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時があいてしまったが、コロムナに出かけたとき、もう一つの修道院を訪れた。場所は、コロムナ・クレムリンからモスクワ川に架かる可動橋を渡った対岸にある。橋を渡るとコロムナ市の外になるようだ。スターリ・ボボレニョフという集落にあるボボレニョフ修道院である。1381年、初めて歴史上に登場する。もっとも、当初は、修道院ではなく、コロムナ・クレムリンのモスクワ川側を守る砦として建てられた。クリコヴォの戦いで、ドミトリー・ドンスコイはこの砦を重要な陣地の一つとして戦ったとの記録がある。ドンスコイのボブロークという通称はここの地名から来ている。
(ボボレニョフ修道院、左側の少し低い塀が19世紀に整備されたもの、右側は18世紀に整備されたものだ。コロムナの繁栄と衰退が見えた気がする。) (スターリ・ボボレニョフからコロムナを望む。コロムナ・クレムリンの大きさが実感できる。) 修道院としての記録は、1577年に始まる。当初は全て木造建築であったようで、現存するものは何もない。現在残っているのはいずれも18世紀末から19世紀に建設され、最近になって修復されたものばかりである。なお、この修道院も例外に漏れず、ソ連時代には修道院以外の用途、幼稚園として利用されていたそうだ。 (小さな修道院に2つの聖堂がある。手前の聖堂はフョードロフスカヤ教会(1861年)、奥が聖ナティヴィティ聖堂(1790年)) (修道院長館。元々は、1861年に平屋で建てられた。その後の増築で2階建てになった。現在は、警備員が住み込んでいるようだ。) 旧ソ連崩壊後、この修道院もロシア正教会に返還され、修復が進んでいる。私たちが訪れたときは、寒かったせいか、ここでお祈りするものは誰もおらず、聖堂はどこも鍵が閉められていた。 (修道院の遠景。こぢんまりとしているが美しいと思う。) (可動橋を渡るとコロムナに辿り着く) これまで、私の訪れた修道院の多くは、水辺に立地している。この修道院もモスクワ川の河畔にあり、敷地の傍らには池もある。多くの修道院はこの修道院と同様に砦から発展したのだろう。 #
by gujeri
| 2008-02-25 05:06
| 散歩
モスクワでの冬の楽しみと言えば、スケートやクロスカントリースキーなどのウインタースポーツだ。最近はモスクワ近郊にスキー場も整備され、また一つ楽しみが増えたといったところか。
ところが、今シーズンはコンディションが良くない。なかなか寒くならないし、寒くなっても長続きしない。そんな中で2月中人になり、マイナス10度程度まで寒くなった。クロスカントリースキーができるかと「銀の森」に出かけた。 「銀の森」に到着するとクロスカントリースキーの道具を手にしたモスコビッチがトロリーバスからちらほらと降車するのが目に入った。「OK!」地元の人間も大丈夫と判断しているようだ。しかし、昨年や一昨年(ベストシーズン)に比べると人の数が少ない。 滑り始めるとモスクワ川も全面結氷していて、十分滑ることができる状況であった。しかし、例年に比べて雪の量が圧倒的に少ない。例年ならば、雪が降った後もしばらく寒い期間が続き、雪が重なっていくが、今年は雪が降っちゃ直後に必ずと言っていいほど暖かくなり雪がことごとく解けていた。 (モスクワの冬は、演劇、音楽、バレイなどの見せ物が本格的なシーズンとなる。しかし、ずっと屋内ばかりにいてもつまらない。たまには森に出かけてスキーで散策をすると気分はとても爽快になる。) 滑るにはかなり悪いコンディションだった。雪の上を滑るのではなく氷の上を滑るような感じだった。滑っていると、いつもなら足の裏からザクザクとかギュギュといった感じが伝わるのに今日はゴリゴリといった感覚が伝わってくる。 (しかし、コンディションが良くなかった。氷の上にうっすら乃雪が乗っているという感じの場所がずっと続く。雪の上を滑っているというとくとくの感触が体験できなかったことは残念だった。) 昨日、モスクワでは今年最初の雷が鳴った。今年のクロスカントリースキーのシーズンはこれをもって終了なのだろうか。少し寂しい気がした。 #
by gujeri
| 2008-02-24 19:03
| 体力作り
しばらく前に紹介したロシアの和風(?)茶系飲料「江戸」のパッケージがリニューアルされていた。
(新しくなった和風茶系飲料「江戸」。旧パッケージはこちら) 「江戸」の新しいパッケージには、意味不明な日本語が削除された。一方で和風の名前にふさわしくない像が描かれたデザインに変わった。これがロシア人のイメージする日本なのだろうか?それとも「江戸」という商品のコンセプトが変わったのだろうか? 新パッケージの「江戸」のテレビコマーシャルはまだ見たことがない。昔は明らかに日本をイメージしていたものが放送されていた。 #
by gujeri
| 2008-02-23 18:19
| グルメ
ロシア人もロック音楽をよく聴いている。次期ロシア大統領の有力候補であるメドヴェージェフ氏もロック音楽を聴くそうだ。
ソ連時代末期に彗星のごとく現れた「キノ」はツォイの死によって消えた。しかし、現在でも熱狂的なファンはアルバート通り脇、メーリニコフ邸そばの通称「ツォイ通り」に集まり、彼を偲んで歌う。 しかし、ロシアのロック音楽の火は消えなかった。 現在、ロック音楽はロシア人にも広く受け入れられていると思う。ロック音楽でもソフトな物からハードな物まで幅広く。 だからって、ヘビメタファッションショップの名前が「文化」というのはどんなものだろうか? (ミーラ交差点近くにあるヘビーメタル系ファッション用品店「文化(kulitura)」 #
by gujeri
| 2008-02-22 03:59
| モスコビッチ
ロシア人の日本に対するイメージは、日本人のロシアに対するイメージと比べて遙かに良いと思う。ロシア人は日本に対して、ハイテクであったり、自動車であったり、寿司などなど、ポジティブなイメージを多く持っている。
そんな、ロシア人の日本に対するイメージを表したものをモスクワからペトロザボーツク行きの夜行列車の中で見つけた。モスクワ、ペトロザボーツク間の夜行列車の運行はカレリア共和国の鉄道局が行っている。ここで準備している洗面セットの図柄は新幹線である。 (ペトロザボーツク行き夜行列車に乗るともらえる洗面セット。パッケージの図柄は昔の新幹線だ。スピードを表眼する手っ取り早い図柄なのだろう。) ロシア人にとって超高速鉄道として真っ先にイメージされる(された)のは、日本の新幹線だ。フランスのTGVやドイツのICEではない(なかった)。洗面セットのほかにも、モスクワ市のキエフ駅にあるキヨスクの壁には大きな新幹線の写真が印刷されている。そのほか、ウクライナ国鉄が運行しているモスクワ、オデッサ間の急行列車の行き先表示板にも新幹線のイラストが描かれている。速さをイメージする手っ取り早い表現方法なのだろう。しかし、これらの新幹線は全て、日本ではほとんど引退してしまった旧型新幹線のみだ。ロシア人の心の中から超特急=新幹線という構図は失われつつあるのかもしれない。 #
by gujeri
| 2008-02-10 06:24
| ロシアグッズ
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