「もう遅いですし、こんな処見られても具合が悪いでしょう。
今夜は無理ですが明日はお酒2升調達して来ますので勘弁して下さい。」
酒で御機嫌を取って今日の処はどうにか納まった様だ。
或る日不寝番の一番に付いたら酒保処から声が聞こえて来る。
「何で余計な事をしたんだ。」 「曹長殿、あれはマズイですよ。
あの生徒等一人でも医務室行きになったら曹長殿は大変な事になりますよ。
この学校は鉄拳制裁厳禁で前の中隊の時の様に赤ベタ迄落されますよ。
私は決して喋りませんが誰かに喋られたら終りですよ。」
「偉そうな事言うな。」 「申し訳ありませんがこれは貴官の方に分が悪いですよ。」
軍曹殿は一歩も引かない。言葉は丁寧だが負けてはいない。
誰でも分る様に軍曹よりは曹長が上官である。
「上官の命は朕の命である。」 これが軍隊の鉄則であり
「天皇陛下万歳。」 を叫んで死ねる条件でもある。
曹長は大ベテランで歳も多いが軍曹は教導学校(下士官養成学校)トップの思賜組である。
つまり菊の御紋章の入った銀の腕時計をいつもしている。
鉄拳制裁は厳禁されているので、じわりじわりと苛めが始った。
両隣は一蓮托生である。毎日へとへとに演習がある。
15.6才の眠い盛りである。
6日位で音を上げ2.3班の班長殿に 「毎日不寝番で体がふらふらです。」 と訴えた。
「馬鹿そんな事があるもんか。」 「本当です3人毎日です。」 「調べてやる。」
その夜から皆と同じ様になったが2人の班長の仲が険悪になった。
当時の甘い物不足の折、大変残念で心残りな事である。
しかし隣の戦友は 「あれは班長が食った。」 と死ぬ迄恨んでいた。
「酒好きの班長殿は甘い物等見向きもしないよ。
性格的に大雑把だから数えて受領して来なかったんだよ。」
どうしても納得出来ずにその事を反省録に書いた。
反省録は直接区隊長殿へ行く仕組になっており区隊長殿が班長殿に注意したらしい。
1班の班長殿は戦場を体験しただけあって気が荒く大雑把である。
2人の班長殿が受領に行った。
片方は渡された大福を数えもせずに持ち帰ったのだと思う。
一方の班長殿は何人分とそこで数えて受取ったに違いない。
こういった支給品は背の小さい方から順に廻って来るので
香林坊の処は一番最後になる。
廻って来た大福は2個不足し隣の戦友共々有り付けなかった。
区隊は3ヶ班に分れ班長は2人いる。
1班の受持ちと2.3班の受持ちがいる。
比較的背の高い香林坊は廊下側に寝台が有る。
背の高さで並んで9人で反対側の寝台に移る従って
18人目はかなりのチビで上衣から手が出ない位だ。
1班の班長殿は曹長で戦場を幾つも渡って来た大ベテラン。
大酒飲みで下士官室の机の下にいつも一升瓶が置かれてある。
一方2.3班の班長は軍曹。
下戸であり非常に細やかな神経を持って皆を可愛がっていた。
仙台から出てきた香林坊は1週間で往復は最初から無理と思って、
諦めているが、帰れると思っていた連中の落胆は見るも哀れだ。
慰めるつもりか珍しく、おやつに大福が出た。
おやつ、つまり間食が出るのは何かの行事、祝日だけである。
これがまたまた変な事件へと発展していくのである。
スーチャン節の1番は知ってたが2番以降は覚えていないので戦友に廻して見た。
1人正確に覚えていた奴がいた。
なんと、台湾出身の生徒だ。
2番 「夜の夜中に起こされて、立たねばならぬ不寝番、もしも居眠見付かれば、
行かなやならぬ重営倉。」
3番 「乾パンかじる暇も無く、消灯ラッパが鳴り渡る、五尺の寝台藁蒲団、
これが我等夢の床。」
正月が近くなって何となくソワソワし始めた。
休暇が貰えて家に帰る事の出来る奴が何人か居るからだ。
一週間の休暇では九州内か遠くても山口県位だ。
29日の全朝礼で交通事情その他の事情で休暇が取止めになった。
帰れると思っていた連中はとてもがっかりしていた。
生意気にも一人がスーチャン節を歌い出し合唱を始めた。
「お国の為とは言いながら、人の嫌がる軍隊に、志願で出て来る、馬鹿もいる、
可愛いスーチャンと、泣き別れー」 隊内では禁止されている訳では無いが
少年にしては歌いづらいが中々に泣かせる歌である。