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オタク。さんのレビュー一覧

投稿者:オタク。

1,545 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本聖書難問注解 旧約篇

2024/04/18 19:02

アクロバティックな護教論を楽しむ

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列王記史観が前面に出るのはともかくとしてマナセ王が「死の床での回心体験をした」というのは歴代誌下の記述によるのだが続きがあって彼はエルサレムに帰っている。重婚は奴隷制に並ぶ悪と見なしているようだが、それならバド・シェバを得る為に夫のウリヤを戦死させたダヴィデ王は悪であり、ダヴィデ王朝は「マナセの偶像崇拝」に待たずに「悪の王朝」以外の何者ではない。エレミヤ書44章を読む限り臣民からは独善的で国家を破滅に向かう原因を作った王として忌み嫌われていたとしか思えない「名君」ヨシヤはエホアハズとゼデキヤの生母のハムタルとエホヤキムの生母のゼブダがいるので「重婚者」なのに触れていない。エホヤキンも「重婚者」なのに触れていないが彼をエレミヤ書22章にあるように彼の家系は滅びてしまったとする為に歴代誌上の記述とルカ伝の系図を使って極めてアクロバティックな護教論を展開しているので著者達は期せずしてマタイ伝の系図は誤りだと言っているようなものだ。
 「聖書はすべて、神の霊感によるもの」という逐語霊感説が福音派の教義のはずだが特定の聖句が他の聖句と「矛盾」しないように説明しようとして逆に聖書の矛盾を露わにしてしまうのは逐語霊感説なるものが後出しじゃんけんに過ぎないと認めざるを得ないようなものだ。この本の著者達が17世紀のカトリックの学者のリシャール・シモンを「悪名高い聖書批評学者」とケチをつけるのは彼がカトリックの立場でプロテスタントの「聖書のみ」の原則を批判する為に研究をしていたからだろうが彼の発言を参照しなければならなくなっている。
 逐語霊感説が人文主義の「原典のみ」の変形の「聖書のみ」から逸脱して硬直した教義に過ぎないものだと知るにはちょうどいいが、それにはある程度聖書について知識がないと分かりにくいだろう。
 そもそもユダの王朝時代に一夫一婦制があったのかを無視して「一夫多妻制は悪」と決めつけたり教会は奴隷制や奴隷貿易を正当化していたはずなのに「都合の悪い事」はどこかに行っていては明日になればドナルド・トランプをメシアだと言いかねない。

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南朝をぶっ壊した男の物語と後日談

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それなりに均衡が取れていた魏晋南北朝に終止符を打つきっかけになった侯景の乱と後梁を取り上げた一般書は他にないのでは?侯景が名乗った称号のおかげでカルト的な人気?が出たようだが侯景の乱が南朝に与えた影響に比べると「黄巾の乱で漢民族は絶滅した!」という「満鮮史家」の珍説に従うのが馬鹿馬鹿しく思える。
 侯景の乱でガタガタになった梁から生まれた後梁は皇帝を号し独自の年号や文武百官を擁していた満洲国に似ていて北朝の対南朝政策で存続していた傀儡政権に過ぎないようでいて六朝文化を後世に伝えただけに、それなりには存在感はあったようだ。後梁の帝室は侯景の乱と後始末で自壊した梁の帝室で北朝に擁立されて傀儡政権に従った一族でも陳が崩壊してからも人心を集めるだけの存在感もあったので靖康の変で金が擁立した傀儡政権や日本軍占領下の諸政権の関係者ほどは忌み嫌われた存在でもなかったようだ。
 後漢書の著書の范嘩の謀反も色々と事情があるようだ。しかし皇帝に反逆した人物の著書が隠滅されて名のみ伝わる存在にはならなかったものだ。
 元々中公新書で刊行されたで読みやすい文体だ。

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誰でも自分の持つ視点から逃れられない

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書名は田川建三の「イエスという男」に習ったらしい。田川建三を含めて自分が取り上げる対象を自分が持つ思想や宗教の立場や認識で見てしまうものだ。論者が取り上げる対象が生きた時代の文脈で論じる意味を認識した。
 真宗で言うところの「戦時教学」を批判した個所で今のミャンマーの仏教界のあり方を取り上げている。その時代では「正しい」と言われていても時代が変われば違うあり方が「正しい」と見なされるとしても過去の文脈まで特定の「正しい」あり方を引き延ばして「正しい仏教(キリスト教など)」を論じて悪いのは「天皇制国家」や「国家神道」など悪玉だと言っているのが結構いる。
 人文主義の「原点に従う」から始まった宗教改革の「聖書のみ」という読み方がカトリックのあり方を批判する事自体は正しいにしても「聖書が書かれている事は全て真実」で聖書の記述が相互矛盾していても無理矢理こじつけて「一言一句全てが真実だ」という福音派のあり方は中世のカトリック式無謬論に戻ってしまう。聖書の奇跡物語を否定して論じるあり方と仏典の奇跡や神通力などを否定して「真実のブッダ」を探し出すのは結局同じなのだろう。

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「言論統制」の増補に合わせて

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中公新書の「言論統制」は読んだけれど増補版が出るのに合わせて鈴木庫三大佐の回想を単独で出したもの。偶然書店の店頭で見かけた。電車の中などで一気に読んだ。
 鈴木庫三は貧家に養子となって高等小学校卒で学費が払えないので陸幼に入るのは諦めて砲工学校に入校して下士官から陸士に入学する道を選んでいる。「言論統制」にも言えるが編者は鈴木庫三という軍人に肩入れしているのが分かる。
 鈴木庫三が三等銃工兵として配属された青森第五歩兵聯隊はみすず書房から中央公論新社に引っ越した「私の昭和史」の著者の末松太平の原隊だ。
 鈴木大佐を高木惣吉海軍少将を含めて否定的に書くというのは学歴がない「ビンボー人」で陸士卒でも輜重兵科なので無意識に見下しているような感じがしてきた。辻政信のような銀時計・軍刀組で金鵄勲章佩用者の参謀なら「炭焼きの息子」と出自をあげつらわないだろうか?高等小学校卒なら英語やドイツ語を学ぶ機会がないだろうが閑院宮春仁王の「私の自叙伝」が陸大時代に米川一夫のような文官教授からロシア語を学んだのにやる気のなかった事を記していたのを思い出してしまう。
 三千里は朝鮮語雑誌なので寄稿文は誰かが(多分、朝鮮人)朝鮮語に訳したはずだ。朝鮮語が話せる日本人の将校は朝鮮人と接する機会が多かった在朝日本人の子弟で朝鮮語を忘れなかった人か任務で朝鮮語を学んだような人くらい?
 年表に「正七位に叙勲」とあるのは「叙位」で「正六位旭日四等を受章」は「正六位に叙位、勲四等旭日小綬章を叙勲」では?それに鈴木庫三が輜重兵少尉に任官した時点で叙位されているのではないか?
 編者は鈴木庫三が輜重兵科だからか「輜重の重要性を理解しなかった」帝国陸軍を通り一遍に批判しているが幕末に旧幕府軍が接したのが第二帝政時代のフランス軍だからか、ナポレオン一世式の短期決戦で勝利を得て賠償金を収奪して戦費を賄うあり方が「正しい戦争の方法」だと学んでしまったように思えてしまう。日清日露の勝利を再びというのは昭和16年に戦争が始まっても大して変わらなかったものだ。

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例の本は一方通行?

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著者が女性だからか「トランスジェンダー」とは女性性から男性性がいやに多い感じ。
 何でか知らないが関係がなさそうなビル・コスビーやマイケル・ジャクソンを引き合いにしているのはどうだろうか?著者は無意識のうちに「トランスジェンダー」を「堕ちたヒーロー」と同一視しているのが見え見えだ。ここで嫌になってしまった。

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紙の本動乱の中の王妃

2024/04/06 13:37

「流れのままに」と基本的に同じ本

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「流れのままに」では秩父宮妃が序文を書いているが「動乱の中の王妃」では同じ年に講談社から「光華のごとく」を刊行した大谷智子裏方であり、「流れのままに」には収録されていない伊都子妃のあとがきがあるが「流れのままに」に追記された下りは当然ない。写真を差し替えているが基本的に改題しただけの同じ本。
 「歳月よ王朝よ」とは結構異動があるのだが、そこまで読み比べた人はいないのだろうか?張赫宙の「秘苑の花」と一致するところは少ないが某詐話師の年齢については引き写ししたのでないか?と思えるので何かに引用されたか孫引きしたものをゴーストライターが参照したのだろうか?

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「秘苑の花」と読み比べると

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張赫宙の「秘苑の花」と読み比べるとゴーストライターは直接読んだのか、それとも引用したか孫引きしたかした韓国語の本を下敷きにしたように思える。表現を含めてよく似ている。それでいて某詐話師の年齢のように「通説」を記した「歳月よ王朝よ」と違って「流れのままに」は「秘苑の花」の記述と一致するところすらある。昭和20年8月15日までの英王李垠と方子女王を調べるには「秘苑の花」を抜きにしては語れないと思うが「秘苑の花」の重要性に気がついた人はいないらしい。
 「朝鮮朝宮中風俗の研究」と同じ写真を使っているのにキャプションに違いがある。「朝鮮朝宮中風俗の研究」では純貞孝皇后尹氏と一緒に写真に映っている女性を「興親王妃(李熹公妃,尹妃には夫の伯母)」と紹介しているのに「歳月よ王朝よ」では記載がない。逆に「歳月よ王朝よ」ではジュリア・ミューロックが映っている写真が「朝鮮朝宮中風俗の研究」で使っているものではトリミングしている上に出来なかった個所を不自然に修正して純貞孝皇后と王世子李玖の2人だけなので左寄りになって不自然な構図になっている。
 「戦争末期」とキャプションにある写真では英王李垠をはじめとして将校達は軍帽に近衛の帽章をつけているので大阪の留守近衛師団の師団長時代だろう。第一航空軍司令官当時なら近衛の帽章を使わないはずだ。
 「流れのままに」なり「歳月よ王朝よ」なり本田節子の「朝鮮王朝最後の皇太子妃」なりが絶版になって久しいのに昭和25年に単行本が出たっきりで「英親王李垠伝」のような本で紹介されるのを除くと基本的に忘れられた作品となった「秘苑の花」が新本で読めるようになるとは思わなかったが、もしどこかで再販する時には「秘苑の花」の該当個所の頁数をつけてほしいものだ。

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文春では単行本の採算が合わなかったらしい

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「トモさんのえげれす留学」は文藝春秋社から刊行されているので寛仁親王が彬子女王の留学記を刊行したかったが断られた出版社はどこかは確実だ。文庫版へのあとがきによるとチャールズ3世の即位絡みでTwitterを通して読者からの要望があったらしく単行本で「使用した用紙の生産中止などもあって、「採算が取れないので従来の単行本としては難しいけれど、文庫版であれば」との事。
 文春と正論で彬子女王が母の信子妃を冷ややかに書いた文章を読んだ事があるが、色々と書いたものやインタビューを読んでいくと妹宮共々お父さん子なのだろう。「父・寛仁親王の思い出」を読むと信子妃が全然出てこないが、寛仁親王の薨去後に再び信子妃が宮中行事に参列しても挨拶しかしないのだろうか。彬子女王の従弟にあたる裏千家の若宗匠は裏千家から戸籍を抜いて改姓したという長男ではなく次男が継いだ事情も知らないが登場する「従弟」は近衛家や高円宮家はあり得ないのでおそらく若宗匠だろう。「秋篠宮家バッシング」に合わせて昭和57年の「皇籍離脱発言」を知らないような「男系男子」カルトに持ち上げるような発言を晩年に繰り返して持ち上げられていた寛仁親王と信子妃の間に何があったのかは分からないが、ここが気になる。麻生家が吉田茂と共にカトリックの家で信子妃がカトリックの信者なので成婚の時に「信教の自由」を理由に教会が認めたと寛仁親王が繰り返して語るが寛仁親王邸には神職の資格を持つ職員がいるというのも関係するのか?
 朝鮮が食わず嫌いな「男系男子」カルトが張赫宙の「秘苑の花」を読んでいるとは思えないし張赫宙と「秘苑の花」の存在自体知らないだろうが張赫宙本人や兄義王と違って英王李垠は両親の愛に恵まれていたらしいと、この本を読んでいるとつい連想してしまう。

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歴代誌は諸書の中だけ

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主にユダ王国の滅亡とバビロン捕囚を題材にしているが何故か歴代誌はヘブライ語聖書の末尾を飾る諸書の書名としてしか出てこない。一々列王記と歴代誌の異同を取り上げると頁数の少ない冊子では終わってしまうからだろうか?この本の著者は他の一般書でも同じ事をしているようだが。
 ある程度の「聖書外史料」を読者に提供している点はいい。
 新改訳聖書や新世界訳聖書ではエホヤキン王の年齢を列王記に合わせて「8歳」ではなく「18歳」にするのは8歳でバビロンに捕囚の身(実はネブカドネツァル王の賓客?)になって5年後には5人の子どもの父親になっては、いくら一夫多妻で結婚年齢が早いとしても「まだ早い」と思ったのか「列王記優先説」に従っただけの話なのかは知らない。いくらエレミヤやエゼキエルがヒゼキヤやヨシヤを除いたユダの王家と歴代の王を批判したところで民衆はエホヤキンの帰国と復位でユダの再興を願っていたからこそイエスの系図につながる「ダビデ王の子孫がイスラエルを復活させる」という考えが根強かったのだろう。エホヤキンは「ユダヤ古代誌」にあるように「思いやりのある、神の前に正しい人だった」なのでエレミヤ書44章で読み取れるように実は臣下から忌み嫌われていたヨシヤと違って臣下から敬愛されていたのが実像なのかもしれない。
 聖書におけるユダ王国の滅亡とバビロン捕囚の記述は矛盾の塊でマナセ王はヤハウェさんにユダの滅亡に運命づけられてしまった世紀の偶像崇拝者なのか、それとも悔い改めた君主なのかすら分からなくなってしまう。

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紙の本真宗聖典 第2版 大判

2024/03/29 22:48

見た目が初版と変わらないような

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外箱のデザインが若干違っているが赤い地に金色の背文字で「眞宗聖典【第二版】」と見た目は旧版と変わらないような。本願寺派の「浄土真宗聖典(注釈版)」は初版では緑色だったカバーを第二版では青を基調にしたものに変えたように見た目でも分かるようにした方がいいのでは。
 内容は旧版と変わらないが旧版にはなかった注釈のように左訓が左側のページに付されているのはいい。和暦を換算する為にルビのように西暦が付いているがみんながみんなではないので不完全。
 旧版は昭和53年初刷なのでまだ活版印刷が紙型に使われていたはずだが第二版はオフセット印刷に移行しているはずなので活字が鮮明だ。
 本願寺派の「浄土真宗聖典(注釈版)」のように「年代の確定できるもの及び年代の確定が確実視されるものを年代順に、次いで年代の確定に疑問が残るもの及び年代の推定が不明のものを月日順に配列する編纂方法」を取るならともかく末灯鈔など消息集としてまとめられたものの書名などを出した上で重複しているものは掲載していないので解題・校注には「親鸞聖人御消息」として重複個所を紹介しているのもいい。
 歎異抄の流罪目録を本文より下げて配置しているのは大谷派と本願寺派での扱いに違いがあるのだろうか?大谷派が安価なテキストとして刊行している版や金子大栄編の岩波文庫版では文字通りの附録扱いなのでそう思えてしまう。
 巻末の年表は旧版の一段組みから一段組みに変わっている。

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「ブランデンブルク部隊員の手記」を使わない不思議な邦訳

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朝日ソノラマと学研を経てホビージャパンで刊行されていたルーデルの本と違って「新訳」なのはルーデル本人と翻訳者の著作権継承者が分からなかったらしいのに手直して刊行したから?品切れ扱いになっているらしいのと関係があるのだろうか?
 何故邦訳者は「ブランデンブルク部隊員の手記」を参照しないのだろう?確かにハルトマンは無名の陸軍中佐の息子であるクリスチャンゼン少尉の存在を著者達に伝えなかったのか、それとも著者達は彼が名前を伝えていたとしても無名の存在なので忘れた結果なのか、とは思える。アルトゥーア・ザイス=インクヴァルトの息子のリヒャルトは「ブランデンブルク部隊員の手記」によるとブランデンブルク部隊の少尉として登場する。ジークフリート・フォン・デア・シューレンブルク少佐は7月20日事件で死刑になった「戦前に駐ソ連大使を務めた」人物ではない事は1960年代当時でも分かるだろうが赤軍の捕虜になったブロンベルクという地名が所謂「ブロンベルク血の日曜日事件」の舞台ならポーランドだがヘルムート・フォン・パンヴィッツ将軍の第15カザーク騎兵軍団は当時のユーゴスラヴィアにいたのでそういうドイツ名の地名があるのだろうか?「ブランデンブルク部隊員の手記」には「コサック騎兵中隊の中隊長を務めたH・シュナイダー」という人物も出てくるので特定の部隊に所属した将校を「戦犯」として扱われていたのだろうか?そうなるとヴラーソフ将軍のロシア解放軍の航空部隊という第210戦闘航空団司令のハルトマン・グラッサー少佐も「戦犯」として裁かれないとおかしくなるが。ハルトマンを尋問した「内務人民委員部のクリングバイル大尉」という「裏切り者のドイツ人」は「ブランデンブルク部隊員の手記」に出て来るヒトラーの政権掌握前にソ連へ亡命したらしい「ソ連軍の大尉」と同一人物だろうか?となるとKPD党員であって赤軍の捕虜になってからソ連に協力した「裏切り者のドイツ人」ではないだろう。ハルトマン少佐は著者達に自分より階級の高いハインツ・リンゲSS中佐とハヨ・ヘルマン大佐の名前を出したくなかったようだ。
 「バブーシュカ(スカーフ)を頭に巻いた年配のロシア人女性」?プラトークなら頭に巻けるがバーブシュカは無理です。
 一番問題なのは何故ハルトマンのような「極ファシスト」のような男にスメルシュが色々と情報を提供してくれているのか。彼は少佐なので北極圏の泥炭採掘場から少佐以上は将校収容所に送られたので生き延びられたそうだが「ブランデンブルク部隊員の手記」には大佐まで強制労働に就かされたとあるのでどうなのだろう?将校収容所で厨房というソ連のラーゲリなら垂涎の場所で「将校なので労働を拒否」しなかったのは「反ファシスト」に籠絡する為であるかのように書かれているが、この本、色々と細かく書かれている割にハルトマンが戦犯として尋問されるまで将校収容所でどういう生活をしていたかを書いていない。「ブランデンブルク部隊員の手記」には出てこないがフォン・ザイトリッツ-クルツバッハ将軍のようなかつての対ソ協力者が「戦犯」として扱われているようにハルトマンは生き延びる為に泥炭採掘場でソ連側に協力して戦友達を告発した見返りに当時のソ連では貴重品のはずのコーヒーが飲める将校収容所へ送られて彼自身が戦犯容疑者になるまで反ファシストとして活動していたのではないか。日本人やドイツ人がロシア語が話せるとスパイ視される当時のソ連でもヴィルヘルム・アーダム大佐のような反ファシストがいるからな。

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紙の本侍従長回顧録 改版

2024/03/23 23:01

以前出ていた本の改版

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以前の版では昭和天皇の行幸に扈従した時の三谷隆信侍従長の写真を表紙に使っていたが今度は先帝の欧州行啓に扈従した時の写真を使っている。
 解説には三谷隆信が引用しているパウル・オットー・シュミットの著書は「日本語訳はなく」とあるが大木毅の「第二次大戦の〈分岐点〉」には邦訳に言及されている。どうやら市販されたにしても自費出版らしいので視界に入らなかったのだろうか?
 この本にしても元々は非売品なので関係者に配布する為に刊行されたのだろう。解説に出て来る「臣下の大戦」は、この本などを元にしたノンフィクション・ノベルみたいな本で三谷隆信がスイスに入国した時に同行していたヴィシー政権の情報大臣のマリオンの入国を拒否された個所はそのまま使っているようだ。駐仏大使として三谷隆信はペタンがスイス経由で帰国するまでジグマリンゲンにも随行していたが仏印処理はどうなっていたのかが気になる。仏印処理まで日本はフランスのインドシナ総督府の存在を認めてフランス軍も武装していたので「大東亜戦争はアジア解放の聖戦」と矛盾するが仏印処理以降もペタン・ラヴァルの形だけの政府をフランス政府として承認していたのは何か不思議な感じ。ムッソリーニのイタリア社会共和国やラーコシの国民統一政府を帝国政府は承認したのにジャック・ドリオなど名うての対独協力者が中心となった政府委員会を「フランス政府」と承認しなかったし。仏印処理をペタンとラヴァルはどう認識していたのだろうか?だからか知らないがミズーリ号でフランス共和国臨時政府を代表したのは自由フランス軍に参加していたフィリップ・ルクレール将軍で昭和21年から4年間、日本で滞在していたのはフランス外人部隊の一兵卒から右腕と引き掛けに異例の出世をして国民政府がヴィシー政権を断行してフランス・アルジェ解放委員会を承認した時に重慶に派遣されて駐華大使になっていたジノーヴィー・ペシュコフ将軍なのだろうか?「昭和天皇拝謁記」に三笠宮妃百合子が時期的にペシュコフらしい「フランス大使」と会った記述が出て来るが三谷隆信は侍従長時代にペシュコフと会った事はあるだろうか?

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版権で絶版になった本

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著作権継承者がいないので勝手に出せると思ったのかは知らないが刊行してすぐに絶版になった曰く付きの本。平凡社が版権を取得したので無断出版を抗議されたのだろうか?没後20年近い人なので版権を取得出来ないと勝手に出せないのは社会評論社の編集者は気が付かないわけでもないだろうに。平凡社版の版権を見るとヴォルフガング・レオンハルトが継承者になっている。ゾルゲ事件の関係者の本なのに平成まで翻訳されなかったのはレオンハルトがエーリヒ・ホーネッカーの「私の歩んだ道」でモスクワでお世話になったエーリヒ・ヴォレンベルクと違って否定的に言及しているDDRが忌み嫌っている人物が刊行に絡むからだろうか?レオンハルトが刊行に際して関わったルート・フォン・マイエンブルクの「ホテル・ルックス」は邦訳が出ていてアイノ・クーシネンの本を多々使っているのに。もっともレオンハルトはバベッテ・グロスの妹のマルガレーテ・ブーバー-ノイマンを反共主義者と嫌ったのか、彼女には関わりを持っていないらしいが。
 この本に秩父宮と会った事が書かれているので宮の名前を出さないようにアイノ・クーシネンの名前がゾルゲ事件関係者の調書に出て来ないと言われているようだがゾルゲ事件関係者が摘発された昭和16年当時に彼女はソ連の獄中にいて関係者がスウェーデン人のエリーザベト・ハンソンの名前を特高に吐くか特高が何かで存在を知っても関係者と気が付かなかったら分からないだろう。気がついたところで日本にはいないので、それ以上は調べないだろう。アイノ・クーシネンが秩父宮と会ったのは昭和12年と分かるので参謀本部作戦課に勤務していた頃だ。その前に「皇居の園遊会」とあるのは観桜会で「ある長距離飛行士」は時期的に神風号だろうが「昭和天皇実録」には「歓迎会」が出て来ない。おそらく昭和12年の観桜会に招かれたのだろうが関係が冷え切っているにしても32年テーゼ起草に関わったオットー・クーシネンの妻が昭和天皇と秩父宮に拝謁した記憶を大事にしているのは不思議な感じもする。平凡社版では訳されている「天皇のいとこにあたる梅若は、評判の高い仏僧」は「天皇のいとこ」を取れば本願寺派か佛光寺派の宗主なら該当する。「天皇の義弟」なら大谷派の宗主だ。アイノ・クーシネンは西本願寺か佛光寺または東本願寺で催される報恩講に列席したのではないか。
 明らかな記憶違いは多々見受けられるが興味深い記述が多い。昭和天皇と秩父宮だけでなく偶然フォン・ヒンデンブルク元帥と会った事も出て来る。

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紙の本魔女狩りのヨーロッパ史

2024/03/19 23:19

「二〇世紀の次なる蛮行」とは何か?

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はじめにとあとがきを読むと魔女狩りをキリスト教批判に使った第三帝国を「二〇世紀の次なる蛮行」と見なしているようだ。多分プーチンの「特別軍事作戦」以降の世界情勢と重ね合わせているのだろう。魔女狩りの時代のあり方は第三帝国より共産主義体制の方が似ていると思うが。あるいは人文主義の理性の行き着いたところが理性の名によるジャコバンの恐怖政治か。
 魔女狩りで金儲けを企む輩でも悪どいと摘発されるのはスターリンが粛清に関わったチェキストを切り捨てたのと似ている。
 ユルバン・グランディエが性犯罪の常連とは知らなかった。カトリックの神父はセックスなど今でも御法度なはずなのにグランディエは悪評高いのに聖職剥奪にはならなかった方が不思議な感じがする。というよりこんな男を野放しにしているので悪魔憑きの標的になったのだろうか?
 魔女の「実態」のテキストは魔女狩りの当事者が記したものなので、どこまでが正確なのか、どこからが偏見にまみれた視点による記述なのかが分からない。魔女狩りの被害者は読み書きが出来ないだろうから魔女狩りを批判した人によるテキストを参照するしかないのだろうか?

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色々な立場の人が寄稿した本

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この本の寄稿者が使っている「皇后の近代」は香淳皇后を書く時に朝彦親王と邦彦王を取り違えるという初歩的な過ちをしている上に小山いと子の「皇后さま」を無批判で使っている本だ。クリスチャンが著者なので貞明皇后が関屋衣子のような聖公会の信者が華族女学校以来の友人であり夫で無教会派の関屋貞三郎が朝鮮総督府学務局長や中央協和会理事長という「天皇制国家」による朝鮮支配や「皇民化」政策による戦時下の在日朝鮮人管理組織の要職に就いた事が「天皇制はキリスト者の不倶戴天の敵」というクリスチャン限定の神話を否定されるので忌々しいかもしれないが。また牛島秀彦の「ノンフィクション皇太子明仁」のようなハンガリー事件で小山いと子が「反共宣伝」をしたと反・反共主義意識も加わって感情過多で引用だらけなのに昭和20年代前半に限っては取材している個所があるので菅孝行には「天皇制礼賛」に見えたらしい本も使っている。そんなに使える本が限られるのだろうか?
 宮中某重大事件について「色覚障がい」とか「色覚多様性」とか差別論ばかり書いているのに肝心の何故「色盲」が問題になったのかが書かれていない。「色盲」があると徴兵検査で引っかかり陸士や海兵には入校出来ないので大元帥である天皇が「色盲」ではまずいからではないか。
 この本が出版された時点では未公刊だが「昭和天皇拝謁記」に三笠宮妃百合子が「フランス大使」というので「皇女照宮」に掲載されている照宮と盛厚王や前田菊子と写真を提供したらしい酒井美意子など彼女の子ども達と一緒に写真に映っているジノーヴィー・ペシュコフ将軍らしい人物から宮中の服装としてパリモードを勧められたという個所がある。戦後も宮中服を着続ける香淳皇后や皇族が野暮ったいというのは日本人だけではないようだ。
 ブックガイドで「皇后さま」を「綿密な取材に基づいて書かれた小説」と紹介しているが浅見雅男の「闘う皇族」式に言えば「朝融王事件」を朝融王の身勝手な言い分を小山いと子が鵜呑みにして書いたので酒井美意子が著書で再三罵倒している作品であり小山いと子は晩年の昭和63年に再版した時に酒井美意子が非難している個所を削除しているとは初期の版と読み比べないと分からないだろう。「皇后さま」を鵜呑みにした工藤美代子の伝記は「スイスの銀行に預けた皇室の隠し財産」という与太話が書かれていて夫の加藤康男が「昭和天皇七つの謎」で新ネタ?として使い回しているが中田整一の「ドクター・ハック」にしょうもない真相が書かれている。
 「皇后さま」が冒頭で昭和天皇の「お妃候補」として良子女王の他に従姉の方子女王と一条朝子がいたと書いている「見解を引き継いでいる伝記が多い」とあるが昭和31年に刊行された「皇后さま」より6年前の昭和25年に刊行された張赫宙の「秘苑の花」には良子女王と方子女王が「お妃候補」だと書かれている個所がある。小山いと子が「秘苑の花」を読んだか引用したか孫引きかした記事を読んで参照した可能性はあるのではないか。「秘苑の花」を言及していないのは存在を知らないからだろうか?

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