分類:音楽 アルバム名:『ERA』 アーティスト:中村一義 ジャンル:ロック 気が付けば、27だった。 もう大人の歳のはずだ。しかし、何一つ得てない感覚がどこかにあって、それをぬぐう事が出来ない。 心奪われ夢中になるものも少なくなった。 大好きなはずの音楽。本。ヴィデオゲーム。インターネット。のめり込む前に、つい明日の仕事の事を考えたりする。それに、10代後半から20代前半にかけて感じていた輝きは今では失せかけている。 時間も奪われてばかりになった。心配事は目の前に常にブラつき、そのくせ、「このままでいいのか?」と漠然と迷う。 友達と会う機会も減っていった。 会ったら会ったで、積もる話だけで時間が終わってしまう。その繰り返し。物足りなくて、でも、どうしようも出来なくて、間に距離が出来てしまったようで、言い知れぬ不安。俺は君たちが好きなのに。 雨降りの朝で今日も会えないや 何となく 何気なく、ひとり、つぶやいてみる。ぐっとこみ上げてくる何か。わかってんだけど、わからない。だけどこんなに胸が痛むのは何の花に例えられましょう? けど。でも。だが。しかし。 虚無感に浸ってばかりにもいられないんじゃないか? ねぇ、俺は生きてる?君は生きてる? CD棚から引っ張り出したのは中村一義の『ERA』だった。 車飛ばして。カーステで。爆音で、かける。 ’00年から’01年にかけて、聴きすぎるくらい聴いたアルバム。なのに、まだ突き刺さるのか、というぐらい一曲一曲が響く。 危険なくらいに胸に突き刺さる歌詞たち。俺はこんなアルバムを他に知らない。今聴く『ERA』は今の俺相応に聴こえる。これが、『普遍』ってやつなのか? 違うかもしれない。 ’75生まれの中村一義。’77年生まれの俺。中村一義の方が年上だけど、世代としてはだいたい一緒だ。 「ああ、これ、“俺たち”に歌ってんだ。なあ、そうだろ?」 俺はスピーカーの向こうに話しかけたくなった。’00年に感じてないわけじゃなかったけど、そう断言できるほどじゃなかったんだ。 『ERA』。つまり、時代。 このタイトルの意味を’00年の俺はうまく消化しきれなかったんだ。でも、今の俺は、解った気がしてる。 『時代』というのは『俺達が作るべき時代』って俺は解釈したよ。「与えられるだけ」なのも、もう終わってるんだろう?今度は俺たちの番なんだろう? だけどさ、中村君。 何かを作り出す事にはかならず痛みを伴う。 ましてや、それが『時代』だなんて。 どれほどの激痛だろう? 想像だけで、身震いするよ。 …でも。 妥協した、歪んで、退屈で、常に続く、薄くて、暗くて、重くて、鈍い痛みに比べたら。 それで死ねるくらいの、それで死んでもいいくらいの、激痛の方が、俺は、いい。 君もそうだろ? はじまったぜ・・・。もう、やっちゃえば? そう、これからだ。どっち向いてんだ? そう。『ERA』がこの世に放たれてもう四年も経ったけど、まだ、これからだよな。 ついていくよ。俺の出来る事、新しい事、誰かに伝える事、する。 だから、前、向いて、キーボード打つよ。 [written by LastExit] 『ばらの花』 作詞:岸田繁 『メロウ』 作詞:中村一義 #
by pluskey01
| 2004-10-31 22:32
分類:音楽 曲名:『ロックンロール』 収録アルバム:『アンテナ』 アーティスト:くるり ジャンル:ロック ”ロックンロール”という言葉が、この世にはある。 すでにみんな知っている。「死んだ」とか言われたけどまだ生きている。ダサかったのに、また新しい言葉として語られ出す。それがロックンロールである。 しかし、ロックンロールほど解釈が様々なものもない。 ある人は『生き方』という。 みうらじゅん著のマンガ『アイデン&ティティ』で語られるロックンロールとはまさにそれであろう。 しかも、一口に「ロックンロールという生き方」と言えど、その人それぞれの解釈はまた無限に近い形で広がっていく。自分らしい生き方。世の中に迎合されない生き方。反骨。過激。暴力。破滅。殺戮。生命。愛。SEX。平和。死。 この場合、すでにロックンロールとは宗教であり思想である、と言えるだろう。 ある人は『音楽のジャンル』という。 これまた多様である。 「このテンポでドラム入れてベース入れてギター入れてこれっぽいリズムがロックンロール」とCASIOキーボードの自動演奏ばりの定義をする人もいれば、パンク/ニューウェーブ・ムーブメントやヘヴィメタルのように、『反骨』や『破壊』こそがロックンロールとする人もいる。 またファッションでもロックンロールはある、らしい。 本文で語り尽くせるものではない。『僕の知らないロックンロール』は世界中に玉石混合無数にあるのだと思う。 数年前、札幌の大通公園で“リーゼント頭”に“革ジャン”と“革パンツ”で身を固めた数人のいい歳したオッサンがラジカセを中心に輪になってクイックイッとツイストを踊る姿を何回か目撃した事がある。ラジカセから流れる曲は“E.YAZAWA”である。 僕はその“非日常性”に、暗黒舞踏でも見るような気持ちになりつつ笑ってしまったのだが、後々になって観た『NHKアーカイブ』で、この人たちのこの踊りもかつて“ロックンロール”と呼ばれていたものであるらしいと知ったのだった。「かつて」と書いたが、彼らが踊り続ける限り、それはロックンロールであり続けるわけだ。 ロックンロールは、深い。 ロックバンドくるりの曲である『ロックンロール』はどうなのか。 「名前からしてロックンロールだ。さぞかしロックンロールに違いない。」 タイトルを見た人間は聴く前にそう思うに違いない。現に僕もそう思った。斉藤和義のバンド“SEVEN”の『シルビア』みたいに無骨かつシンプルな「これぞロック!」というようなロック!そういう曲を想像した。 しかし、聴いてみるとまったく違った。 いや、曲はロックンロールなんだけど非常にポップでキャッチーなフレーズ多用で、「え、シングル用…っスか?」とかいう邪推が頭を過ぎってしまうような。 (アルバムで聴くと尚更『ポップ過ぎてちょっと浮いている感』がある。) 別に悪口を言いたい訳じゃないのだが。 ファンの間でも「『ロックンロール』はロックじゃないでしょ」みたいな声もあるようだ。 仕方ない事かもしれない。 しかし、僕はここで敢えて言いたい。この曲はロックンロールなのである。 この曲の「もっともロックンロールたる部分」というのは歌詞であると思う。ざっと読む限り、ざっと聴く限りは、どうも弱々しい部分が目立つ。 例えば、 涙を流す事だけ不安になるよ この気持ちが止まらないように …ロックンロールじゃない気がする。涙?不安? 晴れわたる空の色 忘れない日々のこと 溶けてく景色はいつもこんなに迷ってるのに …なんか、ウジウジ? まあ、そこまで言わなくともいいが、ともかく完全に“憂い”に満ちた歌詞たちである。 かつての岸田繁の歌詞ではあまり見られなかったような気がする“憂い”。『ばらの花』や『ワンダーフォーゲル』、『ワールズエンド・スーパーノヴァ』などでは見事な日常の虚無感を表現したが、このような“憂い”は見られなかった。『東京』ですら、憂いよりも強い“想い”だった。 しかし、“憂い”と曲のPOPさでカモフラージュするが如く、さりげなく、歌詞中にロックンロールは存在するのである。 裸足のままでゆく 何も見えなくなる 振り返ることなく 天国のドア叩く 古くさい言葉を使うならば「不退転」。決意表明だ。そして、さらに続ける。 たったひとかけらの勇気があれば ほんとうのやさしさがあれば あなたを思う本当の心があれば 僕はすべてを失えるんだ 噛みしめるほどストレートに聞こえてくる言葉。 語尾に「~あれば」とあるように、万能感を歌ってるわけじゃない。 切望である。 岸田繁は“常に心から願う事”を“ロックンロール”としたのではないか。僕らは弱さに負けそうになりつつも、日々、生きている。センチメンタリズムに流されそうになる。しかし、自分として心から願う事で生きられる事。死ねる事。それを望む事こそ、常に望み続ける事こそがロックンロールではないか。 僕はそういう解釈をした。 もちろん、人それぞれ解釈は自由だろう。『ロックンロール』をロックか否か、決めるのもあなた次第である。 しかし、僕は胸を張って言い切りたい。 「『ロックンロール』はロックンロールだ!」と。 [written by LastExit] 『ロックンロール』 作詞:岸田繁 #
by pluskey01
| 2004-10-21 01:05
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