はまぞう › ~凧合戦と屋台~ NAVA@八まん連

  

2017年07月29日

④町内のまつり、町民主催の町内の伝統行事であるということ




私の考える浜松まつりの四つの構成要素、最後は、町内のまつり、町民主催の町内の伝統行事であるということ、について書きます。


年が明けると町内は5月に向けて動き始めます。看板が取り付けられ、凧の修理などの準備も始まります。
ラッパやお囃子の練習が始まるようになると、お父さんお母さんたちも毎日のように公会堂に集まってきます。

屋台に提灯が掲げられ、お囃子総ざらえの頃には、みんながひとつのチームのように打ち解け合います。
私はこのような町内の雰囲気が好きです。


たびたびの引用になりますが、映画「合戦」の青池監督の言葉を再度紹介します。

-映画 凧合戦を語る会ブログから引用-

【映画『合戦』は何をえがいたか】
 これは、見ていただければ瞭然のことですが、若干の蛇足を書きますと、わたしがこの映画で提示したかったことの一つは「コミュニティの力」です。
凧揚げの醍醐味は、合戦場でのあの勇壮さにあることはいうまでもありませんが、わたしが、それとおなじように興味をもって映像にしたのは、コミュニティ(町内)の人たちが5月の3日間へ向かって準備を進めていくプロセスでした。凧を揚げるという目的のために、老若男女が知識や知恵や技術を出し合い、恊働する。

——そこには、上下の人間関係ではなく、みんなが横一線で自分の持てる力を発揮する姿がありました。そんな「コミュニティの力」を、わたしたちの日常生活にも活かせたらといいな、といまでも考えています。

-引用終わり


そして我々はずっとこれを続けてきました。なかには初が一軒も無い年があったかもしれません。それでもやるのです。
それが町の伝統だから。


あっては欲しくないですが、豪雨や震災に突然見舞われるリスクがあります。どこまでの事が出来るか分かりませんが、町内がまるで一つのチームのようにお互いの顔と名前を知っているというのは、尊い事ではないでしょうか。


偽の歴史にいつまでも頼っていたり、綺麗な言葉で飾らなくても、これが「浜松まつりの意義」と胸を張って言っていいと思います。


以上、4回に渡って「浜松まつりにはいくつかの性格がある」というお話をさせていただきました。今回訳があって個人の主観を積極的に出しましたが、今後はもう少し抑えるつもりでいます(くどいので)


  


Posted by NAVA@八まん連 at 19:35Comments(0)

2017年07月28日

③町と町の競い合いのまつりであるということ





今回は私の考える四つの構成要素の中から、町と町の競い合いのまつりであるということ、について書きます。

これについては浜松凧揚祭研究会のHPで分かり易く書いてありますので、そちらを参考にしていただきたいです。

<2014年8月14日 「図案の法則」
<2013年11月9日  「いかにあるべきか」


 ・図案の競い合い(凧印、法被、書体)
 ・屋台やお囃子の競い合い
 ・凧技術の競い合い
 ・そしてそして合戦(糸切り合戦)での競い合い

これがあるから盛り上がるんですよね。
明治以降の歴史の中で、町と町が競い合ってきたことによって大きく発展し、今に続いているのだと考えます。
仮に競い合いが無く、単に初凧を揚げてお祝いするだけの祭りだったら、ここまで発展したでしょうか。

昔話になりますが、子供の頃は4月になると隣町の仲良しと急に口を利かなくなったり、隣町を通過する時は何故かチャリで猛ダッシュしたり、「町と町の闘いの状態」みたいなものを子ども心にも感じていました。
「気安く他町と手拭い交換なんてするなよ」と先輩から教えられもしました。

変と言えば変なのですが、こういう性格があったから発展してきたのも事実だと思うのです。だから「浜松まつりは初子を祝うまつり」とひと言で定義づけられると、強烈に違和感を感じるのです。

そうそう、競い合いで忘れちゃいけないもう一個あった。




「町と町で凧を切り合い、男の心意気を競うのです」

最高ですね!



  


Posted by NAVA@八まん連 at 20:32Comments(0)

2017年07月27日

その②初節句のお祝いのまつりであるということ



今回は私の考える四つの構成要素の中から、初節句のお祝いのまつりであるということ、について書きます。

今では長男であるかないかはあまり関係なくお祭りが行われていますが、少し前までは「長男の誕生を祝う」というのが基本でした。その昔の家長制度の名残りからか、跡継ぎたる長男が誕生したということは、それはそれはお目出たい事だったのでしょう。

そして行わるのは端午の節句の時期。昔は節供と言って、節目となる日に神様にお供えをし、家の後継ぎとして生れた男の子が無事に成長していくことを親族総出で盛大にお祝いをし、一族の繁栄を願うという重要な行事だったそうです。





今でも口上では「〇〇くんの健やかなる成長と、〇〇家の益々の繁栄を祈念し~」と言っていますし、「〇〇家の接待」「お施主の〇〇さん」とも言っているように、初子祝いというよりも「家」のお祝い、初節句のお祝いという性格が非常に濃く出ていると考えます。
そのようなお祝い事ですので、当然祝い酒も振舞われたでしょうし、その流れが現在の初練りとして残っているのだと思います。






そうそう、最近また変な言葉を目にするようになりました。
「今年ウチが初子をやる」とか「友達の初子へ行く」「初子料理」なんてもあったり、もう訳わからんので勘弁して欲しいです。

上記のとおりの性格があるのですが、なんでもかんでも『初子祝いという言葉』で片付けてしまうと、こういった由来や意味合いが継承されず、お祭りの形も変わって行ってしまうのではないかと心配しています。
どうか新聞やネットでこのような変な言葉を拡散しないように、くれぐれもお願いしたいです

尚、この話題についは浜松凧揚祭研究会のブログも併せてお読みください。2013年5月2日「端午の節句 初節句」http://takoken.hamazo.tv/e4440842.html

  


Posted by NAVA@八まん連 at 22:36Comments(0)