これを含めて水尾先生のマイ・ベストスリーを、毎日新聞(2006年12月24日)の「この人・この3冊」というコラムに書いたことがあります。丸谷才一先生から求められたものですが、ここに再録し、2022年1月3日、享年91をもって白玉楼中の人となられた水尾先生のご冥福を改めて祈りたいと思います。
これを含めて水尾先生のマイ・ベストスリーを、毎日新聞(2006年12月24日)の「この人・この3冊」というコラムに書いたことがあります。丸谷才一先生から求められたものですが、ここに再録し、2022年1月3日、享年91をもって白玉楼中の人となられた水尾先生のご冥福を改めて祈りたいと思います。
世田谷美術館「民藝 MINGEI 美は暮らしのなかにある」<6月30日まで>
大阪中之島美術館→いわき市立美術館→東広島市立美術館と巡回してきた特別展が、いよいよ世田谷美術館へやってきました。最近の展覧会としては、チョッと渋い表紙のカタログから、まずは「ごあいさつ」の一部を紹介することにしましょう。
1926年に思想家・柳宗悦らが提唱した民藝は、生活文化運動として発展するとともに、この100年の間に、時代ごとの社会背景と共鳴し、度々取り上げられ、注目を集めてきました。とりわけ近年、エシカル消費に対する意識や、日々の生活を見直す需要が高まったこともあり、暮らしのなかにある美を慈しみ、素材や作り手に思いを寄せる、この民藝のまなざしは、私たちの生活に身近なものとして再認識されています。本展では、民藝について「衣・食・住」をテーマにひも解き、国内のみならず世界各地で柳らが集めた美しい品々役150件を展示します。改めてその源流を知り、民藝が提示する美の基準を知ることで、私たちの生活を豊かにするヒントにつながる機会となれば幸いです。また、柳没後の民藝運動のひろがりとともに、今に続く民藝の産地を訪ね、そこで働く作り手と、受け継がれている手仕事を紹介します。
琉球塗板屏風「山水図」
青葉 繁れる喬木が 千本 万本 描かかれてる
その青い峰さえいつか 白髪頭しらがあたまになるのだろう
麓ふもとを故老が笠かぶり どこかへ帰って行くらしい
その行路には太鼓橋たいこばし ごときアップとダウンとが……
もう一つ「僕の一点」に「琉球塗板屏風」を挙げて、妄想と暴走を披露したかったのですが、それはまたの機会にゆずり、今回は裏面一扇の上下に描かれる「騎驢図」と「山水図」を取り上げ、賛の戯訳だけを紹介することにしましょう。「騎驢図」を選んだのは、やはりお酒が登場するからなのかな(笑)
ロバで行くのも歩くのも いくら力んでやったとて
天地は無限に広いから 遅速の違いがあるでなし
だからのんびり酒を酌くみ 詩を詠み俗塵 逃れよう!!
そうすりゃ気持ちも晴々と 爽快になる――昔から
実をいうと、はじめて僕に山上憶良の絶唱「いざ子ども早く日本やまとへ大伴の御津みつの浜松待ち恋ひぬらむ」を思いつかせたには、この友松屏風だったんです。浜松図屏風には珍しい橋が、わが国と中国を結ぶイメージに、あるいは象徴性をこめた虹の橋に感じられたからでした。『万葉集』を愛して止まなかった智仁親王は、もちろんこの一首をよく知っていたことでしょう。というわけでこの和歌を、浜松図という画題全体に敷衍させてみたくなったんです。
ところが、この「近世の御所を飾った品々」展のカタログによると、本屏風の制作年は慶長10年(1605)となっています。ということは、ちゃんとしたドキュメントがあるような感じがします。そうなると、これまで述べてきた私見は慶長6年制作という前提に立っていますから、またまた独断と偏見ということになっちゃうのかな(笑)
贈られる智仁親王自身が一品、つまり鶴なのですから、鶴を描いたらダブってしまいます。連句でいうベタ付けになってしまいます。友松は浜松図を描きながら、松から一品大夫を、波から一品当朝を連想させて、智仁親王の一品叙位をことほいだのでしょう。智仁親王を慶賀すべき一品大夫と一品当朝を同時に表象するような画題は、浜松図をおいて他になかったといってもよいでしょう。
あるいは鶴に代えて、同じ鳥類である浜千鳥を配したのかもしれません。浜千鳥は古くから筆跡、さらに手紙の寓意にもなってきました。和歌では浜千鳥に「あと」「あとなし」と続けられることが多いので、あと→跡→筆跡という連想を生んだからです。和歌や連歌を好み、細川幽斎から古今伝授を受け、古典の書写に情熱を傾けた能筆家・智仁親王には、鶴より浜千鳥の方がふさわしかったことでしょう。
一品に叙せられた智仁親王にピッタリの画題ではありませんか。しかし松は描かれていても、丹頂鶴がいないじゃないかって? それがチャンと暗示されているんです。というのは「一品当朝」という謎語画題もあるからです。これまた『東洋画題綜覧』によると、いま述べたごとく一品は鶴ですが、「朝」は朝廷の朝にして「潮」に通じ、海辺の波を描く画題とあります。
鶴は番つがいで複数描かれることもありますが、必ず波とセットになるところがミソです。これは一品の官に昇って、朝廷に出頭する栄誉を祝した画題だというのです。大きく広がる青海波のような銀波のコノテーションが、「潮」を通して朝廷になるんです。
民藝――それは僕にとって、水尾比呂志先生と分かちがたく結びついています。原始美術から現代美術まで、これが本当に一人の仕事なのかと疑わしめる水尾先生ですが、もっとも重要なジャンルの一つに民藝があります。これにも膨大な著作がありますが、「僕の一点」をあげるとすれば『評伝 柳宗悦...