「朝鮮は中国の左腕であり垣根」…清、朝鮮の生死を握る
1876年2月に締結された朝日修好条規(江華島条約)は、事実上の無防備状態で開港することになった朝鮮社会に強い衝撃を与えた。最大の問題は「関税」だった。近代外交と通商業務に無知だった朝鮮は、江華島条約とその後に結ばれた朝日合意で無関税貿易を受け入れ、「関税自主権」を放棄してしまった。朝鮮政府は、庶民生活に直結するコメや豆などの米穀が海外に急速に流出したり、安い西洋製の綿布が大量に流入したりしても、適切な介入はできなかった。しかも、開港初期に釜山(プサン)に押し寄せた日本人商人にはごろつきが多く、欺瞞的な貿易を試みることが常だった。日本はわずか10年ほど前に西欧列強にやられたように、「後発走者」である朝鮮をわなにはめたのだ。朝鮮人の反日感情は急速に強まった。