おそらくはそれでいい
よみものが足りないけれど本のかたちになっているものをめくる暇がなくて、端末で書くことを本職にしていないひとの文章をぽちぽちと読んでみている。最初は戸惑ったけれど面白いものもみつかるようになった。たからさがしのよう。
会話だけで話の展開をひっぱったり、埋め合わせるみたいに情景を書きこんだり、人物を描写するというよりは設定を説明してしまったり。ちょっとだけお話のようなものを書いてみたことがあるけれど、やっぱりそんなふうになった。
本のかたちになったものを買ったり借りたりして読むことをあたりまえにして享受してきたけれど、それを書いた誰かだけでなく、対価が発生すると判断がされて、背表紙には名前が書かれないたくさんの誰かに送り出されたということはものすごいことなんだと思う。
最近いろいろと読んでみたものもとても楽しかった。
買って読むものならこういうの非難ごうごうだよね、という展開をする。オチる。いいのそういうの読みたかったのと身もだえたり、マネキンの首みたいなものをごろんと転がしたり砲丸投げしてみたりすることに息を吸い込んだり口を開けたりする。
綺麗だとか美しいの広がりのこと。悲しみや怒りのもとのところにある素朴なもの。からだの中に収める気がみじんも感じられないような欲や、隠そうとして歪んでなじんでしまったような肯定や否定のさまざまなかたち。
そんな、文筆家ならきっとしないような瑞々しくて生々しい言葉の連なりを読むとき、薄闇に橙色の灯りをみるような気持ちになる。
それを書いたひとがどこかにいるということ。そんな気持ちを自分も知っていること。
感じることだって伝え方だっていろいろなんだと温度をもって感じることはうれしい。本のかたちになったものにはつい構えてしまうから。
短い文章や物語はうまく書けない。見せられるような絵や歌や踊りなんてない。ただ、簡単な文章なら少しだけ苦手ではないと思える。それをしているとき、考えているとき、だいたいは楽しくいられる。
それでいいんじゃないかな。それでいいような気がする。