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04.19  
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ひとり すごい
ひとり だいじ
みんな ひとり
生きる楽しい、ひとりだから

新井英樹さんの結構まえの作品「キーチ!!」の感想(というか紹介?)をちょっと書きます。読み返したらやはり面白かったので。完全にネタバレしますけどね。

新井英樹さんという作家は「カリスマ」を描く人ですね。傑作「ザ・ワールド・イズ・マイン」もそうでしたね。カリスマとは常人では計れない尺度なり、器なり、あるいは世界観なりを持った人間のことですね。

この「キーチ!!」で扱われている題材は「孤独」「暴力」「貧困」「虐待」そして「悪」などです。これらの文字を見ただけで「くら~い作品なんじゃないか」と思いますよね。実際とてつもなく陰鬱で、暗澹とさせられるエピソードが終始つづきます。ですがこれはロマンに満ちた、愛の物語です。そして「正義」の物語ともいえます。

理不尽な暴力、生きることの過酷さなどが容赦なく描かれていく「暗い」お話なのですが、そこは新井さんです。主人公は「カリスマ」です。いわゆる「フツーの人」がフツーのやり方で過酷さに立ち向かっていくというのではなく、圧倒的に異質なものを持った一人の子どものまなざしと行動を通して、この世界の汚穢や不条理、惨苦、ミもフタもない現実が照射されていきます。そして、この異次元の資質を持った圧倒的な主人公でなければ、これらの「暗い現実」に希望の曙光を与えられない。そういうつくりになっています。

主人公の輝一くんは、両親から絶大な愛情を受けて幼児期の初期を過ごしているのですが、非常に暴力的で、言語能力に未発達な部分があり、多くの人のような他者とのコミュニケーションをとることができない。しかし、何やら独自の自分の感覚に従って生きている。この彼の感覚は成長してもいっさい揺るがず、それはのちに彼が漏らす「俺は、俺が見えるとこに醜いもんがいたりあったりすることが我慢できねえ」という言葉で明らかになります。この行動基準に本能的に忠実で、言葉を出すことなく反射的に行動してしまう。周囲の常人からしたら、理解不能の「他者」です。そういうキャラクター設定と、両親の愛が、序盤で丹念に描かれる。
しかし、大好きな両親は、4歳のとき、通り魔に眼前で惨殺されてしまいます。その巨大な喪失という暗転によって「ひとり」になった輝一は、似て異なる「喪失」にとらわれたホームレス女性との共同生活、「ひとり」の彼の生きる道に指針を与えてくれる女性との出会い、山中での虫を食べるようなサバイバル生活を経て、「世間」に戻ります。

両親を惨殺されてから行方不明になっていた幼児は当然世間に注目され、記者会見のような席で、冒頭に引用したセリフを彼は口にします。

やがて長野県の祖父母のもとで暮らす小学生編となるわけですが、ここからクラスメイトのいじめられっ子の女子が父親に強要されている児童買春を軸に物語が進みます。エグいです。
「俺は、俺が見えるとこに醜いもんがいたりあったりすることが我慢できねえ」という彼の強固な行動原理は彼女の救済へ当然向かうのですが、その児童買春はじつは「権力の闇」へと接続しており、輝一と、参謀的ポジションの天才少年・カイのとるアクションは、国家を揺さぶるような社会的な事件に発展していきます。このあたりの展開は、新井英樹さんならではのド迫力です。

ひとりの少女の痛みを「癒す」とかではなく、視界に入った気に食わないモノをたぐっていったら大きな権力の「悪」があったから、それらをブン殴ってならないと気が済まない、という、幼稚園時代と変わらないことを、相手が変わってもやってるだけ、という。ここに漫画ならではの無謀というか無茶っぷりもあるし、またロマンもあるわけですね。「善悪でわりきって悪を叩くだけでは何も解決しない」的な「常識」を現代に生きる私たちは持っているわけですけども、新井さんの「正義感」は、力に負けて不快を受け入れて泣き寝入りなんかしたくねえぞ、って言ってるわけです。この純粋でシンプルな少年に託し、結果的にスカッとさせてくれるわけです。それがこの作品のロマンだと思いましたね。
また幼児時代の彼に生きる指針を与えてくれて、交通事故で植物人間になってしまった女性への輝一の愛も、ロマンティックな結末を迎えます。

新井英樹はやっぱ凄ぇよってことを言いたいだけなのにクソ長い文章になってしまったうえにストーリーを書いただけ、みたいになってしまった。こう、人間とか人間の社会って本当に醜いし臭いし苦しいし、地獄みたいなものなんだよな、というのを超絶個性的な主人公のピュアさが照らしつつ、それでもやはり生きるに値する何かはあるみたいな希望を感じさせる作風、大好きです。

続編の「キーチvs」についてはまた気が向いたら。
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いやー、まあロクでもない一年でしたねえ。

(1)「絶望状態でメシも食えない」
(2)「泣きそうなくらいハッピー」
を両端としたら、(1)から1/4くらいの距離くらいな感じ。

理由は書きませんが、人生の困難さを痛感している次第であります。
twitterで「ツラい」って言っている人、大勢いますけど、ぼくもそれなりにツラいわけですよ。

でもね、直面した現実にクヨクヨしてるヒマがあったらね、フィジカルトレーニングをする、FKを100本蹴る、そういう時間の使い方だって出来ると思うんですよ、結局ね、最後は個、個の力なわけでね、1対1の球際の競り合いで負けない、チャンスをしっかりモノにする、そういうとこを意識していくしかないわけでね、ACミランの10番という「重さ」のことなんか、僕は全然気にしてない、ナメてくる人がいたら、一人一人キッチリ潰していく、まぁそれだけですよ。(本田△)

また、過食とアルコール過剰摂取で1年で7~8kgほど体重が増えてしまいましたが、「湘南エリアで5本の指に入るイケリーマン」として、これはヤバいぞ!おい、中身だけじゃなくて外見まで醜くなってどうする!?という内なる声がうるさいので、年が明けたらジョギングなどを再開するとも自分では思えないので、40歳にもなるし、もう別に女性にステキとか言われなくても構いやしないので、このままどんどんキモオヤジ化していく所存であります。

しかしたった今、2014の目標は「体重を62kgにする」とふいに決定したので、「トマ美ちゃん」を服用しつつ体型をスマート化し、筋肉を「見える化」して、酒は一切減らさず心の困難に立ち向かっていこうと思います。みんなも「トマ美ちゃん」を買おう!!
お読みいただきありがとうございました。よいお年を。

「トマ美ちゃん 公式サイト」
http://k-cosme.jp/gold/koushiki/
「トマ美ちゃん」パワーアップ版 消費者庁の措置命令に基づく公示」 景品表示法違反
http://www.recall-plus.jp/info/23873?noref=1


「ジャンゴ 繋がれざる者」(2012)クエンティン・タランティーノ

舞台は1859年アメリカ南部。解放された黒人奴隷と賞金稼ぎが、暴れまくる西部(南部?)劇エンタメです。こういうテーマ、「白人が黒人奴隷へどれだけ酷いことをしてきたか」という映画はほとんど作られていないらしいんですが、これがまあみごとな娯楽作品になっていて、やっぱりタランティーノは並みじゃないな、んで本当にこの人は映画のことが大好きなんだな、と思わされました。

主人公の解放奴隷が、指名手配犯を捕まえながらガンマンとしての腕を上げていき、奴隷市場で生き別れとなった妻を奪還する、というはなしです。こういう構造ですので、まあ痛快なわけですね。悪い奴をバンバン殺していく。いくらでも重く出来るテーマですが、「社会派」にしないところがイイんです。ヒーローモノですね。とにかくカッコいい。

あまり内容に触れず「イイネ!」と思ったところをシンプルに書きますが、奴隷農園の経営者のレオナルド・ディカプリオの悪党っぷりが凄い。そしてそれを凌駕するようなもう一人の悪党、奴隷頭のサミュエル・L・ジャクソンのワルっぷりも、笑っちゃうほど凄い。この2人の芝居を見るだけで、この映画を観る価値があるともいえます。とてつない演技派ですよホントに。

B級映画へのオマージュ、リスペクト、敬愛を自分の作品で表現し続けているのがタランティーノという人で、そういうB級っぽい「ケレン味」をふんだんに散りばめた演出をしているわけです。そういうのも、明るくて健全で面白いです。こんなテーマですけどね。奴隷の歴史に関しては、まあこんな作品を作っちゃうということ自体が批評になっていると思います。
ではこのへんで。


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