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ヨーゼフの眼鏡

日比野純一がアレコレ気侭に綴ります
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奄美大島に来ています。

ここは、10月20日に豪雨災害があり、それからちょうど3ヶ月を迎えました。
豪雨災害のときに、FMわぃわぃの仲間のコミュニティラジオ局「あまみエフエム」は、24時間体制で災害情報を被災者に伝え続けました。
その活動は新聞やテレビでも取り上げられ、よくやった!というのが世間の評価でした。

しかし、「あまみエフエム」の皆さんは「確かにうれしいけれど、評価はマスメディアがくだすのではなく島の人々が判断するもの」という思いがあり、1月20日に島の人々100人以上とともに公開の検証会を開きました。
それに、僕もゲストとして呼んでもらったんです。

災害放送の内容などについていろいろ注文がでた後に、避難所名簿を放送で読み上げた、という、いわば前代見物の行為に対しての検証に移っていきました。

災害時にあまみエフエムには「連絡がとれない人を捜している」「避難所に家族がいるのか知りたい」という悲痛な声がたくさん届きました。危険を犯して市民が豪雨の中を探しまわる行為をなんとしても食い止めたい、という思いから、市の対策本部に避難者名簿を放送させてほしいと要請し、対策本部も人命を優先させてそれを渡し、あまみエフエムは避難者の名前と地区名を繰り返し伝えました。しかし、それはともすると、個人情報保護に抵触することになり、放送局長の「最後は自分が責任をとる」という判断のもとで放送したのです。

その検証では、恥ずかしかった、という意見もありましたが、それが、どれだけ島の人々の安心につながったのか、という声が続々会場からあがったのです。それは、あまみエフエムがどれだけコミュニティに根ざした放送局であるかの証そのものでした。

住民による検証は、ともすると公開裁判のようなラジオ局叩きになってしまう可能性があり、でも、それを覚悟で「判断」をコミュニティに委ねた「あまみエフエム」は本当にすごいな、と思いました。

また、「あまみエフエム」は豪雨災害時にCMを外して放送をしましたが、広告主・スポンサーの誰一人として金を返してほしい、という者はおらず、逆にそうした「あまみエフエム」でCMを流してきたことを誇りに思います、という言葉を災害放送の最中に伝えたそうです。

都会で必ずしも同じことができるとは思いませんが、1300人を越える島の会員によって支えられ、「地域で抱える課題の解決」や「地域の多様な価値観の尊重」に取り組んできた、島っちゅうの 島っちゅうによる 島っちゅうのための放送局「あまみエフエム」は本当のコミュニティラジオなんだと実感しました。

こんな気持ちのいい晩は久しぶりです。
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世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)はアルゼンチンで開催された第10回世界大会で、4年に一度の国際連帯賞をハイチ地震の困難を乗り越えて救援・復興に尽力したハイチのコミュニティラジオ局の仲間達に贈りました。

自分のことのように嬉しい。

まだまだ困難は続くけど、よいクリスマスを!

ハイチはいま11月5日午前6時です。ハリケーン・トマスがこの国を襲っていて、すごい風雨です。1月の大地震以来、初めてのハリケーンで、被災者100万人が暮らしているテントが心配でし。地震から復興できないところに、コレラとハリケーンがハイチを襲うとは。。。

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しかし、今回のハリケーンとコレラへの対応策として、地震の後にBHNとAMARCが手がけた支援活動が実を結んでいる。再建されたコミュニティラジオと、被災者が暮らすテント村と集落に設置した域内放送システムが、緊急情報の伝達に大いに役立っていて、住民に情報を伝える術がなく困っていた国際機関や国際NGOも活用している。

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ハリケーン・トマス来襲を前に一昨日、ハイチの大統領はTVで「政府は残念ながら何もできないので、何とか頑張って生き延びてください。ハリケーンが去ったら米国はじめ国際機関が必ず救援に来きます。すでに米国の救護用の艦船も待機しています」といった内容のメッセージを市民に送りました。あまりに正直すぎる。。。

ところで、ハイチは11月28日に大統領選挙を迎えます。19人が立候補しており、その中にはミュージシャンのワイクリフ・ジーンもいます。当初は立候補届けを却下されたのですが、ハイチに移り住むことで、認められたようです。しかし、ハイチの人々は「彼はクレオール語が満足に話せないはず」と当選には否定的です。

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9月30日にカラチに入り、タッタ、ムルタン、ナウシャラー、、、、と、インダス川を北上しながら、最後に首都のイスラマバードに3日間滞在しました。今回のAMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)とパキスタン・プレス・ファウンデーション、そしてBHNテレコム支援協議会の共同ミッションは、洪水の被災地でコミュニケーションニューズの調査を行いながら、災害時に大きな役割を果たすコミュニティラジオの制度化を政府、NGO/CBO、メディアに働きかけていくというものです。パキスタンには国営放送と商業放送しかなく、商業放送が制度化され、全土で開局していったのもこの数年のことです。

各地で被災者にインタビューを行うとともに、ラジオ局、テレビ局、新聞社などのメディア関係者、災害支援を行っている地元NGO、少数者支援に取り組んでいるCBO、国際NGO、ユネスコなどの国際機関、そして中央政府/地方政府、議会、政党と、延べ40回以上のミーティングを重ね、コミュニティラジオの制度化を求めていきました。

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(写真右側がスティーブ・バックリーAMARC理事長=英国)

イスラマバードでは、フィールド調査に基づいた提言を中央政府(大臣、次官クラス)にすることができ、対話を続けるなかで確かに扉が少しずつ開いていったことが実感できました。地元の人々と、イギリス、インドネシア、日本からの国際ミッションであることも大きな力になりました。

リハビリテーション期のパイロットプロジェクトとして、最低30局の復興ラジオ局を、地元NGO/CBOとともに開設していくことが次の目標です。今度は11月中旬から3週間ほど、インドネシア、ネパールでコミュニティづくりに深く関わっているAMARCのメンバーを2名、パキスタンに派遣し、被災地をまわり、地元NGO/CBO、村人とともに、コミュニティラジオを開設に向けた対話とワークショップを開催し、エネルギーを高めていきます。

こうやって災害という多くの人達が立場を越えて活動に理解しやすい環境を活用しながら、パキスタンの貧農に暮らす人々の生きるためのコミュニケーション手段を確立することが最終的な目標です。

これまで何十年と世界のあちこちで、非営利のコミュニティベースのラジオ局の制度化を勝ち取ってきたAMARCに蓄積されている論理的なロビー活動のノウハウを深く学べたことは、 FMわぃわぃにとっては最大のミッションの成果でした。

日本でも頑張らないといけません。
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7月下旬からの洪水で最も被害の大きかった町が、北西辺境州の州都ペシャワールから東に15キロほどのナウシャラーである。このあたりは、パシュトン人の居住地域であり、同じパシュトン人のアフガニ難民もたくさん暮らしている。そして、タリバンが潜む危険な地域でもある。
訪れたキャンプは地方政府によって設置されており、運営は政府の役人と地元のNGOが共同で行っている。当初567世帯が避難していたが、2ヶ月が経過して水が引き、このうち184世帯は住宅再建用の義援金を政府から受け取り村に戻っている。ところが、残りの世帯には義援金はまだ配布されていない。

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家が損壊したと認定された世帯には政府から義援金(約10万円)を受け取るための銀行カードが配布され、被災者はそれを使って銀行から現金を引き出すことができる。しかし、そのカードが配られていない地域があったり、配られても銀行で引き出せないなど、トラブルが耐えず、インタビューの最中にもキャンプの内で抗議デモが起こるほどだ。

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さらに、アフガン難民の被災者(上の写真)は、パキスタン国籍を持たないため政府による支援の蚊帳の外におかれがちで、もちろんカードは発給されていない。