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天使工房BLOG

和泉の生存確認日記。 現在、更新停滞中。

   

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旅レポ延長戦

最近、更新→記事未公開ばかりしています。
ご迷惑おかけします.....


さて、ようやくGWの旅レポが書き終わりました。
長かった・・
旅レポ三弾も用意してたのだけど、もういまさらというか。
なのでちゃっちゃと紹介。

GW最終日の5月5日。
行ってきたのは山形!
龍沢山善宝寺、出羽三山、大寶館、荘内神社。

写真技術が下手すぎてもう嫌だ。


龍沢山善宝寺




何度かきたことある曹洞宗お寺。
龍沢山とあるように、お祀りしているのは龍神様。
龍って神様のなかでもかなり好きな部類。そそられます。
この善宝寺は「人面魚」発祥の地。
人面魚がいると一時期ブームになった火付け役がこの寺の御池にいる鯉だったのだそうです。
ブームは他の都道府県にも飛び火し、だんだん都市伝説化。
「人面魚」ブーム、覚えてますよ。
かなりのワイドショーで騒がれてましたわ。平和でしたねえ。


出羽三山
出羽三山というのは、山形県庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称。山岳信仰ですね。
三箇所の山・本宮に行きたかったのですが、
月山は今年の開山期間が7月1日より9月19日までで、
湯殿山は6月1日より11月3日頃までだったので、
行った5月5日は閉山期間中で登れず。
なので、羽黒山の五重塔と羽黒山にある出羽三山の三神合祭殿に行ってきました。


羽黒山の須賀の滝


五重塔(国宝、平将門の創建)



三神合祭殿(重要文化財)

新潟の山岳信仰の代表は弥彦山なんだけど、
出羽三山の山岳信仰は弥彦山以上にスケールが凄い。
調べてみるの楽しいだろうなあ~


出羽三山の文化的価値を国内外に広めた民俗学者は
戸川安章先生なのだそうです。
次に行った大寶館(たいほうかん)で知りました。



鶴岡市の指定文化財。
大正4年(1915年)に完成した、大正建築物。
現在は山形の郷土人物資料館になってます。
資料館見て廻りましたが、展示された人たちあまりよく分からなかったです・・・残念。
大宝館 第32期 展示人物一覧表 の中で聞いたことあるのは、高山樗牛と藤沢周平ぐらいかなあ。
出羽三山研究の第一人者戸川安章先生について良き収穫でした。


大寶館と同じ、鶴岡公園内にあったのが荘内神社。
御祭神は荘内藩酒井家なのだそうです。
庄内(荘内)藩とはなんぞや?と調べたら、
江戸時代にこの地方を治めた藩なのだそう。
山形の武士っていったら最上家!なんだが、
よくよく調べると最上家は江戸時代に入ってすぐのお家騒動で、武士の身分を剥奪・所領・城・屋敷を没収されているようです。
この後最上家の領土が四分割されて、庄内地方を納めたのが荘内藩酒井家なんだって。

和泉は戦国・安土桃山時代が好きなので、
江戸時代以後の藩は幕末に活躍した有名どこしか知らないなあ。

あれ、そうなると新潟もたくさん藩があったのか?
越後って幕府直轄領って習った気がしたんだが。
「江戸藩史事典」によれば、越後は
村上藩、黒川藩、三日市藩、新発田藩、安田藩、沢海藩、三根山藩、村松藩、三条藩、与板藩、蔵王藩、椎谷藩、長岡藩、藤井藩、長峯藩、坂戸藩、福嶋藩、春日山藩、高田藩、高柳藩、糸魚川藩
があったみたい。
ほとんどが地名として残ってるから、大体の位置は掴めたぞ。
直轄地(天領)は佐渡だったみたい。
ああ、佐渡金山があるからね。


最後は旅とは関係なくなってしまったが、延長戦はこれで終わり。
後に調べてみたら、いろいろと勉強になった旅レポでした。
開山期間中に今度こそ、出羽三山を巡りたい。
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城と神社仏閣,歴史堪能ツアー #12

本当にGW旅レポはこれで終わり。

氷見の海鮮買い物をして、さあ、富山へ!と車に乗り込んだら、
あれ?緋色五重の塔が見える・・・
何だろうと思ったら、なんとその五重の塔、個人の御宅に建てられておりました。
神社とかお寺とかじゃなくて、個人の御宅。

調べてみたら「永明院 五重塔」というらしいです。
「地元の網元の方が、魚供養のために自宅敷地内に建立された五重塔で、「日本で初めて建築基準法にのっとって作られた五重塔」」らしい。
立派過ぎて唖然。というかその時は個人の家に五重の塔という現象に意味がわからなくなってました。
個人でも建てられるんだね。驚愕。


それから、高岡市によって、「日本三大仏 高岡大仏」を見てきました。





日本三○○ってなんかいろいろと見ている気がする。
日本三大仏というのは、
752年創建の奈良大仏、1221年ごろ創建の高岡大仏、1246年創建の鎌倉大仏
なのだそうです。

現存する大仏の再建時期は、
奈良大仏が江戸時代中期、高岡大仏が昭和初期、鎌倉大仏が鎌倉時代。
大仏のみの歴史から言えば高岡大仏にピンとこなかった理由が分かりました。

高岡大仏
総高・15m85cm
総重量・65トン
380年余の伝統を誇る、高岡銅器の象徴なのだそうです。

この日ちょうど高岡市では、高岡御車山祭(たかおかみくるまやままつり)をしていたみたいで、市内の道路が交通規制中。
大仏にたどり着くまでにかなりの時間を要したのはよい思い出です。


それから向かったのは富山城址。



佐々成政公の居城だったそうです。
コーエーの太閤立志伝Ⅱでお世話になったのを覚えてます。
現在は戦後に建設された天守閣内の「富山市郷土博物館」があるみたい。
今回は概観だけを眺めて、終わり。
このとき雨風が酷くて、持っていた傘が壊れてしまいました・・・


富山から高速道路に乗って、新潟に帰宅。
こんな歴史堪能づくしなGWでした
比叡山延暦寺はもう一度、今度はケーブルカー経由で行ってみたい。


了.

城と神社仏閣,歴史堪能ツアー #11

少し日にち詐称しました。
福島乳幼児~の記事を10日→5日に移動。


さて、GWの旅行の旅レポも終盤。
というかもう終わらせます(いつまでGWを引っ張ってるんだ)。

で、三日目次に向かったのが石川県羽咋市にある気多大社。

ちょっとここで地図の確認を。
が次に行く気多大社のある場所。
んで、小松空港近くに二日目に泊まった山代温泉と三日目朝に行った那谷寺があります。
二日目にいった永平寺は、石川県と福井県の県境近くで福井県。
氣比神社と氣比の松原は福井県の敦賀市にありました。
二日目に出発した彦根は滋賀県です。



当初二日目は彦根観光をしながら北上し、和倉温泉に泊まる予定でした。
ですが泊まる旅館が急に泊まれなくなって、輪島の温泉に急遽変更。
ですが見てください、彦根から輪島までの北上距離を。
悠長に観光をしながら北上なんてできる距離じゃないですね。
二日目の旅館を小松空港あたりの山代温泉郷にして正解でした。

というわけで能登有料道路を通って、このにある気多神社に向かいました。
能登国の一宮ですよ!(でもHPのレイアウトがあまり綺麗じゃない.....)





ここはHPの雰囲気からも分かるのですが、
現在流行しているパワースポット(笑)として名高い、縁結びの神様の神社なんですって。
でしょうね、かなり若い娘さんがたやカップルばかりでした。
しかも5月1日に行ったので、その日は「ついたち結び」の日らしく無料占い・無料お祓いをしているみたいでした。
でもさ、こんなに声高々に「縁結びー」と宣伝されると、一般参拝者は困る。
主祭神は(縁結びの神様である)大国主神(おおくにぬしのかみ)
仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
みなさん恋の成就への気合、パンパないものね。

でもね、この気多大社。
拝殿・本殿の奥に「入らずの森」という神域が存在するのです!!
神域だから立ち入り禁止なので、あんまり実感わかなかったんだけど。



この本殿の奥に鬱蒼と茂る森がそうなのかしら。
Wikiによれば、
「「入らずの森」としての神域で、立ち入りが禁止され奥宮が安置されている。3ヘクタールの広さ中にたぶの木[3]はじめツバキ、シイ、クスノキ、カラタチなどの常緑広葉樹が密生し、樹齢百年をこえる木が林立している[4]。1967年天然記念物に指定。」
とのことです。
ヘクタール(ha)って理科で習ったけど、どれぐらいの広さかもう忘れちゃいました。


それから羽咋市(はくいし)から横断して富山の氷見に行きました。
氷見といったら天然岩がき!!

ということで向かったのは 道の駅「氷見」氷見フィッシャーマンズワーフ 海鮮館
GWの日曜日のお昼だったので、人・人・人!!!
すごかったです。
そこでママ様と食べたの、天然岩がき。
パパ様と妹嬢は牡蠣が好きじゃないので、二人で。
レモン汁かけて食べるんだけど、大きいからなんだか大変でした。
美味しいのだけど、人が多くてあまり堪能できなかったのが残念。
ここでは氷見うどんとお醤油を買いました。
お醤油は有名みたい。
お買い上げは本川藤由商店さんの海鮮熟成さしみしょうゆのボトルタイプ
まだ空けてないので楽しみですvv

城と神社仏閣,歴史堪能ツアー #10

もう一ヶ月も旅レポしてるのに終わらない~
飽きていてもすみません。まだ続きます。
正直、和泉も飽きてきた。


というわけで、二日目のメイン二箇所を巡り終わりまして、一行は温泉宿に向かったのでございます。
温泉宿は山代温泉の加賀屋宝生亭です。
福井と石川の県境近くの石川県寄り。
一日目はホテルだったので、お久しぶりの温泉でとても満足でした。
夕食は、旬だった蛍烏賊づくし。苦手だったけど、おいしかったですよ。
なんだか宿の方を驚かせてしまったのは、次の日、我が家が朝食を食べて30分もせずに宿を後にしたことでしょうか。
「もうお出になるんですか?」驚かれたようなので、ほかのお客様はもっとゆっくりしているんだと思います。
三日目は石川県の南部から能登半島経由で富山・新潟と帰らなきゃならなかったので、そんなにゆっくりとできなかったんですよね。
そのせいで全然、山代温泉を巡れなかったのが残念でした。


でもですね。
この山代温泉の宿に決めるまでにはいろいろと紆余曲折がありまして。
一番最初、石川県の中間部にある輪倉温泉に泊まる予定で、宿をとっていました。
ですが、出発一週間前ぐらいに突然、泊まる宿が営業停止になりまして、泊まれなくなったんです。
なので急遽、能登半島の最北端(?)の輪島温泉に宿をとりました。
がよくよく考えてみたら、二日目は観光もしながら滋賀県から石川の最北端まで行かなければならない状況で、二日目のほとんどがドライブで終わってしまう!!という危機に。
これでは駄目だと福井と石川の県境あたりの宿を、出発三日目ぐらいで決めたのでした。
本当に空いていてよかったです。普段のGWなら空いてなかったんでしょうが、これも震災の影響だったんでしょうね。



とうとう三日目。
最初に行ったのは那谷寺(なたでら)です。

那谷寺は白山信仰(717年に開創)の寺なのだそうです。
白山信仰・・
Wikiによれば、「加賀国、越前国、美濃国(現石川県、岐阜県)にまたがる白山に関わる山岳信仰」とのこと。現在日本各地に約2700もの白山神社があるようです。

新潟総鎮守の白山神社も白山信仰の系統ですよね。
旅行後に新潟の白山神社に行ったところパンフレットを戴いたんですが、加賀の霊峰白山山頂に祀られている白山比咩大神(しらやまひめおおかみ)の女性神を勧請して新潟の地に祀ったと説明されているだけでした。なので縁結びの神様みたいです。
白山信仰についての詳細はあまり書かれてなく、新潟は山岳信仰=白山信仰よりも、御祭神が白山比咩大神である=白山信仰と捉えているようでした。
(ここの解釈が当たっているのかよく分かりません。あくまで和泉の主観で)


那谷寺の御本尊の千手観音が安置されている「金堂 華王殿」。

平成2年に建立したそうです。

那谷寺見所はなんといっても、自然豊かな参道でした。

奇岩遊仙境。
こんな岩山がそびえたっていて、どこかの渓谷に来たかのような圧巻な場所でした。
岩の奥に祀られている稲荷神社がすごくよかったです。
秋に来たらまた紅葉で綺麗なんだろうなあ。


参道の池内。
これもかなり興味惹かれた場所。

そのほかには、重要文化財の三重の塔があったり、


本殿には洞窟でできた胎内めぐりがあったり、


と見所いっぱいのお寺でした。
朝一に行ったことでほかに人がいなかったのもよかった。

城と神社仏閣,歴史堪能ツアー #9

二日目のメイン二つ目!
曹洞宗大本山 永平寺。
1244年(寛元2年)に開かれた座禅修行の道場。
現在は約200名の僧侶らの修行の場。

全然写真上手く撮れなかったけど、まともなものをいくつか。









ほとんど外だけど。
仏殿とか山門とか写真に納めるには立派なものばかりなんですが、
なんせ和泉の写真技術だとほとんどブレてた・・・


さて、
永平寺に参拝したのはこれで二度目です。
一回目は中学ぐらいだった思い出がある。
家族恒例の日帰り旅行で、今は亡きおじいちゃんとおばあちゃんも一緒に参拝したんです。
そのときのパンフレットもまだ残ってますが、注目する点はいつも同じですね。
前のパンフにも今回のパンフにもメモ書きには同じような内容が。。。
パンフレット、説明文内容は変わっていないのですが、構成が異なってまして、見比べてみると面白いです。
前のパンフには祀られている仏像が写真付きで掲載されているが、現在のパンフにはないとか。
現在のパンフには修復された山門の四天王の写真があるとか、一般参禅の案内があるとか。
建物の詳細地図は昔のパンフに勝敗が上がりますが、構成の見易さは現在のパンフに勝敗です。10年後ぐらいに参拝行ったらまた違ったパンフなのかもしれません。

参拝ができる場所は決められていて、廊下をめぐって参拝します。
そのとき必ず左側通行。
日本の古き良き文化が残っていますね~
刀を差してないお坊さんも左側通行だったのか・・

山門とか本堂とか建物の見所もありますが、
なんといっても傘松閣(さんしょうかく)の大広間は圧巻です。
傘松閣に入ったとたん、一度目参拝の記憶が戻りました。
この大広間、↓26×→6で、156畳あるんです!
それだけでもテンション上がるのに、上を見上げれば、230枚の天井絵!
花や鳥を中心に描いているのだそうです。
ここで写真公開といきたいところなのですが、なにせ写真撮影にはフラッシュ厳禁だったので、上手く撮れなくて撃沈。
またじっくりと見たい場所。
総受処に天井絵をそれぞれ写真に納めて詳細説明を加えた写真集が売っていました。
余裕があれば買いたかった・・残念。


二度目だけど、一度目以上に素晴らしい場所でした。
永平寺を参拝してから、男だったら絶対僧になる!と思っていた当時が思い出されます。
現在も昔も、永平寺は和泉の萌えの対象であった場所でした。
  

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