タイミングが悪い話。

介護の話を、少し書いておきたい。

左手左足が動かなくなったにもかかわらず「病院に行きたくない」と駄々をこねる81歳の老人(父)を、タクシーに乗せて脳神経外科へ連れて行き、診てもらった医者に「即入院」と宣告されたのは、2017年の11月初旬。あれから四年が過ぎた。

紆余曲折経て、父は某所の老人介護施設に身を寄せている。コロナ禍で長期間面会することはできていないが、「今は」静かに暮らせているらしい。この施設も色々問題が多いのだが、父がストレスなく過ごせているようなので我慢している。不満を全部書くと冗談みたいな話になってしまうので、とりあえず書かないでおく。

父は、タイミングが悪い。

毎回タイミングが悪いという訳ではないが、「ここぞ」というタイミングで禍事が起きる。なので印象がとても悪い。サッカーでも「ここぞ」というところでゴールを決めるのがエースストライカーだ。野球でも負けることができない試合を任され、ナイスピッチングをする投手をエースと呼ぶ。父も似たようなものだ(そうか?)

周囲の人間(主に僕)をピンポイントに狙い、最悪のタイミングで何かを起こす。ただ「最悪だ」と思っているのは、父の出来事に巻き込まれている肉親の僕だけだ。なので周囲には、なかなか同意してもらえない。

もちろん、父はわざとそうしている訳ではない。父は父とて生き、父として生活した結果、そうなっている。本人からすれば「逆恨み」だ。関係ない人から見れば「言いがかり」。なのでこれは、僕の「愚痴」である。

 

父は、タイミングが悪い。

父が脳梗塞で入院した日、奥さんに電話で告げると、義父も末期がんが発覚して入院すると言われた。自分が仕事の時に、病院に着替えを持っていくなどの父の用事を、奥さんに頼めなくなってしまった。向こうはこちらより、命に係わる事案のパーセンテージが高い。父の事での相談も、しにくくなった。

前にも書いたが、長兄は先月中国へ旅立ったばかりだった。二年間滞在予定の単身赴任。それも伸びに伸びてやっと出発したところだった。同じく父の用事を任せることもできず、相談もできず、自分一人で判断しなくてはならなくなった。

前にも書いたが、母はとっくに鬼籍に入っている。

父の面倒や病院との対応、今後の医療判断、介護の方向性など、見事にピンポイントで自分一人に集中した。一カ月前だと、兄もいるし奥さんも余裕があるので、こうはいかない。父の嫌がらせとしか思えない。「逆恨み」かつ「言いがかり」かつ「愚痴」である。

 

父は、タイミングが悪い。

施設から僕のスマホに着信があったのは、今年の五月のGWの夜。徹夜の仕事へ向かう電車内での事だった。いけないことだが電車内で小声で電話に出た。途中の駅で降りると次の電車がなくて仕事に遅刻してしまう。何より乗っている電車は特急なので途中駅にしばらく止まれない。あと一時間前にかかってくればいいのに、とまず施設を呪う。

「お父さんが施設で転倒し、股関節が痛いとおっしゃっています。救急車を呼ぶのですが、このご時世なのですぐに診てもらえるか分かりません。今から来れますか」

という内容だった。色々重なり過ぎていて眩暈がした。

時はコロナ禍、市中がデルタ株に置き換わりつつあり、夏に向けて感染者数が全国的に激増していた。重症者数も増え、病院への入院も断られるケースが目立ち始めていた最中。コロナ患者が救急車運送すらも断られたというニュースが珍しくなくなりつつある頃。

そんな最悪の時期に、脳梗塞の老人が転倒して救急運搬?
よりによって、一年に何回かしかない徹夜仕事の直前に?
よりによって、特急に乗ったすぐ後にかかってくる?

結果として、父は市民病院に受け入れられ、入院して手術も行うことができた。病院への付き添いは奥さんがしてくれたので、僕は仕事へ行くことができた。だが仕事先で同僚がトラブルを起こし関係ないのに巻き込まれた。GW中、都合四日間働いた現場で、同僚がトラブルを起こしたのはその日だけだった。翌日、「お父さん、大変だったそうですね。そんな時に迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と謝られたが、僕は混乱してもうどこの誰をどう恨めば良いのか分からなくなっていた。上手に人を「恨む」ことができなくなってきたと感じる。

ちなみに父は、高齢者かつ脳梗塞というハイリスク疾患持ちなので、施設で真っ先に新型コロナワクチンを接種することになっていた。僕があらかじめ施設で接種できるよう、関係各所へ問い合わせ、手はずは整えていた。準備万端。そして接種二週間前、施設で転倒して入院となった父は、新型コロナワクチンを接種できなくなった。

世は、ワクチンが不足して供給停止となる問題が起きていた頃。入院先の病院で頼み込んだが、市民病院なので市民優先、入院患者には打てませんと断られた。

施設で転倒するのが、もう二週間遅ければ。せめてワクチン接種さえできていれば。入院先の病院でクラスターが発生したらどうしようか。そんな不安も幾分和らいでいただろうに。

コロナ禍で入院患者と面会することはできない。父と話すことや、父の病状を確認することもできない。いつ退院できそうなのか、退院したいのか。リハビリ病院に転院するのか、施設に戻りたいのか。父の「本当の」意思確認をすることができない。医者の言葉は全部を鵜呑みにすることはできない。すべて、自分の「勘」で、判断しなくてはならなかった。

 

本当に、タイミングの悪い人だ。

ワクチン接種することも良く分かっておらず、ただ股関節が痛いと訴え、自分は不幸だと落ち込んでいた父。自分が「タイミングが悪い」人間だとは、全く思っていないだろう。

普通に施設で生活して転倒し股関節を骨折したのが、たまたま新型コロナワクチン接種日の二週間前だっただけだ。コロナ感染者数が激増して救急搬送しにくい時期だっただけ、息子が仕事に行く直前で特急に乗った直後だっただけ。転倒した当日に同僚が問題を起こして迷惑を被っただけの話だ。父本人は、何とも思っていない。

なので、介護者の「逆恨み」と「言いがかり」と「愚痴」には、真実が込められていると、僕は思う。

 

退院後、父は施設に戻った。体重が10キロ落ちていたそうだ。

施設から病院へ搬送され、戻ってこれたので、10キロ体重が落ちていただとか、元気がないだとか体力が落ちているだとか、職員さんには分かるのだ。全くの新しい施設だと、比較できないので分からなかったかもしれない。

だから、引っ込み思案で人見知りで、それなのに頑固という面倒くさい父でも、施設で静かに過ごせているのだろう。

タイミングは悪いけど、悪運は強い。

これもまた、本人はそう思っていないのだろうけど。

そういう気持ちも、分からなくはないけれど。

娘が8歳になった。早いものだ。

と同時に、この書き出しで一年に一回、更新するのが年間行事の様になってしまっている。

「もう少し更新したい」と切に思っているが、「文章に起承転結を強く求める性格」からか、オチのない話を書くことができない。

「今日これこれこんなことがあったんだよー」的な話なら、毎月のように書くことが、ナマケモノの僕にだって、できるはずだが、自分の書いた話の一番厳しい読者であるもう一人の自分が「オチは?」と冷たい目で囁いてくるのだ

* * *

というような、言い訳は置いといて。

娘が、とうとう8歳になった。

昔から読んでいただいている方にはピンと来る人もいるかもしれないが、「父ちゃんのお膝の上に乗ることを卒業する年齢」になったのだった。

そこのところどう思ってらっしゃるのか、本人に聞くと、

「その約束は既に12歳まで延長すると通達している」

と、おすまし顔で彼女は平然と言ってのけた。

従妹のお姉ちゃんが12歳まで父ちゃんのお膝に座っていたから自分にもその権利がある、といういつもの主張だ。その従妹のお姉ちゃんは12歳の時に一回だけ僕の膝に座ったきりなのだが、その反論は受け入れられなかった。

本を読むとか、宿題をする時、風呂上りの夕飯前なんかに、膝に座りに来る。

「ちょっと、スマホどけて」

「何でや」

「ええから」

座卓前で胡坐をかいてスマホを見ている僕の膝に、よいしょっと座る。何ならひざ掛け布団と今読んでいる本を持って来て座る。

マンガ読み放題のスーパ銭湯の風呂上がり客のようだ。

最近では身長が伸びてきたせいで、首が疲れるらしい。僕の腕をヘッドレストのように首を預け、横向きに寝転がっている。もう「膝に座る」レベルではない。リクライニング座椅子だ。何なら座るとき「ふぅ」と言う。おおよそ小学校低学年らしくない。

”またまた。お父さん、娘さんに甘えられて嬉しいんでしょ?”

そう思われる向きもあるかもしれないが、そもそも僕は、悲しいかな娘に甘えられて喜ぶような人間ではないのだ。やせ我慢じゃないもん。本当だもん。

 

僕が娘にできることは、僕が「正しい」と思うことを娘がしたときや、娘が言ったときに、本気で褒めることだ。娘を心から褒めることができた時は、嬉しい。

僕の信念において間違ってると思うことを、娘がしたときや、娘が言ったときに、本気で怒る。その時は少し寂しい。

正直、娘に好かれたいと思っていない。好かれないようになったら、それは仕方がないと思う。彼女はこの世に一人の、個性を持った人間なのだ。

彼女が僕を嫌うのであれば、彼女が僕を嫌うという個性の方を、尊重したい(もちろん嫌われるのは悲しい)。

ただ、娘が死んだら、僕は死ぬほど悲観するだろう。想像するだけで気が狂いそうになる。

娘がもし強盗などのアウトサイダーに捕まり、僕が身代わりになれるのであれば、喜んでこの身を差し出そう。

「はっはっは! 騙されたな、お前も娘も人質だ!」

ぬう。なんて卑怯な奴。

そんなこと言われて娘がやられたら、そいつを殺して僕も殺人者に身を落とすだろう。倍返しだ。

おおよそ、法治国家に生きている人間としては間違っているだろうし、人権弁護士にワイドショーで批判を受ける主張だとは思うけど。

もちろん、思ってるだけなので、実際に起きたら、体が動かない可能性もある。そうなっては嫌なので、時々想像しては脳内でシミュレーションしているだけなのだが、その脳内シミュレーションで時々ホロリと涙が出そうになる。

歳をとったものだ。

* * *

昔、作家の田口ランディさんが、「人を何故殺してはいけないのか」という質問を子供がしてきたら、どう答えるかというエッセイを書いておられた。一回どこかで書いたかもしれない。

その問いかけに、「感情」で答えることができるのは親だけなのだ、親だけは「感情」剥き出しに全力で答えてあげないといけない、というようなことを書いておられた。

「理屈」で分らせようとするのではなく、「感情」で訴えかけなさいと。

人は、とかく「理屈」に走りがちである。とくに男親は理屈に走りがち。「理屈」より「感情」が低く見られがちな世の風潮もある。

「感情的になるなよ!」

と感情的に言ってくる輩もおられる世の中だ。

理屈で回答できる「問い」もあれば、感情でしか回答できない「問い」も、またある。

とかく子供は、低年齢であるほど、「感情」での回答しか受け入れることができない。

「人を何故殺してはいけないのか」という質問を子供にされて、そんな質問をする我が子を怒り狂って泣き叫び、叱咤することができるだろうか。なかなか難しい話だ。

嫌われたくない。避けられたくない。友達のような感覚で、息子や娘と楽しくつきあいたい。

 

そういう気持ちも、分からなくはないけれど。

 

それは子供を想ってるのか、自分を想ってるのか。努々考えた方が良い。

僕だってそりゃ娘には可能であれば嫌われたくない。なので正しくは、嫌われても仕方がないと覚悟しているのだ。

もし神様が物々交換で、僕を嫌うことの代償に、娘が友達と楽しく生きて、美味しい物を食べれて、よく眠れて、絶えず笑っているのであれば。

こんなに安い買い物はない。そこだけは本気で、そう思う。

* * *

最近、お風呂に一緒に入ると。

風呂上り、娘は決まって僕に「透明なパンツ」を手渡す。

「はい父ちゃん。透明なパンツ」

「おお、ありがとう。そうそう、こうやって透明なパンツを父ちゃん履くと・・・ちんこ丸見えやんけ!」

ケタケタケタと娘が笑う。小学校低学年は、ベタなほどよく笑う。

高校時代演劇部に入っていたので、とっさに恥ずかしげもなくベタな演技ができる能力を手に入れた。

こんなところで役に立つとはな!

娘が調子に乗って、

「はい父ちゃん、透明なタオル」

「はい父ちゃん、透明なシャツ」

「はい父ちゃん、透明な靴下」

連発してくる。ネタが切れる。結局僕は「いい加減にしなさい!」と怒る。

「父ちゃんボケてー。お願いやからボケてよー」

「えーい。いい加減、お前がボケろ!」

この子が生まれてきた時に、まさかこんな「おねだり」を言う娘に育つとは思っていなかった。

ごめんね。

娘が、7歳になった。

正確には、7歳になって二か月が過ぎた。7歳と言えば、先月から小学二年生である。

一年生の頃は、上半期に登校拒否が幾度かあったようだが、下半期はまあまあ小学校に通えたそうである。楽しく通えているということは、親としては良いことだ。と思いたい。

時折、夜遅くまで起きていて(眠りたくないそうだ)、

「明日起きられへんぞ」

「起きれるもん」

というやり取りの後、案の定翌朝起きれず。近所の登校班の出発時刻に間に合わなかった様で、母ちゃんに怒られ小学校の校門までついて来てもらったものの、母と別れていよいよ一人になると、恥ずかしくてクラスまで行くこともできず。立ちすくんで泣いているところに教頭先生がやってきて(職員室の窓から娘を見つけて駆けつけてくれたそうだ)、手を引かれて一緒に教室まで連れて行ってもらい、ようやく授業に参加できたそうである。

そんな娘が、7歳になってから、全く父ちゃんに甘えなくなった。相変わらず母ちゃんには甘えっぱなしなのだが、僕には全く甘えてこなくなった上に、何かと僕の行動に目をつけ、ナニワのオカンのごとく、減らず口を叩くようになった。

「もう。父ちゃん、ちゃんとして」

ちゃんとしていても、顔を合わすたびに、口うるさく注意してくる。時々本気でムカつくので、本気で怒る。本気で怒ると、ヘソを曲げて泣き出す。

ちょっと、いやかなり面倒くさくなった。

先月だか、先々月だか忘れたが、娘があまりに鬱陶しく僕に注意してくるので(ほとんどが因縁に近いものなのだが)、本気で怒鳴り散らしたことがあった。

「お前、もうええ加減にしとけよ! あまり我儘ばかり言うてたら、父ちゃん許さんからな!」

そんな感じで怒鳴りつけ、僕は自分の部屋に閉じこもった。

娘はいつも通りヘソを曲げ、いつも通り大泣きしてしまったのだが、その後に母ちゃんと一緒に出掛ける用事があったらしく、しばらくして二人で車に乗って、どこかへ出かけて行ってしまったのだった。

* * *

「その年頃の女の子は、そういうものですよ」

とかなんとかいう声が、どこからか聞こえてきそうな話である。すべての女の子がそうだとは思わないけれど、うちの娘はおそらく、「そういう」性格に生まれてきたのだろう。血筋だろうか。

 

僕の母親は、口煩く、無視しても無視しても、息子にからんでくる人だった。

母は、息子に「言い過ぎたな」と思ったら、ほとぼりが冷めた頃に優しく声をかけ、様子を伺いに来るのが常だった。

反抗期の頃は、それすらウザったいものだった。

逆に自分が間違っていないと思ったら、絶対に「ごめんね」とは言わない人だった。「ありがとう」とは言われた記憶はあるが、怒られた後に「ごめんね」と言われた記憶は薄い。それだけ信念を持って、僕を叱っていたのかもしれないし、いや多分ただの頑固者だったのだろう。

兄が大人しい性格だった分、僕の反抗が目立ち、母親は僕との関係に手を焼いていた。

僕が就職して横浜へ行くと決まった時、父親はあっさりしたものだったが、母親は泣いていた。

「何で悲しいねん。毎日、『死ね、クソババア』と俺から悪態つかれることもなくなるんやから、むしろせいせいするやろ。兄貴は何も反抗せぇへんのやから」

と言うと、

「アホか。毎日言い合いできる奴がおらんようになるから、寂しいんやろが」

母はいつものように、鬼の形相で僕に言った。泣いてるのか怒ってるのか。忙しい人だった。

兄貴は黙って何も言ってこないのでつまらん、ともつぶやいていた。

――そういうもんか。

僕はてっきり、母に嫌われていると思っていた。それだけの反抗をしてきたからだ。

年を取ってから、反抗期の頃の自分を思い出すと、とりあえず死にたくなる。

* * *

自分の部屋で、パソコンで調べ物をしていると、背後の方で、部屋のドアがスッと開いた。

誰かが立っている気配がする。その前の玄関のドアが、ドーンと乱暴に開いていたので、おそらく娘だろう。

部屋の片隅にピアノが置いてあるので、おそらくいつものように僕の嫌がらせをするために、ピアノを弾いて邪魔をしに来たのだろう。

なので振り向きもせず、無視してパソコンで調べ物を続けていたのだが、いつまでたっても、人の気配は動かない。娘なら痺れを切らして突っ込んでくるハズだった。

しばらくして、根負けして振り向くと、複雑な笑顔の娘が立っていた。

「ごめんね」

僕に向かって娘が、「め」と「ね」を強調して言う、いつもの変なイントネーションで謝罪した。

「・・・」

「ごめんね!」

少し恥ずかしそうに僕に言う。

「いやまあ、別にもうええけど・・・」

「はい、おみやげ」

手渡されたのは、うちで贔屓にしているパン屋さんのパンだった。二人で買いに行ってきたのか。

「父ちゃんの好きなピザパンがなかったから、ウチと同じカボチャパン。はい」

「ありがとう。一回だけ、おしりたんていのムービー、観るか?」

「うん。観る」

そう言って、パソコンチェアーに座る僕の膝の上に乗り、楽しそうに「おしりたんてい」のムービーを見だした。謝罪の気持ちは何処へやら。

おそらく、奥さんが車の中で、娘に言い聞かせたのだろう。後で感謝の言葉を述べておかなくては。

「もう一回」

「一回だけって言うたやろ」

「もう一回!」

すぐ調子に乗るところは親に似ていて不安になるけれど、娘が「ごめんね」と言えるように育って良かったと、僕は胸をなで下ろしていた。

――ごめんね。

その一言が言えるなら。この子の人生はこの先、まあまあ大丈夫だろう。そんなことも。

 

娘は、7歳になった。

結局僕は、もうこの世にいない母に謝ることができないので、その点では、娘の方が上である。