2024年4月23日火曜日

(霊媒の話より)題未定

4.21 例年のことながら、雨風でさくらんぼの実が熟す前に落ちてしまう。カメムシも来る。

4.23 午前中臨時仕事。丘の上のマンション、麓から歩く。キツイ。そばの公園は楠木正成湊川合戦の地。牧野富太郎の植物研究所跡地もある。兵庫の資産家・池長孟が牧野を支援したが、標本・資料の置き場所としかならず。

NR出版会新刊重版情報」591着。連載〈本を届ける仕事〉は元Books隆文堂の鈴木慎二さん。「これからの書店員のみなさんに」。

 

 安部公房 『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』 

新潮文庫 750円+税



 安部公房19歳から25歳までの初期短編集。表題作は遺品整理で見つかった作品だそう。日付(1943.3.7-16)から処女作と判断される。

〈そう、もう十年以上も昔になるかね。いまと異(ちが)って失業者とか乞食とか云う結構な連中がぞろぞろして居た頃さ。其頃と云えば全く、今の様にこう戦争が始って皆の心持が引しまって居る状態から見れば、全くの所お話にならぬ程馬鹿馬鹿しい事も多かったね。(後略)〉

 田舎を回る曲馬団の少年パーは孤児、生れた年も名前も不明。団の女将さんが花丸と名づけ、愛称パー公。激しい芸はせず、声色など道化役。仲間に妬まれるが、小さいながら空気を読んで人の心をとらえることができた。年上の新入りクマ公は練習に耐え、パー公に優しく接する。村の地主の婆さんがパー公とクマ公を、親兄弟もなくかわいそう、と蔑む。パー公は客席の幸せそうな家族連れを見て、自分の家族と思い込んでしまう。クマ公が冷静に諭すが、パー公は脱走。先の婆さんの事故死現場に遭遇。得意の声色で婆さんの霊を演じて、地主の家に入り込み、大事にされるのだが……

 安部公房は1924年東京生まれ、満州育ち。高校、大学時代を日本で過ごすが、敗戦濃厚のなか44年満州に戻る。46年末帰国。厳しい体験を想像する。

(平野)

2024年4月18日木曜日

本の背骨が最後に残る

4.14 「朝日歌壇」より。

〈文庫本持つ三人 夏の大三角 そんな星座を車内に生み出す (京都市)長谷川恵子〉

〈吾は読書小犬は玩具(おもちゃ)咥え遊ぶ一人と一匹の宇宙更けゆく (山口県)庄田順子〉

 図書館でさっと調べ物。

4.16 家事すませて、用事に出る。買い物ひとつ忘れに気づく。ボーっとしていたら本屋さんから予約本入荷メール。受け取りの楽しみは来週にする。

 みずのわ一徳に宿題を送信。

 

 斜線堂有紀 『本の背骨が最後に残る』 光文社 1700円+税



 書名が気になって読む。表紙、妖しい。読み出したら、怖い話7篇。先日の帯引用文「読まないほうがいい。云々」は本書から。

表題作は「本」が主役。                            〈本を焼くのは最上の娯楽であるように、人を焼くことも至上の愉悦であった。〉

その国では何かの事情で焚書が行われた。紙の本の代わりに口伝によって物語が受け継がれる。「本」は物語を語る人間。物語が「本」によって違いがあると、どちらが正しいか、審判の場=「版重ね」が設けられる。間違い=「誤植」。それぞれが正当性を主張しあう。ディベートの場が民衆=読者の娯楽となる。

 異国の旅人が出会った「本」は両眼を焼かれている。一冊の「本」が語る物語は原則一つだが、その「本」は十の物語を語る。代償として両眼を失った。「本」の名は「十(とお)」。論争の題材は、『白往き姫』(続篇では『姫人魚』)。相手は、女王が毒林檎で姫を殺した、と語る。「十」は、姫が毒林檎で女王を殺した、と。軍配はいかに?

 二冊の「本」は鉄の籠に入り、吊り上げられる。下には火が焚かれている。炎は両者を照らし、舌を乾かし、喉を灼く。籠の格子を摑めば火傷する。

〈けれど、その苦しみに気を取られて言葉を紡げなくなれば、焚書が待っている。(略、敗者の籠は火の中に落ちる)/絶命後も本は焼かれる。炎が消し止められるのは、本の肉がすっかり焼け落ち、鉄の籠に骨が積もってからだ。大抵の場合、焼け残るのは背骨であった。背骨は淡いクリーム色をしていて、美しい。〉

 他に、死後動物に転生すると信じている世界、ヴァーチャルで自分の複製を虐待、肉体的苦痛をすべて引き受ける美女たち、などなど。残酷シーン、苦痛描写、こわいこわい。

(平野)

2024年4月14日日曜日

キャラメル工場から

4.12 編集工房ノアPR誌「海鳴り 36が届く。毎年送ってくださり感謝。著名なフランス文学者のエッセイ、校正刷りができているのに書名が決まらない、ということがあった。その原稿のなかに、雑誌の誌名を頼まれて「ぽかん」と「こないだ」を提案したことを「霊感のごとく」思い出す。誌名に「ぽかん」が採用された。本人の書名は『こないだ』となった。

 


4.13 図書館から公園を抜けて川沿い桜花見。もう葉桜。

 

 『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短篇集』 佐久間文子編 

ちくま文庫 880円+税



 佐多稲子(さた・いねこ、190498年)、長崎県生まれ。7歳のとき母死亡、一家上京。稲子は小学校を5年生で辞めて働く。その労働体験が表題作「キャラメル工場から」(1928年発表、筆名・窪川いね子)。さまざまな職業を経験。料亭勤めで芥川龍之介・菊池寛を知る。丸善勤務時に結婚するが破綻。カフェに勤め、同人誌「驢馬」に参加。同誌は室生犀星と芥川が援助し、同人に堀辰雄、中野重治、夫となる窪川鶴次郎らが集まる。中野、窪川との出会いからプロレタリア文学、共産党活動に入る。

 ひろ子は父親に小学校を辞めさせられ、働く。工場まで電車で40分、日給から電車賃を出せばいくらも残らない。電車賃がないときは歩く。始業開始は午前7時。遅刻すればその日は休まされる。寒さより遅刻がおそろしかった。

〈まだ電燈のついている電車は、印袢纏や菜葉服で一ぱいだった。皆寒さに抗うように赤い顔をしていた。味噌汁をかきこみざま飛んでくるので、電車の薄暗い電燈の下には彼らの台所の匂いさえするようであった。〉

 以前紹介した『疾走! 日本尖端文學撰集 新感覚派+新興藝術派』(ちくま文庫)に窪川いね子「東京一九三〇年物語」(1930年発表)が収録されている。内容は労働争議だが、レポ役の少女が街を明るく表現する。

〈薄日だった太陽が幕を上げるように鮮明になっていって、風呂敷を包ながら歩く少女のセルの袖口の蔭でニッケルの時計が反射した。少女は電車通りへ出ないで、古着屋の並んだ裏通りを先へ進んだ。〉

〈夕方の道玄坂は勤人の帰りや、夜店の店開きの支度で、混雑していた。古本屋が本を並べている。しゃつ屋が電燈を引っぱっている。バナナ屋が隣の古道具屋と大きな声で話している。駅から帰ってくる男女の勤め人の中を、これから出かける酒場(バア)の女やダンサーが、人形のようにふん飾(原文「ふん」に傍点)をほどこして視線を集めながら歩いてゆく。〉

 苦悩を抱え、権力の監視から逃れ、そんな生活にも一瞬のきらめきがある。

(平野)

2024年4月11日木曜日

乱歩殺人事件

4.9 午前中臨時仕事。午後はみずのわ一徳と神戸文学館で「詩人さん」関連資料写真撮影。学芸員さんの故郷は広島県の島だそうで、一徳(周防大島)と瀬戸内話で盛り上がる。都会の下町ヂヂにはわからん話。その後、新聞社に紙面掲載の許諾をお願い。一徳は朝から大阪、西宮の関係機関にお願い行脚。お疲れさま。

4.10 休憩時間の読書、プロレタリア小説を終えて、普段読まないホラー小説に。暴力残酷シーンはダメなのだけれど、ページを繰ってしまう。帯に〈読まないほうがいい。虜になってしまうから。〉とある。

 

 芦辺拓・江戸川乱歩 『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』 

角川書店 1900円+税



 1933(昭和8)年、「新青年」11月号から江戸川乱歩は「悪霊」を連載開始。

同誌編輯部は前年11月号に、来年4月号から連載、と予告。その後も毎号力いっぱい新作を喜ぶ。人気作家・乱歩は当時休筆中だったから読者も待ちわびる。ところが、約束の号から始まらず、「間に合わず」「次号を待たれよ」「来月誌上で多分吉報」などなどお詫びと訂正が続いた。予告開始から1年、ようやく連載が始まったと思ったら3ヵ月で休載。スランプか? 体調不良か? 特別の事情があったのか?

 乱歩のストーリーは、密室殺人から始まる。土蔵に美しい未亡人の死体、謎めいた傷が複数あり、不可解な絵のカードが残された。現場近くにいた極端な障害のある浮浪者、未亡人宅を訪れた人物、未亡人参加の心霊学会メンバーなど、登場人物は皆怪しい。殺人予告、新たな犠牲者、さらに殺人事件。

 ミステリー作家・芦辺は、乱歩が投げかけた謎をひとつひとつ解いて、未完の「悪霊」を完成させた。それは乱歩中絶の謎も解くことでもある。

 写真は「朝日」書評(2024.3.23)切り抜き。横尾忠則(未完)、編集者(書き継ぎ)共作。

(平野) 

2024年4月8日月曜日

別冊太陽 横溝正史

 4.4 区役所行って、戸籍謄本など申請。父・母・本人、結構な料金。

「みなと元町タウンニュース」380号着。次号からリニューアルして季刊になる。拙稿は今回の「西村旅館(17)」で終了する。105ヵ月続けた。本紙で読者諸氏に挨拶できていないのは残念。ああ、間違いあり! 有終の美飾れず。

4.5 職場近く電柱のカラスの巣作り。3度目にもトライしていた。また撤去して、障害物を設置した模様。残骸の枝掃除。

4.6 「朝日新聞」〈声 Voice〉欄は「みんなで語ろう 本屋さん」。8歳から77歳まで7人が本屋への思いを語る。本好き、本屋好きは多い。なのに、本屋は減り続けている。

4.7 「朝日歌壇」より。

〈登山記を本屋へあまた売りしのち一人一人の故人を偲ぶ (東京都)田中康夫〉

〈新刊は誰かが買って回し読みそれでも本屋が成り立ってた昭和 (大和郡山市)四方護〉

「朝日俳壇」。

〈春の星星の王子の住むところ (名古屋市)平田秀〉

 他に鳥山明追悼句・歌あり。

4.8 孫姉、本日小学校入学式。めでたい。妹が教室に入っている。ちゃんりんちゃんりん。

 今日は亡母の誕生日でもある。

 

 『別冊太陽 探偵小説の鬼 横溝正史 謎の骨格にロマンの衣を着せて』 

平凡社 2500円+税



 評伝、主要作品解説、小説と映画、日記、横溝ファン著名人のエッセイ。貴重資料満載。協力者に「うみねこ堂書林」店主の名あり。

「謎の骨格に~」は横溝墨書の言葉。岡山県疎開時代、色紙を頼まれた時によく書いたものが原型。本書裏表紙。

 横溝は神戸二中で西田徳重と仲よくなった。ふたりは探偵小説愛好により意気投合。図書館や貸本屋の本を読み尽くして、古本屋の英語雑誌に目をつける。徳重は病で早世するが、兄の政治(まさじ)と交流。彼の導きがあって、「新青年」投稿・入選、江戸川乱歩との親密な関係が始まる。

(平野)

2024年4月4日木曜日

疾走! 日本尖端文學撰集

 3.31 「朝日俳壇」より。

〈父みゆき母は春樹の春こたつ (東京都練馬区)吉竹純〉

〈本当のバイちゃとなりぬ雛あられ (さいたま市)齋藤紀子〉

「朝日歌壇」より。

〈書斎の戸開ければいつも「どうした?」と振り向く夫よ椅子に声あり (富津市)松村君代〉

〈終活の最中(さなか)にひょいと顔出せりお世話になった赤尾の豆単 (加東市)藤原明〉

 買い物中、友人夫妻に会う。同級生の消息を教えてくれるが、この年齢になると明るい話題はない。

4.1 職場近くの電柱にカラスが巣作り。電力会社が撤去。

4.2 BIG ISSUE476、特集〈「ネガティブ・ケイパビリティ」を生きる〉。精神科医・作家の帚木蓬生、「答えを性急に求めることなく、不可解の中で、おや不思議だなと思う気持ちをもちながら、宙ぶらりんの状態に耐えていくと、その中から共感が生まれてくる」。

 


4.3 電柱の巣、カラス再設置した模様。生存のため必死。再度撤去したが、どうなるか。

雨と共に孫たち帰る。賑やかだった我が家は元の静けさに。

 

 『疾走! 日本尖端文學撰集 新感覚派+新興藝術派+α』 

小山力也編 ちくま文庫 880円+税



 大正末から昭和初め、近代都市化が進み、新技術、思想、文化が出現する。新しい芸術運動も次々登場。鉄道、自動車、スピード、コンクリート、映画、写真……文学者も刺激を受け、新感覚派、新興藝術派など新しい小説が生れた。

 藤澤桓夫、横光利一、堀辰雄、今東光、川端康成、稲垣足穂、龍膽寺雄ら現在もその名を知られる作家。朝原六朗(童謡「てるてる坊主」)、山下三郎(山下汽船の御曹司)、高橋邦太郎(翻訳家、日仏文化研究)、池谷信三郎(劇作家)、石野重道(足穂と共に佐藤春夫門下)、福井一(藤澤と「辻馬車」編集、生没年不明)ら文学史上ほぼ無名の作家たち。皆明治末頃の生まれの若者。

 神戸ゆかりの作家は、今、山下、足穂、石野、片岡鐵平。

 今東光「軍艦」は川崎造船所が舞台。巨大艦船建造=先端技術と現場労働者、モダニズムとプロレタリアが裏表。

(平野)

2024年3月31日日曜日

さようなら大江健三郎こんにちは

3.28 おまささんと神戸文学館デート(?)、実際は介護付き添い。文学館所蔵の「詩人さん」写真を見せていただく。帰りにワールドエンズガーデン、訪問5年ぶりくらい。書店人の情報いろいろ教えてもらう。

3.29 孫妹はパパに教えられた歌を歌う。「のんで~のんで~のまれてのんで~」。姉もそうだった。難しいことも言う。「うそはいけないんだよ~、うそつきはドボローのはじまりだよ~」。姉も小さい時「あわてんぼうのサンタクロース」を「あばれんぼう」と歌っていた。

3.30 「朝日新聞」の〈ひと〉欄。「障害のある娘を36年間撮り続ける島旅写真家 河田真智子(かわだ まちこ)さん」。昨年11月、写文集『医療への信頼』出版。版元はみずのわ出版。

医療への信頼 Trust in Medical Care | みずのわ出版 (mizunowa.com)

 


 同じく「朝日新聞 be on Saturday」〈はじまりを歩く〉は「出版 京都から江戸へ」。京都の法蔵館を紹介。

 


 孫姉の珍語。よその人の前では静かにしているから、ママに「ネコかぶってる」と言われる。ママの友だちと会うことになって、「ネコかぶってないとダメ~?」と訊ねる。どうも、おとなしくしていることと思っている。


 司修 『さようなら大江健三郎こんにちは』 鳥影社 2200円+税



 司は画家、作家。1936年前橋市生まれ、映画看板の仕事をしながら独学で絵を学ぶ。大江健三郎作品他、本の装幀も数多く手がける。本書は大江とのエピソードを綴る。

1968年、中央公論社『日本の文学76』で石原慎太郎、開高健、大江作品に挿絵を描いた。70年、司は大江の改装版『叫び声』(講談社)の装幀をする。そのあと、司はまだ会ったことのない大江に写真集の序文を依頼する。大江とホテルの喫茶室で面談。

〈「つかささんですか、大江です。私は、あなたに会って、断ろうと思いました」と、忙しそうにわずかな吃音でいったのです。私はわざわざ会って断ってもらったことに感謝しました。「ありがとうございました」、私が帰ろうとすると〈さん〉が、「お茶でも飲みませんか」といったのです。私はおずおずと椅子に座りました。〉

 大江が写真を見てくれた。新潟県柏崎十王堂、木食上人の微笑仏。司は撮影のこと、お堂の地獄絵のこと、地獄絵に関して上田秋成のことなど話す。

〈突然、〈さん〉がいいました。「書きましょう。何枚ですか、二十枚ですか、三十枚ですか」/私は原稿料のことも考えて「一枚でけっこうです」といいました。/〈さん〉は、「これから、前のホテルで、芥川賞の授賞式があるので」といって立ち上がりました。〉

 10日後、大江の序文「創作者通信」が届く。写真集は『影像戯曲 証人』(こぐま社)。

 大江との仕事が続き、やがて家族ぐるみの交流になる。その一端を大江が谷川俊太郎との対談で語っている。

……司さんが、お酒を飲んで、僕を徹底的に批判するということが、あの人と僕の関係の根本スタイルです。(中略、小説に英語の詩を最初から導入することについて)読者を、司という読者を拒否している。なんて嫌な小説家だろう、と彼が僕を批判しました。僕はその時困ったし、いまも考えているんです。〉(「新潮」1995年新年号《詩と散文の生まれるところ》)

 司は、「拒否」といったが「嫌な小説家」とはいっていない、と明言。大江の発言はジョーク。自分を酔わせてからかい、反発を楽しんでいた、と。

 2013年、『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』の見本ができて、大江から食事に招かれた。

〈皆さんとお別れする時、大江さんから「もう、会うことはないでしょうから」と握手を求められ、私は汗ばんだ手で、大江健三郎さんの手を握ったのでした。〉

(平野)写真は手近にある司装幀の大江本。