プライベートライアンは墓参りかなにかで戦争が正しかったということを確認しなければならなかったところが弱い。
連合軍が戦った相手は主としてドイツ国防軍である。ドイツ国防軍はナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の軍隊ではなく、ドイツという国家を守る軍隊である。ドイツ国防軍とは他に、ナチスはナチスを守るための軍隊として親衛隊を作った。これらはナチスを守るための私兵隊である。ドイツ国防軍はドイツ国の軍隊である故、国防軍という軍組織が、ヒトラー打倒が国家のためだと考えたときにはクーデターを起こす。ナチスは、自分たちが国民や国軍の全てを掌握し切れていないことを知っていたから、親衛隊を作った。
一般的に親衛隊の存在は、独裁政権の特徴である。イラク然り北朝鮮然りである。ドイツは十分に国民国家として成熟していたから、それなりの強さを発揮した。ドイツ国防軍は、ヒトラーが好きか否かは別として、国家の命令を粛々と受け入れて戦い続けたわけだ。一方イラク軍はそういうフィクションを持っておらず、宗派の方が大事であったりする現状故、米軍相手に正規戦は戦えなかった。
ドイツ国防軍は、ヒトラーの言うことを聞いていたのではなくて、ヒトラーを元首とするドイツ国家の命令に従って動いていたと、少なくとも形式的には言える。それが免罪に値するかどうかは別問題だが。
かかるフィクションに基づいて行動する軍隊と、自由を守ると言いつつ、既得の国際秩序から得る利益にしたがって行動する連合国諸国首脳の意志に基づく軍隊(連合軍)との間に、さほど道徳的違いはない。
さて、こういうことをふまえた上で、現場で働く一兵卒のことを考える。すると、いずれかが正義ということはもはやどうでもよいことになる。誰が機関銃弾の飛び交う中前進したいかというのだ。なぜそうするかというと、そうせざるを得ないからであって、何故そうせざるを得ないかというと、周りがそうするからであって、まさに人間が社会的動物であるからというそこに行き着いてしまうではないか。例えば硫黄島の戦いでは、日本軍米軍共々、お互いの役割を十全に果たしたとしか思えない。サラリーマン社会というものを客観的に見ていると分かる。明らかに理不尽なことを耐える人々は何故そうするのか、それが自分の役割だからと考えているからだ。
そういったことを思い起こさせたのが、まさに「父親たちの星条旗」であった。
連合軍が戦った相手は主としてドイツ国防軍である。ドイツ国防軍はナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の軍隊ではなく、ドイツという国家を守る軍隊である。ドイツ国防軍とは他に、ナチスはナチスを守るための軍隊として親衛隊を作った。これらはナチスを守るための私兵隊である。ドイツ国防軍はドイツ国の軍隊である故、国防軍という軍組織が、ヒトラー打倒が国家のためだと考えたときにはクーデターを起こす。ナチスは、自分たちが国民や国軍の全てを掌握し切れていないことを知っていたから、親衛隊を作った。
一般的に親衛隊の存在は、独裁政権の特徴である。イラク然り北朝鮮然りである。ドイツは十分に国民国家として成熟していたから、それなりの強さを発揮した。ドイツ国防軍は、ヒトラーが好きか否かは別として、国家の命令を粛々と受け入れて戦い続けたわけだ。一方イラク軍はそういうフィクションを持っておらず、宗派の方が大事であったりする現状故、米軍相手に正規戦は戦えなかった。
ドイツ国防軍は、ヒトラーの言うことを聞いていたのではなくて、ヒトラーを元首とするドイツ国家の命令に従って動いていたと、少なくとも形式的には言える。それが免罪に値するかどうかは別問題だが。
かかるフィクションに基づいて行動する軍隊と、自由を守ると言いつつ、既得の国際秩序から得る利益にしたがって行動する連合国諸国首脳の意志に基づく軍隊(連合軍)との間に、さほど道徳的違いはない。
さて、こういうことをふまえた上で、現場で働く一兵卒のことを考える。すると、いずれかが正義ということはもはやどうでもよいことになる。誰が機関銃弾の飛び交う中前進したいかというのだ。なぜそうするかというと、そうせざるを得ないからであって、何故そうせざるを得ないかというと、周りがそうするからであって、まさに人間が社会的動物であるからというそこに行き着いてしまうではないか。例えば硫黄島の戦いでは、日本軍米軍共々、お互いの役割を十全に果たしたとしか思えない。サラリーマン社会というものを客観的に見ていると分かる。明らかに理不尽なことを耐える人々は何故そうするのか、それが自分の役割だからと考えているからだ。
そういったことを思い起こさせたのが、まさに「父親たちの星条旗」であった。
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by apusetonedeb
| 2006-11-14 01:11
| 雑記