スカル、スズメガ、スカラビウスーーエドガー・ポーの『スフィンクス』考(4)
2024年 03月 12日人頭黄金虫(承前)
『黄金虫』においては、大きさのまったく異なる甲虫と人間の頭蓋骨とが、一枚の羊皮紙の裏表に描かれることで分かちがたく結びつく。それはぴったり同じ輪郭を持ってさえいる。
レグランドと語り手は、はじめ支持体が双面を持つことを知らず、それぞれが別のものを見ている。語り手には終始頭蓋骨しか見えず、レグランドだけが返された羊皮紙に描いた覚えのない頭蓋骨を見て驚愕し、その真下(真裏)に自分の描いた甲虫の絵がそのままあるのを見つける。しかしそれまでの間に、これは頭蓋骨の絵だと(実際そうなのだが)決めつける語り手のおかげで、黄金虫を髑髏と重ね合わせることになった。
レグランドは当惑しつつ背中の斑点を目と口に見立てて、「上の二つの黒い点が眼というわけかい? 下のほうの長い点が口で。それに、全体が楕円形だしね」と、相手の意見を容れて妥協をはかる。この瞬間、ただの甲虫のスケッチでもただの頭蓋骨の絵(「ごくありふれた髑髏の絵」)でもないものが誕生したのだ。
語り手は「人頭黄金虫」という名前(あくまで「人頭」であることを主張している)さえ、揶揄的に提案するが、これと同じものが『スフィンクス』では、怪物(実は昆虫)の胸に見つかる(「昆虫」と頭蓋骨は、そこでもーー大きさは違うがーー重なっている)。
滝口直太郎訳では原文のscullが頭蓋骨に、death's headが髑髏にあてられており、暗号文で使われる語も一般的な海賊の印も後者である(ちなみにメンガタスズメは death's head moth、スフィンクス蛾は別種である)。鳴声をあげる蛾はいまいから、『スフィンクス』の「昆虫」は言うまでもなくフィクショナルな合成物である。
しかし、レグランドの発見したスカラビウスもまた、二種類の甲虫の特徴をあわせ持っているらしい。特にあの二つの斑点、あれが髑髏の眼窩の見立てのためにどうしても必要だったのは解る。なんとしても人頭黄金虫を作り上げねばならなかったのだ。
Death's HeadとRed Death
『黄金虫』で最初小さな絵として登場し、レグランドの望遠鏡の中に出現し、ジュピターが登る百合の木の枝の上で実物大(実物である)になり、最後に宝物と一緒に二人分が発見されたはずの頭蓋骨は、『スフィンクス』では最小サイズになり(不思議の国のアリスのように伸び縮みがはなはだしい)、『アッシャー家』で最大(錯覚を勘定に入れなければ)になるーーこれについては、「ごちゃごちゃしている地図の上の名前を言って、相手に探させる」遊びで、「上手になってくると、地図の端から端まで大きな字でひろがっているような言葉を選ぶ」という、『盗まれた手紙』のデュパンの言葉がヒントになろう。
アッシャー家に到着した語り手は、馬を「この家の傍に静かな光を湛えている黒い不気味な沼の険しい崖縁に近づけ、灰色の菅草や、うす気味の悪い樹の幹や、うつろな眼のような窓などの、水面に映っている倒影を見下した」。影でなく実物を見あげると、「微細な菌[きのこ]が、細かにもつれた蜘蛛の巣のようになって檐[のき]から垂れていた」。
いささか面妖な細部ながら、二ページ先で、弱々しい赤い光の射し込む部屋の、それまで横になっていたソファーから立ち上って〈私〉を迎えるロデリックの容貌を描写する、「蜘蛛の巣よりも柔らかく細い髪の毛」という文章に出会う時ほどには異様な感じはすまい。さらに、「絹糸のような髪の毛もまた、全く手入れもされずに生えのびて、それが小蜘蛛の巣の乱れたようになって顔のあたりに垂れさがる、というよりも漂うているのであった」と重ねて記すのだから、これはもう、どうしても館とその主人との類似を示したいのだし、その「大きい、澄んだ、類いなく輝く眼」がいくら強調されようと、すでに見た「倒影」の「うつろな眼のような窓」はもはや読者の念頭を離れまい。
(1)で私たちは、『アッシャー家の崩壊』の主人公と『スフィンクス』の語り手が、自らの死の兆候を前にして同じ身ぶりをするのを確認した。言うまでもなくロデリック・アッシャーは流行病に脅えているわけではない。しかしそもそも語り手が旧友の要請に応えて訪ねていったとき、彼は「弱々しい真紅色の光線が、格子形にはめてある窓ガラスを通して射しこんで」いる部屋にいた。
その部屋は非常に広くて天井が高かった。窓は細長く、尖っていて、内側からは全然届かないくらい、黒い樫の床から高く離れたところにあった。弱々しい真紅色の光線が、格子形にはめてある窓ガラスを通して射しこんで、辺りのひときわ目立つものを十分はっきりさせていた。
このガラス越しの光線は、『赤死病の仮面』の最後の部屋を連想させるものだ。他の部屋が壁と窓ガラスの色をそろえて廊下の篝火で室内を照らしていたのに対し、最後の黒の部屋のガラスは真紅で、室内をあかく染めていたのだ。ロデリックの部屋の格子形の窓ガラスも赤で、それを透して射す光がなぜ「弱々しい」かといえば、語り手がアッシャー邸到着までに通過してきた「雲が重苦しく空に低くかかった、陰鬱な、暗い、寂寞たる、秋の日」のなごりの光であるからだ。
赤い光は、〈私〉がアッシャー邸から逃げ出す終局に至ってその恐るべき正体(もはやガラスを隔てない)をあらわにする。「アッシャー家」が崩壊するとき、『赤死病の仮面』の黒い部屋を満していた赤いガラス越しの光は、もはやさえぎるもののない「ぎらぎらと輝」く「異様な光」として、逃げ出した〈私〉に追いすがる。
その部屋から、またその屋敷から、私は恐ろしさで夢中になって逃げ出した。古い盛上げ路を走っているのに気がついた時には、嵐はなおも怒り狂って吹き荒んでいた。突然、道に沿うてぱっと異様な光が射した。私の背後にはただ大きな家とその影とがあるだけであったから、そのようなただならぬ光がどこから来るのかを見ようと思って私は振返ってみた。その輝きは、沈みゆく、血のように赤い、満月の光であった。月は今、その建物の屋根から電光形に土台までのびていると前に言った、かつてはほとんど眼につかぬくらいだったあの亀裂を通して、ぎらぎらと輝いているのであった。
家自体が顔であることと、その顔が主人のそれに似ていることは、「うつろな眼のような窓」や、「微細な菌」とロデリックの頭髪の描写の一致によってほのめかされていた上、アッシャーがギターをかなでつつ歌った詞として、一篇中に嵌め込まれた「魔の宮殿」なる詩によって示されていた。
アッシャー家とは「人頭屋敷」とか「メンガタヤカタ」とでも呼ばれるべきもので、しかも主人の「不思議な眼の輝き」が強調されながら、沼に映る逆しまの窓は「うつろな眼のよう」なのだから、家は丸ごと未来の予兆であり、あからさまな死の指標なのである。アッシャー屋敷を巨大な頭部として見よとの誘ないは明示的で、「魔の宮殿」はまさしくそうした建物を具体的に記述したものだ。
宮殿には「輝く二つの窓」があり、「またすべて真珠と紅玉とをもて/美わしき宮殿の扉は燦けり」とある。訳注はこれについて、小泉八雲によるこの詩(ポーの詩として単独で発表されでもいた)の解説として、「宮殿は人の心であり、その王座に座せる王は理性であり、窓は眼であり、真珠と紅玉とで燦く宮殿の扉は、紅い唇と皓い歯を持つ口であ」るとする、アレゴリー的な読みを紹介している。詩の後半では王の領土は魔物に奪われ、「彼が上に暁は/再び明くることあらじ」と言歌われ、「赤く輝く窓」と「蒼白き扉」が残るばかりだ。
これは、この歌から強い印象を受けたのは「おそらく、その詩の意味の底の神秘的な流れの中に、アッシャア自身が彼の高い理性がその玉座の上でぐらついていることを十分に意識しているということを、私が初めて知ったように思ったからであろう」という語り手の感想をそのまま追認した、基本的には凡庸な読みである。問題は、理性と狂気の二元論ではなく、二つの眼と開いた口という構造がレグランドによる黄金虫の見立てと一致すること、赤く輝く窓(ロデリックの眼のひとかたならぬ輝きはこの帰結のためだったのか)が、『アッシャー家』を『赤死病の仮面」に近づけることは見てとれても、「神秘的な流れ」などというものは所詮読み手の空想の産物だ。
暗合する世界
アッシャー屋敷/The house of Usher とは、館であり、一族でもあるが、同時に当主の首をかたどった死の表象でもある。同じ印は『黄金虫』では羊皮紙に、『スフィンクス』では昆虫の胸に記されている。『アッシャー家の崩壊』では、それは表題にある家そのものであった。その人頭屋敷によく似た人頭黄金虫となるために、レグランドの見つける甲虫は、あらかじめ、眼窩と似た模様を持たなければならなかった。
ところで終局の〈私〉をこの上なく強い力でとらえる「恐ろしさ」とは何なのか。なぜ語り手は、友人とその妹が死んだ(らしい)のに、人に知らせもせず(館には召使もいる)「恐ろしさで夢中になって」その場を離れたのか。これについて答えたものは、ひとりジャン・リカルドゥーのみである。
繰り返しになるが 「アッシャー家」とは日本語でそう言ったとき第一に浮かぶであろう家系/一族と、その所有する屋敷をを二つながらあらわす(英語とは順序が逆になる)。「アッシャー家の崩壊」とは館そのものの崩壊であるのは当然だが、その家系の終焉をも意味する語句なのだ。
この二重の意味は、〈私〉の「アッシャー家」の外観を眺めながらの最初の語りで、すでに明言されていた。
(…)この傍系がないということと、世襲財産が家名と共に父から子へと代々他へそれずに伝わったということのために、ついにその世襲財産と家名との二つが同一視されて、領地の本来の名を『アッシャア家』という奇妙な、両方の意味にとれる名称ーーこの名称は、それを用いる農夫たちの心では、家族の者と一家の邸宅との両者を含んでいるようであったーーの中へ混同させてしまったのではなかろうか(…)
アッシャー家はその「家」に、そこに住む今は唯一の裔であるロデリックとマデリンの兄妹に、集約されていたのである。その彼らが死んだ。アッシャー家の断絶-崩壊とは、すなわちアッシャー屋敷それ自体の物理的崩壊であるーーそう気づいたからこそ、話者は「その部屋から、またその屋敷から、私は恐ろしさで夢中になって逃げ出した」のだと、リカルドゥーは言うのである。
このことは作品内で次のように予告されてもいた。〈私〉がロデリックに読み聞かせる、騎士エセルレッドの物語の中でする物音は、屋敷内で起こるその反響のような音に、いちいちこだまのように伴われていた。ロデリックがこう言う通りだーー
「(…)エセルレッドかーー は ! は ! ーー隠者の家の戸の破れる音、そして竜の断末魔の叫び、それから楯の鳴り響く音か ! ーーそれよりも、こう言った方がいい、彼女の棺のわれる音と、あの牢獄の鉄の蝶番の軋る音と、彼女が窖の銅張りの拱廊の中でもがいている音、とね ! 」
この「異常な暗号」については、乱歩も次のように書いている
又ここの意味とは違うけれども、ポオは『アッシャー家』の末段に「暗号」そのものの恐怖を非常に巧みに描いている。朗読していた古代の物語の中の文章に記された物音と、現実の異様な物音とが、一度ならず暗合して、悲惨なカタストロフィーに陥ちて行くこの場面(後略)
さすがの乱歩もこの暗号がさらにその先へ続いているとは、兄妹の死のあとにまで反響をとどろかせているとは思いもよらなかったのだ。のみならず、明示的に「暗号」とされていないところにまで精緻な暗号が繰り展げられており、それを読み取りうるーー今、私たちがやっているようにーーとは、想像もしなかったであろう。