2011年09月28日

たいかいしゅつじょうき

ここ2年ほど、トレーニングを積んでいます。
りくじょうきょうぎ、の。

中学から大学4年まで10年間、陸上の選手だった
俺。専門は中距離、大学時代は400メートルから20kmロードまで走り、専門の800メートルではインカレで勝ったり国体で入賞したり、それなりの一流ランナーだったと言っていい。30年近く前の話だ。

21歳で引退して以来、走ることとはまったく無縁の暮らしを続け、体重はピークで20キロほど増えて、怠惰な肉体にもすっかり慣れ切ったある日のこと。そう、前回の北京オリンピックの時、2008年である。

オリンピックマニアの俺は、4年に一度の会期中は可能な限りどこにも出かけず、ひたすらテレビに噛り付いていたい
。中でも一番好きなのは陸上競技。昼の生中継を見て、夜の特番を見て、深夜の再放送を見て、で、ある時、ふと気が付いてしまったのだ。

俺はもはや見る側の人であって、
競技場に立つことはできない。

当り前の話だ。でもなぜかちょっとショックだった。オリンピックが終わってもこの思いはうっすらと頭を離れず、ふたたび閃いた。

そうか、大会に出場すれば、今だってグランドに立てるじゃないか。

さっそくネットで検索すると、マスターズ陸上というサイトを発見。35歳以上が5歳区切りでクラス分けされ、地方大会から日本選手権、世界大会まである。

おおっ、これだ!

さらに検索、各クラスごとに日本記録/アジア記録/世界記録が公認されていて、M50クラス800メートルの日本記録は2分6秒54。ふーんなるほど。現役時代の俺のベストタイムは1分52秒83、2分6秒といえば中学生クラスのタイムである。それくらいなら出るかも。

次のオリンピックの年、俺は50になる。M50クラスのルーキーとして、日本記録を目指そう。

……以来3年。それなりにトレーニングを積んで、7月24日、大会に出場してみました。
マスターズ陸上神奈川県選手権/於大和陸上競技場、M45クラス800メートル。



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つづく。


shinikeda at 12:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月27日

放浪/最新刊情報

突然ながら、池田伸共著による最新刊のお知らせです。

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『放浪』
著者:窪塚洋介/池田伸
写真:池田伸
発行:NORTH VILLAGE
発売:サンクチュアリ出版

縁あって一緒に旅したエジプト紀行。
カイロでレンタカーを借り、予約も予定もなく彷徨った10日間の旅の記です。

子供のころから夢だった地、エジプトへ。
ピラミッド、ファラオのミイラ、古代神殿……
窪塚洋介が彷徨った先でみたものとは。
(カバー帯より)


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本当のコトなんて
誰にもわからない
俺たちが誰で
どこから来て
どこへ行くのか
(洋介本文より)

窪塚洋介ファン、エジプトに行ってみたい人はもちろん
本屋で見かけたらぜひ手に取ってみてくださいな。


shinikeda at 10:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 旅する日々 

2011年02月11日

行き当たりバッチリ/旅に出た友のこと[完]


去年の9月13日に俺の家を後にしたおみちゃんは、http://omigoto90.exblog.jp/によれば、19日に鳥取からロシア行きのフェリーに乗り、ウラジオストックの港から走り始めて、以来ハバロフスクとかモスクワとか、ウクライナポーランドとかスロベニアとかオーストリアとかスペインとかイタリアとかを経由してチュニジアに渡り、現在はモロッコにいる。

と、こう書けばわずか数行。
しかし5ヶ月になろうとする間、(らいおん号改め)サンフラワー号とともに、テクテクとユーラシア大陸を横断し、地中海を渡ってアフリカ大陸までたどり着いたおみちゃんの旅は、一晩あっても語りつくせないだろう。 

たくさんの良き出会いがあり、その何倍もの寂しく凍える夜がある。
旅の中でもバイクの旅は、飛び切り厳しく、辛く、しかし豊かで、飛び切り自由だ。
俺が延々とパソコンに向かっているときも、ぬくぬくと分厚い羽根布団に包まれているときも、おみちゃんは歓喜したり絶望したりしながらとぼとぼと走り続けている。その姿を想うとき、俺の心は旅の孤独が持つ豊かさに震える。


地球は丸い。俺の家の前の道は、世界のどこの道へもつながっている。
おみちゃんがそれを証明してくれた。


嗚呼人生が旅だというのなら、
俺たちは旅で人生を学ぶのだ。


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2011年02月05日

行き当たりバッチリ/旅に出た友のこと③


らいおん号。

おみちゃんは、吹けば飛ぶようなその小さなオートバイ「ハンターカブ」を、そう命名した。
「どーみてもライオンってガラじゃないよなぁ」と俺は思ったが、男46歳にして初めてバイク乗りになったおみちゃんにとって、カブはらいおんなのだ。
我が家の和室に立てたテントに寝泊りし、ガレージで油まみれになってバイクを整備したのが昨夏。飛び切り暑かったあの夏だ。

SARUの小林君という友人が作ってくれた、履きこんだ編み上げブーツをプレゼントした。
バイクは「命がけ」である。
肉体が外界に向かってこれほど剥き出しの乗り物は他にない。車ならちょっとガチャンとバンパーが凹む程度の事故でも、どこかの骨をへし折ったり、死んでしまったりもする。それはハーレーだろうが原チャリだろうが変わらない。
短パン、ビーサン、アロハがサーファーの日常であるように、ヘルメット、ブーツ、グローブはバイク乗りの基本。ブーツが命を守ってくれるわけではないが、心構えは大事だ。まずは基本、それが身に沁みたらあとは自由にすればいい。
年中素足にビーサンのおみちゃんがブーツを履くと、最初はなんだか違和感があったけど、静岡~東京を何往復かする頃にはすっかり馴染み、バイク乗りらしくなった。

昨年9月。盟友高橋歩が主催する旅祭。
おみちゃんと宮田誠君のユニット「ン・ブーナ」はオープニングアクトとして登場。その後小さいステージにおみちゃんを迎えて、じっくり公開トークした。
すでにバイクが国境を越えるのに必要なカルネ手帳と国際ナンバーを取得。ステージ前に置いたらいおん号には、大きな荷物がガッツリとくくりつけられ、旅立ちの準備は整っていた。
旅することになったいきさつ、頚椎骨折から手術を経て奇跡の回復、保険金のこと。何一つ隠すことなく、存分に話した。
「母さんがベッドの上で動けない俺を見て、泣いちゃってさ。俺は大丈夫なのに、それも伝えられなくて。あれは辛かった」。そう言うおみちゃんの目に涙があふれた。聴いていた大勢のヒトも涙をぬぐっていた。
「命がけで稼いだあぶく銭だ。ぱっと使っちゃうのもおみちゃんらしいね」とみんなで笑った。

おみちゃんは努めて平気そうに振舞ってはいたけれど、心は揺れ動いていたはずだ。ワクワクする気持ちと、その何倍もの不安や恐怖の狭間で。
不安がないはずはない。不安で一杯。でも選択肢はふたつしかない。行くか、行かないか。不安だからやめとくか、不安だけどやってみるか。
勇気とは、不安に打ち勝つことではない。不安に向かっていくことだ。
おみちゃんの勇気を俺はリスペクトする。

45分のトークを終え、ハグしたおみちゃんは言った。
「ごめんねしんさん、なんだか湿っぽくなっちゃったね」
関係ないさ。いい話だったと思うよ。俺たちロクデナシの生き方、みんなに見せてやんなきゃな。俺はそう答えた。
たくさんの人が「行ってらっしゃい、気をつけて」とおみちゃんに声をかけた。「帰ってきたらまた話し聞きたいです」という人もいた。

旅立ちは迫っていた。その晩はどこかで寝たのだろう。翌日、おみちゃんは自宅にやってきた。
「しんさん、じゃあ行ってくるね。いろいろありがとう」
「生きて帰ってくればいいから」
そう言って手をにぎった。
「絶対久美ちゃんやお母さんにちょくちょく連絡してよ。絶対だよ」
そう言いながら妻の美和は大泣き。俺もおみちゃんも笑いながら少し泣いた。

もしおみちゃんに何かあったら、それはおみちゃん自身のせいであると同時に、バイクで行くことをそそのかした俺の責任でもある。他人にバイクを勧めるとき、俺はそう腹を括る。だから運転の下手なヤツには勧めない。
大丈夫。生きて帰ってくるさ。これほど悪運の強いヒトはそういない。美和だって知ってるだろ。そういってみんなで泣き笑いした。
「じゃ」
固いハグを交わし、テケテケテケッとらいおん号が走り出す。どう見ても、らいおんというより小鹿だ。

ウラジオストク行きフェリー乗り場の鳥取を目指して走り出したおみちゃんを、俺は美和と姿が見えなくなるまで見送った。

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たぶん続く。



shinikeda at 19:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 旅する日々 

2011年01月27日

行き当たりバッチリ/旅に出た友のこと②


おみちゃんはバイクの免許を持っていない。

つまりこれまでバイクに乗ったことがない。でも俺はおみちゃんのドライブでよくいろんなところに出かけたから、運転がうまいことを知っていた。
バイクの運転というのは特殊技能だが、車の運転がうまい人はバイクの運転がうまい場合が多い。たぶんおみちゃんは大丈夫だろうと踏んだ。
本人は「とりあえず免許取りいくだね」と(静岡なまりで)興奮気味。

でも、そこからはじめるのは先が長すぎる。教習所の金だってバカにならない。幾ら保険が出たのかは聞かなかったが、出来るだけ出費は少ないほうが良いし、めんどくさいことが多いと「やっぱやめた」となりやすい。

「カブ、良いんじゃない?」
「カ、カブぅ? カブってアレ、新聞配達の?」
「そ。そのカブ」
もちろんみんなも知っているでしょう。あのカブ。郵便屋さんの赤いのはMDといって郵政カブという特別仕様。
「カブで行けるの?」
「よゆうだね。カブは生産台数世界歴代一位でギネスにも載ってんだぜ。カブのエンジンはハーレーダビッドソンのVツインと並んで、人類史上最も優れたエンジンだから。原付だから免許も要らないし」

俺はハーレー同様カブ(とか50ccのスポーツバイク)が大好きだから、幾らでも語るけど、ここでそんな話を聞きたい人も多くないだろうから割愛。
言いたいのは、カブは世界一周の旅にも十分耐えうるバイクであるということ。でもおみちゃんは「カブかぁ」とちょっとテンション低め。
「カブっつっても新聞屋さんみたいのばっかじゃないよ。黄色いヤツとか赤ともあったりして、すごく可愛いぜ」
「マジで。しんさん俺見たい。パソコンで見せて」

そして2階の書斎へ。
ヤフオクでカブ50を検索すると、何ページもの出品。食い入るようにチェックするおみちゃん。
「え、これナニ?」と見つけたページには、ハンターカブ。大昔のモデルで、イエローのオフロード仕様。正式名称CT50.俺は昔これの110ccに乗っていて、ずいぶん気に入っていたけどどっかでパクられた。CT110は世界中で売れたバイクで、農場で使用することが多いオーストラリア向けに現在も生産されている名車だ。50があったことは俺も知らなかった。
「おみちゃんさすが、お目が高いね」とミニ解説。「旅するにはこれ以上の原チャリはないね。古いから程度次第だけど」と付け加えた。するとおみちゃんは「これ買う。しんさん落札して」と即答した。
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コレ 現物はこんなにきれいじゃありませんが。

98000円。中古のカブとしては非常に高い。新聞仕様なら3、4万だし。でもおみちゃんの決意は固い。写真と解説をじっくりチェックすると、悪くはなさそう。生産されたのは1960年代末期、つまり40年以上も前だから、「それにしては」という注釈がつくけれど。
結局見事落札。出品者がたまたまおみちゃんの実家静岡から遠くなかったこともあり、その週末、電話があった。
「バイク取ってきたよ。ものすごく可愛い。エンジンもバッチリで、ナンバーとって走ってるよ。もう最高」
おみちゃんはかなり高ぶっている。
「でも遅いんだよね。加速がすごく悪いし、40キロくらいしか出ない。これってどーしようもないの?」

カブのエンジンは発売以来40年以上、大きな構造の変更はなく現在に至るシーラカンスで、チューニングパーツは無限に出ている。いくらでも速くすることは可能だ。
そう告げると「しんさんチのガレージで作業してもいい?」「もちろん」との会話を経て、数日後、静岡から我が家へ自走でやってきた。距離は200キロ近いのではなかろうか。言うまでもなく高速は使えない。世界旅行の実践トレーニングにはもってこいだ。
「疲れたァ。でも最高。これならどこでも行けるね。良く分かったよ。バイク最高!」
そして翌日から整備/改造の合宿生活が始まった。

「あとは何持って行けばいいだろう」
「まずキャンプ道具でしょ。テント、シュラフ、マット、バーナー、コッヘル、ランタン。とりあえずこれでどこでも寝られるよ」
再び二人でPCに向かい、オレの愛用する神田さかいやのHPでセール中のものを中心に選んでポチ。
キャンプ道具はよいモノを買うに限る。しっかりした商品を正しく使えば何十年ともつから、ノンブランドの安物を買うより結局お得。さらに言えば、車に積むことが前提のキャンプ用品より、登山用のブランドを選ぶのがベター。ザックに入れて背負うことが目的だから徹底してコンパクト、耐久性も高い。

2日後に届く。おみちゃんはまたしても大興奮。部屋の中でテントを張り寝袋を広げ、結局1週間そこで暮らしたのだった。

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さらに続く



shinikeda at 10:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 旅する日々