはとても難しいですね。
結局は人は自分が同じような立場だったり
似たような体験をしたりしない限りは、
なかなか他人のましてや他国の問題など
理解できないのかもしれません。

イスラエルとパレスチナの双方の国民が
安心して住める家を持つこと、
それにはやはり何度も言いますが
彼らが二つの別々の国家として存在すること、それしかないでしょうね。
ですが、イスラエルもパレスチナも、
彼らの中東的なメンタリティーとしては、
相手への妥協は負けと見なしますから、
何がなんでもまずは自己主張の一点張りです。
これは政治だけではなく隣近所の口喧嘩ですらそうなので、
政治という晴れ舞台ではさらにいかにどれだけ自己主張したか、
そんなくだらない子供の喧嘩のようなものにさえ思えます。

とは言うものの、
ここ近年のイスラエルはかなり妥協案を打ち出したり
ガザ撤退に見られるようにそれを実行したりして来ましたが、
それでも自治区政府は手を打つ事はせずにもっと妥協しろと、
結局なんの解決へも結びつきませんでした。
そういったことでも少しでも変れば、
いつかは平和に暮らせる日が来るのではないでしょうか。

ちなみに、ミュージシャンのNaojiさんにはひょっとしたら
興味のある話題かもしれないのですが、
欧州では毎年春にユーロヴィジョン・コンテストという歌の祭典、
東欧、中欧、北欧、ロシアからマルタ共和国まで
欧州の様々な国の歌によるお国自慢合戦が行われるのですが、
中東のアラブ諸国に拒否されアジアの一国として認められてない
イスラエルもそのコンテストに参加しています。
(ちなみにサッカーのワールドカップでもイスラエルは欧州リーグです)

今年のイスラエル代表は、
イスラエルではアヒノアム・ニニという名で知られ、
80年代後半から人気の実力派イェメン系ユダヤ女性シンガー、Noa(ノア。日本でもCDをリリースしています)と、
イスラエル国籍のアラブ人女性シンガーMira Awad(ミラ・アワッド)のデュオが登場し、
「There Must Be Another Way」というヘブライ語とアラブ語、
英語が混合した歌詞で会場を湧かせました。
このユーロ・ヴィジョンというお国自慢歌合戦、
欧州の各国が自国の名誉をかけたコンテストのステージで、
イスラエルというユダヤ国家がアラブ系国民を
国の代表者の一人として出場させ、
しかもユダヤ人とアラブ人がヘブライ語で歌うだけでなく、
もう一つの公用語でもありながらマイノリティーな感が拭えない
アラブ語でも歌うというのは今回が史上初めての試みです。
当然、イスラエル国内では知的人(この呼び方が好きではないですが)
と呼ばれる人たちの間ではアラブ人を出場させることについて
偽善的だと言う声も多く、賛否両論でしたが。
これが欧州では評判の悪いイスラエルによる戦略的なアピールなのか、
それともなにかもっと純粋なものなのかわたしにはわかりませんが、

「泣いているのは自分のためだけじゃない。
あなたのためにも泣いている。
痛みに名などあるはずもない。
そして無情な空に向かって泣きながら言う。
ほかに道はあるはずと」

そういうサビの部分があります。
つまりどちらかだけが悲しんでいるのではない、
イスラエルでも自治区でもこれまでたくさんの人々の命が
犠牲になってきたけれど、
その失望と痛みと悲しみは
自分たちだけでなく相手も同じなんだと、
そこに敵も見方もない。
これまでのやり方ではなく新しい方法があるはずだから、
もう互いを憎しみ合うのは終りにしよう。
そんなことを比喩しているのではないかと。

いずれにしても現実は甘くないわけで、
これは音楽パフォーマンスであり、
NoaとMiraの二人が歌うこの歌が、
イスラエルとパレスチナ問題のWake up callとなり、
実際にユダヤ人とパレスチナ人がこのステージ上の二人ように
手を取り合う可能性もなければ、
世界がこれまでの過去の過ちのくり返しをストップすることも、
世界が新しい方向に動き出すこともなかったわけですが。

「これまで長く辛い道を、
手に手を取り合って来たけれど
涙は空しくこぼれ落ちる。
痛みに名などあるはずもない。
ただ明日という日が来るのを、わたしたちは待っている」

以下、この歌の歌詞とYoutubeの動画です。



Einaiych (Your eyes)

There must be another
Must be another way

עינייך, אחות / Einaich, achot
כל מה שלבי מבקש אומרות / Kol ma shelibi mevakesh omrot
עברנו עד כה / Avarnu ad ko
דרך ארוכה, דרך כה קשה יד ביד / Derech aruka, derech ko kasha yad beyad
והדמעות זולגות, זורמות לשווא / Vehadma’ot zolgot, zormot lashav
כאב ללא שם / Ke’ev lelo shem
אנחנו מחכות / Anachnu mechakot
רק ליום שיבוא אחרי / Rak layom sheyavo acharey

There must be another way
There must be another way

عينيك بتقول / Aynaki bit’ul
راح ييجي يوم وكل الخوف يزول / Rakh yiji yom wu’kul ilkhof yizul
بعينيك إصرار / B’aynaki israr
أنه عنا خيار / Inhu ana khayar
نكمل هالمسار / N’kamel halmasar
مهما طال / Mahma tal
لانه ما في عنوان وحيد للأحزان / Li’anhu ma fi anwan wakhid l’alakhzan
بنادي للمدى / B’nadi lalmada
للسما العنيدة / l’sama al’anida

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way

דרך ארוכה נעבור / Derech aruka na’avor
דרך כה קשה / Derech ko kasha
יחד אל האור / Yachad el ha’or
عينيك بتقول / Aynaki bit’ul
كل الخوف يزول / Kul ilkhof yizul
And when I cry, I cry for both of us
My pain has no name
And when I cry, I cry
To the merciless sky and say
There must be another way
והדמעות זולגות, זורמות לשווא / Vehadma’ot zolgot, zormot lashav
כאב ללא שם / Ke’ev lelo shem
אנחנו מחכות / Anachnu mechakot
רק ליום שיבוא אחרי / Rak layom sheyavo acharey

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way


(English Translation)

There must be another
Must be another way

Your eyes, sister
Say all that my heart desires
So far, we’ve gone
A long way, a very difficult way, hand in hand
And the tears fall, pour in vain
A pain with no name
We wait
Only for the next day to come

There must be another way
There must be another way

Your eyes say
A day will come and all fear will disappear
In your eyes a determination
That there is a possibility
To carry on the way
As long as it may take
For there is no single address for sorrow
I call out to the plains
To the stubborn heavens

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way

We will go a long way
A very difficult way
Together to the light
Your eyes say
All fear will disappear
And when I cry, I cry for both of us
My pain has no name
And when I cry, I cry
To the merciless sky and say
There must be another way
And the tears fall, pour in vain
A pain with no name
We wait
Only for the day to come

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way

ありがとうございました。(大桑)

水曜日, 10月 22, 2008

読者からの手紙 ー DJのNaojiさんより

先月の9月に読者さんのNaojiさんというDJをされている方から届いた手紙です。TBSで放送されたイスラエルとパレスチナの関係を取り上げた番組を観られての疑問です。Naojiさんと同じように何らかの疑問をもたれた方が他にもいらっしゃるかもしれないし、そうではないかもしれない。

以下、Naojiさんの質問と大桑の返答です。


Naojiさん始めましてこんばんは。
福嶋直次といいます。

コメントなどはしたことが無いのですが
以前から大桑さんのBlogを読ませていただいております。
僕は自分自身を怪しいものでは無いと思いたいのですが
確固たる自信がありませんのでその判断は大桑さんにゆだねます。
身元不明も不安材料になるかもですので
始めに僕のこと紹介しておきます。
下記のリンクが私が管理しているプライベートスペースです。
http://djnaoji.ddo.jp/
http://us.myspace.com/djnaoji

ここから本題に入らせていただきます。
先日私は日本のTBSのNews23を見ていたのですが
その番組内でイスラエルとパレスチナの関係について
20分ほどの放送がされました。
私にとってその番組はパレスチナサイドからの視点に感じられたのですが
実際に過去イスラエルで過ごされていた方は
どのように感じられるのか知りたいと思いメールしてみました。


→大桑:Naojiさん、こんにちは。
こちらからその番組が観られるようにと
Naojiさんが設定してくださったのですが、
残念ながらこちらからは観られなかったため、
イスラエルとパレスチナの問題を扱った報道の裏側について少々。

わたしをはじめ在イスラエルの邦人は、
各々様々な理由でイスラエルに住んでいるわけですから、
イスラエルという国に対する思いも様々だと思いますが、
こういった報道に対する意見の多くは
「現状とはかなりちがうのでは」というものです。
例えば、以前にも他のブログなどでも書いたのですが、
よくニュースなどで映し出される
パレスチナの少年たちが
イスラエル軍に向かって投石する姿すらも、
報道カメラマンたちがずらりと待ち構えるところで
指示に従って少年たちが「ハイ、いっせーのーで!」
遠くに向かって石を投げ、
向こう側はIDF(イスラエル軍)の兵士がいるように
あとで編集する。
それが事実として報道される。
そこには報道側とアラブ諸国やパレスチナとの
なんらかの利害関係があるのかもれません。
もちろんこういう作られたものがすべてではないですし、
実際に目に当たりでもすれば失明しかねるほど思いきり
IDFの兵士目がけて投石している場合もあります。

また、ラマッラというパレスチナ自治区の街では、
テレビで見る悲惨な土地とは思えないほど裕福で、
豪邸が建ち並んでいる一郭に
瓦礫の山の場面用の場所が作られている。
そんなこともあります。
この土地に関する報道の何をどこまで信じていいのか、
まずそこに疑問が起きますね。

Naojiさん報道されていることは真実の一面であるとは思っているので
それらが完全な嘘だとは思えないのですが
国などの争いの場合お互いの主張で争いの理由が
複雑な場合が多いと思います。
しかしながら僕にはそのNews23の報道がイスラエルが
酷いことをしていると報道しているように感じるのです。
実際にイスラエルがワンサイドで殺害などをしているのでしょうか?
パレスチナの人々はいわれのない虐待を受けているのですか?
その報道では60年前にフォーカスが当てられているようなのですが
それらの問題は60年前以前については重要視されないのでしょうか。。。
僕個人はTV Newsがディレクターの一思想を
民衆に一方向的に押し付けるものではないと信じたいので
大桑さんに感想を聞かせていただけたらと思いました。
図図しいですね。僕、、、


→大桑:いえいえ、本当に図々しい人は
自分で図々しいとはいいませんから大丈夫です(笑)。

世界の視線を集めたいパレスチナ側は
イスラエルによる虐待などを
まったくの事実だと主張するでしょうし、
国家としてのイスラエルはそれは事実ではないと言うでしょう。
だけどもしかしたら、
イスラエルの左派はパレスチナ側と同じく
それは事実だと言うかもしれません。
どこまでなにが本当なのかは
外からでは非常にわかりにくいのも事実です。
どちら寄りのメディアが伝えるのかによって
まったく事実ではないことが
まるで事実かのように伝わることはよくあります。

わたしはIDF(イスラエル軍)の行動の
すべてが正しいとは言いません。
正直言ってなんてバカなことをしてと
呆れることも多々ありますし、
イスラエルに対して「もっとかしこくなれ」と言いたい時も
たくさんあります。
ですが、とどのつまり「軍」というもの、
アメリカにしても国連にしても、
かつての日本軍にしても、
かなり身勝手でバカなことをするものだと。
ですが、イスラエル側による自治区の民間人を殺害せよという
指令はないと思っています。
軍を退職した友人などからもそういったことは
聞いたことはありませんし、
現役で兵役に就いている20代の男の子に聞いても
そんなことはないと言います。
ですが、人生経験の少ない若い兵士たちの行動は未熟で、
間違いも多いでしょう。
(沖縄で起こる様々な事件をみてもお分かりだと思います)
戦闘中に民間人を巻き込んでしまうこと、
思い違いはあるでしょう。
敵の主要人物を暗殺する、
その時に民間人が巻き添えになったりする、
戦争や紛争とはそういうものだと思います。


虐待について。
番組を観ていないので
何をどう虐待と言っているのかわかりませんが、
例えばガザ地区などのゲート封鎖による物資断絶、
仕事の激減などによって起きる
自治区の生活苦などの問題ですが、
これをイスラエル側による虐待と非難するのか、
それとも自治区が独立して経済を立て直してゆけるように
サポートするのか、そのどちらが大切なのかと。
イスラエル非難ではなく、
どうしたらそんな自治区が独立してゆけるのか、
そういった視点で語られなければいけないのではと。
そしてこういった封鎖が起きるには、
その前にハマスなど自治区側による
イスラエルに対する攻撃やテロがあるということ、
そのリアクションであるということ、
しかしそれらはニュースにもならなかったり、
語られないことも多いということ。
そして、もう一つ踏み込んで言えば、
なぜ他のアラブ諸国は
それほど酷いという自治区の立て直しをサポートしないのか、
なぜ彼らは同じ宗教を持つ者として、
せめてムスリムのパレスチナ人の受け入れをしないのか
(パレスチナ人にはキリスト教徒もいます)。
そのことはなぜ誰も指摘しないのか。
(このブログでは過去にそれについて触れていますが)


60年前以前について。
イスラエル建国前後のこの60年以前を持ち出すと
一方的にイスラエルを非難するのに都合が悪くなるわけで、
それでたいていは無視されています。
もし誰かがこのイスラエルとパレスチナの問題について語るとき、
私個人としてはそこをきっちりと見直す必要があると
思っています。
この対話ブログでも
で、60年前よりもっと前の、
この土地の歴史について書いていますので、
ご興味があればぜひ読んでみてください。
いかにねじ曲げられたかということが少しは見えて来ると思います。

Naojiさんただ不思議なのがTV Newsなどで頻繁に言論について
責任を持つべきであると言っているTV局関係者が
自分たちが世界に向けて発信しているNews発言について
その議題の番組を再確認しながら討論する機会を
民に与えていないのが理解できないところがあります。
(有料ならば可能なのでしょうが、
多くの民衆は映像使用料金や制作費を作ることが出来ないでしょう。)


→大桑:そうですね、
本当に解決に向けてのための報道であれば
一方的な視点でなく、
様々な角度や過去の時代からの視点も含めるべきではないかと。

ですが、中東問題についての報道は複雑ですね。
イスラームの石油大国のスポンサーや
その他様々な利害関係がバックにあるなど、
外国の大手、BBCやCNNにしても
「真実を伝えるための報道」ではないと思っています。
TBSのくわしい立ち位置はわかりませんが、
日本の報道の90%もしくはそれ以上が親パレスチナの視点、
「かわいそうなパレスチナとイスラエルの悪事」
にスポットにあてての報道でしょうね。
そのほうが視聴率も上がるし、
番組のコンセプトとしてはおもしろいのかもしれません。
そういった報道の意味とゴールがわかりませんし、
わたしからすれば、パレスチナ自治区のあり方の問題定義をして、
そこからの改善をしていく時期だと思っています。
いくらイスラエルを非難しパレスチナの
お涙ちょうだい物語を語っても
堂々巡りなだけではないでしょうか。
パレスチナ自治区を立て直すことを目的として
自治区の一部の市民の悲惨な状況を世界に知らせるのであれば、
それはそれでよいと思いますが。

Naojiさん極端に言うと
放送が終わったらその映像について知りませんのようなのは
なんとなく私にとって不可解なのです。
そのような勝手な理由でメールいたしましてすみません。
怪しいものかどうか判断してご対処ください。
それでは宜しくお願いいたします。
長文失礼いたしました。
ふぅ疲れた。。。僕は何をしているのでしょう。。。
すみません。
Naojiより


→大桑:テレビ局の報道も以前のように
真実を伝えるための物ではなくなりつつありますし、
責任ある報道は少ないのではないでしょうか。
報道だけに限らず、視聴率をあげるために
おもしろおかしく構成される番組も少なくはないでしょうね。
いま自分たちはそういう時代に生きているわけですから、
その番組を観られて、それをそのまま鵜呑みにされず、
こうして疑問を持っていただけるのはよいと思います。
ただ、Naojiさんのように疑問を抱いても、
それを解いてゆく手だてがあまりにも限られているため、
どうしようもないことも多いのかもしれません。

どうもありがとうございました。

(大桑)

大黒さんへの返信 (O)

6月30日の大黒さんのポストを読んでいくと「たくさんの宿題を出された夏休み」そんな気分です。

さて、まずは個人的なわたしの気持ちの変化について少々。今年の冬の終りにエルサレムを出てから半年以上過ぎたわけですが、予想どおり、これまでの「生活の場としてのイスラエル」で見失っていたものが見え始めた、大げさにいえば汚れを取り除いてきれいになった石みたいなものでしょうか。今こうしてイスラエルとの距離を少し置くことによって、イスラエルのよい面がふたたび光りはじめて来ました。そしてイスラエル人でもアメリカ人でもないちがうタイプのユダヤの人たちや、そういったユダヤのコミュニティーを知ること、それによってさらにグローバルでダイナミックなユダヤ世界とその他の世界の関わりが見えて来るのでは、そんなことを思っています。

ザグレブに来てからここしばらく、わたしはクロアチアの一政党の党首でもある友人の話しから考えさせられることが多く、「過去の歴史を忘れ、互いを尊重しあい、そこから共存が生まれる」とその彼は言います。たしかにそうだと思います。わたしもこのブログで似たようなことをイスラエルとパレスチナの解決策として言って来たと思います。世界が、いかにイスラエルがくだらない悪事をし続けているかを声を大にして非難し続ける結果は解決には結びつかないでしょう。それよりもさらに憎しみが生まれると。しかし過去を謝罪し互いを認めあう、これは現実として可能なのか。人はなかなかそう簡単に自分や家族に対して行われたことは忘れませんし、墓場まで持って行ってもまだ足りない。子や孫、子孫にその憎しみを受け継がせる。身近なところでは日本と韓国と中国の関係、国内では部落問題、在日韓国人や中国人への差別など、過去に基づいたそれを双方が引きずっての今ではないでしょうか。

クロアチアのユダヤ人たちをみていても、彼らはまだゲットーに住んでいる、時々そんな気がします。ファシスト思想のウスタシェ(一般的に英語や日本語ではウスタシャですが、クロアチア現地の言葉ではウスタシェが組織の総称。ウスタシャは単数個人を指す)の色濃いクロアチアで、戦後60年以上たってもユダヤ人はホロコーストを忘れず、ホロコーストをテーマにした学会や展示会、家族を自民族を虐殺された記憶はいまだに薄れることなく語り継がれます。それまで存在していたユダヤ社会と文化、家族を失った側とすればそれは当然のことなのかもしれませんが。また、90年はじめにユーゴスラヴィアから独立したクロアチアの人たちの隣国セルビアの人たちへの排除の念もいまだに沈下することなく燻り続けています。きっかけさえあれば、また同じことがくり返すされるでしょうね。自己の利益やエゴ、憎しみ、痛み、それらを乗り越えてまで本気でその紛争を終えようとしている人たちはいるのか。以前、戦争のない世界は来ると思うかと尋ねられたことがありましたが、来ないでしょうというのがかなり楽観的な人間であるわたしの答えでした。くり返される人の歴史からも隣近所のいざこざからも、それははっきりしています。文明は進化しても人は進化しない。

さて、今回の投稿はすでにあれこれ詰め込み過ぎですが、前回大黒さんが書かれた「イスラエル/パレスチナ問題についてのリベラルな発言」と「アメリカと日本のイスラエル/パレスチナ問題の受け止め方のちがい」について。もしかしたらわたしが呆れ顔かと言われますが、そんなことはないですよ。誰にでも「ピン!」とくる話しとタイミングがあると思いますから。大黒さんが聞かれたオバマ氏のスピーチは聞いていませんが、ニュースの記事には目を通しました。イスラエルではアメリカの政治家のイスラエルに対しての発言がテレビで放送されることがあったり、イスラエルの英字新聞 Jerusalem Post ではそれらの発言がよく取り上げられていて、大黒さんが驚かれたという彼らの視点はそれほど珍しくもなく耳にします。それよりも、そういったアメリカの発言が新鮮であるということが、わたしにとっては新鮮で興味深かったです。

「日本のリベラルな発言」というもの一般について、実はわたしはそれがどういうものなのかよくわかりません。大江氏のサイードに対する理解も「ピン!」とこず、リベラルと言われる報道やジャーナリズムも偏りが目につくだけで「これだ!」と思うものに出会ったことがない。2000年あたりのイスラエルとパレスチナのきな臭い頃、同じ事件をいくつかの新聞で読み比べても、朝日新聞は意図的なフィルターがかかり過ぎていてとにかく在イスラエルの邦人の間では不評でしたし、客観的で中立とも言えそうなのは読売、それよりもさらに事件の詳細のみを伝えるのに徹底しているロイター、そんなところでした。イスラエルに住む者からすれば、日本は他人の火事を横で冷やかし楽しんでいるような、どこかの夫婦げんかにわざわざ首を突っ込み感情的にそのどちらかだけに加担しているような、そんな気がします。もし日本にもユダヤの人が多く住んでいたり政治家にいたりすると現状とはまたちがった報道や意見が出るのでしょうけど。少し前にひとりの読者から日本の報道に対し疑問を感じられるという手紙をいただきました。まさに大黒さんとのこの対話の意図するところの一つだと思うので、わたしの返答と供にまたのちほどこちらに掲載しますね。

そして、一方では賞賛され、もう一方では歴史をねつ造しているとんでもない嘘つきであるとすら言われることもあるサイード。彼が日本でそれほど賞賛されている間は、このイスラエルとパレスチナの問題を理解することは無理ではないかとも思えます。誰が誰を賞賛してもかまいませんが、そこからどう真の和平に繋がるのか、そこから生まれるものは何なのか。これから大黒さんとサイードの本を読んでいくうちに、もっとなにか具体的にそういうことが見えてくればおもしろいと思います(この対話をはじめてからサイードの本を実は一冊読みました。今手元にないのでどの本だったか題名は忘れましたが、自伝のような一冊でした)。

大黒さんはサイードとグロスマンはちがった立場だと言われますが、わたしからするとサイードもグロスマンも同じサイドの人間だといっても過言ではないと。というのは、グロスマンはイスラエルの左派、しかも極右という言葉に対しての極左、つまりパレスチナ側にかなり近い意見の持ち主であるといってもいいかもしれません。2年前にグロスマンの息子さんがレバノンで戦死した後、果たしてグロスマンはそこからどう変わるのか、そこに興味がありましたが、テル・アヴィヴで(だったと思いますが)行われた息子さんの追悼スピーチではむしろさらに反イスラエル、イスラエル否定の思いが強まったように映りました。今年はイスラエル建国60周年ということで、わたしもそれにちょっとだけ参加させていただきました。いま生活しているクロアチアの首都ザグレブでイスラエルの写真展「No Concept 60」を5月〜10月まで行いました。しかし主催側の左派のユダヤ人女性とのイスラエル建国と現在に対する意見の違いから、写真の選択は主催側に任せたのですが、左派の反イスラエルの主張は理解に苦しみます。グロスマンの時にも思ったように、その時も今後イスラエル国内の分裂はさらに拍車がかかるだろうなと思わずにはいられなかった。長くなるので詳細はまた他の機会にでもお話ししますが、建国60年が過ぎて、かなりの数のユダヤ人ではないロシア人の移住や年々進むユダヤ人の世俗化によって、イスラエル=ユダヤ国家というコンセプトは過去のものになる可能性すらある。今のイスラエル、これからのイスラエルがどうなるのか、ユダヤのアイディンティティとその混乱という意味もあって未来展望がNo Conceptなイスラエルとしたのですが、ユダヤ人国家としてまたは単にイスラエルというひとつの国の100周年は来るのか、どうでしょうか。40年後のその時、誰かがこのブログを読み返すことがあったらおもしろいでしょうね。

(大桑)

月曜日, 6月 30, 2008

大桑さんの旅、わたしの旅、答えではなく(D)

前回の大桑さんのポスト「終りは新しい始まり」を読んで、その率直な書きぶりに少なからず驚き、心うたれた。自身のユダヤへの道のりについての気づき、そしてイスラエルの現状と未来についての考え、最初に大桑さんに出会ったときから聞いてみたかったこと(でもそんなに簡単に聞くことも、答えることもできるものではない、とも思っていた)、それがこうして今、率直に誠実に語られている。そのことに驚きもしたし、何かひとつ突き抜けたような、あるいはふと気づいたらそこにあった山を越えてその向こう側の景色を眺めていた、というような気分になった。終りは新しい始まり。エルサレムを離れたことで、新たな視点が引き寄せられたのかもしれないと思った。人は自分が足を置いている地面、地形、風景、気候、地理条件、それらのものから思っている以上に影響を受け、木や草や野生動物同様、土地の一部として存在しているのかもしれない。

それと大桑さんの今回のポストを読む前になるが、わたしの方にも変化があった。ここでも何回か書いてきた自分の「無神論」あるいは「非宗教」的指向に対して、顧みる機会があった。それはその思考の内容そのものに対してというよりは、そう「宣言」する自分の態度、考えの示し方に小さな疑問をもったのだ。何らかの信仰を持つ人々に対して、もともと否定する気持ちはなかったけれど、理解があったかと問われれば、それもなかったように思う。ことさら「わたしは無神論者である」と「宣言」しなければならない理由はどこにあったのか。そう言わずにおれない気持ちというものがはっきりあるとするなら、神の存在や宗教をめぐるもろもろのことをおおまかに括って、おおざっぱに否定し嫌っていた、という可能性もある。

このことに思い至ったのは、ある本を読んでいるとき、シカゴの黒人教会に触れた部分があり、教会というものがその地域の中で担っている役割に目を開かされたからだ。社会の最下層で暮らし、貧困や慢性的な差別の中でかろうじて日々を送っているアフリカ系アメリカ人の人々の面倒をなんであれまるごと引き受けている、それが地域の黒人教会ということであった。そこでは個人的救済と集団的救済をわけて考えられるような贅沢はなく、精神生活だけでなく食料や着るものなど日々の生活や生命維持に欠けているものを埋め合わせていた。こんなことは初めて聞くことではないし、そのこと自体に驚いたわけではない。日本という環境の中で、「自分の自由意志」で信仰を否定したり、信仰にのめり込んだりすることとは決定的に違うものが存在するのではないかと思ったのだ。

宗教一般に対する自分の敬遠や拒否的な気持ちは、もしかしたら子ども時代、家に病人が出たときどこから聞きつけたか宗教関係の勧誘者が次々やって来て、入信を勧め、迷惑を顧みず居座り、日参する、その執拗さや人の弱みにつけこむ精神の貧しさに呆れ、怒りを感じたことが元になっているのかもしれない。自分の宗教観について今回考える過程でふと思い出したことで、一要素にすぎないかもしれないが。

大桑さんと東京でお会いしたとき、大桑さんのパーソナリティとその基本的な考え方に触れ、そのこととユダヤの思想を結びつけて考えることはなかったが、前回のポストを読んで納得がいった。そして、たとえば物質(文化)との希薄な関係性(物欲のなさ)、人と争うことへの絶望感、拒否的な気持ち、が違った価値観の世界への旅の始まりになっていたのだと知った。濃度は別にして、どこの国の人であれ多くの現代人が空気のようにまとっている物質主義、競争社会、そういった逃れられない環境に対して異議を唱えることから始まった旅なのだということがわかった。そしてわたしも、葉っぱの坑夫を始めた理由の根本を思い返せば、市場至上主義や日本社会の一様性、排他性への拒否感が強くあり、違う道を探したい、オルタナティブな可能性を見つけたいということから始まったものだった。文学やアートそのものから出発したのではない。いやそうではなくて、文学やアートの中に光が、道が、可能性があると感じたのだ思う。

信仰のあるなしや宗教観の違いは、根本の違いとはならないのかもしれない。どっちを向いて歩いているのか、何を探し求めているのか、そのことが問題なのだ。そう考えると、今更だけれど、何年か前に大桑さんが葉っぱの坑夫を見つけてくれたこと、メールを送ってくれたこと、作品を送ってくれたこと、そのことと今はしっかり繋がっていると感じる。


* * *

ところで、大桑さん、6月初旬にアメリカのユダヤ人ロビイストの前で、アメリカ大統領候補バラク・オバマ氏がやったスピーチを聞かれましたか? あるいはそちらのユダヤ人社会の中で、この演説が話題になったりはしていませんか? わたしはたまたまテレビで見る機会があったのですが、アメリカからみたイスラエルという国、イスラエル/パレスティナ問題、周辺アラブ諸国についての考えがわかって興味深かったです。もちろん政府見解ではなく、オバマ氏という大統領候補、民主党上院議員の語ったことですが。オバマ氏独自の話法というものもあり、またユダヤ人ロビイスト(AIPAC=アメリカ・イスラエル公共問題委員会)の前でのスピーチということもあって、そこに照準を合わせて話していることは間違いないですが、それを差し引いても、全体として非常に面白かったです。イスラエル建国の正当性や現在のイスラエル国民の置かれている状況と安全確保の重要性、そしてこの問題の解決法と将来の青写真について耳にすることが、こんなにも衝撃的であるとは自分でも驚きでした。いかに日本では違った側面からこの問題が語られているか、ということなのでしょう。

イスラエル建国60年ということで、日本でも新聞などに関連記事が掲載されることも少なくないですが、朝日新聞では少し前に「歩く/パレスチナ60年/シャティーラの記憶」というシャティーラ難民キャンプを訪ねてインタビューしたコラムが15回に渡って載りました。一般に、そしてリベラルと日本で見られているメディアや知識人、それを信望する読者にとっては、この視点こそがパレスチナ/イスラエル問題を見るとき語るときの、唯一といっていい「ジャーナリスティックな」ものと思われている節があります。そういう日本に住むわたしだから、オバマ氏のスピーチが不思議な響きをもって聞こえてきたのでしょう。これだけこの対話ブログで話し、学んできたはずのわたしがこんなことを今更言うなんて、大桑さんはさぞかし呆れ顔をされているでしょうね。でも日本に住んでいるということがどういうことなのか、それを知っていただきたくて正直に書きました。

朝日新聞に限らず、日本でリベラルとされている主流の論調を紹介すると、日本でそこそこまっとうと思える発言をしたり、本を書き、記事をメディアに載せているリベラルな人々、わたも一読者であったりする作家や学者、批評家たち、その人たちの多くが絶対的信望を寄せているのが、パレスチナ系アメリカ人批評家エドワード・サイードです。四方田犬彦や姜尚中、大桑さんも読者という大江健三郎もサイードの賞賛者であり、友人でもありました。「グロスマン」を始めるとき、大桑さんにサイードについて聞いたら、まだ読んだことがないと言われていましたね。わたしは何冊か本は持っており、イスラエル問題に関する部分も読んではいますが、いまだ汲み取れるものを得ていません。もともとこの対話ブログでイスラエルのユダヤ人作家、平和活動家のグロスマンを選んだのも、サイードとは違った立ち場でこの問題について語れる知性、ということがありました。この対話のきっかけのひとつでもあるデイヴィッド・グロスマンの「死を生きながら/イスラエル1993ー2003」は出版後4年たっていますが、日本ではそれほど話題にもなっていませんし、グロスマンの名前もメディアで見ることがほとんどありません(2年前、グロスマンの息子がレバノンで戦死したとき小さな新聞記事になりましたが)。そこで思ったのですが、グロスマンをいっしょに読んでから4年、サイードを読んでみるというのはどうでしょう。適当な著書があるか少し探してみて、もし見つかれば日本語版をクロアチアにお送りしますが。

この対話ブログを読んでいるかたは、この書き手二人は、二人の真意はいったいどこにあるのか、いったい何派なのか、と疑問に思われているかもしれません。何か発言する人は、ある目的があって、ある立ち場があって、それにそって論理を展開し、その正当性を訴えるものだからです。でもわたしたちは(大桑さんもそうではないかと思うので)、さまよい、さすらい、横道へもときにそれ、ときに勘違いも起こし、でもそうやって問いを発しながら考えるということをやっているのだと思うのです。問いをもち、考えつづけることが、答えを得て安心することより大切ではないかと思っているのです。間違った発言をすることにも、それほど大きな恐れは抱いていません。ただし間違ったと気づいたら、その考えの経緯を書き、なぜそう思うに至ったかを書くと思います。それは自分一人に起こる間違いではなく、他でも、他の人の中でも起こりうる考え、理解の仕方だと思うからです。

野次馬的な興味をひとつ。バラク・オバマ氏は日本でも著書が翻訳され、リベラルな知識人、論客、そして朝日新聞の記者などからも、かなり好意的な支持を得ているように見えます。しかし上にも書いたように、オバマ氏はアメリカ大統領候補であり、アメリカ人という立ち場から常にものを語ります。イスラエル問題への発言のように、それは日本のリベラルな知識人のこれまでの考え方の基本とはかなり違ったものが含まれています。その亀裂を論客たちはどうやって埋めながら話しを展開していくのか、もしオバマ氏が大統領になったときには、注意深く観察していきたいと思っています。

水曜日, 3月 26, 2008

終りは新しい始まり (O)

*3月26日に一度投稿したのですが、どうにも未完成だったため、勝手ながら下記のものに差し換えさせていただきました。(3月28日)


前回の大黒さんが仰っているように、大黒さんとわたしは同じ日本人とはいえ明らかに異なる世界の住人かもしれない。しかし、だからこそこの対話プロジェクトに意味があるのではないかと思っている。

私個人としては「異なる世界の住人の話を聞くこと=様々な気づき」であり、そういう機会を持てること自体すらとても興味深いのだが、しかしみながみなそういうわけでもないらしい。たいていは対話相手を客観的に見れなかったり、どちらかが(または互いに)自分の価値観を押し付けようとしたり、または、「こんなおかしな人とは二度と話すもんか、こんちくしょう!」と憤慨したりする。その個人レベルの延長線が、この世界全体で起きている民族や宗教の争いなのだろう。そういう意味でも、これも大黒さんが仰っているように、ほとんど違和感を感じることなく、しかももっと時間があればとさえ思えたあの青山のカフェで、無神論者であると言われる大黒さんと過ごした時間は、その後、信仰の街エルサレムに戻ってからも非常に有意義なものとして継続していた。

エルサレムに住むようになってから、会う人ごとに「なぜイスラエル、なぜユダヤの世界なのか」と問われ、その度に「なぜでしょうね?」と冗談ではなく自問自答してきたのだが、あの日の大黒さんとの対話の向こうに、ゆっくりとその霧が晴れはじめた。子供のころから寺という、物質や競争社会とはほとんど関りのない世界で生きてきたのだが、20代で惹かれ、その後の人間形成に大きく影響したのは他から見れば特異にすら映るユダヤの思想と価値観を礎にした社会であり、人々だった。現代社会では失われつつある多くのもの、例えば十戒に見られる基本的モラル、が厳粛に守られ、これからも守られようとしている世界とその住人たちとでもいえばいいのだろうか。このことについて話すと長い長い話になってしまうのだが、早い話、かくあるべき人間社会を探す旅の途中で見つけたのが、そんなユダヤの世界だったのだろう。と、そういうことが青山以来、ようやく言葉として表現できるに至った。

しかし、2008年2月に、その約9年間のエルサレムのお山のほぼ隠遁生活に、とりあえず一つの終止符を打つことになった。その主な理由は、世俗化、欧米化、競争社会化が急速に進むイスラエルに、かつて見い出した輝きと方向性を失ってしまったことにある。ここ数年そのことに悩みながらようやくこの結論に至ったのだが、イスラエル、そしてエルサレムと少し距離を置くことで再び見えて来るものに出会いたい、とここらで惰性の生活に区切りを打ち、思い切って拠点を変えてみることにした。そんな過程で旧ユーゴスラヴィアのクロアチアの首都ザグレブに移ったのだが、しばらくここでホロコーストとその生存者であるユダヤ人のお年寄りの話を記録していきたいと思っている。

このクロアチアという国もまたイスラエルに負けず劣らず民族紛争が激しく複雑なのだが、クロアチア人の知人たちに、隣国のセルビアやセルビア人の長所を少しでも言おうものなら、瞬時に苦虫をつぶしたような表情をされる。ユダヤ系イスラエル人にパレスチナ人を褒める(またはその反対)のがタブーに近いのと同じように、それも口にしてはならないタブーということなのだろう。また、在クロアチア・ユダヤ人に対するクロアチア人の反応は様々で、しかし本音はいまだにヨーロッパに根付く反ユダヤの文化、そして第二次大戦で勢力をふるっていたウスタシェというクロアチアのナチズムからも「このユダヤ人め!」と思っている人も少なくないのではないかと感じることがある。しかしこれらの土地に限らず、「他者または隣人の排除、差別」というのは、世界中で起きているわけで、身近な日本でも在日韓国人や中国人に対する偏見、また関西圏ではそれに加えて部落問題などもある。

さて、その民族と紛争の中心のひとつでもあるイスラエル / パレスチナの近況はというと、相変わらず一歩進んで一歩下がり、そしてまた半歩進む、といった状況ではあるものの、一応、パレスチナ自治政府が「イスラエル抹消派」のハマスを抑えて独り立ちする方向へと向かっているように見える。以前から言っているのだが、現状で「卵が先か鶏が先か」を争っても解決にはならず、アラブ諸国が声を荒げている「イスラエルを抹消しパレスチナのみ存在」という選択肢も非現実的でしかない。互いから完全に手を引くこと、そしてパレスチナが完全に独立した一国となることでこの延々と続く無意味な争いを終わらせ、そこから双方に新しい始まりが訪れるだろう。そう思っている矢先にまた、3月にエルサレムのユダヤの宗教学校でアラブ人による乱射事件が起きているし、イスラエルもガザへの攻撃を行っている。

本を読むことについて。本は知識であり、知識は酸素と同じほど人の成長に欠かせないエレメント。昨年の春の帰国時には、雑誌ともなんともいえないいわゆる情報誌が大半を占める店舗が圧倒的になっていた本屋の様変わり、そして京都の四条河原町にあった丸善など大手の書店の閉店など、かなりその状況に驚いたのだが、これからもその中から良い本を選択し、それを糧にしていきたいと思っている。昨年読んだ本の中に「四季(李 恢成著)」という、在日朝鮮人としての「私」を描いた一冊があるのだが、残念ながらなぜか途中で挫折してしまった。大黒さんが前回の投稿でも触れられている内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」は以前から気になっていたので、今度Amazonで購入してみようと思う。ぶらりと本屋に寄って本(特に日本語で書かれた)を買うのは、外国に住むわたしには夢のような話になりつつある。
(大桑)

月曜日, 10月 08, 2007

書く糸口、考える立ち位置を探しながら

ここに自分の考えたことを投稿をしていなかった間も、ユダヤについて、イスラエル/パレスチナについて、異なるものの間の対話について、世界各地で起きている紛争について、考えていなかったわけではない。ただ、書くのが最初の頃より難しいと感じることが多くなってきた。自分の得たわずかな知識や情報をもとになにほどのことが語れるのか。そういう疑問もつねに沸く。ただ書くことは、考えることであり、この企画にはその考えを聞いてくれる対話者がいる。また開架式で公開しているので不特定多数の読み手もいる。なにほどのことがたとえ書けなくても、まったく無駄というわけではない、そうも思う。

そもそもこの企画を始めたのは、ユダヤというもの、イスラエル/パレスチナが抱える問題、そのことにどのように自分がアクセスしていったらいいのかという関心からだった。きっかけとなったのは、このプロジェクトの対話者である大桑千花さん(ユダヤという生き方、その思想やあり方に関心と共感をもち、ベルリンやニューヨークをへて現在はエルサレムに住む)と知り合ったこと。その世界をよく知る一人の人間を介して、なんとか未知の世界へ近づきたいと思った。普段の気楽なメールのやりとりの中では必ずしも話題にならない、しかし大桑さんにとって核心の問題を、真面目に正面から話し、何か汲み取りたいという思いだった。

今年の5月には、帰国した大桑さんにお会いする機会ももった。青山のカフェで、いくつかの、大桑さんが身をもって体験した心の漂流と旅の軌跡のエピソードを聞いた。それは初めての話ばかりだったけれど、この何年間のあいだにインターネットを通じてやりとりした書面と地続きのものであることを実感した。そして別々の地に住む今後も、大桑さんの話をもっと聞いていきたいという思いを強くもつ機会ともなった。

大桑さんとわたしはしかし、かなり異なる人間であることも確か。大桑さんがユダヤの世界に惹かれて旅立ったのに対し、わたしは日本の中に暮らし何とか外部の目をもって日本を見たいと願ってきた者だ。またそれなりに徹底した無神論者でもあり、具体的に無宗教であるだけでなく、日本において風俗や慣習、習慣の中で混然一体となっている祭事や文化行事にもめったに参加しない。宗教にかわるものとして、精神の支柱として、生きていくときの夢として、アートというものと長年かかわってきたように思う。このように大桑さんとは大きく立ち場を異にしているが、書面でも対面でも、少なくともわたしの側からは大きな違和感を感じることは少なく、まだ知り得ていない大きな謎を感じながらも人間として魅力を感じ、信頼を寄せている。大桑さんとの真摯な対話の可能性を信じている。

書かなかった間も本を読むことはしてきた。この対話とは直接関係のないテーマのものであっても、直接間接にユダヤについて、イスラエルについてのトピックが登場することも多く、世界で起きている問題はひとつとして互いに無関係なことはなく、大きくは地続きではないのか、という思いにもなった。最近読んだ本の中で強く印象に残ったものに、次のような言葉がある。
「人は祖先を誇りに思う権利はない」 

アメリカの黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンと文化人類学者マーガレット・ミードの対話集「怒りと良心/人種問題を語る」(1973年出版)でのミードの発言。わたしはこのフレーズに、訳者である作家の大庭みな子の個人全集のエッセイの中で出会った。以来この言葉の意味するところを考え続けている。「祖先」とは何か。「誇りに思う」とはどういう状態か。中でも一番気になったのは「権利」というところだ。「義務」ではなく「権利」と言っているところにこのフレーズの尋常ならざるところが見えているように感じる。その後まったく別のテーマの10冊を超える本を読んでいるが、このフレーズになんらかの光をあてているように感じた文章が少なからずあった。たとえばどんな本かというと、「ホノルル、ブラジル/熱帯作文集」(管啓次郎著)、「驢馬とスープ」(四方田犬彦著)、「北朝鮮へのエクソダス」(テッサ・モーリス-スズキ著)、「トオイと正人」(瀬戸正人著)、「瞬間の山」(港千尋著)、「ごく普通の在日韓国人」(姜信子著)、「愛国心を考える」(テッサ・モーリス-スズキ著)、「ディア・ピョンヤン」(梁英姫著)、「チャイナタウン発楽園行き」(林巧著)、「Borderlands / La Frontera」(Gloria Anzaldua)、このような本である。これらの本に何か共通するものがあるとするなら、個人とその人間が属している(いた)集団や社会との関係性について何か述べられている、ということが言えるかもしれない。最後にあげた「Borderlands」とは境界地域のことだが、チカーナ(メキシコ系アメリカ人)の作家アンサルドゥーアは地理としてのボーダーのみを指しているのではなく、言語、性、宗教などによる集団間のボーダーランズについても書いている。そしてその書く言語も、英語とスペイン語のミックスだ。詩や散文の中でアンサルドゥーアはこの二つの言語をスイッチしながら書いていく。このcode-switchingという手法を(そう呼ぶのだとこの本で初めて知った)、その後、在日朝鮮人に関する文章の中に見つけ、やはり一つの問題は、特にある集団とその境界域に触れる問題は、他の似た状況の問題と地続きだと思った。去年葉っぱの坑夫が出版した「ぼくのほっぺのちいさなあざ/ The little mark on my cheek」も、code-switchingによる本ということになる。

ところで、後に上記の引用フレーズに導かれて、「怒りと良心」の本を手にしたが、その中でユダヤとイスラエルに関することが熱心に語られていて印象的だった。中でも、イスラエル建国について、イギリスが自国の利益のために進めたことがシオニズムと合致して建国となったというくだりに興味をもった。また詳しくは書かれていなかったが、ミードは建国に賛同の意を、ボールドウィンは反対の考えを述べていた。ミードがどのような理由と論理で賛同していたのかは興味ある。著書を探せば、詳しく触れられているものが出てくるのではないか。

また季刊雑誌「考える人」の最新号に、小林秀雄賞を受賞した内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」の紹介とインタビュー記事、未来&歴史学者ローレンス・トーブとの対話が掲載されている。大変興味深い内容だった。本はまだ手に入れていないが、近いうちに読んでみたいと思っている。

読むことから、また考えることを続けていきたいと思っている。