白日朝日のえーもぺーじ

ブログタイトルほどエモエモしくはありません

ルゥシイさんのクソ長2023年

 

・はじめに

「おたおめありですのやり取りを嫌いすぎて、ほぼ誰からも祝われなくなった人間です。22024年もね、よろしくお願いしますー」

「なんでタイムリープに巻き込んだんだよ!?」

 M-1の熱狂冷めやらぬ2023年末にこの記事を書き始めたこともあって、漫才みたいになってる導入のやりとりはさておき、今年もよろしくお願いしますー。

 いやー今年のヤーレンズは(それはまた別でお話ししろい)(うぃ)

 2023年はリアルタイムの音楽をほとんど聴いていないという事情もありまして、ランキング付けとしてはテレビアニメ部門とアニメ映画部門のふたつだけになりますが、どうぞお付き合いくださいませ。結束バンドとのんのんびよりのnano. RIPEとか裏ベストのサントラ収録のアニソンばっか聴いてたけどすごくいいぞ……。

 個人的な好みの感想語りで、ネタバレはほぼ全開になるかとは思いますが、そちらについても容赦してお付き合いくださいませ。あとなんかのブレーキが外れているため、容赦なくクソ長です。これでも推敲はしたんだ許してください。アレだけは許してください! テクノカットだけは!(ここだけ2008年オードリーじゃねえか! 半端に過去戻ってんじゃねーよ! タイムパラドックス起こっちゃうだろ!)(うぃ)

「ワイの神作ないやんけ!(さあ、利き手を上からグイッとリキ入れPC机ドーン!)」とかは自分でもランキングもの見るとありがちなので、いくらでもやっちゃってください。(利き手はやめろブルガリア!)(ネタが古いんだわ、ルゥシイ)(うぃ)

 前年度は『ぼっち・ざ・ろっく!』をどシンプルに1位に選んだランキングですが、さてはて2023年のランキングは……。

 前年はベスト5を決めさせてもらいましたが、今年は音楽もないし、視聴作品母数のほうも100超えるくらいだったと思うので、ベスト10で書かせていただきます。たぶんクソ長いおそれがありますので、ちょこちょこ休憩を挟みながらお読みくださいませ。それでは、ネタバレ回避用の改行スペースを超えてスタートだ!

 

 

 

 

・ルゥシイさんの2023年ベストアニメ10(テレビシリーズ部門)

 

 

 

 まずなにが言いたいかって、取りあえず観よう。オープニングムービーを。

 


 

 はい、観ていただいて分かったと思いますが、ミーア姫がめっちゃかわいいんですね。めっかわです。優勝ですわ。10位じゃんって思われるかも知れませんが、個人的には今年1番のオープニングアニメーションだったかなと。

 ミーア姫の絵がとにかくかわいい、なんかかわいい声、テンポと派手さがなんか楽しい曲、むやみに勢いの良いミーア姫役上坂すみれさんの歌唱、ほとんどミーア姫のかわいさに全振りで動かしてくるアニメーションなど、見どころいっぱいです。

 そしてここで、誤解されかねないので伝えておくと、この作品はあくまでもミーア姫の可愛さだけを楽しむ作品ではなくて、軸の太い物語とそれを支えてゆくことになる、人材発掘育成コントとでも言うべき序盤の内容が特に楽しいです。

 まあ1話レベルの話なので、ネタバレをしていきますが、主人公のミーア姫は、大国であるティアムーン帝国の姫として生まれ、しかしながら20歳前後の頃に帝国内の革命に遭い、長きの間牢獄に閉じ込められたのち、ギロチンによる処刑を受けてしまいます。

 それから、彼女が転生したのは同じ記憶を持ったままの12歳頃の自分自身、そして、生まれ変わった彼女の手元には、自身が生前に記していた処刑までの日々を綴る血染めの日記が……。

 というこんな感じで物語はスタートしてゆきます。(軽いなおい)

 彼女は来る処刑の日を回避するべく自身の行動をやり直してゆくことになるのですが、ひどい人生経験を積んだからこそ分かる、様々な理解や反省行動が、周りの人間には「これまでのわがまま姫とは違う、平民の気持ちさえ汲み上げる慈愛と叡智を持つ姫様だ!」とまで錯覚させてゆきます。

 本人が思いもしてないほうに善意的に、かつ彼女の人生が改善されてゆく方向へと深読みされてしまう、そんな人物間の掛け合いはまさに「脳みそアウトソーシング」とでも言うべき様相。

 周囲の優秀な人間を、意図したりしなかったりしながらその類まれなる人望(かりそめかもしれない)で集めてしまう姿こそカリスマ。でもミーア姫のおかわいい姿を見てるとそれも納得しちゃうよねっていう、デザイン。

 ついでに言うと表情が豊か過ぎる彼女は、ナチュラルにめっかわな笑顔からあきれたくなるほどのゲス顔から、ちょっと連れ去りたくなるテレ顔まで、とにかく色んな感情に乗る表情表現や、キャストの上坂すみれさんのはっちゃけた演技力で、なんだかんだとかわいい方向にブーストされてゆきます。

 やっぱりかわいさが大事なんか、と思われるかも知れませんがそれは一側面なんです信じてください、どうかアレだけは、ギロチンだけはやめてください!(実際に裏でやってるかと思われるじゃねーか!)

 ほんとうに、あくまでこれはミーア姫という、前世でワガママはしたもののけっこうガチの苦労体験(死)をしてきた姫様の、本気の死亡フラグ改変ストーリーなので、そこに多少の幸運な勘違いというバフが乗っても良いじゃない。

 彼女の周りを支えるようになる、イカれた仲間たち(ミーア姫に対する評価がマックス化している)も魅力たっぷり。特にアベル王子とシオン王子のある意味で二大ヒーロー枠のふたりは、物語のなかでもミーア姫との出会いによって精神的に成長するのが素晴らしいです。

 原作がめっちゃ長いらしい本作、第1期としてアニメ化された部分はまだ導入に等しいとのことなので、       

 ほんと2期くれーー!!

 でもあのオープニングは観る快楽物質なので変えないでくれーー!!

 とまあ、叫びたいこともございますが、テンポの良いコメディ描写に対する、明確に国の建て直しや外交などなどに踏み込んでゆく内容は、コメディでありつつも骨太のストーリー性を持っているので面白く、やはり、彼女がほんとうに救われるまでが観たいのですね。

 以上、今年さいかわヒロイン、ミーア・ルーナ・ティアムーン皇女殿下についての感、いや『ティアムーン帝国物語〜断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー〜』の感想を終えさせていただきます。

tearmoon-pr.com

 

9位. BIRDIE WING -Golf Girls’ Story-(BN Pictures)

 

 すげー女子たちによる「ゴルヌ」というスポーツが堪能できる、頭を空っぽにして観るべきスポーツエンターテイメントです。アホな発想のゴルフシチュエーション、どうでもいいメロドラマ、なんか知らんが好きになってるライバル含めたあらゆる魅力的なキャラクターたちが素敵な一作です。

 一見、なんか「女子ゴルフ作品……? デザインも今風のポップかわいいでもないし、地味?」と思うやろ、わいもそう思っとったで、でもな、これはな男のスポーツアニメなんや!!

 男女差別的な視点の話ではなく、スポーツという競技で殴り合って仲良くなってる、古いヤンキーものみたいなスタイルと言いますやら、脚本の黒田洋介先生による名作『スクライド』のクソむさ苦しい漢くささを思い起こさせるような内容になってるわけです。

 

 なんか知らんが技名を叫びつつスイング!(Be Quietじゃ)

 

 マフィアの遊びで行われる、国家予算規模のお金がかかってそうな謎のコースで行われる闇の賭けゴルフ!(コースがもうガンダムのコロニー作ってる感覚なんよ)

 

 いつの間にか頭のなかが主人公のイヴのことでいっぱいになってる恋愛脳ぽんこつヒロイン天鷲葵さん!(お前もう暴君やめぇ)

 

 ツッコミどころだらけの穴っぷりが逆にツッコミ放棄して快楽方向に頭を切り替えられる、そんな楽しさ全開のアニメです。

 無茶苦茶する割に、女子プロゴルフとして常識レベル外のゴルフは後半クールまで行われていなかったりします。けれども、作品を飾る色んな要素やアニメーションらしいハッタリの効いた演出が頭悪くて最高です。

 ドラマ性はまあまああるんですけれども、あくまでもキャラクター間の熱意やライバルたちとのゴルフシーンを盛り上げるための道具立て感覚ですね。でもそれがめっちゃ上手いこと機能してくれるので、結局視聴者としてドラマにも振り回されてしまう。

 ほんと勢いで視聴者を巻き込んでいくそんな女の子たちのゴルフストーリー、観たくならないわけ、ないよね?(いや、大無闇にかぶいとる!)

birdie-wing.net

 

8位. アイドルマスターシンデレラガールズ U149(CygamesPictures)

 

 アイドルマスターのアニメシリーズですが、扱うアイドルたちはみんな身長149cm以内のつまりロリ、やわらかく表現すると恐らく小中学生くらいまでの少女たちがメインのお話になります。ストーリーラインとしては全話繋がっていますが、9話まではおおよそ担当キャラクターにスポットライトを当てたオムニバス的なアニメの仕上がりになります。

 アイドルマスターといえば、プロデューサーと担当アイドルという図式で知られていると思いますが(筆者も詳しくはないです、まあソーシャルゲームの内容からそうなのでしょう)、今作も例に漏れず、主人公であるプロデューサーがこの物語とアイドルを支えてゆきます。

 プロデューサーの所属するアイドルプロダクションでは、会長肝いりの企画として少女ばかりのメンバーが集められた第3芸能課というプロジェクトが動き出し、そこにプロデューサー経験はないけれど熱い気持ちとアイドルに対する夢をしっかりと持った、熱血型で等身大のプロデューサーが配属されます。

 そんな彼が第3芸能課のアイドルといっしょに仕事をしていきながら、トラブルにも共にぶつかり合い、互いに成長していきながら理想とするアイドル像へと彼女たちを導いていくアニメになります。

 オムニバス形式なのでその回を担当するアイドルによってお話やテーマなどの振れ幅はありますが、全話ストーリーとしても面白いエピソードで構成され、やはり核をなすアイドルの女の子たちも表情ひとつからかわいさたっぷりに表現されてゆきます。

 特にストーリーが面白かったのは3話を担当した赤城みりあ回。シュガハのひともアベナナのひとも老練された良い味を出してましたね。それに「プロのアイドルとしての振る舞い」と「彼女自身にしか出せない魅力」に揺れ動く様を綺麗に見せた、4話の櫻井桃華回。バンジージャンプのシーンは落ちる前まで含めて、覚悟の決まっている「自分」を持つ感じがして最高でした。アニメーションもよく作ったよなあ。あれ。

 それからイントロダクションでもある1話と11話を担当した橘ありす回でしょうか、なかでも個人的な評価としてこの11話は昨年観たアニメーションの1話としても最高クラスのエピソードだと思っています。

(ここからオタク口調の早口になります)

 この11話に至るまで1話から丁寧にすこしずつ橘ありすというキャラクター像と、どういう部分にコンプレックスを抱えているかなどを見せていきながら、11話の橘ありすがアイドル活動をどう続けていくかの未来を両親と語るはずの三者面談を通して、一気に彼女が抱えていた両親とのコミュニケーション不全を洗い出しつつ、同時にまた橘ありすという少女の等身大な少女性が浮き彫りとなります。第3芸能課のアイドルに対し大人と子どもという割り切りをしないよう認識を成長させてきた、そんなプロデューサーとの対話を通して、彼女にとってのアイドル像、それから同時にプロデューサーにとってのアイドル像がしっかりと形を取っていくのが素晴らしく、このエピソードにおける物語の白眉としてありすが、ここまで悩んできた「おとなってなに?」という悩み(それこそがありすが理想とするアイドル像について頭を悩ましてきた部分)の本心を力強くぶつけ、そしてその本心こそがプロデューサーである彼にとって「彼女(たち)にとっての(自分にとっての)大人の姿(アイドルの姿)はなんだ」という抱えていた悩みにぶち当たって、涙するプロデューサー、その弱さを見せるおとなの姿こそ、ありすの抱いていた願望によって隠されたままだった両親の涙する姿と重なり、彼女が記憶を辿りながら思い出していく、そのアニメーション表現の凄まじさたるや、1作の劇場アニメを観ているようで素晴らしいです。

 橘ありすという女の子がひとつの大きな答えを見つけ出すための物語に、凄まじいほどの映像演出と音楽演出を見せたこの11話は個人的には伝説に残るアニメーションだったと思います。

 挿入歌として橘ありすの切なく歌う、彼女の心の迷いを描いた『in fact』と、悩みが晴れて少し明るく歌われるアンサーソングのようなエンディングテーマの『to you for me』をその歌詞といっしょに噛み締めてほしいと思います。

 ほんとうに自分がこれまで観てきた、今敏監督の『千年女優』や新海誠の『秒速5センチメートル』など、有名アニメーション作家の作品を思い起こさせてくれた1話の作品です。

 まあそんなこんなで11話を大絶賛していますが、おおよそのエピソードはちょっぴり癒やされてしっかり明るくさせられる、アイドルの卵たちのお仕事アニメであります。

 映像表現として抜群の高い完成度を誇る、アイドルを目指す少女たちの「かわいい」という一面だけでなくあらゆる姿を楽しませてもらう、そんな素敵なアニメーションでした。

 好きなキャラクターは、橘ありすちゃん以外だと、市原仁奈ちゃん、竜崎薫ちゃんですね!

 ロリコンは病気です。

cinderella-u149-anime.idolmaster-official.jp

 

7位. 星屑テレパス(Studio五組)

 

 エッモ!

 エモいです。今風に言うとエモいです。昔風に言うと「ものわびし」とかそんなんです。

「まんがタイムきららのドキドキビジュアルコミックス!」原作でありながら、「まんがタイムきららのドキドキビジュアルコミックス」的なアニメ作品でもないこの作品。

 語るべきところは、「言葉を届かせること」、「それが繋がる場所にあるものをなんと呼ぶか」なのだと個人的に思っています。

 そういった、心と言葉の機微にとてもセンシティブな作品ゆえに、ひとつひとつの、誰かを助けるような言葉も、突き放すような言葉も、全てが等身大の彼女たちに突き刺さっていきます。

 大人になると擦れて失ってゆくかも知れない、言葉に対する力の動きが物語につながってゆく、ものすごく「読ませる」作品であり、同時にそれを興味深く見せるだけの力強いドラマチックさを備えた作品でもあります。

 主人公の少女は「小ノ星海果」、友だちも少なくて人間関係に対してネガティブな少女。少し似たような境遇かも知れない、同じくきらら原作のアニメ作品『ぼっち・ざ・ろっく!』に後藤ひとりちゃんというキャラクターがいましたが、あれよりももっと、描写として繊細に扱われるような、儚げな少女というイメージです。

 彼女の願いは「宇宙に届くロケットに乗って、宇宙人のなかに友だちを作ること」ですが、マジでお前言ってんのか、というやつです。

 ただ、今がつらくて、ここではないどこかなら、分かり合える誰かが見つかるかもしれない。そんなはちゃめちゃに利己的で、切実で、実現可能性も限りなく薄い、その儚い彼女の心では受け止めきれない厚い壁があるかも知れない、でも、自身の高校生活なんかを思い返すと理解できる人間もいるかも知れません。

 筆者もその頃は小説やメロディーのない歌詞(いわば、ポエムですね)なんかをノートの裏側にびっしり書き記した、現実逃避に身を置かないと、現実以外のところに居場所を見つけないと息が苦しい、そんな時代もありました。

 だからこそ全ての気持ちが分かる、とは絶対に言えません。切実さゆえにそれは彼女自身のもので遠いものだからです。

 けれども、彼女のことを理解して友だちになってくれる「宇宙人」に、海果が出会ったら……?

 ス パ ダ リ 明 内 ユ ウ。

 同じクラスに突然現れた、おでこを相手と合わせるだけでひとの心を読めちゃう能力、「おでこぱしー」を身につけている明内ユウという少女が、宇宙人として海果に興味を持ち、彼女の願いである「ロケットで宇宙を目指す」部分で繋がり合うところから、海果にとってのあらゆる出会いと、本来手に入れるべきだった様々なものへの物語が始まってゆきます。

 その内容はときに鋭い刃のようにひとを傷つけるシリアスさや、新しくできた友だち同士のどこか初々しい恋人未満関係っぽさも持ちながら楽しめます。

 おでこぱしー、というおでこくっつけ描写が実質的にはキスシーンにも似たような色合いを持つため、ちょくちょくやられると軽く目を背けたくなるくらい恥ずかしいのですが、それもまたクセになる作品です。

 特に作品のドラマチックさが動き出してゆく、まだペットボトルロケットしか飛ばすことのできなかった海果たちの前に、夢をさらに形のあるものへと近づける、メカニックの素養を持った雷門瞬ちゃんとの出会いからのお話は、「この作品だからこそ見られる切実さ」の詰まった内容です。

 感情のぶつけ合いに観ているこちらが重苦しい気持ちになったり、でもその関係のもつれのようなものがほどけた瞬間は、勝手に涙が溢れてきます。

 切実すぎる願いを持つ女の子たちの等身大なヒューマンドラマ、ではあるのですが、同時に雰囲気を壊さぬままに癒される描写も挟まれる、実はとても良いバランスの作品になっております。

 原作ファンだったので、アニメ化の報には「え!! このシリアスがキツくてひとつバランス崩すと危ない作品でアニメ化を!?」という思いにもなりましたが、結果的にはきちんと「できらぁ!」と、かおり監督が、しっかりその突き刺さるようなシリアスさと、きらら的な癒されて表情豊かでかわいいポップな部分を見せきった、類まれなバランス感覚のアニメ作品にしてくれたことに、感謝しかないです。

 原作読んでいても、個人的にはダークホースでした。ごめんなさいでした、と同時にありがとうです。

 今すぐの視聴をオススメしたいところなのですが、ほぼ有償での配信しか行われていないのが実情です。

 大抵の配信媒体なら1話無料かと思うので、そちらをぜひ観ていただいて、それから続きを観たければ……2024年1月現在、視聴動線としてできるだけ視聴者負担のかからない方法については、全話無料配信のFODに一ヶ月976円で加入して、一気に視聴するあたりかなあ、と思います。

 少し視聴へのハードルはありますが、作品のクオリティは絶対に推せますので、ぜひ。(筆者はニコニコの余ったポイントで視聴しました)

待って、あとオープニングめっちゃ良くて良いの見て!


 

hoshitele-anime.com

 

6位. SPY×FAMILY Season2(WIT STUDIO × CloverWorks

 

 ちちクソださい、なえる。

 ははバトルのひと!

 フォージャー家はおしまいだ、アーニャも捨てよう!

 でお馴染みのこの作品。

 原作からジャンプ系の大ヒットシリーズということもあって、ぶっちゃけ大バジェット。予算マシマシで作られてるのが見えるわけですが、そこのコントロールが実に完璧でしたね。

 Ado×シートベルツ(作編曲菅野よう子)による、口当たり軽いのにスピード感のあるOPテーマに、湯浅監督のケレン味満載のアニメーションは、これまでのちょっとだけスパイ作品っぽくOPしてみました感が抜けて、個人的にフォージャー家のヤバくて一瞬で過ぎ去るスピード感と彼らの関係性が伝わる良いOPと感じました。Vaundyの担当したEDも彼にしてはR&B寄りのポップスとアニメーションが、あの「アーニャのほんとに望むせかい」感を上手く出していたように思います。

 原作未読が惜しまれるところですが、個人的にはケレン味のあるスパイ作品パスティーシュより、その裏にある「家族を成立させよう」という建前が、「家族として生きたい」に少しずつ移っていく2期の描きかたが好きでしたね。

 筆者はアーニャさんの沼にハマって、劇場版のほうでは映画館でグッズ購入にアホな額ぶっ込む様を家族連れのお客様に見られるなど、随分とキモい挙動を見せておりましたが、そんなこんなでアーニャさんが好き(U149の流れで話すな、不穏じゃ)なので、彼女らしい顔芸や、やけに耳年増な脳から口に直結したような物言いが好きでもありますが、その上でこのシーズンは美少女度が上がってましたね。

 いや、プリンセス・ローレライ号篇周りのおでけけアーニャさんの美少女ヅラはあかんでしょ、ただのかわいい幼い女の子やん、これ以上はやめろ俺の財布が疼く——。推しの女に貢ぐ感じってあんなんなんすね。知らん間にフィギュアとかいっぱい買ってた。

 そんで、アニメだけじゃなくてグッズにも色々触れて感じたところではありますが、やっぱりアーニャさんのデザインってのは発明的ですね。

 ちっちゃい子らしい美少女ムーブだけしてるとただの「ろりこん向けいんらんピンク(いんらんじゃなくいらんこコンプレックスのまちがい)」ですが、あの多様なギャグ顔からワクワク顔からガーン顔まで含めた、やっぱり脳みそ直結された多彩な表情表現というのが入ってくると、「ダメな子ほどかわいい的なちいさな女の子のマスコットキャラ」っぽさが出るんですよね。

 意識的なところでやってると思うんですが、アニメ版クレしんの野原しんのすけ感はあったのかなあ。アホをやってもヒーローやっても許される愛されキャラ感を、美少女キャラめいたあの子に導入しちゃったのは見事でした。デフォルメまで含めてかわいいのずるい……。

 さて、アーニャさん語りだけでなく、フォージャー家に触れていくと、今期はやっぱり語りたい芯が「家族」にあるなという。だから殺し屋とバトルのひと(ヨルさん)が戦いながら、家族の日常というものの尊さを伝えるような騒乱と狂乱の長編である「プリンセス・ローレライ号篇」がこのクールの核を為したなという感じ。あの、ちちとアーニャとははそれぞれの戦いが終わったあとの、各々の視点から見る朝日の共有はベタでもあり「家族全員で守った、皆で見ることの出来た穏やかな日々の訪れの証」と思うと、グッと感情に刺さるような描写でした。

 バトルのひとのやべーほど動く、やっぱりジャンプ漫画やんけお前みたいな色んな先輩のパロディ入った対多人数×ほぼひとり暗殺者感には、お前が飛天御剣流後継者かよというヨルさんらしいお死ごとアニメーションっぷりで素晴らしかったです。るろ剣めいた抜刀術持ちと戦うシーンも印象的でしたね。

 ちちはかしこい(かしこくない)けど、それが家族の関わるところでの盲目さを感じさせるのが良かったですね。精密なコンピューターに怜悧な理性で動く人間が、感情に揺さぶられてポンコツになる様はやっぱりみんな好きだと思うのよね。ロイドさんのあの感じを出せたのも、結果的に彼が活躍したのも良かったです。

 その活躍を陰で支え続けた、ちっこい脳みそフル回転の空回り大冒険した、勇者アーニャの大冒険っぷりもまたかわいうて輝いてました。マジで子はかすがい。(呼んだか)(カスがいいわけじゃないぞ、て言うかお前アーニャじゃねえのかよ! 春日かよ! お前とはやってらんねえわ!)(お前、それ本気で言ってんのか?)(本気だったらこうやって、って長話のブリッジに使ってんじゃねーよ!)(うぃ)

 最初のエピソードで尻ナーフかかった笑ってはいけないヨルさんとロイドさんのおデート回から始まり、ボンドにフォーカスされる最終話で挟む形になった全体構成にもテーマ性が感じられて最高でした。

 WIT STUDIO×CloverWorksという今一流のアニメーション制作体制に大河内一楼氏の脚本、そしてなにより原作の魅力であろうノリの良いシナリオが乗った、テーマ性も高い超一流のエンタメアニメーション作品に仕上がり、めっちゃ高い満足感を覚えました。

 アーニャ、さんき、きぼう!

spy-family.net

 

5位. 【推しの子】(動画工房)

 観てる途中で気づいたのですが、『私に天使が舞い降りた!』の制作陣なのですね。あれぞまさに動画工房の真骨頂みたいな、キレキレな間やワードが活きるコメディにかわいい女の子たちの関係性(特にひなた×みゃー姉が好きです)、そしてそこから巻き起こる日常の楽しさと揃った綺麗なトライアングルつくる作品でした。また、平牧監督は個人的にヤマノススメでの担当回も安定していて好きな監督さんです。

 そして原作ですね。これもヒット作品ということで、放映開始前からかなり話題にはなってました。

 一時的に動画工房が事情によって低調なアニメーションの作品をつくったこともあって、「今の動画工房がこの恐らく予算も大きそうなバジェットの企画背負えるのか?」みたいな不安が、筆者自身にもありました。

 原作者の赤坂アカ先生についてもかなり好きで『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』に関しては全巻読みましたし、『ib インスタントバレット』も実質未完ながらに好きな作品です。

 なんとなくこの先生は、書きたいものがあるのに別の方向にセンスが向いてしまうか企画がズレるのか、抜群に面白いけれども最終的な作品を見るとどこかチグハグな印象を受ける作品作りの漫画家さんかな、と思うところがありました。

 そんな色々思うところがあって、『【推しの子】』原作については様子を見ており、アニメ化が初見となりましたが、めっちゃ面白かったですね!

 やりたいことのチグハグさと感じていた部分が、ちょうど良い物語の重さを形作ってテーマ性の活きる設定やストーリー展開、センセーショナルともいえるドラマチックな展開と、元々かぐや様で見せていたような力の抜けたコントのような掛け合いも効いて、「マリア〜ジュ(かぐや様ナレの青山さんのねっとり感で)」といった具合。

 謎を残したまま亡くなったアイドルという、エンターテイメント界の大きなミステリーを、その息子である主人公、星野アクア(アクアマリン)の視点から暴き出そうと、芸能要素へも攻めた、フィクションの闇のようなものまでガチで描きながら、物語を進行させていくドラマチックミステリー。

 もう、魅力的なテーマを取ったなあと思いました。やりたいけれども手をつけづらい作品というか、変に聖域化してる場所にメスを入れていくというのは、独特の快感があります。

 主人公の母親でもあり、彼の前世時代からの最推しアイドル星野アイ、彼女が習熟を通してファンを騙し通していく最高の笑顔を見つけ出すまでの流れなんかとても好きでした。アイドルという「かわいい女の子」のフィクションを体現する感じ、そこに取り戻してしまった人間性から悲劇が生まれる流れまで、よく考えられたものだと思いました。

 また物語を彩る演出も良かったですね。笑いの間のチューニングや、アイドルライブシーンやドラマ描写に於ける魅せ方のハッタリ感とリアルのすり合わせまで実に上手くやってるなあ、と。でも、なんといってもOPやEDを挿すタイミングの良さですね。次話へのヒキの巧さはもうお手本のようなレベルじゃないでしょうか、そのために作られたんじゃないかというような女王蜂の担当するEDテーマのイントロでの雰囲気出しなんかも完璧でした。大バズりしたYOASOBIによるOPテーマ『アイドル』とそのアニメーションの引きの良さも良いのですが、物語への期待に関する部分への寄与っぷりは個人的にEDに軍配が上がるかなあと。

 終始安定して派手な絵面も多いこの作品をアニメーションとしてかわいく続けてくれたのも良かった。魅力的に描かれる星野ルビーやMEMちょに有馬かな(重曹ちゃん推し)、黒川あかねなど、女性陣には内面のシビアさやひとの見方の適度なひねくれ方を与えつつも、そこに説得力と魅力を同時に載せることに成功しているのもすごい。この辺はかぐや様でハーサカとかマキちゃんを扱ってきたバランス感覚でしょうねえ。

 お話自体の良さもありますが、この辺に関してはアニメーションでの描写や声優さん起用の巧みさが活きていたのではないかと。個人的にこの作品以前だと潘めぐみさんという才能はもっと爆発して欲しいものだと思っていたので、良い役来たなあ……と。ある意味このひとにしかできない、女優としての迫力や女子としての性格のぶさいくさをうまく演じきったんじゃないでしょうか?

 総じて、人間ドラマをミステリアスかつセンセーショナルに描きつつも説得力をきちんと持たせた、すごく総合力で良くできたアニメになっていると思います。強いて減点を言うならば、まだたぶん作品としてもっとインパクトの出せそうな話を、次期に持っていくだけの余力を残して1期を戦い抜いたというのが感じられるからでしょうか。

 いちばん好きなシーンは、「今日あま」の原作者さんとその実写ドラマの主演を張った有馬かなちゃんが報われるまでの一連のシーンでしょうか。少し等身大になるかなちゃんと、自然体の嬉しそうな原作者さんの掛け合いの雰囲気がじわりと胸に来ましたね。

 2期は確定しているので楽しみに待つだけですね。視聴者としてはいち早く続編を観たいという気持ちもありますが、ヒット後のため予算もきっとアップするでしょうし、クオリティもしっかり上げてくれるとまた嬉しいですね。

 くそー、少なくとも続編アニメ観るまで原作読む気になれねえー!!

 ほんとうに楽しみです!!

 最後によんおくまんかい再生された昨年バズり倒した、YOASOBIパイセンの『アイドル』PVを。星野アイのPVにもなってますので是非こちらも。


 

ichigoproduction.com

 

4位. 葬送のフリーレン(マッドハウス)



 これも話題性含めてすごい作品でしたね。

「金曜ロードショー」枠で初回4話の2時間放送ということ、この作品をきっかけとした新たなアニメ放送枠を金曜ロードショー後の時間に枠設けて日本テレビがつくったことなど、アニメ化にも大きな期待が乗ったであろうこの作品。

 原作未読ですが、自分の周囲での既読者の多さに驚いたりしますし、記事を書くにあたり調べてみれば、手塚治虫文化賞新生賞受賞や、その他漫画賞の受賞およびノミネート歴にも素晴らしいものがあります。

 要はまあ、無茶苦茶な高さのハードルを置かれたこの作品。制作陣は古くから名作アニメを支え続けて、現在でも人気原作の高いレベルのアニメ化をさせるならここというような古豪マッドハウス、メガホンを取るのは昨年の『ぼっち・ざ・ろっく!』監督としても脚光を浴びた気鋭のアニメーション作家である斎藤圭一郎、そのほか『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』なども担当し、大河ドラマや実写映画の仕事も行う、非常に注目度の高い音楽家のEvan Callなど、本気度の高さがうかがえる布陣といったところでしょうね。

 本編に関してですが、まあ運悪く初回放映日に持病で入院という憂き目には遭いましたが、それでもやっぱりリアタイ視聴がしたかったこともあり、偶然個室を準備してもらえたことで、入院中の割にしっかりと構えて初回放送を観ることができました。

 いやー、観た直後の虚脱感はなかなかのものでしたね。『別れと旅立ち』をテーマにしたお話に自分自身が弱いというのもありますが、それでも決してドラマチックにし過ぎない感動がそこかしこにあり、エピソードごとの寓話性やテーマ性の強さなど、まずお話づくりの骨格の堅牢さが見てとれました。

 その上で、見惚れてしまうような作品を彩る背景などの美術面や、それを決して破綻させることのないさまざまなデザインに、そんなアニメーションをなんの違和感もなく完璧に組み上げる監督のセンスなど、なるほど、映画の放映枠に能う作品だなあと初回で心を持ってかれましたね。

 一枚の絵にできそうな美麗な背景美術に、穏やかながらやわらかく世界を支えるBGM、見事としか言えない画の構図や、視線誘導など細かな映像の管理を見せる、観ている側に負荷のかからないアニメーション美とでも呼ぶものが、たまらなかったです。

「観たかったアニメーション」のひとつであることは間違いないですね。

 フリーレン様の旅というのは、エルフの魔法使いである彼女を含めたヒンメル様たち勇者一行が魔王を倒したその後の世界を、ヒンメル様との永久の別れをきっかけに、長命種であるエルフがゆえか理解することのなかった「人間」を知るため、新たな仲間とともに冒険していくというもの。ファンタジー物語やRPGゲーム世界の細部に彩りを添えてゆくような、そういう作品に「あったかも知れない様々な物語」を、フリーレン様御一行とともに体験および追体験してゆく、王道とメタの効いた冒険ファンタジーアニメです。

 そのままやるとたぶん、『魔法陣グルグル』や昔のドラクエ4コマみたいな、パロディ度の強い作品になりそうですが、あくまでもコメディの描写は作品の雰囲気を和らげるスパイス感覚に、RPGっぽさというのも意図的なパロディ感を抑制したハンドリングで、その手のチープさはほぼ感じられないのが素敵です。

 そして、この核となる物語を構築させるための登場人物たちの深みが作品を支えていると言っても過言ではないでしょう。

 ヒンメル様との死別まで、人間を完全に理解はできなかったけれどもけれども、勇者一行との魔王討伐の旅が彼女の心のダンジョンのとても深いところにある宝箱(ミミックかもしれない)のような「たった10年」「くだらない10年」が刺さったまま、旅に出ては、出会いや些細な出来事をきっかけに、ヒンメル様たちと得た思い出が明確に浮かび上がり、またひとつ「人間」を獲得していく、そんなフリーレン様。どこか人間との距離感の違いを感じさせるけれども、それは決して突き放すようなものでなく、自分の感覚に素直がゆえの「ズレ」のなかに生きる感じがまたたまらなく好きです。

 銀髪貧乳ロリババアです。かわいいね。

 フェルンは巨乳。

 シュタルク様はほんとうに勇者の卵を具現化したような青年。「ヘタレ」と形容されがちな彼は、作中で最も等身大でもあり、自分の弱さをしっかりと知っている人間でもあります。ただし、戦士に必要な覚悟や勇気に、また勇者のパーティをなすための実力そのものなどはすでに身についていおり、足りないものは自己肯定感や成功体験かも知れない、という作中では17歳から登場して広い世界を知ってゆく年齢的にもまだ成長過程と言えるかも知れない彼ですが、魅力的なのは、やっぱりダントツで滲み出てしまう人間みと言えるでしょう。

 自然とひとに優しくできるカッコいいところも、フェルンという同年代の異性との接し方は少しぎこちなくなる初々しいところも、ハンバーグが好きなところも、土下座の速さも、かわいらしい。それでいて、彼には師匠であるアイゼンと生きた時間、彼が師匠から聞かされてきた「くだらない10年」、彼が竜から街を守り続けた長い3年など、無自覚にとても広い時間の尺度を持ったなかで、彼は物事を見られるというのもまた魅力的です。

 彼は彼でフリーレンにとって新鮮な時間の受け止めかたを感じさせてもくれます。ただ、まあ、パーティのなかでは、家族孝行したいけど、なかなかうまくいかない、ちょっと出来のわるいお兄ちゃんな感じもかわいくてよし。つまりシュタルク様はかわいい。

 あとパーティを彩るメンバーといえば、魔族でかつてはフリーレン様と争ったことのあるアウラでしょうか、ちょっと高飛車なところもあり、フリーレン様に強気に出る面もありましたが、服従魔法「アゼリューゼ」の魔法が反転してからは、ツンツンなところのトゲが抜けて、自害芸……いや、それはなんだか別の記憶だ。

 魔王を倒した真の勇者ヒンメル様、彼のほんとうの気持ちみたいなところは、恐らくフリーレン様がその旅への想いを紐解くごとに見えてゆくのでしょうが、誠実かつナルシストなくらいの自信家の明るさを持った、でも恐らくひとを愛する気持ちはとても強いのだと、まだシナリオの途中でも伝わってくるのは素敵ですね。

 それに僧侶ハイターもとても人間くささと聖人らしさの混じり合った、超人的な感性を持つ勇者と、人間の架け橋のような立ち位置で物語と繋がってゆきます。フェルンの育ての親として生きた時間が両者にとってどうだったのか伝わる、フェルンとフリーレンの出会いのお話もまた好きなエピソードでした。

パーティメンバーである、《葬送のフリーレン》、《若き魔法使いのフェルン》、《短小のシュタルク》、《断頭台のア(記憶を混濁させる魔法だよ)、筆者がいちばん好きなキャラクターはフリーレン様です。

 それにしてもこの寓意性の強い物語を成り立たせるため、ほとんどのエピソードに個性的かつ魅力的な生き方をしてきた人物が登場するのですが、これもひとつのエピソードで登場しなくなるのがもったいないほどです。フォル爺さんのお話は、フリーレン様との間に直接繋がりのある人物であることも含めて、ひとを見抜くような「食えない」性格や、あと頑なに長きの間、彼が愛した女性との約束に人生を尽くしているというのもまた好きです。たとえ、その記憶が薄らぐほどの長い年月でさえ、変わることのない愛のある「頑固さ」がとても魅力的でした。そういった存在こそがフリーレン様たちの物語を彩っていくのも素敵。彼らの存在感が物語のテーマ性と世界の実在を感じさせてくれますね。

 あと語り忘れてましたが、普段のストーリーを静とするなら動にあたる、シュタルク様が竜を倒すシーンのようなアクションアニメーションの素晴らしさもまたこの作品の良さでしたね。あのシーン周りのアニメーションに、自分がしばらくの間最も推してるアニメーター吉原達矢さん(『波打際のむろみさん』『ブラッククローバー』監督、『チェンソーマン』アクションディレクター)が参加してるのも嬉しかったですね。あのひとの「The アニメーションによるハッタリ」感のあるスピードと迫力に溢れたアクションがコラボしてくれるとは思ってなかったので、嬉ションしながら死んだもよう。

 とまあ、4位の作品のくせに長々とした感想にはなりましたが、先述の人気作品『【推しの子】』ともまた違う、「エンタメ快楽全開!」ではないながらも、様々な角度から観て黄金比のような美しい作品。

 フェルンの乳がもっと小さければ、ランキングベスト3もあり得たのかも知れませんが、それはまた別のお話。自分のとっては、そこだけしか減点法の効かない素晴らしい作品でした。


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frieren-anime.jp

 

3位. 江戸前エルフ(C2C)



 日常の大切さが伝わるアニメ。海外輸出したくなるようなメイドインジャパンなクオリティの「こういうの『が』良いんだよ」な日常人情コメディアニメでした。

 作者にキャラクターが愛されてるなあという感じから、制作陣に原作が愛されてるなあ、というところまで伝わる、なによりこの雰囲気を作るのが大事というツボを常に押さえ続けた、作品全体の色合いの統一感が美しい。

 この作品の魅力といったらやっぱり登場人物みんなでしょうね。全員がこう、悪意的な存在感がいないというか、良くも悪くも欲に忠実だったり俗っぽいのだけれども邪さはなくて、彼女たちなりの対する者たちへの「愛」が伝わるのがとても素敵です。

 中でも、エルダリエ・イルマ・ファノメル、通称「エルダ(様)」「高耳様」、彼女もまたフリーレン様と同じく種族がエルフではありますが、お互いに長命種ゆえに持つ時間感覚のズレや人間との生きる尺度の違いが描かれたりはしますが、彼女の場合は生きてきた土が土臭えんじゃ。

 高耳比売命(タカミミヒメノミコト)として400年以上も前に召喚されて以降、高耳神社で祀られ続ける会いに行ける621歳の神様であり、高耳神社が座する月島で愛され続ける守り神のような存在。だけれども、少なくとも今の彼女は神事をあまりやりたがらずに、拝殿(オタク部屋)にこもってゲームやアニメにプラモなどを楽しむオタク趣味全開のひきこもり神様。

 彼女が面白いのは、オタク趣味、というのが現代に限らず、浮世絵やギヤマンのような恐らく召喚された時期のようなずっと古くからのもので、つい得意なジャンルの話になると講釈を垂れ流す様はやっぱり生きた人生の尺は違えどオタクかなという感じ。

 だけど決して完全なる自分本位というわけではなくて、駆り出された神事にはきちんと応えて行うし(当たり前だろ、氏子もガッツリ対価を払ってんだよ)、エルダの巫女(お世話係)にあたる小糸にも抵抗しつつ結局は従ったりとまあ、大事なこと以外なら結構折れてもくれる神様です。(そんくらいでも神なら心が狭いんだよ! むつみ荘かよ!)(うぃ)(否定しろよ! 失礼なままになっちゃうだろ!)

 先述した巫女、小金井小糸が視点人物であり彼女また主役でしょう。背伸びしたがる女子高生。ステレオタイプな大人の女性像に憧れつづけて、つい身の丈に合わないブランドものの商品を買ったりするのも、なんともいえない味わいのかわいさがあります。

 本来ならもっと派手なキャラクター設定にも置けそうな位置の人物ながら、基本的にはエルダというある意味でひたすらボケをやる相手へのツッコミ女子というところもあり、微妙なところで表現の過剰さを抑えられていて、そういうキャラクターの見せ方の捌きっぷりも好きです。かわいいに対する強いデフォルメをかけないというか、等身大のような女の子にちょっとしたいじり甲斐のある部分を出すことで、すぅっと受け取りやすい独特の「かわいさ」を伝えてくれるのがとても素敵です。変に押し付けがましくないというか、そういう。

 エルダ様と同年代のエルフ巫女であるヨルデ様はまたもう完全に別種のかわいさ。こちらは完全にロリ特攻。お子ちゃまかわいい622歳。お姉さん風を吹かせようとするのに全然上手くいかないと泣きながら拗ねる姿なんかほんまお前神なんかという有様でかわいいです。釘宮理恵さんの直球のロリキャラボイスもこれしかないなというハマり具合でした。彼女もまた、エルダと違う「推し活」にハマってるようで、2期とか制作されたらその辺りにもうちょっとスポットライトが当たるんでしょうか。

 巫女の小日向向日葵ちゃんとは、仲の良い姉妹の関係みたいで、どちらがお姉ちゃんかはさておき、とっても癒される大阪のエルフたちなのでした。(でもワイの最推しは小金井小柚子ちゃん! 雨でびしょびしょの身体を乾かすシーンが好きなんじゃあ〜! 「ロリコン、自害しろ」)

 それにつけても、もうひとつの素晴らしさはコメディとシリアスのコントロールですね。この作品が持つ感動ポテンシャルについては、同じエルフの主人公の視座とそれに付き合う人間との時間の尺や生きる尺に焦点を当てた『葬送のフリーレン』のようなドラマをつくることも実は可能だったりします。

 意識的にやるなら、商店街のシマデンの婆ちゃんとのエピソードを掘り下げるだけで、小糸の母である小夜子に関する話などを引き出せて、複数回分の感動エピソードなんかが作れそうなわけです。かといって、そういうのをメインテーマにしたエピソードをやるかというと、ほとんどやって来ない。

 ある意味でいちばん感動を意識させたであろうエピソードであるスカイツリーでの遥拝神事である6話なんか、どこかにスイッチを置くだけ、あとは特殊エンディングを流しながらでボロ泣きみたいなこともできたはずですが、その切ない空気そのものはきっとエルダの望む世界ではないのだと思います。

 小糸に大事に思われたい、出来るだけ長い時間を共にしたい、そこまでは思っても、哀しいことや別れを小糸に意識させたくはきっとないのだと思います。

 だからこそ、切り替えるようなお馬鹿な掛け合いでお話を締める(ただし通常エンディングが実はこのエピソードに向けて作詞されていたという、おまけ付きの展開)。こういう匙加減がとても心にくいと思います。カッコいい、と言い換えても良い。

 ベータに撮影された小夜子の映像の話なんかも、実際は『Cowboy Bebop』の「スピーク・ライク・ア・チャイルド」回のオマージュのような気はするのですが、あのような感傷を残しはしない。

 亡き母の移るビデオテープに小糸の感じた複雑な想いも、笑える想い出で上書きしていくような、そんなエルダだからこそ、月島の人々に愛され続けたんじゃないかなとも思います。

 最終話に先述した6話を持ってくるのではないか、というのは結構な数の原作読者が想定していたようですが、実際に最終エピソードとして流れたのは、いつも以上になんも特別さのないような、穏やかな日々の小さなお遊びみたいな1話。おみくじひとつでころころ変わる、誤差程度の変わらない毎日。それがエルダの愛する日常なんじゃないかな。

 だからこそコメディ回のおちゃらけ感みたいなものをこそエルダは全力で楽しみつつもどこか遠い目線で眺めて、その先にはいろんな感情が混じる。

 OPとEDテーマの曲と歌詞、映像のバランスが作品と総合してみたときにびっくりするほどまとまっているけれども、それを簡単には気づかせてくれずにかわいらしい雰囲気で楽しませてくれる。

 笑えて泣けて楽しく癒されて、けれどもそこに負の感情が混じらない。日々の楽しみに喜びにほんの少しの切なさが混じる、毎日がすこし大切になるような、そんな作品。月島のひとたちに愛された高耳様のように、愛され体質な日常アニメでとっても素敵な一作でした。


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2位. もういっぽん!(BAKKEN RECORD)



 1位とこの作品は記事を書く直前に再視聴していたのですが、実際もう完全に同じ順位で良いかなと思いもしたものの、もう少しだけ厳密に考えて順位をつけさせていただきました。

 この作品には何度快哉を叫んだことか。とにかく、キャラクターとその置かれたシチュエーションに共感と熱が同時に伝わってくる、作品からの熱量みたいなものが特別な、そんなど真ん中に投げてきた素晴らしい女子柔道青春アニメでした。

 テーマとして女子柔道を選んで有名な作品といえば浦沢直樹原作の『YAWARA!』でしょうか?

 あれもまた、原作力の非常に高いアニメとしても面白い作品だったとは思いますが同じスポーツを扱いつつも、まあほぼ別物と思っていただいていいでしょう。

 スポーツものといえば、結構なあるあるが存在します。「そのスポーツに向いていないかと思われていたが、陰の努力家でもあり、序盤はほとんど隠れていたその才能が徐々に開花」したり、「全くの素人ながら、これまでフィーチャーされなかった別の競技からの特殊能力みたいなものが活きて徐々に無双していく」、「ただ最初からフィジカルがお化けで技術が身についた瞬間に化け物になる」、だいたいドカベンでやり尽くしてんな。みんな、名作野球漫画『ドカベン』を読もう!

 とまあ、そんなことを言いましたが別に読まなくて良いです。野球漫画ながら序盤の中学編に柔道部展開があるとか筆者がそのあたり割と好きとかどうでも良いです。

 それはそれとして、他にも多数あるキャラクター無双類型みたいなものがスポーツ漫画には星の数ほど存在し、『もういっぽん!』がそれとは真逆の話かというと、それも違います。主人公の園田未知は1期の段階だけ見てもフィジカル能力だけだと、その時点での全キャラクター中トップクラスです。自身で肩を外しての押さえ込み抜けをやってみたり、投げ技を体操競技のバク宙のようなアクロバットで回避してみたり、すごいフィジカルの持ちの主であることは明らかになっていきます。

 ただ、彼女たちの戦いは全くもってほぼ無双とは言えないものです。勝っても負けてもギリギリな、かなり泥臭い展開になったり、逆転に次ぐ逆転な展開でも星を落としたり、ただそのギリギリ加減が最高に熱中させられます。いわゆる野球でいう「ルーズベルトゲーム(8対7の得点差によるシーソーゲーム)」な試合展開。だからこそ、どちらの選手にも応援したくなってしまうし、試合の前段や途中には必ず、相手校への愛着が湧くような人間味のあるエピソードや、単純に感動的なエピソード、良いひとらしさが伝わるエピソードが入ってくるのですが、そのほとんどのところで上手く絡んでくるのが、コミュニケーションと距離詰めオバケの園田未知。

 中学からずっと同じ柔道部で活動している滝川早苗曰く「空気を読めないけれど、空気を変えてくれる」そんな未知が居るからこそ、ただ相手校とバチバチになるのではなく、ちょっとした緩衝材となったり、相手の懐に入って素の部分へと踏み込んでいく、そんな彼女がいて、場外のお話が楽しくなり、かつ試合内容は余計に視聴者として気持ちの乗った興奮させられるものになるといった構成。

 その流れが爆発するのが、前半エピソードの山場であるインターハイ県予選での未知たちが所属する青葉西高校対霞ヶ丘高校戦。その最も興奮度の高い一戦といえる青葉西の氷浦永遠対天音恵梨佳の対戦。

 元々、永遠ちゃんと恵梨佳は同じ中学で、偶然見かけた武道場でひとりひたむきに柔道へ取り組む姿に憧れ、入部していた柔道部。才能があった彼女は先輩として実力もあり良い指導をしてくれる恵梨佳と練習を続けるうちに才能が開花し、一年後輩ながら彼女を押しのけて団体戦のメンバー入りを果たすまで強くなる。しかしその後は思った成績が出せず残った後悔で、迷いがあるまま続けていた中学柔道部として最後になるかも知れなかった大会、そこで出会ったのが園田未知。劣勢でも楽しそうに、ふと勝機を見つけたら飛び込んで来るような彼女との対戦に、柔道に対する楽しさを久しぶりに感じて、彼女を追って青葉西高校に入学する永遠ちゃん。未知自身は実際に中学最後の試合となったその試合に敗北した後悔がなければ、もしかしたら柔道を辞めていたかも知れなかった、別の青春へと自分を切り替えていこうとしていた矢先での出会いで、早苗も含めた3人で柔道部を結成(復活、再始動)させる。

 それぞれの存在なくしては始まらなかった物語。

 ましてや永遠にとっては悔いを晴らすための勇気を得るための一戦、恵梨佳にとっては彼女とのパフェもいっしょに食べに行くような楽しい関係を築けていたのに、それをレギュラー落ち以降自分で壊してしまった後悔を晴らすための勇気を得る、そんな一戦。

 この試合がまた、アニメーションのハッタリが効きまくった描写で素晴らしい。思い切ったカメラワークで目を惹きつけると、試合で優位を取るための手捌き足捌きひとつ、展開が動くシーンでのスピード感は、あえて中割りを抜いてみたりする挑戦的なアニメーションをしてみたりと、とにかく楽しい。

 映像化される柔道という競技の細やかな駆け引きによって、スポーツとしての描写に説得力が出るアニメーション。決着をつける技も象徴的だし伏線も効いていて良いんですわ……。柔道描写への興奮度に合わせてそのバランスを踏み外すことなく、集中させて見せる一戦。

 その対戦後の晴れやかな涙の永遠ちゃんに、後輩へカッコいいところを見せながら、これからまた仲良くしたい気持ちが言外に伝わる恵梨佳の精一杯の笑顔と、チームメイトにしか見せない悔し涙が印象的でした。

 対戦を通じてストーリーと同時にキャラクターの背景を見せていくというスタイルは、斬新とは言わないけれども、スポーツものに気持ちを乗せるとても優秀な手法だなと感じました。

 ただこれはよほどハンドリングが上手くないと、描写がチグハグでテンポがないな、という印象を抱かせることにもなるので、見事に緩急として扱いきったスタッフ陣全員の技術が光った作品なのだと思います。

 さて、登場人物の魅力について語り尽くすと紙幅も尽きるし、もしこの記事を読んだあと作品を観たいと思ったひとがいると、邪魔になるのでメインの青葉西高校の部員たちを紹介します。

 まずは主人公の園田未知。明るい性格で物怖じをしない、なんでも本気で挑んでぶつかり、相手の良さを引き出して自分さえ高める。柔道に於ける創始者加納治五郎師範により提唱された指針のようなもので「自他共栄」というものがありますが、意図せずそれを体現してしまう、自分にも味方にもその相手にまでバフをかけるような存在というわけです。もしかすると、この作品にライバルは居ても敵が存在しないのはそういう指針に対する意識があるのかも知れません。

 未知の特性でもあるコミュ力お化けという部分はここに由来していそうです。ほんとうに真っすぐで、自分にウソをつききれない素直な子。元気だけど適当で勢いだけで生きていそうなのに、いつの間にか相手を巻き込んで楽しい雰囲気にしてしまう、そんな女の子です。生まれながらの主人公属性です。関わったみんなが時に呆れながらも惚れこむ女の子、そんな園田未知。

 柔道の実力に関しては、幼なじみで青葉西の剣道部所属の親友である南雲が認める「すごい低さでリンボーダンスをこなす」という身体の柔らかさや体幹面に由来するフィジカルはありますが、中学時代に技術面を獲得しきれなかったのか、伸びしろはいっぱいあるのに、ほんとうの実力が見られるまではもっと長い時間がかかりそうな、成長が物語になりそうなタイプです。

 作品として扱うスポーツの描写にあまり嘘をついてないぶん、すらっとした女性も描かれるのに対して、未知自体の身体つきは短身で、でも柔道をするには必要な筋力を感じさせるようなやや寸胴系。けれども先述した明るい性格やそれを精一杯に身体で表現するような表情の豊かさ、恋愛ごとに関しては妙に夢見がちな一面などまで含めて、視聴者にとっても見ているだけで目に留まってしまう魅力的な女の子です。

 そして、中学時代から部員の少ない女子柔道部を未知と支え続けた相棒のような存在のキャプテン滝川早苗。早苗は未知曰く「責任感の鬼」だそうで、自分に課した責任も誰かに背負わせた責任も自分ひとりで背負ってしまいがちなところもあるけれども、単純にいつもプレッシャーに負けるというタイプでもなく、時にはチームメイトや他校の選手から奮い立たされて気合いが入るような女の子でもあります。

 優しさのある委員長眼鏡タイプで、成績は親に学業成績を落とさないことを約束したのもあって、学年トップをキープしながら部活に励んでいます。

 柔道のほうは寝技を得意としたスタイルで、相手を疲れさせる粘りが重要な柔道。ずっといっしょにやってきた未知だけでなく、早苗の対戦を見た相手チームが警戒する程の寝技の実力を持っています。大会ではなかなか上手く勝てないものの、彼女の敗北がまたチームに勝利を引き寄せるタイプの、相手を消耗させつつ味方というか後述する先輩の姫ねーさんに「(この子のためにも)勝つ以外ある?」と思わせる女の子です。

 未知が全方向に力を与えるタイプなのに対して、早苗は味方に特化しているのかも知れません。彼女はほんとうに声優さんの安齋由香里さんの感情がそのまま視聴者にぶつかる質量になるような熱演もあって、地味な容姿に対してとても強いインパクトを残してくれる、ほんとうの名脇役です。

 それから、先ほど話した姫ねーさんこと姫野紬。未知たちの世代からすると2年先輩の3年生であり、美人さんです。青葉西の選手では唯一すらっとした体格でもあり、その分、階級への取り組み方がうかがえるところもありますね。

 女性部員が彼女ひとりになっていた柔道部を顧問の夏目先生と共に支え続けたものの、一度、続けるモチベーションを失って柔道部から離れていたところ、未知たちの柔道部復活(再始動、結成)とその一生懸命かつ楽しむように部活動に取り組んでいく姿に影響されたり(そこにはもうひとり未知に影響を受けた存在からの言葉も後押しに)して、彼女も半引退していた柔道部に戻り、顧問の夏目先生とともに指導を行いつつ大会に向けて必死に取り組み、とある回で、また素晴らしい一戦を見せます。

 情熱や努力などをあまり表に出さない部分があるのか、秘めた闘志に火がついた瞬間の彼女の振る舞いや試合ぶりには、三年生で残りの時間が短いという部分まで含めた必死さがあって、そこにまた視聴者としては気持ちが入っていきます。半引退中もバイトの合間にランニングを続けて体力維持を欠かさなかったりそのほか、こそ練の多い陰の努力派ですが、経験豊富な実力派であることを含めて、試合展開が手数も豊富で見ていて楽しい柔道をします。

 同世代で未知たちと出会った世界線が見たい、そんな姫ねーさんです。立ち居振る舞いひとつに姉御ムーブが入って最かわで最かっこよです。

姫ね―さん、ほんまカッコよ。。。

 続いては百合好きにはたまらねー女の子、南雲安奈。幼い頃から剣道を行い、小学校時代から全国レベル、高校は一年初の大会から剣道部インターハイ出場の立役者ともなる本人と父親曰く「神童」の南雲。

 そして未知への愛が重い南雲。本作では第一話から登場し続けるのですが、まあ、剣道部のくせに未知のやることなすことに付き合って、常に剣道部に勧誘しようとずっと絡みます。些細な行動ひとつにも、未知への距離感の近さが滲み出ます。未知の食べてるパンをこっそり奪おうとしてみるとノールックで逆襲に遭ったり。未知からは特別雑に扱われているようでもあり、その実、大会ではお互いに絶対応援してもらったり、もう重い幼なじみだよ。

 そんな彼女はOPED見てればだいたい分かるんですが、まあ予想通りの展開が訪れます。その決断に関してなんですが、決して軽率な考えじゃないのが良い。

 あくまでもこれまで大好きだった剣道を蔑ろにするわけではなく、きっと今しかいっしょに戦えない大好きな幼なじみとの時間を選ぶ(彼女は警察官の父を尊敬しており、その道のエリートコースを目指しているため、未知とは将来の進路が分かれてしまう)。

 アオハルが過ぎる。

 彼女の重い愛情が製作陣にも愛されちゃったのか、彼女がクローズアップされる回やシーンは美少女度割り増しで描かれることが多いです。南雲かわいいよ南雲。

 そんな彼女たちの物語を動かしてくれた氷浦永遠ちゃん。一目惚れ感覚で柔道部に入部したり、そんな柔道で得た感覚を再び得たいという想いで、有名私立高校からのスカウトを蹴って、一度しか対戦していない園田未知が志望する青葉西高校を受験したりと、なんだかんだいっていちばんお前勢いで生きてねえか、というような天才柔道少女です。(天才ってそういうものなのかも知れないんですが)

 彼女はこの作品にしては珍しい、割と明示的な陰のひとの性格持ちです。特に中学時代などは周りから指摘されるほどのマイナスオーラを持つのですが、未知との出会いや再会を経てからの日々を過ごすうちに、少しずつ自分の言葉で言うべきことを相手に伝えられるようになっていく様が、未知とは対になっている存在のようで面白いです。お互いがまるで違い、だからこそお互いの良い部分を認め合って高めていけるような、部内での「自他共栄」の象徴的な関係性かも知れません。

 実力は明示されていませんが、インターハイ出場レベルの二年生を瞬殺するほどなので、よほどのレベルにあたると思います。それがゆえに団体戦だと大将枠に置かれがちなため、はっきりとした実力が描かれる場面は今のところ少ないですが、ひとつ言えるのは恐ろしい吸収力の高さでしょうね。中学から柔道を始めて、小学校時代には柔道を始めていた未知たちを圧倒するほど、あっという間にその実力を追い抜いており、作中でも大会中に部員たちやその対戦相手が使用していた技を見よう見まねで、一段階レベルの違う連携にまで持っていけるような吸収からの応用力を持っていたり、顧問の夏目先生も認めるほんとうの実力者です。

 彼女がいちばん活躍できる出番ってなんとなく、未知の柔道が完成される場面と重なるんじゃないかな、とかなんとなく思っちゃうので、こう、最終話のようなものがあるならば、ふたりの最高の状態がぶつかり合うような一戦とかが観たいですね。同じ学校の部員なので個人戦とかで、と思うんですが階級が違うので、まあ、なにかしらのエキシビションみたいな形でも観てみたいものです。

 最後に女子柔道部顧問の夏目先生、これって地味に発明なんじゃないかなあと思います。一見イケメン男性のようなでも女性らしいかわいらしい一面も備わっている、「部員には無理させすぎないブレーキ役にもなる指導者」。この部、やる気のある生徒ばかりが居すぎなんですよね。みんなこそ練するし……。

 まあ先述の部分でもちょっと特殊な面はありますが、発明的かなと感じたのは大会全体や試合描写における立ち位置ですね。夏目先生は非常によく生徒のことを見る、とても面倒見の良い先生です。ひとりきりの柔道部を支える姫野に対して、練習だけでなく頻繁な出稽古にも付き合ったりと、それだけでキャラクターとしては充分仕事しているんですが、対戦での顧問キャラなら特有の「解説役」ポジションに立ちがちと言いますか、彼女も決してそこをやらないわけじゃないんですが、それにプラスして必ず「対戦中の生徒への愛がないと出てこないようなひと言やエピソード」がぽろっと出てくるんですね。そのひと言が挟まるだけで、彼女たちの対戦の物語にひとつ重みが乗ると言いますか。実はこの作品、1期の描写に関して言えば、ほとんど部活動として練習する風景は出てこないんです。

『はじめの一歩』とかはむしろ対戦の前の描写で対戦への重みや伏線を多く張っていく感じになるのですが、この作品はいわゆるそんな修行パート的な部分を端折って、柔道部員が集まるエピソードと大会の話にほぼ全振りしてます。

 こういった感じだと抜けがちなキャラクターへの思い入れ、対戦相手の強さや部員たちの成長の姿が夏目先生の言葉で象られていきます。おかげでお話のテンポを落とすことなく、なんならシーンのテンポすら落とさずに対戦の重みを作り上げてしまう、そして、対戦後の特に敗戦後の人物に語りかける言葉の優しさが好きです。大体がもう生徒愛に溢れて、そして勇気を与える感じでカッコ良すぎるので、是非このあたりは作品を観られてください。

 また、対戦相手のみんな魅力的なんすわ。マジでほぼ一期一会かよお前らというくらいに、キャラクター性と彼女たち自身に乗るストーリーが見える選手たち。天音さんが所属する同じ地区の強豪、霞ヶ丘の選手には特別の扱いがある雰囲気なので、以後も描かれていくのですが、まあこの辺りもまた、これから触れられる方には観て欲しいところです。

 最初は青葉西の選手を応援していたのに、途中から「どちらも勝て! 3回戦だけど両者優勝!」みたいな気持ちになる対戦相手も応援したくなるスポーツアニメ作品です。

 柔道の対戦にはアニメーションでしか味わえないタイプのハッタリの利いた臨場感にスピード感や迫力、それに爽やかな感動があって、些細な描写であるのですが、楽しく女子をしている姿が時に眩しく見えたりして、そんな彼女たちの姿をずっと観ていたくなります。マジで最新話の更新をかぶりついて観ていたし、すでに相当回数周回しております。そんな個人的にも勇気を与えられる大切なアニメになりました。

「欠点? はあ? 2期の報がまだないこと以外ある?」

 加点法10000点くらいつけたいアニメでした。


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1位. オーバーテイク!(TROYCA)

 

 個人的に今年のダークホース中のダークホースでした。そして同時に、『もういっぽん!』がグランプリで、『オーバーテイク!』が最優秀作品賞みたいなW優勝みたいな感じでも良いかなと考えていました。それだけ自分のなかで、どちらも大切な作品になりました。差は誤差程度と捉えてくださいませ。

 さて、この作品はF1を30年間くらい観てきたモータースポーツ好きの自分でも、この作品に出会う前は知らなかった「F4」という下位カテゴリーのモータースポーツが扱われるオリジナルアニメ作品になります。

 F4とは簡単に言えば、現在日本で行われているフォーミュラレースのなかでも最も参加ハードルの低い階級になります。

 それゆえにここで育成を受けて、上位であったり別のカテゴリーのレーシングドライバーとして、受け入れてもらうための若手ドライバーの登竜門のような存在でもあり、同時にお金持ちの道楽のようなシニアのエンジョイ勢も参入してくるカテゴリー。作中では20チーム36台が参加、F1が現在10チーム20台であることを考えると倍近く参戦する闇鍋状態です。

 特徴は、車体そのものの性能差をほとんど与えない厳しい規則。細かいダメージ状態さえ同じならほぼ同じような車に乗っていると言ってもいい、モタスポ好きのひとには「ワンメイクのイコールコンディション」縛りです。

 本作ではその縛りによって、レーサー同士が実力で競いやすいカテゴリーとして扱われます。

 ただ、この作品をいわゆるスポーツものという枠に入れると、少しお話の解釈にズレが出やすくなります。本作はモータースポーツを描く中心のひとつに入れた「ヒューマンドラマ」と思ってください。そうするだけで作品の評価軸は大きく変わります。

 アナウンスは足りてない気もしましたが、公式的にも「人間ドラマが中心の物語」であるとあおきえい監督が制作発表会でも述べられてました。

 

https://natalie.mu/comic/news/509705

 

 内容ですが、フォトグラファーである主人公「眞賀孝哉」が仕事の関係上、偶然富士スピードウェイでのSUPER GTのレースを取材することとなり、その経緯からF4というレースと、そこに参加する「小牧モータース」という弱小チーム、そのエースドライバーである高校生「浅雛悠」に出会い、その一見したクールさからは想像もつかなかった、予選順位が低くてもレースでぐいぐい相手ドライバーをオーバーテイク(追い抜き)していく、ひたむきなレースへの姿勢に感銘を受けて、孝哉がずっとできなかった「人物の撮影」を久しぶりに行えるようになるダブル主人公のお話。

 という導入部のストーリーです。まあ、手堅い脚本ながらかなり地味に感じられると思います。しかしながら、その物語が進むにつれて、とても丁寧かつ深く脚本が練られていることに驚くかと思います。

 1話のあのシーンが、最終話ではここに活かされる、2話のあのシーンが最終話では……などなど、中盤にもしっかりとした見どころはあるものの、その集約されたものが一気に放出するのが最終話です。

 

“よどんだ水がたまっている
それが一気に流されていくのが好きだった
決壊し、解放され、走り出す
よどみの中で蓄えた力が爆発して
すべてが動き出す——“

『宇宙よりも遠い場所』より

 

 あの作品と直接比較するわけじゃありませんが、作品の細かい描写に触れているほど、思い入れるほどに一気に感情が流れ出す、あの最終話の構成は、よりもいの12話、13話のような感覚を覚えました。

 ここに対する当て書きで、他のエピソードを逆算的に構成していったんじゃないかというくらいには完成されてます。

『オーバーテイク!』最終話のエンドロール中はさわやかな涙を流しながら拍手してました。誇張ではなく。

 ただ、難しいのがこの作品は良くも悪くも演出に欲がないです。ほんとうに「あの頃の伏線だぜ、回想ドーン、泣こうぜ!」みたいな、あっても良いアピール感のある演出がほとんどありません。

 それを欲のない美徳のある作品ととるか、物足りないととるか、そのあたりは人それぞれになってくると思います。この作品に「繊細な人間ドラマ」という認識をいかに早く持てるかが大事で、そういった導入の仕方としては、デモムービーなど事前のアピールも含めて周知が足りない、宣伝などの戦略に少し迷いがあったのかな、なんてことを思います。

 とは言え、作品そのものは素晴らしいです。正直豊作だなと思った今年のトップに推すほどだと感じています。

 

 “偉大なる脚本家、橋本忍の著書『複眼の映像』に、以下のような記述がある。「(略)脚本にとり最も重要なのは、一にテーマ、二にストーリー、三に登場人物(略)」”

ふでやすかずゆき『ヤマノススメ公式設定資料集』スタッフコメントより

 

 この後、ふでやす先生の「優先順位の一、二、三はさておき」で登場人物を描く重要性について書かれてゆくんですが、この三つがおおよそ等価に、しかも大事にして描かれたのが本作であると思います。

 これもやっぱりネタバレはある程度省いていきますが、テーマ性に関してはタイトルでもある「オーバーテイク!」という言葉がとても大きな意味を持つものであり、そこに向けての登場人物みんなの物語があります。

 主な登場人物はみんな作品のなかで、ぶつかり合いながらも成長していきます。当たり前の人間ドラマの構成ではありますが、そのひとつひとつの考え方の変化やステップアップに一段飛ばすような雑さがなく、物語のなかで自然と身につけていって、お互いにシナジーを与え合う。

 話を観進めるほどにこの作品への理解が進んでいきますが、主要人物である浅雛悠と眞賀孝哉の抱えた心の「負」の部分は、とても重いものとしてあります。アニメの全12話で乗り越えるにはなかなか難しいと思えるほどのものですが、それをキャラクター同士で乗り越えていく感覚が素晴らしい。

 それこそとても難しいハンドル捌きの脚本です。扱うテーマ柄、避けては通れない難しいお話もしっかりと誠実に描き切ったがゆえの感動が得られます。

 重いテーマを持つヒューマンドラマのカタルシスを描いた脚本として、今後教科書レベルのものと自分は扱っていくんじゃないかと思えるほどです。

 しかし、登場人物もみんな魅力的でしたね。

 主な視点人物でもある、眞賀孝哉。彼は勢いで生きているような、一度レースを観ただけで悠を応援するためジェットコースターみたいに動いて、悠を振り回しながらあらゆる行動で彼を支えていこう、進ませていこうとする主人公。彼自身、ひとに手を差し伸べることに関して、実は大きなトラウマを持つ人間であり、また振り回される浅雛悠も、全く同じではないものの差し伸べられた手や「応援すること」「応援されること」に強い拒絶意識を持つ人間です。

 ただ、そこが人間としての悪い部分に映るのではなく、孝哉の場合は人間として持つ弱さのひとつ、一見楽しいだけで生きてそうな彼に乗る強い重みのような感覚であり、悠のほうはどちらかというと青臭いツンデレのような突き放す描写としてある程度、キャラクターを受け取りやすいようにチューンされています。

 こういった人物の見せ方は他のドライバーである春永早月や徳丸俊軌にもしっかりとなされていて、変なキャラクターのように見えるから印象に残るけれども、その裏にはきちんと自身の行動指針やそう動かざるを得なかった生き方の軸のようなものが存在します。

 それゆえに、彼らのそれが物語を通して変わっていき成長していくその姿、過去の自分を「オーバーテイク!(乗り越える)」していくのがひとつ大きなテーマです。

 だから、1話の孝哉の応援シーンと最終話の孝哉の応援シーンが、全く互いにとって違った意味を持つと作品自体を通して伝わるものすごく丁寧なつくりです。

 ただ、これはあまり口で語られる部分ではありません。最小限のアピールしかない、「読むアニメ」になっています。素晴らしいストーリーの一方で視聴者側として全部読み取る気がなかったら、口当たりとして少し軽めの人間ドラマ混じりのスポーツ作品、くらいの印象にしかならないかも知れません。

 だからこそ力いっぱいこの作品に触れて欲しいわけです。それに応えるだけの面白さ、懐の深さを備えていると思います。印象を与えるシーンには、そのシーンの構図ひとつから意味を持つという点で、『葬送のフリーレン』のように味わいのある深みの寓意性が活きた作品です。

 作品のテーマ上、リアルでありながら実写でやり切るのは難しい、アニメならではの誠実な素晴らしい人間ドラマが味わえます。ほんとうに脚本に関して言えばここ数年レベルでもトップクラスと呼べるはずです。

 

 物語についてはひとまずこの程度にして(なあ、この時点で感想長くないか? (I)「愛ですよナナチ」)、次はビジュアル面です。

 悠くんめっきゃわ!

 黒髪で青い瞳のクリっとした目が最高。そしてレーシングスーツのインナー姿なんかの、研ぎ澄まされたダウンフォースの効いた(効いてない)少年ボディライン最高です。かわいい女子大好きな自分ですが、こういうかわいい男子もキャラクターデザインとしてとても好きです。さすが、中性的な少年少女を描かせたら右に出るひとのいない漫画家、志村貴子さん(『青い花』は自分のバイブルみたいな一作です)によるキャラクターデザイン。特に悠はその志村さんイズムのようなものを受け継いでます。

 男性性の魅力であるある種の肉付きのなさ、少年ながらも小顔で凛々しく、フィジカルゆえのシュッとした立ち姿はモデル体型のようですね。けれども、あどけなさを持つぱっちりした目鼻などの顔立ちや表情にも、男性的な魅力と少女的な魅力が混在しています。作中でうっかりエモいとの言い間違えで「エロい」と表現されるその泣き顔は、実際エロいと思えます。

えろい

 17歳である彼を中心とした、悠とほとんど兄弟のように育った小牧錮太郎や早月に、珍しい女の子キャラの亜梨子ちゃんなど少年組もポップなデザインで作品の中核をなしますが、かといって大人を描ききれないわけでないのがまたこの作品の魅力。

 孝哉の人生経験や性格が絶妙に容姿や表情にも現れるこの作品。36歳、悠たちにとっては兄貴というより親父にも近いようなちょっと若さも混じるおじさんな彼の雰囲気もきっちり、ストーリーを経るごとに味わいや深みのようなものを帯びてきます。もっと上の年齢層である、小牧モータースやベルソリーゾのチームオーナーの小牧太や笑生さんまで、表情は細かく、明確には出てこないながらも恐らく孝哉よりもいくつか高い年齢を表現しています。

 互いに違う形であれ、「グラデーションのある面白い人生」を送ってきたであろうことが伝わる最終話など、ふたり直接の会話なんかも負けず劣らずに渋いキャラクター立ちをしています。

 エモいのは年齢層が上のキャラクター陣かも知れません。孝哉の元結婚相手である、冴子ちゃんと孝哉の関係も「復縁はよ」というような絶妙な距離感の掛け合いを見せますし。

 孝哉とさえちゃん、悠とコタくん、メインカプ(メインカプ言うな)孝哉と悠の関係性など、ちょっとした湿り気のある描写が、へたなラブコメより細やかな人間同士の好意の動きを見せるので、そういった部分が好きなかたにもたまらない作品となっていますぞ。

 少し話はズレましたが、この作品は見せ場であるレースシーンのCGアニメーションから、日常的なシーンの手描きシーンまで無茶苦茶に高い作画レベルを誇ります。2話の御殿場地元小口スポンサー探しの商店巡りなんかも、ロケハンした実店舗の実写かと見紛うような背景のなかで、キャラクターが浮き立つことなく描かれる細やかな作画には本気で驚かされます。

ほんと背景スタッフさんに敬礼

 マジで脚本が弱ければむしろ作画アニメとして逆に注目を集めたんじゃないかというレベル。背景に映り込んだ雑草の描写の細やかさにすら、気にしようと思えば目に留まります。

 ものすごいカロリーをかけ続けた背景描写やそのに立つキャラクターまで含めた構図の素晴らしさなど、アニメーションにはほんとうに全く文句のつけどころがありません。強いて言えば、スタッフさんにはきちんと良いお給料とお休みを与えてもろて欲しいとかそんなんです。

 そのなかでもまた、手描きのシーンとは別種の素晴らしさを見せるのがレースシーン。やはりスポーツを扱うアニメの華といえば、そういう競技シーンの見せ方になると思いますが、この作品の凄いところとして、作中に登場するサーキットはフルにCGでモデリングをされてます。しかもその描写も丁寧で、恐らく実写比較などをしてもほとんど差が読み取れないほどなんじゃないでしょうか。2017年にはサーキットへの最初のロケハンが行われたという制作規模の大きかったこの企画。さらっと言ってますが、異常なお話。縁石の段差まで描ききるような細やかさに、コーナー前のブレーキ痕にいたるまで手を抜かない丁寧さ。

路面視点正面アップというカメラワーク

 自分は必ずしも画面情報量が上がるほど良いアニメーションとしているわけではないです。特に『もういっぽん!』なんかはそこを取捨選択した素晴らしい例だったと思いますが、『オーバーテイク!』の場合、こういった微に入り細を穿つような描写が、作品の持つリアリティラインを担保しているというのは間違いなく、そして物語の強度に寄与する関係性になっていると考えます。

 物語のなかに現実の世界をつくり込む必要性があった、新海誠監督作品のようなものなんじゃないでしょうか。

 さて、この作品のレースシーンは物語をシーンに載せて、登場人物の抱えた背景に意味を生み出し、変化させていくというスポーツものらしい部分を持ちながら、実写で出せないハッタリのようなカメラワークによる、映像そのものの迫力や快楽性があります。

 各レースに於いて、絶対にその登場意図があり、違った形で映像興奮度を持つ、そんな一戦一戦の描写です。晴れの富士スピードウェイ、雨の鈴鹿サーキット、全てに登場人物の想いの居場所が絡み合います。

 雨のサーキットはほんとうにヤバい。F1を観ていると年間数回程度は出会い、ときにはその状況から引き起こされるクラッシュや、ほんとうの衝撃映像みたいな大事故まで見てしまうことがあります。それが起こり得る恐ろしさのようなものが、きちんと表現された描写にはもはや楽しんで観られなかったですね。レーサーたちへの「無事で帰ってこい」に切り替わる。

 ただまあ、これはフィクションだから攻められる部分を非常によく突きながら制作された美点でもあります。ノンフィクションの実写だと辛くて観てられなかったでしょうから。

 こういった映像の与える重みや恐ろしささえ、作品としてはカタルシスを与えるものになっています。

 テーマ上、絶対に避けては通れない重要な回がひとつあるのですが、これも丁寧に表現されます。キツいエピソードではありますが、そこにもまた「主人公たち」、「そこに生きる人々」、「テーマ」、「物語上の意図」があります。

 音響面も力が入ってます。実車の音やビジュアルを再現するためにシャーシ(車体の全体)やそこに載せるエンジンやタイヤに至るまで、きちんと協力をもらい、F4のレースの音を再現しています。同じく協力をもらっている元F1パイロットでもありF4の創設から競技を支える人物、服部直貴氏も太鼓判を押すそんなシーンをぜひ体感してください。

 最終話のBGM無しの1分10秒に耐えられる映像とレース音の生々しさは素晴らしいです。

 OPテーマやEDには超有名ミュージシャンのタイアップが、というわけではありませんが、それゆえに非常に作品解像度の高い歌詞で歌われます。

 OPテーマは特に全ての歌詞に意味が出ます。詳細は省きますが、全話視聴後にフルコーラスを聴くと、その意味にゾクっときますしそもそも爽やかな口当たりの良い青春チックなポップスが気持ちいいです。

 全ての部分に細部の造り込みを行ったこの作品、フォーミュラカーともいうほど、膨大な取捨選択を行いながら制作されたであろう、そして驚くほど作品協力企業や細かな実在の商店たちなどに支えられたこの作品。そのものが作中の小牧モータースのマシンのように感じられてきます。

 ラップを重ねるごとに意味を読み取れていく脚本はほんとうに最高です。

 多くのひとに観て欲しいし、できれば周回視聴をして作品のテーマや描写意図を細かく読み切って欲しい、そんな一作です。重みはありますが、最終話はそれがカタルシスとなる、人間とその「オーバーテイク」の物語を描く、素晴らしいスポーツエンターテイメントドラマです。

 好きなセリフは「なんでも勢いよくガーッていったら、ゴーッてなって、いちばんになれるって!」「ガーッといって、グイーン!」「今日のベルソリーゾは強いよ〜」です。

 あと最終話のアニメでしか作り得ないワンカットシーンは昨年でもトップ3のアニメーションとして推したい、アニメならではの最高に興奮度の高いハッタリです、こちらもぜひ本編で。

「オーバーテイク!」というテーマを受け止めた自分自身にとって、生きる指針とでもなるような非常に大切な一作となりました。できればこの作品の持つものが多くの方に届くことを心から願っています。

 そんな、2023年、ベストアニメです。

2023年の個人的アニメ、ポディウムの頂点に

komaki-motors.com

 

 

 補足として、実は『BanG Dream It’s MyGO!!!!!』や『スキップとローファー』、『好きな子がめがねを忘れた』など、選外にもほぼランキング入りしても良い、MyGOあたりはトップ5に近い衝撃度の高い作品でもありましたが、作品をきちんと読み取れる視聴回数ではなく、ランキングからは外しております。

 瞬間的な面白さはこのあたりもランキングに入っていておかしくはありません。もし再視聴して気持ちが入れ替わったらランキング内容にも多少の変動は加えるかもしれませんが、ほぼこのランキングベスト5は揺るがないと思って良いです。

 豊作だった今年、特に非常に予算の高そうなスタジオバインド系の『お兄ちゃんはおしまい!』『無職転生』第2シーズン、『薬屋のひとりごと』など、ランキング外にも様々な作品がありましたが、特にベスト5はここ数年のなかでも推していける素晴らしい作品だったかと。

 お時間があったら、自分が挙げたベスト10以外の作品にも触れてもらえたら。

 2023年はほんとうにアニメに集中する上で幸せな一年だったと思います。

 

 

 さて、2023年放映作品とはまた別に『月がきれい』、『四月は君の嘘』、『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』シリーズ、『響け! ユーフォニアム』シリーズ、『ARIA』シリーズ、『フルーツバスケット』リメイク完全版などなど、様々な過去の作品を新たに観ておりましたが、その中でも、個人的に人生へ影響を与えるレベルに残った作品を、今年の裏ベスト作品として、挙げようと思います。

 

・ルゥシイさんの2023年裏ベスト作品(過去作品視聴ベスト)

 

『たまゆら』シリーズ(TYOアニメーションズ、ハルフィルムメーカー)

 大傑作でした。初めて聖地巡礼をしたいと思って実際最後まで視聴した2023年に勢いで計画立てて、巡礼のため竹原まで二泊三日で赴きました。この話はいずれどこかで別の記事にでもするとは思いますが、体験として素晴らしく、その後のこの作品の視聴感覚を変えるもの、舞台がはっきりしている作品の見方もかなり変わりました。

 ただ、この作品なんですが、恐らく『けいおん!』シリーズを観た直後あたりにすぐ触れているんですよね。

『カレイドスター』が好きだったので、すでに知っていた佐藤順一監督、『けいおん!』にハマっていたこともあって当時記憶に新しい脚本の吉田玲子さんによるコンビネーションで、女性キャラクターたちの癒されるような感動的な話が描かれるのだろう、みたいな期待感が、たぶんあったはずです。

 ただ、昨年観始めたときに、OVAまでの記憶はあったものの、テレビシリーズであるhitotoseと2期であるもあぐれっしぶの記憶はありませんでした。要はその当時、自分にとって観たい作品にはなってなかったと思います。

 それが年齢的なものか人生経験的なものかは分かりません。とにかく期待に対する違和感が大きかったことだけはよく覚えています。

 初見からは10年以上の人生を経て、まあそれなりに色んな経験は致しました。仕事環境も全く違い、それなりに趣味の変化や様々な人間との出会いや離別なども経験しています。

 そんななかで再び観る作品は全く違う色合いを帯びてくることとなります。

 ひとつ作品を観るうえで欠かせないこととして、ごく軽くではありますが写真の趣味を持った時期があること、漫画などから学んだ技術がほとんどではありましたが、デジタル一眼を持ち歩いて色んな観光地なんかを撮り歩いたりして来ましたし、カメラを性能の兼ね合いで手放して以降も、スマートフォンで撮る写真には未だに多少の凝り性みたいなものが残っています。

 また決定的なのは作中のぽってと同じ父親との離別を経ており、その時ですら自分はまだ完全には立ち直りきれてなかったですし、完全に全てが忘れられたりすることなどないのだと思います。

「ぽっては俺だ」と思うほど傲慢な気持ちはありませんし、彼女が物語のスタート地点で手に入れている芯の強さに、筆者は全く追いついてないと考えます。

 その上で、やはり作中の色んな要素が今では自分にとって、余所事ではないように映るわけです。

 同じものでも見る目が変わるととても感じ方が変わると、前向きに感じることができました。それは恐らく自分にとって最も作品へのピントが合うタイミングで、この作品に触れることができた幸運のようなものです。

 さて、作品そのものについては最高の一作でした。沢渡楓というひとりの少女の、父の喪失から立ち上がる成長を(あえて物語の始まりとしてしっかり描かずに)経て、再生と巣立ちその全てをシリーズ全てで紡ぎあげられた素晴らしい作品。

 ぽって(沢渡楓)が歩き出すため再び手にした父のカメラと竹原という土地での出会いで始まった、彼女の高校生活、かつて父と暮らした、父の暮らした土地であるがゆえに、さまざまな場所へ訪れるたび、父親と暮らした日々の温かい記憶や優しい記憶に包まれていた、そのことが思い出爆弾のようにぽってに降りかかり、彼女は必ずしもそれを悲しいことと受け止めずに前へと進んでゆく勇気に変えてゆく、そして彼女とその友人たちとの再会や出会いから描かれる、迷いとあぐれっしぶな前進という成長の記録。父から受け継いだローライ35Sがその息を引き取るまで、彼女はたくさんの出会いを思い出をフィルムに収め、写真にしてきました。

「みんなで見た朝日山からの景色」「『友だち』みんなで観た黒滝山」「憧憬の路を楽しむ竹原のひとびと」「バンブージョイハイランドでの生誕記念の樹」「ちひろちゃんと観た花火」や「かなえ先輩が素直な泣き顔を見せた初日の出の日」、そこには笑顔も泣き顔も成功も失敗もあらゆるものが残されていて、大事なものはそのすべてがぽってにとって必要で、出会いや想いの全てがたからものであることです。

 彼女のこれまでの写真はすべて、父の喪失もひとつの素敵なたからものにつなげてきた、そんな沢渡楓というひとりの少女が、新しい日々に向かっていくための、学校から贈られるものとは違う、想い出のアルバムのなかに卒業写真として仕舞われます。

 親元から離れる旅立ちを寂しさでなく笑顔で迎えられる、そんな彼女の成長を映したこの作品は素晴らしかったです。始まりを飾るOVAのオープニングテーマである坂本真綾の『やさしさに包まれたなら』、テレビシリーズ1期の『おかえりなさい』を始めとして、毎話のように登場しては癒やされるメインテーマやあらゆる劇伴に作品の肝心な箇所をしっかりと演出してくれる数々の挿入歌なども素晴らしく、特に劇場上映のOVAシリーズである『たまゆら -卒業写真-』その最終章である『朝 -あした-』の最後を飾るテーマに、同じく坂本真綾がカバーする荒井由美『卒業写真』を持ってきた心憎さはベタながら最高に利いていました。このアニメを経て「卒業写真」という曲の歌詞に対する解釈もかなり変わりました。

 最初は長距離恋愛に恋人との別れを経た彼女が、再び出会う元恋人にあてた感傷の歌のように感じていましたが、作品視聴後はどこか、作中の登場人物にあてたような歌詞に見えてくるのですが、当然ながらこの歌のような切ない未来自体はこの作品には登場しません。もしかしたら、ぽっての母である沢渡珠恵さんから父の和馬さんへかも知れませんし、ぽってとぽって部の誰かかも知れません。麻音たんみたいな実家の太い女は知らぬ。

 竹原を始めとして尾道や大久野島など瀬戸内海の実在するあらゆる景色を最高に美しく切り取った背景美術も素晴らしかったですね。特に1期2期、それに卒業写真でも登場した、竹原で実際に行われる「憧憬の路」という町並み保存地区という時代の息吹が残る古い景色を優しく彩る竹あかりの祭り。この日を扱った回は物語の内容そのものもぽってたちのターニングポイントになり、それでいながらとても美しいアニメーションをしており、背景やそこに映り込む人物の竹あかりによる影の描き込みがとても静かな良い映像表現です。彼女たちの表情や動きの細やかな描き分けなど、元々非常に背景描写に凝った作品ではございますが、この部分に関してはほとんど芸術レベルというか、なにかしらのアニメ大賞に能う映像美であると思います。

 ぽってとともに歩み成長していきあらゆる思い出を彼女と共に刻んでいくかおちゃんやのりえちゃん、麻音ちゃんのぽって部員、ぽってと偶然出会い写真部として入部し、ぽってとともに成長しながら終始かわいい存在であり続けたかなえ先輩(かわいい)、それからぽってのお母さん(珠恵さん)にお婆ちゃん、そして志保美さんやさよみお姉ちゃんたち、そんなあらゆるぽっての出会いが彼女を支えてくれたことも素晴らしくて、特に大原さやかさんの演じたさよみお姉ちゃんや、緒方恵美さんの演じたぽってのお母さんは、主役のぽってと並び、声優さんの熱演に支えられ素晴らしかったです。あとは語尾が「なので」でおなじみの和馬さん役の熱演(記憶を混濁させる魔法だよ)含めたパパ以外のパパである、日の丸写真館のマエストロ役中田譲治さんや2期から登場する夏目望パパ役の緑川光さんなども作品を支えてましたね。

 作品を支えるあらゆる全てに恵まれた傑作であり、どんな失敗やつらい経験を経ても、潮目が来たときには前に進めるようになること、その気持ちや様々な準備や努力を行っていくことの大事さを伝えてくれた、ひとの人生を映す鏡のような、いやむしろ、そのひとつの輝きを持った瞬間を捉える写真のような、そんな人生を支えてくれるような一作になりました。

 さいかわはかなえ先輩だよ! かわいい以外に特になにもない女の子が大好きや!(好きなキャラのこといきなり解像度浅くなるのやめて、あと後味残して

好きピしゅぎてめっかわのきゃわ

tamayura.info

 

 

・ルゥシイさんの2023年ベストアニメ映画ベスト3

 さて、最後の項目ですね。いやあ長いようで短かった。(クソ長い、自害しろ)(うぃ)

 昨年は映画を、というかアニメ映画ばかりですが、15本で4DXなどの別環境で観たい作品などを含め作品につき複数回行き、合計は20回ほど劇場に赴きました。

 アニメファンとしてはもっと行けたやろ感もありますが、まあ一度にグッズ購入でアホ出費することを考えると、この程度にしておかなきゃ身を滅ぼしますし、彼。

 さて、前回の上半期記事でアニメ映画にも軽く触れてはいましたが、どんなランキングになることやら。

 

 

3位. 劇場版SPY×FAMILY CODE:White(WIT STUDIO × CloverWorks)

 

 アーニャアイドルだからうんこしない。

 ここ日本にあるアーニャ学会ではそんな議論がなされていた。SPY×FAMILYを原作からきっちり読み解いた有志や、アニメをなんとなく観ていてただよだれ垂らしながら「あーにゃかわいい」とIQ.0.00002くらいの生き物のように言っていた筆者までを巻き込み、全国の学会は荒れた。それは国内に訪れる東西冷戦の引き金ともなり——

 

 ませんでした。まあ、アーニャそうかあ、うんこするよな。アーニャだもんな、割とすげえ分かる。

 さて、昨年末の大トリを飾ったこの一作。ファミリー層向けとはいってもちょっぴりアホみたいな内容です。トム・クルーズが金出してつくるトム映画みたいな、はりうっど版SPY×FAMILY。まあこういうのが観たかった、というよりこういうのは絶対やるだろうなの期待にそのまま応えた、アメリカンなぶっ飛びかたをしたエンターテイメント作品でした。

 おでけけのアーニャかわいい!!

 ちちがかっこいい!!

 ははバトルがエグい!!

 あと、よそのおうちのヒトを噛む犬。

 フォージャー家4本柱が綺麗に揃ってましたね。

 たぶんこの作品、あくまでも劇場版オリジナルストーリーという側面もあるため、Season2を観てきたらより深く分かるみたいなそんな要素はそれほどないですし、ストーリーも特別連動しているわけではありません。主役であるフォージャー家のお話と、テレビシリーズで特に描かれていないであろう部分だけで、掘り下げも少なめに作らねばなりません。

 というわけで、国家保安局のユーリくんとかは今回存在ナーフでおなしゃす、というくらいほとんど出番はありませんでしたが、

 いやほんとマジで、テレビシリーズと比較すると良いところ上げるの少し難しいんですがこれ、クリスマスから正月にかけて観る映画としては満点なんですよね。次期柄とかそんなに大事かとか思われたりもするかもですが、正直年末のあれやこれや忙しやがある中で家族サービスしたいけど、いちいちアウトドアわいわいとかやってられない寒さの時期にはとてもあたたまるお話でもあり、「ええいパパ、娘へのクリスマスプレゼントここで買っちゃうぞ(場合によりぱぱじしんもふくむ)」みたいなことを、売りつける気満々のはちゃめちゃな数取り揃えたグッズが構えて待つ映画です。

 中身がない? それで結構なんですわ。なんとなく子どもと行って、「いやー! 楽しかったなあ!」「うん! このシーンが面白かった!」と子どもと笑い合える内容で結構。

 とは言いますが、このSPY×FAMILYの勝手知ったるテレビシリーズ助監督とそのまま並行で劇場版もやってくれた大河内一楼さんによる脚本でなんの仕掛けもなくただの家族向け娯楽だけに簡単に収まるわけではありません。

 周回して観ると、無駄に感じたトイレの神様のシーンが、地味に毒ガスを抜く奇跡に繋がったり、アーニャが散々我慢してきた苦労を、実は神様が見ていて助けたシーンにもなったりします。

 そういうのにもう少し深い理由付けが欲しい方はそれ向けの作品まだいっぱいありますし、もうちょっとグラデーションが深めの色合いのSPY×FAMILY脚本は、同じような尺でもSeason2のプリンセス・ローレライ号篇でやり倒してはいたので、ここはある程度色合いを変えた作品づくりが退屈させずに決めてくれたと感じました。

 もうマクガフィンが笑えるます。別にたぶん要らないチョコに包んだマイクロフィルム、それをアーニャが食べてしまったことにより、追われて捕らわれるお姫様属性のつくアーニャ。その代わりで済まんがきみはうんこ我慢して顔芸をいっぱいやってきてくれってな具合。

 とはいえ、作品としての軸をきちんと離れることなく、映画の尺でのエンターテイメントへ繋げる手際にプロの技を感じました。

 ロイドがまだオペレーション・ストリクスにこだわる気持ちの遷移や、ヨルさんが前向きに家族たろうと気持ちを前に進めていく覚悟の決まった思いの表れ、アーニャの持っている要らん子コンプレックスのようなものに対する、みんなのために一歩を踏み出す行動、終末に仮族全員で家族サービスをするお死ごとぶりは良かったです。

 それが各々の持てる力を活かし支え合う、というところまで含めて、実際ジャンプ漫画らしさもありました。

 映像美については、クールアニメのほうの説明で大体話していた通りかと思いますが、その上で北国「フリジス」の冬景色や、そこに暮らすひとびとのあったかさと、邪魔にならない程度に入り混じる夜には栄えていない世相の暗さなども含めて、実はとても深く描かれていたのではないかと思います。

 脚本に百点満点だ!

 というわけではないのですが、こだわり抜かれた映像のなか、激しく闘い時に面白く動き回ったり、某有名スパイ映画シーンのオマージュがまんま入ってみたりの、ベタなパスティーシュ感も頭を使わずに観ることができて楽しかったです。

 作中に登場するような、お祭り騒ぎのこの作品。本編ほどえぐみを出しにこなかったのはむしろ気持ちを楽にしてくれて良かったという気持ちになります。

 なにも残さず楽しさだけいただいて、あとアーニャグッズに二万円(買うものは初回上映前にほぼ絞っておいたので時間はかけませんでした)出して、後続の家族さんに見られながら、自業自得のちょい恥ずかしい思いはしましたが、それもひとつの体験だという思いになりながら、「たのしかったなー」と、隣にいるピンク髪の娘(非実在)に対して言いながら笑って帰る年末の良い1日が味わえました。

 好きなシーンは実際かなりテクニカルな冒頭の5分でわかるSPY×FAMILYみたいな紹介シーンでした。あれだけで大体、作品構造察することのできるドミノ構造はほんとうに巧かったです。

 あとヒゲダンによるテーマソング『SOULSOUP』めっちゃ名曲でしたね。


 

 spy-family.net

 

 

2位. 窓ぎわのトットちゃん(シンエイ動画)



 監督がどれほどの想いと筆への力を込めて作った作品かは分かりませんが、ただひたすらに真っ直ぐで衒いのない傑作でした。ノンフィクションの文筆作品による映画化で、これほどイマジネーションとリアリティの両方を表現しきったアニメーション作品というのは近年そう多くなかったんじゃないでしょうか?

 原作者さんについては歳を召されてからになりますがテレビでも親しんできましたし、どういう人物かテレビタレントとしては存じ上げていますが、近年の情報だと「かまいたち(を含む人気芸人を数々)エグいほど滑らせたお茶目なひと」という認識です。

 それはさておき、作品の話に戻ります。

 この作品に関しては、序盤から強い思い入れのようなものが入ってしまったため、お話そのものに対する客観的な評価というのがどうしても難しいです。

 自分語り込みで書き散らかすような形式にはなるかと思いますがどうかご容赦ください。

 この作品に登場する、主人公のトットちゃんが通う『トモエ学園』ですが、現在で言う特別支援学校のようなもの、あるいはそこに通うような生徒を支援する教育体制をよく確立した学校だったのだろうと思われます。この辺りについては、作品内で言明されてはいないので、断定はしていきません。

 前の学校ではクラスのみんなのなかでは人気のあるような女の子だったんじゃないかと思われますが、いかんせん落ち着きがなくて周りを巻き込んで、授業を無茶苦茶にしてしまう彼女。トットちゃんは前の学校の教育方針との折り合いがつけられずに、『トモエ学園』に転入してきます。

 そこでの小林校長との面談シーン、これがほんとうに素晴らしく印象に残ります。「話したいことをいくらでも話して良い」とする校長に対して、トットちゃんはなんの衒いもなく、気の向くままに話の文脈もすっ飛ばして、誰になにを理解させようとするでもない言葉を、でもとても楽しそうに話続けます。「列車の改札のおじさんの話」や「自分の飼ってる家族の犬の話」それからあれこれ、とりとめもなく。

 彼女にとってそれは初めての体験だったかも知れないし、自分というものを表現するきっかけだったのかも知れません。彼女がどういう女の子であったのかは、ここまでで理解できるのだと思います。

 ちょっぴりずれていて、でもとても「楽しみ」をひとと分け合いたくて、そんなことを考えずにできる「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」、校長は彼女の魅力をきちんと無駄な言葉なしにそう表現します。

 楽しそうな話のなかに、一瞬だけ彼女が滲ませた不安。「どうしてみんな、私のことを困った子って言うの?」前の学校に受け入れられなかった記憶が蘇り、そのを口にした彼女にとって、それはきっと救いだったのだと思います。ようやくそのままの自分を受け入れられたような。

 たぶん筆者はもうこの時点でかなり、思い入れが強く入っていたと思います。はっきりと診断がおりたり病識があったわけではありませんが、落ち着きがなくて周りと馴染めず、教師ともトラブルを起こしながら、それが原因かはさておき、街中から田舎の学校へと転校することになった過去があります。

 素の自分が許される体験って、結果から言えば転校してから都合よく全部うまくいった感覚はなく、子どもながらの我慢は挟みながら友だち関係を築いていく日々だったと思います。趣味がとてもよく合ったり、空気感がお互いに「合ってる」と思えた数人を除いて、自分自身が転校して以降で「友だち」と呼べる人間はいなかったように思います。

 映画のプロモーション映像でも見た部分だったので、ほんの少し軽く受け止められはしましたが、それでも作品のなかで描かれるととてもずっしりとした質量の「子ども」のお話が乗る、とても共感性の強いシーンになりました。たぶん泣いていたなあと思います。この作品のある意味では見せ場でしょうが、作中だとほんとうにグッとひとの心を素手で突き破りにきたような思いですね。

 そういう部分は少し演出的な感動だとも思いましたが、そのあとは、彼女たちがそこに生きて過ごしている、些細な描写のひとつで涙がこぼれるようになっていました。ほんとうに何気ないエピソード。寺のなかで井戸を友だちとのぞいたり、トットちゃんが列車の一両をまるまる校舎にしたそのなかで、感動してイマジネーションを爆発させたり。

 その全てがアニメーションとして生きています。人間をキャラクターとして、フィクション性を強く描くことなく、真っ向から嘘のない、デッサンにも似たひとのそのままの表情で描かれていきます。学校でトットちゃんの周りではしゃいでいる他の生徒たちも、特に深く物語が掘り下げられていくわけではないのですが、映像のなかに命を吹き込まれて、やはり彼らも人物として生きているのです。これがほんとうに他のアニメ作品ではなかなか味わえない質感と言いましょうか、彼彼女たちの過ごす時間には、このアニメ特有の美しいややパステルカラーめかした背景も重なって優しい彩りが加えられているのです。青春の輝きとは少し違う、思い出のなかの優しさのような。だからそんな光景を見ているだけでも思い入れるし引きつけられてしまう。

 さて、このお話は彼女自身のエピソードや、斬新な校風や教育方針をとったトモエ学園での日々、そこに並行して「小児まひ(唯一明言されている病名)」の児童である泰明ちゃんとトットちゃんがお互いの抱えたものを乗り越え仲良くなる話が行われていきます。

 ひとつひとつのお話で、人間として仲良くなっていく過程のお手本のような、相手を大事にすることの「難しさ」を描いたり、小さな困難を共有しながら乗り越えていくことで少しずつ前向きに変わる日々を描きます。

 そんなふたりの近づく日々が互いに違ったものを与える描写が繊細かつ、アニメーション表現としては感情が表現に「こぼれるような」感覚になる。一冊の絵本のようなシーンを構成したり、とても自由で解き放たれています。ああ、映像を通して感動を覚えさせることには、まだ色んな可能性があるのだと気づかせてくれました。

 まあ、とにかく語りすぎるとどうしても筆者のよく分からない感情が不可分になって、取り留めがなくなっていきそうなので、少しだけセーブして、魅力を伝えていくことで締めとさせていただきます。

 この『窓ぎわのトットちゃん』というアニメ映画は、映像の美術としてのみずみずしさ、限りなく生に近い人間を描く物語を受け止める活きた力強さ、それからあえて言葉を尽くさなかったことがアニメーションできちんと説明をつけられる、とても素晴らしく、表現の自由さや美しさ、人間の心とはその育てかたとは、そういったところを、まっすぐに描き尽くした、とても豊かな人間讃歌のような作品でした。

 個人的に大好きなシーンは、終盤のチンドン屋さんからの、トットちゃんの心の成長を感じさせるシーンと、トットちゃんたちがおまわりさんから逃げるスパイのようなワンシーン、それに『雨に唄えば』を思い起こすような泰明ちゃんとの美しいシーンでした。


 

 tottochan-movie.jp

 

1位. 北極百貨店のコンシェルジュさん(Production I.G)

 物語のノリの良さや映像の迫力を存分に活かした娯楽性がとても強い作品、共感性や表現の力に溢れた作品を上位にランキングしたなかで、この作品というのは、多少地味に映るのかも知れません。

 ただ、ひとつ言えることは昨年の作品群のなかで、個人的に最もアニメーション映画として、特にデパートやショッピングモールの劇場みたいなところで観る作品として、とても素晴らしく、多くのものをやさしく与えてくれたからだと思います。

 これは、クールアニメのほうでのランキング1位にも選ばせていただいた『オーバーテイク!』にも共通する部分なのですが、誰かに手を差し伸べること、というのは「優しさという名のエゴ」なのだと自分は深いところで思っています。

 誰かになにかを贈るとき、それがただ無償で、対価を求めないものであるのならばどんなに素晴らしいことかと思っています。それは有り得ることなのかも知れません。親の子への愛というのが、もしかしたらそういう形を持つこともあるかも知れません。

 ただ、それを簡単に信じるには人間の心の形は複雑で、表現する時点でなにもかもが後ろめたくなるものなのです。

 この作品はその憂いや絶望に似た断絶のようなものから、少しだけ解き放たれたところにあります。

『オーバーテイク!』がその勇気を得るまでの絶望から再起を描ききった傑作とするならば、こちらは「優しさ」を変に形取らない、感情や行動に名前をつけないような作品でした。だからこそ、北極百貨店のコンシェルジュさんの差し伸べる手に憧れて、その仕事に就いた秋乃さんの行動は、ただ、もっと無邪気な憧れから始まります。

 だけれども、相手にとって行動で助けになること、それは同じ目線を持てたところからでないとスタートできません。そんなスタート地点手前の彼女の、お仕事成長譚は同時に、相手にどういった気持ちで接すれば「助け」になるかを教えてくれます。

 時には相手の目線でひとつのものを見つけるために駆けずり回ること、時には広い視点から求めるものがきちんと届くように目を配ること、それは接客業として大事なことでもあり、「誰か生き物を相手にするとき、忘れないほうが良い感覚」でもあります。

 

ペンギンのお客様目線

 とここまで書くと大袈裟で複雑な深い感情描写に溢れた少し重苦しい作品と思われるかも知れませんが、それは全く違います。

 こういったテーマ性を持ち合わせながらも、お話としてはてんやわんやのお客様お手伝い劇を、さまざまなエピソードの上手い折り重ねによる抜群にテンポの良く口当たりの軽いコメディのように描いていきます。

 映像としても、にこやかだったり焦ったりを行ったり来たりする秋乃さんや、キャッチーなデザインで可愛く描かれた絶滅種(絶滅危惧種ではありません)のお客様などのときにその動物の習性でもある多彩な表情描写を用いてとても彩り豊かに見せてゆきます。

 そして、やはり先述のような側面を持つ作品で忘れてはならない部分にもしっかり触れていきます。

「想いの強さ」がエゴに変わってしまう瞬間、ネガティブな思い出が生まれるかもしれない瞬間、この時に、秋乃さんがこれまで頑張ってきたからこそ、走り回って「お客様の目線に立つよう努力して」、でも憧れのコンシェルジュさんみたいになる思いがあったからこそ簡単に飛び越えられるエゴ(彼女が珍しくお客様になんの論理もなく、ただお客様への優しさの感情だけで謝るシーンがありますが)のような優しさを、形として相手に渡すことのできる、その躊躇いのなさが全てを包み込むように救う、そんな瞬間に涙の溢れる、穏やかで優しいけれども一流のエンターテイメント。

 ほんとうに口当たりの軽い1時間強のアニメーションは、あっという間です。

 これが面白い。

 ちょっぴり作品外のお話になるのですが、劇場アニメというものは観ようとするのに、ちょっとした勇気が必要で、「それ観るからにはどれだけか良いものが観られるんだろうな?」みたいなハードル設けちゃう思いというのもゼロではない気がします。

 体験として、色々と求めてしまうものです。

 そんななかで、作品として提供されるものがこれ。年間ベストに入れている通り、とても素晴らしいと思った内容のアニメーションを味わえた嬉しさが、そのまま劇場から出ても、自分が触れた場所が百貨店のような場所のシネコンだったこともあり、地続きの体験のように映っていくんですね。

 なんかの映画を観て肩で風を切って歩くひとのように、作品を観た後の味わいが疑問としてではなく充実感として残ってくれるのです。

 この映画を観たあと、なにをしようと思ったかって、そりゃあ、優しくしたい親しい誰かに贈りものをしたくなりました。

 ほんの少しだけでも良い、自分の考えかたを優しく変えてくれるアニメーションです。自分にとって大好きにならない理由がありませんでした。

 好きな登場人物は一名を除いたほぼ全員です。秋乃さんやペンギンのお客様、ニホンオオカミのお客様など、とても繊細で人間のような性格も備えたお客様たちの心の機微が、どこか自分にとって置き忘れた部分に刺さって好きです。

 好きなシーンは、まあ、分かりやすいいちばん素敵なシーンが来るので、それを作品に触れて体験していただけたらと思います。

 穏やかなテーマなのに、しばらくの間、自分にとっての「誰かに手を差し伸べる行為とは」という、前向きな思考が頭に残る素敵かつ素晴らしいアニメーション映画でした。

配信開始されたらぜひ、北極百貨店にご来店くださいませ。


www.youtube.com

hokkyoku-dept.com

 

 

・おしまいに

 とまあ、このクソ長え記事にお付き合いくださった方、心からありがとうございます。正直、自分の書いてきたような中編小説よりよっぽど長いくらいです。

 自身の置かれた環境による心境の変化なども多少あったり、作品に対する自分なりの「見方」のようなものが見えてきて、いつもより必ずしも娯楽的でない作品などがランキング入りした感覚ではございますが、かなり感情と理性と主観と客観性みたいなところをすり合わせつつ、「自分が『好き』と力強く言えるもの」を選ばせていただきました。

 できることなら、やっぱりこの記事を読んで、実際の作品に触れていただけたら、著者としても浮かばれる思いです。

 というかね、ここまで読んで損した気分にさせたくないから皆さん、ランク入りした作品で気になるものがあれば絶対に楽しんでくれよな!

 

「あとチャンネル登録と高評価、よろしくお願いします!」

「YouTuberじゃないんだよ! 逮捕されるぞ!」

「はてなブロガーだよ」

「はてなブロガーがこんな記事書くかよ! 長くても2,000字で止めるわ! もういいよ!」

「ありがとうございましたー! 12024年もね、よろしくお願いしますー!」

「タイムリープものならきちんと元の時代まで帰れよ!」

 ほんとうにありがとうございました!(ちなみにこの記事の文字数は約46,000字です)

ルゥシイさんの2023年上半期

・前書き

 おい、半年過ぎるのあっという間やんけ!! びっくりしたわ。

 とはいっても昨年ほど空虚な2023年上半期ではなく、就職活動をしながら必要になりそうなスキルの習得などの勉強を行ったり、しばらくエタらせていた趣味の小説創作活動の再開など、それなりに活動的な上半期を過ごしたかと思います。Twitterでヤナギハ( @yanagihatei )さんと行っている連作兄妹Post漫画(漫画:ヤナギハ)の原作などもいい感じのペースで続けさせていただいております。

 たぶん、映画のほうも上半期だけで10本くらい鑑賞したかと思います。このあたりについてものちほど触れさせていただきます。

 

・面白かったアニメ作品 in 上半期

 大体、自分のアニメ視聴に関してはクールアニメの視聴と、そこに並行して自分が未視聴だった作品を紹介していただくなり探すなり勝手にぶつかるなりして視聴しておりますが、この項目ではその辺についてお話しさせていただきます。

 ひとまず、今年の上半期のアニメ、めっちゃアニメ面白くなかったっすか? コミックについてアンテナが高くない自分でも名前を知るような話題の原作であったり、まったく知らない原作からでも素晴らしいアニメーション作品として制作されており、自分としては非常に楽しめる今年上半期であったかと思います。

 このあたりについて、年末やるものと違ってランキング形式ではなく個々でお気に入りのものの話をさせていただきます。

―冬アニメ(大体25作くらい観てた)

 

・お兄ちゃんはおしまい!

 驚くほどの美麗なアニメーションを堪能させてくれた『無職転生』制作をしたスタジオバインド作品でもあり、ドタバタコメディ作品とは思えない強烈な映像表現が味わえました。

 物語自体は、女子高生くらいの年齢ながら飛び級で大学に行ったマッドサイエンティストな妹である「みはり」と、彼女と比較された日々がコンプレックスとなりやがて引きこもりとなったお兄ちゃんの「まひろ」を中心に進んでいくのですが、まひろがみはりの作った性転換薬を盛られたことによって、とてもかわいい女子中学生くらいの姿となるところから物語は始まります。

 それからというもの、まひろは入浴ひとつにも時間がかかったり生理に苦しんだりもする女の子としての生活スタイルを、最初はただ受け入れるだけでしたが、少しずつ女の子としての自分の姿に前向きになっておしゃれを楽しんだり、メイクを教わったりと楽しく女の子チュートリアルしていく日々を送ります。

 まひろにとって特に大きな変化のきっかけは、女子生活のなかで得た友人のもみじやあさひにみよと中学校に通い、第二の中学生ライフを過ごすことでしょうが、元来持っていた明るさやコミュニケーションもそれほど苦としない性格が、学校生活では友人といることで活かされて、まひろ自身にとっても周りの友人たちにとっても、それにみはりとっても前向きな好影響を及ぼしていきます。

 ひきこもり生活の間に失われていた兄妹間の交流というのも性転換してからは復活して、元々お兄ちゃんっ子であったみはりにとっても、まひろが学校で作ってきたクッキーを贈られたり、みはりが熱を出した日にはお兄ちゃんなりの努力で家事や看病をしてくれたりと、みはりにとってはちょっとしたご褒美のように(ここ実質加害者が得をするという構造に笑えるのですが)お兄ちゃんなまひろを味わえます。

 そんなみはりとまひろのちょっぴり感動も味わえるような兄妹生活、JC友人関係同士の癒し系ドタバタライフ、色んな角度から楽しめる本作ですが、とにかくこの作品「まひろ」が男子側にとっての女子の魅力を知っているからこその、ときに自覚的でときに無自覚的な女の子としての魅力を見せるからこそ面白い。

 特に学校に通うようになってからのまひろは男心を持つ(掴める)女の子としてすごくかわいく輝いていき、色んなおしゃれををしたり、表情豊かに笑顔を見せたりときに無自覚にクラスメイトの男子を誘惑してしまったり、ある種の媚びがとても薄いのにもう一方では中学生女子としての生々しい立体性を備えたかわいさを見せてくれ、このあたりが本当に他のアニメーション作品ではなかなか味わえない魅力に仕上がってます。

 また、先述の通りこの作品は映像表現や演出に非常に秀でており、特にエンディングアニメーションは「超作画」とも呼ばれ、その動画が大バズりしました。

youtu.be 猫を抱くまひろの描写であったり、めっちゃ美味しそうに伸びるピザのチーズの様子であったり、そしてダンスするようなシーンでもそこにいるみんながびっくりするほど動く動く。この無茶苦茶な映像美は本編でもかなり多く味わえ、ふだんの登場人物たちの活き活きとした動きだけに限らず、ボウルの中の卵をかき混ぜるだけの作中の調理シーンひとつにも目が行くような、そんな映像の魅力もまた他の作品では味わえません。

 個人的には兄妹が仲良く過ごす日常作品が好きということもあり、この作品の特に兄妹関係を特に魅力的に感じていましたが、まあ観るひとにとってほんとうに多様な角度からこの作品は魅力を味わえます。序盤数話の段階でも楽しいですが、まひろが学校に通うようになる中盤から特にこの作品とまひろのかわいさが定位されてくる感じがあるので、これからこの作品を楽しむひとにはぜひ、中盤からのまひろとみはりだけに限らず広がっていく関係性なんかも楽しんでほしい。そんな魅力いっぱいの「KAWAII」作品でした。

 

・もういっぽん!

 2023年冬アニメクールとしてはダークホースと呼ばれていました。「柔道に全力な女子たちの熱い青春ストーリー」というキャッチコピーめいたものに特別ピンと来ず、自分がPVを観たときにも「柔道に元々興味はないから内容にそれほど興味はないけれど、アニメーションとしてはしっかりしているから楽しめそう」くらいのものでしたが、もう1話を観た段階でその評価が一変してしまいました。

 確かに自分が期待をしていたとおりに映像はしっかりしているのですが、物語のスタートラインがまず面白い。主人公である青葉中柔道部の部員園田未知はこの大会で一本を決めたい。「一本勝ちをしてスパッと柔道人生を終わらせる」という気持ちを同じく中学柔道で苦楽をともにした早苗に告げて、中学時代最後の試合に臨むのですが、相手はとっても強い氷浦永遠ちゃん。

 自分が持てる色んな武器を持って全力で永遠ちゃんに挑むのですが、なかなか勝ち筋を見つけることができず、しかし対戦中の怪我にも笑いながら戦っていけるほど、未知はこの対戦を楽しんでしまいます。結果、永遠ちゃんの絞め技での勝利。しかも、未知の絞め落とされた表情が撮られてネットに晒されるというおまけ付き。

 彼女は中学で練習も大会もきつい柔道をやめたいやめたいと口にするのですが……言葉の裏にある「柔道を続けて一本を取りたい」という気持ちがガンガンに透けて映ります。そして、未知と早苗が進学したのは女子柔道部員がもういない青葉西高校。だけど、剣道部員で未知の幼なじみである南雲に強引に誘われながら武道場に行くとそこには中学時代最後の対戦相手の永遠ちゃんが、女子柔道部員になるべくそこにいて――。

 という段階で、これからの未知の柔道に懸ける熱い青春が期待できるじゃないですか。そして、その期待感通りの面白さは毎話右肩あがりで更新されていきます。2話では早苗との中学時代の気持ちいい対戦を思い出しながら柔道への熱を取り戻していき早苗と永遠ちゃんとともに再び柔道部員になったり、地方大会が始まると永遠ちゃんと中学時代に因縁を持つ霞ヶ丘の天音先輩たちに出会い、そして大会でこちらの涙が出てくるような熱い対戦を見せてくれるような。

 未知たちの運命を変えてくてるような他校の柔道部員との出会い、それから柔道としての駆け引きの面白さと、負けられないという全力の気持ちに導かれた迫力満点の柔道の対戦。これを毎話毎話楽しませてくれます。もちろん、自分が期待した通りのアニメーションの良さは、緩急が見事に活かされた迫力の柔道描写に全力で活かされていきます。

 とてもストレートにお話もアニメーションのどちらも両輪が上手く回って、見ているこちら側は、その最高のエンターテイメントに期待とともに巻き込まれていく、すごくよくできた青春柔道群青アニメーションに仕上がってました。こんなん面白くないわけないやんという話です。ひとつだけある欠点は、すごく面白いしアニメ1期として上手くまとめ上げたけれど、その続きが絶対にあるので続編が観たくて仕方ないこと。それだけですね。ハチャメチャに楽しませてもらい毎話更新される度に画面にかぶりついた、すんごく面白い柔道アニメ作品でした。

 

―春アニメ(大体20作くらい観てた)

 

・江戸前エルフ

 現代の東京、月島で江戸時代から住民たちに信仰され(愛され)てきた高耳神社、その祭神「高耳毘売命(たかみみひめのみこと)」として徳川家康公に召喚され祀られて、未だに街の人々の前に姿を表しながら神事を執り行われる不老不死のエルフ、エルダ様の、とても神様とは思えないだらけたオタクライフと、彼女の巫女としてときに厳しく接しながらときに友だちのように遊び相手のようにもなる小日向小糸たちの日常的な姿を、ほんわかとした雰囲気と笑いどころやネタいっぱいのコメディ表現で描いていく、とても素敵なこの作品。

 主人公であるエルダ様と小糸をはじめとして、小糸の妹であるかわいらしくてハイスペックな小柚子たちの高耳神社組、それに小糸の親友であるコマちゃんをはじめとするエルダ様を愛する月島の人々、それからエルダ様と同じように豊臣秀吉公から召喚された子どもっぽいヨルデ様や同じく巫女として彼女を支える小日向向日葵ちゃんたちなどなど、この物語に登場するのは明るく楽しく優しいキャラクターたちばかり。

 そんな彼女たちと関わる日々もやはり楽しく癒やされる雰囲気で描かれていきます。そうしてエピソードのほとんどは楽しく笑えて癒されるような内容ばかりですが、ときに不老不死であるエルフという存在としてのエルダ様と、小糸の埋めがたい違った時間の過ごし方を描く6話のようなエピソードもありますが、そんなお話もただ切なく表現するだけでなく、前向きな日々に向かっていくように描かれるのがとても印象的です。

 そしてこういうお話だからこそ最終話のお話も切なさを煽るようなものでなく、「いつもの」彼女たちを描いた、おみくじ程度でころころ変わるような表情豊かな日常の姿。もしかしたらそんな日々こそエルダ様の望んだ誤差程度の変わらない日々なのかも知れません。

 笑えて楽しく癒やされて泣けて、けれどもそこに負の感情が混じらない。日々の楽しみに喜びにほんの少しの切なさだけ混じる、毎日がすこし大切になるような、月島の人達に愛された高耳様のような、愛され体質な素敵な日常アニメでした。

 

・アイドルマスター シンデレラガールズ U149

 アイドルマスターのアニメシリーズに於ける2023年時点での最新作。扱うアイドルたちはみんな身長149cm以内のつまりロリ、やわらかく表現すると恐らく小中学生くらいまでの少女たちがメインのお話になります。ストーリーラインとしては全話繋がっていますが、9話まではおおよそ担当キャラクターにスポットライトを当てたオムニバス的なアニメの仕上がりになります。

 アイドルマスターといえば、プロデューサーと担当アイドルという図式で知られていると思いますが(筆者も詳しくはないです、まあソーシャルゲームの内容からそうなのでしょう)、今作も例に漏れず、主人公であるプロデューサーがこの物語とアイドルを支えてゆきます。

 プロデューサーの所属するアイドルプロダクションでは、会長肝いりの企画として少女ばかりのメンバーが集められた第3芸能課というプロジェクトが動き出し、そこにはプロデューサー経験はないけれど熱い気持ちとアイドルに対する夢をしっかりと持った熱血型で等身大のプロデューサーが配属されます。

 そんな彼が第3芸能課のアイドルといっしょに仕事をしていきながら、トラブルにぶつかり合い、互いに成長していきながら理想とするアイドル像へと彼女たちを導いていくアニメになります。オムニバス形式なのでその回を担当するアイドルによってお話やテーマなどの振れ幅はありますが、おおよそ全話ストーリーとしても面白いエピソードで構成され、アイドルの女の子たちも魅力たっぷりに表現されてゆきます。

 特に面白かったのは3話を担当した赤城みりあ回、4話を担当した櫻井桃華回、それからイントロダクションでもある1話と11話を担当した橘ありす回でしょうか、なかでも個人的な評価としてこの11話は今年観たアニメーションの1話として最高峰のエピソードだと思っています。

 この11話に至るまで1話から丁寧にすこしずつ橘ありすというキャラクター像と、どういう部分にコンプレックスを抱えているかなどを見せていきながら、11話の橘ありすのアイドルとしてどう続けていくかの未来を両親と語るはずの三者面談を通して、一気に彼女が抱えていた両親とのコミュニケーション不全を洗い出しつつ、同時にまた橘ありすという少女の等身大な少女性、そしてプロデューサーとの対話を通して、彼女にとってのアイドル像、それから同時にプロデューサーにとってのアイドル像がしっかりと形を取っていくのが素晴らしく、このエピソードにおける物語の白眉としてはありすが、ここまで悩んできた「おとなってなに?」という悩み(それこそがありすが理想とするアイドル像について頭を悩ましてきた部分)の本心を力強くぶつけ、そしてその本心こそがプロデューサーである彼にとって「彼女(たち)にとっての(自分にとっての)大人の姿(アイドルの姿)はなんだ」という抱えていた悩みにぶち当たって、涙するプロデューサー、その弱さを見せるおとなの姿こそ、ありすの抱いていた願望によって隠されたままだった両親の涙する姿と重なり、彼女が記憶を辿りながら思い出していく、そのアニメーション表現の凄まじさたるや、1作の劇場アニメを観ているようで素晴らしいです。

 橘ありすという女の子がひとつの大きな答えを見つけ出すための物語に、凄まじいほどの映像演出と音楽演出を見せたこの11話は個人的に伝説になるレベルのアニメーションだったと思います。挿入歌として橘ありすの切なく歌う、彼女の心の迷いを描いた『in fact』と、悩みが晴れて少し明るく歌われるアンサーソングのようなエンディングテーマの『to you for me』をその歌詞といっしょに噛み締めてほしいと思います。

 本当に自分がこれまで観てきた「今敏」や「細田守」「新海誠」など有名アニメーション作家の作品と肩を並べてもおかしくないと感じています。

 まあそんなこんなで11話を大絶賛していますが、おおよそのエピソードはちょっぴり癒やされてしっかり明るくさせられるアイドルの卵たちのお仕事アニメであります。

 映像表現として抜群の完成度を高く誇る、アイドルを目指す少女たちのかわいいという一面だけでなくあらゆる姿を楽しませてもらう、そんな素敵なアニメーションでした。

 

 クールアニメの感想についてはできるだけ大好きな一作一作に言葉を尽くしたいということもありまして、たとえば春アニメに関してはほかに『推しの子』や『スキップとローファー』『山田くんとLv999の恋をする』、『BIRDIE WING -Golf Girls' Story-』などなどお気に入りのアニメ作品もあったのですが、ここでの感想を省かせてもらいました。もしかすると年末に書くであろう今年の好きな作品ランキング記事のほうに描いていくかもしれませんが、ひとまず今回の記事ではここまでになります。(決して面倒くさくなって感想を省いたわけじゃないんだ信じてくれ、いや嘘だ、けっこうただ面倒くさいだけで感想を省いたんだ……。ただ、一作一作に言葉を尽くしたいという方は本心なので、そちらは信じてくださいませ。)

 

―過去作品のテレビシリーズ視聴から特に素晴らしかったものを

 

・たまゆら

 最高の一作。沢渡楓というひとりの少女の、父の喪失からの成長を経ての再生と巣立ち、その全てがシリーズ全てで紡ぎあげられた素晴らしい作品。

 ぽって(沢渡楓)が歩き出すため手にした父のカメラと竹原という土地での出会いで始まった、彼女の高校生活、そして描かれる青春。父から受け継いだローライ35Sがその息を引き取るまで、彼女はたくさんの出会いを思い出をフィルムに収め、写真にしてきました。そこには笑顔も泣き顔も成功も失敗もあらゆるものが残されていて、大事なものはそのすべてがぽってにとって必要で、出会いや思いの全てがたからものであることです。

 彼女のこれまでの写真はすべて、父の喪失もまとめて素敵な宝物につなげてきた沢渡楓というひとりの少女が、新しい日々に向かっていくための、学校から贈られるものとは違う、思い出のアルバムのなかに卒業写真として仕舞われます。

 旅立ちを寂しさでなく笑顔で迎えられる、そんな彼女の成長を映したこの作品は素晴らしかったです。始まりを飾るOVAのオープニングテーマであるである坂本真綾の『やさしさに包まれたなら』を始めとして、毎話のように登場しては癒やされるメインテーマやあらゆる劇伴に作品の肝心な箇所をしっかりと演出してくれる数々の挿入歌なども素晴らしく、劇場版最終章の最後を飾るエンディングテーマに同じく坂本真綾がカバーする『卒業写真』を持ってきた心憎さはベタながら最高に利いていました。

 竹原を始めとして尾道など瀬戸内海の実在するあらゆる景色を最高に美しく切り取った背景美術も素晴らしかった。

 ぽってとともに歩み成長していきあらゆる思い出を彼女と共に刻んでいくかおちゃんやのりえちゃん、麻音ちゃんのぽって部員、ぽってと偶然出会い写真部として入部し、ぽってとともに成長しながら終始かわいい存在であり続けたかなえ先輩、それからぽってのお母さんにお婆ちゃん、そして志保美さんやさよみお姉ちゃんたち、そんなあらゆるぽっての出会いが彼女を支えてくれたことも素晴らしくて、特にさよみお姉ちゃんやぽってのお母さんは主役のぽってと並び、声優さんの熱演に支えられ素晴らしかったです。

 作品を支えるあらゆる全てに恵まれた傑作でした。

 

・ARIA

 感無量のひとことで言い表せない、素敵で作られた作品でした。

 アクアという星、ネオ・ヴェネツィアという場所に愛された、水無灯里という少女を中心に据えた奇跡の物語。「灯里がプリマになる夢を叶える」というお話だけでなく、灯里が出会った藍華ちゃんやアリスちゃんたち全て、そして間違いなくその中心にいるでっかい偉大でとっても身近なアリシアさん、その継承と別れ。

 一子相伝のアリアカンパニーだからこその、プリマとしての実力も認めていてコミュニケーション能力も溢れた灯里にこそカンパニーを託せると信じているアリシアさんに残る、灯里との日々を終わらせたくないという苦悩が物語の裏にしっかりと映って、隠されていた本心を灯里に明かす姿にはただただ涙が止まりませんでした。

 アリスちゃんの飛び級プリマ昇格というびっくりするような素晴らしいお話にも、ゴンドラさんお別れ回というとても切ないながら前向きなエピソードにも、そこには感動が溢れていて素晴らしかったです。

 アリシアさんとの別れを孕んでいるからこそ、期待と同時に不安も宿るこのこの作品に対する、そのふたつの感情を大きく超えて、万感の最終回に結びつけていく構成が素晴らしいとしか言いようがありません。

 音楽による演出が巧みにこの作品を支え続けて、活き活きとしたキャラクターの表情描写や美しいウンディーネ姿の描き方、それから当然外せないネオ・ヴェネツィアという世界の美しい情景描写など、完璧に物語を支え続けてくれました。

 アクアという星、そこに暮らす人々、藍華ちゃんやアリスちゃんなど、語り尽くせないほどの出会いの奇跡に愛された少女の、でっかい成長物語だけでなく人間讃歌まで描ききった素晴らしい作品でした。

 

・フルーツバスケットリメイク版

 感動をありがとうとしか言えない。つらい日々もかなしい日々も素敵な日々に変わることがあると教えてくれた、包容力とやさしさにあふれた作品でした。

 旧作アニメシリーズも原作も大好きな自分にとって、よくぞこの丁寧さで再アニメ化してくれたと感じました。

 透くんをはじめとして草摩の十二支たちを含めたあらゆるキャストが素晴らしく、また同時に最高の演技を見せてくれたことにも感謝しかなく、なかでも透くんを演じた石見舞菜香さんによってひだまりのようなあたたかさと同時に心が切り裂かれるような切実さを与えられたこと、紅葉を演じてくれた潘めぐみさんの熱演によってキャラクターとしてのマスコット的なかわいさや、かなしい過去をかなしいものとせずにうれしいものと受け取る彼の細やかな心情の動きを鮮やかに写しとってエピソードの感動を最高にまで運んでくれたことが嬉しくて仕方ありません。

 昨今のアニメとしては2クール2作に最終シリーズ1クールとあまりに長い作品で、それが全部必要で笑いも感動も、喜怒哀楽が全て詰まった人生のような作品を幸せなエピローグにまで描ききってくれたことが喜ばしくて仕方ない。最高の原作を活かしきった文句なしの傑作アニメでした。

 

・月がきれい

 最高の青春純愛アニメーションでした。主人公の小太郎や茜たちに限らず、あまりにも生々しい質感の会話や心情描写、それを説明しすぎずに映像表現として描き出す巧みなアニメーションが素晴らしい。というかこの作品に溢れる生々しさをどう拾ってこれほどのアニメにできたのか分らなくて異能としか呼びようがありません。

 ふたりの恋愛のあらゆる風景やあらゆるやりとりが、ほんとうに一編の小説のように切り取られて、彼、彼女たちが気持ちを伝え合うシーンは全て目を惹きつけられてたまらない。観ているこちらが気持ちの動き全てを受け取ってしまう感覚は無二の作品でした。

 随所で用いられるLINEでの会話演出もよく利いていて、最終話で小太郎が「小説家になろう」的な場所を使って公開する小説も現代的なギミックだけれど、お話に完璧にハマっていて素晴らしかったです。ところどころで挟まれる名曲カバーの挿入歌など、全て気の利いた演出になっていて見事。最高にニヤニヤできる、完璧な一編の青春小説アニメでした。

 

・ラブライブ!

 一大ムーブともなり、その後10年以上続いていく人気シリーズのはじまりを飾るにふさわしい傑作。「アイドルアニメの型」をほぼ「ラブライブ!の型」にしてしまった功罪できちゃう作品でもあれど、本編の物語も穂乃果の始めた小さなスタートラインから始まって、メンバーとなるみんなを巻き込んでいきながら、学園全体へ続く大きな物語を『スクールアイドル』『ラブライブ』という大会の発明によって興味部深く繋げていき、『μ’s』というサーガをつくりあげていくのが素晴らしかったです。

 1期から丁寧に演出しながらA-RISEというスクールアイドルの対立軸を構成して、2期では彼女たちをきちんとぶつけて盛り上げていく構成も素晴らしい。

 終盤では3年組の卒業という定められていた別れをμ’sの終幕と繋ぎ合わせて、儚く輝く流れ星のような話として感動をいっぱいさせてくれたのも最高でした。

 そして、出てくるだけで面白く、だけどほんとうにアイドルを愛するマスコットかつ名言製造機の「矢澤にこ」をはじめとして、μ’sメンバーのみんなはとても魅力的で、だからこそ思い入れる気持ちというのが画面の向こうから届くのは素晴らしかったです

「Snow Halation」を始めとしてライブとして演じられる楽曲自体も他のラブライブ!シリーズより素晴らしかったように感じました。

 とにかく1期から拾い上げる話の演出が丁寧で最後まで力いっぱいに見せつけられる、「アイドルアニメとしての金字塔」というだけでなくアニメ作品としても傑作のひとつだと感じました。

 

・みなみけ

 卓越した掛け合いだけで見せるシチュエーションコントのような傑作アニメ。

全話使用される言葉のIQが高くて、原作者の頭の良さのようなものが透けて見えるし、そこが作品として南家三姉妹をはじめとして。マコちゃんや保坂など素晴らしいキャラクターたちを上手く回す、もうほんとよくできた日常アニメでありシットコム。

『らき☆すた』から人気作品の続いたこのジャンルのなかでも、コントとキャラクターという素材の面白さが全面に出た傑作は、この作品以降類似作品として超えてくるものも出てこなかったのではないでしょうか?

 

―映画作品

 

・ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

 自分は4DX3Dという鑑賞方法で観たのですが、まあとにかくUSJかというようなアトラクション。マリオたちのアクションシーンでは座席が揺れ、殴られたりすれば背もたれだけじゃなく足元から動き、キャラクターたちが水を浴びれば自分たちにも水がかかってくるし、暑い場所に来れば背中が熱くなり、3Dでの映像はまるで目の前で手が届くよう。本当にまるで遊園地の最新アトラクションのような演出で映画視聴が楽しめました。

 その上で、お話はこれまでの初期のマリオ前身作品からドンキーコングまで含めたマリオ関連シリーズを楽しんでいると、クスっと笑えるような小ネタがいっぱいで、しかも別にこの作品がマリオ初体験でも充分に楽しめるウェルメイドに作り上げられた、マリオというなんでも全力で勇気抜群の配管工を主人公とした痛快アクションアニメ映画としても楽しめます。

 スーパーマリオシリーズからマリオカートシリーズなどを上手くアクションシーンに折り込んで、終始ワクワクと興奮度が高い映像体験を楽しめます。

 4DX3Dという鑑賞方法では3000円弱で2時間半最高に楽しいエンタメアトラクションを堪能できる、制作者のマリオ愛に溢れながら文句なしのエンターテイメント作品でした。

 

・君たちはどう生きるか

一応こちらは別枠でアホみたいに長くて終始ネタバレしている長文考察感想記事がありますので、そちらのURLを貼っておきます。

halcyondaze.hatenablog.com

 

・BLUE GIANT

 最高のJazzムービーであり、ほとんど2時間弱の熱いジャズバンドライブでした。挟まれる主人公たち大と玉田と沢辺という三人の出会いが織りなす玉田と沢辺による成長のドラマも面白かったのですが、それがしっかりと映像としてハチャメチャに興奮度高く表現されるライブシーンがなによりも白眉。

 特に最初はドが付く初心者だったドラマーの玉田が大とふたりだけでライブしなくてはならない場面。そこでこれまでの努力が熱く結実されて表現される演奏シーンの熱量と音楽の迫力は素晴らしく。彼がこの物語の主役だったのではないかと思えるほどでした。

 映像表現と音楽ドラマに支えられた、視聴後熱に浮かされたような気持ちになる。本当に良いライブを見せられた気分になるジャズバンドライブムービーでした。

 これから、配信や盤によってこの作品を観るかたは自分が用意できるなかでできるだけ最高の音響が楽しめる環境で視聴してもらいたい、そんな作品です。

 

後書きに

 1クールアニメを視聴すると同時に、『たまゆら(OVAに始まりテレビシリーズ2シーズンと最終章となる劇場シリーズ4作品)』『ARIA(テレビシリーズ合計52話に、OVA4話、それから現在の最新作である2021年の劇場盤2作品)』『フルーツバスケット(テレビシリーズ3シーズン合計63話に劇場作品1作)』と大長編シリーズを多く観ていましたが、他にも結構な数アニメ作品を楽しんでいました。代表的な作品としてはここに書いていないもののかなりのお気に入りである、あたおかバイクネタコメディアニメの『ばくおん!!』なんかもありますが、その辺趣味的にまともっぽく見えるよう恣意的な編集を行っております。

 ともかく、個人的に人生を変えるようなお気に入りの仕方をした『たまゆら』の視聴体験が個人的に今年トップクラスになるんじゃないかという勢いで印象に残っています。人生で初めての聖地巡礼旅を予定しているそんな作品を好きになることができて素晴らしい時間でした。

 これからたぶん就職活動はなんらか前向きな形で結実すると思うのでそうなるとアニメの視聴作品は今までのようにバカみたいな数とアホみたいな速さで観ることはできないと思いますが、これまでのアニメとの出会いを噛み締めつつ、新たなアニメを楽しんでいくのだと思います。

 ルゥさんのオタ活は懲りずにまだ続いていきます。そんなインプットはきっとまた何らかの形でアウトプットされると思うので、楽しんで読んでくださる方はまたこいつはと思いながらでもお付き合いしてくれると幸いです。

 前記事である『君たちはどう生きるか』の感想記事同様、長めの記事になってすみません。反省を活かして自分の負担が減るように生きたいです。

 みなさんも最近の気象にめげたりせずに健康第一で下半期も楽しく過ごしていきましょう!

 

 ではな。

(※ネタバレ長文感想)『君たちはどう生きるか』について君たちは感想をどう書くのか

・前書き

  スタジオジブリの劇場作品ってほとんど観てきたと思うんですが、 ほとんどが金曜ロードショーみたいなところで、実際に劇場で見た作品は本作が初めてになります。今回の事前情報をほとんど封鎖しちゃうというところに惹かれたのではないか、体験の独り占めみたいな優越感に浸りたかったというようなところですね。

 ちなみに筆者がこれまででいちばん好きなスタジオジブリ作品は頭ひとつ抜けたところで『耳をすませば』です。なにげないひとつの街、団地生活の小説家を目指す少女の雫と、彼女が少しの非日常感を持った猫のムーンに連れられた住宅街のなかの「地球屋」の世界で出会う様々なもの、バイオリン職人を志し努力する少年聖司との淡い恋と大きな成長の物語のなかの、特に放映当時の現実世界に近い日常的な風景を、スタジオジブリ作品らしく美しい、でも誇張を抑えた情景描写で描いていくのが大好きでした。

 筆者が物語を書くことに憧れるきっかけになった作品でもあるかも知れません。

 

 それから宮崎駿作品で特に好きなものは『風立ちぬ』『魔女の宅急便』『紅の豚』です。

 

風立ちぬ』には創作者としての自分に深く刺さる物語であると同時に、つくったものが生き物であることを思い知らされたこと、号泣するほど感動させられたことが大好きなところですね。主題歌であるユーミンの『ひこうき雲』は今でも何度も聴く大好きな曲です。

魔女の宅急便』は特に深く語りたい部分があるわけではありませんが、作品のなかのキキが暮らす舞台の美しさがやっぱりいちばんですね。メガネ(トンボ)はよく知らん。キキとジジとオソノさんがかわいい。

紅の豚』はいわゆるロマンの詰まった叙情的かつ、空賊と戦い合うシンプルな空戦のワクワクさせる楽しさ。ジーナやフィオとの恋、ポルコの「彼らしいかっこよさ」を持つ生き様に惹かれる作品でもありました。そしてアドリア海の青は美しい。

 このラインナップを見てわかるとおり、筆者の駿作品にまつわる好きなところってとっちらかっている気がします。

 そんな自分が今回(ブログ執筆中段階で2回)観た『君たちはどう生きるか』の感想やらでありますが、拙い部分もありますが御覧ください。

 

・感想

 初見は「映像がとにかくすごい作品」でした。スタジオジブリ作品のど真ん中な魅力である、ひとや人外も含めて活き活きとした動きで描きだされる、まるで作中に登場するすべてが生き物であるかのような動きのアニメーションの魅力。それから現実的な風景も非現実的な風景もこれまた実際に存在する質量や情報量を持って描かれる情景を切り取る美術的な映像美。スタジオジブリ作品が持っていて、唯一無二と思わせられるところの魅力が強く生きていた作品でした。

 脚本はよく分からないけれども、とにかく恐ろしいほどのアニメーションを観ていて楽しむといった作品。「君たちはどう生きるか?」という問いには「知らんわ、ぼくに託された部分が少ない」という初見での感覚でしたかね。

 というわけで、「よく分からんアニメ作品は二回くらいは最低観ておけ」という祖父からの遺言(嘘)を胸に、フットワークも軽く二度目の視聴をして参りました。

 はっきりとした理由は分かりませんが、一度目の視聴よりも二度目の視聴のほうが体感時間が圧倒的に短く感じられました。脚本に対する理解であったり観たいところへの集中があったことや、物語を把握していることもあったかも知れません。

 二度見て考えの変わった、この作品への感想は

「すごいアニメーションの興奮が芯として通り、大まかに理解するまで細かく見る必要があるけれど伝えたいことや物語に破綻は決してなく、行きて帰りし物語らしい冒険モノとしてワクワクする楽しい作品であること」でした。

 ちょい難しい作品であるとは思います。割とアニメーションを脚本の魅力で観るタイプの自分でも、自分なりに読み取るのに苦労をしたところがあるので。

 生まれて一本目のスタジオジブリ作品にはやっぱり『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』なんかを勧めるところであり、本作品はもうちょっと大人になってからのほうが魅力が伝わるんじゃないかと思います。

 

・ストーリー解釈やあれこれ

 まっすぐな行きて帰りし物語、自分の世界を生きる主人公が、非日常へとトンネルをくぐり、そこに出会ったもの手にしたものを日常に持ち帰り、彼の成長の糧にする。軸は結構「ど」がつくほどにシンプルです。

 この構図についてはおそらく筆者も含めて視聴したほとんどみんなが一度目で理解できること、であると思いますし、そのシンプルさも魅力であるとは思います。

 ただ、初見でそこそこ理解が難しいと感じるところは「主人公である眞人が持ち帰ったものはなに?」、そこから繋がってゆく「君たちはどう生きるか?」という問いは誰に向けられたものであり、その答えはきちんと作品中にあったのかという部分、問いに視聴者としてどう捉えてゆけばいいのか、ではないかと思います。ここからは物語を振り返りながら、読み込んでゆくこととしましょう。

 一応、ところどころの本作の感想や解釈で見た「このキャラクターは宮崎駿自身を描いている」であったり「この部分はスタジオジブリ作品の〇〇のオマージュである」、「君たちはどう生きるか、という問いへの答えは現在のスタジオジブリであったり、アニメーションクリエイターに向けられている」的なメタ解釈はしない方針で書いていきます。そもそものスタジオジブリ宮崎駿理解についても自分はそれほど深くはないので。

ということでここからは物語のネタバレというか完全に物語全部を語りながら考察しちゃうので、未視聴者さんが読みたい場合は自己責任でよろしくお願いします。

 

 

―序盤のあらすじ

 物語の導入は、太平洋戦争中の東京の空襲による火事で母を失った少年、眞人が、父親と疎開してきた先で継母となるナツコと出会い、広い敷地の屋敷暮らしとなり、その敷地内にある「塔」に心惹かれていくお話になります。

 ここまでのお話で重要な部分なのですが、彼はまだ亡き母(ヒサコ)への思慕が強く、継母であるナツコには心を開いておりません。眞人とナツコが親子関係として初めて対面する挨拶のシーンでも、礼儀程度の挨拶をし、眞人がナツコと屋敷へ向かう人力車に乗り、ナツコが眞人の父との子がお腹にいることを明かすシーンでも、その新たな兄弟の存在を快く思っていない雰囲気を見せます。

 恐らく、屋敷に至るまでの眞人はナツコや彼女が宿した新たな生命、それから屋敷暮らしそのものに対しても一種の無関心以下の悪感情しか持っていません。

 欲しくないもの、欲しくない現実、こういったものに囲まれて眞人の疎開先での生活は彼の諦念をもって始まります。

 眞人はそれから疎開先の学校へと編入することになりますが、父が工場のオーナーあり、いわゆるボンボンである彼は身分の違う他の生徒との関係も快く思っていません。明確ではありませんが、眞人が同級生を見下すような視線もあります。

 それから下校中、彼は待ち伏せていた男子生徒と取っ組み合いの喧嘩になり、怪我をしながら家路へ向かいます。その帰路、眞人は転がっていた石で自分の側頭部を殴り、派手に流血しながら家へと向かいます。

 このあたりの解釈については彼の心中が明確に明かされる場面もないので難しいかも知れませんが、ひとまずシンプルに喧嘩による怪我を大袈裟にすることで、父による喧嘩相手への報復が大きくなることを望んだ、と解釈いたしました。(父に対して眞人は報復を望んでいない素振りを見せますが)

 またその一面で、こういった喧嘩を招いた自分の見下すような目に対する自罰、というのもこもっているのではないかと思いますが……。

 その後、家で頭の治療に専念することになった眞人は屋敷での生活がほとんどになります。その間に惹かれてゆくのは、ミステリアスな塔の存在、彼にちょっかいを出すアオサギの存在、彼は日常から非日常へと少しずつ心が動いていくこととなります。

 このあたりの時系列は筆者の頭のなかでまとまっていないのですが、帰宅した父とナツコが抱き合ったりする姿を偶然目にするのが眞人にとっての、父やナツコを含めた彼自身の現実を否定するスイッチになったのではないかと思います。

 それからの眞人は彼にちょっかいをかけてくるアオサギの退治に対して積極的になり、屋敷の爺に教わりながら弓矢を作ってみたり、実母が彼へ残した「君たちはどう生きるか」という本に触れて、亡き母への思慕を強めたり、現実に対してどんどん気持ちが離れていきます。

 妊娠中に体調を崩したナツコに対しても、眞人は見舞ってみてもそっけない姿を見せては使用人である爺や婆との交渉材料になるタバコをくすねて部屋を出るような有様です。

 このあたり、ナツコ目線で考えてみると仕事中心の夫、自分に対してほとんど好意を見せない継子、妊娠にまつわる体調不良など、彼女にとっても現実から気持ちが離れていく感覚は強かったのではないかと思います。

 結果的に塔に最初に向かったのはナツコで、はじめ眞人は彼女の姿を目に留めても、屋敷の人物にすぐ知らせることはなく放置していました。

 

―塔の入り口のお話のあらすじ

  ナツコが塔に向かったことによってお話は一気に動き始めます。ナツコが塔へ向かうこととなり、にわかに屋敷中の人間は騒がしくなり、彼女の捜索を始めます。眞人自身も彼女の捜索という大義名分を手に入れ、アオサギの語る「眞人の母もそこにいる」という眉唾な言葉に、けれども導かれて彼自身も積極的に塔へと近づきます。

 眞人はぐいぐい塔へとその足を進めてゆきますが、使用人のばあや達の中でもすこしちょいワル的なカッコよさもすこし残したキリコ婆さんが引き留めようとします。しかし、結果的にキリコさんは眞人と同行するような形で塔のなかに足を踏み入れます。

 さて、ここからはもう完全に非現実、不思議の世界。向こう側の世界。世間の常識から外れた不思議な力が支配する世界。眞人はそれをほとんど恐れることなくずいずいと足を進めてゆきます。

 そこで最初に出会うのは、アオサギと、ソファーに寝かされた彼の謂う「眞人の母」の姿。眞人は彼女が実際に母であるか確かめようとして触れてみますが、まるでゼリーのように彼女の身体は崩れてゆきます。恐らくそれはアオサギが眞人の興味を引くために作り上げた人形でありますが、母の人形が崩れてゆくことやアオサギの挑発、眞人にはそれ以外にこもった気持ち、例えば危険なことをしたい冒険心のようなものもあったのでしょう、眞人はアオサギへと手にした弓にその矢をつがえ、放ちます。

 眞人が拾ったアオサギの羽を鏃に使ったそれは、逃げるアオサギを追尾するように動き、そのクチバシを捉えます。

 そうして一時的に不思議な力を失ったアオサギは眞人とともに、大叔父様のお告げにより「ナツコを取り戻す」という指名を与えられたバディになります。

 ここから、舞台は塔の応接室のような部分から一行はまるで別世界へと引き込まれ、物語は大きく進み始めます。

 

―塔の世界の深部のあらすじ

 眞人は塔の中でも何者かの墓が大きく鎮座する、海に囲まれた場所に落とされます。もはや完全に右も左も分からない世界。

 この世界の説明って、「地獄」みたいなことを言及されたようなされていないような。墓の前にある門の上に「我ヲ學ブ者ハ死ス」といことが記されてあったとは思いますが、墓の主への言及もなければ眞人たちによる墓への侵入もなく、存在としてなにか分からないものは恐らくなにかしらのメタファーであったりすると思うのですが、この世界を「死」の場所とする象徴くらいにしか自分は捉えきれませんでしたね。

 眞人は(たぶん)この場所でペリカンの群れに門の入口側から押し寄せられて揉みくちゃにされながら押し込まれていったと思うのですが、このあたりを見ると、ペリカンの存在というのは「生者」に引き寄せられ、ともすれば捕食するような存在。命に対する攻撃(あるいは積極接触)対象のようなものだと思います。

 彼らに襲われた眞人を救ったのは、ひとりの漁師の女性「キリコ」さん。彼女はボートのような船の上から、眞人を引っ張り上げて乗せてまた違う場所へと向かわせます。

 この「キリコ」さんはきっと、まだ若い頃に塔の世界に足を踏み入れたキリコ婆さんなのだと思います。ここでの冒険の経験がもしかすると、まだ眞人が屋敷でのアオサギ退治に必死な頃の弓矢づくりにアドバイスをしようとするあたりに繋がっているかも知れませんが真実のところはよく分かりません。

 さて、この世界でのキリコさんはヌマガシラという魚を釣って、それをここの住人である「殺生ができない者たち」に与えることを仕事としているようで、彼女の存在はこの場所で必要な存在のようです。

 キリコさんが暮らす、朽ち果てた巨大船の一部のようなものにたどり着いたふたりは「殺生ができない者たち」のためにヌマガシラの解体を行います。彼らは幽的存在や魂のようなものかも知れませんが詳しい言及はありません。住人の糧は少なくとも魚、それを通して「命」を食しているのかも知れません。ここでの眞人はヌマガシラの解体をキリコさんに教わりながら行います。この解体、もしかすると眞人にとっても初めての殺生であるかも知れません。慣れない手つきでヌマガシラをなんとか捌き、キリコさんは「殺生ができないものたち」やここで登場する、キャッチーな白いまんまるぽいんぽいんのちいさなゆるキャラ「ワラワラ」に提供します。

「ワラワラ」にはキリコさんいわく飛び立つための滋養が必要なようで、彼らがこの場所から飛び立ち上へ上へと向かっていくその先は新たな生命である「ナツコさんの子ども=眞人にとっての弟妹」。眞人にとってどうだったかは知りませんが、ワラワラが天に舞っていく光景はどこか美しく感動的でもあります。

 しかし、ここでワラワラはペリカンの群れに襲われてしまいます。ワラワラがペリカンに襲われることを好ましく感じず、抵抗をしようとする眞人は、この時点でナツコさんの子どもに対して感情移入をしているのかも知れません。

 そんなとき、一筋の炎の柱が上りワラワラを襲うペリカンたちに対して攻撃します。小舟に乗った少女から放たれるそれはあっという間にペリカンたちを一掃していきます。炎を操る青髪の少女、それはナツコさんいわく「ヒミ」。ナツコさんが言及するところどうやらこの世界において特別な存在のようですが筆者はこのくだりをうっかり忘れました。

 キリコさんの暮らす朽ちた巨大船での夜、眞人は一羽の瀕死のペリカンに出会い彼らと会話をします。そこで、ペリカンたちは自分たちの生まれ故郷を持ち、己の考えを持ち、ただ食べるものに困っているためワラワラを食べようとしていることを明かします。ただいたずらに「生」を貪るのではなく、眞人にとっての食事と同じような生きるための行為なのです。それはもしかすると屋敷での食事を「まずい」と評した眞人のそれよりもすこしばかり崇高な営為かもしれません。

 彼に敬意を持ったのか、眞人は船の端にペリカンの亡骸を埋葬します。眞人はそこで「死と生」を学んだのでしょう。

 はてさて、瀕死のペリカンと出会う寸前で眞人はアオサギと再会します。彼らは軽い口論などを行いますが、主導権を握るのはアオサギにとっての弱点であるその羽根を持つ眞人。以前より気軽な関係になった彼らは、キリコさんの家の手伝いを協力して行います。眞人とアオサギに対してキリコさんは「全ての青サギは嘘つきだ青サギは言ったがそれは本当か?」との問いをしますが、アオサギは「嘘つき」であると答え、眞人は「嘘つきと言っていることも嘘だ」と答えます。

 この部分、眞人の回答には「嘘つきの肯定と否定」が入り混じっているのが面白いです。元々、母の存在という嘘で騙して塔まで眞人をおびき寄せたアオサギに対して、眞人はこの時点で「嘘も言うが本当のことも言う」存在になっていることが伝わります。要は今の眞人にとってアオサギの言動は「ふつうの人間のようなもの」になっているとこの時点で示されます。

 だから彼らは再び本来の目的であるナツコさん探しのために協力しあい、キリコさんから示された次の目的地である「鍛冶屋の家」へ向かいます。キリコさんの家を出ていく際に、眞人はキリコさんの家での彼の寝床で彼を見守るように置かれていた屋敷でのばあやたちの人形からキリコさんの人形をくすねます。タバコの件もですが眞人は意外と手癖が悪い。さて、なんやかんやあってふたりは目的地に辿り着きます。

 そこで暮らすのはインコたち。それも家の中に入った眞人を捕らえて喰らおうとする明確な敵性存在。眞人は再びピンチに陥りますがそこで彼を助けるのは火を操る少女「ヒミ」、助けられた眞人たちは招かれるようにして彼女の家へと辿り着きます。

 

―塔の世界の中心部のあらすじ

 さて、眞人にとって母が焼くいちごジャムのトーストと同じ味のする美味しい食事を供されながら、歓迎される眞人。ここまでたどり着いた目的を聞いたヒミはナツコさんのことを「わたしの妹になる存在(と確か言った気がする)」、ここでヒミは眞人の母親であるヒサコの幼き姿であると確定します。しますが、このあたり特別に眞人が母との再会を喜んだりするようなこともなく、ナツコさんの捜索をするための強力な味方として捉え、ヒミはナツコさんの居場所を、塔の世界の中にある塔のなかにある時の回廊、そのなかの産屋にいると教えて彼を産屋に導き、自分はこの先に進めないと眞人だけを産屋の奥へと進ませます。

 産屋の中、神社の紙垂のようなものに守られるようにして寝台で眠るナツコさん、そんな彼女に対して眞人は当初、「ナツコさん」と呼びかけていたかと思います(このあたりの記憶がすこしあやふや)が、それでもナツコさんは目覚めません。それから眞人がナツコさんのことを「ナツコ母さん」と呼んだときにナツコさんは目覚め、しかし彼女は眞人に対して拒絶的な態度を取ります。すると産屋の紙垂も荒ぶり始め、強力な力によって眞人もヒミもそこで気を失ってしまいます。

 

 さて、このあたりも考察どころになりますね。ここではいくつかの読み解きたい要因が絡まっています。それは「眞人はなぜこの段階にいたってナツコさんを『ナツコ母さん』と認めることができたか」「産屋で行われていた儀式めいたものとは」「なぜ、ヒミは産屋に入ることができなかったのか」さらに「ナツコはなにを拒絶していたのか」、印象的なシーンではありますがその内情の細かいところはあまり説明されません。

 きちんと言及されていた部分として、「ナツコはこの場所で新たな生命を産もうとしている」、これは塔の世界のキリコさんもヒミも確か述べていたと思います。……が、これは本当なのか? という疑問は残らなくもないのです。

 ナツコさんがきちんと愛され、しあわせに出産を迎えるのであればなにも全くもって塔の世界に向かわずとも構いません。屋敷のなかには使用人のばあやたちもいますし、彼女が新たな生命を身ごもってからは医者にもかかっていたことでしょう。より安全に、ふつうに、しあわせに、子どもを出産するということに「塔」の存在は全く必要ではありません。

 ただしかし、ナツコさんは塔に向かうことを望み、出産を待ち産屋で眠る状態になっています。ひとまず、少なくとも塔に来た理由はいくつか考えられます。そのひとつとしては眞人同様に存在の拒絶を感じていた可能性。これはまあ、眞人のこれまでの態度などを見れば、自分をよく思っていないであろう(そしてもしかしたらこれから生まれてくる子にもそれほど好意的ではない)眞人がいる屋敷で、自分の大事な我が子を産む不安。なんなら彼女にとっても初めての妊娠で、それから子育てについて考えても、現状の家族構成というのは非常に不安が大きく、そもそも彼女自身がとてもデリケートな時期にあります。そんな心の揺らぐタイミングで、眞人に対して「お前の母親がいる」と唆したアオサギのような、眞人が大叔父様に誘われたのと同様に、ナツコさんに対して言葉巧みに塔での出産を勧めてくる、大叔父様の使いのような存在がいたらどうでしょう? 眞人以上に高い確率で塔に向かうことを考えるのではないかと思います。

 まあ、このあたりはナツコさんが塔に向かう理由くらいの説明にはなるのですがより安全な出産の説明にはならない気もします。なんなら塔のなかの世界はかなり繊細で、壁ひとつ触れるにも気を遣わねばならない世界ですし、そこら中に人間の捕食者であるインコが存在します。

 それから産屋にナツコさんを寝かしての出産の儀式。産屋というのが神聖な領域であることはその光景で伝わりますが、産婆のような存在もそこには見当たりません。もしかしたら、塔の産屋に彼女を縛りつけていたのは、ナツコさんの精神性。それこそ、眞人がナツコさんや新たな生命を受け止める気持ちが屋敷段階では備わってなかったのと同じように、ナツコさんはここで新た命への気持ちをしっかりと持つ、眞人やその弟妹となる存在、夫も含めた家族との未来へ覚悟を持つこと、タイトル通りの「どう生きるか?」のという問いの渦中にナツコさんはいたのではないでしょうか。

 ナツコさんがここでの出産を望んだことについては、これまで語った気持ちの整理を邪魔するものない場所で行うことでおおむね説明がつく気がします。

 ではなぜ、大叔父様から与えられた目的ではあれ苦難を乗り越えて、ナツコさんのことを求め続けてなんなら「ナツコ母さん」とまで呼びかけた眞人を、彼女が産屋で拒んだのはどうしてでしょうか。その話のひとつは簡単ではあります。

  ナツコさんは塔の世界に眞人よりも先に足を踏み入れた存在で、眞人の事情や心情、目的がどうであれ、この塔のような命の扱いが繊細な場所に足を踏み入れてはならない。要は眞人を心配する心ですね。「なんでお前こんなところ来とるねん」という気持ちになる心の動きは、ナツコさんの眞人に対する個人的な心情を除いてもあるものだと思います。

 そして、もうひとつに少なくとも自分をあまりよく思わない視線で見てきた眞人のことを彼女は見てきています。眞人が心変わりをして真摯に呼びかけたのだとしても、そんなものを知る由のなかった寝覚めの一発目、先ほど説明した通りなんで来たのか分からない眞人、そしてナツコさんにとってはまだ「自分と、その子をよく思っていないであろう」眞人が、眼の前にいれば、「いや、お前ちょっと待て、そもそもわたしにはやることもあるし、今、キミに構ってる暇もないんよ」となりはしないでしょうか?

 このあたりで、産屋でナツコさんが眞人を拒絶した理由や、塔まで赴いて産屋で実際ナツコさんがなにをおこなっていたのか、あたりには説明がつくと思います。

 さて、産屋には入れないというヒミ。これはすこし難しい話であります。眞人は入ることができて、彼女には入れません。ヒミ(ひさこ)が亡くなった者として塔のなかに存在していたら話は簡単で、一種の穢れを受け入れないことなんでしょうがそういう話ではございません。ここにいるヒミは眞人ともナツコさんとも違った時間軸で塔に足を踏み入れた存在。使用人たちの語る「幼いある時期に塔に赴いて、笑顔で帰ってきたヒサコ」であろうと思います。

 だとすると、大叔父様であったりもしかすると本人の意志により本来交わるべき存在ではないものとしてナツコさんと関係していたのかも知れません。「産屋に入るということは禁忌」という話はありますが、それだけで簡単に整理できる話ではないと思います。

 さて、眞人が「ナツコ母さん」とナツコさんを呼び、母として認めるようになった心変わりの遷移ですが、それについては特別明確には描かれておりません。少なくともこういった部分への彼自身のモノローグみたいなものもなく、視聴者にとっては突然の感情変化にも思えるかも知れません。ということで、塔に入ってからの眞人の行動を洗い出し……とまで面倒くさいことはとりあえずやりません。

 ここで重要になるのは、眞人自身が獲得したペリカンたちやキリコさんを通した、下の世界での死生観の受け入れや、ワラワラによる新しい命への思い入れ……、そういったものをまとめての眞人という人間の成長と、「眞人の母(ヒサコ)が生きている」とアオサギに唆されて塔に入ったことからの、いわゆる本来の母への別れの受け入れ、特にヒミとの出会いは「眞人との母としてのヒサコとの別れ」の決定打のようなものになったのではないでしょうか。それによって実母への気持ちが整理されて、新しい母親としてのナツコさんの受け入れと、これまで下の世界で味わってきた、人間としての営為の大変さを経験したことなどが全てまとまって、叔母や「父の好きなひと」として存在していた「ナツコさん」から、眞人の母親「ナツコ母さん」という形で受け入れることができたのではないか。この気持ちの動きもまた、眞人にとっての「どう生きるか?」に繋がっていくとは思いますが、物語はまだ続きます。

 

 閑話休題、禁忌を犯したことによる大きな力によりくだされた罰から目覚めた眞人はインコに捕らえられ張り付けられた状態、インコたちはまた眞人のことを食べようとしますが、そのピンチに再び駆けつけたのはアオサギ。彼はさっくり眞人を助けると、今度はヒミが捕らえられてインコ大王の元へと連れ去られ大変な状況にあることを伝えます。これから眞人たちはインコの群れが集まるインコ帝国の裏側を通って、ヒミの救出へと向かっていきます。

 さてここでの考察ポイントはインコ帝国やインコ大王なんですが、正直言ってあまりよく分かりません。たしかどこかの段階でインコについては大叔父様が現実世界から塔のなかに持ち込んだ生き物であることが言及されていたはずです。とすれば、大叔父様が塔で過ごすことを許した存在であるということです。塔に訪れたなかでも大叔父様の親族にあたる眞人やナツコさん、ヒミに次ぐくらいにはその行動に対して大叔父様に許しが与えられているはずです。ただ、本作におけるインコの描写は決して実物のセキセイインコそのものではありません。人間サイズに大きく育ち、人語を解する特別な生き物。ゆるキャラのようなとぼけた見た目でありながら、その実際は食性にかなり素直で、人間に対しては騙して捕らえて食べようとするような酷く残忍とも思える行動をとっています。人間を騙して食することについては、生物の本能に基づいた自然な行動と言えなくもないですが、大叔父様の親族すらも襲おうとするその生き物が行動の自由を許されていつことについてはあまり理由が思い浮かびません、それから帝国と呼ばれるほどに異常な数の繁殖が行われたこと(≒そこまで、なんらかを食して生き続けてきたこと)も同じくです。インコ大王については、繁殖が肥大し、塔のなかにおける上位存在として存在するその長であり、塔におけるある種の自治組織についての長にもあたる存在でしょう。個別のインコとは違いかなり知性は高く、行動についても無駄な残忍性や眞人たちを食そうという行動をする姿もありません。さらには大叔父様の信頼を獲得して禁忌の罰を執行する役割まで与えられています。これはただの推測に過ぎないのですが、大叔父様が持ち込んだ最初のインコであるという解釈も可能な気がします、が、答えのようなものは出ないので、この存在たちの解釈は他のかたの解釈に登場することを期待することとします。(※7/28日加筆修正部分)

 

 インコ大王は捕らえたヒミを大叔父様の元へと連れてゆきます。外部の人間を産屋まで連れてきて侵入させたその罰を与えるためですが、とりあえず、ヒミは大叔父様の子孫であってその罰はどうやら不問とされます。(この辺の記憶は曖昧です)

 もしかしたら、眞人を大叔父様の元まで連れてくるための餌のようなものとして考えているかも知れません。どちらにせよ大叔父様自体は眞人やヒミに特別罰のようなものを与える気はありません。

 インコ大王が与えてくる困難をアオサギと協力して乗り越えながら、やがて彼は大叔父様の元へと辿り着きます。

 そこで彼は大叔父様という存在が「この塔を平和に成立させるための調律役のような者」であることを知ります。その手段は無垢なる石を用いた積み木を、崩れないように何度も何度もずっとずっと組み替えながら組み上げること。大叔父様はこの大役を眞人に継いでもらいたいと彼に告げます。

 

 しかし、石を何度も何度も永遠に積み上げるって、賽の河原の石積みやん。まあ大叔父様は大きな仕事で資格ある者にしか任せられないように言っておりますが、実際のところ、大叔父様の命がもう尽きてゆくとしても、眞人に与えようとしている役割は賽の河原の石積みそのもの、「親より先に亡くなった子どもに与えられる罰」です。

 

 ということで、塔の世界について考える必要があります。

 この場所は隕石の落下によって生まれて、この場所を屋敷の脇に見つけて塔の形にした大叔父様の手によって日々調律されています。そして大叔父様は常人より長い時間をここで生きていると推測されます。しかし、どうやら不老でも不死でもないというのが考えを難しくさせます。大叔父様が不老不死であればここはシンプルに隕石の落下によって生まれた、ひとの近くにある「死後の世界」みたいに捉えられるのですがそうではありません。そして、眞人やヒミのように違う時間軸から訪れた人間を同じ時間で過ごさせることのできる器のような場所でもあります。この塔には各々違う時間に出入りすることのできる時の回廊が存在します。

 となるとここはひとつのタイムトラベルが可能なその分岐点としても使えるかも知れないのですが、眞人とヒミがインコに追われ一度扉の無効に避難した際の口ぶりを見るとどうやら適切な時間軸のドアから出入りしないといけないルールはありそうです。

 ということで、ポエミーに解釈してお茶を濁すと、この場所は時間というルールから大きく解き放たれた特殊な場所「時の揺籃」とでも言えるかも知れませんし、大叔父様の役割は賽の河原の石積みですが決して、この場所自体は彼岸ではなく三途の川そのものなのかも知れません。もしかすると輪廻転生を司る場所なのかも。だから塔の下の世界からには強い「死」のモチーフが多くあり、その割に中心部には新たな生命を育むための産屋は存在する、という。

 だとして、此岸で生きることを拒んだ人間だけに、恐らく塔の世界を調律する資格があるのでしょう。

 

 ということで、眞人は大叔父様から役割の継承を請われますが、はっきりと断ります。このあたりの対話で、眞人にとって自身が頭につけた傷を「悪意」と称し、「人間の世界でアオサギのような友人を見つけて生きていく」と答えます。

 この「悪意」自体をどう解釈するかは余地がありますが、眞人にとってそれこそ様々な意味があって、そのなかでも特に人間としてのしがらみをそう呼んだのではないでしょうか。

 大叔父様と継承の対話に決着をつける頃の眞人には、もう塔に入った頃の厭世的な部分はありませんし、自身が拒んでいた「ナツコさんを母と認める」ことも「母がこれから産む子を疎む」こともありません。なんならヒミ(後の実母)との出会いや同行を重ねることで、「亡き母をそうとして受け入れる」そこまでの体験を行っているのです。

 だからこそ本当に、眞人が継承を拒んで塔から帰ることはもう当たり前の答えとして、大叔父様に告げることができるのです。

 眞人にとっての「どう生きるか?」はここまでで回答が出ています。

 

 けれども、眞人の回答やそれを受け入れた大叔父様に不満を持ったインコ大王は、適当に積み木の積み、しかしながら世界を継続させようとします。不満は当然でしょう、自分が生きる世界、ましてや王として君臨することのできる世界が崩壊に瀕しているのですから。結果的にインコ大王にはこの塔の世界を成立させるための石積みは出来ませんでしたし、塔の世界の崩壊は始まります。

 

 眞人とアオサギは時の回廊に向かい、そこでヒミとナツコさん、そしてキリコさんとも合流します。そうして眞人はヒミを連れて、彼の時間軸に戻る扉から脱出しようと問います。現在はまだそうではないとしても、眞人の母であり、彼女が戦火に焼かれる未来を知っているのですから。

 しかし、ヒミはそれを拒み、眞人は「戻った母さんはのちに戦火で死ぬ」といったようなこと(記憶が曖昧ですが、眞人にとってのヒミが母であることと、やがて戦火で亡くなること自体)を述べます。その言葉にもヒミは明るく、「いいじゃないか、眞人のような子を産み育てたならその死は幸せだったのだろう」というようなことを答え、そうして、正しい時間へと彼らは帰っていきます。

 ヒミ(ひさこ)にとっての「どう生きるか?」にもここで答えが出ていたのかも知れません。

 132番の扉からインコやペリカンたちとともに出てきた眞人とナツコさんの目の前には、彼らを捜索するために必死な姿の父がいます。塔の世界で姿を変えたものは本来の人間世界での姿に戻り、眞人やアオサギはそのままの姿で戻ってきます。脱出した眞人が塔での記憶を持って話すことに驚いたアオサギは「塔の世界の記憶は持ち帰ることが出来ない。塔の世界で重要なものを持ち帰らない限り」的なことを言います。

 はてさて、眞人には手癖の悪さが伏線として張られていますが、大叔父様とのこの対話を行うための道すがら、あたりに転がっていた塔の積み木と同じ素材である無垢なる石をひとつ手にしていましたし、そしてキリコさんの部屋でもキリコさんの人形をくすねていました。

 塔でくすねたものを見せた彼にアオサギは呆れもしますが、「お別れだぜ、友だち」というようなことを言って眞人と別れます。そうして眞人のポケットから人形の姿から解き放たれたキリコ婆さんが出てきて、ナツコさんと眞人と共に屋敷へと戻っていきます。

 

―大叔父様とアオサギは結局なんだったのか(※7/28加筆修正部分)

 大叔父様については、視聴者である自分たちが解釈する以前に、使用人のばあやたちの話自体でもその実体が揺らいでいたような気がします。「塔の世界に恐らくルールを持ち込んだ人物(元は隕石の落下によって生まれた不思議な場所、だったものに、海の世界やヒミの家のような一種秩序立った、ひとの生きる場所を構成している)」「塔の世界を平和に保つ」、「そのために生きながらえながら、役割のように積み木の塔を積み続けている」というのが視聴者としての自分たちに与えられた情報であります。大叔父様という言葉をまっすぐに捉えるのであれば、眞人やヒミ(ヒサコ)、ナツコさんの親族ということになりますが、そのことについても、たとえば眞人とヒミやナツコさん同士の互いの認識による承認のような、証拠めいた言及がなかったりします。

 だからといって、そこを深掘りして解釈が進められるということではありません。より謎が深まりしそうなので、あくまで親族として考えます。そしてただ、彼は作中誰よりも孤独であったことは推測できます。おもちゃ箱のような塔の世界を作ったのは、また、塔の世界を調律するルールを行う(というかそこに役目を与えたことまで)、ただ、厭世的だったかも知れず誰より先にこの世界に足を踏み入れた彼が孤独な時間を埋めるためのものだったかも知れません。誰より孤独な人物のメタファー、それが大叔父様という存在、なのかも。

 それからアオサギです。眞人を騙すように塔に導きながら、大叔父様の指示を受けてからは眞人とともに塔の世界での冒険を繰り広げ、少しずつ互いを理解していきながら、最終的には眞人から友人と呼ばれる存在にすらなります。

 イメージボードに彼の姿があるほどの重要なキャラクターでもあり、この物語の副主人公と呼べるかも知れません。とはいってもアオサギはこの眞人との冒険に全て同行していたわけではありません。常にいるようで、場面場面で彼の存在は消えているのです。(記憶が間違いでなければ)大叔父様から「ナツコさんを連れ帰る」ための言いつけを眞人とともに受けたはずですが、最初に眞人が落ちた海の世界では彼の姿はありません。同様に、キリコさんの家を出るときに彼はまたいっしょに同行することになるはずですが、ヒミの家では彼の存在が消えていたりします。その代わりにインコに捕らえられて眞人がピンチに陥った際にはすぐに駆けつけたり、インコ大王たちがヒミを連れていく際には眞人ともにしっかり協力して冒険の供となります。

 眞人にとって相当に都合がいい存在ではないですか?

 眞人が屋敷にたどり着いときにまずいちばん最初に彼に近づいてきた存在であり、その頃からアオサギは決して「眞人に襲いかかる存在」ではないのです。屋敷にやってきた眞人に興味を持って近づき、眞人が現実世界を疎んだ頃、彼は仮想敵として都合よく眞人の冒険に付き合ってくれます。また「眞人の母親(ヒサコ)が塔にいる」という言葉で眞人を騙したりして結果的に塔へと眞人を導きはしますが、その行動を選ぶ主導権については基本的には眞人が持っています。アオサギにとって弱点となる彼の羽根を眞人が持っていても、それを奪い返そうという行動を取らないのです。

 じゃあなにか、というとアオサギという存在は「誰よりも眞人が必要としていたもの」ではないでしょうか?

 大叔父様に対峙するまでの冒険を経た、眞人にとってあらゆる呼び方を彼に対してできたと思いますが、選ばれた答えは「友だち」となります。

 となると、この物語で眞人が必要としたものはどんなかたちでも自分に興味を持って冒険に付き合ってくれるような存在。アオサギはそれにぴったりだったとは思いますが、自分が主導権を持てる相手を「友だち」とするあたり、眞人はまだ友人関係の形成に不器用なのだろうなと思います。ちなみにアオサギが眞人のことを騙して近づいたあたり、友人関係形成の最初って嘘で興味を引くことも割とよくあることだよな、と思います。まあ、そんな感じでアオサギはいささか眞人に都合が良くはありますが、彼が呼んだとおり「友だち」、とそしてこれは穿った見方にもなるのですが、眞人が生み出した架空の「彼の必要とした者」という可能性もあるのだと思います。

 

 さて、物語にお話を戻しまして、塔から帰還して2年、戦争も終わった東京へ眞人たち一家は帰ってゆくこととなります。眞人と屋敷から出ていく彼の弟も恐らく2歳ほどの姿で。そうしてあっさりとこの物語は終わります。ジブリらしい水色のエンドロールが流れたあとには、おまけのシーンもありません。

 

 いやー、面白かったですね! と言うにはあまりにも演出的なエンタメめいたエンディングはありません。きっとそれは正しく「君たちはどう生きるか」という問いかける物語の終わりで、物語が綴じられたあとの時間は、この作品を受け止めた視聴者がその問いを考える時間なのでしょう。

 

・ぼくらはどう生きるか

 ここからは余談です。ただ筆者の「どう生きるか」について考える部分なので、作品考察を読みたかった読者の方にとっては不要なところになります。

 この作品を最初に見た自分は作品と、その問いについて整理をしかねました。実際、筆者は解釈不足だらけで、作品をまだ受け入れてなかったのでしょう。

 なんなら作中の色んな部分の解釈について、それから1週間後の2度目の視聴が与えたもの以上に、こうして感想や考察を書きながら行っていました。

君たちはどう生きるか」という問いかけへの答えは、この記事を書き始めた自分のなかにも備わっていません。

 塔でのあらゆる経験から彼にとっての今の世界と呼べるものを受け入れて、友を得て現実世界で生きることを選んだ眞人の姿は、筆者である自分にとって眩しいです。眩しすぎるほどです。

 自分自身の子どもを産み育てることの不安や、少なくとも塔に訪れる前の拒絶的な眞人と暮らす不安の整理を行ったであろうナツコさんの姿もまた眩しい。

 どちらも自分にはまだ憧れる姿です。

 筆者である自分にはまだ、多くの人間に支えられて生きていくことに必死で、ただ、人並みの暮らしとは言わないものの、生活のなかでなにか小さなものを得て、それを幸せとして暮らしていきたいと思うような感情があります。

 とすれば、ヒミが選んだ「自分の死を笑顔で受け入れられる姿」が自分にとっていちばん自分にとってどう生きていきたいかの姿になるのではないかと思います。

 この答えもまたきっと、『君たちはどう生きるか』という作品を2度観て、作品の考察記事を書いた頃の自分の答えで、やがてそれからもうしばらくののち、3度目の作品視聴をし、またそこから何かを得たら、その回答も変わっていくのでしょう。生きることを選びやめない限り、「君たちはどう生きるか?」という問いかけに対する答えは変わっていくものなのだろうと思います。それこそ、眞人や関わる登場人物たちが作品世界のなかで変わっていったとおり。

 

・筆者は感想をどう書き直すか

 これだけ字数をかけて考えながら記事を書いたらそりゃ、感想も変わるやろという話です。ぶっちゃけ作品を観た時間が2時間強、それを2回で約5時間。その倍以上の時間をかけてこの考察&感想記事を書きました。

 ということで長くはなりましたが、これまで作品に触れ続けたあとの『君たちはどう生きるか』という作品に対する感想です。

 アニメーションについては、キャッチーなモチーフの導入や派手な演出こそ行っておりませんが、作品冒頭の戦火から逃れるように駆ける眞人の姿、お屋敷の描写の細部や、塔の世界の背景美術、ワラワラが新たな命に向けて昇っていく感動的な姿、ヒミの家でのいわゆるジブリ飯、大叔父様の過ごすほとんど真っ白な部屋の美術、アオサギに限らずあらゆる多くのキャラクターたちが動く姿、膨大な数のインコたちが人間世界へ帰っていく瞬間の違和感なくシームレスに変化する動画などなど、その全てが現在観られる国内作品のアニメーションとしては最高クラスで、スタジオジブリ作品の持つ動画技術の髄が詰まったものとして、それに触れることは素晴らしく楽しいと思います。

 そして、この物語に関してですが、相当に解釈について頭を使い、行間を作品の中や外から探して自分なりの答えを導き出す、その行為自体がこの『君たちはどう生きるか』という作品の「ちょいとスロースターターで、派手さもなく、ポップでもない、けれども考える余地が様々なところに残されている眞人たちの行きて帰りし物語」の視聴体験以上にはちゃめちゃ楽しかったです。

 ということで感想をまとめると、スタジオジブリ宮崎駿のタッグだからこそ観られる最高のアニメーションと、決して派手ではないエンタメかつ哲学的な脚本に、おそらく創り手側から視聴者として与えられた、深い考察行為がめちゃくちゃ楽しめた作品」というのがこの『君たちはどう生きるか』という作品についての感想になります。

 

「君たちはどう感想を書くのか?」、感想を書き終えた自分はこの作品についてどういう感想が見られるかものすごく楽しみです。

 

 以上、この『君たちはどう生きるか』という作品についての考察感想記事を締めさせていただきたいと思います。

 願わくば、この映画を観てこの記事にたどり着いたかたが、作品を読み解きながら同じように楽しく感じられたら幸いですし、この記事に触れてなんらかそのかたなりの作品感想やそういったものを書くきっかけにでもなったら喜びこの上ないです。

 ここまでお付き合いいただいた読者のかた、マジでありがとうございます、あとダラダラ長くなってすまなんだ。

 では、また。

 

ルゥシイさんの2022年

・概略

 2022年は目標を抱えずに始めた一年でしたが、納めてみると様々なことが前進した年だったと思います。ここ数年の引きこもり生活と無職生活からの脱却が知らず知らずのテーマになっていたのではないかと。

 アルコール依存症の治療病棟からの退院後数年、病気療養と名目づけてアニメ視聴と最低限の家事以外のほとんどをしない生活が続いていましたが、今年はGW前の釣具屋バイト就活時期や、この秋冬にかけての職業訓練への受験活動など今までならストレスとプレッシャーでやれなかったことに手をつけることになり、とかく今までの自分と変えるという変革段階まで持っていくことができました。

 多分その副産物ではありますが、創作に対するインプットが増えた年であったと思います。特にほぼアニメ映画限定ではありますが劇場に赴く機会がとても増えたと思います。

 

・今年のルゥシイさん的映画ベスト3

 とここからは流れるようにエンタメランキングに流れ込んでいきます。

 

1位. すずめの戸締まり

 新海誠監督ってこんなにすごかったんやなって。ほろ苦青春映画に独自の光線を与えてエモエモしくする監督というメジャー化してから初期の監督イメージと全く違う作品になっていました。

 それはまあ、同監督作品でもあり爆発的ヒット作品『君の名は』でもそうだったのだったと思いますが、とにかく自分の目から見てとても大きく変わったと思う点は、爆発的に物語構築が上手くなったという部分でしょうか。

『君の名は』の物語の見せかたはこれはこれで一級品だったと思います。同じ時代をすごす男女の体が入れ替わり、それによってお互いの抱えた問題が変容していく……と見せかけた導入部分だけでもフックがたくさんありますし、そこから実際の二人が過ごした時間軸のズレと、それによって育まれていく瀧くんと三葉の恋慕の念、大災害に対して向かっていく大きな物語への接続。とても仕掛けの楽しいアトラクションに乗るような物語の快感がありました。

 一方で、『すずめの戸締まり』という作品。こちらは物語に対する大仕掛けについては鈴芽という少女の出自にとどまっています。それ以外はいたってシンプルな鈴芽という少女の巻き込まれ型のロードムービー。始まりの時点で大きな物語に接続していた以外はそれほどキャッチーではなかったと思います。そんな作品に観客をノせていくのは、物語進行のテンポの良さ。観ていて無理のないスピードで鈴芽と草太さんの戸締まり物語は宮崎から始まり、愛媛に神戸へと進んでいきます。それは呪いで鈴芽の椅子に変えられた草太さんとダイジンの絵面の面白さだったり、戸締まり先の現地で出会う魅力的な登場人物たちとの掛け合いだったり、変化球がない代わりにとても技術を要する部分で面白さを強化して見せていたのではないかと思います。主線の物語の裏で環さんの鈴芽を追いかける物語が同時進行する、というのも技巧的だったと思いますね。

 とまあいろいろ考えて、むずかしいことが言いたいんじゃなくて、物語のリズミカルな見せ方や大きな物語や主題への接続のスムーズさで、お話へ集中させる地力のようなものが圧倒的に成長していて、すごくあっという間の視聴体験に繋がっていたと同時に、いつの間にか鈴芽と草太さん、環さんや芹澤くんの人間関係のお話も進行したりしていたりと、一石三鳥みたいにお話が進行していて楽しい。しかも大仕掛にあるメインの鈴芽のトラウマ解消への接続もきれいでよかったねという話です。

 それを新海クオリティーの超美麗映像で見せられる快感、このへんの両輪がはっきり回っているおかげで、没入感が半端なかったというわけですね。

 一作目から話が長くなり過ぎそうなので、とりあえずこの作品の感想はこのへんで。

 

2位.トップガン・マーヴェリック

 トム・クルーズがかっこよくて、それ以外は快楽的な空戦描写を楽しむ映画ですね。とりあえず、物語は前作からの相棒の息子との関係修復がメインなんですが、それはほとんどついででトム・クルーズかっこいい、迫力のあるぐるぐる視点で映される空戦映像めちゃくちゃかっこいいだけで時間が進んでいく、そんな映画です。そのため、劇場で観ることが大事。IMAXマジ快感でした。

 

3位.ぼくらのよあけ

 原作は10年以上前の今井哲也さんによるSF漫画作品ですが、原作にある友だち間の衝突やその解消によるジュヴナイル感や、宇宙船「2月の黎明号」を団地の屋上から打ち上げる視覚的快楽などを劇場アニメーションクオリティで再現以上のブーストがされていて、とてもいい映画化でした。キャラクターデザインのアップデート以外は個人的に全く不満のない映画化でしたね。

 

次点.地球外少年少女

 『電脳コイル』で数々の賞を獲得したアニメーション監督「磯光雄」の新作アニメーション。近未来の宇宙空間とAIをメインテーマにした映像作品。キッチュな近未来描写と様々なギミックによる物語の緊張感の出し方が非常に高い視聴興奮度の高い作品でしたが、終盤の物語にいささか省略感があったのでこの順位といった感じです。すごくいい作品だったんですが、同時に惜しい作品でもありました。あと、上映館数が少なすぎて劇場で観ていないというのもありますね。(そこが大きすぎる)

 

 とにもかくにも劇場映画作品としては個人的に『すずめの戸締まり』が頭ふたつくらい抜けて素晴らしい作品だったというのが体感でした。新海誠監督映像だけじゃなく物語づくりもすごいんだなって。

 

・今年のルゥシイさん的音楽ベスト5

 今年はいろいろ音楽に対する姿勢が変わって音楽視聴機会がこれまでより一気に増え、それにより聴く作品もぐっと増えました。中身に自分で発掘した作品はなくTwitterのTLで勧められていた作品がランキングのほとんどですが、それゆえ良い作品ばかりですので、今後音楽を聴く参考にでもしてください。

 

1位.There is So Much Here / Glen Phillips

 すごく耳馴染みがよくフォーク・ロックとしてポップなだけでなく、音楽的下地として軸の力強さを感じさせる部分が非常に大きな魅力となって聴かせてくれる作品です。誠実でまっすぐ、アコギや軽めのディストーションギターを中心としたアレンジの全てに嘘っぽさがなくまろやかで、美しいメロディーを聴かせるのに一切邪魔をしないそんな稀有な一作です。

 

2位.Fables from Fearless Heights / The Lickerish Quartet

 伝説的パワーポップバンド、ジェリーフィッシュからロジャー・ジョセフ・マニングJr.を中心としたメンバー3名により結成された、パワーポップバンドによる傑作パワーポップアルバム。その下地にはビートルズや初期のELO、ビッグスターなども感じたりさせますが、とにかく収録されたすべての曲がポップネスに溢れて音楽的フックにも満ち溢れており、めたくそ聴きやすくだからといって味が濃すぎず飽きさせない作品に仕上がっております。時代が時代なら語り継がれてもおかしくない素晴らしいポップアルバムです。

 

3位.結束バンド / 結束バンド

 今年放送されたアニメーション作品『ぼっち・ざ・ろっく!』の作品内バンドのアルバムとして発表されたこのアルバム、とにかくツインギターのガールズインディーギターロックバンド作品として傑作といって良いクオリティに仕上がってます。アニソン/キャラソンアルバムの枠を大きく通り越して、「ギターと孤独と蒼い惑星」のようなロックな楽曲はとにかくディストーションギターの快楽に溢れたソリッドな音像として響き、「小さな海」「フラッシュバッカー」のようなミドルテンポの曲もバンドサウンドとしてのスケール感があって、とにかく文句なくかっこよく、それでいて素晴らしくポップ。ガールズロックとしては少し外れたファンキーでAOR的ナンバーの「星座になれたら」がいちばんのお気に入りですが、作品の懐広さゆえのご愛嬌として受け取ってくださいませ。

 

4位.Tchotchke / Tchotchke

 まるでPavementの落とし子のような、ヘンテコインディーロック三人娘によるアルバム。これまたひねたメロディーを展開しつつも素晴らしくポップで聴きやすく仕上がってます。音楽的な軸はインディー・ロック~パワー・ポップだと思いますが、フレンチポップ的な味わいのある楽曲などもあり全く飽きさせません。Camera Obscuraにディストーションギターを弾かせたようなそんな作品。説明だけじゃ分かりづらいものの、とにかくポップネスに溢れたインディー・ロック傑作なので、音を聴け、音を。

 

5位.Going Places / Josh Rouse

 ほんのりレトロスペクティヴかつ温かみのあるウェルメイドなフォークポップ。どことなく初期Vampire Weekendを感じさせる曲があるのもいいけれど、とにかく良い意味で耳に邪魔な引っ掛かりがない。フォーキーななかに耳障りな音色を入れてこないアレンジの優しさややわらかさ、それがスムースなメロディーとともに耳を通ることによって、快い音楽体験ができるそんな一作です。

 

・ルゥさん的今年のアニメーション作品トップ5

 ここ数年、ワンクールに20作品くらいアニメ視聴していたので、多少は参考になると思いますが、なぜだか選考作品のクールが偏ってしまっております。そこはご愛嬌という温かい目で見て楽しんでください。

 

1位.ぼっち・ざ・ろっく!

 「最終話の最大風速なら~」とか「単純なクオリティなら~」とか様々な作品と迷いましたが、全体を通して一番楽しくクオリティの高いエンターテイメント作品としてこの作品を挙げさせてもらいました。女子高校生四人によるガールズバンドのバンド描写と日常描写をメインにした作品として、放送開始前には「令和のけいおん!」などと期待されていましたが、その期待をまるで別方向で裏切っていく作品になりましたね。

 誰ともうまく仲良くなれない陰の女の子だけれど、ギターへの熱中心はすごく高くて自分ひとりで膨大な時間をギター練習に捧げた少女、後藤ひとりちゃんの「ギター少女としてのかっこよさ」の興奮、「ひどい陰キャとしての奇怪な行動の面白さ」のコメディ的楽しさ、それと女の子同士の好意の矢印も楽しめるようなちょっとした百合作品の味にも仕上がっていて様々な角度から楽しめる作品になっていてそれがとても良かったです。ただ、作品の面白さとしての中核をなすのは前者ふたつでしょうが、それと巧みな映像技術による演奏シーン描写や演出などでとても上手く面白さがブーストされていましたね。とかくこういう場で書きあらわすには紙幅が足りないですが、多くの点で満足度が高く思い入れも強い作品でした。

 

2位.ヤマノススメ Next Summit

 これまで3期続いてきた、山ガール四人による登山アニメーションの体をとった、主役である雪村あおいと倉上ひなたのふたりのすごく濃く深い友情関係を描く高い強度の百合作品。4期となり初めて1話30分という標準的アニメーション尺を与えられましたが、そこで描かれたのは、これまでの3期までで培ってきた彼女たちの関係の成長した描写がメインでした。そうして物語の軸にははっきりとあおいの一度挫折した富士登山へのリベンジが据えられ、物語後半はそこに対するフォーカスがぐっと絞られ、その達成となる最終回は圧巻。これまでの物語をひとつに結んだような様々な仕掛けは作品ファンとしてすごく興奮させられて同時に感動もさせられ、感情がはっきりいってぐちゃぐちゃになりました。ただ初見では自然と視聴後拍手したくなるような快哉を叫びたくなるような、喝采の感情が強かったです。あくまで、冒頭4話を3期までの振り返りに使うというような構成で、はっきりいってそれが個人的にはマイナスポイントですが、それでもこの最終回の快楽に結実させた、4期全てでこの作品を見ろというような熱量の最終回が素晴らしくてこの位置にランキングさせていただきました。

 

3位.サマータイムレンダ

 この作品に対しては、個人的な愛着というのがすごく薄くて、SFサスペンスアニメーション作品としての物語評価と圧倒的な作画表現による興奮という、ほぼ単純な作品クオリティ評価としてランキングさせています。時間ループをテーマにした作品らしく、最初の数話はいささか退屈な部分もありましたが、それを乗り越えていくと作品内での敵性存在である「影」とのやりとりや、その正体や存在理由に向けて進んでいくミステリー的な純粋な物語の興奮が深まっていき、中盤以降は完全に目が離せない物語になり、もともと高かった作画表現もアクションシーンでガンガン活かされてゆくようになる視覚への興奮度の高さも素晴らしかったです。キャラクターも主人公を食う勢いで活躍する「影潮」という主人公慎平の死んだ幼なじみの「影(ファントム)」的存在がとにかく物語の窮地を常に逆転させてくれたり、幼なじみ恋愛描写の切なさも乗っけられてすごくエモい存在として慎平の隣にあるのが良かったです。おかげで生まれる最終話、リセットされて再構成された現実のエピローグがものすごくエモくなりました。

 まあとにかく様々な方向で隙のない傑作アニメーションに仕上がってますので、まだ触れていない方々にもとても簡単におすすめできる作品です。ハチャメチャにいいアニメ作品です。

 

4位.Do It Yourself!! ―どぅー・いっと・ゆあせるふ―

 一方でこの作品は完全に思い入れ先行での選考です。絵がとても上手でほとんどのことに物怖じしないこと以外は、不器用で空想癖持ちなところが危なっかしい女の子である結愛せるふがひょんなことから入部することになるDIY部で、様々な新たな友人を見つけていって、仲の良かった幼なじみとも関係修復していくという、シンプルなニッチ部活動ものなのですが、そのメインテーマである趣味的存在としてのDIY(工具と自分のアイデアでいろんなものを作っていく)と、アティチュードとしてのDIY(お前らの思うようにやっていけ)が両輪となって、せるふやそこに関係していく様々なキャラクターの関係構築を広げ深めてゆく癒し系ストーリーになっていくのも素晴らしかったです。同時に作品内でのDIY的ものづくり描写もガチで、満足度の高い映像作品に仕上がっているのも魅力でしたね。ただ、作品としての白眉はせるふとこれまでうまく素直に仲良くできなかった幼なじみのぷりんとのものづくりを描いた最終話でしょうか。自分たちの思い出深いベンチの一部を新たなものに作り変えていく、そうして思い出をリノベーションしていくエモさが素晴らしかったです。観てないみんなに観てほしい、秋アニメのダントツのダークホースです。

 

5位.かぐや様は告らせたい ―ウルトラロマンティック―

 これまで魅力的なラブとコメディを展開させてきた生徒会室コント作品の3期。様々な手法で飽きさせずに魅力溢れるキャラクターたちを見せてゆくのですが、この3期では元々モブ的不憫キャラであった四条眞妃ことマキちゃんが魅力的な脇役として一気に前線に出てくるのもよかったですし、学園祭である「奉心祭」での御行とかぐやだけじゃない様々なキャラクターのロマンティックなラブコメ展開に結びつけてゆく流れもとても良かったです。原作も大好きな作品でしたが、3期アニメの終盤は最終話一時間スペシャルも含めて素晴らしい満足感でとても良かったです。原作がつい最近完結しましたが、どうせならこの続編もアニメ化されるといいかも知れませんね(個人的にはストイックな話になりすぎるのであまりおすすめしてはしていません)。

 

・総評

 今年はここ数年と違ってアニメだけじゃなく音楽も楽しめて、いろんなコンテンツ欲求が上がって良かったです。来年上手く就職までいってしまうと創作物へのインプットにかける時間は減ってしまうかも知れませんが、来年は自分もより楽しく創作に向かっていきたいので、よければ見守ってくださいませ。

 数年ぶりのブログ更新ですが、気持ちとネタが続けばまた定期的にやっていきたいので、来年もこういう事ができるように前向きな気持ちで過ごせるようやっていきたいですね。

 皆さん良いお年を! みなさんの元気な姿がぼくの前向きな感情のえさになるのでよろしくお願いします。来年も元気に時間を過ごしてくださいませ!(年内にブログがアップロードできて良かったです)

『ハミダシクリエイティブ』感想。

 このブログを更新するのは実に半年近くぶりになります。前にブログを更新してたときのお題は、依存症治療の入院からの退院のこともあって「アルコール依存症」でしたが、今回のエントリのネタはかなり自分らしく、エロゲ感想です。

 ちなみに、前回のエロゲ感想はぱれっとの『9-nine-』シリーズのもので、やはりそれから約半年ぶりくらいになりますね。期せずしてかなり大絶賛に近い感想を書きましたが今回はどうでしょう?

 というわけで今回感想を書くソフトは、まどそふとの『ハミダシクリエイティブ』という作品です。2020年9月25日発売と、けっこう、近々の作品になります。(といっても発売から二ヶ月近く経っているのか……)このメーカーの作品は『ワガママハイスペック』だけプレイ済みで、あの時は妹キャラである兎亜目的で始めて、意外とその幼馴染の後輩である未尋にハマったような記憶があります。多分、この作品リアルタイムではアニメ化もされたんじゃないかと思いますが、観ていないのでその辺はよく思い出せません。

 まあ、ネタバレというネタバレもないタイプのエロゲとは思いますが、感想にネタバレが気になるひとはこのエントリからペッとグーグル先生にでも飛んでください。

 

 さて、この作品は「ハミダシ」という言葉が表すようにちょっと、世間からはみ出したキャラクターたちがメインになり、学園モノというジャンルでありながら大体の登場ヒロインは不登校だったりします。また同時に「クリエイティブ」というところで、ヒロイン各々が「作家」だったり「声優」、いわゆる「絵師(プロの萌系イラストレーター)」、果ては「VTuber(ヴァーチャルユーチューバー)」をやっています。そんなヒロインたちと、突然の生徒会長退任とそれによる全校生徒のくじ引きから学園の生徒会長になった主人公たちが昇級単位とかの問題で生徒会で活動していき、各々の交流を深めていくというのがメインのストーリーになります。こう書いてみると、王道学園モノっぽいけれどもけっこうクセがある設定ですね。

 物語の序盤からはいわゆる学園モノ定番の仲間集めストーリーで、主人公は、やはりクセのある性格のヒロインたちをミッション的に生徒会に引き込むために、東奔西走します。はじめはくじ引きで選ばれた主人公本人も乗り気じゃなかったのですが、ヒロイン集めをしながら、徐々にヒロインたちと仲良くなるにつれて、生徒会活動というものにも前のめりになってゆきます。そうして、メンバーが集ってからの他校生徒会とのシンポジウムや、そこで「面白いものにする」と約束してしまった文化祭がストーリーの軸となります。

 ここからは、攻略したヒロイン順で感想を書いていきましょう。

 

・錦あすみ
 素直で優しい後輩ではありますが、同時に引っ込み思案なところがあり、本人の自己評価もかなり低い女の子になります。VTuberという本人の顔出し無しの世界では本人も楽しみながら自己表現をしており、いわゆる登録者数みたいなものもすごい娘ですね。

 デザイン上の魅力は、水色系で色素の薄い髪型と、守ってあげたくなるような小柄系かつボディラインのほうもかなりすっとん系なところですね。物語が進んでくると登場しますが、彼女の私服であるねこみみフード付きパーカーもとてもとてもかわいらしくてよいです。あざとかわいらしいです。

 そんな彼女はけっこうな男性恐怖症的なところがあり、そんななかでもすっと仲良くなれて生徒会参加も承諾させた主人公のことをけっこうな勢いで信頼します。そのよくわからない信用っぷりと持ち前の素直さが絡んで、主人公やヒロインたちからの評価は「天使」とあいなります。実際にいたら頭を撫でたくなる登場人物度に関してはこの作品最高で、作中でもよく頭を撫でられていますね。愛玩小動物系の後輩です。

 はてさて、元々主人公をとても信頼しちゃっている彼女ですが、恋仲のように主人公と惹かれ合うきっかけは、彼女のVtuber活動での配信トラブルですね。そこで真っ先に彼女の前に登場してから心の支えになった主人公とあすみの関係はどんどん深くなっていきます。両親が外国で活動しており、一人暮らしな彼女の部屋での逢瀬を繰り返すうちにどんどんお互いに離れがたい存在になってゆくという感じですね。

 ここからは物語説明というより個人的な感想なんですが、内気な小動物系ヒロインとしては、わりとテンプレな感じの女の子で、かわいいといえばかわいいのですが、デザイン以外でグッとひかれるフックみたいなものはなかったと思います。変であればいいというわけではないですが、キャラクター的に差別化ができていたかなというと、そう感じなかったですね。ただ、個人的に興味のほぼなかったVTuberという設定とストーリーの絡みは新鮮かつ物語的にも起伏づいて面白くなっていたと思います。「面白いことをやらなければならない文化祭」というものにも、彼女がそこに別場所でのVTuber出演と同時にステージで自分の歌を披露するという形で、そこへ向けて数々のトラブルを抱えながら、「不登校だった自分の変化」という自己表現に挑んだところもかなり意義深くて良かったんじゃないかなと。

 

常磐華乃(ときわ かの)
 作中では売れっ子絵師「ののか」として活動しており、いわゆるソシャゲのキャラデザで、プレイヤーたちのお金を置く単位で動かしている女の子になりますが、彼女も自身の家の生計を支えるくらいの絵師活動の忙しさや、過去に学園生活で抱えたトラウマのようなものを理由にやはり不登校となってしまいます。そんな彼女ですが、一応学校では主人公とクラスメイトであり、また、幼馴染というほどではないけれども過去に同じ学校に通っていた、比較的主人公と近しい存在だったりもします。

 キャラクターのデザインとしてはピンク髪でおっぱいのでかい女の子ですね。バカピンクではありませんが淫乱ピンクです。
 当方、こういったキャラデザが比較的苦手ということもあり、はじめはあまり興味のなかったヒロインでしたが、ストーリーが進むにつれて、頑固なところがありながらも筋の通った義理堅い性格や、ヲタ男子の女子版的なすぐ早口になっちゃうところのギャップもかわいくて、読み進めるにつれてこの作品終わってみるといちばん好きなヒロインになっていました。作品フルコンプしてから知ることではありましたが、担当声優が個人的に大好きな「秋野花」さんだったのもこのキャラクターを好きになる要因だっただろうと思います。あとになってから思えば、掛け合いが多い台詞での間みたいなものもすごく良かった。物語のラインはあすみのVTuber活動が絵師活動に置き換わったという感じで、そこまでこのふたりのヒロインはストーリーに大きな違いがありません。ただ、あすみが文化祭で披露したライブパフォーマンスとして「不登校について」割と真剣に話したことに対して、華乃はステージで行ったライブペイントのとき、不登校だった自分についても語るのですが、披露後主人公に対して、この辺は生徒会でそのパフォーマンスをやる上でのあとづけの建前みたいなもの、とあっけらかんと述べてしまうところも、茶目っ気があってよかったと思います。開始当初は仲違いの多かった主人公とヒロインではありますが、ストーリー終盤へ向かうにつれて背中を預け合う仲間っぽくなっていたのも好印象でした。

 

・和泉妃愛(いずみ ひより)
 かなり難読な名前のヒロインですが、バリバリに売れっ子声優「小泉妃愛」として活躍しつつ主人公を家でバリバリに甘やかす主人公のひとつ年下の実妹キャラでもあります。彼女のブラコン度合いは序盤からけっこうな勢いで表現されていますが、兄である主人公の方は、家族として妃愛と仲良く暮らしているではありますが「妹に萌えるとかw」を公言するタイプの人間であり、シスコンっぽいところはあまりありません。
 彼女が学園を不登校になっている理由というのは、華乃同様校外での活動が売れっ子で多忙を極めていることと、これは彼女のルートの物語が進むにつれ明かされていくのですが、「ごく近しく仲のよい他者以外への、かなり強度な人間不信」だったりします。幼い頃から役者や声優活動を行っていたこともあり、周りの大人を含めた他者への立ち居振る舞いというのは百点満点といってもよいくらい器用にこなすします。

 そんな彼女が冗談めかして言う「お兄のことは一生わたしが養っていくからね」という言葉も実際かなりの勢いで本気であり、開始当初はそれほど感じなかったものではありますが、ブラコンとしての彼女の主人公への依存度はすこぶる高く、彼女の行動理由の中心に「兄を喜ばせたい」というのが強く入っています。
 もっともそれは、幼くして両親を交通事故で失ったときの彼女のトラウマ的なところに端を発するところではあります。優秀な自分と比べてダメな兄のことを両親相手に馬鹿にし、そのことを両親に諭されるものの、納得いかずに苦言を発した翌日に、その両親は他界してしまい、ふたりに謝ることもできないまま、逆にダメだと思っていた兄からは「俺が守るから」とふたりでいることについて、心強い言葉をかけてもらい、そのことをきっかけに両親にも一度馬鹿にした兄にも謝れない強い悔恨や罪悪感のようなものを抱えたまま、成長してゆくこととなります。
 まあそうして物語のスタート地点、ソシャゲ狂いの非コミュな兄と売れっ子で家計も支える妹というように、過去の回想で彼女が馬鹿にした通りの構図は変わらないままではありますが、妃愛のブラコン感情は強く、ヒモっぽい兄に対して「やればできる子」と常に根拠があるのかないのかな後押しをし続けます。そんなお兄が生徒会活動に前向きになっていくのをいちばん好ましく思ったのも彼女でありましょう。

 彼女が声優活動を行っていくうえで、ひょんなことから「兄のことばかりを大好き大好き言う」SNSでの裏垢の存在が明らかになり、それによって炎上してしまったり、気落ちしている中でも事務所や支えてくれるファンたちのために出演した、ファンイベントで、ファンだったであろう人物に卵を投げつけられるなどの暴行事件が起き、彼女はどんどん疲弊してゆき、同時に、そんなときに真っ向から彼女を支えた主人公に対して兄妹ともどもとても共依存度高く恋仲へ進展してゆきます。
 外面は立派でも折れてしまいそうな彼女と、そこでできる限りそばにいて妃愛を喜ばせることをし続けてきた主人公、その関係はいずれ禁断っちゃ禁断の近親性愛関係になります。とはいえ、あまりお互い背徳的な感じに進んでいくのも、すでに両親を失っているというのがあるからかもしれませんね。

 さて、妃愛ルートでの文化祭の出し物での演目は「朗読劇」。しかも、作家である詩桜先輩と二人三脚で、彼女自身の過去を暗いところまで含めて描いた脚本であり、吐露のような内容とプロ声優としての実力が活かされて、この出し物は大盛況で幕を閉じます。主人公も彼女の今まで触れたことがない部分にも触れ合うこととなり愛慕の気持ちはより深くなります。
 彼女たちの関係が性愛までいたったことについて、周りが受け入れることはやはりあまりないとふたりは考え、その関係を大っぴらにしないことをふたりは選びますが、そんななかでのウェディングドレスの試着撮影というのは、切なくもいい物語の幕の綴じかただったと思います。

 まあ、当方自他ともに認める妹キャラ好きであり、そういう兼ね合いもあってどのルートよりも本意気でルートを読んだのではないかと思いますが、過去に出会った妹ヒロインのルートと比べてすごく突出してというものではないと前置きしつつ、すごくストーリーとキャラクタートータルでのこのルートの満足度はすごく高かったと思います。

 

・鎌倉詩桜(かまくら しお)
 主人公の一学年先輩で、彼が生徒会長業に就いてしまうきっかけともなった人物であり、その性格はかなりのわがままな自由人で自信家。本人自身も優秀というか有能ながらそれゆえ、主人公の前に生徒会長になったはいいものの、彼女の思うように動けない周りの人間を一切カットしてしまう冷酷ちゃ冷酷なところがあります。

 主人公と仲良くなっていく経緯は、前任生徒会長としての現生徒会への関わり合いの中で行われ、元々全く評価していなかった主人公のことを、生徒会というよりその外での交流によってその評価を一変させてゆき、ふたりでのプライベート旅行をしちゃうほど主人公とは仲良くなっていきます。

 黒髪ロングの長身で出るとこバッチリ出た体型で、自信家生徒会長らしいキャラデザのヒロインではありますが、当方出るとこ出た体型で死ぬ病という珍種の病を抱えておりまして、この詩桜というキャラクターについては容姿含めて、主人公に対するSがキツイところもあまり好きではありません。
 ルートが進むにつれて、彼女がなぜ主人公に必要以上に強く当たっていたのか、その理由や実際は主人公の生徒会長就任さえも仕組まれたものだったというのが解説され、けっこう物語全体をひっくり返す伏線明かしをするストーリーの彼女のルートではありますが、正直あまり気が乗らなくて、詩桜との恋仲も深まったあと、文化祭直前なぜか突然主人公が自転車での交通事故入院をはさんでしまうのも、その作劇上での必要性について理解しづらく、身体がまだ癒えきれないなかで性的行為に及んだ双方の感じもあまり良いものとして見れませんでした。

 ルートのなかでいうと、主人公と仲良くなるきっかけだった「みかんカフェの手伝い」周りとそれきっかけの愛媛旅行くらいでしか好ましいところがありませんでしたね。性的な互いの関係みたいなところもあまり好ましく思えず、トータルでいちばん苦手なルートになってしまいました。

 

・作品全体について
 まどソフトの作品として以前プレイした「ワガママハイスペック」よりもキャラクターデザインや、物語もキャラクターもそう尖った部分を感じないながらも、表情豊かなキャラクター描写はとても好印象でテキストもとても読みよく、システム周りに不満を感じることもなく、某批評空間での感想でもあったのですが「『令和』の王道」「『令和』のこういうのでいいんだよ」というような、学園モノ作品でエロゲをこれからはじめたいというような人物にとても勧めやすい作品になっていると思います。

 一応、ヒロインへの好感度も含めたルート評価として、いちばんが「華乃」、それとわずかなさで「妃愛」、その次に「あすみ」(悪感情はなかったんだけどね)、大きく離れて「詩桜」といった感じになりました。
 あと、推奨攻略順についてですが筆者のプレイ順序同様に「あすみ→華乃→妃愛→詩桜」で良かったんじゃないかと思います。コンプ後もやもやしやきもちになるのが嫌な場合、後半のふたりの順序を入れ替えれば良いかもしれません。

 とりあえず、個人的な満足度も高くサブヒロインも魅力的に動かされていたこともあり、メーカー次作というよりFDなんかが来たら思わず買っちゃうであろうくらいに気に入る作品になりました。未プレイの方にも素直におすすめです。

 

ハミダシクリエイティブ ボーカルアルバム

ハミダシクリエイティブ ボーカルアルバム

  • 発売日: 2020/09/25
  • メディア: CD
 

 

アルコール依存症と退院後の生活

 先日、新型コロナウイルスによる肺炎で志村けんさんが亡くなったと報道されましたが、他方で、志村さんは大酒飲みとして2018年には肝硬変と診断を受けています。

 肝硬変とまで診断を受け医師にもこのままでは「ガンになる」とまで言われたものの、千鳥の大悟さんなどと多いときで週4飲みに行っていたようで、身体への大きな実害があったのに飲酒をやめない、休肝日を置かない飲酒生活など、充分アルコール依存症の診断基準にかかっていたのではないかと個人的に推察しています。酒が志村さんを殺したとまでは言いませんが、2016年に肺炎になるまで一日三箱吸っていたとされる長いヘビーな喫煙生活をされていたなど、肝臓へのダメージなど非常に免疫力の低下リスクが高い生活をされていたようです。新型コロナウイルスによる肺炎は直接的な死因だったとして、遠因はその生活習慣だったいうのは、メディアで報道もされているところだと思います。

 危険な飲酒生活というのは非常に寿命を下げ死に近づけます。依存症病棟でも、飲酒による食動静脈瘤破裂で死の淵まで数度いった方の話を聞くこともありました。

 自由に飲める環境というのは、アルコール依存症者に対して非常にリスクが高いことは覚えておくべきことだと思います。

 これまでアルコール依存症の入院生活について記事に書いて参りましたが、当然ながら入院あれば退院あり、実生活がある以上、退院後の生活というのが本分となります。

 アルコール依存症というのは現状、完治させる薬や療法というものはなく、慢性で「完治しない病気」とされています。一度依存症になりコントロール障害になった脳は、「たくあんは大根に戻れない」「坂道を手放しに転がるボール」などの喩えで不可逆性を表現され、ひとたびまたアルコールを摂取してしまうと、治療前と同様に様々な問題飲酒を起こしてしまいます。

 ただ、完治しない病気であることに絶望的な響きはありますが、完治のない病は世には多く存在しており、そして同時に、一度アルコール依存症者になった患者でも、回復して一般的な生活を送る、あるいは自身が依存症者になる以前よりも充実した生活を送ることができるようになった先人というのが多く存在します。

 ただ、一方で再発・スリップと呼ばれる依存物質の再使用(再飲酒を筆頭に)が特に多いというのも、この病気の症状ではあります。当ブログでも数度紹介した故吾妻ひでお氏の漫画にも登場しますが「入院○度目」、という患者は非常に多いです。筆者も現在は安定した断酒生活を送っていますが、二度目の入院までは行っており、筆者の入院時代も筆者の入院中、退院後に出戻りした患者さんを見ることや、自助グループで出会ったかつての入院患者さんが、再入院するというのも見てきました。

 退院後の生活がなぜ危険かは言わずもがなな話ではありますが、入院中というのは基本的に外出外泊時のアルコールチェッカーが必須とされ、酒類の持ち込みに関しては持ち込み品のチェックなども行い厳しく禁じている環境のため、少なくとも病院施設にいる間に飲酒するということはございません。入院中というのは「絶対に飲酒できない環境」とまでは言いませんが、日常生活よりかなり厳しく飲酒に対して制限がかかります。
 入院中の患者さんが定番のように言うのは「今は飲酒欲求がない」という言葉なのですが、入院することで激しい飲酒を行っていた生活から引き離されたことによって、脳の欲求が軽くなったことは間違いないものの、それに加えて厳しい制限環境というのが大きく庇護的になっており、この言葉が口に出されます。
 しかし、病院の外を離れるとその厳しい制限環境はなく、行動は個人に任されると言っていいでしょう。なんにせよ自由で、簡単にかつて酒を買ってきたスーパーやコンビニにも足を運べますし、かつての飲み仲間というのがいれば簡単に飲み会の連絡が取れ、またアマゾンで酒類販売されていることにより、ボタン一本で外に出ずともお酒を飲む環境に戻ることが可能となっています。

 そのため、退院後の再発を防止する意味で重要なものが、継続的な外来診察や、土日以外毎日病院等の施設で行われるデイケア、各地で行われる自助グループの例会やミーティングなどになります。アルコール依存症自助グループ例会やミーティングがない都道府県はないとされ、検索すればすぐに各地の会場が見つかります。
 とにかく自助グループに赴くことで重要なのが、自身がアルコール問題で苦しめられたことへの継続的な自覚や、アルコール依存症に理解のある仲間の発見や、またそこから数十年と断酒し回復して良い日常を過ごしている先輩を見つけて今後の生活に希望を覚えたり、問題飲酒中できなかった「飲んでしまう時間」の代替でしょう。多くの自助グループの例会は、社会人の仕事などが終わってアフターの時間になる19時辺りに行われることが多く、晩酌などの飲酒傾向があったひとにもちょうどよく、飲んでいた時間の代替になります。

 通院やデイケアに通うこと、自助グループなどへ赴くこと全てにおいて言えるのですが、「継続的」であることとアルコール依存への理解がある他者に顔を合わせることが重要になります。飲んでいない自分のセルフチェックであり、他者の目によるチェックでもあるというのは、一日一日飲まない生活を続けてゆくことへ大きな武器になります。

 しかしながら、そこまでやっても再発というのは起こりえます。不意に起こるストレス案件や発作的な飲酒欲求の沸き立ち、その瞬間というものは「通院」「デイケア」「自助グループ」その全てが効力を持ち難く、病院や自助グループで出会った先輩へ連絡を取り、「今、飲みたくなっている」と伝えて、アドバイスを受けたり直接駆けつけてもらうくらいしかその手を止めるための方策はないと言えます。
 アルコール依存症の二大自助グループである断酒会、AA(アルコホーリクス・アノニマス)ともに「お酒に対する無力」というのを語り、手にとったお酒を意志力でおくことはほぼ無理といえ、今その手にしているアルコールは強烈に再びの問題飲酒に依存症患者を運ぶものです。

 ただ、一日一日お酒を飲まないことに対する回復への効果は高く、ひとによりではありますが飲酒しない時間の過ごし方や精神の安定に身が慣れてゆきます。
 また、長期的なアルコールによる脳萎縮というのも、断酒生活によって回復していき、それにより前頭葉機能が改善することは研究結果として報告されています。前頭葉というのはつまり行動抑制のための機能を持ち、それが回復していくとなると、飲酒行動に対するブレーキが随時向上するになります。飲まない生活というのはそれそのものが飲まずに済む身体にしてゆくのです。

 退院後の断酒継続を行い続けることがいかに簡単でなくとも、断酒継続への武器は多くあり、なおかつ、断酒生活そのものがアルコール依存症者への強力な回復への支えとなります。そのため、継続的なサポートを受けていくことこそが断酒を楽にしてくれるのです。
 繰り返す再飲酒は心身を大きく蝕み、身体的なものや精神的なもの含めて死へ向けた負のスパイラルに取り込みますが、断酒の継続は楽な断酒生活や依存症前以上の充実した実生活への良いスパイラルに身を置くことができます。依存症者であろうとなかろうとどちらが良いかは言わずもがなです。
 ただ、断酒継続することを至上命題のように思うことはまたストレスにつながりますので、「一日断酒(断酒会)」「二十四時間の方法(AA)」という、「なんでもいいからその日一日お酒をやめる」という気楽な考え方、それを為すことによる成功体験の自己肯定感はさらに依存症患者を助け、ますます依存症から遠ざかることができるでしょう。

 まとめていえば、退院後というのはアルコール依存症者にとって自由にお酒が飲める環境で危険ながら、継続的な断酒を支えるバックアップは多くあり、その断酒自体が断酒を楽にしてくれます、そして「一日断酒」の考え方は気楽な飲酒継続の一助となり、依存症者を回復させてゆきます。

 というわけで、なんにせよアルコール依存症者の退院後の生活は、健康リスクとの戦いであり、健康的で一般的な生活に比して非常にめんどくさいといっても良いものとなります。そうなりたくない方は、楽しく飲めて自分の意志でお酒の手が止められるうちの飲酒生活にしておいたほうが良いと思います。

『元アル中』の有名コラムニストである小田嶋隆さんの著書に「グラスの底にはなにもありません、グラスの底になにもないこともまた飲む理由になりますが、飲む理由になる全てのことは、お酒を遠ざける理由になります。」という一文がありました。

 この一文に対する文脈理解とは多分ずれてると思うんですが「飲むこと」と「飲まないこと」は本来表裏にあって、簡単に選べるものなんですよね。そこの価値感覚優先順位ががらっとかわり、自分ではない別の人間が操縦しているとまで言われるのがアルコール依存症です。そうならないためには……もう言いませんね。

 小田嶋隆さんの著書『上を向いてアルコール』は非常に読み味が良くて、アルコール依存症やそうなった依存症の実生活や回復にまつわる感情変化について非常に理解しやすいものとなっています。興味のある方はぜひご一読を。

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

  • 作者:小田嶋隆
  • 発売日: 2018/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

アルコール依存症病棟入院のこと その3

 入院記なのですけれど、ここからは都合第一度目の入院についての話を軸にしていきます。なぜかというと二度目がこれ「新型コロナ」に噛み当たって、おかげさまで病棟のお話としては正常なルーティーンを踏んではないというか、先述の自助グループへの行き来も実は二度目の入院中はすったり交流がありませんでした。
 要は外にあまり出ないでください状態になっていたので、このあとに語るデイケア・デイプログラムというのも二度目の入院中は関わり合いがなくなってしまうのでした。

 さて、学習期の話までいくらかしましたが、この辺まで来ると患者さんとして慣れちゃうんですよね。できるだけ計算して行動しようという考えが出てきます。お風呂や洗濯ももうプログラムと他の用事から逆算していちばん面倒くさくないルーティーン組んだりします。
 たとえば昼11時が入浴開始時間なんですが、その11時ちょうどに予約取って(自分のところは名前書いてあるマグネット貼るだけで結構です)、そこでお風呂に入って、風呂に入ったら当然そこそこの量の洗濯物が出るじゃないですか、それをまあたぶん入浴二度分まで溜め込むのかな、その風呂上がりから洗濯物を回し始めます。で、洗濯物が大体、洗濯一時間(正確には三十分なんですが、コマとして管理するイメージで)、乾燥二時間のこれも一時間で済むひとは済むんですが、乾き残し嫌なのでぼくは二時間回してました。こういうのをできるだけプログラムと上手く噛み合うように回すんですね。11時ってのが午前のプログラム終わりで、その次は12時の昼食なんで、昼食までには洗濯が終了し、乾燥スタートです。そいで、食後は14時まで中休み的になるので、それまでの時間に上手くいけば乾燥が終わっちゃうみたいな感じです。
 もっとも、それほどルーティーン完璧にいかない場合もあって、そういうときは14時のプログラムまで侵食して15時までに終わらせるみたいな流れになったりしていましたね。

 これもあくまで、週三回(火木土曜日)の男性入浴可能日についてのお話で、それ以外の日は、前回の入院期で話した行動責任範囲4だと、いかにして空いた時間……要は昼食後から午後プログラムまでの時間で買い物や散歩を効率的に行うかという話になります。行動範囲4というのは、2時間で行ける場所であれば、点呼やプログラムに遅れない限りどこでも行っても良いというものになります。なので、行くなら行くで、片道から逆算して一時間半くらいまでには戻れる行程に仕立てるんですね。ぼくの場合は片道30分くらいの本屋に行って品定め30分、帰路に30分みたいなことをやっていました。
 でーあとこれ、原則的に公共の交通機関というか、自転車まで使っちゃだめです。カチです。徒歩なんですトホホ。なので、全行程二時間弱も意外と疲れるもんなんですけれど、午後のプログラムが終わると、自助グループに行く日とかなんか宿題するとか担当看護師の面談があるとかでもなければ、もうその日の行程夕食以外全終了なんですね。だから多少疲れることやっても、もうなにも怖くありません。夕食食べて寝るまでぼうっとして寝るだけ。自助グループに行く日なら、それ18時半くらいからそれに行って21時半に戻って消灯で終了です。翌日の起床7時までまだそこそこに時間があるので、そこまでで回復できちゃうと思います。

 で、自助グループの話は前回更新でも触れたと思うんですけれど、ぼくはこれが大の苦手で、そもそも知らん子甲子園状態になるのも知ってる人の楽屋ネタ感溢れる感じになるのも苦手です。なぜなら我に陰の者気質があるからかも知れませんね。ひとりぼっちが好きなんですよ。
 だからアルコール依存症になるんだよというというのも正解で、学んだら分かりますが孤独だとかひとりになりたいとかは、依存症を助長させますというか、逆に言うと依存症の症状にもなります。ひとりで好きなことをやっていたい、は健常なものなら良し、不健全であるとかそもそも依存症患者にはやや敵ですね。できるだけひとには会うようにしておいたほうが良いです。とはいって、入院中は別に自助グループに通わずとも孤独にはなりません。入院患者がお仲間にもなりますので、だからぼくの場合は自助グループ通いは最低限でした。
 あとの暇な時間はほかの入院患者と雑談したり、これも依存症だからこその話題が飛び出してきたり、ワードとして「コントロール障害」ってのはよく出てきますね。実際、いろんな行動がコントロールできません。一度目の入院当時、暖房と湿度の兼ね合いで困ったことになって、乾いてるんですから個人的にで小型で自費でもいいから加湿器を置かせてくれよ争いにスタッフ側となったんですね。そうでもしないと別の病気するわいという話です。でも結局、加湿器の導入は通らなくて、仕方がないから自分たちがやったことは、病室のカーテンにひたすら霧吹きで霧を吹きつけて湿らせて、部屋内の湿度を上げるというものでしたね。これがすごくて「もうびしょびしょだぜお前……垂れてきちまってんじゃねえか……」っていうくらいまで霧吹きでやります。これをコントロール障害と称しながら、やってましたが、それくらいやると室内の湿度は、一発で20%くらいプラスされます。それを何度かやって湿度を60%くらいまでもっていくみたいなことやってましたね。

 とまあ盛大に本筋と話がずれたんですが、暇な時間の使い方というのはそういうのであったり、読書であったり、ぼくは病床備え付けの棚を本棚っぽく仕上げて、びっしり本で埋めていたのでそこで漫画なり小説を読んだりしていましたね。特に『惑星のさみだれ』『成恵の世界』『ばらかもん』は捗りました。あと秋山瑞人小説も『猫の地球儀』とか『イリヤの空、UFOの夏』とかですね。あとは大体切なくなっちゃうので、秋山瑞人に関しては以上です。あと田中ロミオ作品『AURA~魔竜院光牙最後の戦い~』だったり、プロジェクトイトゥーの『ハーモニー』だったりを読んでいました。捗ります。
 そんなこんなで入院時間の暇というのは過ぎていきます。ぼくは喫煙者でもないし、間食もあまり取るほうじゃなかったのでいよいよベッドから動かなかったですね。テレビも興味なしと来ている。ほんと同室の入院患者さんやたまにくる看護師さん以外と話すことがねえと来たもんだ。こんなんだと声帯もくっついちゃうかも知れません。

 さて、暇な時間の話は今後も出るんですが一旦こんなもんにしときましょう。
 それなりに入院中のカルマ(日数)を積めば、なんとびっくりひとりでの外泊とか交通機関の使用許可される二時間を超える外出が「訓練として」できるようになります。ほんと間違ってはならんのですが「訓練のためあるいは、入院中の服が足りないけれど面会に来てくれるひともいないみたいな本当に困ったとき」くらいしか外泊は許可されません。この外出外泊、前にも言いましたが毎日許可が降りるわけではなく、プログラムをこなすのに支障がないか土日祝日くらいになっています。
 外出外泊時は携帯電話スマホの所持が許可されます。そりゃそうですね。帰ってこないのに連絡つかないとか最悪なので。ぼくはこれが嬉しかったですね。外出外泊すること以上にスマホ触れるとか家に帰ってPC触れるってのが重要でした。なんにせよ大した用事がなくて、たまに友人と遊ぶか劇場に映画観に行くくらいしかやってなかったです。観に行ったのは『メイドインアビス~深き魂の黎明~』ですね。原作もしっかり読んでいるくらいのファンなんですが良かったです。これについての話は脱線するので、ブルーレイが出たらその機会にでもやると思います。

 さて、この外出外泊ですがなにが目的かといえば酒を飲まない病院外での時間の過ごし方ですね。これなんですが、ぼくは外出でやらかしたことはないにしても、外泊に関して言えば初回入院の5度の外泊のうち4回は飲酒して帰ってきました。
 入院に対する姿勢としては真面目なのに、アルコールに逆らえるかというのはまた別問題になります。そこで気合いが足りないと言うひともいるかも知れませんが、アルコール依存症者がお酒を飲むというのはこれは気合いの問題ではありません。依存症の症状なのです。だから気にせず飲めよって話でも反省や対策を取らずにやっていいよというわけでもないんですが、もうこれ、飲まない状態をこそよく頑張っているね、っていう脳の状態になっています。普通が「飲む」に切り替わっていて、「飲まない」は普通に逆らうというとこに来てます。だからこそ依存症なんですね。

 だから、外泊時なにも対策を立てなかったかというとそれはなくて、たとえば「抗酒剤」。これ三種類くらいあるんですが、そのうち「シアナマイド」と「ノックビン」というのは効果の期間に違いがあるのですが、働きとしては同じで、お酒を少量でも飲むとちょうど最悪な感じの悪い酔い方をして、しこたま身体的にきつくなるというものですね。これを服用してしこたまお酒を飲むとそれこそ自分の意志関係なく病院送りになります。それで3つ目がレグテクトというやつでこれが効果的に分かりづらくて、継続的な服用で強い「飲みたいぞ」という「渇望」を20%くらい抑えてくれるようなお薬になります。80%くらいまで飲みたいひとが60%、40%くらいのひとは20%くらいに抑えられるのかも知れません。そしてぼくは入院時全部試しました。その上で打率八割の再飲酒を記録しているわけですね。
 特にシアナマイドを飲んでの飲酒とか気分も体調も最悪になるし、自傷行為と変わりません。そうと分かった上で飲みたさが勝ってしまうのです。レグテクトに関しては一説によると効きはじめが数ヶ月かからないと実感できないかも知れない類で、これは参考になりません。特に最初の入院中は特に体感できませんでした。そして、外泊を成功させるための努力に戻るんですが、入院計画表をすごくしっかり書いたりとかもうほんと隙がないんじゃないかと思うくらい書き込んで、外泊に挑むんですけれど、どっかの段階でずっこけるんですね。『メイドインアビス』劇場版観に行った回も、飲酒可能な劇場だったので劇場で飲酒欲求が来たの我慢はしたものの、家に帰って結局飲酒してます。それも抗酒剤全部試している状態ですね。
 外泊失敗するひとはそのくらい失敗します。おかげで、初回入院のときは飲酒のペナルティ食ってほとんどの期間行動責任範囲2固定でした。前回更新で言いましたが2は病院建物以外動けません。ただこれ、ぼくが喫煙者でないというのもあって、強烈には苦になりませんでした。喫煙者のひとは喫煙自体は可能な行動範囲なんですけれど、タバコを買いに行けなくなるに等しい行動範囲で、三種類くらいまで売店にはタバコの品揃えはあるのですが、大体「わかば」とかそのあたりでとてもじゃないですが正常な喫煙者は耐えられたもんじゃありません。大体の時間本を読んでいれば完結というのはぼくの通常の入院生活とそう変わったもんじゃないんですね。だからまあ、ネックは本当に頭の芯での考え方からアルコール中心というのが抜けていかないことだけで、入院生活としては意外と苦がなくこなせました。

 ただ、考え方からアルコールが抜けないというのは、入院中も困りますが、退院後というのにも問題が出て、ぼくはそこでまた失敗というか盛大な再飲酒を行って再入院となるわけですが、その件についてはまた別の機会にでもお話します。

 入院期間が9週目くらいを超えてくると、退院後にもお世話になるデイケア棟への体験という形でデイプログラムが開始されます。デイケアでやることと言えば、実際入院中にやることの延長線上の、座学ありレクリエーションありのお話なのですが、退院してしまうと入院時みたいにプログラムはこなせないので、それを入院中に体験しようというのがデイプログラムですね。参加は強制です。9週目から退院までなにはともあれこれに参加していくしかありません、参加行程は初回だけ全日で、そっからは午前のみと午後のみとありますが、まあ楽しくないひとには楽しくないですし、入院自体楽しむために来てないのでまあこなしていますねくらいの感覚になります。よっぽどの酔狂なひと以外は通常入院のプログラムをこなしていくほうが気楽でいいと思うんじゃないでしょうか。

 そしてまあ、そうして頑張って課題とかもこなしながら入院生活を過ごすとおおよそ希望するなり強く担当看護師からの要請がない限り12週で退院です。

 外出外泊で溜め込んだ荷物も整理して、身軽な状態で退院日を迎えます。
 退院日は朝礼で軽いスピーチがあるのですが、ここで泣くひともいたり、別にどうでも良さそうな感じでひとネタこいて終わるひともいたりと多様です。このへんも吾妻ひでお氏の『アル中病棟』に載っていたんじゃないかと思います。ぼくはスピーチも苦手なので、お礼コメントに終始くらいのもんでしたね。

 さて、入院から退院というのはなにやらこうちょっとした不安というか虚無感があります。これも吾妻ひでお氏の『アル中病棟』にはとても上手くというか刺さる描写がありますので、以前の日記での紹介で買い逃した方も今回是非購入しましょう。

 

  え~、このブログでの記事は入院時のことがメインなのですが、実際のところ、アルコール依存症との付き合いは退院してからが本分です。ぼくは先述の通り一回盛大に失敗して連続飲酒発作まで起こして再入院までやっています。
 それでも、二度目の退院後の今はとりあえず飲酒せずにやれています。だからこそ、こういう振り返り記事を勢いよく書けてたりもするわけですね。とはいえ、アルコールとの付き合いのお話にはまだ続きがあるので、このあとは、「アルコール依存症について」とかそんな名前で記事を継続していくおつもりです。

 さて、口酸っぱい話ですが三回めなのでちょっと省略して、みなさん、お酒はほどほどにしてください。制御できてる感覚までで止めておいてください、はっきり言いますがそれより先は異常者の行動です。