2024年5月14日火曜日

星落ちて、なお

5.6 やっぱり未読のコミックあった。『高丘親王航海記』3巻、第4(原作澁澤龍彦、漫画近藤ようこ、KADOKAWA2021年)。

5.8 連休中に職場マンションの住民さんがお亡くなりになった。奥様からお知らせいただく。お会いするたび声をかけてくださった。療養中のためしばらくお目にかかっていなかった。ご冥福をお祈りいたします。花壇の木に数年ぶりに野鳥が巣作り。

5.9 来週臨時出勤が2日あって、どちらも初めての職場ゆえ下見に行く。垂水行って、兵庫に。その足でお役所に書類再提出。

5.11 未明、家人の従姉訃報。

5.12 「朝日歌壇」より。

〈捨てられて収集人が来るまでに百科事典が見てた青空 (甲府市)村田一広〉

「桂吉弥独演会」、サンケイホールブリーゼ。噺家生活30周年、半年にわたる全国ツアー初日。開演前のリクエスト上位3本「ちりとてちん」「崇徳院」「はてなの茶碗」を熱演。

「BIG ISSUE」477号、特集「ガザ76年」、478号スペシャル企画「坂本龍一」




5.13 従姉通夜。

 

 澤田瞳子 『星落ちて、なお』 文春文庫 810円+税



 2021年、第165回直木賞受賞作。幕末から明治初期の絵師・河鍋暁斎(きょうさい)の娘とよ=画号・暁翠(きょうすい)の生涯を描く。

 暁斎は浮世絵、狩野派、土佐派はじめ様々な画法を学び、風刺画も手がけた。弟子は200人を超える人気絵師。逸話も多く、幼い頃から自分の家の火事や水死体を写生し、臨終間際には自分を看取る人びとを描いてみせた。画鬼と呼ばれ、絵師として生涯を全うした。子のうちでも絵の技量を見込んだ長男ととよを鍛えた。子にすれば、偉大な父を超えることはできず、また父の画風・業績を絶やしたくない。父が誇らしくもあり、憎くくもあり、愛憎相半ば。「血ではなく墨によって結ばれた」親子。とよは父の弟子(後述)の言葉から幼い日を思い起こす。

「絵を続けているのは、そこに少しなりとも喜びがあったためではないですか」

父が描いた鳩の絵を手本にもらった時の喜び。

〈あの刹那の喜びはぽっかりと澄明で、生きる苦悩も父や兄への憎しみも、何一つ混じってはいなかった。だとすれば暁斎が真実とよに与えたのは、延々と続く絵師の火宅ではなく、火花のごとく眩く、だからこそ永遠に失せぬ澄みきった煌めきだったのではないか。〉

 暁斎の弟子で支援者でもある鹿島清兵衛という人物がいて、本書で重要な脇役。大きな酒問屋の婿養子で趣味人。長男を亡くしてから放蕩。人気芸者を愛人にして、最新設備の写真館を作り、とうとう廃嫡させられる。落ちぶれたが、得意の笛で能楽の笛方となる。

(平野)

2024年5月6日月曜日

くらべて、けみして

5.4 連休、溜まっているコミック本を読もう。買って間もない本もあれば、1年以上ほったらかしの本も。



5.5 観光客でいっぱいを覚悟して京都。狸教授にいただいた観覧券、京都国立博物館「雪舟伝説――「画聖(カリスマ)」の誕生――。日本美術史を代表する画家ながら、現存する作品はわずか。もちろん国宝や重要文化財。後世の画家たちが高く評価し、手本にしてきた。その歴史の積み重ねを展示。

 博物館から大谷本廟お参り。河原町に出て、昼ごはん食べて帰宅。

 こいしゆうか 『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』 

協力・新潮社校閲部 新潮社 1150円+税 

〈本を読んだことが/ある人なら/一度は見たことが/あるだろう/奥付/そこには/著者の名前/デザイナー/もしくは編集者など/その本に/関わる人たちの名前が/記載されている/しかし/一冊の本に/大きく関わりながら/名を知られることもない/仕事が存在する/それが校閲〉

 字や言葉の間違いを正すだけではない。登場人物の特徴や設定、季節など文章の前後で矛盾はないか、著者・編集者に疑問を提出する。著者と直接顔を合わせることはない。疑問の出し方にも注意が必要。

「校閲」の「校」は比べる、考える、正す、調べるの意味がある。「閲」は「けみする」数える、見る、調べる、読むの意味。

 新潮社は文芸出版社として校閲に力を入れ、「校閲部」は50人体制。

 

 Q.B.B.作・久住昌之 画・久住卓也)『古本屋台2』  

本の雑誌社 1500円+税

 老主人が引く屋台の古本屋。焼酎1杯(100円)だけ飲める、お代わりダメ。酔っ払いは断わる、やかましい客や本の扱いにも注意する。当然本を大事に扱わないといけない。知ったかぶりする常連に、

「アンタ知ってることだけペラペラウルサイよ  今日はもう帰ったら?」

 ご機嫌がいいと、お菓子や豚汁をご馳走してくれる。夜な夜な常連客が集まってくるし、新しいお客も寄ってくる。主人が屋台を出していることがうれしい。多彩な本が登場する。

 

 ヤマザキマリ とり・みき 『プリニウス』

11700円+税)、12740円+税) 新潮社 

 古代ローマの博物学者プリニウス評伝。連載開始から完結まで10年。

 

(平野)まだ積ん読本の下敷きになっている本があるはず。

 

2024年5月4日土曜日

放浪・雪の夜

5.2 ギャラリー島田DM作業にお呼びがかかる。ヂヂのボケ防止の脳トレ・リハビリ。ときどき手指が痙る。

5.3 連休で曜日を間違えるが、害はない。約束も予定もない!

 

 織田作之助 『放浪・雪の夜 織田作之助傑作集』 新潮文庫 630円+税



織田作之助(191347年)は活動期間短いけれども、「オダサク」は今も人気作家。太宰治や坂口安吾らと並んで「無頼派」とされるが、この呼称が広まるのは戦後10年ほど経ってから、と知る。ということは、彼らは「無頼派」と呼ばれていることを知らない。

〈作之助が自称したのは「軽佻派」だった。(中略)戦時下の生真面目な風潮に背を向け、軽佻浮薄に映ることを怖れず、自ら心の動くままにふるまった。〉(解説 斎藤理生)

表題作の「放浪」は料理屋に婿入りした男の出奔人生、「雪の夜」は都会から落ちぶれたカップルの話。

 私が面白く読んだのは「四月馬鹿」。先輩作家・武田麟太郎を懐かしむ。

「神経」は少女歌劇から歌舞伎、新劇、ラジオアナウンサーなどなどの台詞回しや型、紋切り調子への苦言から始まる。自己批判でもある。歌劇ファンの家出少女が死体で発見されたことから、千日前界隈の芸人や商売人の話になる。女優たちが少女のため供養の地蔵を建立する。空襲後と敗戦直後に、織田は雑誌に千日前の人と復興の様子を書いた。無理やり美談にしたようで自己嫌悪に陥るが、人びとは喜んでくれ、励ましになっていたと知る。「波屋書房」が登場。

バカ正直な人物が主人公の「人情噺」と「天衣無縫」も良い。

(平野)

2024年5月2日木曜日

不思議な時計

4.28 昨日朝、花壇のさくらんぼの実は残っていた。今朝すべて消滅。連日の風雨で落ちて確かに少なかったが、高い所にはあった。種だけあちこちに落ちている。ご近所さんが、野鳥が来てたと教えてくれる。鳥に怒るわけにはいかない。♪あかいとりことり、なぜなぜあかい~♪

4.30 書類誤記でお役所に出頭。緊張して行ったけれど、担当の方が親切丁寧に教えてくださる。

5.1 孫電話。姉はパパに買ってもらった服(まだ包装したまま)を見せてくれる。妹も姉とおんなじ服がほしい。


 北村薫 『不思議な時計 本の小説』 新潮社 1800円+税



「波」連載、連作短篇小説集。言葉、物語、人、が時空を超えてつながっていく「本の小説」シリーズ。謎から謎、そこに不思議が絡む。著者の読書体験、人生経験、人との出会いによって解きほぐされていく。

始まりは、古い映画「猟奇島」のDVD。表題の「時計」は萩原朔太郎のからくり時計。「猟奇島」から「時計」までの探検を楽しんでいただきたい。著者の父上のエピソードも重要。

人名、作品名がいっぱい出てくるけれど、最初の2に登場する作家名だけ挙げる。江戸川乱歩、佐藤春夫、横溝正史、エラリー・クイーン、キャビン・ライアル、筒井康隆、リチャード・コネル、サマセット・モーム、谷崎潤一郎、久生十蘭、芥川龍之介、菊池寛、庄野潤三、永井龍男、穂村弘、谷川俊太郎……、他に映画・芸能関係者が加わる。

 小説であっても、こういう本には〈人名索引〉〈事項索引〉があればいいな、と思う。

(平野)

2024年4月28日日曜日

わたくし大画報

 4.25 六甲アイランドの神戸ゆかりの美術館「小松益喜の作品で神戸散歩」展。この美術館は神戸在住の高齢者無料。

 お役所から電話。提出書類に不備あり、来週指導を受けることになった。やり直し。

4.27 神戸華僑歴史博物館訪問。陳舜臣生誕100年記念冊子「陳舜臣さんが語りかけるもの 2024をいただく。シリーズ談話「陳舜臣――人と作品」、ゆかりの人たちによる5分間スピーチ「私の陳舜臣さん」、特別展「神戸を愛し神戸に生きた陳舜臣さん」をまとめる。



 栄町通の本屋さんで予約本受け取り。夜、著者のトーク会イベントがあるのだけれど、ヂヂは遠慮。 

 和田誠 『わたくし大画報』 ポプラ社 1600円+税



 1982年講談社版を復刊。1974年から81年、小説雑誌に連載した「家庭大画報」「渋谷大画報」。本職のデザインやイラストのことから、映画、演劇、音楽、落語、本の話、家庭での出来事、交遊録などを綴る。雑誌のなかのもうひとつの雑誌、という感じ。多方面で活動していたから交際範囲が幅広い。

19819月の「向田さん」は同年8月に飛行機事故で亡くなった向田邦子の思い出。雑誌で対談し、終了後お酒を酌み交わした。ほぼ初対面。まもなく向田は台湾取材旅行に出た。事故の前日にゲラができて、和田と編集者は向田の帰りを待っていた。わずかな時間の付き合いだった。和田は向田の人柄に「長い付き合いだったような錯覚」を覚える。

(平野)

2024年4月25日木曜日

熊楠さん、世界を歩く。

4.24 久しぶりの孫電話。姉は学校疲れか、寝起き。妹は先に晩ご飯食べたのに、姉と一緒にまた食べる、とごねる。

 連休が始まる。ヂヂはなんにも予定ないが、臨時仕事は入ってくる。家人たちはそれぞれ忙しそう。

 

 松居竜五 『熊楠さん、世界を歩く。 冒険と学問のマンダラへ』 

岩波書店 2300円+税



 著者は1964年生まれ、龍谷大学国際学部教授、比較文学。南方熊楠研究は30年に及び、南方熊楠顕彰館館長。親しみ込めて「熊楠さん」と呼ぶ。また、熊楠の漢文調文章を現代風に訳し、幅広く学際的な熊楠の研究をわかりやすく説明する。

……熊楠さんという人は、宇宙のすべてを対象としながら、「楽しさ」のために学問をしていた人だと考えれば、とてもわかりやすいところがある。熊楠さんにとっては、学問的な制度や分野や枠組みは二の次だった。その時、その時の、自分の好奇心がおもむくままに、楽しみを宇宙から「心」に取り入れていただけだ。(後略)〉

熊楠といえば、博覧強記の奇人変人のイメージが強いが、子どもの眼、好奇心を生涯持ち続けた人だとわかる。

目次から。

「神童クマグス」、江戸の図鑑に夢中になる

図鑑をフォークロアとして読み替える

博物学をこころざし、ダーウィンの進化論に驚嘆する

アメリカに向かう船上でワニについて聞く

サンフランシスコでニワトリの鳴き声に悩まされる

ミシガン大学博物館で奇妙な動物の剥製を観察する

ロンドン動物園で生命に対する思索を深める

ピーター・ラビットの作者とニアミスする

「南方マンダラ」の構想からエコロジー思想にたどり着く

…… 

(平野)私が本屋新米時代、本店の人文書棚に『南方熊楠全集』(平凡社)が並んでいた。担当はマツさん。私は何の本かわからないし、書名すら読めない。みなみかた? なんぽう? くまくすのき? その後、中途入社してきたシラさんに教わって、『南方熊楠随筆集』(筑摩叢書)を読んだ。

2024年4月23日火曜日

(霊媒の話より)題未定

4.21 例年のことながら、雨風でさくらんぼの実が熟す前に落ちてしまう。カメムシも来る。

4.23 午前中臨時仕事。丘の上のマンション、麓から歩く。キツイ。そばの公園は楠木正成湊川合戦の地。牧野富太郎の植物研究所跡地もある。兵庫の資産家・池長孟が牧野を支援したが、標本・資料の置き場所としかならず。

NR出版会新刊重版情報」591着。連載〈本を届ける仕事〉は元Books隆文堂の鈴木慎二さん。「これからの書店員のみなさんに」。

 

 安部公房 『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』 

新潮文庫 750円+税



 安部公房19歳から25歳までの初期短編集。表題作は遺品整理で見つかった作品だそう。日付(1943.3.7-16)から処女作と判断される。

〈そう、もう十年以上も昔になるかね。いまと異(ちが)って失業者とか乞食とか云う結構な連中がぞろぞろして居た頃さ。其頃と云えば全く、今の様にこう戦争が始って皆の心持が引しまって居る状態から見れば、全くの所お話にならぬ程馬鹿馬鹿しい事も多かったね。(後略)〉

 田舎を回る曲馬団の少年パーは孤児、生れた年も名前も不明。団の女将さんが花丸と名づけ、愛称パー公。激しい芸はせず、声色など道化役。仲間に妬まれるが、小さいながら空気を読んで人の心をとらえることができた。年上の新入りクマ公は練習に耐え、パー公に優しく接する。村の地主の婆さんがパー公とクマ公を、親兄弟もなくかわいそう、と蔑む。パー公は客席の幸せそうな家族連れを見て、自分の家族と思い込んでしまう。クマ公が冷静に諭すが、パー公は脱走。先の婆さんの事故死現場に遭遇。得意の声色で婆さんの霊を演じて、地主の家に入り込み、大事にされるのだが……

 安部公房は1924年東京生まれ、満州育ち。高校、大学時代を日本で過ごすが、敗戦濃厚のなか44年満州に戻る。46年末帰国。厳しい体験を想像する。

(平野)