素粒子のミクロの世界と,宇宙の謎に迫るマクロの世界。20世紀最大の発見である量子理論と一般相対性理論。その二つを統合しようとしているのが超ひも理論(スーパー・ストリング・セオリー)です。

 量子理論には,ハイゼンベルグの不確定性原理というマカ不思議な世界があります。全ての状態を同時に実現している世界です。しかし,観察者からはその一つしか見えません。一方,相対性原理の不思議な部分は,アインシュタインが明らかにした重力と時空の歪みの関係です。最大の問題は両者(重力と時空)には全く共有点がないことです。

 空間の絶対的大きさなんてありません。どこまでも大きくどこまでも小さく,それは相対的なものでしかありません。我々3次元空間の世界は人間の絶対値をベースに大きさを認識しています。ですから,大きい宇宙と素粒子の世界とを同じシンプルな理論体系で説明できると考えるのが普通です。「真実や自然はシンプルで美しい」という考えに立てば,物質と時空が全く異質の理論でしか記述できないことは,大きな不満です。

 「ひも」を万物の根源とする超ひも理論の発想は,いたってシンプルです。物質・力・時空の全てを記述できるばかりか,150億年前の宇宙誕生についても明確な予測を与えており,物理学の最終理論として期待されています。

 過去に戻って今と矛盾することを行なったら(例えば,過去の自分を殺す),今に繋がる歴史はどうなるのか? いわゆるタイムマシンパラドックスですが,これも「沢山の時空が同時に存在していて,観察者にはたった一つの世界が出現している」という仮定によって解消します。観測によって状態が変化する「シュレジンガーの猫」の思考実験は,ミクロの素粒子の世界で起きることはマクロの世界でも起きることを示しています。

 過去に戻って今と矛盾することを行ったら,今の時空とは違う時空が開かれ,新しい歴史空間が流れるだけです。なにせ超ひも理論では,無数の時空が重ね合わせの状態になっていますから。そう考えれば,映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は過去に戻って別の時空(世界)を開く話でした。

 それはそれとして,新しい理論は,「理論はどうあるべきか」という仮説を立て「現実はどうか」を検証するプロセスを繰り返すことから生まれます。古い理論で説明がつかない事象が生じた時,過去に拘泥しつじつま合わせをすれば,理論はドンドン複雑・怪奇になり,シンプルさから遠ざかっていきます。とはいえ,新しい理論は過去を捨て去ってしまうものではありません。ニュートン力学がアインシュタインの相対性理論の特殊な一部であるように,かつての理論は新しい理論に包含されます。つまり過去の遺産を取り込みながら進化していきます。

 過去に縛られない発想の自由さと,歴史を考慮に入れながら検証を重ねる不断な努力との両輪が,未来を拓いていきます。ただし,新しい発想や理論が過去を検証できるかどうかも重要です。

 生命体は対立・衝突するものを融合しながら進化してきました。変化した環境に適合できる種が生き残る自然選択(自然淘汰)は,環境と生命との融合とも言えます。

 突然の身体の障害やガン等による死の宣告を受けたら,人間はどうなるでしょう。そんな認め難い事実を,すぐに受け入れることはできません。うつ病で苦しみ,悩みもがき暴れます。そんな混乱や混沌の後,事実(不幸)を受け入れます。受け入れるということは,価値観が変わり事実と融合したと言えます。価値観が変わるためには,混乱や混沌を経過する必要であるのです。死ぬまで安らかに生きるために生命に用意されている能力のようです。